00:10
みなさんこんにちは、杉田まりこと石川由加子です。
Good News for Citiesは、都市・建築・街づくりに関する様々なグッドニュースをザックバランに話す番組です。
はい、ということで、今回、Four Citiesの大阪の活動報告会と忘年会というところで、私たち今、β本町橋という場所に来ています。
今回は、私であまり大阪のことを知らないとか、このβ本町橋のこととかを、仕掛け人の方にお聞きしていきたいと思います。
ゲストに、一般社団法人・水辺ラボ代表理事の杉本陽子さん、まさにこのβ本町橋を作った方です。
もう一方、大阪の街づくり、全国の街づくりを研究されている、大阪公立大学純教授の竹田茂明さんにお越しいただきました。
お二人は夫婦ということもあって、また違うベクトルから、大阪の街だったり、水と街の関係とか水辺の活用みたいなことを、今日お伺いしていければと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっと簡単にお二人の自己紹介と、この場所についてもお伺いできればと思います。
じゃあ私から。
一般社団法人水辺ラボという地域の方と一緒に作っている街づくり団体で、ここのβ本町橋という場所を運営しています。
たぶん、さっきフォースティーブさんの活動報告で、何をしているかよくわからないとおっしゃられていて、それが良さだとおっしゃられていて、
ここも結構まさにそんな施設でして、何しているのとか、どんな場所なのかパッとしてわからない場所なんですけど、
たまに、あ、そうって理解してもらえるのが、民設民営のハイブリッド公民館という説明をすると、なんとなく理解をしてもらえる。
そういう施設になっています。
自己紹介を。
私はですね、もともとは、出身は神奈川県の藤沢市というところで、全然大阪の人じゃないんですけど、
大学から大阪に来て、街のことを研究したり、仕事でしているうちに、
今に至って、今はもう大阪の人みたいな顔をして、ずっと街と一緒に街づくりのことを仕事でやっています。
ありがとうございます。
大阪公立大学の武田です。
皆さん、こんばんは。
専門は、陸地計画、ランドスケープデザイン、ランドスケープアーキテクチャというのを専門にしています。
03:00
ここも実は公園、都市公園なんですけど、
街の中の公園、緑とか水とかそういうものが、私たちの暮らしにどうやったら結びついて豊かな暮らしになっていくかっていう、
そこでの人々の暮らしとパブリックスペースの在り方みたいなのをつなげて研究したり、
学生と一緒にいろいろとリサーチしたりしています。
ベータフォン町橋には直接関係がないんですけど、
子どもと一緒に来たり、ヘビーユーザーとして利用しているというような感じで、
家もそんなに遠くはないので、家族ぐるみでお世話になっているという感じです。
ありがとうございます。
そもそもどうしてこの場所を作ろうと思ったのかという経緯とか、
この川の話もぜひ聞いてみたいなと思います。
そうですね。
遡ると15、6年前に地域の方々と水辺の魅力づくりをやろうということで、
町づくりの会を立ち上げたんですけど、
当時は、今日結構見ていただくと水辺が近いんですけど、
本当に垂直五眼が街と川を切っていて、
水辺の五眼の近くのベンチに座ると、
五眼しか見えなくて一切川が見えないような公園でして、
川と繋がるのを取り戻していこうということをずっと活動していました。
そんなに緩くやっていた川だったので、
こういう施設を運営しようみたいな話を当初から思っていたかというと、
全然思っていなくて、
本当に水辺でおいしいビール飲もうよとか、
船で遊ぼうよみたいなことをずっとやっていたんですけれども、
結構大阪って川沿いに水辺の拠点施設広報みたいなのが、
2008年、9年くらいかな、10年くらい前からいろいろ出まして、
これは大阪の都市再生のフィルトとして、
これちょっとあれなんですけど、
大阪地域の1割が水面なんですよ、実は。
知らなかったね。
そう。
だいじょうぶ。
動画が入っているんですけど。
でも割りたたい水と大阪って昔から言われていて、
でもそれがずっと高度経済成長期に変わったお町が切れてしまったので、
それを繋いで再生して都市再生をしていきましょうということが、
2001年くらいから行政と経済界との間でスタートしたんですけれども、
そういう流れの中で拠点施設みたいなのがいろいろできてくるんですけれども、
ここ、町の人たちと一緒にやっていたゆるい活動みたいなのは、
06:00
当時なので水辺に誰も人がなかったんですね。
もっと悪く言うと、ブルーテントがあるみたいな、
そういう状況でそこを楽しく使おうみたいな活動は、
ゲリラ的に始めていたんですけれども、
それで楽しく遊んでいるうちに、
行政とか経済界との間じめにメッセとか公園整備とか、
水辺をきれいに、中野島公園をきれいにしたりとか、
そういうことがどんどん進んでいって、
もちろん素敵な空間ができて、
よくなっていくんですけれども、
当初楽しいからゲリラ的にやろうみたいな、
活動を受け入れる場所みたいなのがだんだんなくなっていって、
管理者がはっきりしてくるんですかね。
そういうふうになっていくのを見ていると、
やっぱり都市の水辺って一番何がいいかというと、
私も大阪の人じゃないのに、こんなに私を受け入れてくれて、
活動の場として使わせてもらえる、
本当に空き地みたいな場所で、
そういう場所をいろんな人とか、
都市に対して何かやりたい人が使える場所みたいなものがないと、
どんどん水辺が面白くなくなっていくんじゃないかなという危機感があって、
ここの場所も大阪市の事業工房で提案をして採択されてやっているんですけれども、
その時に多分、私たちの地域、まちづくり系が手を挙げなかったら、
多分レストランになっていて、
都市との関わりが消費者としての関わりばかりの場所になっていくのがすごく嫌だと思って、
消費者じゃなくて生産者を作るような場所にしたいなと。
まちの生産者の野菜を作るんじゃなくて、面白いことをやる生産者。
そういう人を作っていくような場所として運営したいなということで、
提案をして実現したという流れになっています。
確かに川っていろんな町の隣にあるけど、どう使っていいかとか、どういうルールなのかとか、
どんな制限があって何が使うのを邪魔しているのかって、結構ブラックボックスだなと思って、
具体的にここで川と町のつながりを作るためにやられていることってどういったことがあるんですか。
ここをオープンしてからは、この建物の周りが公園になっているんですけど、
川、船着き場もあるので、使いたいですっていう人はみんなここに聞きに来るんですよね、なんとなく。
とりあえず川を使いたいときにここに来る。
川を使いたいという人が来るんですよね。
そうすると、さっき言ってられたようなブラックボックスの話を翻訳してあげたりとか、
じゃあどうやったらできるようになるのかっていうのを本当に翻訳しているっていうのが、
09:05
それは医療誤解っていうずっとやってた地域活動もそうだったんですけど、
やりたいって人がぱっと飛び込んできたときに、河川管理者とか公園管理者とか、近隣に翻訳をしてあげるということで。
めちゃくちゃ重要ですね。
その通りですね。
どんな要望とかどんな使い方が今生まれているんですか?
なんか十数年やっていると、昔は私も仲間と一緒に水辺で美味しいビールが飲みたいっていうのが最大のモチベーションだったんですけど、
最近は特に若い人はもっと水に触りたいとかね、
生き物がより環境とかに意識がすごく高くなっているなって感じます。
実際、例えばかやくとか浮かべたりとか、泳いだりとか釣りしたりとかもできるんですか?
かやくは全然できます。
できるんですか?
全然できます。
それこそテポギボートもそこに置いてあるので、テポギボートもしてもらえる水上自転車もあるんですけど、
泳ぐのは今実際リサーチ中で、泳いで大丈夫な水質ってなんだっていうのを調べています。
なるほど、何なんだろうそれって。
何のパラメータが決まるんですかね。
すごく難しくて、水質って日によっても天候によってもものすごく変わるんですね。
それを平均して泳げる水質に今実はなっていないらしくて、
日によっては泳げる、日によっては泳げない水質らしいのでも。
だからそれをどうやったら泳げるようにしていくかなっていうのに今、絶賛チャレンジ中です。
大阪の川で泳いでみたいな感じはするんですけど、
でもさっき話を聞いていて面白かったのが、こういうことしたいみたいな、
でもどうしたらいいかわからないという人がここに陰込み寺的に来れるみたいな、
そういう場所の重要性ってあるなと思っていて、
私普段京都なんですけど、京都の鴨川があったりとか、
私の家の前にも川があるんですけど、
どこまで使ってオッケーなのかとか知らないんですよね。
今日も実は来ていただいてるんですけど、
白川っていう川を使って、社会実験されている方とかに出会って初めて、
使っていいんだみたいな、近隣がオッケーって言ったら、
全然オッケーなんかみたいなこともあって、それから使うようにしてるんですけど、
でもみんながみんな区役所とか市役所に行って聞けるわけでもないし、
そういうフラッと聞ける場所っていうのがあることの重要性っていうのを今回すごい感じました。
ちなみにそういう新しい使い方を開発していくにあたって、
新しく水上利用のルールが変わったり拡張したりみたいなことはあったんでしょうか。
12:02
そうですね。大きくはここだけじゃなくて、大阪の川のルール、
それこそ10年くらい前から船が増えてきたので水辺を再設しようということで、
大阪独自の広報ルールができたりとか、そういう動きはあるんですけど、
ここの電波本町橋に一番関連して大きく変わったというか、
規制施術を作って認めてもらったみたいなのは、
東横森川って高速道路が皆さん見ていただくと上に架かっていて、
大きな橋脚がどんとあるんですよね。
普通川って全員、端から端までが川の流量断面に計算されているんですけど、
橋脚があるので橋脚の内側だけが河川の流量断面に計算されているんですね。
流量断面。
川なんて水を流れる場所なので、どれだけの量が流れるか分かっても
河川行政は計算をしてあふれないように河川を作ったりしているんですね。
そこでカウントされていないんですね。そこのでっかい橋脚がこっち側っていうのは。
そこの部分っていうのは何をしてもといった語弊があるんですけど、
船を経由したり水上に何か浮かべたりしても、
河川に影響がないですよねっていうこととか、
船も橋脚と橋脚の間を通るから大丈夫ですよねっていうことを
2008年ぐらいから社会実験で4年ぐらい連続毎年、
船のマリーナ運営みたいなのをやったんですよ。
そしたら最初はすごい抵抗があったんですけど、安全にできるんだねっていうことが分かって、
今東小堀川で議論しているのは橋脚と五岩の間、
端っこのところの水面を使うことで河を変えていこうっていうのを
今行政の人と議論しているという感じです。
なるほど。こういう規制事例がじわじわとできて、
グレーのルールができてそれがルールになっていくみたいなのができると
本当にすごい素晴らしい場所というかね。
いろんな拠点、街を使うとか公共スペースをもっと拡張するために使う拠点とか言っているけど、
結構実際のフィールドとつながっていない場所とか多いなと思っていたので、
目の前にこれがあって思いついたらすぐに交渉して使えるっていうのは
すごい魅力的だなと思いました。
ちなみに新しいことをするにあたって、いろんな反発とか変な意見とかあると思うんですけど、
周りのこの場所をつくってから周りの反応だったりとかありますか?
印象的だったエピソードとか。
私たちがやることに関しては、事前に街の人にお話しするようにしているので、
実はあまりないんですよね。
ここが立つ前にブルーシートを並ぶような公園だったとき、
15:02
桜の木がずっと分けたんですよ。
昔から住んでいる方でそれがすごい脳裏に焼き付いていて、
ここができたことで桜の木がなくなったと言って来られる方もたまにいらっしゃったりするんですけど、
やっぱり街の人から見たら昔からの人続きでこの場所を見ていて、
そういう流れと関係なくこういう拠点の候補とか出るんですよ。
たまたま私たちはずっと活動していますけど、
そういう流れってすごく大事だから、
そこの話が繋がる感じでこの拠点がスタートできたらもっとよかったのになって思います。
なるほど。
竹田先生にもいろいろ聞きたいんですけど、
もうちょっと引いた目で見たとき、大阪の今の再開発だったり、
こういうパブリックスペースの特徴だったり、
またはその中でこういった川辺活用を目的としたパブリックスペース、
公民館と先ほどおっしゃっていましたけど、
そういうものができた価値とか、
そういうところを少し俯瞰的に教えていただけると嬉しいです。
さっきもちょっと話してましたけど、
大阪のスイートの再生というのは2001年に
国の都市再生プロジェクトというのに位置づくというところが一番大きな転換で、
そこからどちらかというとハード整備が先行して進んでいくんですね。
八犬谷浜だったり、小樽町だったり、
それからだんだんハードが整備し終わって、
2009年に水戸坂のどちらかというとイベントをやったり、
いろんなアクティビティを生み出すというようなソフトの活動に転換していくというのが
多分大きな流れとしてありました。
そういう意味ではこの東横堀川沿いは、
その2001年からのハード整備の流れにはすごく乗り遅れていて、
結局何にもハードは変わらずに来たんですね、2009年を迎えて。
取り残されていた場所なんですね。
そうなんですよ。2009年の時も一番先っぽの角っこのヘタ地みたいなところで、
そこも公園なんですけど、公園なのに開設した後もう一回柵で閉められていて、
入れなくなっているという公園があって、
それがいろんな人が住んじゃったりするので、要請をもう一回フェンスし直したりして、
それは無理やり地域の人たちと話し合って、鍵で開けてもらって、
2009年の時はそこでピクニックしようというイベントをして、
その時に地域の人たくさん集まってもらって、
ピクニック宣言、ピクニック宣言なんだったかな、
水塀と銃の思いみたいなのをみんなで出し合ってもらって、
ピクニックしながらワークショップみたいなのをして、
芝生の上に旗を刺していって、その旗に一言ずつ書いてもらうみたいな、
ソフト的な展開をやっていて、
もともと高速道路もあるので、そんなポテンシャルもないと思われていた場所だったんですよね。
それが今となってはすごく良くて、最後まで取り残されていた場所が一番最後になって、
18:05
ハードオンの見直しで何かしようとなったという感じなんですね。
だから他の場所はわりと公共通しで積極的に行政が改変していった空間って多いんですけど、
そういう意味ではここ最後、民設民営でやろうという話になって、
もともとやっぱり大阪の水塀って、民と大阪、町民が作った水塀ですよね。
八百矢橋と呼ばれた橋は、八百八も本当はなくて、江戸時代は二百弱しかなかったんです。
二百八でも多いと思うんですけど、そのうち広義橋って呼ばれるいわゆる行政、
宗主の幕府が作った橋が多分十二だったと思う。
それ以外は全員町の人が架けた橋が大阪の橋だった。
まあ淀屋が架けた淀屋橋ですね。
勝手橋みたいな。
みたいな。というような、大阪の町の人たちの誇りみたいな、
自分たちの町のことは自分たちで作ろうみたいな、
そういう民の思いがなんとなくこの場所には乗り移っているというか、
継承されてあるような気がしていて、
そういう気持ちが水塀の整備の中で一番最後に現れるような場所になったというのはすごくいいポイントだなと思う。
これからは本当に民間がいろんな場所を使って、水面も含めて、
今度は作っていくというよりは使いこなしていくという水塘再生の段階だと思うので、
それのいいターニングポイントにできた施設じゃないかなというふうに思います。
ありがとうございます。
水塘再生みたいな面白い文脈だなと思うんですけど、
大阪のパブリックスペース全般は水辺に限らず気になっていて、
私たちも最近は神戸によく行ってたりとか、私も京都なんですけど、
大阪はあまり行かないので知らないんですよ、大阪の事情。
来たとしても、例えば鴨川があって誰でもアクセスできる京都みたいなのと違って、
お金を払わないとゆっくりできないなみたいな体験をすることがすごく多くて、
先ほども消費者としての都市の関わりじゃなくてという話をしていたと思うんですけど、
実際今大阪のいろんなエリアがあるとはいえ、
大阪のパブリックスペースの現在図としてどういった特徴があったりとか、
どういった未来があるのかとか、ちょっと大きな質問かもしれないですけど聞いてみたいです。
そうですね、公園のジャンルでいくと、やっぱり天王寺公園の天使場と
大阪城公園の城テラスというのが、都市公園法改正の前に先行して大阪が仕掛けた
民間活力による公園の再生事例としてあって、
それを参照しながら今のパークPFYみたいな流れになっていったところもあって、
大阪城そのものもそうだったんですけど、
21:04
おっしゃる通り結局お金を払ってしか座れない席が公園の中に増えたという感じがすごくあって、
もちろんそれによって公園が綺麗になって利用しやすくなって、
ベビーカーをしながらでも来れるような安心できる場所になったということはある反面、
やっぱり排他的になったところもかなりあって、
もともとそこで利用していた人たちが追いやられて、
せっかくカラオケ気分よく歌ってたのに歌えなくなった人たちもいるだろうし、
そういう意味では民間が占有してしまうことの弊害というのももちろんあったようには思うんです。
だから何でもかんでもそうすればいいって多分話じゃなくて、
民間の活力の導入の資格がすごく慎重になった方がいいんじゃないかなという気はしているので、
ショッピングモールを作るんだったら、ただの丁寧利用地に作ればいいので、
公共空間というのはそういう場所ではなくて、
やっぱりいろんな人たちの自由さがあふれる場所で、
都市の残されたオープンスペース、開放的なオープンな場所であるべきなので、
そういうことが担保されることは大事かなと思います。
そういう意味では水辺は割とそういうふうになってきていたと、
特に炉の地の再生、炉の地の回廊というので水辺を再生していっていて、
中野島が北側ですね、
これ東こぼれ川が東か、南のとうとんぼり川、
キズ川というのも一緒の場所なんですが、
そこの中心の再生がだいたい終わって、
今、御堂筋と難波広場というのをやっています。
そこにいうと真ん中を割るような形の公共空間として、
御堂筋を車のための道から人のための道に変えていって、
将来的にはフルモールといって、
全部専用空間にしようという構想の中でやっています。
難波広場も着工して、
今日でも見に来てもらったらすごく感動するんですけど、
タクシーロータリーだったところも全部今削除をしていて、
人の空間に再編するための準備が始まっていて、
それが変わっていくと、
どんどん公共空間が豊かになってくると思うんですけど、
やっぱりあとはそこの運営ですね。
民間だけが使えるような場所、
お金を払わなければ使えない場所だけじゃなくて、
そこに本当に自由さが担保されていけるかどうかというのが、
次の段階としては重要なのかなと思います。
まさにここがやっているみたいに、できて終わりではなくて、
そこを日々運営しながらルールや使い方をチューニングして、
更新していくみたいな仕組みもセットで、
その場所が作られていくといいなと今お話を聞いていて感じました。
ちょっと少しまたずれてしまうんですけど、
大阪といえば万博がこれから多分あると思っていて、
24:02
皆さんがどれほど万博を意識して生活しているか、
なかなか東京にいると温度感が伝わってこないんですが、
今、街とか都市を考えるにあたっての万博の存在だったり、
それをどういい機会として使っていこうか考えているのかとかも、
ちょっと聞いてみたいなと思いました。
ベータン本町橋とかも。
万博バブルに浮かれすぎないようにとは思っているんですけど、
せっかく世界の方が大阪に来てくださるので、
その時にどう街として受け入れて、
それを万博後につなげていくかっていうのは、
本当は会議中のことを考えるに大事で、
アフター2025みたいな単語が最近議論のキーワードになったりして、
その後どうするのっていう議論から
2025年を考えるっていうような若手を中心に議論が始まってはいます。
ただ、そうですね。
だから、そっちが先かなっていう気が私はしています。
ああいった大きな活動がね、
どういう風にこの時代に残りうるんだろうっていうのがね、
すごい感じますね、ここ数年。
私たちが出会った場所が渋谷だったんですけど、
まさにオリンピックの前の開発がガンガン行われている時期で、
街全体が工事現場みたいな状態の中を日々通勤して活動してたんですけど、
これがそういった大きなプロジェクトをどう捉えて、
どう長期的に考えていくのかみたいな、
結構ポリティカルな話なんじゃないかなと思います。
どうですか。
さっきの南波広場もそうですし、
梅北の二期開発も今大阪ではすごいプロジェクトですけど、
全てが一応2025を目標にやっているということになっていて、
やっぱりそこが一つのメルクマールになっているというのはむちゃくちゃ事実だと思います。
ちなみに大阪公立大学の新キャンパスもそれもできるんですけど、
最近の開発だから何でももう2025に合わせようとなっているという感じはします。
もちろんその時にはたくさん海外から外国人が来ていただくので、
見ていただいて大阪の街を知ってもらって、好きになってもらって、
リピーターになってもらって、そのきっかけ作りとしては
すごくここに間に合わせることは大事だと思いますけど、
言う通りやっぱりレガシーを考えないと。
だから何を作っているのか、2025年のための都市を作っているのであれば、
それはむちゃくちゃロスをしているというか損をしているので、
都市ってそんな短いタームでできるものではなくて、
大阪の魅力のことを30年、50年、100年で考えたときに、
じゃあ今どこで何をするべきなのかを考えて、
万博に合わせて何をやるべきかという議論だといいと思うんですけど、
27:03
とりあえず何でもいいから2025までだみたいな感じになっているのは
すごく危険だなという気がします。
あとはやっぱり、たくさん人が聞いているかもしれないからあれだけど、
万博って基本的には万博会場でやるものが万博なんですね。
だから、街で万博しちゃいけないことになっている。
万博会場に人を呼んで、万博会場で開催されるものが万博だということになっているので、
基本的にあそこの中がどうあって、
そこをどういうふうに楽しんでもらうかということに、
特に万博協会は中止する期間になっていると。
さらにもうちょっと言うと、その後は更地にして返すというようなことが前提になっているというのがあって、
そこをなんとか、今の先輩のKUSUNAさんとか、
なんとかそういうことを変えていこうと中からもしてくださっている方がたくさんいますし、
さっきちょっと言った、アフター2025というのも万博の一つの委員会として位置づいていて、
若手のチームができたりしていて、やっぱり周辺の意識としては、
アフター万博だし、街中万博だし、そういうところが大事だということは、
外からはだいぶ言っているので、そこにぜひ期待したいですし、
あと加えて言うなら、やっぱり長期的な視点で街のことを考えれる、
そういうきっかけとしての万博というのが大事かなというふうに思います。
ありがとうございます。
ちょっと未来の話とかにも出たので、
これからこの場所をどういうふうに育てていくのかという野望があったりとか、
竹田先生もこれから仕込んでいくこととか、リアルしたいことなどがあれば、
最後にお聞きしてみたいです。
そしたら電波の松橋から先に。
一応事業期間が20年ということになっていて、
2021年からやると、2041年まで電波の松橋はあることが決まっています。
20年間施設を運営すると思うとちょっと長い気もするんですけど、
東横堀川はさっきの話の中で取り残された最後のハード整備をしていないからでして、
これから耐震庫が回収とか、いろんなハード整備が入ってくるんですけれども、
それと共にある拠点施設というふうに考えると、
結構20年っていいスパンで、
未来のことでもありながら今とつなぎながら作っていけるというスパンになっていて、
ここハイブリッド公民館でいろんな方に使っていただくんですけど、
単に場所を使ってもらうことが目的ではなく、
さっき言ったような生産者というような街を変える意思がある人たちとつながることを裏目的に運営していて、
そういう川を振るのに街を変えたいという人たちを、
30:03
どんどん東横堀川のハーブが変わっていくときにペタペタくっつけていくというような窓口として、
ここを運営することで、20年後この施設の事業期間が終わるときには、
川がすごく変わっているということを目指して運営しているので、
都心の水辺で何かやりたいという人は迷わず、
一直線に全国、世界から出た街を散り出していただくと、
全力でサポートをして一緒にやろうというかと思っております。
今日来ている方々はアーバリストなので、ぜひ提案を持ってきてください。
アーバリストだから、街の魅力というのは、
結局人の魅力が街に透けて見えることが街の魅力だというふうに思いたいと思っていて、
街の魅力だけがあるということは多分なくて、
そこに住んでいる人たちの暮らしぶりが良かったり、
そういうものが街に透けて見えているから、
僕たちはこの街が良い街だ、この街に住んでみたい、
この街を訪れてみたいと思うんだというふうに思えるといいなと思っています。
だから、街の向こう側に人が透けているという感じがするかどうか、
そういう意味でベータフォンマチバチは割とそういう風になっているような気もして、
この施設が良いというよりは、ここに来ると向こう側に人がいる感じがする、
作った人たちだったり、支えてくださっている人たちだったり、
実際にここにいる人たちもそうですけど、
そういう感じがあるといいなと思っています。
基本は自分の暮らしを良くするということがやっぱり大事で、
それと街を良くするということをどうつなげるのかというのができるといいなと思っています。
他のランドスケーピングって最近ちょっと言ってみているんですけど、
ガーデニングってあるじゃないですか、
あれってガーデンを作ることが目的なのではなくて、
ガーデニングっていう庭いじりしているそのものが楽しくて幸せで、
その時間が充実していることだと思うんですよね。
結果出来上がったのがガーデン。
それと同じように都市に関わり続けているということが楽しくて、
自分の人生の豊かな時間になって満足感が得られて、
その結果都市ができているという、
そういう状態になるのがいいんじゃないかなと思っていて、
そんなことをどうやったらできるのかなと思ったりしています。
今回はありがとうございました。
ありがとうございました。
パチパチパチ。
グッドニュース・フォーシティーズでは毎週新しいエピソードを配信しています。
次回も楽しみに。