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それでは今回は、近代建築士や建築の保存活動に詳しい笠原和人さんをお迎えしています。
笠原さんは、京都工芸専院大学の助教をされていて、ちょうど一昨日、ダッチリノベーション、オランダにおける建築の保存再生という本を出版されて、我々も読むのがすごい楽しみです。
はい。我々も最近までオランダにいたというので、ダッチリノベーションの話とか、
なんでそもそもこういった保存とかリノベーションの辺りに興味を持ち始めたのかとか、お伺いできたらいいなと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっと簡単にこれまでの経緯、今されていることみたいなのをお聞かせいただけますか。
はい。私は主に近代建築の歴史研究をやっていて、特にモダニズムの辺りを中心にやっています。
モダニズムというのは、1920年代から、実際には60年代ぐらいまでの20世紀の新しい建築の在り方ですけれども、
工業社会に即した建築の在り方ですよね。あるいは、それで装飾を削ぎ落としたようなモダンで抽象的な建物ですけれども、
そういうものを中心に研究していたんですけれども、
2010年に大学の方で若手の研究者を対象に在外研究を募っていて、ちょうど私の学科で誰か行く人はいないかと言われて、
どうだ、お前行かないかと言っていただけて、それで行きますと手を挙げて、オランダの方に行くことになったんですね。
そこから、その時に、オランダといえば近代建築という、特にモダニズム建築が結構有名で、
しかもその保存活動みたいなのも有名なんですね。
ドコモモという組織がありますけれども、これは1988年にオランダで設立された、
モダニズム建築を対象にした、モダニズム建築の保存に関する国際組織なんですね。
1980年代からモダニズムの建築というのが、ポストモダンの流れもあって批判されて否定的に捉えられて、
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その中で壊されていく状況が、これはヨーロッパでもあったんですね。
その状況に対してオランダでいち早く、こういうのも一つの文化だと。戦後も何十年も経っていて、歴史化しつつあると。
こういうものをちゃんと残していく組織を作ろうと、立ち上がったのがドコモモなんですね。
そういう活動もあって、2000年頃からは日本でもドコモモジャパンというのが設立されていて、
私も今そこの理事をやっているんですけど、ドコモモジャパンの理事をやっているんですが、
ですのでドコモモとも関係がありましたし、だから近代建築そのものを研究しようというつもりもあったんですけれども、
オランダでどうも建築の保存というよりは、歴史的建築物の保存再生あるいはリノベーションをテーマにした学科ができているということを知人から聞きまして、
それでだったら、歴史研究ではなく保存再生あるいはリノベーションの学科に行って、
そういう研究あるいは調査みたいなのをやろうと思って、
それでどこか行ってこいと言われたときに、世界中どこでもよかったんですけれども、
オランダかつデルフ都高科大学の今はヘリテージアンドアーキテクチャーコースというんですけれども、当時はRMITと書いてあるアーミット学科があって、
そこがそういう歴史的建築物の保存再生をテーマにしている学科だったんですね。
そこにお世話になろうと思って行かせてもらったと。
そこからだから歴史研究に加えて保存再生というのかな、建築保存再生論というのをテーマにし始めたという感じですね。
もちろんオランダに行く前は近代建築士の研究をやっていると、
必ずその学術的な調査と別に、この建物はこういう価値がある、だから大切にしてほしいということを言うと、
次やっぱり社会ではどうやって守っていったらいいんだと、どうやって残せばいいんだというふうに必ず問われるわけですね。
僕らはそれに答えないといけないんだけれども、もちろん何らかの形で残していけばいいですねとかいうことは言えても、
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それ以上の具体的なことはなかなか言えないデータ。今でもそうなんですよ。歴史研究をやっている人は必ずしも保存再生について詳しいわけじゃない。
全然別の次元なんですね。残す実践というのは、別のある種の訓練を受けないといけないし、教育を受けないと難しいと思うんです。
残すっていうことは言えても、じゃあどうやって残すんだ、どう判断するんだっていうことになると、もう全然別の世界。
だからそれは日本では歴史研究をやっている人はほとんど知らない。僕はせっかくだから両方やろうと。
しかも日本のこれまでの歴史的建築物の残し方というのは、元の姿に戻すといういわゆる保存ですよね。活用とかリノベーションとかいう考え方ではなくて、
元のオリジナルの姿に、どっちかというと忠実に戻して凍結保存する。それが例えば重要文化財とか国宝とかの考え方で、建築の保存といえばそういうもんだというところが強かったんです。
もちろん1990年代ぐらいから登録文化財みたいなものが出てきたりして、少しずつ活用というのが社会でもテーマになってはいたんですけども、なかなかいろんな制度の問題もあって、実際にはなかなかそうはいかないところがあったんですね。
でもそんな中、だんだん例えば特に近代建築って凍結保存という考え方、昔のオリジナルの姿を忠実に守るというようなやり方では残っていかないんですよね。
というのも近代建築の多くは都市部に建ってますね。古建築って例えば山の観光地とか山の周辺とかそういうところに残って、京都なんかでもそうですよね。
だいたい山の方で風知地区と呼ばれるようなところで完全に守られているエリアですから、そんなに新陳代謝もなくて守りやすい環境にあるんだけども、近代建築というのは都市のど真ん中にありますよね。
そこでそんな凍結保存、昔のオリジナルの姿に戻すなんてほとんどできないわけですよ。だって経済の活動が常に活発だから、そういう人たちが持っている以上は壊して背の高いものにしたいとか思うじゃないですか。
そういうものだから、かつての考え方ややり方では残っていかないんですよね。近代建築をちゃんと守っていくには使いながら手を加えて残していくしかないわけなんですけども、日本ではまだまだそういう状況になかったんですね。
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でもどうもオランダでは結構活発にやっているみたいだと。ドコモモが対象にしているのは割と作品性が高くて有名。ドコロビジェが設計したとか、グロピウスが設計したとか、非常に作品性が高いもので文化財的価値が高いものだから、オリジナルの姿に忠実に戻すっていうものが割と多いんですけども、
どうもそれ以外のものだと手を大きく加えながら残していっているようだという情報が入ってきたので、
だったらこれから日本もそういう凍結保存ではなくて、近代建築を活用しながら残していくという方向になるだろうし、しかも十分知らない分野だし、これは向こうで勉強する価値があるんじゃないかと思って、
オリジナルではそういう保存再生、あるいはイノベーション、歴史的建築物の保存再生とかイノベーションをテーマに勉強、調査、研究をしようということで、デルフト高科大学のアーミット学科に所属したというわけです。
ちょっと長くなったけど、適当に切ってもらったら。
そこでの研究がまさにこの本ですね、ダッチンイノベーション、オランダにおける建築の保存再生で読めるっていうことですか。
そうですね、もちろんそうです。
読まなきゃですね。
もともとこのダッチンイノベーションという本を書くきっかけは、2010年から11年にかけての1年間のオランダでの在外研究がきっかけですし、そこでの活動とか、見たもの、調査したものがかなり盛り込まれています。
ただその後も、オランダ、毎年のように行ってて、行くたびに新しいものがどんどんできてるんですよ。これ載せたいと。
本にする計画が生じたのは2014年くらいからなんです。
その前に2012年から13年にかけて、ザッシ、建築ジャーナルという雑誌に24回オランダで見てきた、オランダ以外のものも含まれてますけども、歴史的建築物のリノベーションについて連載をしてたんですね。
それを本にまとめましょうって話が出たのが2014年なんですよ。
でもそこからもなかなか進まなくて、7年くらいかかっちゃったんですけども。
それはですね、毎年のように向こうで新しいものが出てきて、行くたびに面白いものが保存再生とかリノベーションのものができているので、これはぜひも取り上げたいと思って、取材していくうちにどんどん遅れていってですね。
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6年。
他の大学の他のことにもかなり忙しくて、なかなか時間が取れなくてですね。
それでそんなこともあって、ようやくここに来たというわけです。
先ほど残す実践として、手を大きく加えて使いながら残すというお話があったと思うんですけど、
具体的にそういった都市のど真ん中にある建物を使いながら残すという面白い事例があったり、年々新しくなっているというお話もあったんですけど、最近の面白い事例とかあったりしますか。
いやもちろん山のように。
聞いてて使いながら残すってどういったことなのか、もうちょっとイメージしてみたいなと思うんですけど。
あとね大事なことなんですけども、日本でリノベーションっていうのは大流行りしていますけども、ちょっと僕の持っているイメージと、
オランダで今回ダッチリノベーションで対象にしているものと少しイメージが違うんですよ。
日本でやっているリノベーションっていうのは、もちろん古い既存のもので、ある程度歴史のあるものがほとんどですよね。
そういうものに手を加えて新しくして残していっているわけなんですけど、
どういうのかな、いわゆる文化財じゃないようなものがいっぱい含まれてますよね。
その辺にある1960年代とか70年代に作られたマンションを再生したり、オフィスビルを再生したり、そういうのもいっぱいあるんですね。
もちろんそういうのもたくさんあるんですけども、オランダのあるいはダッチリノベーションで対象にしているものはほとんどがいわゆる文化財なんですよ。
それが日本とだいぶ違う状況で。
文化財ですから、国があるいは自治体が保護する、いわば反永久的に守っていく、つまり壊すと違法になるような、法律で守られた建物、それが文化財なんですけども、日本でもそれはそうなんですが、
日本では考えられないほど大胆にですね、手を加えながら使いながら残しているというのがオランダの状況なんですね。
ちょっと日本では考えにくいほど大胆なんですよ。
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どのように大胆なんでしょう。
それはちょっとダッチリノベーションを読んでみましょう。
予告編みたいな。
いやだってこれ音声だから示せない。
でも本当言い尽くさないくらいたくさん事例が。
事例はもう山のようにありますね。
何が違うかというと、文化財だから歴史的価値をきちっと残さないといけないんですよ。
日本だったらもう重要文化財みたいなレベルですよね。
重要文化財ってもう本当にきちっと歴史的な昔の姿を残してますよね。
そういう守るべきところを守りつつ、同時にものすごくクリエイティブな新しいものが手が加わっているという。
そういう感じなんですね。
日本ではすごくそういうのが少なくてですね。
さっき言ったように大部分のリノベーションと呼ばれている大部分のものは文化財ではほとんどが文化財じゃないし、歴史的価値もそんなにないものが多いんですよね。
町屋のリノベーションなんて流行ってますけども、もちろん町屋は大事だけども、歴史もあるけれどもものすごく特化した重要文化財とかそういうものじゃないですよね。
そうすると古いものを、歴史的価値をそんなに重んじなくても、好きに自由に回収していいと思うんですよね。
そういう存在ですよね。
そのダッチリノベーションに対象にしている、向こうのオランダでの大胆な回収されているものの大部分は文化財なんですよね。
だから歴史的価値をきちっと重んじて調査もして、委員会が立ち上がって審査がされて、ここはきちっと残さないとダメだとかそういうことをやった上ででも大胆という。
それちょっと日本ではないんですよね。
日本でいうと重要文化財なのにものすごく大胆に手が加わっているという感じですよね。
日本ではあまり見ない。
日本は状況を限りしていると思うんですよ。
文化財というとオリジナルの姿を残して、きちっと残して後世に伝えていくという感じ。
一方で巷で流行っているある種のリノベーションというのは、歴史的価値をそんなに重んじずに作りたい人が自由にやっている感じ。
なんていうかな、新しいものと古いものが乖離しているというのかな。
共存とは言えないような感じ。
それが日本の状況かなと思うんですね。
それに対して向こうはものすごく厳密に歴史的価値残しつつ、でも大胆に回収している。
繰り返しますよ。
2回くらい。
カットしてください。
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2、3回カットしてください。
今聞いてて思ったのが、多分文化財に関する歴史的価値の認識が日本とオランダで違うんじゃないかなと思っていて。
日本は日本としての歴史的価値の認識があって、もしかしたらそのまま残しているのかなとか。
オランダはオランダで歴史的価値の捉え方が結構多様にあって活用のアイディアが出てくるんです。
そこら辺はどういった違いがあると思いますか。
そもそも根本的に違うのが、文化財にするのにヨーロッパは所有者の許可が事実上いらない。
勝手に国とか自治体がある日突然文化財にできる。
なるほど。許可がいらない。
許可がいらない。個人の所有権がそんなに重視されない。
それよりも公共の的価値というのがみんなのものだと。歴史的な遺産というのは。
だからみんなで守っていくんだと。
それは当然強制的にありますよという感じなんですよ。
日本は国民が、戦争の影響もあると思うんですが、国民が尊重されている。
特に所有権は尊重されすぎているぐらいにされていて、文化財にするのにいちいち許可を取らない。
特にさっき言ったように近代建築って都市部にあったら、所有者は壊したいに決まってるんですよ。
そうですよね。勝手に受けたいかもしれない。
単純に言って近代建築って言っても低いんですよね。当時の高さが。
そうしたら儲けは少ないわけです。床が増えれば増えるほど。
例えば100階建てになれば、そんだけ床が増えるわけで土地に対して。
そうすると利益が上がっていくからみんな高いものを建てたいわけですよね。
おのずと淘汰されて近代建築が残らない。
だから所有者にいちいちお伺いを立てると残らない。そんなものが。
日本はそういう制度になってるから、そもそも残らない制度ができている。
制度はものすごく大きい。
その辺でゆるゆるなんです。
しかも文化財ってさっき法律上守られてるって言ったんですけど、
例えば日本で登録文化財っていうのが制度がありますよね。
あちこち最近聞くと思うんですけど、1万件以上1996年かなんかにできた新しい制度なんですけど、
文化財っていう名称なのに壊せるんですよ。
ヨーロッパの人に聞いたらありえないって言ってました。
それも所有者の判断で壊すことができる。
できるし、文化財って言ってるのに法律で守られてない。壊せる。文化財じゃないっていうぐらい。
だからそもそもゆるゆるなんです。
守るなんていうのかな。それは国民性の違いっていうか国の考え方の違い。
所有者、個人の権利をものすごく尊重する。
ヨーロッパはもうちょっと公共的なものを尊重する。
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確かにこんなもの壊していいの?みたいな局面で、
オーナーさんがこれを望んでるからとか、オーナーさんが決めたからどうしようもないみたいなのを確かに今までも見てきたなと思っていて、
メンタリティーとしてあるのかもしれない。オーナーがこう言ってるからしょうがないっていう日本に根付くメンタリティー。
そこが最終ジャッジ。
オーナー任せなんです。でもオーナーって自分の生きることしか考えないですよね、基本的に。当然。
いや誰でもそうだと思うんですよ。
国のことなんて、あるいはみんなのためになんて、よっぽど意識が高くないと無理でしょ。
だから本来そうあるべきじゃない制度になってるんですよね、日本では。
で、オランダの文化財関係の人に聞くと、
日本ではこうやってお伺いを立てて、許可を得て文化財にしてるっていうと、その時点でびっくりされる。
法律っていうのは人のためにあるんじゃないんだと。建物のための法律なんだ。
しかも所有者って、オーナーってね、たった30年ぐらいしか持たないでしょ。
建築の歴史は何百年とあるんだと。
そんなたった30年しか持たない人は勝手なこと言うんじゃないと。
それはおかしいと。ちゃんとそう言ってますよ。
その時点でおかしいと。
で日本はそういう感覚がないんです。所有者の自由だし、そもそももう一個、やっぱり木の文化だっていうのもあるかもしれません。
それがメインだとは思わないんですけども、制度性っていうのも大きいんですけれども、
感覚的に建物は何百年も残るもんじゃないっていう感覚がありますよね。日本人って。
建物の寿命が、ヨーロッパは100年前後あるのに、日本は30年しかないらしいんですよね、平均寿命。
そういうのも建物っていうのは使い捨てなんだっていう感覚が根付いてるということもあるのかもしれませんけども、
何かこう、長く持って維持していこうという感覚が低い。
そういうのも後押ししてるかもしれませんけれども、
とにかくヨーロッパと日本ではもう建物に対しての感覚ってのは全然違うと。
感覚も違うし制度も違う。
もう本当に守られない制度が日本では非常によくできていると。
あとは技術みたいなのもありますよね。
残すための大工さんというか、
知恵とか。
知恵とか、今にはない道具とかね、そういうのもある中で、その技術が継承されてないというのもあるんですよね。
木造の文化がある種途絶えてきていて、コンクリートに置き換わって、
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所有者も維持し続けるという感覚はないですよね。
そういう感覚もなくなってしまっているので、
余計に残らないような雰囲気、風潮、あるいは制度、システム、環境ができちゃってるんだと思います。
もうその時点で根本的に違う。
なるほど。
ということを向こうへ行ってようやく気づいたという。
先ほど帰りがあるという話があったんですけど、その文脈で、
クロノカオスという概念についてもお伺いしてみたいなと思っていて、
もともとコルビジェが提唱。
レムコールハウス。
レムコールハウスが提唱されていた概念ということで、
岡沢さんの本とか記事の中でもよく掴まれているなと思うんですけど、
ちょっとリスナーの方にもご紹介いただけますか。
クロノカオスという言葉があって、
それはレムコールハウスというオランダの出身の建築家、世界的な建築家ですけどもが、
最近、それこそ2010年頃に作り出した概念で、
クロノスという時間を意味する言葉と、それからカオスですよね。
混乱を、混沌とか混乱を意味する言葉が組み合わせされたコールハウスの造語です。
僕が言い出したわけじゃない。
彼が言うには、近年というのかな、20世紀に入って、
21世紀に入って、特に開発が一方で大きく進む一方で、
残そうという動きが出てきている。
開発というのは残さない。
古いものを残さずに、そういうものを消し去って、新しいものに変えていく。
そういう動きであるのに対して、残すというのは開発に逆行する動きで、
それが同時に生じている、現在の状況。
それをクロノカオスという言葉で表現したんですね。
それは日本でも同じだろうと思っています。
度合いが国によって、あるいはヨーロッパとか日本によって多少違うかもしれませんけれども、
同じようなことが起こっているなと思っています。
ウェブ上でクロノカオスを使って、オランダの建築について記事を書いたんですけれども、
それは元々は実は編集者側から与えられたテーマで、
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今このクロノカオスというテーマで、日本のあるいはオランダの建築を見るとどうかというテーマで書いてくれないかと言われたのがきっかけなので、
僕はずっと使っているわけでもないんですけれども、
でもその状況は日本でもあると思っています。
開発がどんどん進んでいく。
人口が減っていくにもかかわらず、大きな開発もまだ行われている中で、
古いものが消されていく。
一方で建物を残そうという動きも出ているという、
帰りの状況は日本でも同じかなと思うんですね。
さっき僕が言った帰り、それはちょっと意味が違っていて、
どっちかというと保存の現場での帰りというのかな、です。
リノベーション、歴史的な価値を非常に重んじてオリジナルの姿に戻す動きと、
リノベーションするんだけれども、残そうという意志はあるんだけれども、
歴史的価値をほとんど考えずに好きに、それこそデザイナーの好きに、
あるいは建築家の好きに、あるいは所有者の好きにどんどん変えちゃう。
極端な例がビフォーアフターというテレビ番組ですよね。
見たことありますか?
もちろん見てますよ。
見てますって時々文句言いながら見てますけど、今でもたまに特集されてますよね。
前はずっと定期的にやってましたけども、
だって学生でもああいう番組を見て建築をやろうと思ったって、
大学に来る人もいるぐらいですから、影響力大きいと思うんですけども、
そこでやっている番組の改修というのは、
ほぼもう建物の骨格だけを残して、
あとはもう全部きれいにやりかえるという感じですよね。
例えばおじいちゃんとかおばあちゃんの思い出の品を、
タンスとかそういうものを、家具とかそういうものを残しましたみたいな、
そういう残し方ですよね。
あれはあれでいいと思うんですよ。
どうせ文化財でもないし、
割と最近の戦後の建物で、
そんなすごい有名な建築家を作ったようなものでもないし、
これはそれでいいと思うんです。
だけど、極端に言うと日本のリノベーションというのは、
ああいうものになりがちで、
あれは歴史的価値を残したとは言い難いよな。
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なんとなくさっき言ってた残し方、私もさっき聞いてて、
建物をそのまま残すっていうより、
どうやって建物の個性みたいなのを残せるんだろうって考えた時に、
単純にこれはいい石だから残せみたいなことではなくて、
おっしゃってたように、そこに来た時の人の体験とか、
そこで何が起こってたか、
それが動線であったり、そこに来た感情であったり、
そういうものが建築物としてもどういう風に演出されてたかっていうものを、
設計としても残すってことなんだなっていうのを聞いて、
ストンって感じました。
だから価値って言うとちょっと分かりにくいかもしれないけど、
オリジナルの特徴をどれだけ活かせるかって、
やっぱりヨーロッパの人、ロジャースレベルになると、
もうちゃんと分かってるんですよね。
そういうことを反映させながら設計ができる。
全然違う。
今後の活動の展望であったりとか、
ちょっと個人的に聞いてみたいなと思ったのは、
結構大学の研究者の方とかと話してる時に私気になるんですけど、
原風景というか、個人的にこういった世界が見たいとか、
個人的にちょっとワクワクする、こういう世界を描いているみたいなって、
どんなものがあるのかなっていうのは聞いてみたいなと思っていて、
今後の活動とかと絡めつつ、そういったところがあれば、
まとめとしてお話しいただければと思います。
そうですね。やっぱり歴史的な建物に関わっているので、
歴史的な古い建物がよりよく残っていく世界になってほしいなと。
世界というか社会ですかね。
と思うんですね。やっぱり、
ヨーロッパに行って豊かだなと思うのはそういうところですね。
古い何百年、下手すると何千年までいかないかもしれないけども、
そういう単位の古い建物が街の中に急に残されていて、
その隣に大胆な現代建築家が建ってたりしますよね。
その新旧の共存みたいなのが、やっぱり都市としてはすごく活気があって面白いと思うんですね。
日本は戦争で空襲があったりして、かなり戦争で失われたものが多いので、
戦後に新しい建築がバーッと建って、今どこ行っても戦後以降の建物が風景の大部分を占めるようになっているんだけれども、
今後はそういうものさえ古い建物として見ていけるし、価値も出てくるだろうし、
そういうものが残されながら、そこに新しいものが加えられて、
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歴史の重層性みたいなものが常に見えている社会。
あるいは都市。そういう都市は豊かだなと常日頃思っているんですね。
そういうものができる社会とか都市になってほしいなと。
そのための活動をやっているという感じですね。
僕は近代建築士と保存再生論みたいな両方をやっているんだけれども、
それは古いものを残すだけじゃなくて、新しいものとのつなげ方がやっぱり大事だと思うので、
いわば共存させる方法を常に考えていっていると。
古いものの価値もあるけれども、新しいものをそこに加える方法というのは、
考えながら適当にやるべきじゃないと。考えながらやらないといけない。
それにはどうすればいいのかということを、教育研究で実践しているという感じですね。
大学院で建築都市保存再生学コースというのを2015年に作って、そこで担当しているんですけれども、
学生にもそういうことをやって、一緒に考えていっていますし、
2010年度から社会人コースも作ったんですよ。
ヘリテージアーキテクト養成講座という名前なんですけれども、
まさに古いものと新しいものを共存させる方法とか考え方を学ぶ半年間の講座なんですけれども、
社会人に対してもそういうことを教えたり一緒に考えたりしながら、実践しているというところです。
今後もそれを続けて少しでも貢献したいと、社会に貢献したいという感じですね。
素晴らしいまとめでしたね。ありがとうございます。
一緒に京都の街を歩いて、
ぜひ紹介していただきたい。
片口でバッサバッサいろいろ教えていただきたいなと思います。
いくらでもバッサバッサやります。
ありがとうございました。