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2023-02-22 53:13

086 他の人の言動を「赦す」ことで自分に返ってくる3つのメリット

今日は、ワントレ2の受講者の方から「赦すことに成功した!」との報告を受け、この最強にして万能な問題の解決法について話しています。赦すことのメリットが見えれば、自分のためと思ってトライすることができます。番組お知らせした「Jazzin' Work」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes02232023.peatix.com

00:00
GOOD VIBES ミッドナイトラクザ by KURAZAMUKEIZO
こんばんは。ただいま2月22日水曜日の午前3時26分です。
今日は寒かったですね。
私もあの今日はちょっと都心に行ったんですけどね。
前回の月曜日か番組でなんかもう春が来たんじゃないかみたいなね勝手に何かこう開花宣言みたいなことをのたまってしまったんですけど
まだまだ甘かったですね。やっぱ2月っすもんね。まだね2月の20日ぐらいなんで
そう簡単にはやっぱ春にはならないですよね。
なんかもう僕は自分でそんな風に喋ったもんだから
今日はねすっかりですねえっと春先ぐらいの感じの服装をねして外出してしまいまして
マフラーも持たずに手袋も持たずにでインナーがえっと今まで着てたようなねちょっとセーターからかなりかなり薄手のね
もう本当にあの長袖Tシャツぐらいの感じで出て行ってしまいまして
まあ1日ずっと凍えていましたね今日はね
そんな日だったんですけど今週はあの月曜日ね月曜日から金曜日までだいたい毎日2、3本このワントレ2のねセッションが入っているという
なかなかこういうウィークは珍しいんですけどねたまたまここになんかどっとこの予定がね重なってしまいまして
しまうってのも変だけどありがたいことにねたくさんあの入りまして
毎日毎日このワントレ三昧なんですね
明日がえっと一応ジャジュンワークというねイベントなんでそれ以外ですね月、火、水、金この4日間が合わせて2、3本ぐらいね毎日あるような感じです
でまあこのワントレはね前もお話ししたように私の大好きな仕事の一つでして
まあ基本的にはあの必ずなんていうのかなやっていいことしかないんですけどね
今日もあのいつもの池袋のね東京芸術劇場の中にあるカフェで一本やってきたんですけどもね
夜そこにいらっしゃった事業者の方がね開講一番というかね
今日までどうでしたみたいなお話をしたところ
倉園さんと許すことができて本当にあのうまくいったんですっていうようなねお話をしてくれましてね
お許すいったんですかみたいなね
でまぁちょっと詳しくはね全くお話しできないんですが
まぁまぁちょっと伺うお話を伺った感じではまぁかなりねかなり厳しいかなり厳しい出来事であることは間違いない
そこでまぁ本来ならね本来これまでならそこでまぁ攻撃を繰り出しながら問題をややこしくしていたはずなんだけども
03:05
そこでなんとなくここは許す場面かもしれないっていうのはね
自分の心の中からもうメッセージがね聞こえてきたんでしょうね
それをちょっとというかね多分ねそれしかもう方法がないというぐらい多分結構きつい状況だったんじゃないかなと私は予想するんですね
もうなんかそれ以外の手段を講じてもこの問題は一向に改善しないだろうなと
肯定していかないだろうなという僕らが持ってる本能というかね
そういうものが教えてくれるようなきついシチュエーション
そこでそうだと許すというのをやってみようと思ってねやってみたら
あらゆることがまだねその修復中というかね問題は続いているんだけども
とても良い方法に向かっていると
これをやったらここからがすごいんですよこれをやったら一度やったら
あらゆる問題はこれで解決するんだなってことがわかったんですよねっていう風にね
おっしゃっていただいたんですね
これはその私もこの番組を通していろんなお話をお伝えしてるんですが
実はこの最もお勧めしたいこのやり方
メソッドじゃないねもうメソッドなんていう軽いもんじゃない
最もお勧めしたいこの問題の解決法なのかな
僕らの人生においてあらゆるなんていうのかな
この厄介なこと心の悩み怒りだの悲しみだの
もうとにかくあらゆる問題を解決するのに
これがもう最強かつ万能なやり方だと僕は思っているんですね
だからぜひぜひもうこのお勧めしたいのは山岩なんですけども
いかんせん本当にこの話はもう抵抗の最も強い話であるはずなんですね
まあいろんなねいろんなもろもろもろもろの原因によって
この許すほど何ていうのかなやりたくないものはないって言ってもいい
まだまだ僕も僕が言ってるもう一つのね
この愛するというこちらの方がまだいいんじゃないかなっていうぐらい
これもかなり嫌なんだけどみたいなね
トップクラスなんですよね
トップの僕は多分最上位にいるだろうなと思っています
だからこの変な話でねこういう番組というのはやっぱり
たくさんの方に気持ちよく聞いていただきたいコンテンツでもあるんでね
ある種のエンターテイメントっていうのも変だけど
それなりのエンターテイメント性みたいなものはやっぱり意識して
僕も番組を作っているというかお話をしてるんでね
もうその明らかにあからさまにこれは嫌だなみたいなものを
毎日毎日くどくどお話しするのはね
私としてもやっぱりこうやりたくないっていう感覚がね
06:03
これも本当に私の恐れや不安から来る
やりたくてもできないことの一つなのかもしれないんだけどね
でもなんか今日の受講者の方の反応というか手応えというか
そういうのを伺いながらね
これ本当すごいですねみたいな話を伺いながら
やっぱりこの話はね少々その不倫期だろうと
抵抗があろうと定期的にというかね
毎日はちょっと僕もなんかしたくないんだけども
ここぞという場面というかこういう機会ですね
チャンスをいただいたんですね僕はきっとねその方から
この話はしていこうと思いまして
今日は真正面からねこの許すという問題
問題というか許すというこのやり方
ここをね取り上げていこうかなと思うんですね
で入り口としてね何が一番いいかなと思ったら
やっぱり私の経験をお話しするのがいいかなと思いましてね
よくこの番組で何度かその絶望の淵に立ってきた
人間関係をデストロイしながらっていうのをね
もうちょこちょこちょこちょこ挟みながら
この話はしてるんだけども
このね原因というかね
なぜ私がそのようなところにいつも陥っていたのかという
その最大のね原因というか要因は
もう間違いなくこの罪悪感なんですね
罪と罰の意識
ループするんです
簡単に言うとまずはですね
まずは多分人と人との間
つまり私と他の人の間に
何かこの圧力というかね何か問題が生じるんですね
簡単に言うと僕がその他の人の言動を見ていて
気に入らないなと思うわけです
そこまで強くなくても
何かざらついたりざわついたりするんですね
これは違うなみたいな感じで
でその時に私は当時ね
まあ若い頃というか
このgood vibesの取り組みを始める前は
その相手のざらつく言動に
必ず罪を見ていたんですね
これは以前この番組でもお話ししたように
この罪と罰というのはね
僕らが人が作った仕組みですよね
これもともとこの死んだ場所
宇宙の中にあったものではなくて
ある理由があってね
おそらくそのなんていうのかな
僕らは人に迷惑をかけたり
人に困らせたりね
人を傷つけたりするような
おかしな行動をするところがあると
でそれを放置しておいたらね
やっぱりこの安全安心が守られないので
そこを今占めてね
悪いことをすると
こういう罰が与えられるんだよと言って
それは嫌だなということで
行動を改めるっていうね
まあまあ手っ取り早く
その恐怖を与えるということですね
悪いことをすると
恐怖を味わうことになるぞという
09:02
これが罰なんですけどね
それは嫌なんだ
痛みとかね
辛さとかそういうものなんで
それは嫌だということで
行動を改めるであろうという
ものすごく実は
シンプルな仕組みだと思うんですけどね
これを生まれた時から
おそらく物心ついた時から
僕らは家とか学校とか
世の中とかでね
その仕組みの中で生きてきて
当然だけど
怒られたことがない人なんてのは
多分この世に一人もいないんで
なんだかのその罪と呼ばれるものをね
やってしまって
罰を与えられたっていう経験があるわけですよね
これがやっぱりね
なんていうのかな
この以前お話したもう一つの仕組み
いわゆる時間ですね
これと同じか
もしくはね
ある意味
これよりも強力に
その僕らの中に
心の中にインストールされている
身も心もこの罪と罰というものがね
染み付いていて
でも自動的にっていうかな
もう反応ですよね
反射神経のように
良くない行動
自分の心がざらつくような
他の人の行動言動を見ると
そこに罪というラベルを貼るという
もう習慣を超えたようなね
もうなんか反応ですよね
反応のようになっていて
そしてこの罪と見た限りは
そこに罰を与えなくてはいけない
人間関係で言うならば
怒りをぶつけるとかね
それから無視をするってのもありますよね
それから一番きついやつが
関係を立つということですね
別れるというね
もうこの人とは一切関わらないみたいな
この辺りのどれかを選びながらね
やっていくわけですね
この怒りと無視の間に
なんていうのかな
喋るんだけど
すんごいぶっきらぼうに
相手をするみたいなこともある
要は何らかの形で
相手に不快な思いをさせるというのが
その罰ですよね
攻撃ですよね
これを繰り出すという
この習慣がついていたので
私ももちろん例外なく
もしかしたらものすごく
人よりも強く
その罪と罰の仕組みをね
僕の中には染み込んでいたのかもしれない
染み込ませていたのかもしれない
だからまずざらついた
他の人の言動にざらつくと
そこに対して
僕の場合はどちらかというと
表に怒りを出すタイプだったんでね
それをぶつける
そうすると
まずここで
怒りをぶつけるためには
相手の行動を罪と
しっかりと確定させなきゃいけないんですね
ここでこの番組でもよくお話しする
心が近くに命令をし始めるんですね
もし私が罪とみなしていて
それがこの多くの人たちが見て
いやいやそれは
倉園さんだけがそう思うだけで
12:01
この人のやってることは何も悪くないよ
っていうような
この大多数がね
そちらに触れたら困るわけですよね
僕の認識と
その実際の
その周りからの評価がずれていたり
あるいは
僕だけがそう思っていて
実際には相手は全く悪くないんだ
みたいなことをね
自分で認めてしまうっていうのは
なかなか難しい
心の中が真っ二つに分かれてしまいますからね
いや悪くないのは分かってるんで
でも俺はこれを罪と見たいんだよ
みたいな風に心は
この二つに分けることはできない
だから僕の中で整合性を取るために
これは罪だということを
決定させなくちゃいけないんですね
確定させなくてはいけない
じゃあどうするかというと
ここで証拠を集めに行くんですね
これは私の近く
目や耳
五感を使って
いろんなところを見て
その人の行動とか
それから過去にやったことね
これが重要なんですよね
それまで
今日に至るまで
この人はどんなことをしてきたかっていうね
もしそこが真っ黒であればね
そんなことは本当はないんだけども
真っ黒に見ることができれば
ほらほらやっぱこいつ悪人じゃん
っていう風に
安心して
この罪のラベルを貼れる
そしてそれを例えば
周りの人たちに話すにしてもね
その証拠をしっかりと上げつらって
この人がどれだけひどいかということを
話すことができれば
周りの人も同意してくれますね
それは黒朝さんきつかったね
大変だったね
いやそれはないよ
それはダメだよ
怒っていいよ
みたいなこんな感じになる
これをやると何が起こるかというと
基本的には
僕が目にするもの
世の中のね
基本的にはあらゆるものですね
人だけではなくて
物とか組織とか
とにかく環境すべて
環境自体も
多分この対象になるんだけど
いいものと悪いものにね
確実に分断することになるんですね
この証拠集めを積み重ねていくと
これは何をやっているかといったら
この人の言動がどれだけ悪いかということをね
証明しようとして
いろんな証拠を集めるんで
その視点というのは
あらゆるものに向けられるようになるんですね
そして
そのような人っていう
分類のようなものもできて
僕が言った罪と皆した人は
このタイプみたいなことで
僕の記憶の中に刻まれていて
その結果としてね
私の見るその人
もの環境あらゆるもの
組織みたいなものが
いいものと悪いものに分断されていくんですね
これがその
罪と罰の世界で
起こってしまう弊害というかね
副反応なんですけどね
そうするとますますですね
この一瞬にして
こいつは罪だ
この行動は罪だ
みたいなことが
僕の中で早く
瞬時に起こるようになり
その結果として
罰を与えなくちゃいけない
15:00
私の場合は怒りをぶつける
というのをバンバンバンバンやり始めるわけですね
これは
何をやっているかというと
僕は
その人の言動に
罪を見ることによって
その相手を悪い人に変えてる
ってことなんですよね
悪い人と見てしまう
これが分断されていくにしたがって
どんどんどんどん
これまでも必然としてそうなるんですよね
長く長く付き合えば
必ずどっか
僕の気に入らないものは現れてくるんでね
私の好みに
完璧に沿う人間なんて一人もいない
ここが重要なんです
80億の違いを僕らは持って生きているので
細かく見ていけば
僕以外の
79億9999万
9999人は
必ずざらつくポイントを
持ってるんですよ
そこに遭遇するかしないかは
時間の問題なんですね
だとすると
どんなにこの人とは気が合うなとか
仲良くできるなと思っていても
それなりの時間が経てば
必ずその悪い面というのが見えてきて
そしてその瞬間僕はそこに
罪のラベルを貼り
そのうちの悪い人に分類してしまうので
そして怒りをぶつけて
攻撃しますわね
そうすると何が起こるかというと
本当は
私のためにとても
いろんなサポートをしてくれた人とか
私にとって
とても必要な人
全て力と呼んでいる
他の人の力
僕がお借りできる
他の人の力
そういうものを持っている人たちを
攻撃することになるわけね
だからこの
良い人悪い人という分類は
この罪と罰の結果なんだけども
あえてその図式に沿って言うならば
実は多くの良い人を
僕は攻撃してたんですよ
今で言うなら
一緒に
グッドバイブスファクトリーとかね
書き上げ事故をもう3年以上やっている佐々木さんとかね
一緒に執筆行政やっている
エフタさんとか
知恵と園をやっている
知恵さんとか
何年も何年も一緒に
仕事をしてくれている
やべせいこさんとか
あるいは僕のセミナーとか
ワントレとかに来てくださる受講者の方とか
こういう人たちを
攻撃してたんですね
例外なく
このコミュニティの人は攻撃しないとか
こういう関係の人は
攻撃しないとかなかった
とにかく気に入らないなと
ざらつくなと思う人は
例外なく
僕は攻撃していた
以前もお話したように
この中に私の奥さんも含まれていた
最も大切な人の一人ですけどもね
そうすると何が起こるかというと
そういう人たちが僕の周りから
1人2人3人と去っていくんですね
去っていった頃に
気がつくんですよ
あ、攻撃したなって
18:00
罪と見て
攻撃してしまったんだなってことに
気がつくんですね
やってる時も本当は気がついてるんだけども
この時にやっぱり
怒りのパワーというのを使っているので
どうしてもこの冷静な判断
というのはできなくなる
攻撃するしかないんだと
自分の身を守るためには
怒りをぶつけるしかないんだということになる
この後ですよ
いなくなった
そしてそれは私が
この人たちに罰という名の
攻撃を与えたせいなんだ
ということをしっかりと
認識せざるを得ない時が来るわけね
この時に
自分へものすごい
大量の罪悪感を感じるわけ
ここで非常に
落ち込むんですね
自分を責めるというのは
自分を攻撃するということですからね
要は自分に罪悪感を持つということほど
僕らが消耗する
この行為はないわけです
しかも自分自身って
自分がよく知ってますからね
常常釈量の余地がないんですよ
これは緑の本でも書きましたけどね
他の人ならば
知らないところがあるんでね
まあでもこういうことなんだろうね
とか言ってね
常常釈量の余地を作ってあげることができるんだけど
忘れただけだよねとか言ってね
自分はできないんですよ
忘れてないよって俺知ってたもん
知っててやんなかったよね
みたいなことを自分で知ってるんで
ここが持てない
本当に原罰を処してしまうんです
自分に対してね
とことん責めてしまう
大事な人がどれだけいなくなってるんだ
お前のそのやり方で
って言ってここで落ち込むんですね
ここでエネルギーを失う
これが絶望の淵なんでしょうね
でも
時間が経つと
私たちの記憶というのはね
うまいこと僕らを救ってくれるようにできていて
いろんなことを行動し始めればね
またそこが
一人二人と言って
新しい関係もできてくるんで
この落ち込みからしばらくすれば
フラットなところぐらいには戻る
戻ると元気が出てくる
元気が出てくると何を始めるかというと
また最初の
人の言動にざらついたときに
罪とみて攻撃する
ということを繰り返すわけね
そして同じところに
行ってしまうよ
これが僕が何度かその絶望の淵に
たどり着いたということ
何度ぐらいは繰り返してたんですね
人生の中で
これはもう嫌だなと
これはどっかで
抜け出さなきゃいけない
つまり僕の中に
二つの嫌なモードがあるわけですね
避けたいモード
というのがね
一つはそのエネルギーがあふれていて
人を攻撃し
本当はいい人が
去っていくというこのモードね
怒りのモード
悪意と罰を繰り出しているモード
そしてその後に
これが一つね
このモードこれは嫌なんですよ
これをやめたい
21:00
もう一つこの後に
私の前から必要な人がいなくなった
ということに気づいて
自分を攻めるこの罪悪感のモード
自分を攻めるモードね
ここは落ち込んでいくモードなんですよ
この間がないのかなっていうね
この両極端じゃない
そこに答えがあるでしょうって
それをするにはどうすればいいの
っていうね
これが私の問いだったんですね
大きなテーマだったんですよ
でもうここに
唯一待っていてくれた
答えが
罪と罰という仕組みから
出るということですね
この人が作った
罪と罰という仕組みを少なくとも
この法律犯罪みたいなことは
社会の中にありますから
私がどうのこうの言う話ではない
でも僕が今言った
このね人に怒りをぶつけ
そして落ち込むというこの中に
そういうものは一個も含まれてないんですよ
犯罪ではないんですよ
そうではない
そうではなくてこの半径5メートルの中で
日々行われている小さな些細なことに
僕はざらついたり
イラついたりしている
ここに罪と罰の仕組みを持ち込まない
っていうこれしかもう答えはないな
と思ったわけですね
でもこれが
実は頭で考えるほど
簡単ではなかった
もう長年の間染み付いて
ザラッとなった瞬間に
罪と罰を与えて怒りたい
怒りたいみたいなことをね
僕の体の中から心の中から
沸き上がってくるんですよ
これをいやいや
この罪と罰の仕組みがいらないんだよ
みたいなことではとてもじゃないけど
消すことができなかったんですね
じゃあどうするよっていうね
ここから
探求が始まるんですけどね
結果私が行き着いた答えが
これは許すということね
これをするしかないんだな
っていうことが分かりました
もちろんだからといってね
そうか許せばいいんだ
ってペロッとできるようなものではないですよね
それはもう皆さんも
重々感じられている
と思うんですよね
私はここで
どうすれば許せるんだろうみたいなことを
いろいろ試みを
やっていきながら
なんとなくこうだな
っていう答えが
数年かけて
見つけましてね
一つはねやっぱり
この許すという
話は実は
僕ら子供の頃からよく聞いてるんですよね
それはもう許してあげなさいとかね
こういう時には許す方がいいんだよ
みたいな
昔僕の時代だと
道徳の話とかね
道徳という授業があったんですよ
今もうないのかな
そういうのがあって
そういう中で
よくこの話は出てきたんだけど
なぜ許さなきゃいけないのかって
理由をあんまりちゃんと
聞いたことがないんですね
おそらく僕は大人になっても
子供の頃から大人になるまでに
許した方がいいっていう話は
24:00
何度も聞いたことがあるんだけども
なぜっていうこの答えを
はっきりと教えてくれた人が
いなかった気がするんですよ
まあ僕がなんか
そういう本を読んでなかったのかもしれないんだけどもね
そういう情報は
たくさんきっとあったんでしょうけど
私はアクセスできなかったんですね
そこにね
本もたくさん読む方でしたけどもね
この答えが書かれてある本とかっていうのに
出会ったことがなかった
ここがねたぶんね
一番大きいんだろうなと思います
だからなんとなく一人歩きしてるんですね
なんかいい人間になるとかね
それからこう
なんつーのかな
寛容になって
大きな人間になるとかね
心が広いとか
そんな目的みたいなところでとどまっていて
えっと
それがもし報酬だとしたら
失うものの方が
でかいんじゃないのみたいなそんな感覚がしていた
それからなんか
奇麗事っぽい感じもしますわね
これはどうもその
実体験に基づいて
その方が本当はいいとかって言ってるよりも
なんかこう頭で考えて
理想の人間とはこういうもんだよね
みたいな話にも聞こえなくはない
この辺がやっぱり一番
大きなハードルでね
ただ私の場合は
今日の相談者の方もそうだったと思うんだけど
それしかもうないぞ
っていうところに
追い込まれてしまっていたんでね
ちょっと真剣にこの許すという
トライができたんですね
それをやりながらね
その懸案事項だった
なぜ許すんだっていう
理由なんとなく
僕は結論は先に
見つけたんですよね
怒りモードと落ち込みモード
自分を責めて落ち込むモード
これじゃないもう一つのモードはないのか
っていうね
そこの答えがおそらくもう許すしかないんだろうな
というこれは直感というかね
本能のような感じで
結論としてそこにたどり着き
後からどうやってそれをやればいいんだ
という風に後追いでね
やってきたので
この許す理由みたいなのも
トライしながら自分で
なるほどやっぱすげえな
みたいな感じで気付いていったんですよね
だから
まずはね
この辺りの許す理由というのかな
もっと言うとなぜ
許す方がいいのかっていうメリットですよね
こうこうやっぱり
たびたびというか
機会があることにお伝えできればな
と思ってね
今日もそこから始めるのがいいかなと思いました
何よりも
第一にですね
この僕にとって
その最も
難的というかね
避けたいのはこの二つのモードの
後ろの方なんですよ
自分を責めて自分に罪悪感を抱き
そして弱らせてしまうっていうね
このまず自分の
罪悪感というものに
どう向き合うかっていうここが重要だったんですね
つまり自分を許すということ
でここで
いつもいつもお話ししている
27:00
鏡の法則というのがね
働いているってここが重要なキーだったんですよ
つまり僕らはですね
自分を見るように他の人を
見て他の人を見るように
自分を見るというこの法則は
逃れられないんですね
だから前わかりやすいお話として
人に嫌われる
ことがすごく怖い
という人はおそらくだけども
多くの嫌いな人が
いるはずなんですね
これが鏡の法則
だからそういう人はありえないんだけども
今まで一生に
一度も人を嫌ったことがないという人は
嫌うという
その感覚が自分の中にないので
それを怖がることも
本当はできないんですよね
だから自分が人を誰も
嫌ったことがないのに
自分が嫌われているんじゃないかっていう
恐れや不安を抱くことはない
これは本当にわかりやすい
ありえない例なんだけども
そういうことなんですよ
自分を見るように人を見るそして
人を見るように自分を見る
人ってのはこういうもんだよねって思ったら
自分もそのように見ざるを得ない
ってことですね
だからよく言う
自分に厳しく他人に優しいとかね
他人に優しく自分に厳しいっていうのは
本当は起こり得ないんですよ
他人に厳しければ当然だけども
自分にも厳しくなるし
厳しければ自分にも優しくなるんですね
これが鏡の法則
つまり
多くの罪悪感を持っている私ですね
当時の私
たくさんの罪悪感を抱えたなぜか
たくさんの人を攻撃したから
多くの罪悪感を持っている私は
それと同じ数だけ
他の人にも罪を見ることになるんです
これが鏡の法則なんですね
これも当たり前ですよね
自分に対してここは良くない
こういう俺のこういうとこは大嫌いだ
とかって思っていれば
それと同じことをやっている人が目の前にいたら
当然だけどこいつ罪だよって
思うに決まってますよね
つまりこの罪悪感というのは
私と他の人の中に
同時に発生するってことなんですよ
これが鏡の法則
だから他の人をもし
許すことができたとすれば
その分だけ
自分にも罪を見なくなるんですね
なんか僕のイメージとしては
100ぐらいの
108つとかがいいかな
なんかこう日本人なんでね
108つの罪を私は持ってるんですよ
この子供の頃からね
この大人になるまでに
自分に対する罪悪感みたいなものを
持ってるんですねここがダメだ
こういうことしてしまったなとかね
その108つを
108人の人の
同じその許せない部分を許すたびに
僕の中から
一個ずつそれが消えていくっていうね
だから100や8人の人を
許すと私の中から
子供の頃からずっと抱えてきた
108の罪悪感が
なくなるっていう
これがまさに鏡の法則なんですね
これがおそらく私が
許すメリットの第一に
挙げたいなと思っていることね
30:00
ここで
ここにおいてそっかと
この許すというのはなんとなく
道徳の教科書で読んだような
人のために許すんじゃないんだな
ってことがわかりますよね
これはもう完全に
自分のためなんですよ
私の絶望の淵からの
攻略法が許すだったってことを
その一点挙げても
わかるように他の人を許せば
その分だけ自分にも
罪を見なくなるこれが
第一のメリットです
次にですね
いわゆるこの
いわゆる犯罪的なやつね
裁判所みたいなもので
この罪状とか両刑が
決まる時っていうのはね
憲法六法全書みたいな
法律とかそれからもう
過去の膨大な犯例とね
それからその検察官がいて
弁護士がいてそして裁判官が
いるみたいな複数の
関係者ね証人とか
そういう複数の人が集まって
もうヘッドすると
何十年とか
ものすごく長い審議を経て
ものすごく慎重に
やってるわけ一応この公平に
ということをね
目指してやってるわけですよね
じゃあこれに対して
私たちが日々やっているね
この小さなこの半径5メートルで
起こる相手の行動に罪を
見るというこの時
その罪と罰はどうやって決まってるか
って言ったらこれは
私の正しさこれがまず一つね
それからその時々の
感情なんですよ
実は同じ公刑を
見ても流せるときがあったりする
でもなんか体調が悪かったり
この気分が落ち込んでたりね
なんかイライラして他のことで
焦っていたりするとこの感情によって
同じ行動が
場合によっては罪とみなされる
だからある意味無茶苦茶なんですね
で冷静に
考えるとですよ
さっきチラッと私も言いましたけど
この罪悪感の
原因の一端というのは
自分の心の中にあるんだ
そういうことが分かりますよね
あの
ある相談者
結構前だったんですけどね
いわゆる義理のお母さんが
許せないという相談があったんですね
でこの時
どんなひどい目にあったんだろう
と思って質問をしたんですよ
そうすると肘をついて
食事をするらしいんですねそのお母さんが
これを見る度に
本当に憎くなるっていう風に
おっしゃるんですね
まさにそうなんですよ
僕らが相手の行動を原動を
罪と見る時の方転なんですね
僕ははっきり言って
自分のね
例えば神さんのお母さんとか
お父さんが万が一
肘をついて食事をしてても
全く嫌じゃないです
全然嫌じゃないです
というのはね
多分僕の親戚とかに
そういう人がいたんですねきっとね
全ての人が
肘をついて食べちゃいけないみたいな
33:00
そういう作法を
教わってきていなくてね
年代的にうちの親というのは
戦時中に生まれたような
人たちだったんでね
必ずしもその今のようなね
いろんなマナーとか教育が
行き届いていないっていう
そういうケースも多くあったんですよ
だから僕は見慣れている
だから全然これは気にならない
だからね
じゃあこの
お母さんの罪はどこにあるんだ
ってことですよね
ここでその証拠を
集めをしていろんな人の意見を聞けばね
やっぱ肘をついて食事するのは
よくないよみたいな意見が集まる
かもしれないんだけども
これは認定できないっていうのがね
やっぱ冷静に考えたときの
結論だと思うんです
そうするとやっぱりこの一端
原因の一端罪悪感罪とみる
その一端は原因の一端は
私たちの
心の中にあるんだってことが
わかりますよね
でもなんと僕らはね
一度こいつは
悪だ罪だと見てしまった後は
この事実をすっかり
忘れてしまうんですね
そして原因はこの人の言動
この人の言動
つまり僕の外側にあるっていう風に
見てしまうんです
信じてしまうんですよね
この信念を持って
その相手の言動を
咎めようとする
このプロセスが
問題をより複雑にしてるっていうのは
言うまでもないんですよね
ここで
もし許すことができたら
おそらく過去に作られたはずなんですよ
そういう要因というのは
僕がある人の言動を見て
罪だって思うこの心というのは
過去のどこかで作られたはずなんです
正しさだとすれば
教わってきたり習ったりしたこと
あるいは自分がそれをやって
ひどく怒られたみたいなことによって
私の心の中にできているはず
これが過去に作られたはずなんですね
それを
罪とみなせずにはいられない
自分の心みたいなもの
ここにアプローチして修正ができるんですよ
これだけでも
大きく
目の前で起こっている問題は
もうこの瞬間に
随分と好転しているはず
そうかこれほっといていいのか
っていうような結論に達することの方が
多分多いでしょうね
つまり
この許すというのは
その結果というのが
僕が腹を立ててしまった
というこの結果
僕らはここに
いつもアプローチするんですね
腹を立てたという結果にアプローチして
そしてそれは
こいつのせいだっていう風に見てしまう
結果にアプローチしちゃってる
でもそうじゃないですね
原因は
一端ですね
全てじゃないかもしれない
でも原因の一端が
私の心の中にある
過去に作られた
それを罪と見ずにはいられない
ここにアプローチできるというのが
36:00
まさにその原因に
手をつけたということですよね
これが2つ目
3つ目
これいっぱいあるんですけども
今日はこの3つぐらいにしておこうかな
そもそも
食事をする場合っていうね
さっきの義理のお母さんの
肘をついて食事をするっていうのは
ただ単に
向こうは全く何の意識もなく
何の意図もなくね
人を困らせようとか傷つけようとかしてるわけじゃなくて
そのように引き付けられてきたから
そういう表現になっているだけなんですね
でも中には
やっぱり意図してね
人を困らせたり傷つけたりね
いわゆるおかしな行動と
僕が呼んでいる
することってありますよね
今日のその相談者の
許せた相手も
やっぱりこれはおかしな行動だな
っていう感じでした
このすべてのおかしな行動
例えば人を攻撃するとかね
傷つけるとかね
嫌なことをするとか
そういうものは
何から生まれているかっていうと
まさにこの恐れや不安と
罪悪感から生まれるんですね
僕がその
人間関係デストロイしてきて
怒りをぶつけるそれは怖かった
さっき言いましたよね
何かが怖かったんです
相手の言動を見た時に
自分にすごく被害が来るんじゃないか
自分が何か失うんじゃないか
犠牲になるんじゃないか
っていうような恐れや不安を抱いた
そしてそれによって
この状況から自分を守らなきゃいけない
って言って怒りのパワーで
それをなんとかしようとした
攻撃することによってね
じゃあ
この仕組みから
逃れられる人はいるかって言ったら
おそらくこの世に一人もいないと思います
つまり私も
この番組を聞いてくださっている
全ての方も
何らかの恐れや不安を抱いた
瞬間に多分いつもの
その人ではなくなるはずなんですよ
だからおかしな行動って言うんですね
であの
古今東西のね
映画とか小説とかね
そういうものには私たちのこの本性ね
この恐れや不安
罪悪感を抱くとおかしな行動をとってしまう
そのもともとのね
本来のその人ではない
別人のようになってしまう
ということを
表したね
映画とか小説とかっていうのは
たくさんありますよね
ここがテーマになっているものっていうのはね
例えばその狼男とかそうですよね
満月が出ると
この普通の人間がね
狼男になってしまう
それからもしかしたらあのジールとハイド
っていうのかな
あれもそうかもしれないね
二つの自分が出てくるっていう
かたやすごく優しい博士
それがものすごく凶暴なね
どっちだか忘れたんですけどね
ハイドかなそちらになっていくみたいな
あとあの
超人ハルクみたいなのもね
これに多分なぞらえてるんじゃないかなと思う
要は一変してしまう
39:00
ってことなのね
でもその原因は
罪悪感とそれは不安なんですよ
多くの場合
そのような
負の感情みたいなものによって
行動を制御できなくなっているとき
まさに私がブチ切れているときね
このとき私はいつもね
心の奥底の方でね
いやいやいや本当はこうやって
人を傷つけたいわけじゃないんだよ
っていうね
切実な叫びがなんか聞こえてた感じが
するんですよね
だから気持ちいいなんて思ったことは一度もない
目の前でもう泣き出す人もいる
嫌な顔をする人もいる
そして
多分僕の怒り方っていうのは結構
怖かったと思うからね
ものすごく怖がってビビっている人もいる
なんかそんな風に
人をね傷つけ
弱らせ困らせている
その光景を目にしながらも
どうしても収まらない
この行動がね
この発言が収まらない
どうしても収まらない
ひどいこと言ってしまう
バリ雑言が口から飛び出てしまう
それをやりながら
いややりたくない
こんなことやりたくないって
いつもいつも叫んでた感じがするんですよ
こんな状態にいる人にね
罪を見て
そこに対して怒りとか
例えば無視をするとか
関係を立つみたいな罰を与えることが
本当に事態を改善することに
つながるのかなってことですよね
全く多分
やってはいけないことをやってるんじゃないかな
っていう感じが僕はする
だから
この許すというのはね
まさにそのおかしな行動を生んだ
その相手のね
罪悪感とか恐れや不安を和らげる
唯一の方法じゃないかと思うんですよね
そもそも
ここもやっぱり原因にアプローチできてる
っていうことですよね
どうしてもやっぱり僕らは
変身した方
狼男とかね
ハイドの方をその人の本性と
見てしまうんですね
怖いからねやっぱりね
こちらも怖いのでね
やばいなこいつこういう奴だったんだな
っていう風にみなしてしまって
そこに罪のラベルを張る
だからこいつは罰を与えて
攻撃していいんだっていう風にみなす
でも実際には
これもおそらく
みんなさんがその経験してると思うんだけどね
私のように
その凶暴なね
狼男に変身しながらもね
元の人間だった
クラゾノが心の中に
いるんですよしっかり
そして本当はやりたくないんだこんなこと
元に戻りたいっていう風に
叫んでるんですよね
だからここに攻撃をする
っていうのは
それを罪とみて罰を与える
ってことですよね
これをやるのは多分何の解決も
ならないおそらく
罪を悪くする一歩なんでしょうね
今日の相談者の方は
ここで踏みとどまったらしいですよ
やっぱり一瞬
狼男に見えたって言ってました
42:00
こいつといたらまずいんじゃないか
みたいなところまでやっぱり感じた
って言ってましたね
そこで一歩踏みとどまってね
グッと踏みとどまって
この人の中にそう叫んでいる
本当のこの人が
いるんだっていうことをね
信頼して信じながら
そして向き合ってみたところで
ようやく許すことができた
っていう風におっしゃってましたね
まさに素晴らしい
大成功なんだろうと思います
だからまあこの
三つのメリットですよね
自分の罪悪感を消せる
そして結果ではなく原因にアプローチできる
自分の中にある
これを罪とみなせずにはいられない
心みたいなものにアプローチできる
そして結果として
許すことでね
おかしな行動を生んだね
罪悪感と恐れや不安を和らげることができる
少なくともそこを
強化しないで済むっていうことですね
この三つを取ってもね
これは自分とその他の人の
関係において
全部自分のに返ってくるってことがわかりますよね
この許すということによってね
ここはやっぱり重要なポイントね
誰のためでもなく
自分のために許すという
この感じがなんとなく
ゴフに落ちればね
ハードルが下がると思います
いくつかねやっぱりここで
最後の関門というかね
あって
例えばやっぱりこの悔しさというのが
最後のハードルの一つになるんですよね
罰を与えないのはもう無理だよ
と悔しすぎるよこんなひどいこと
されたんだからっていうね
これはもうなんで
罰を与えないと悔しいの
っていう自問をしてみるんですね
そうするとおそらく
いやいや自分だって今までね
こういうことをしたら怒られてきたんだから
だからこの人もそういう意味に合わないと
不公平でしょっていうね
この自分がされてきた仕打ちへのね
なんていうのかなある種のリベンジ
みたいなそういう心だったことが
わかりますよね
だからこの悔しさというのはね
僕らにとってそれを思っている時は
ものすごく大きいから
ここを犠牲にして許すというのはね
なんかこの1億円払って
葉っぱ1枚しか得られない感じ
そんな感じなんですよ
代償大きすぎるじゃん
みたいなでも今日
3つお話ししましたけどもっとあるんですね
本当はもっともっとある
でもいくらお話ししても
これはやって実際に成功しないとね
そのすごさというのは味わえないのでね
まあ今日は3つぐらいに
しておくんですけどこの3つをとっても
僕は実は
これを悔しさでその
ここをね許せない
ということを選ぶんだとしたら
実はその葉っぱ1枚を惜しんで
1億円の報酬を
失っているようなそんな感じが
僕はしますね
そのぐらい得られるものは大きい
そしてこの許してしまった瞬間に
悔しさみたいなのはどうでもよくなるんですね
ここが不思議なんですよ
許す前は
1億円に感じていたものがね
45:00
許した後この悔しさみたいなのは
葉っぱ1枚だったなということがわかる
それからもう1つはね
これはやっぱりその
問題を放置している感じがしますよね
許していいの?みたいな
これは全然違うんですよ
許した後に問題を
解決するんです
許さずには問題は解決できないよ
っていうこの順番の話をしてるんですね
だから当然
今日の相談者の方も
まずは許したそこから手続きが始まるんですよ
だからこういう風にしよう
みたいな話し合いが始まるんですね
この時に
許していないとその相手に言う言葉
全てが罰になってしまうんですね
攻撃になってしまうんです
攻撃になってしまえば
さっき言ったそのおかしな行動である
恐れや不安と罪悪感を
強化させてしまうんですよ
だからより問題が複雑になっていく
面白いことに
そう言いながらもね
僕らは相手の言動を罪と見て
この罰を与えたくなっている
自分というのはね
実は多くの問題を逆に放置するんですね
なぜかというと
ここで距離を置くとかね
その人と分断するとか
そういう罰を
与えてしまうからなんだよね
しかも
多くの場合、こういう罰を与えたいな
例えばそれが上司だったりすると
できないわけですよ
ほぼほぼ心の中で
ギャフンと言わせてやろうと思うような
罰は与えられない
下手すると言い訳すら攻撃すら
口応えすらできない
こういう状況になることの方が多いんですよね
そうすると
問題に向き合わない
この問題から
自分は離れていくんだ
というアプローチを取る
だから実際には
この罪と罰の意識を持つほど
問題を放置しがちになる
ということなんですよね
これは自分に罪悪感を持った時もそうです
私が何かをやろうと思って
何かができなかった
本当はそれをすることが
問題の解決なんだけど
ここで罪悪感を持つと
僕は動けなくなるんです
エネルギーを失って動けなくなる
だから結局
本当の問題解決にはアプローチせずに
ひたすら自分を攻め続ける
というやり方を取ってしまうんだよね
だからこの問題は
放置しません
許した後にしっかりとそこは
問題として扱う
問題として扱えるようになるから
問題は解決する
これを罪と見ている間は解決できない
だからここも
一つの大きな誤解
こんな感じで
もう一つは
許すとアイデンティティが失われる
みたいな感じもするんだよね
このアイデンティティの問題は
また別の回でお話ししましょう
今日はもういい時間になってきたんでね
最後に
どうすれば許せるんだって
最後の質問なんだけど
ここは考える必要がない
考える必要がないってことです
僕らの中には
生まれながらに許す能力が備わっています
48:00
ただ
許したくないという意思が働いているから
許すことが難しいと感じるだけなんですね
これはもう
息を吸うとか
何かを食べるとか
そのぐらいの
当たり前にできること
しかも
おそらくすべての人が
一度や二度はこれをやったことがあるんですよ
きっとね
人生の中で思い出すと
もしかしたら子供の頃かもしれない
あの子許したなとかね
大人になっても
このケースは許したかもしれないな
例えば自分の家族とかね
そういう人を相手にね
どうすれば許せるんですかって
質問は
許したくない意思が強いっていうことの
表れなのね
この意思さえ収まってくれれば
誰でも簡単に許すことができるんで
ここにハウツーを持ち込まないほうがいいです
以前は私もね
こういうことを思い浮かべて
こういうふうにしてみたいなことをね
説明してみようかなとか思って
やったりもしたんだけど
そこは実は本質ではないんですね
この許したくないという意思が
邪魔をしているだけ
これは愛すると同じですね
愛するにハウツーはないんですよ
愛しますと言えば愛せるんですよ
だからそこは
気にする必要はないと思いますね
誰でも簡単に許せます
この意思さえね
しっかりと取り除ければね
そんな感じですかね
今日はこのぐらいですかね
この話はね
月内何時間でも多分できる
やってみてください
なんかチャンスがあるんですよ
きっと
どなたにもね
今回の相談者の方のように
すごく深刻な場面かもしれない
もうそれをやるしかないという場面かもしれない
人にとってはね
非常に小さなこと
簡単にできそうなことでポンとやってみたら
ちょっとやばかったみたいなことかもしれない
だからあまり無理をせずにね
無理はせずに
これができないからと言って自分を責めるというのは
全くおかしな話というのをね
ご機嫌な仕事でも書きましたけどね
できなくてもいい
でもなんか
これをやるチャンスみたいなのはね
腰担々と待っていても悪くないかなと思います
そして一度やれば
本当にこの人生の
見え方とかね感触が
様変わりするんでね
ぜひ試してみてください
そして
明日ですね
いつもお伝えしていたジャジンワークというのをね
リアル会場と
ズームのハイブリッドでやります
リアル会場は
今回は私の地元の南大沢です
本当にいいとこなんでね
途中で退室して
アウトレットに行ったり映画館に行ったり
レストランに行ったりしても
いいというね
本当に何の縛りもないイベントですんで
いつから
入っていただいて
いつ出ていただいても構わない
これはオンラインでも同じです
簡単に言うと
4時間くらい
51:00
何かをやる時間があるんですね
ここで皆さん一緒にね
やりたかったことをやってみませんか
やりたかったことっていうのは
やらなきゃならないこととかそういうのを全部含めてね
それをやった方が気持ちいいだろうな
と思うようなことを持ってきていただいて
そして結構
いい感じで集中する時間を
作ることができるので
これは前回やってそう思いました
これはなぜかというのは
邪人博の作法みたいなことを説明してね
そのように動いてください
みたいなことを一応
セッティングさせていただくんで
こうやると動きやすくなるんですね
その
マジックというかね
マジックでもなんでもないんだけど
僕らにとって実はこの
動きやすいモードというかね
やり方というのがあって
それも今回の罪悪感のように
何か真逆を教えられてきたのでね
そこから解放されて
もっと僕らが楽に自由に
そしていい感じで
最高のその能力を発揮しながら
おそらく時間も
早くなるでしょう結果としてね
そういう動き方を
皆さんと一緒にシェアしたいなと思う
イベントですので
よかったらご参加ください
1時から7時ぐらいまでやるのかな
その間いつでも参加できます
最終が6時かな
6時まで最後1時間ぐらいになっちゃうんだけども
でも1時間でも
体験していただければなと思います
そしてジャジーンワークの
講義は最初の1時間でやりますんで
そこが
聞いてみたいという方はですね
ぜひ1時の頭からご参加ください
よしじゃあ今日はですね
ちょっと
ざらついたりイラついたり
こいつムカつくなみたいなね
そういう時にちょっとこれ
許してみっかとね
許す方法はもう皆さんご存知のはずなので
許してみっかっていうのを
やりながらね
うまくいったらちょっとやばいそうという
そんな感じで
いい1日をお過ごしください
ありがとうございます
53:13

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