皆さんこんにちは、杉田麻里子と石川由加子です。
Good News for Citiesは、都市、建築、町づくりに関するさまざまなグッドニュースをザックバランに話す番組です。
では、今日のゲストは、ランドスケープアーキテクトであり、アーバンデザインセンター宇治でディレクターを務められている宮城俊作さんです。
宮城さんどうぞよろしくお願いします。
はい、今回はですね、地域コミュニティの拠り所としてのアーバンデザインセンターとはというテーマで、宮城さんとお話ししていきたいと思います。
はい、私たちがアーバンデザインセンター宇治の活動を、そもそも知ったきっかけとなったのが、2023年に開催されたアーバンサイエンスハッカソンだったんですけれども、今回はその話だけに留まらず、
アーバンデザインセンター宇治の活動そのものについて、ちょっと深掘ってお話しさせていただければと思っています。
アーバンデザインセンター自体、私たちも大宮だったりとか、結構柏の派だったり、いろいろなところでローカルでいろいろな活動をやられているなという認識があったんですけど、そもそもこの地域の中でアーバンデザインセンターという機能がどのように役割を果たしているのか、
そういえばこのポッドキャストでもまだ話したことがなかったなと思ったので、今回ぜひ宮城さんとともにその宇治での実践も踏まえて、アーバンデザインセンターについて解剖していけたらと思います。
ということで、まずはアーバンデザインセンター宇治について教えていただきたいんですけれども、そもそもこのアーバンデザインセンターのフォーマット、どういったフォーマットなのかというところと、宇治はどういうきっかけで立ち上がったのか、そんなところからお話をスタートできればと思います。
はい、アーバンデザインセンター宇治でディレクターを務めております宮城です。アーバンデザインセンターというものは今全国で確か26カ所あって、そのうち非常にアクティブに動いているのが24カ所ぐらいだというふうに、今年の4月の段階で確認はしております。
これはですね、たくさん街づくりの中間支援組織というものを大きく言えばそういうものだと思うんですけど、その中でこのアーバンデザインセンターという仕組みはですね、少し特殊なところがあって、それは何かというと、まず行政は必ず街づくりですので関わってくる。
それから民間、ですからよく言われる公民連携とか官民連携ってあるでしょう。この2つは必ず街づくりのそういった組織の時には出てきますよね。それに大学が入っているんですよ。必ず。
結局、官と民、あるいは官と民という言い方は我々はしていなくて、公と民ですね。公と民だけですと、やはりある地域を対象にして活動した時に必ず利害対立が起こったりすることがよくあるわけですよ。
その中にかなりニュートラルな立場で学が入り込むと。だから間を取り持つという言い方が正しいかどうかわかりませんけれども、少なくとも第三極があるということの意味をですね、積極的に生かしていこうというのがこのアーバンデザインセンターの取り組みだとお考えいただくのが一番わかりやすいかもしれませんね。
他のそういった中間支援組織、よくありますよね、まちづくり会社とか。そういったものとのちょっと違いがあるとすればそこだと思っています。
それともう一つですね、そのアーバンデザインセンター自体の仕組みはですね、ある意味で言うとそのレギュレーションが非常に緩いんです。つまり、こうでなければいけないということがガチガチに決まっているわけではなくて、それぞれやっぱり地域によって実情が、需要が違いますよね、まちづくりの場合。
なのでできるだけ緩い仕組みになっています。大事なことはですから、校と民と学が必ず揃っているということ。もう一つ大事なことは、全てのアーバンデザインセンターに当てはまっているわけではない、一部ちょっと例外もあるんですけど、フィジカルな活動拠点を持っているということ。つまり場所です。
なるほど。
その町の中で。これはこの3つぐらいじゃないですか、大事なことというのは。
ちなみに、持っている場所の規定とかルールみたいなものもないんですか?どういう場所?
特にないですね。専用でなくてもいいですし、ただ皆さんがインパーソンで集まるということの重要性、これはすごく大事にされてきていると思います。
全国で今26カ所あるという話だったんですけれども、アーバンデザインセンターそれぞれの地域でやられている、組織としてはそれぞれ別物として考えて大丈夫なんですかね。
このネットワークを共有しているという意味で、ただ実情はそれぞれが母体が異なるということで認識あっています。
そうです。それを取りまとめているアーバンデザインセンター、UDCですよね。UDCイニシアチブというのが別組織でまたあります。
そうなんですね。
つまり元締めということは良くないですよね。全体のコミュニケーションが円滑にいくように年に1回みんなで集まってということをやるんですね。
今年は、もう終わっちゃったかな。僕はアメリカに行ってたので出れなかったんですけど、UDC隅田という東京都の隅田区にあるところがホストになってそういうことをやってたはずです。
去年はそれがUDC新州でしたね。
いいですね。
さらにその前が神戸という、全国周り持ちでやってます。
めちゃくちゃいいですね。そうやって全国でいろんなナレッジを共有し合ったりとかネットワークの交換が、毎年そういった会が催されることであるということですね。
その会、とても面白そうだなと思って、入り込んでみたいなと。
UDCイニシアチブで検索されると出てきますので、そこにいろんなことが公表されていると思います。
ありがとうございます。
今回、宇治ということなんですけれども、宮城さんのそもそも宇治で活動されるきっかけ、ご出身が京都ということもあると思うんですけれども、
どうやって仲間を集めて、よしここでアーバンデザインセンターを立ち上げようと至ったきっかけ、原風景みたいなところをお伺いしてみたいです。
宇治は私が生まれて育った町です。
もう長く、30数年、デザイナーとして活動してまして、アーバンデザイナー、ランドスケープデザイナーとして。
実は地元のことには全く無頓着でした。ずっと長いこと。
それはいくつか理由があるんですけど、一つは、これは言っていいかどうか分からないですけど、私の実家のことご存知ですか?
え?
ご存知ない。京都におられればすぐ分かると思うんですけど、宇治で一番有名なお寺ってご存知ですよね。
なるほど。え?
それ実家なんですよ。
え?なるほど。
そうなるとね、宇治の町であのお寺の存在ってかなり大きいわけですよね。自分で言うの変ですけど。
平安時代から続いている町ですし、町とお寺が一体化しているという状態は、京都の他の地域とはちょっと違う特殊な事情があります。
そんな中で、私自身は東京で活動を長くしていたので、長く離れていたわけですよ。
ところがですね、この10年から15年くらいですかね、インバウンドの通勤率がすごく増えて、
我々は中宇治地域と言っていて、宇治の中の真ん中のところっていう意味なんですけど、
そこで人口で言うと1万5000人から2万人くらいしか夜間人口がないところに、年間500万も600万観光客が集中するという状況。
コロナの時だけは静かでした、当然。だけどその後もとんでもないことになっていますよ、今でも。
そうなりますとですね、町づくりが住んでいる人たち、暮らしている我々じゃない方に流れるんですよね。
どうしても観光という方向。これが果たしていいんだろうかということを思い始めたんですよ。
ある意味で言うと地元の自治体という宇治市ですけど、あまりそのことに対して意識を高く持って町づくりに取り組もうという、
あるいはそういう動きを起こそうという流れが全くなかったんですね。
そんな中で宇治に京都文教大学という私立の大学があります。
ここに総合社会学部というところがあって、そこで地域連携、町づくりの連携をするという活動を長くやっておられた先生がいらっしゃいまして、
今のアーバンデザインセンターの所長をやっている、宇治の所長をやっている森正美先生ですけど、
その方と僕はずっと疎遠だったんですけど、ちょっと問題点を共有した結果ですね、
コロナの始まる2年前かな、これちょっと考えなきゃいけないということで、
たまたま私と私の弟が宇治で空き家とか空き家の土地と建物を買い取ってリノベーションして、
テナントを入れるという活動を3年ぐらいその前にやってたから、
これと上手く組み合わせて、たまたま僕が東大にいたということと文教大に先生がいたということで、大学はこれで揃っていると。
宇治観光町づくり株式会社と今申し上げた空き家の土地を勝手にリノベーションしてテナントを入れるという会社もあって、
そこに行政がうまく入って、今言った3つのセクター、公セクター、民セクター、学セクターが出来上がったので、
組み立てとしてはこれが一番やりやすいということで始めました。
コロナ以降というかに始まった宇治の取り組みとして。
実際にはコロナの真っ最中から。
その前段になる部分が今申し上げた文教大の先生が長くやってたことと、
我々が空き家があまりにも目立ち始めたので、そこに地元の人が使うお店を入れるというコンセプト。
観光の方、相手じゃなくて。
あくまでそこに住んでいる人たちのためにっていう。
杉田さん、京都におられれば、当然宇治にもおいでになったことはあると思うんですけど、
もう本当に平田園からJR宇治駅から宇治川からというエリアって、本当観光地なんですよ、完全に。
だけどホテルが少ない、宿泊が少ないんですよ。
だから夜そういう人いなくなっちゃう。
この点は奈良とすごくよく似てるんですけど。
そうですね。
そうなってしまうとね、地元の人たちが夜過ごす場所もないし、あとやっぱり人口も減ってたし、
だからあまり観光の方にウェイトを置いたような街づくりをやっちゃダメなんじゃないのっていうことを思い始めたんですよね。
じゃあまずはその空き家を再生と言いますか、空き家を利活用していこうというところから始まったということで、
具体的には今どんな取り組みをしているんですか。
もうすでに4軒活動しているのと、実はアバンデザインセンター宇治の拠点になっている中宇治ベースという建物があるんですけど、
そこもそうです。そこも実は小さいホールがあって、ホールって空き家リノベしたんでそんな新しいものじゃないですけど、
小さいオフィスがあってシェアキッチンがあって、そこに実はクラフトビルのお店も入っています。
すごく綺麗になさった2階建ての、これは民家だったんですか。
酒屋さん、お酒の交流をしていたお店。
つくり酒屋ではなくてお酒の交流をやっていたところで、
こういうところって宇治みたいな古い街では店舗というよりもみんな配達なんですよね、お酒会計はみんな。
だから倉庫はすごく大きいんだけど店舗は小さいっていう。
そこがお商売をやめられたので、じゃあ借りますという手を挙げて、
民間都市開発推進機構のマネジメント型街づくりファンド、
民都機構と地元金融機関がつくったファンドを適用して流れ延べしてということです。
実はここの近くの策東館という陶芸教室によく行っているので、
徒歩圏内だなと思って、今度ぜひ遊びに行かせていただけたらなと思いました。
ぜひおいでください。
いろいろ情報を見させていただいていると、街庭っていう考え方があったりとか、
ウォーカブルな街づくりについての取り組みであったりとか、
それこそ私たちが今回声をかけさせていただいたきっかけとなったデータサイエンスのハッカソンであったりとか、
本当にいろんな活動されているかなと思うんですけれども、
オープンされてから今までで特に印象に残っている企画であったりとか、
イベントだったりとか、何かエピソードがあったらぜひ聞いてみたいなと思います。
ちょうどコロナの間というのは、今申し上げた観光客がパタッと来なくなったわけですよ。
本当に静かでした。
これは地元の人たちが実は街に実際に出て、うろうろ歩き回るということをやりやすくなったんですよね。
普段昼間でも街中がごったがわしています。
ある意味に賑わっているという言葉で言えばいいんだけど、
地元に住んでいる人たちにとっては、観光に直接関係していなければ迷惑をこのうえないという状況なわけですよ。
だけどその間、皆さんいろいろ歩き回られて、ちょうどそのときに活動の一番最初のアクティブになり始めた頃だったんですよね、我々は。
そのときに考えたのが今、街庭という言葉が出ていましたけど、
街の中にある本当にちょっとした小さいスペース、空き家も僕ら街庭と言っているし、路地も街庭と言っているし、
いろんな言い方があると思うんですけど、
それをネットワークして歩き回れるようにすれば、いろんなことが見えてくる。
皆さん注意を持って街のことを見ていただけるんじゃないかと。
たまたまですね、例は2年3年だったと思うんですけど、
国土交通省が官民連携街中再生水品事業という新しい事業を始めたんですね。
その1回目に応募をして補助金をもらう。
それを認めていただいたので、いわゆる街づくりのビジョンを作るというのが一つのプログラムになっていたんですよ。
そのビジョンの具体的に中宇治でやるならば、これというのがその街庭とそのネットワークというものでした。
これは宇治の街の成り立ち、歴史的な成り立ちを少し見ていただくと分かりやすいんですけど、
もともと平安時代に高級貴族の別荘地だったわけです、宇治って。
ちょうど今、終わりましたけど、光木美恵という大河ドラマの後半がほとんどそういう中身だったんですけど。
その領土院があってということですけどね、ストリートパターンがまだ残ってるんですよ。
中は完全に変わってますけど。
それとね、室町以降に起こったお茶の生産、それで出来上がった街並みが妙な角度で噛み合ってるので、
普通の、例えば京都の街中みたいに、よりグリッドパターンがはっきりしてるというわけではないんです。
グリッドパターンに妙な角度の道路が入っているので、今でも苗築りになる。
なんでこんなところにこんなオープンスペースあるのっていう。
あるいは建物を建てにくいから下手になって残ってる年とかね。
それから近代に入るまでは、街中に茶畑があったりするわけですよ。
そこが、もともとは高級貴族の別荘地だったところですけど、
それが虫食い状になってたりね。
それから、来ていただいて歩いていただくとわかるんだけど、微妙に街全体に勾配がついてるんです。
そうするとね、建物を建てようとするとフラットにしなきゃならないから、
ちょっと低い岩壁を建てたり、斜面を作ったりするんだけど、
そういう非常に面白い状況があちこちにポコポコ出てて、
なかなか他の街では見つかりにくい。
東京でいうとそうだな、渋谷の街で坂道と道路がこうなってるじゃないですか。
あの結果として、こんなところになんでこんなスペースあるんだろう?って出くわすことありますけど、
ちょっとそれに似たようなことが起こってますね。
だからそれがパブリックであろうが道路であろうが民間の土地であろうが、
お構いなしに我々は街にはいっちゃって、
これをネットワークしてるぞっていう、自分たちはみんな感覚的にはわかってたけど、
まとめて話してもらうとこういうことよねっていう。
これは外から来た人でないとなかなか見つけられないかもしれない。
ちょっと俯瞰してみるみたいな時点だと思うんですけど、
ネットワーク化したことで、あるいは可視化したことで見えてきたこととか、
変化が起こったっていうのは何かあるんですか?
先ほどそれはデータサイエンスの話で、
実際にスマートシューズ履いたり、スマートバイクで動いてみると、
意外と面白いところで人が泊まってたり、長いこと滞在してたり。
スマートシューズって人が歩くテンポまで全部データ化するんですよ。
だからスタスタスタスタ歩くところと、
ちょっとウロウロしてゆっくり歩くところとか、全部データになって出てくるんですよね。
面白い。
だから我々感覚的にはわかってても、
そういうふうに示されると、そういうことね、という。
それでやっぱり本当に魅力的な場所っていうのが見えてきた感じがします。
なるほど。
みんなはどこで歩みが緩むんですか?
やっぱりロージーがまっすぐ通ってないので、
ここの方にどうなってるんだろう。
行く先が見えたらまっすぐ外に行くじゃないですか。
だけどちょっとこうなってたり、クランクしてたりすると、
あとやっぱりちょっと先ほどの話が町にあって、
ちょっとしたスペースがほらってあったりすると、そこでスピード緩むんですよ。
ちょっと魅力的なお店があったりとか。
なるほど。
向こうの方に山が見えたりとか。
景色とか道の形とか、この海を見せてるかとか、
そういうとこが関係している。
それで面白いリサーチですね。
面白い。
私が同大に行ったときの収集論文で2つほどそういう論文が出てますけどね。
今のどうしてそういう中途半端な場所ができてきたのかとか、
その辺のことをちゃんと押さえた。
1つは確か学会の論文になってるので、誰でも見れると思います。
本当ですか。ちょっと調べてみます。
タイトルとかありますか、概要欄に付けられたら。
たぶん宇治で、建築学会だったかな。
中宇治っていうのと、文化的景観ぐらいで検索するといくつか出てくると思いますけど。
宮城さんのWikipediaのページにもたくさん著作であったりとか、
これまでの参考文献みたいなのがむちゃくちゃ載っているので、参考になるかなと思いました。
話が室町時代とかに遡ったのがすごい面白いなと思って身を乗り出して聞いていたんですけど、
さすが宮城さんはランドスケープデザイナーとしてのデザイナーとしての顔があり、
風景だったりとかその土地全体の奥ゆかさみたいなところを見ながらこういったストリートレベルでの活動をしているんだなっていうのを
面白く思いながら聞いていました。今私まさにアースダイバー、中澤真一さんの結構有名な本だと思うんですけど、
読んでいて、東京で縄文地図と一緒に東京を歩くみたいな話だと思うんですけど、
なんかこう不思議にここがまっすぐになってないとか、なんか不思議なスペースが登場するとか不思議な工程差があったりとか、
あと感覚的にちょっとここなんか不思議みたいなところをひも解いていくとそこにはやっぱり歴史がある。
その脈々と昔から続いてきた流れが文脈があるっていうところがやっぱりすごい面白いなと思っていて、
宇治を考えるには室町、さらにそれより前に戻って考えると見えてくる景色っていうのがすごい、
宇治だけに限らず私たちが住んでいる町にはあるんだなっていうのを改めて感じてすごいワクワクしました。
ですから、あまりこう計画的に、実際計画的には作られている町なんですけど、あまりにも時間が長かったということがあって、
それともう一つは近代に入ってから徹底的に開発され尽くすっていうこともなかったもので、
微妙な時代のレイヤーの重なりがそのまま半ば生のような状態で出てきているのかもしれませんね。
なるほど。逆に今まで徹底的に開発され尽くされていないってお話だったと思うんですけど、
今まさにインバウンドもすごい多くて、どの町もやはり変化はしていると思うんですけれども、
こうあっちゃいけないというよりも、こうあって欲しいな、みたいな未来の姿であったりとか、開発への提案みたいなのっていうのは、
アーバンデザインセンターとしても出されているんですか?
議論していることはあって、実は今、これからおそらく去年、今年、それから次の2年間ぐらいは、
かなり我々の活動もそうですし、町全体にとってもかなりクリティカルなことが起こりそうなんですね。
これは何かというと、今おっしゃったように、とにかくインバウンドの人が多すぎて、
大罰リズムっていう言葉使われますよね、よくね。
よく言われるのは、ゴミが散乱するとか、例えば京都だったら市民の足であるはずの地下鉄やバスに市民が、生活者が乗れなくて、
全部観光の人たちに占拠されちゃってるとかね。よくあるじゃないですか、そういう話。
あるいはもう交通渋滞がすごいとか。
それってだけど、僕は大罰リズムの極めて悲壮的な話で、もっと目に見え始めてるんですけどね、今。
やっぱり不動産の取引がすごく不健全だということ、異常な価格がついているということですよ。
町中に普通の人が住めなくなっているという状況が起こってますよね。
それからもう一つ、やっぱり就労構造が非常にいびつになるというか、特に若い人。
これは長期的にいろいろ大引いて問題を起こすんじゃないか。
それをですね、少し考え方を変えた方がいいんじゃないか。
つまり人を外からただ単にたくさん呼び込めばいいって話ではなくなるべきだっていう言い方かな。
何かというとね、結局観光の人にとって一番魅力、今の観光客にとって一番魅力のあるのって、やっぱり町自体だと思うんですよ。
例えば有名なお寺があるとかね、美味しいものがあるとか、美しい景色があるとか。
仲間の場合全部揃ってるんですけど、そういう意味で言うと。お茶も含めて。
だけどそこに暮らしてる人たちの姿みたいなものが観光の対象になるっていう時代がもう来るんじゃないかっていう。
だからちゃんとそこに住んでる人たちは幸せそうな顔して暮らしてると。
いろんな世代の人たちが。それがないともうダメなんじゃないかなと。
今のお話の中で、若者の就労構造が問題になってくるって話がもう少し詳しく聞きたいなと思ったんですけど。
観光業のところに全部シフトしていっちゃってる。
観光に直接関係ないところに若い人が受け入れられちゃってるって問題ですよ、地元だと。
京都だと宿泊医療の人材不足がはなはなしいので。
今の話で思い返していたんですけど、私たち去年ぐらいに神戸市の観光局のお仕事で神戸何週間か滞在させていただいていた時期があって、
その時にある夜のエピソードなんですけど、その日閉店のバーに座って話をしていたら、
その隣に知らない男性が、年配の方がそばにあっていて、観光の話になったんですね。
後々その方も建築家で、こういう話、ディスカッションとかよく考えることが多いっていうことを知ったんですけど、
その時私たちも本当知らない人で、でもそのお話がまさに今話していた内容と重複する、
被る部分があるなと思って聞いていて、観光のための街を作ってはいけないと。
そこに暮らしている人自体が笑ってたりとか幸せだったりとか充足して、
暮らしのための街をみんなめがけてくる、それがむしろ楽しいというか、そこからの学びを持ち帰るっていうのが本来観光のあるべきであり、
そのためにテーマパークのように街を作ってしまうっていうのは違うよねっていう話だったんですよね。
私も今京都に住んでいるので、いろいろマスツーリズムのいろいろ考えることはもちろんあるんですけど、
やっぱり暮らしなんだなっていうところを改めて思ったのと、
それをその視点で中宇治というか宇治アーバンセンターの活動を改めて見返していると、
なるほどそういうことなんだなっていうのが何となくすっと気に落ちました。ありがとうございます。
今おっしゃったように、観光のための街づくりをやっているところが今でもほとんど、
今でも地方都市はそうだと思うんですよ。人口が減る中で、
高齢人口を増やさなきゃいけないから、その一番手っ取り早いのが観光でしょ。
だからどうやって観光客にたくさん来てもらうかということを中心に街づくりを考えちゃうんだけど、
それは逆で、だから街づくりのための観光という、
視覚をひっくり返すという、そういう状態に持っていかなきゃいけないんじゃないかなと。
そのために我々が中宇治でやることっていうのは、
要するに暮らせる街にしなきゃいけないと。一番決定的に足りないのが住宅です。
JRの奈良線が複線化して、今すごく便利になっているんですね。
京都まで片道、各駅停車場に10分、快速電車で15分なんですよ。
それから高速道路のネットワークが非常に発達しているので、京都の南の方は。
車でのモビリティもすごく高いんです。
その一方で、歴史的な環境があって、自然環境が非常に豊かで、
暮らすにはぴったりなところなんですよね。ところが住宅の供給が追いついていない。
これどう改善するかというのが、実は次の我々のテーマなんです。
そのためのプロジェクトを仕掛けていて、地元の自治体と一緒に。
それが多分来年さらにあたりに形が見えてくるようになるかなというところです。
これも当然公民連携でありますけど。
こういった活動に我々のリスナーも興味がある方はすごく多いんじゃないかなと思うんですが、
このアーバンデザインセンターの取り組みに参画するとか、そういった機会というのはどのようにアプローチすればいいんでしょうか。
いろんな掲げ方があると思うんですけど、
アーバンデザインセンターのホームページを見ていただくと分かるんですけど、
学セクターの人たち、私も含めて、ほぼみなさん設計事務所を持っているんですよ。
だからこれの他のアーバンデザインセンターの仕組みとちょっと違うところで、
非常に機動力があって、民間のちょっとした仕事でも、
例えばここをこういう形でリノベーションしたいとか、ここにこういうものを建てたいとかいう話があったら、
すぐに対応できるっていう。
直接設計するということだけではなくて、行政との間のやり取りにも入っていけるし。
実務家の集団なので、そこが大学の先生、学者さんがやっている町づくりの仕組みとは若干違うところかな。
動けるってところですね。動いて形にできるぞという。
そうですね。あとは民間の方の町づくり会社の方は地元の不動産のネットワークの中にうまく入り込んでいるので、
そういった物件が出てきたときに、わりと早く情報が得られて、
それから逆に我々が直接やらなくても、テナントリーシングも含めてコンサルテーションもできますと。
今もまだ続いているかもしれませんけど、経済産業省の授業再構築補助金授業っていうのが過去2、3年ほどあったと思うんですけど、
あれも4件ぐらいコンサルテーションしましたね。
地元の小さい商店主さんとかね、例えば経済産業省に補助金申請するなんてやったことないわけですよ。
だから申請書のうまい書き方とかですね。その辺もちょっとお手伝いしたりということもやってますね。
関係機関との関係も当然必要になってきますけどね。融資が発生するので必ず。
それは地元に欲しい機能ですね、存在です。
これもですから、みなさん地元だからはやれるっていう感じかな。
これ外から来てやろうと思ってもなかなかできないですよね。
というのはなぜですか。
僕もそうですよ。私の今の森先生もそうだし、それからもう一人ディレクターがいて、
彼らなんかはもうずっと地元でJCの若い時からJCの活動をやってて、
いろんなそういった地元の方々とか金融機関とのつながりが出来上がってたり。
関係性があるっていうことですね。
ローカルなプレイヤーが中心になっているってことが大事ですよね。
そうですね。そこ出身であるなしに関わらずそこに関係性があり、そこに思いがあり、
その地元で実践をしていく人たちがいるからこそできる取り組みっていうことですよね。
ありがとうございます。なんかアーバンデザインセンターという、今までも私たちももちろん知り合いとかも全国で何回か会ったこととか、
実際に足を運んだこととかもあるんですけど、その実態だったりとか、具体的にどんなことをしているのかみたいなところ。
詳しく聞くケースは今回の宇治が初めてだったので、すごい面白かったです。
ただね、ちょっと我々はUDCの今言った26カ所ある中では極めて特例中の特例だと思います。
自分で言うのもいいんですけど、結局ほとんどのケースは行政がかなり強く関与しているんですよ。
だから行政ができないところをカバーするっていうのがUDCっていうような立ち位置がずっと続いてました。
ただ我々はもう完全に、民と学が完全にリードして、行政はそれをサポートするっていう、ちょっと完全に逆転してるケース。
これはですからプレイヤーの違いかな。