はい、スタジオトゥルーは私寺内玲衣と松岡大賀の2人で、
2023年に設立したデザイン事務所です。
で、普段どういうことをやっているかというと、
もともと2人ともバックグラウンドが建築とか都市デザイン、
空間系の設計だったりとかをやってきていたので、
その空間にまつわるデザインの仕事とかもやっている一方で、
学生のときから自費出版の雑誌、
ヒューマライジンというのをずっと毎年一冊ずつ作り続けていて、
最近そういった雑誌、自費出版の本を作るみたいなお仕事とかも、
他の方と一緒にコラボしてやってたりとかもします。
仕事はそういうのとか、あと街づくりとかもやってたりします。
松岡さん。
事務所はそんな感じで、
僕個人としては、あと事務所があるのが東京の狛江市というところなんですけど、
そこの狛江市の出身で、東京西側の日本で2番目に小さい市なんですけど、
そうなんだ。
そういう小っちゃい、ベッドタウンなんですけど、
まだデザインっていうのがあんまりされてない、
そういうような西側の市なんですけど、
あんまりされてない、そういうような西側の端っこで、
事務所をやってるっていうのと、
あと寺内が今、京都工芸専院大学の博士課程に通ってるっていうのがあって、
今、京都にも一常時あたりで、
事務所とか家に自宅を借りて、
2拠点生活で、仕事も東京と京都で自由にやってるっていうような感じですね。
一回ね、ご自宅遊びに行かせていただいて、
自宅の上に理想のプリンティングマシーンがあるのは変わらず、あそこで吸ってるんですか?
そう、変わらずうちで吸ってます。
結構、去年作ったジンとかも全部自分の家で吸ったりとかして、
そういう制作も自分たちでしつつ、クライアントワークとかもしつつみたいな感じで楽しくやってます。
印刷機があるロフトっぽい秘密部屋がいいなと思って、
あそこでやってるんだと思って。
今回、北香谷でもデザインストでも販売してたり、
今、最近もこの販売イベントをやってたりとかね、
年に1回こういったジンを作るプロジェクトをされていて、
今回は万博を解体するっていうのを今年作ったと。
それについてもちょっと今回お話を聞きたいなと思うんだけど、
まず、年1回のスタジオプルーとしてのプロジェクトについても教えてほしいです。
年1回作ってるのがHumanizingっていう、
自出版の雑誌で、これは私が学部の4年生の時、まだ大学生の時に始めたもので、
その時から7年ぐらい経ってるんですけど、毎年1冊ずつ作るっていうのは最初の段階で決めて、
30年続けるぞっていうのを当時宣言しちゃったんで、ずっとやるしかないみたいな。
30年。なんで30年だったの?
なんかその時、確かに私は、
その当時、作ってみたのはいいんですけど、
作ることによって、何か自分なりに問うてるものに対しての答えが見つかるかなと思って作り始めたけど、
あんま明確に見えてくるものがなくって、
そうなの?
そうなの。
そうなの?
そうなの。
だからもう30年とかやんないと、自分としても人を制作していく中で、
分かってくるものってなかなか立ち上がってこないなっていうので、
30年とりあえず続けようと思ってやりました。
で、もともとデザインとか建築とか、そういうものづくり系をしてる仲間と一緒に横のつながりを作りたいっていうので、
取り上げてる、毎年取り上げてるテーマとかも、
時々に自分たちが制作したものを通して考えたこととか、
社会情勢とかの中で考えてたこととかを取り上げて、
それをどう自分たちの制作にフィードバック、その後もしていけるかみたいので、
毎年自分たちのやってることを記録し続けていくみたいな、
メディアでもあります。
なるほどね。
だから、世代性を感じるというか、世代を意識してるんだろうな、
一緒に取り組むメンバーとか、アサインに、というふうに思ったりも。
でも、年代いろいろな、前回のやつとかもそうだけど、
そういうのも、
自然と最初のスタートが、僕らだし、大学の友達とかだったし、
書く場所もそんなにないじゃないですか、今の。
特に建築とかデザインで、好きに文章を書ける場所って、
いろいろな人たちが書いてるから、
自然とそのスタートが、僕らだし、大学の友達とかだったし、
書く場所もそんなにないじゃないですか、今の。
特に建築とかデザインで、好きに文章を書ける場所って、今全然ないし、
求められてない、そもそもいろんなメディアが配管になってて、経済的にも。
だったときに、それなりに一つのまとまりとして、
僕らはこういうことを考えてますっていうのを打ち出していくのは、ずっとやりたいと思ってたから、
そういう意味でも今回もなんですけど、90年生まれみたいな感じ。
割と世代は、ある種ちょっと限定的にやったりとか、
そういうような感じの活動に、結果的になってるかなっていう気がしてますね。
ちょっとじゃあ、このぜひ万博を解体するについて、
これはいつ出たの?
これは8月に出て、8月の24だっけ?
8月24。
が出版日で、ほんとできたって、まだ1ヶ月経ってないくらい。
で、できたのはそんな感じ。
で、ECサイト中心に売ってて、だけど書店でも何件か買えるような場所があったり、
このデザインイーストのイベントでも、京都で建築センター広区っていうのがあるんですけど、
そこの人たちが売ってくださってる感じです。
これはじゃあ、テーマ、まず万博というものにしようってなった経緯は何だったんですか?
結構僕が万博について考えたいって、今年は何か言い始めたっていうのがあって、
万博は皆さんご存じのとおり、今、ゆめしまでやってる国際博覧会なんですけど、
万博とデザインとか建築って、やっぱりすごく神話性が高いんですよね。
やっぱりゆめしまだって、もともとは埋め立て地をこんだけの会場にするっていうのに、建築とかの力ってめちゃくちゃ使われているし、
そういう時代背景の中で生きてる私たちなんですけど、
にしてはみんなあんまり話題に挙げなさすぎてるなってふうに思っていて、
特に建築では、いろんな批評とか、さっきも物書く場所がなくなってるっていう話したと思うんですけど、
万博に対して、いいも悪いも議論があんまりないなっていうのが、当時、計画段階の時に思っていて、
藤本壮介っていう建築家がいると思うんですけど、彼が会場デザインプロデューサーで、
リングの設計とかリングのデザインかな、してて、
そういった中でも、あのリングは良くないとか、万博は良くないとか、
いろんな話はあるんだけれども、やっぱり、結構、万博を語るにはいろんなレイヤーが本当はあるはずで、
建築1個1個もそうだし、そこで起こってる体験とか、そういうレベルの話もあれば、
もちろん政治のレベルとか、もうちょっと生態系とか、経済とかね、
そういういろんなレベルのレイヤーの話があるけれども、やっぱり、
基本的には賛成反対っていう、SNSでかけるような短いところしか議論がなかったっていうのは、
なんかこう、もやもやして、じゃあ万博について考えようぜっていうふうに、
僕は思ってたっていう感じ。
確かになんか、ちょっとみんな、こう、距離を意識的に置いているみたいな、
ところあったのかもしれないなと思って。でも、結局はみんな行ってみたりもしてるし、
でも、そこからまた議論が発生しているかっていうと、そこまでじゃなかったりとか、
なんか確かに本来はこういうものって、そういう、何て言うんだろう、視点だったり考える機会になるべきものであるし、
どうせやるならそういうものをやるしかないし、
どうせやるならそういうものとして自分たちも、何て言うんだろう、使っていくっていうか、そうしないと意味がないのに、
確かにそういうものが少し、何て言うんだろう、怒ってないっていうのを今言われて、確かにそうだなっていうふうに感じました。
そうですね。特に建築はね、なんかフミエみたいになって、
でもさ、なんか私たちの友達とか仲間たち、みんなめっちゃかっこいいトイレ作って、
なんかあの万博行ってもみんな、あ、これは何々さんのトイレだみたいな感じで、
彼らは彼らでなんかそのチャンスを、なんかうまくポートフォロワーとしても使おうっていう気がいも見えたし、
そういうのもあったりとか、そういうのもあったりとか、
その人たちがまたなんか報われない感じも嫌だなとか、思ったりとかね。
まあ、そうですよね。
いや、やっぱ建築はいろんな、なんか、まあチャンスが、まあこういうときはチャンスとしてあるからこそ、なんかその、
その不思議な形で、やっぱり、建築は、まあそういうのも、
こんなチャンスが、こういうときは チャンスとしてあるからこそ、
その振る舞いに対しても、どれぐらい 意識的であるかとか、
そういう問題も問われてるとは思うし、 もちろん、そういう設計をしてる人たちすごいし、
リングもすごいし、いろんな面白いところ、 特に建築やってると、
会場に行くと、歩いてるだけで 楽しいような場所ではあるんですけど、
そこを、どれぐらいたくさんの解像度で 語っておいておけるかみたいなのは、
すごく大事かなって思ってますね。
じゃあ、ちょっとレイさんから、 この構成だったり、どういう内容が書かれてるか、
ちょっと教えてください。
この本は、構成で言うと、1990年代生まれの12社ですね。
12組の論考をもとに、関東インタビューで、 西成で、ココルームっていう宿と、
芸術学校をやってる植田かなやさんっていう方に、 関東インタビューをさせてもらって、
関東インタビューと、12組の論考と、間にちょっと万博を理解するための ブックリストみたいな形で入れつつ、構成していて、
上田さんにお話し聞きながら、学ぶみたいなことを インタビューでさせてもらって、
そのインタビューがあったからこそ、 それぞれの論考も、
みんな、医療関係の人とか、 行政で働いている市役所職員の方とか、建築、実際に、
みんなバックグラウンドが違うってことだよね。
みんなバックグラウンドが違うし、 トイレを設計してた人とかもいるんですね、中には。
そう、だから、みんなそういう違った それぞれの視点の中で、批評をしていくっていうことで、
でもやっぱり、実際に大阪ってどういう現状があるのかっていうのを、 やっぱり最初に知っていくことで、
そういう批評も、現実面を帯びて考えられるようになるんじゃないかなってことで、 最初にインタビューを入れさせてもらってます。
そっか、西成は、前回の万博特需みたいなので、 仕事があって、それこそ大阪外から働きに来た人とか、
で、結局住み着いてみたいな。
それで、いろいろあったりして、おっちゃんたちも。
なるほど。この論考の中で、いくつか印象的だったテーマだったり、視点ってありますか?
そうですね、これは本を作るときに、論考12本あって、 最初の2本は結構歴史的な話なんですね。
70年の万博から、どういうような運動が起こってたのかみたいな、 そういうような歴史的な話をしていて、
後半の10本は、みんなそれぞれ万博で経験したことをベースに深掘ってるっていう感じで、
なので、後半の人たちでみんなで合宿して、 みんなで万博会場行ってみたいな、
エアビー取ってみたいな、そういう感じのことをしてたんで。
これ全員で行ったの?
設計してる人は、もうすでに会場には何度も行ってたから、行ってないんですけど、 それ以外の人は全員かな。
ちなみに、これまでの万博に行ったことある子はいる? この中に、海外の。
います。なんなら、花摘さんって人の文章は、 花摘さんは長山裕子っていう建築家の事務所で働いてる人で、
彼は、もう若いんですよ。同じく90年代生まれなんですけど、
ドバイ万博、大阪万博の前の万博の日本館って、長山裕子が設計してるんですけど、
その長山裕子の事務所で、日本館の担当してたんですよ。
じゃあ、ドバイやってたの?
ドバイやってる。で、ドバイの部材を持ち帰ってきて、 大阪万博で、ウーマンズパビリオンをやってるんですよ、長山裕子が。
っていう感じで、花摘さんとかは、この同じ世代の中で、最も万博に関わってる建築家だと思うんですよ。
確かに、それはそうだね。
そういう、彼のテキストとかは、すごい面白いし、
彼もその中で、愛知万博に行った時の話とかも書いてくれてて、
結構、僕も愛知行ってるし、
そういう意味では、愛知は行ってる人が何人かいるかなって。
いくつかの、そういう万博を見る中で、今回の万博ってのは、どう映ってるんだろうっていうのが、気になりました。
あー、なるほど。
なんか、それで言うと、どうなんですかね。
結構、人それぞれ映り方が違うとは思いつつ、
例えば、70年、マジ経験しないんで、語りにくいんですけど、
でも、その歴史的なテキストだと、70年の万博の時も反対運動が起こってて、
それは反博って呼ばれてて、
彼らは結構、建築家とかでも、組合とか作って、反対運動とかしてたりとか、
その反対の人たちで作った本とかもあるんですよ。
あれは、私たちにとって万博とは何かっていう本なんですけど、
そういう運動が当時は、ちゃんとあって、それが前衛芸術とかに繋がってくるんですよね、文脈的に。
そういうのとかがある時代と、今みたいに、反対っていうのが表現にならないみたいな時代。
建築家で反対する人がそんなにいないし、
それが、本当に万博を止めたいんだっていうよりかは、
ここでちゃんと対立軸を作って議論して、この社会を前に進めるんだみたいな、
そういう文脈があんまりないっていうのが、今の万博かなって思ってて。
それは歴史のテキストでは、川沿い登るっていう新建築っていう雑誌があるんですけど、
それを作った人に関するテキスト、彼は万博に結構関わったんですよね、コンセプトとかを作ってたりとか。
中に入っていって、その後メディアとか建築とか、いろんなものに影響を与えていった人の話を書いてくれてる人とかもいて、
どういう距離感をちゃんと作るかみたいなのを、それぞれのレベルで試行錯誤してた70年みたいなのが見えてくると、
やっぱり今の大阪の万博とかって、距離感とかあんまなくて、0か100かみたいな、あっち側かこっち側かみたいになってるから、
僕らは結構そういう意味では、あっちでもこっちでもないみたいなのをやりたいなって思ってた。
なるほど。
なんかこのポッドキャストでも前、ちょっと万博についてみたいなのを前に話したことがあったんだけど、
なんかその関心がないとか話題になっていない背景として、やっぱりそれほど万博が世にインパクトを持たなくなってきているみたいな、
つまりこの万博的なフォーマットが、もはやもう今の時代にあんまりフィットしない、かつ影響力を持てないみたいなことなのかもなと思って、
もういろんな情報に溢れているし、いろんなイベントやいろいろな対話の場も溢れている中で、かつては将来の生活をショーケースするみたいな、
未来の生活とか技術とかそういうものを、なんか世界中がそこで競い合うんじゃないけれども、見せ合って、なんかすごく希望に満ちた未来に向かっての想像力を働かせるエネルギーがあった。
プラス、反対勢力というか反対するエネルギーも同時にあったけど、なんか今の万博って、なんかこの時代生徒どううまく語っていく答えは私もないんだけど、なんかフィットしていなさはずっと感じていて、
みんなの議論を呼び起こさなかった理由も多分そうだし、関心が薄かった理由も、多分今の人たちに刺さる何かがなかったのかもなとか、なんかそういう部分も感じたりもしていました。
でもそうですよね、やっぱこれはもう結構いろんな人が言ってると思うんですけど、やっぱり今それぞれが好きな情報を好きに得られて、イベントもたくさんあって、だから全員で共有するなんか物語みたいな、あんまりない時代にああいう万博みたいなイベントっていうのが、
もちろん刺さる人には刺さるけど、全員のテーマにはなれないっていうのはそうだと思うし、やっぱテクノロジーも、未来社会に希望があふれてた70年と、今みたいに未来は本当にあるのかみたいな、
切実だもん、いろいろ。
未来を想像することの方が厳しいみたいな、そういう文脈になってるから、そういう意味でやっぱりなかなかテクノロジーみたいなので、みんなの心が躍るみたいなのはないんだろうなっていうふうに思うし、
だから万博の楽しみ方も結構、パスポートとかあって、スタンプラリーみたいにできるんですよね。
なんかその、擬似的に旅行に行くみたいな、そっちのなんか楽しみとか、
藤本さんはリングから、リングのデザインコンセプトから多様でありながら一つっていうコンセプトですけど、全く未来とかないじゃないですか、そこには。
もうちょっと根源的な何かで、世界いろんなものあるよね、みたいなざっくりと、そういうところではある程度、人々の関心は集まるんだろうなと思う。
やっぱりテクノロジーみたいなのとかは、もう時代的にはないだろうし、
だから、でもあれですよね、デザインイーストとかに絡めていくと、未来社会の実験上、命輝く未来社会のデザインだから、そこにも一応デザインって言葉がかかってて、
テクノロジー、テクノロジーっていうよりかは、キーワードレベルではデザインって言葉が使われてるからね、
でもそれが何だったのかっていうのは、あんまり示されていないし、かなり難しい、テクノロジーよりもわかりにくいっていうのは、やっぱりあるだろうなって思いますね。
なんかこの編集後期的に、このみんなで、何て言うんだろう、万博の次の形じゃないけど、これからの万博みたいな話は、なんか上がったりしましたか?
万博っていう存在自体については、あんまりみんなで話してないというか、今やってしまっていることに対してそこで、
やってしまっている。
そう、起こっている、一つ一つのものに対してどういう視線で見れるかな、みたいなすごいみんなで考えてはいて、
多分万博自体は、今後日本でやるのかは多分わかんないですけど、いろんな世界中でやり続けるじゃないですか、そういう同じフォーマットで。
多分日本だけじゃなくて、いろんな国でもきっと圧力が生まれてるんだろうな、みたいなすごい思うけど、なんかやっぱそういう力が働いて、大きな力が働いているものに対して、
一人のデザイナーとか建築家とかが、なかなか特に私たちの世代とかたちは立ち打ちできないからこそ、でもこういうものを作る、こういう人を作ることができるなっていうのは、
すごい改めて今回思ったので、なんかそこで大手のやっぱりね、雑誌とかメディアとかは、まあやりたがらないじゃないですか、こういう批評とかを。
そうだね、あまり見なかったかもね。
タッチしたくない、触りたくないみたいな、多分いろいろなそういう力学関係が働いているから、やれないんだろうなとは推察して、
やってほしいんですけど、昔の当時の70年代の時みたいに、議論をちゃんと世論として打ち出していってほしいなとは、すごい大きい部分にも思うんですけど、
まあでも私たち今すごい身軽なので、こういうものを作るみたいなのは一つすごい大事な役割だなと思っていて、
なんで今回、ここで語られていること自体が実際にその世の中とかを良くするっていうようなことじゃなくて、
こういうふうに私たちが批評しているってことが、歴史的資料としても残っていくんじゃないかなとはすごい思ってたので、
その役割としてみんなにも見てもらえたらいいかもなとは思います。
あれ、国会図書館にアーカイブしたらいいんじゃない?できるから登録して。
そう、ISBN取ったんで国会図書館には入るし、入れられるし、
オリンピックしかり、ここ数年はずっとこの国は失敗してきているので、
ある種、これまでのがずらしていけるチャンスなのかもしれないね。
オリンピックも選手村で、豊洲とかのあの辺のマンション開発とかしてるわけじゃないですか。
ああいうのも、もっともっと違うやり方が本当はあるだろうし、もっとサステナブルで、
だってあの街、歩きたい街になってないじゃないですか、今。
そういうのとかも、なんていうか、一緒に都市デザインとか、建築家とかデザイナーが考えていけたら、
もっといい場所がこれから生まれる、得るだろうなというふうに思うんです。
だから、なんか諦めたくないですよね、そこをね。
そこは諦めたくないですよね。
じゃあちょっと最後に、スタジオトゥルーとしても今後どういう活動をしていきたいかっていうところを教えてほしいなと。
そうですね、今後、この自主出版、ヒューマライジンとかに関しては、なんか今回からやっぱりこの自分の内側にあるものじゃなくて、
社会的にとか外側にある大きなテーマを扱うようにして、
そういうのに対して、自分たちが実際どうこう、もう独立した身だからどういうふうに振る舞っていけるのかっていうのは、
すごくもう実直に問われてる感じがするので、そこに答えていくような活動にもしていけたらいいなとは思ってて、
なんで今後も、そうですね、ちょっとまださっき考えてないんですけど、
こういうテーマとか万博みたいな大きいテーマとか、社会的に議論すべきものとかに対して積極的に批評したりとかしていけるようなメディアにはしていきたいなとは思ってます。
で、他の活動とかに関しても、もうずっと、今はそう、私博士で研究しているのもあるので、
よりこうなんていうか、今研究してるテーマは、今狛江で活動してるんですけど、
狛江の市内にそういう市民が積極的に街の課題を見つけて、
で、その街の課題に対して市民自身がどういうふうにアクションをしていけるのかっていうのを後押しするというか、
そこのフレームワークとかを組み立てる手伝いをして、実際にアクションをする背中を押すみたいなプログラムをやっていて、
なんでそういう意味でもそこの地に作るみたいな部分と被ってくると思うんですけど、
そういう社会とか街の中にある課題とかに対してどう向き合っていけるのかみたいなのを自分にも問うし、
周りにいる市民とか行政職員さんとかとともに一緒に考えていけるような取り組みをずっとしていきたいなとは思います。
だからさっき言った話と繋がってきますよね。
狛江とか自分たちがクライアントワークとしてデザインをやっていくっていうのはもちろんやってるんですけど、
それに限らないで、やっぱりちゃんと地域に目指したりとか、政治や行政とかとしっかりと緊張喚起を持ちながら、
一緒に協力して街を作っていくみたいな、やっぱりそういうデザイナーでありたいなと思っているので、
そういうことができるといいなと思っています。
やっぱりそれぞれの言葉を知らないとデザインの擦り合わせもできないから、
そういうベースを持つってすごい素敵だなと思います。楽しみです。
ありがとうございます。
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それでは来週も火曜日の放送をお楽しみに。