はい、じゃあまずちょっと寺田さんの自己紹介とチョケットがどういう経緯で始まったか教えてください。
はい、はじめまして。南海電気鉄道の寺田と申します。よろしくお願いします。
私は1991年に南海電鉄に入社して、主に流通端というショッピングセンターとか小売飲食業というB2C部門ですから鉄道会社に入ったんですけども、鉄道の仕事一回もしたことがないという経歴です。
チョケットの話なんですけども、まず前提としての話で、あくまでもこれは私の個人のということで解釈してもらったらいいと思うんですけども、鉄道会社のビジネスモデルというのは基本的に職場分離なんですね。
なんやっていうと、住んでるところと働きに行くところの電車乗っていくということがビジネスモデルなので、いわゆる電車乗ってもらうというのは基本的に大量輸送やないと持たないんですね。
これが、いわゆる大都市が鉄道会社が生き残ってて、JRさんの北海道とか九州とか四国がみんな苦しんでるというのは大量輸送できないからなんですよね。
いわゆるサラリーマンのような事務仕事ができるような方、かつてでいえば工場に勤めるような方々という方をいわゆるぎゅうぎゅう詰めに詰め込んでお客様を運ぶということが一番効率がいいわけですね。
これが崩れているのが今の世の中だと思っていただければいいと思います。
ですので、かつてのビジネスモデルの植樹分離の中で、人が集まるところにいわゆる駅前に百貨店、デパートを作ってショッピングセンターを作るというのが都心部。
で、郊外のところにいわゆる住宅地でニュータウンを作るということです。
これは鉄道会社も東京も大阪もそうですよね。
で、人を離れたところに住まわせて働きに行かせると。
さらにそこにまた逆方向に楽しみを作るためにということで遊園地を作っていたわけなんですよね。
それはすべて鉄道の沿線に作っていくということで、いわゆる電車にいかに乗ってもらうかということの楽しみを作っていく。
植樹を分けてしまうということが元々の鉄道の考え方です。
これはいわゆるコロナだけじゃなくて崩れてきてます。
コロナで加速しているところがあるんですけれども、もちろん鉄道会社の我々でさえテレワークOKですし、パソコン持ち歩いて本社に行かなくてもいいとなってしまうと、我々でさえ鉄道に乗ってないと。
もっと言えば大企業のところであれば昔は定期券を持っていたのが、定期券ではなくGP生産しているところも多数増えていってますよね。
ということはもう電車に乗らなくなってきているんですね。
電車に乗ってもらうための仕掛けというのが全部崩れているというのが今の現状だと僕は思います。
例えば東京の東急さんであれば渋谷が今までターミナルだったのが連絡しましたよね。
だから寝過ごしてしまうと埼玉まで行ってしまうとか。
ということはわざわざ渋谷で降りていただかないと渋谷の街が腐れていくわけです。
ということは駅前再開するだけしてたらいいのかという時代ではなくなっているというのが我々の一番の問題意識です。
そこから次に東京と大阪の違いを考えると、
すべてのビジネスと言われる、我々も言ったらビジネスパーソン、
嫌な言い方をすると昔のサラリーマンですが、仕事をしようと思うとすべて東京にシフトしていってます。
大阪本社だと言っている会社もすべて東京が頭脳になってますので、
ですから仕事をしようとすればやはり東京を中心になってしまうんですよね。
スタートアップをしようと考えてもやはり情報量であり資金の調達であったりということになると、
いくら触手ぶりだといったかってやっぱり東京でビジネスをしないと、
いわゆる日経新聞に出るような仕事というのが東京でしかできないというのが私の解釈です。
となったら次のステップですけど、誰人呼んでもくるねん。
どうやって店を作っていったらいいのか、町を作っていったらいいねんと考えると、
世間一般の町づくりの、というか都会での町づくり、いわゆるサテライトとかそうなんじゃなくて、
もう少し地場というか、人を集める方法を考え直さなきゃならないよねっていうことになりました。
それで2023年の3月に我々が打ち出したのがグレーターナンバービジョンという、
ナンバーの新しいビジョンを作りましょうということを会社として発表しました。
そこでは人を集めるためにというのでは、通常ある働く人、住む人、遊びに来る人というこの3つがよくあるんですけども、
そこに一つ加えて担う人というのを作ったんですね。
何かナンバーで何かやってて、何やってるかよく分かれへんけど、この人らが町を活性化してくれる人たちというのがいるよねと。
もともとの三段論法から4つに変えちゃおうと。
その担う人って何にできるのだろうと考えたときに、ここからが大事なんですけども、やっぱり町の歴史なんですよ。
この町、特に大阪の中でのナンバーという位置づけは、やはりビジネスではなくて、いわゆる職であったりとか。
もう一つ大きなのがお笑いなんですね。
吉本工業さんが本社を持ってて、過月があって、ナンバー過月に出るためのいわゆる専門の学校があって、NSCというやつですね。
ということは、舞台に出たいためにはそこの学校で勉強して、ということで鍛えられていって、そこからエスカレーターではないですけど、階段登っていくとなると、やはりお笑いを学ぶために、わざわざ大阪ナンバーに来るということになるんです。
で、学校に行くということはやはり住まなければならないよねっていうことになると、そこで一つ学ぶと住むということが出来上がって、そこにお笑いでステップアップできるという、一つのいわゆるストーリーが出来上がってると。
これエンタメだよなと。
で、メインのエンタメは吉本さん今やってるから、ちょっと変わったことできるでしょうっていうことが作れないかいなっていうのがショッケットなんです。
ですからアンダーグラウンドなんですよね。
で、サブカルにもなってなくて、よくわからん人っていうのですから、大阪らしくチョケるというか、何やってんのこいつらっていう人たちがうまく混じり合って、
あ、私もここでなんかよくわからんことをやってみたいと思ってもらえるような道場にしたいっていうのがチョケットの狙いです。
以上。
むちゃくちゃわかりやすかったです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
100回ぐらいこれをご説明させていただいて、何回かというスムーズさでございました。
でもめちゃめちゃわかりやすかったです。
はい。
鉄道の歴史からね、ナンバーのローカリティみたいなとこ、ナンバーやっぱりお笑いの街って印象が関西の人にはあるんですか。
やはりありますね。
劇場があるので、ナンバーグランド可月っていうのが一番のメイン劇場で、そこにサブじゃないんですけど、そこの若手が今は漫才劇場があって、
それも出れないような若手というのは今は新世界座だっていう小劇場みたいなちっこい劇場というか、お笑いする場所があってということですから、
言ったらプロレスじゃないけれども、乗し上がっていく、乗し上がってきた人たちが今、いわゆる来週末にあるM1に行くわけですよね。
だからもうそれが出来上がってる、その仕組みが。
そういうことやってるよなっていうので、我々の近所のところでも相応の問題があるんですけれども、売れない漫才師が練習してたりするんですよね。
そういうふうに売れない漫才師が練習しているところの場所をうまく我々が使えないかなどうかなと考えるというのが私らの、それもちょけっとの思想なんですけれども、
ということをそこここで何かやってるよなというのをしたい。
お笑いだけじゃなくて今は音楽をやったりとかも試したりはしてますけれども、場所は持ってると。鉄道会社って基本的に場所持ってますから、
それをどう活用するかっていうことのいわゆる隙間を私たちは担当していると。
メインなのはやはりショッピングセンターであって、きっちりと皆さんが喜んでいただけるテナントさん入ってもらって、きっちり稼がさせてもらうというのはメインなんですけども、
私のやってる仕事はそうじゃないとこの擦れたところをやってる。
なるほど、擦れたところ。
見る、買う、遊ぶではなくて、その後に使いこなすとか担うみたいなものが出てきた時点でも素晴らしいなと思いながら見ていました。
ここに行きつかないことがすごい多いんじゃないかなって。
私たちも結構自分たちの都市での暮らしを自分たちで使いこなすってよく言ってるんですよ。
なのでそれに通ずる何かを感じたっていうのと、あとよくわからん人って今何回か出てきたのも良いなと思って、
担う人っていうのがいろんなことしてて、なんかようわかんないけど、でも面白くてその場所にいるみたいな。
よくわからない人への許容度みたいなのは大阪っぽいなって私は思いますね。
そういうことができるのが鉄道会社だと思います。
というのは、土地持ってて我々というのは逃げられないんですよね。
ここの商売、南大阪は南馬から和歌山方面に行く電車なので南方面なんですけども、
ここの商売しんどいから、ちゃうところに電車引きますってできないですから。
ずっとこの場所と付き合わなあかんわけないですね。
そこで地に足ついたことすりゃいいやんっていうことに、どこまで我々が腹落ちするかと思います。
大きな丸の内にあるようなダイヤモンドの会社さんとか、日本橋とか強かったさんのいいって書いてるところとかは大きな会社ですけど、
やっぱり稼げるところをきっちりと稼いでっていうところで、もしそこが無理なら次のとこ行こうやって。
これはビジネスで当たり前の話なんですけども、そういうふうに移動できるんですけど、
我々自身は移動の会社ですけども移動できない会社なんですよね。
ここしらが無理。半球電鉄や半球延線しか無理なわけですよ。
そうなったらどこまでそこに入り込めるかどうかなんです。
それが今1期、2期、3期。今3期募集だったと思いますけど、1期、2期やったって感じですわ。
これが、ようわからんけどやってもらいましょうかっていう人から、
いわゆるフリーランスの落語家さんも来て、1回目はフリーランスの落語家さんも来てもらったりとか、
とりあえずやってみようかっていう、その精神でやったという感じですね。
クリエイターの選定は、こういう人がいいとか条件はあるんですか?
最初何もなかったですね。何もなくて。
とりあえずここでなんかしませんかという。
ただ、作るチョケットのコンセプトとか、デザインとか、ロゴとか、そこについては本当のクリエイターさんに作ってもらいました。
そこ以降は本当に、これは形はあるよなと。ちょっとしっかりしてあるよなと。
ガチガチじゃないんだけど、やってもらえそうやなという人だけやってもらったという感じですね。
1期の人たちで言ったら、単に寝転がりたいとかですね。
こたつチームもよくありますよ。こたつ入りましょうとかですね。
とりあえず街で活躍できそうやなということをやってもらったという感じですね。
先ほどちょこちょこと場所を持っているというお話があったと思うんですけど、このレジデンスプログラムの表現の舞台は一箇所だったのか。
それとも街中に点在しているようないろんなロケーションがあったのか。それはどうだったんでしょうか。
これも狙い目で。
先ほどお話ししましたように、ショッピングセンターで絶対に利益で売り上げを取らなければならないというのが、いわゆる会社の組織の存在意義ですけど、
我々それがないで人を集めるということでしたので、これも参考になるかもしれません。公開空地と有効空地ですよ。
いわゆるビルを建てるときに延べ行きを上げるためには公開空地必ず入りますよね。
そこというのは年間280人しか使えなくて、その所管の大阪市に申請して許認可を受けて使えるんですね。
そういう公開空地というのは。そこを狙っていこうと。そこでやってもらいましょうと。
最低限の運営費用は必要になってきますけれども、そういうのは鉄道会社、どこの鉄道会社も、不動産も持ってますよね、公開空地を。
そこをステージにしましょうって言うのですよ。
公開空地をうまく活用してイベントしましょうって言い出したのは、たぶん140年近くの歴史の中で私が初めてかもしれない。
みんな使いたがらない。お金がらないから。そこを担う人にやってもらうと。
じゃあ今回の対象となったのは、その一箇所の公開空地だったっていうことなんですか。
それを広げました。
広げました。
広げました。広げて今1、2、3、4、今4つあるかな、場所は。
そういう公開空地のところが。
それがナンバー内に点在していて、すごいいいですね、それは。
ビル建てるたびにそれ出てきますからね。
オフィス街のところで、なぜか不思議と椅子を置いてるってありませんか。
そうなんですよ。死んでる公開空地がめっちゃあるっていう。
公開空地ビジネスできるかなと私は勝手に思ったりするんですけど、受けますよとか。
割り切り方いいですね。
不動産デベロッパーからお金をもってやりますよとかいうのもありかな。
やっぱり経済合理性を考えるとそういうところって無駄なわけなんですよね。
年積を増やしたいがためにそこを作ってるという目的になってるから、
人を集まってもらいたいとか、アメニティ性をどうしたいとかいうことの概念が、最初のスタートラインが違うんですよね。
みんなそこには手を出さないし、地元対策だって言うだけでやってたら、
先の話で、とことん付き合わなあかんって考えたら変わってくるんだけど、
そこそこの総務の人が、地元の人だとちょうかいとで顔を出して、
こんにちはって言って、新年ご例外で飲んで帰ってくるとか言うのやったら、そうはいかないんですよね。
我々とことん付き合わないと仕方がないというのもあるんですけど。
そうなってきたときに、ここの場所をうまいこと使ったらいいやんっていうような余裕も出てくるというか。
あやういですよね。会社の候補署によってそういうのがずっとできるかどうかというのもありますから。
そういうことをやってもらえたら、ビジネスビジネスしなくてもいいやんかっていうので、やっていったという感じですね。
こんなちょけたなんかやってまうの、だいぶ変わった取り組み度は自分でも思いますけどね。鉄道会社の中では。
3回か活動をやられた中で、街が変わったなみたいな実感値みたいなところって、もし感じられた具体的なエピソードとかがあれば聞いてみたいなと思いました。
子どもやなと思いましたね。変わったことをしたことの最初に反応するのは子どもさんですわ。
今回2期との間のところで、うちのフォローしていただいている近畿大学の文芸学部の浅田渉さんという有名な方なんですけども。
ゼミで実験をやったときに、音楽を使った実験をしましょうという、音を出しましょうというのにやっぱり反応してくれるというのは、大人ってやっぱりシャイやから近づかないんですよね。
子どもは勝手に赴くままに近づいてきて、子どもさんがついてくるっていうのがあって。
これはよくよく考えると、いろんな取り組みをやってみなさんやってくれてる中でも、子どもが反応したら大人もついてくる。
大人向けにやってしまっても、周りから見てるだけとか、なんか言われたらどうしよう。
大阪の人間でさえそうなってくるなら、関東でもっと来ないかなというぐらい。
おばちゃん的ななあなあなあっていうのも、変わったことをしてたら反応があるんですよね。
でもその取り組みをやってる中には、純粋にピュアに近づいてくれる方ってやっぱり子どもやったよなって。
それは外国人も日本人も問わずです。
南波の場合は外国人が非常に多い町になってますので、観光で。
確かに。
そういうのが子どもかなと思いますね。
もっと互換に攻めるということと。そんな感じはしますね。
南波って学校とかあるんですか?子どもいるんですか?
ここがまた南波の魅力で、いわゆる住んでる人と働いてる人と遊んでる人が混合している町なんですね。
ちょっと外れるとすぐ住宅街っていうかマンション。今はマンションが多いんですけど。
昔の商店街の名残で言えば、1階がお店で2階が住居だったっていうことから始まってますので、
食住分離ではなかった町なんですね。
素晴らしく言えば。食住分離になっちゃったというのは、大阪で言えば千葉がそうですよね。
もともとは食住一緒だったんですよね。千葉の亜勤路と言われている。
山崎豊子が出てくるような話は、もともとはあそこで住んで仕事をされてたんですけれども、
その方々が、いわゆる阪急さんで言うところの足屋とか、阪急遠征に住むところを変えて、
働くところに千葉に来てたっていう形なんですね。
それが南波の場合はそういうもんではなくて、商売の町でもあったから、住んでる人がそこで働いてたというところの名残がある。
で、ちょっとしたところでは住んでる人が多いっていうこと。それでももう数は続いてますけど。
数は続いてるけど、まだ人多い方だと思います。
ですからそこが歴史的にどうやったかを見解かないと、町づくりできないんちゃうかなと思います。
江戸時代からそうやったわけですから。江戸時代はそこまでいってないんですけどね。
思いっきりにぎやかに南波という取り方をすると明治以降ですね。
南という視点でいくと江戸時代からです。
そういう町だったから、今どうやっていったらいいのかっていうことを考えたほうがいい。
チョケットというプログラムがどこの町でもできるかそうではないと思います。
丸の内でチョケットはできないと思うんですよね。
それはありそうですよね。
人儲けしようかというスタートアップを集めてきたほうが面白いと思います。
南波だから生まれた企画だったと。
儲かるか儲からないかわからへんやんっていうところの余裕さが、まだ南波にあるんちゃうかな。
その土地にあったチョケットがあるんかもしれないですね。
いいですね。いい言葉が出ましたね。
今3期目なんですかチョケットって。
入ってきたところですね。今募集してるんかな。
なるほど。やっぱりこういうソフトな活動って、続けていく持続性みたいなところでも大変な部分とかたくさんあると思うんですけれども、
こうやっていろいろな表現だったりソフトな活動が南波に点在して集積していくことで、どうなってほしいなみたいなものを今思い描きながらやられてますか。
そのわけのわからん人たちが集まった中でわけのわからん文化ができたらいいなと思ってますけどね。
最終的には僕らが狙ってるのは、JTVさんがいろいろ取り組んでらっしゃるビレッジングってあるじゃないですか。
いわゆる観光自体を村にしてしまおうというような取り組みをJTVさんと結構されてるんですけれども、
そういうようなわけのわからん人たちが本当にレジデンスじゃなくて、ほんまに住むようになってほしいよなとか。
まち作りましょうって言ったら大層なんで、僕らは今村作りたいなと思ってる。
そういうわけのわからん人たちが住んでいる。もっとわかりやすく言うと、時はそうなりゃいいんですけど。
昔の漫画の、漫画が集まってアパートに住んでっていうようなのが、わけのわからん人たちが集まってアパートに住んでるようなことがうまくなったら面白いよなっていうのが一つ。
このストリートからどう這い上がっていくかのコーディネートを、
南海さんも並走しながらこれからやっていくっていう感じなんですかね。
そうですね。
そんな感じがします。
そんな感じですね。
なんばというむちゃくちゃ大都会だと私は思ってるんですけど、
そこで村を作りたいっていうスケールのジャンプがすごい面白いなと思って聞いてました。
ここで村なんだっていうところの意外さがすごい素敵だなと思ったのと、
あとこの嫌味のない商売、商売系みたいなのがやっぱり大阪らしくてすごい好きだなと思いながら聞いてました。
最後はちゃんと商売にしようとか、カルチャープレーナーにそれぞれなろうみたいな。
大阪ってやっぱ商売の街だなっていうふうに思うのと、
お金の話を結構みんな嫌味なくするところが大阪っぽいなっていつも思うんですけど、
その話を今聞いていてすごい思いましたね。
あと歴史の部分で、最近まさに江戸とか、近代化以前の日本の都市を考えたいなって思っていて、
すごい話飛んじゃうんですけど、例えば今海外で将軍っていうテレビドラマがバグ流行りしていて、
まさに大阪城とか出てくるんですけど、
大阪ってこういう街だったんだみたいなところに今更ながら思いを馳せたんですよ。
それがどう発展してきていて、どういう経路をたどって、だから今のナンバーなんだみたいな。
そういった想像力って大阪だけじゃなくていろんなところにも応用できると思うんですけど、
その話もすごい今日面白かったなと思って聞いていました。ありがとうございます。
うちのスタッフには必ず、その街の歴史を読めと言ってます。
そこから、歴史を知ることによって未来をつくることができる。
そうやからこれで終わりじゃなくて、未来をつくりましょうというのがありますね。
ちなみに、そういうのは徳島で学んだんですけど、そんなこともない徳島に行ったときに、
実はあそこの徳島という町は八塚家なんですね。
愛知県からいわゆる豊臣の後、江戸時代のところ八塚家が来てるんですよ。
ということは名古屋文化が結構近いんですよ。
なので結婚式の時が派手なんですよ。
で、もちまくとかね。
よく愛知の方面で結婚式が、今は最近は知りませんけど、
結婚式っていうのはよく僕らもすり込まれてたんですけど、ほんまに同じようなことをやってるのを見て、なるほどね。
だから国道沿いにゆい野の時に持っていくような布団とか家具とかの屋さんがまだあるんやとかいうのはあるんですよね。
そういうことがやっぱり歴史で大事かなという気がします。
ありがとうございます。我々もいつでも大阪に行きますので、ぜひ呼んでください。
案内しますよ。
チョケットの活動も引き続き注目していきたいと思っております。
はい、ありがとうございました。ということで、今回のゲストは南海伝説の寺田さんでした。
引き続きどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。ありがとうございました。