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2024-03-26 32:56

【#134】全国の「銀座」を巡った、現代アーティスト遠藤薫さんに聞く銀座の魅力

銀座のまちとの接続点 “インターフェース”を探る、Sony Park Miniとのコラボポッドキャスト第四弾。今回は現代アーティストの遠藤薫さんをゲストにお迎えしました。なぜ全国に銀座という地名が存在するのかという疑問から、47都道府県の「銀座」を巡る旅に出た遠藤さんに聞く銀座話しは、新しい学びがたくさんありました!


◉ トピック

  • 自己紹介
  • 銀座との出会い
  • 日本各地に存在する銀座という地名を巡る旅
  • 石巻銀座の印象に残っているエピソード
  • まち歩き
  • 遠藤さんの考える銀座を形づくる要素
  • 何かについて調べると必ず銀座に行き着く
  • ヒトとモノが交差する場所銀座


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00:10
みなさんこんにちは、杉田まりこと石川由加子です。
Good News for Citiesは、都市・建築・町づくりに関する様々なグッドニュースを、ザックバランに話す番組です。
今回は、ソニーパークミニとGood News for Citiesのコラボのポッドキャストの第4弾ということで、
アーティストの遠藤薫さんをお呼びしてお話を伺っていきます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、それではまず最初に遠藤さんのこれまでのご活動だったり、今何をなされているのかお伺いしてもよろしいでしょうか。
はい、今は現代美術の領域で作品発表をさせていただいています、作家の遠藤です。
もともとは、大学の頃の専攻が沖縄の染織ですかね、
藍染めとか、旗織りとか、そういうちょっとプリミティブな技法を使った古典的な作品をずっと作ってたんですけども、
工芸展出していく上で、そういうセオリー通りに作品を見せることがなかなか難しくて、私の性質上。
物の背後にある歴史だとか、この素材はどこから来たのかっていうことを人に見せたいっていう思いが強くなって、
そういった場合にインスタレーション、現代美術における空間芸術っていう方に見せたいものを見せる方がより伝わるなっていうことが、
たまたま美術のキュレーターさんに声をかけていただいて、見せる機会が増えていき、今はインスタレーションという形で美術作家を続けております。
私たち、実は神戸でもお会いしていて、今回会うの3回目なんですよね。
3回目。
遭遇も含めて。
2023年の3月間、リパブリックアート神戸っていうアートプロジェクトで呼んでいただいて、その時にお会いしたことを覚えております。
まさか銀座で再会できるのかっていうことですごい嬉しいです。
前回のね、あの森岡書店の森岡さんから銀座をこれから考えるならこの方も面白いんじゃないかっていう風にご紹介いただいて、
また再会したんですけど、そのきっかけとなったこの銀座の活動というか、作品というか、それについてもちょっとお話をお伺いしたいなと思うんですけど、銀座はどういう出会いだったんですか。
03:04
最初はベトナムに住んでいた頃ですかね。
もう2019年とか18年とかあたりにベトナムで作品を作り始めて、発表の場をどうしようかと思ったときに、ちょうど資生堂ギャラリー、日本で現存する最古のギャラリーとしての資生堂ギャラリーさんが100周年を迎えるという時期が2019年だったんですね。
私は歴史が好きなので、工芸の作家の歴史とか昔調べてると、どうやら皆さん資生堂ギャラリーで展示している人が多いんです。
つまり美術だけじゃなくて工芸も資生堂さんは展示していると。すごく重要な場所だったんですよね。
人間運動にも関わっていますし、なのでそんな100周年の資生堂ギャラリーさんで、工芸の展示としてだけれどもインスタレーションとして美術的な手つきでその場で見せることができたら伝わるものがたくさんあるんじゃないかってベトナムから考えてアプライを送ったんですよ。
こういう作品を展示したいですって言ったら受かって、それでグランプリいただいたんですけど、その際に何度か銀座に滞在することがあって、銀座の街ってやっぱり歴史的に面白いなと思って。
それで街歩きするようになり、街歩きとかレジデンスとかって私の中ですごいしっくりくるのは、やっぱりその土地にあるもので作るからその土地の工芸性というものが生まれて、やっぱり歴史背景、政治的な背景とか全て含まれているという感覚があるので、
そういうのをひっくるめて、資生堂、銀座を歩きをし始めて街歩きがどんどん楽しくなってみたいな、そういう感じで作品を作り始めたんですよ。
で、そういえば銀座って全国に名前つくところあるけど、それってどういうことなんだろうみたいな疑問がもよつく。
ね、実はあれ、そういえばそうだけど理由知らないなっていう感じですよね。
銀座を歩いてても、いわゆる東京って地方の人たちが集まって作った場所だみたいな言い方もされるし、もちろん地元の方もいるんですけど、
特に銀座が全国のアンテナショップ、地方アンテナショップが一番集まっているエリアでもあり、新聞社がたくさんあって、地方性が一番強い、東京の中でも一番強い場所なんじゃないかなって思ってて、
06:03
それと同時に地方にも銀座って名前散らばってるから、なんかその構造がすごい気になったんですよ、どういうことなんだろう。
で、私はとある決意をしまして、46道府県にある銀座と名のつく街を全部回りながら、
日本全国の近代的な歴史、銀座って言うと近代的なイメージあるじゃないですか、歴史を学ぶ旅をしようと。
そういう若がみがないと、なかなかいけないじゃないですか。だからもう決めちゃって、じゃあ回っちゃおうみたいな。
始めちゃったんですよ。回っちゃったんですよ。
それがすごいよね。
それがいつのことですか?
それが2000年、コロナが始まった後に。
じゃあ19年ぐらいか。
でもベトナムからその時帰ってきて。
そうですそうです。
ちょうど帰れなくなっちゃったみたいな。
なるほどね。
で、日本を、寒酸とした日本をぐるぐる回るみたいな旅が始まる。
銀座エッセンスを全国に求めて。
そうなんです。銀の鋳造所、跡地が銀座にあるの分かります?
あ、行ってた、貨幣のところかな。
それ今ティファニーの前なんですけど。
あそこが元々銀の鋳造所で、だから銀座って名前になった。
調べていくとどうやら銀座と金座と銅座っていうものがあって、金座銀座銅座とかもあるんですよ。
それで、東京銀座っていうものが一番最初なのかなと思ったら、
どうやら京都とか大阪とか新潟にもあって、
本当に銀の鋳造場場所だったっていう意味で銀座って名前がついてるところもあるし、
東京銀座の銀座的なるもの、都会的なるものとか、かっこいいみたいなイメージであやかってつけるっていう人たちはもちろんいて、
あるいは、町の中で一番の目抜き通りだから銀座的な立ち位置だよね、この道はって言い合いがつけられたり、
銀行がたくさん立ち並んでるから銀座ってつけたら分かりやすいんじゃないとか、
あとは、物がたくさん集まっている様を銀座っていう風に形容したりするらしいので、
船がいっぱいあったらなんとか船がいっぱいある銀座みたいな言い方したり、
全国でたくさん銀座あるんですよね、
09:01
都道府県に1個とかに限らず本当にたくさん銀座ってあるんですけど、ない県はもちろんあって、
福島になくて、コーヒーショップ銀座とかいうレベルもないんですよ、調べたんですけど、
もしかしたらあったかもしれないけど、その時はなくて。
ちなみにどういう経路で何ヶ月くらいかけて回ったんですか?
それがコロナ禍なんで、回り始めてコロナが始まっちゃったんで、一旦中断しながら様子を見て、
2年くらいかけて無理のないように、先方にも迷惑かけないようにゆっくり回ってました。
印象的だったエピソードとか場所ってありますか、いろいろ回っていく中で。
これ言うと全部面白かったんですけど、逆に何県出身ですか?
出身宮城県です。
宮城面白かったですか?
私は東京なので。
じゃあ宮城県の話します。宮城って言うと石巻ですよね。
そうなのかな。
石巻ありますよね。
ありますあります。
私石巻の銀座に行きました。
えー面白い。
石巻銀座、それとも銀座だけなんですか?
石巻銀座、銀座通り。
銀座通り。
えー。
銀座通りの裏手に電気屋さんがあって、アートスペースとかもあって、
その電気屋さんの2階に私泊めてもらって、その方にお話聞いてたんですよ。
ていうのも元々銀座通りにあったんだと。
だけど裏手に越してきた理由は地震で。
津波がもうここまで来たんだよと。
人が、浸水が2メートルくらいあって。
それで、当時自分の電気屋さんがどれだけ破壊されたかって写真とか見せてくれて、
彼が写真を撮るのが趣味だから写真いっぱい見せてくれるんですけど、
その写真の中に港の写真がたくさんあったんですよ。
もう港をもう全部シャッフルして、本当に洗濯機の中じゃないけど、
こんなところに車乗るんだみたいな。
だけど、そんなぐちゃぐちゃのカオスの中に桜の木がドーンと生えてて、
花がいつも通り咲くんですよね。
それを彼が撮ってて、
そういうのをずっと2人で見てたんです。
そしたら、君こういうの好きなん違うかって言って、
プレートを渡してくれたんです。
それが港の待合所の屋根の一部で、
そうやって壊れた港をぐるぐるしてたら拾ったものがある。
それがいつも使ってた屋根の一部だって分かって、
12:04
これあげるよって。
これは石巻で撮れるオガツ石っていう石だった。
この石のこと知ってる?って聞かれて。
で、私知らないですって。見たことあるけど。
黒い薄いスレート石分かります?
なんか最近おしゃれなお皿とかになってた。
スプラトゥーンのやつですね。
一応その石は石巻の原産だから、
みんなこうスレート石を掘って、
プレートにして重ねて置いてるんですよ。
それが波にさらわれて、そういうものも全部流されたと。
だけど、震災の後に泥の中からみんな拾ったんだよね。
それで、その拾ったオガツ石のプレートたちは
どこに行ったかっていうと、
今の東京駅の屋根になってる。
オガツ石っていう石は近代建築の屋根に
特によく使われてたもので、銅板とかもありますけど、
石の場合はオガツ石が多いんですね。
東京駅は実はもう戦争が始まる前、
東京大震災、関東大震災1923年の震災のあたりから
屋根が壊れたままになってて、
戦争中も壊れたままになっていた一部があって、
その一部を震災の後に拾って、
送ったスレート石で今、補修されてる。
そのエピソードで私が思ったのは、
もののすごいダイナミックな移動の感じ。
そうやって補い合ってる感じとか、
すごい多重に感じられて、
そのことを文章に書いて、
そんなようなエピソードを、
特にオチとかがあるわけじゃないんですけど、
そういうエピソードをただひたすら。
宮城の銀座ではそういう物語に出会ったっていうことなんですね。
そういう46編をまとめた本を、
販売させてもらってたんです。
面白い。
他にも聞いてみたい都道府県もあるんですけど、
他にもまだたくさん今日話したいと思うとか、
一緒に歩いた町歩きの話とかもしたいなと思っていて、
今日スニーパークミニでそれこそ集合をして、
1時間くらいですかね、
デートスポットとか一緒に歩いて。
1000円で楽しむ銀座のデートスポットを教えてもらった。
15:06
意外とお高いイメージがあるような気がするんですけど、
昔からあるお店は値段をほとんど買えずにされてたりするんで、
意外と銀ブラは手頃で楽しめますよっていう話をして、
青汁飲みましたよね。
青汁飲みましたね。種ももらいましたね。
青汁スタンドの話をぜひ。
青汁確か70年代くらいじゃないかな、青汁スタンドができたのが。
銀座1丁目の方ですね。
1丁目の方ですよね。
そこはいいですよ。
新橋とかサラリーマンが働く場所では、
そういうジュース屋さんが栄えるというか健康ドリンク。
遠藤青汁スタンドって名前でしたね。
レンガのちっちゃなたたつまいに入ると、
カウンターとちょっとした椅子があって、
1杯4,500円くらいでめっちゃ甘かったですね。
甘い汁。
砂糖入ってないのにすごい自然で甘い。
ケール100%で飲みやすさ。
こんな飲みやすい青汁初めて飲みました。
見かけたら絶対飲みます。
この種もこれは裏メニューなんですよね。
あんまり言い過ぎるとあれかもしれないんですけど、
裏メニューとしてぜひ聞いてる皆さんにはゲットしていただきたい。
遠藤青汁飲んだ後に、ケールの種、
遠藤青汁のケールの種くださいって言うと、
種が出現します。
それを銀座中に巻きたい。
土地があれば全部土団子にして投げて。
これを育てたいですよね。
結構人に配っちゃうんで、自分で育てたことなくて。
それぞれ一袋ずつもらったので、ぜひ育てましょう。
早速会場にシャーレとかあるんで、
出汁麺作って。
後でやりましょう。
じゃあ誰が一番元気なケールを育てられるか大会しましょう。
青汁行って、あとどこ行ったっけ。
せんびき屋ができましたね。
私、包み紙集めるのが好きで。
この前にもたくさん包み紙があります。
これ全部銀座で集めてきた包み紙ですか。
そうですね、銀座通りで。
これ分かります?三越。
三越分かりやすいですよね。
これ今もこの袋?
今もこれです。
これ井上玄一郎さんっていう方が書いている柄で、
18:01
柳瀬隆さんがこれを編集している。
超豪華じゃないですか。
面白い。他は何があるんですか。
京都の銀座通りの果物屋。
京都の銀座通りってどこなんだろう。
それも本当に一番古い銀座通りで、
銀座っていう石塔が建っているんですけど、
ここ銀座らしいですよねって元銀座通りの果物屋さんに訪ねると、
そんなものないよって言われて。
いや、あります。そんなの聞いたことないよって言われて。
キツネにつままれたみたいな感じになりながら。
そんなに古いところなら皆さん知っててもって感じですけど。
こうやって忘れ去られちゃうんだなみたいなことが。
あとは、
これ気になりました。
これ本当だ。
これは矢野さんだったかな。
資生堂?
資生堂の衣装部の人がこうやって包み紙をデザインするんですけど、
このタイミングは1971年とかかな。
矢野さんって方が描いた。
綾名文雄とかいっぱいいるんですけど、デザイナーが。
金和次郎の弟さんとか、金淳三さんとかも衣装部で携わってたりするんですが。
めっちゃかわいい。
そうなんです。これは熊田地下坊って採蜜が、
動植物の採蜜が描く人で有名な、たぶん絵本作家の師匠みたいな感じの人で、
この方は森岡書店のある鈴木ビルで絵を描いてた人です。
かわいい。
まさに銀座って感じの人物なんですけど、
これは長崎でたまたま見つけたものですね。
私が長崎の色っていうのは赤と緑だねみたいな話をしてたら、
してる先に、友達の車の中でその話をしてたんですよ。
わからん文化ってわかりますか?
和風のワニ、中華のカニ、オランダのわからん文化っていう文化があって、
そのイメージカラーがこういうカラーなんですよね。
町のそこそこが文化が混ざり合ったような、
緑と赤の色が目にたまるので。
例えば三菱重工のクレーンでもそんな風に見えてくる。
赤と緑と白があって。
それで言うとったら、
言うてる時の車の、友達の車の車内のポケットにこれが入ってて、
めっちゃこの感じよねって言って調べると、
21:04
どうやら、
すみません、名前出てこないな。
写真家の人で、
あ、アラーキ。
アラーキさんの有名な奥さんの写真とか撮ってるとかの写真にも、
ちょうどこういう放送紙が使われてててきて、
私こういう放送紙があると、
これおばあちゃんが集めてた放送紙なんですけど、
捨てれないんですよね。
今日もね、線引き屋で。
そうなんで。
新しいのをゲットして。
かわいい。
これも綺麗な放送紙ですね。
この線引き屋の放送紙も美しいんですけど、
これが線引き屋の放送紙です。
そうなんだ、さっき言ってた。
渋い。
千恵子さんが。
そうですよ、高村幸太郎の奥さんの千恵子さんも、
線引き屋の放送紙を使って、
品川の病院に入院されて、
最後亡くなられるまで、
ずっと切り絵をされてたんですね。
ありもののそういった包み紙で、
持ってきてくれたお土産の形をして、
果物の形とか自分で切って、
そうやって最後まで、
マティスみたいに、
体が動かなくなった後も制作を続けていた。
彼女のそういった行為に、
すごい最近は関心があって、
ずっと定点とかに、
彼女の作品は入らなかったんですよね。
高村幸太郎は絵を描いたらいいんじゃないって言って、
千恵子も頑張って描くんですけど、
本当に難しくて、
最後は、
いわゆる手芸とも趣味ともつかない表現で、
ありもので作品を作るんですけど、
そうやってでも創作をやめないこととか、
いわゆるマテリアルのヒエラルキーの問題も
そこに含まれていると思いますし、
そういう手つきについて、
ちょうどこの展覧会会場で、
お話ししていたところだったんですよ。
こういったものを使って作品を作るのはどうか。
それで毎日食べる卵の殻とか全部取っているんです。
ここにあって。
24:01
今ね、ちょっと皆さんにはまだお伝えしていなかったんですけど、
今銀座の街を回った後、
千恵子さんが数日前から展覧会会場としている
神保町の美学校のパーラっていうギャラリーで、
遠藤さんの展示の空間の中で、
インストレーションの中で収録している状況です。
今手元にこういう放送紙があったり、
今おっしゃってた千恵子さんのアーカイブの記録があったり、
本当に目の前いろんなところから集められた。
そうですね。街歩きして集めてきた材料たち、
拾ってきたものたちで、
今会場にとにかく並べているだけなんですけど、
この展覧会は作品になる前の状態のものたちを
どうやって作品として立ち上がらせるかみたいな場作りの場なんですね。
毎日ゲストの方がいらっしゃって、
毎日作品の構想を練っているという企画になっています。
私たちもいろいろ銀座について考えている中で、
さっき何々銀座みたいなもの、
いろんな言われがあったりパターンがあるっていう話があったと思うんですけど、
その中でも遠藤さんが思う銀座的なるものとか銀座のコアみたいなところで、
地方にその名前として、
メタファーとして表彰された時にも残っているエッセンスとか、
なんか要素っていうのが何なのかなっていうのも
ちょっと聞いてみたいと思いました。
本当に一つ何か拾うだけで、
どんどん歴史につながっていくんです、銀座のことが。
あるいは近代の画家のことを調べると、
必ず銀座が出てくるので、
例えば月光草という絵の具屋さんのことを話すと、
さっき言った三越の包み紙のデザイナーの方は、
月光草の絵の具をよく使っていて、
上野駅の犬熊さんの絵とかも月光草の絵の具が使われているだとか、
サロン的な役割をしていたのも月光草さんで、
文字もよさのあき子が書いていて、
マークも芥川龍之介が書いているだとか、
どんどんつながっていくんですよね。
藤田嗣晴につながっていったり、
もちろん藤田さんも銀座ルパンに出入りされていたりだとか、
そうやって線引き屋の包み紙って言っても、
千恵子のことも思い出すし、
もう一人は寺田寅彦さんとか、
そうやってどんどんつながっていくんですよ。
27:01
今でも高縄画廊という画廊では、
三岸光太郎のご子息さんがギャラリーを営んでいて、
三岸さんの時計が今でも動いている。
三岸さんの本を読むと三岸さんには銀座がなくてはならなかった。
あるいは当時の人たちはみんなすごく大事に、
銀座がなくしてはならないみたいなところがあったと思うんですよね。
そうやってものとか新しい知識とか人とかが集まって、
目に見えるものも見えないものも全部交差していくような場所だなと思っていて、
その交差するあんな場所で、
大きな通りにずどーんって、
何にもない空間がまっすぐ続いているじゃないですか。
あれも、
そういう街づくりのデザインを福井藩市の百合清雅さんがされたわけなんですけど、
ああいう在り方をずっと人が大事にして、
人の思いみたいなものが、
ものも行き勝っているんだけれど、
あの空間の上で見えないものが行き勝っているみたいな。
あの通りのズバーンと感が、
ズバーンと感がすごい重要だと思っているんですよ。
海とか山とかに近いです、感覚として。
街だというよりかは、東京タワーとか、
東京タワーも最近山みたいに感じたりするんですよね。
ああいう大きな建造物がある、
大きな空間がずどーんとあるだけで、
すごい場の空気が変わるというか、
流れが変わるというか。
なんかすごい光って見えるくらい、
すごいあの空間が、私銀座の良さだなっていつも。
確かに言われてみると、あそこに出た瞬間、
なんかちょっと空気変わるというか、
ちょっと、あ、来たなとか。
銀座に来たなというか。
あれって他の街にもありますか?
それぞれなんか特性ありますけど、
銀座らしさって言われると、
なんかあの空間のような気がするんですよね。
今も昔も変わらない人々の憧れの思いとか、
そういうのがギュッと詰まっている。
そして輝いているっていう。
30:00
でもなんか今回お話聞いて面白かったのが、
なんか今まで私にとって銀座って東京のこの場所にある、
この区画のある場所みたいなイメージだったんだけど、
なんかそのアイディアとしての銀座みたいな、
それこそなんか世界中、
日本だけじゃなくてもしかしたら世界の他の街でも銀座なんちゃらとか、
お店としてもあるかもしれないし。
コンセプトとしての銀座なるものみたいなもの。
それに対するみんなの憧れだったりとか、
そこから新しく生まれるデザインとか、
なんか活動ってすごい面白いなと思って。
私も京都の銀座町っていうのを全然知らなかったから、
面白いなと思いすぎて。
地元の人すらね。
そうなんですよね。
なんか佐賀の銀座通りにも行ったんですけど、
そこは本当に、
銀座っていう髪の毛切る場所、男屋さんしかなくて、
そこに行って、髪の毛切ってくださいって言ってたんですよ。
女の子の髪の毛切らないんだけどって。
男屋みたいな。
でもなんとかならないんです。
すぐに説明するの?
なんか銀座回ってるんですよ。
面白そうだねって。
特別だよって聞いてくれて、
あれですかって言って、
なんで銀座って名前つけたんですかって。
いや、親がつけたんだよねって。
じゃあお父さんは銀座行ったことあるんですかって聞いたら、
いや、東京なんて行ったことないよみたいな感じ。
でも憧れの気持ちがやっぱり親父にもあったんじゃないかなみたいな。
いいですね。
憧れの場所。
もうちょっと考えてみたいな、これからと思ったら。
引きつける、なんとなく山っぽいとか東京ふたわっぽいって、
やっぱり流れを変えるの大きなムードっていうのはここにあって、
それはクリアに表現できないけどなんかあるっていうのを私たちも今回感じたので、
それがどういうものがみんなを引きつけてる要素なのかっていうのも
何かこのシリーズを通じて私たちも解像度を上げていきたいなっていうのを改めて思いました。
ありがとうございました。
また遊びましょう。
ありがとうございます。
デートしましょう。
今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
グッドニュースフォーシティーズでは毎週新しいエピソードを配信しています。
次回もお楽しみに。
32:56

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