1. Good News for Cities〜都市に関する炉辺談話
  2. 〈Closing Talk〉会場となった..
2021-11-03 27:25

〈Closing Talk〉会場となった、ニシイケバレイって?東京会期終了しました!

おかげさまで、東京会場の展覧会は終了しました。たくさんのご来場ありがとうございました!
今回は、クロージングトークとして、会場となった西池袋にある「ニシイケバレイ」のオーナーである深野 弘之さんと、シーナタウンの日神山 晃一さんと、お話ししていきます。

for Cities Week 2021の詳細はこちら👉 https://www.forcities.org/ja/exhibition

◉ニシイケバレイ
https://nishiikevalley.jp/

「⻄池袋 (ニシイケ) 」のビル群の下、さまざまな支流が合流する「谷 (バレイ) 」のような場所に広がる街、ニシイケバレイ。西池袋に位置する「ニシイケバレイ」は、去年の4月から活動を開始した小さなコミューンのような場所。約3000平米の敷地のなかに、古民家やコワーキングスペース、シェアキッチン、広場、畑、飲食店ほか、自由に活用できる私道や屋上スペースもある空間です。

00:04
皆さんこんにちは、リサーチャー・ストーリーテラーの杉田真理子と
エクスペリエンスデザイナーの石川絵加子です。
この番組は、都市というテーマが好きで好きでしょうがない2人が、
都市に関する様々なグッドニュースを、ザック・バランに話す場所です。
はい、ということで、Four Cities Weekも今日で最終日となりました。
はい。
はい、どうでしたか?
あっという間だったね。
あっという間だったね。
まあ、9日間ですかね、23日から始めて、
今日31日なんですけど、雨も降ったり晴れたり、
いろいろな天気を経験しながら、毎日毎日場所の様子が変わって、
今日に至ったっていう感じですね。
来ていただいた方ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
今日はですね、ちょっと最後というところもあって、
今回この場所を心よく使わせてくださった、
西池バレーの深野さんと、この池袋の地域で建築士として活動されている
日上山さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっとね、このFour Cities Weekができるまでみたいなところと、
西池バレーっていうこの不思議な場所はどう出来上がったのかとか、
そこら辺の西池バレーの話についても、
ぜひお話を皆さんにも聞いていただきたいなと思ってます。
はい、改めてね。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
この場所がなかったらできなかった企画だったなと思って。
そうですね。
今日も参加者の人たちにも話してたんですけど、
私たち最初それこそ六本木のギャラリーみたいなところとかも探していたりとかして、
そしたら全く違った企画になってたんだろうなって思うし、
今回特徴の一つとして参加者の滞在時間がすごい長かったっていうのがあるんですけど、
それはもう本当に西池バレーの心地よさゆえだなと思っていて、
ありがとうございました。
びっくりして、池袋にこんなとこあったんだって言って、
帰ってきましたが。
そういうふうに思っていただいたら狙い通りですね。
そうですね。
ちょっとじゃあ西池バレーについてどんなところかご紹介?
みたいなのをお願いできますか。
深野さんがずっとこの土地を代々守ってくれて、今何代目ですかね。
17代目。
17代目当初としてですね。
ということはいつの時代からですかね。
一応元禄。
元禄、いつってなりましたかね。
やばい。
っていうぐらいからここの土地で、
深野家がやられている中で、いくつかその建物も持たれていて、
03:00
その建物にもいろいろそれぞれ歴史があって、
その場所を深野さんが当初になったタイミングで一つできることはないかなということを、
僕らも日上山と他のメンバーも一緒に考えるところから始まって、
例えば西池バレーでネーミングとかも、
やっぱり深野さんから出てきた言葉とかを大事にしながら、
形を少しずつじわじわと手を加えていったっていうところなんですよね。
この主の会場になっている平屋。
ここが茶の間と呼ばれているところ。
ここが一番最初に手を入れたってところですよね。
そうですね。
元々当時は平屋平屋って言ってましたけど、
今一生懸命自分も平屋って言いそうなんで、
一生懸命茶の間にしてますけど、
ここは地区70多分数年。
戦争で池袋は全部燃えたらしいんですけど、
ほとんどこの辺も祖父がその後新築した木造平屋で、
戦後今75年か6年なんで、
多分72、3年は小民家って感じですよね。
ここに僕が4年前まで15年間ぐらいと住んでいました。
当時から住んでいる当時から一応住み開き的な、
町に開いていくっていう姿勢はいつからか持ち始めていて、
住みながら例えばお野菜を庭で売ったりとか、
中でお味噌を漬け込むワークショップをやったりとかっていうのをやっていたり、
あとお茶のお稽古をやったりとか。
どこかでこしたんたんと、もっと開きたいなという気持ちはあったんですよね。
それがドカーンといけたのは、ちょうど僕の父が2年前に亡くなって、
僕が当主になったところで、もうドカンといけたんです。
ドカンといきましたね。
それまでに池袋を中心とした仲間がいろいろいたり、
いろいろやろうと思って見に行かれていたり、
そういうことが続けてこられたからだと思います。
急に始まったというか、ずっと考えて考えて考えて、
それを言葉にして場所にしてっていうのが、
ちょうどよくいろんなメンツも含めて揃ったタイミングがありましたからね。
日上山さんとは、今回この茶の間の工事をしたのは、
一昨年の冬ぐらい。
そうですね。春から春までですね。
でもその工事の2年ぐらい前から、実は一応ここのエリアどうしようかというのは、
06:01
日上山さんをはじめ何人かの仲間と、一応一回プロジェクト的なものを組んで話したことがあったんですよ。
でもなかなか父の元気だったので、なかなかそれを僕の采配で進めていくことはできずに。
なので温めていた期間としては、西池バレーが去年7月29日に開業したけども、
3、4年前から具体的に始まってはいたんですよね。
西池バレーみたいなネーミングも、一番最初の方に深野さんが、
この場所は気持ちいい風が吹く場所にしたいんだ、みたいな言葉だったり、
ビルの合間のバレー、谷谷間みたいな感じとかも、
いろいろそういうのをみんなでいろんな妄想をしつつの中で、少しずつ固まっていったって感じでしたよね。
いつ決まったかって言われるとって感じなんですけど。
いつの間にか決まって。
なんとなくみんなの中でそうなっていったって感じは若干ありますよね。
ここでバンって感じはなかった。
面白い、面白い。
醸成していったっていうか。
そういう感じで、どういう風な場所にしたいかっていう時に、
そういうご挨拶ができたりとか、気持ちいい風が吹くといいよねみたいなのは、
みんなの気持ちの中にあって、っていうのが名前にもつながっているみたいですね。
結構風の谷も。
風の谷も。
強いよね、ビル風が。
確かに。
そういうのも、いろんなのがハマりましたよね。
塀を通ったことで、本当に風通しがよくなった。
家の周りの塀。
家はがっつり昔のうちなんで囲われていたんですけど、
塀を通って境界線をちょっと曖昧にしてみるっていうところからスタートして、
そこからだいぶガラッと動き始めたというかね。
かなりでも思い切ったんですよね。
やっぱり今まであった境界を取るって、なかなか大谷さんって勇気のいることなので、
そういうことからやってみようって言ってくださるっていう、
そういう決断をしてくれるっていうのがやっぱり素晴らしいなって思ってますね。
もちろんこの土地を持っているというところで、高いビルももちろん建てられるし、
もっと収益性のあるものを入れようと思えばできると思うんですけど、
この土地を失いでこういった場所にしていくっていうところは、
どういったモチベーションとかどういった風景を見たいみたいなところから来たのかなと聞いてみたいなと。
収益性を考えればね、やっぱり上物ってなるんですけど、
単純に僕は平屋が好きだったっていうこと。
やっぱり緑も好きだったから。
西池場で塀を取る前からいろいろ緑化はしていたので、
その風景をどこか心の底で残していきたいっていうのがあったので、
09:04
収益とかそういうのをあんまり考えずに、
気づいたら残していたっていう感じですかね。
そうしたら結果、周りがどんどん高くなっていくから、
ここの希少性がむしろ際立っていって、
これからさらに際立っていくんじゃないかなと。
全体そうだよね。
圧倒的に気持ちいいですもんね、この周りは。
やっぱり池袋ね、我々も渋谷だったこともあって、
そんなにあえて来ない、あえて来ることもないかったし、
なんかちょっと駅前のごちゃごちゃだったり、
少し苦手意識もあったんですけど、
今回ここに出会ったことでまた全然街の見方が変わったなと思います。
あと期間中、この西池バレーのすぐ横のアパートにもね、
我々3期的に滞在というかレジデンスさせていただいてて、
住みながらやるっていう。
だからこそ近所のスーパーに行くみたいな経験があったりとか、
ご飯どこに行こうとかもやっぱりこのエリアを知るきっかけになるし、
夜ツアー、街歩きのツアーが今回あったりとか、
あと友達が来た時とかに連れ回したりとか、
この夜とかしてたんですけど、
なんかこう紹介しながらどんどん池袋っていう街が
私たちのものにもなっていくみたいな感覚が、
この9日間という短い時間だったんですけど、
ここにいたからこそ、住めたからこそ、
持てたっていうのはあったかなと思って。
特別な経験でした。
住んでてのは良かったですね。
そうですね。
経験的にすごく良かったですね。
なんか池袋10年前くらいに来たらすぐにお腹を殴られてから
ずっと来てないみたいな人と、
街歩きしたんですよ。
また来ますみたいな。
池袋を再発見したとか言ってて、
誇らしい気持ちになったりしたのも、
なんかここにちょっとでも住んでたからかな、
みたいなところも思って。
あとはね、今回道路も私打ちだったってことで、
かなり自由度高く道路も使わせていただいて、
それもすごく私たちとしては良かったなと思いました。
やっぱり生活の動線の中にいろいろプリッジとかね、
スタジオプリッジとかがやったものが詰め込まれてたり、
いろんな勘違いが生まれて、
これは元からあるものなのか、みたいな勘違いが生まれたり、
毎日毎日そこで焚き火をやったり、
シアターをやったりとかしてたら、
そこのマンションの子が毎日ここに立ち寄るようになったりとか、
顔を私もその子たちが覚えるようになったりとか、
そういうことが起こっていくのが良かったなと。
それはやっぱり心の中に閉じないで、
外にもはみ出していた環境っていうものがすごく大きかったかなと。
12:03
いい意味の違和感みたいなのがあって、
それをやっぱり中だけだとあれだけど、
外もあるとみんな何らかの感じがどうしてくるのか。
誰かの日常と結構クロスする感じが不思議で、
映画のところも普通に車が出てくるし、
やってる途中で普通のマイトで出てくるし、
それが不思議じゃないですか。
普通にやってたら生きてたらなかなかないようなことが起きてるシーンが見れたりして、
不思議な時間だったなって思いましたね。
バレーを企画しているときに、
ヒカミヤマさんの口から余白とか境界線とかっていう話をよく出てたんだけども、
やっぱりここは本当に余白がある。
余白があったからこそ、
ある意味フォーシティーズみたいな企画が来るいい意味の隙があったというか。
最初に見てもらったときにどういうふうに見えてたんだろうと思って、
今は出来上がったのが見えるんだけど、
初見のときの印象ってどうだったのかなと思って、
ちらちらは聞いたけど、どうだったのかどういうふうに聞いて、
自分自身もあるかもしれない。
この場所に来て、ここで何かやろうっていうときに、
やっぱりどういうイマジネーションが湧いたからこうなったのかなとか、
そこに繋がるところが結構知りたいなというか、
意識してたところもあるからこっちも作り手として、
そこをガッチガチに作りきれずに、
面白く遊んでもらえたらいいなと思ってたんだけど、
それはどう感じたのか。
そもそもさっき言ったみたいに、
池袋は苦手な街だったみたいなところもあって、
でもちょっと歩いたところにこういう場所があって、
生活が見える場所がある。
やっぱり池袋と生活って私は結びついてなくて、
そこが初めて見えた場所だったっていうところが1個あります。
あとはやっぱこの平屋っておっしゃってたこの古民家が
この立地であるっていうのがすごい面白かった。
今回この4CITYSでやっているメンバーたちも
都市っていうものの舞台に自分たちの手で、
自分たちの力でこう場所を作っていってる。
そういう愛情だったりさっき言ってた手垢みたいなものが
最初に来たときも感じられたんですよね。
格好付けすぎないというか、
この場所への愛も感じたし、
すごく自分としても居心地が良かったので、
多分今回私たち声をかけた仲間たちの
空気感とかムードと合うだろうなっていうのはありました。
多分私たち背伸びしすぎてる空間とか
格好付けすぎてる完成された空間が
15:01
そこまで好きではないわけではないんですけど、
何かやるってなったときの愛情はそこまで良くなくて、
だからなんか自分で手を加える余地のある、
それこそ余白のある空間みたいなところは来たときにピンときて、
私が一番最初に来て、
ここはいいって思った瞬間は
枠の前にある電柱のポールみたいなところに
木で蔦が登れるように枠を作って
ハックしてたので、
これは直感的に好きだなって思ったんですよね。
あれ私のときポイント、上がりポイントで、
あとはこの平屋の茶の間も
家に帰ってきたって感じがして、
私もこういう日本家屋に住んでるっていうのもあるんですけど、
別に住んでない人でも、
なんとなく日本人だったら
なんとなく帰ってきたみたいな懐かしい感じっていうのは
覚えるかなと思っていて、
なんかその家に帰ってきたアットホーム感も
今回ちょっとやりたかったというか、
ギャラリーにおしゃれして来るっていうよりも、
ちょっとゴロゴロ遊びに来るかみたいなノリで
お客さんにも来てもらいたかったっていうところもあったので、
そういう意味ではぴったりだなと思って。
そこはすごくフィットしたな。
最初から僕は直感で、
絶対これはいけると思ってたけど、
本当にそうなってよかったなと思って。
実際そういう風に過ごしてくださってたよね。
みんな来た人。
どうしようかな、なんでかなって結構思ってたんだけど、
いていい場所が結構あるというか、
なんとなくどこかにいていいような感じで作られてるっていうか、
例えばこれがカフェだとずっといるのって気まずかったり、
きっちり過ぎてるとそういう感じにならないんだけど、
なんとなくどこかに座ってたり、
どこかにいても違和感がないし、
居続けられるように、
なんとなくこの空気がなかなっていて、
そういう空気も作られてるし、
意識もされてるのかなってすごく伝わってきて
よかったなって思いましたね。
あとあれだ。
その余白の話でいくと、
屋上でパルクールやってるみたいなのを聞いて、
すごいなって思って、
なんで屋上で、かつなんでパルクールなんだってところで、
深野さんっていう人自身に興味を持ったっていうのがありますね。
この人ならなんかこの訳のわからないことを許容してくれるので、
パルクールやってるならいけるかもしれないですね。
その嗅覚が働いたことがあるかもしれない。
なるほど、パルクールいける、なるほどね。
深野さんっていう存在っていうものもあったかもしれないですね、場所と。
パルクールでね、ロジューラスカっていう運動会もやってたから、
そう、実際ね、駆けずり回ってますからね。
そう。
僕はやっぱりこの西池バレー全体を本当にいい感じで使い倒して、
18:06
それぞれがそれぞれの使い倒し方をしてもらいたいと思ってたので、
パルクールもその人ですね。
ママと使い倒してくれる。
ママと使い倒すね。
やっぱりこっちから見ると文脈がちゃんとあって、
体作りとか健康みたいなものとか、
お野菜を扱うようなご商売もされていたりとか、
そういうようなものだったり、
当然お子様ができて、
子どもに対してどういうものがあったらいいかなみたいなものとかが、
やっぱり全部詰まっている感じなんですよね。
食材の考え方にしても何にしても、
体でやっぱり鍛えられているんですけど、
そういうのが、ガチガチのジムに行くというよりは、
こういうところでも何かできたらいいよね、みたいな思想だとかが、
何となく散りばめられている感じではあるなと思っていますね。
やっぱりまさに生きることと作ることが、
深野さん自身もすごい延長・専長になっていますね。
そうですね。やられていますしね。
味噌作りとかもずっとやられてきたし、
書道とか、お茶とかもやられてきたんですよ。
ずっとここで。
なので、それの延長なんですよね。
それをどう開いていくかというのは、
自分でやらせてもらっているという感じの楽しみで、
やらせてもらっているという感じですよ。
まさに僕が好きな方向のことを、
結構自分でも表現したり、
こういうのをやる人いないとかって言ったり。
やっぱり今、党首として西池原のオーナーですけども、
やっぱりこれって僕のモチベーションが下がると、
意外にエリア全体も下がっていくと思うんですよね。
常に一定のモチベーションとか、
ワクワクがあるようにするには、
やっぱり自分の好きなことを散りばめるしかないなと。
僕は岡田さん、常に楽しそうにウロウロしていただければ、
それでいいですって言っているんだけど。
今日は走ってましたけどね。
ハロウィンで走ってましたね。
もともとそういうのが好きなんです。
やっぱり色々な楽しみの仕掛けられるようになってきた。
みんなと一緒に楽しめるようなことができ始めてきましたね。
そういう意味で一つのシーンを作っていくって大事だなというか、
僕らだけでやっていくと、
僕らのコミュニティでできることだけになってしまうので、
今回はドカンと、
全然今までに設定のなかったような人たちが
ドカンと入ってきて使ってくれる、
お持ちの服で遊んでくれる、
なんて夢ができるっていうのは、
なんて面白いんだろうなと思って、
実際そうなったなという感じだったので、
どう思いました実際にっていうかのさ、
この光景というかこのシーンをね。
本当僕もこう、
未だにまだちゃんと理解はしている。
21:00
我々もまだ。
でもなんかその都市の生活を、
もっと自分たちの手応え感があるようなものにしていきたいっていうのは、
それぞれがね、
それぞれのやりたいことで表現したいんだなというのは、
なんとなく分かってきました。
僕も僕なりに手応えを感じるようなところにしたいというか、
住みたいと思っているし、
いろんな表現の仕方があるんだなと。
今回ほとんど多分20代の人たちじゃないですかね。
そうですね。
20代多いですね。
かなり多いですね。
本当にこう、
僕らでは考えつかないような、
なんでニカバがここにあるんだろうな。
そしてなんで溶かしているんですかね。
なんだあの構造体はみたいな。
不思議でしょうがないけれども、
それを面白いと思って、
おこがましいけど、
その辺を寛容に理解したいというか、
理解するというか。
そういう気持ちでいると、
もっといろんな世代がここでいろんな表現してくれるんだろうなと思って。
そうしないと凝り固まった場所になっていくと。
そうなんですよね。
こういうことができるんだなっていうのも、
これを見て何か思った人もいるし、
それが見えたのが一番良かったというか、
また次の可能性につながるなと思ってはいるんです。
なるほど。
そうですね。
オーシティーズウィークを受けて、
これからの次の可能性みたいなのをね、
私たちもちょっと話してみたいなとか思いました。
やっぱり9日間の一家制のものではあるので、
今後どういう関係性を西池バレエとオーシティーズとして築いていけるのかとか、
ちょっと長期的に何かやってみたいなという気持ちも。
そうですね。
このオーシティーズウィークを毎年いろんな都市でやっていきたいんですけど、
イベント的にもちろんやりつつ、
何かそこに残していけるものだったり、
そうですね。
そこを過ぎることで何かが変わる、
長期的にも変わっていくような去り方というか、
通り抜け方をしたいなと。
オーシティーズの手垢がついている。
いいですね。
めっちゃベタベタ。
なんかあいつらいたなみたいな。
あいつら汚いな。
何か確かに残っていくみたいな。
いいメタファー。
できるといいなって感じには思いますね。
そうだね。
あとはやっぱり今回そのようにこういったことを
許容してくれたというか、
何かそれ危なくないとか、
それどうなのみたいなことではなく、
それだったらこっちがありますねとか、
それだったらこれだったらできるかもしれません。
24:00
そういうコミュニケーションすごく気持ちよかったし、
すごくありがたかったかなと思って。
なるべく禁止とは言わないというか。
意外とない。
アグリエンディングスタジオにできる。
意外とないです。
禁止でダメっていう方が楽なんだもん。絶対に。
あとそのわからなさへの許容。
確かに。
わからなさへの許容は今回すごい感じました。
こんなにわけがわからない企画に。
そうだね、でもそういうところを許容していかないと
私たちは新しいものが生まれないと思うし、
私たちもわからなさを許容しながらやっているというか。
そうだね。
バレエ自体も少しずつと踏み出してきたっていうのもあるんですよね。
さっき言った壁を壊す。
チャレンジだし、どうなるかって全部が全部わからないかもしれないけど、
でも絶対面白いと思うと思うのでやってみよう、
みたいな踏み出し方をしているところが
もう少しずつ大きくなっていっている感じだったのかもしれないなと思って。
確かに何かが続いていったりするといいですよね。
何かが残っていったり続いていったり。
これは今、子どもたちが見てあれは何だったんだろうみたいな、
何年、5日間に見た時に、あれは実はこういう時にこういうものがあってみたいなのが
また残っていっているのがあるといいですよね。できそう。
うちは住人さんが100世帯くらいいますけど、
その100世帯にいろいろなチラシも投函してもらったけども、
その人たちがどのくらい来たかというと、
多分そんなに来ていないかもしれない。
でもこの施設が終わって、その後の手垢の積み入ったここが、
そこから今の住人さんたちをどう巻き込んでいけるかというのが
正念場というか、面白いかなと思うんですよ。
そうしていかないと、これからの未来に向けて
本当に良い余白があるところが生まれないと思うので、
だから手垢はどんどん残してもらって。
良い手垢を残していきましょう。
引き続きよろしくお願いします。
改めてありがとうございました。
楽しかったです。
ありがとうございました。
そしてフォーシティーズに来てくださった全ての皆さん、ありがとうございました。
次は京都が始まります。
京都も素敵な場所なんですね。
我々休む時間もなく、すぐに行きます。
7日から14日ですよね。
11月7日、日曜日から14日、日曜日まで京都先奥で開催します。
ここの西池晴れと同じような日本家屋の畳の家が中心に展開される予定なので、
27:02
ぜひ東京の方も関西の方も遊びに来てください。
はい。
バイバイ。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
今後もこの番組では、都市のテーマに様々なおしゃべりを繰り広げる予定です。
次回もお楽しみに。
ご視聴ありがとうございました。
27:25

コメント

スクロール