ありがとうございます。大学の時からこういったことを勉強されてたってことでしょうか。
はい、大学は岩見良太郎という住民主体だったり住民参加のまちづくりを研究されている先生についてなんですけど、
そうですね、まちづくりの文系から習った人間、理系ではなくて、文系からどうやって社会を設計していくかとか住民参加のデザインをしていくかみたいなことを学んでいった感じです。
でも、現場としても、そうですね、学生起業をしているので、
あ、そうなんですね。
そうそう、学生の時、4年生の時かな、仲間と一緒に住民参加のまちづくりをやっていきたいので、仲間と一緒に会社をつくって始めたっていうのが最初の経験になっていて、やっています。
それはどこで始めたんですか。
それはですね、早稲田の商店会から始まって、不思議なんですけど、早稲田の商店会から始まった運動、動きなんですけど、
本当に各地域のエリアマネジメント団体をつなぐみたいな取り組みだったので、最初からちょっとガチってガッツリしてますけど、
エリアマネジメント団体が立ち上がる2000年代の本当の初期なので、各地域でデベロッパーとか行政がエリアマネジメント団体、
エリアマネって使っちゃっていいのかな、エリアマネジメント団体を各地域でつくろうっていうような方書きにあって、これをつないで研究会とか勉強会とかをしていたっていうのは、最初の仕事っていうんですかね、活動ですね。
まさにでも今のご活動だったりともつながっていますし、エリアマネ本当に最近よく聞くようになりましたよね、2000年代からその初期から比べると。
だからちょうど再開発っていう立つまでっていうか、ビルを建てるっていうところの後っていうまちづくり、建てた後のハードじゃなくてソフトのまちづくりが重要だみたいな形でエリアマネジメントが出てきて、
そのソフトを含んだハードの設計、両方の設計が大事だよねっていうのが言われ始めた、ちょうど走りの時期に友人たちと会社をつくって、その研究会っていうんですかね、どんなエリアマネが必要なんだろうとかいう形で、もやもや動いてきたのが本当の最初のきっかけです。
すごい聞きたいことがたくさん出てきました。
まちづくりとか都市計画とか都市デザインとか勉強しているとかしたみたいな人周りに私たちも多いんですけど、そのまま学生の時にそもそもそういった会社を立ち上げて、かつそのままキャリアとしても何年間、20年間。
9年間私は長かった。
はい、その分野に居続けるってすごい結構、あまり見ないというか、だいたいみんなこう一旦大手デベロッパーとかに行ってすごいこう、いろんな思いをもてぬくり返すするとか、全く違った分野に行って都市の、街のことにまた戻りたいみたいな人もいますし、なんかそもそもキャリアのところからすごい、珍しいって言ったらですけど、面白いなと。
そうかもしれない。
ちょうどNPO法ができて、1998かな、ごめんなさい。
2000年代に学生だったので、ちょうどNPOで起業みたいなのが実は流行った時期なんですよ。
周囲はNPOで起業している仲間が本当に多くて、私たちにとっては自然なことだったんです。
で、就職もしないで、最初からNPOを自分で課題設定して、プロジェクトを作って、事業を作っていくっていうのが、なんか、良い、かっこいい、みたいなのが実は、その当時はあって。
なるほどね。
はい、んな感じです。
NPOだったんですね、始まりから。
私はでも、今NPOなんですけど、最初に作ったの株式なんでしょうね。
そうなんだ、そのあたりもちょっと気になりますけど。
いろいろ。
今回出版された本に関しても、ちょっとご紹介いただけたらと思うんですけど、
そもそも、長い間活動されてきて、今このタイミングで出版に至った経緯だとか、どんなことがザクッと読める内容なのかっていうのをちょっとご紹介いただきたいと思います。
はい、「街は言葉でできている」という本なんですが、さっきご紹介したように、再開発の言葉から足元の言葉へというキャッチコピーみたいなのがあるんですけども、私はだからずっと再開発っていうのに携わってきて、
その課題感であるだとか、もうちょっとこうできたらいいんじゃないかなっていう惑い、そこには健康で働ける男性っていうのが中心に、その再開発だったり街づくりに携わっていて、でもそうではない言葉っていうか声っていうのが、
なかなか置いてきぼりというか聞かれないような現場に立ち会ったので、そうではなくて何て言うんだろうな、再開発
を否定するっていうわけではないんだけども、そうではない足元の言葉にもっと希望があるんじゃないかっていうことを書かせていただいたので、再開発の言葉が前半に入っていて、後半には足元の言葉っていう形で、生活実践の方たちにヒアリングさせていただいて、現場から上がってきた言葉っていうのを綴るっていう街づくりの本になっています。
20年間ぐらい活動してきていて、非常に迷いが多かった、20年なので、その迷いを私自身がこれから、でもこの街づくりだったり都市だったりのフィールドにいたいなと思ったので、
これをちょっときっかけに、自分自身、今後の10年、20年、30年、どう歩んでいけばいいのかなっていうことを考えながら、そうですね、この本を綴ったっていうのは、今なんでこの本を綴ったのかっていう答えに一つなるかなと思います。
私自身も東京に住んでいて、やはり東京まだまだ再開発たくさん行われているっていうところと、まさに寺井さんたちもいた、渋谷でロフトワーク時代は私、渋谷の再開発の手前のプロジェクトを担当してまして、
まさになんて言うんだろう、自分が切り裂かれるような思いももちろんしたし、やっぱりああいった都市って本当多様な人が住んでいるので、どの言葉で、誰に対して何を伝えたらいいのかって、本当に何十種類も私、資料を作って話しに行ったことを思い出しながら見ていたんですけど、
まさに今も私たち自身も、そういった違和感みたいなものをすごく考えていて、町の現場がすごく多様性がないであったりとか、去年私は綿毛っていう場所を神田に立ち上げたんですけど、まさにそれも10年後、再開発される場所の暫定地っていうものをコミュニティスペースのような形で作ったんですけど、
その時も私が開発側に提案書を持っていたんですけど、いろんな町の現場で私が抱えていた違和感としては、今年の開発ですごく長いスケールでやるのに、10年後、20年後の主体者である若者だったりとか、10代、20代の声っていうのが置き去りにされている、現場にないっていうことに違和感をずっと感じていて、
ある種そういう人たちがちゃんと地に足つきながら、どういう町が欲しいか、あるいはどういうものを提案していきたいかって主張できるような現場を作りたいっていうところで、去年からではあるんですけど、そういった場所もスタートをしています。
まあでもそういう現場をやる中で、あ、伝わんないなとか、これってもう簡単に揉み消しちゃえるよなとか、そういう小さな活動の中にすごく希望を見出すようなシーンもあったりもして、それをどうつなげていくかっていうところを私自身もすごくチャレンジしたいなと思っているので、すごくいろいろ刺さる言葉がたくさんあったなと思っています。
そうですね、足元の言葉、第2部の方がそうですね。
なかなか第1部の再開発では出会えなかった方たちの小さな声に出会いたくて書いた章なので、嬉しいです。私も言っていただいてそう。
ちなみに、街関係の本って私たちもやっぱりよく読むんですけど、街として建築とか、すごい後派で、何て言うんですか、抽象的な言葉が流れることがすごい多くて、
特に建築周りの本ってそうなりがちだと思うんですけど、これは建築の人の言葉だなーみたいなすごい思うことがあるんですけど、
今回、それこそ抵抗の随筆集って書かれてますけど、説明のところにも。随筆にしたっていうのは、私もすごい随筆だったからすごい読みやすかった。
なんかすごいパーソナルに、わかるわかるって読み進められたみたいなところもあるんですけど、言葉のチョイスというかスタイルのチョイスとして随筆にしたっていうのは何かあったんですか。
経過として随筆になった。
意図してたかな、わかんない。
専門家だけに読んでほしい本ではなかったし、書いていくうちに、街づくりってタイトルには入れなかったんですよ。
街づくりについて書いてるっていう本なんですけど、街は入れましたけど、街づくりって入れなかったりしたのはやっぱり専門家の方だけじゃなくて、
読者一般の街づくりとかに携わっていない方たちも含めて、街のことを一緒に考えたり、言葉を重ねていったり、問いを開いていったりしたいよねっていうメッセージがあったので、
随筆っていう形、エッセイって形になったのかな、なんていうふうに思ってます。
なるほど。ちなみに文章とってもお上手だなと思って読んでたんですけど、もともと書くの好きだったんですか?なんかどっかで。
本当に得意ではなくて、かなり苦労した。3年間ぐらいかかったんですよね。
編集者さんは本当にご苦労、本当に迷惑をかけて、やりとりをしたメッセージ数を見たら700通ぐらいあったんですよ。
700通、なんと。
だからどんなにやりとりしていただいたんだろうっていう、かなりメッセージを重ねて重ねて、なんとか勘とかまとまった本なんです。
でも最初にスラッとツルツル出てきたものではなく、どんなに赤が入っただろうっていうか。
ついつい私も、みんなのためのとか私とか私たちっていう、それをつけてますけど、それが大雑把になっちゃうのが反省点でしたね。
私っていう主語で語ってるのと、まちづくりの領域で私たちのっていう時の私たちがどこまでの範囲なのかとか、それがすごく編集者は気にされて、
今あなた私たちのって言ったけど、この私たちっていうのは誰なんですかっていうのを、本当に逐一チェックが入って、これは私のに変えますねとか、私たちのっていうふうに勝手にしないで、これはこのまちづくりのこの人とこの人とこの人のものですとか、限定したり列挙したりだとか、
言葉を乱暴に使っちゃう嫌いが強かったので、それを厳密に丁寧に書こうよってことは非常に意識してやってました。
700通のでも、やりとりの重みはすごい読んでて感じます。すごい、その結果のこれなんだなっていうのはすごい、今聞いてて思いました。
そうですね、ある種私は言葉っていうものをもちろん信じてる一方で、それこそいろいろな、結構渋谷でやっていたプロジェクトが元気にもなってるんですけど、
言葉の前に体験を作るというか、身体的な状況を作るみたいなことで伝わることもあるんじゃないかっていうものを持って、いくら言葉で伝えてもある種伝わらない。
人生背景と、私の人生背景と、その横の人の人生背景は違っていて、それをつなぎ合わせたり、ある種強力に前に進めていったりとか、同じ風景を見つめるために、同じ状況を嘘でもいいから一瞬作るみたいなところで結構演劇だったりとか、
その状況を一瞬作る、いい嘘を一瞬作るみたいなことをアプローチとしてすごく気になって、そういう意味でも結構今も通じてる部分ではあるんですけど、小さなプロジェクトを作ってそれを共有するとか、
なんかいいよねっていう、ある種言葉にならない経験っていうものを共有するみたいなところに行き着いたような部分もあるんですけれども、その中で言葉の力を、どう信じていけばいいかっていうところも、ぜひ聞いてみたいなっていうのも思いました。
なるほどなぁ、そうですよね。私も、街はここまでできているのは、祈りみたいな、言葉でやっていくしかないっていう感じ。でも言葉では語りきれないし、強い言葉に回収されることもあるし、言葉にならないような体験だったり生活実践の方が圧倒的に多い中で、
でもやっぱり言葉にはしていくことで残ったり続いたりするっていう世界もあるので、そうしたいなと思って書いたんですけどね、でも一瞬のさっきおっしゃった体験というか、みんなで言葉の前に身体勢獲得しながら一緒に共通の行動だったり活動だったりってすることによって、
やっぱり言葉が出るっていうのは本当にそうだと思います。街作り屋はつい、私はすぐワークショップをやってしまう、やる世代で。
サシリテーションとか、すぐワークショップに走りがちな世代で、ずっといきなり会った人たちに対して、はいワークショップしましょうって言って、机配置考えて、そこに付箋を配って、マジックを配って、増子を配って、はい会話です、はい対話ですお願いしますっていう世代なんです。
だから、それで一度、一度ではないんですけど、参加者から、本当に対話したいと思ってますかって聞かれたことがあって、だから、AJ法いくらやったって、いくら付箋で書いてきれいに言葉が出たように、街作りビジョンが完成したかのように思えても、
実はそこに自分の言葉がないってことは、重々参加者は承知で、その場にいているものを、私たちはすぐ、あ、住民が参加して、言葉を出して、みんなの街作りビジョンができましたっていうふうに、デベとか行政に納品しちゃうわけですけど、
そこに入り込む嘘っていうのもやっぱり現場から教えてもらった。あなたが使っているワークショップとか言葉を出していく手法って本当ですかって、常々本当の声を持ってらっしゃる方たちからは、代弁するもののフィクションを作り上げていく世界の嘘みたいなものは突きつけられていたなっていうのは、
辛いことですけど。
そうですよね。ある種そうやってね、ワークショップで引き出した言葉が、彼らが望まない方向へ、加速させるような道具として使われてしまうっていうシーンもね。
そうですね。それに私は、何度推進役として道具として作ってきたかっていう反省もとても多く、この本の背景にはなかなかこの本に全部それが詰まってはないんですけど、無限に自分がそういうことをしているし、してきたんだなっていう。
もちろん私たちなりに、もうちょっと対話っていうか、本当の言葉っていうのを出せるような環境作りっていうのは努めてきたかもしれないんだけど、やっぱりその場でいない方とかも明らかにいるし、それは今も課題で。
私がこの本を読んで感じたのは、体験と言葉とどっちが大切なのかっていう話というよりは、街を動かす大きな権力としての、例えば行政とかディベロッパーが、みんなのためっていう名目で、
最大公約数的な言葉をやっぱり、行政とかディベロッパーって言葉を、例えば、ここは賑わいを生み出す経済を復興するためのなんちゃらトックです、みたいな。
いめて、そこに向けていろんなものを動かしていく、みたいな力が、権力があって、その一方で、例えば住民だったりとか、そこ、住民主体の活動であったりとか、日々の日常みたいな、声にならないような、それこそ体験ベースのものが、
間に距離がありすぎて、コミュニケーションができないっていうところに、いろんなざわざわが生まれるんだなというふうに思っていて、それを本当に拙くでも言葉にして伝えるっていうことで、その間に千尋さんみたいな方がいらっしゃって、みたいなところで少しずつ、
そこを解きほぐしていくことができるんじゃないかなっていうのは、読みながら思いましたね。
なんか思い出したのが、このポッドキャストの何回目だったかちょっと忘れてしまったんですけど、ある政治家の方に、私たちよりもちょっと若いぐらいの政治家の方に、政治活動されている方にお話をお伺いしたときに、
自分のふるさとですごい好きだった小川だったか土手だったかがあって、そこにいろんな生き物がいてカエルが鳴いててすごい好きだったんだけど、ある日、再開発全部びっくりするぐらいなくなってしまったと。その暴力戦にびっくりしたと同時に、私、ここの場所が好きだったってそういえば言ってなかったわって気づいて、
それが結構その自分の政治活動の原動力になったみたいなエピソードを話されていて、すごい私はハッとしたんですけど、そういった私とかそのエリアの人たちがなんとなく対決として共有している素敵な風景、素敵な土手、素敵な小川みたいなものが、これいいよね、これ好きだよね、守りたいよねみたいな言葉にして、
言っていなかったりとかしてても届かなかったことで、行政とかディベロッパー側が、そこにある種暴力的な介入をしてしまうとか、その過程でこぼれ落ちてしまう視点があるみたいなことなのかなと思って聞いておりました。
日常であるって自然であればあるほど言語化しないことって多いですよね。
書いてて全部言葉にするっていう時って、それをね、言葉にしないと残んないとか伝わんないとか、異質なものと戦わせるときに言葉ってやりとりしたりするけど、
でも本当に日常に自分にぺったりくっついてる大事なものってあんまり言語化できていないときに、それがパッと失われたときのショックさっていうのはね、でもそうすると行政とか民間事業者ディベロッパーとか、その声を代弁してしまうものの責任っていうのを非常に感じますよね。
そうですよね。
ここにね、つい町づくりやってると、私、よくないんですけど、よく巻き込むとか仕掛けるみたいな言葉、すごい暴力的な言葉を使ったりして、住民巻き込んでこのプロジェクトやるよとか、これ仕掛けるよとかすぐ言ったりするんですけど、
それも本当に、本当はあったはずの言葉っていうのを全く聞かないで、こっちが新しく最初に主人公のように言葉を作って、その言葉でこの町を作っていけるよっていうようなことっていうのを始めちゃって、巻き込むとか仕掛けるって言い方しますけど、
本当は、見えていないものの中に答えがあって、解があって、そこに問いもあって、悩みもあって、みたいなことっていうところから出発しなくちゃいけないのに、なかなかそれがね、できてないっていう反省点があるかもしれないですね。
なんか今おっしゃってくれたような巻き込むとか仕掛ける、いろんなところで確かに聞かれるなぁ、自分もたまに使っちゃってるかもなぁとか思ったりするんですけど、まさに現場で出会った、そういった危ない言葉じゃないですけれども、みんなこれ今当たり前に使ってるけど、おいおい待てよみたいな言葉って他にも何かあったりとかしますか?
でも、やっぱり全部結構危ない言葉。活性化とかにぎわいとか労働化とか、例えばそれも一見中立っていうかな、いいこと?みんなのために活性化したらいいことだし、みんなのためににぎわったらいいことだし、でもそこは再開発が待っている、規定路線で再開発が待っているような言葉かもしれないし、
例えば他はいいことなんだけど、例えば流行りのウォーカブルシティ、ウォーカブルって言った時に、みんなそれはいいことだって思うじゃないですか、私も歩きやすい街っていいことなんだって思いますけど、でももしかしたら道路をすごく拡幅して再開発だったり区画整理をするっていうことで、車と歩道を分離してウォーカブルって言ってるかもしれないじゃないですか。
そうじゃなくて路地を守って小さな古典があるっていうような街をウォーカブルって言っているか、再開発とか区画整理とか大きなプロジェクトをして歩きやすいって言ってるかわからないわけで、すごく同じような言葉を使っていて、全然違った街っていうものが想定されているっていうか想像されているっていうのは、この本当に言葉をどれぐらい詰めていかないといけないのかなっていうのは思いますよね。
そうですよね。
うんうん。
なんかやっぱりそういう流行りの言葉とか流行りの概念みたいなものを結構各現場で、これいいキーワード来た、これで通すぞみたいな感じでみんながそっちの方向に行って、本質的にその場所でやるべきことだったり、まさにその場所でやるべきウォーカブルとは何かみたいな議論だったりとか、そういうところがなんかこう曖昧にされているというか、そういう意味ではなんていうの受け取り手もやっぱりリテラシーというか、
感度が必要だし、ある種その教育がもしかしたら必要かもしれないし、なんかすごく日本の街づくりを見てると、私たち自身もちゃんと言葉を持たなきゃとか、ちゃんとそこを判断する、学びをしなきゃとか経験をしなきゃってところを持つシーンがすごく多くて、
だからこそ私結構その教育とか学びの場作りを作る、それは私たちがちゃんとそこに主張できるように、あるいはオルタナティブな提案できるように必要かなというふうに思うんですけど、ここらへんどう思われますか。
私がこの本で書けなかったことが、たくさん書けなかったんですけど、書けなかったことが、なんかそのウォーカムルとか新しい言葉っていうのがどんどんどんどん生まれてくると、都市計画とか街づくり、都市デザインっていうのが生まれてくるんだけど、それを点検っていうか、都市計画要募集の点検みたいなものっていうか、その書を本当は書きたかったのに書けなかったんですけどね。
でも、新しい言葉を常に常に生み続けないとなんでいけないのかとか、それは開発のために新しいっていうワードが必要だから作り上げて、非常に私たち街の主体者っていうよりは利用者だとか、消費者にさせられている、その都市計画要募っていうものが新しくなればなるほど、
私たちが主体者と主人公としてその街に出会えて作れるかっていうよりは、その新しいキーワードの消費者になるっていう、利用者になるっていう感じがして、それを本でも書きたかった。
利用者でもなく消費者でもなく、街と対峙したり、街をもっともっと身近に、主体者として、主体者っていう言い方がいいのかな、主人公として作れるかっていうことにチャレンジしたいときの言葉って、どんな言葉があるのかなっていうふうに書きたかったなって思います。
なんかちょっと思い出したのが、私、マナズルの美の基準っていうのがすごい好きで、そこの中に出てくるのがすごい具体的な言葉というか、身のなる木、触れるお花とか、多分住んでる人はもうパッと頭に浮かぶような情景の言葉なんだろうなと思って、やっぱり行政、それこそ市政とかになるとどうしても大きくなってしまったりとか、
あとディベロッパーも本当、大きなディベロッパーだと、地域、いろんな地域で活動してて、関西に住んでても、東京から来ている大手のディベロッパーが、住民の住む地図の上にぐるぐるぐるって線を引きながら、ここら辺にはこれを作ってみたいな現場をすごい見てるんですけど、やっぱそういうことになってしまいがちだけど、
もうちょっと小さなスケールで、それこそ区単位とかもっと小さな、エイバーフッド単位とかで、そういったものが作れたりとか、ディベロッパーも例えば最近マイクロディベロッパーみたいな言葉をよく聞いて、私もなんか超マイクロマイクロディベロッパーになりたいなーみたいなことを思ったりもするんですけど、
なんかそうすると、無理に最大公約数的な言葉をみだして、スマートシティだとか、カブルエリアだとか言わなくても、もしかしたら、あーってみんながこう、さっきのこう、なんだろう、素敵な土手みたいな感じで、みんなが情景として共有できるようなものが、なんかビジョンとして作れるのかなーとか、そういったちょっとサイズのことも思ったりしましたね。
なるほどな。
そうですよね。もっと近くの景色について植木鉢が、ここがあるのがいいとか、具体的に、なんか、なんていうんだろう、すごくコンパクトシティっていうのとか、スマートシティ、ウォーカブルシティって大きい概念で、ブロックも大きいですよね、そうするとね。
だけど、生活圏内で、500メートルとか300とか100でもいいし、50でもいいかもしれないですね、なんか、もっともっと小さいスケールだったら、それこそ本当に美の条例だとか、日常生活の言葉っていうのが、街作りの言葉になってくるっていうね、都市計画用語とかに負けない、利用者でも、街の利用者でも、消費者でもないような言葉っていうので、街が作っていけたら本当にいいですね。
そうですね。
なるほどね、めちゃくちゃ。
小さな地区の言葉みたいなものが集まって、面の言葉ができるみたいな形で、海外から降ってきた言葉とか、国語省とか降ってきた言葉を目標として掲げるのではなくて、地域に存在しているような、そういう、なんていうんだろう、ちっちゃな塊の言葉っていうものを広げあって、それを上流に乗せていくっていうことができたらすごく理想的だなっていうのも思いますし、
なんかある種、開発を考えてる人たちもここでも書かれてると思うんですけど、別に敵でゴジラのように破壊してめちゃくちゃにしてやろうみたいなモチベーションでやってるわけではなく、ある種、彼らが与えられたフィールドの中でベストエフォートは何か、あるいは、より良い街にするためは何かっていうものを信じて、
なんていうんだろう、お仕事されている、活動されているっていう中で、やっぱりそこをちゃんと、先ほど言葉の距離みたいな話もあったと思うんですけど、ちゃんとそこを近づけていくとか、
繋ぎ合わせていく、その市民だけじゃなくて、作る人たちの言葉も育んでいくことってすごい重要だなと思ってて、やっぱりすごいセンスないなと思うんですよね、使う言葉の感性とか、なんでこんな感性になっちゃったんだろうとか、またこのセンスのないワードが並んでるわって。
そのセンスとか感性って、育んでいけるものではあると思っていて、それがもっと豊かになるといいなっていうのは思いますよね。