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2024-08-27 1:05:53

S4 ep9 ConCra座談会 Side-A 制作・生活・継承を巡って

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今週から2週に亘って特別編、過去登場ゲストをお迎えした座談会をお送りします。

今週は、当番組最初のゲストとしてご登場いただいた金属工芸の須藤拓さん、シーズン2でお話を聞いたテディベア作家の浅井友紀さん、昇苑くみひもの八田俊さんのお三方をお迎えします。

テーマも設けずくじ引きで決まったメンバーですが、自然と話に挙がったのは...


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美術工芸 空心(須藤拓)

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⁠パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

コンクラメンバーが集まり、工芸と人との関係性について語り合うオフ会が行われています。工芸の現在の意義やメンバーそれぞれの制作スタイルについて理解を深める内容が展開されています。このエピソードでは、工芸における制作、生活、そして文化の継承について若手アーティストたちがディスカッションをしています。特に、手工芸や量産品の品質の問題、そして文化の絶滅に対する懸念が重要なテーマとして取り上げられています。 今回は、組紐の制作過程やその文化的意義、伝統工芸としての継承について探求しています。また、テディウェアの特殊性や、作り手としての意識とコミュニケーションの重要性についても語られています。このエピソードでは、制作や生活、継承についての議論が展開され、言語や文化の変化、職人としての苦労や納得感について述べられています。さらに、アーティストの生き方や美意識、創造性の重要性にも触れられています。 今回は、須藤さんが伝統工芸の若手育成やその課題について語っています。特に、職人としての経験の伝承と次世代への継承がいかに重要であるかが強調されています。このエピソードでは、制作、生活、継承に関するディスカッションが行われ、次回の対談会への期待も語られています。

オフ会の開催
CRA出しRADIOは、様々な手法で物を生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラの岩田です。
潮です。
はい、よろしくお願いします。
お願いします。
あれ、海さんがいないんですけど。
いないです。
海さんいないですけど、実はここには結構たくさんの人がいます。
そうですね。
ということで、先週、ちょっと来週は特別編ですっていう予告はしましたけど、実はですね、今日、何ですか、オフ会ですね。
そうですね。初のオフ会ですね。
オフ会みたいなことができるぐらいになってきましたね。
ほんとそう。最初やり始めたこと、時にこんな未来が待ってると思ってなかったです。
つまり、過去のゲストにお集まりいただいて、いつものスタジオにお話を聞いていこうという趣旨でございます。
ゲストの紹介
というわけで、まずここにいらっしゃる皆さんに一言ずつ発声していただきたいと思います。
発声。
お願いします。
松原組編の葉田です。よろしくお願いします。
はい、ご無沙汰しております。
ご無沙汰しております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
葉田さんはシーズン2ですね。
はい。
に、ごゲスト出演いただいて、その時はね、まだ結構オンライン収録メインだったんで、今回リアル初収録。
そうですね。
なんかあの、公開収録に聞きに来たリスナーの気分。
リスナーの気分。
リスナーの気分になってもらうと。
お願いします。
お願いします。
続いて。
金属工芸の須藤です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
須藤さんもなんか、僕らたまに話してるから、そんなに微差感ないけど、実はシーズン2の最終エピソードで。
そうですね。
丸袋の時と、
あと工房、須藤さんの工房2回。
あれだいぶ長かったですけどね。
終わっちゃった。
終わっちゃった。
日変わってますね。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、そして。
はい、テディベア作家の浅井由紀です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
由紀さんもシーズン2のゲストで、おばまのご自宅からオンラインでお話したので、実は海さんと潮さんは今日が初対面ですね。
そうですね。
っていう。
画面から飛び出してきた。
飛び出した。
飛び出した。
今日もね、おばまから京都までこれのために来ていただいたということで、先ほどもおいしいサバ寿司をいただきました。
はい。
という感じで今日はお送りしていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
工芸の意義と自己認識
こういう場を設けといて、特に何の電話も持ってきてないんですけど、結構あれですかね、皆さん出演していただいてから、倉田市ラジオはちょこちょこ聴いてもらってるって感じですか?
そうですね。
コンテンツ。
なかなかね、僕もそうですけど、一つのポッドキャストね、長いし、倉田市ラジオ。
そう、だんだん長くなりますもんね。
全部聞くとかちょっと無理なんでね。
1.5枚ぐらいがちょうどいいとか言われるぐらいの。
番組でこれまでお話ししてきた中で、結構それぞれゲストで来ていただいた方のお話とかを、他のゲスト来てもらった時とか3人で喋ってる時とかに割と反数しながら話を深めていくみたいな感じで来てるので、
このお集まりのお三方も、倉田市ラジオでお話しいただいてから結構時間も経ってるので。
シーズン2という共通点があるし、今4ですよね。エピソード5がこの前出たから。なのでだいぶ経ってるしね。
ちょっとなんかこう、倉田市ラジオでお話しいただいてたことを何かきっかけに、きっかけじゃなくてもいいけど、今どんなものを作ってますかとかね。
どんな考えでものを作ってるかみたいなこととかを、それぞれのちょっと上手いことね、組紐と金属工芸と。
ユキさんは、僕がお声掛けした時に、工芸をテーマにということで倉田市ラジオを始めましたけど、
いわゆる工芸って聞いた時に連想するような伝統工芸みたいなものとはちょっと違う、もっとインディペンデントな活動としての、
手芸とかって言われることも多いような領域のお話を聞いてみるのが面白いんじゃないかということでお声掛けしたところもあるので、
その辺のスタンスの違いみたいなこととかもみんなでお話しすると、違いとか実は違いないみたいなことをお話の中で聞けたらな、なんて思っております。
僕は初めて海さん、今おられないですけど、海さんと塩尾さんと岩田さんとお会いした時に、その時は伝統工芸の職人だったので、
皆さんは伝統工芸というか工芸自体にここから触れていくぐらいのタイミングだと思うんでね。
僕は自分自身がいわゆるザ工芸みたい、ザ工芸のど真ん中の住人だと思ってたんですけど、
蔵野社長をずっと聞いてきて、その後いろんな他の外部との関わりも増えてね、
割と自分のキワの方にいたんだなっていうのが、工芸の中でもだいぶキワの方にいるというか、
お付き合いしている人たちも含めて、全然中心で工芸をやっているというよりは、
そんな人たちいるんだみたいな人たちとビジネスもそうだし、活動もしてるんで、
どちらかというと、工芸が自分の思ってたよりもかなり大きい言葉なんだなっていうのも、
自分の認識ではもっと小さい世界だったんで、その中では真ん中にいると思ったんですけど、
自分がいるいわゆる伝統工芸の中でもかなり小さいところだったんで、
工芸っていう全体の中でいうと、すごく端の方にいるというかね、っていうのが印象なんですよね、このラジオをずっと聞いてきて。
だから、どちらかというと、さっきおっしゃったみたいな、ペリベアが工芸に入るのかっていうのは、
昔は多分全然入らないと思ったと思うんですけど、今はそういう人たちの方が、
どちらかというと工芸の中心側にいるみたいな印象にちょっと変わってきてるんですよね。
特に今、最近のいわゆる工芸っていう言葉の持つ意味でいうと、
おそらく一般の人は話聞いていくと、ペリベアっていうアイテムというよりは、
そのスタイルだったりとか、そういうのを工芸って呼んでるんじゃないかなという、
アイテムがちょっとぼやかせてるかもしれないんですけど、ペリベアっていうアイテムが。
っていうのが自分が変わっていった部分。
まさか須藤さんはそんな変わっているとは。
そう思って聞いて。
だから自分の立ち位置って相対的なものじゃないですか。
それが広がれば広がるほど、知識というかね。
広がれば広がるほど自分の相対的な位置って変わっていくと思うんで。
すごいこう、なんか俺が知ってるんだという。
知らないお三方に伝えるんだって気持ちがあったんですけど。
もしくはリスナーに伝えるような気持ちがあったんですけど。
そうも言えんなというのが、なんかちょっとこう。
こちらが分かってなかったり、
こちらの状況を共有してもらっても、
工芸全体の話とは全然遠いところの話に行くみたいなのも多いなっていうのがね。
なんかこの間ずっとこう。
ちょうどだから僕が、いわゆる下職というかね、
プロ対プロの仕事を受けているところから作活動だったりとか、
もしくはいろんなそういう作り上げの人と交流し始めた時だったんで。
だからもっともっとこう、そうなんですよね。
もっとこう、いわゆるこう。
ガラパゴスカって言うんですかね。
すごい進んでた時だったんで。
鎖国が解けたみたいな。
鎖国が解けた。
やっとその世界に。
世界って広かったんだなっていうのがやっとこの間。
だからそういう認識が変わったことで、
自分たちが大事にしないといけない価値観とかも、
ある意味より再認識した部分もあるし。
なんか、そうですよね。
逆にというか、ゆきさんからしたら、
正直、工芸っていうテーマでやりだした番組に、
こっちからお声掛けして、
別に自分としては工芸という自覚は全くないし、
むしろ遠藤いもんと思ってたぐらいですよね、たぶんね。
そこで話してもらったことで、
今の須藤さんの認識の広がりみたいなのがあったということですけど、
ゆきさんとしては工芸という言葉に対するイメージとか、
自分のやってることの認識の仕方ってどうですか?
そうですね。まず工芸という言葉の、
いまだにあまりつかめてないのが正直なところで、
考えれば考えるほど工芸とか、
手芸はなんとなく、手芸屋さんっていうものがあるんで、
手芸屋さんにあるものの中から作ってたら手芸かな、
みたいなイメージはあるんですけど、
デザイナーとかアーティストとか、
そこら辺のカテゴリー分けみたいなのが、
今、個人的に全然わかってない、
振り出しに戻るみたいな状態に。
デザイナーって名乗ってます?って言ってたんですけど、
最近それあんまり名乗ってない。
ディティベアデザイナーって自分で言ってしまったら、
デザインしかしえへん人みたいになるやんって思い始めて、
かといってアーティストっていうのもなんか違うしな、
自分がどういうことをやってるのかっていうのを、
自己紹介の時とかにココココですって言って、
何が一番伝わるんやろって思ったら、
やっぱり作家かって思ったんですね。
なんて言うんでしょうね。
今すごい工芸とか手芸とか、
そのカテゴリーが今すごい自分の中であやふやになってる感じです。
そのうちまたこうですって言い出すと思うんですけど。
須藤さんがさっき話してたテディベアのあり方っていうか、
その活動が工芸的だっていう話してたじゃないですか。
それってどういう意味があったんですか?
それをお聞きしたいんです。
なんか工芸ってやっぱり、
僕は製造業じゃないと思ってるんで、
ただ作ることがやっぱり大きい目的というかね。
作って提供というか世に問うというのが大きい目的なんですけど、
それだったらほとんど製造業ってそうなんで、
その中で自分自身と向き合う時間があったりだったりとか、
あとはお客さんが結局買ってくれたりとか仕事をくれたりするところの要素の中にね、
技術しかないのかもしくは美意識というか仕上げなのか、
そういうどういうところなのかわからないですけど、
美意識が入っているものっていうのはやっぱり工芸的だと思うので。
それを言うとテディベアそうだわ。
確かに。
そうなんですよ。
人形って工芸に入ってますし、日本でもね。
西洋も含めたら圧倒的に工芸的なんで。
広い意味で言うよりは今の工芸の解釈に近い。
ハッターさんがやっておられるようなものっていうのは、
工芸の現状と挑戦
素材として提供することもある仕事だと思うので、
そっちのほうが僕たちで言うと工芸のイメージが強かったんですけど、
ただ今はやっぱりハッターさんもおそらくこう、
直接お客さんに買ってもらえるようなものも開発したりとかされてると思うんですけど、
そういう素材を提供する人間というのはどんどん減ってきてて、
おられるんですけど、当然多くおられるんですけど、
そういう人たちっていうのが一般の人との距離が全然縮まらないんで、
だからアイテムとして提案できる人で、
そのアイテムの中に意識が絶対必要になってくると思ってるんです。
そういう意味では雑工芸だなという、そうなんです。
なるほど。ちょっと嬉しい。
今おっしゃったみたいに工芸って言われるのは嬉しいっていうのは、
すごく全身であったと思うんですよね。
その褒め言葉がどうなのかっていうのは、本来そうでなくてもいいと思うんですけど、
ただいいものだって言われてる気がするっていう言葉の持つパワーみたいなのは、
工芸というのはポジティブなんで、
だからそういう意味では、そうであってほしい。
確かに。言葉のイメージとしては、
なんて言うんでしょう。
なんて言ったらいいんですか。
ジェスチャーしか出てこない。
ジェスチャーでもわかんないけど。
それに真摯に向き合っているというか、
片手間にやってるというイメージよりかは、
これをやっています。
しっかりと言える人なのかなって、
言葉の話を聞いてて思いました。
今出てきたキーワードで言うと、
ハッタさんの仕事の場合、いわゆる製造業的な動きっていうのもすごく多いですよね。
たぶん仕事の局面の中で。
そうですね。
その辺はどうですか。
自分自身の仕事の質とかについて、
美意識的な部分、工芸的だなって思う部分、工業的だなって思う部分。
いや、でも難しいですよね。
どっかの界で、
結構、商品組紐のやってることって工業っぽいこともやってる。
量産品を作るっていうのも含めてですけど、
ただ、僕らのやってる商品って量産をもちろんするんですけど、
全部手工芸なんですよ。
材料はもちろん機械で作ったりもできますけど、
最終製品に作っていく工程は全部手工芸というか、
手で作っていくものなので、
一個一個の形もやっぱり違ったりもしますし、
もちろん素材だけで提供したりとか、
名前の出ないお仕事として部材提供みたいなこともいっぱいあるんですけど、
そういうのも含めて、
どっちというカテゴリーではあまり考えてはないです。
組紐ってもの自体が伝統工芸品としての認定はもらってはいますけど、
自分たちの作っているものが伝統工芸品かどうかって言われると、
別にそういう用途でそれをしかやってないわけではないので、
必ずしもそれイコールではないかなと思っていて、
ただ、作っているものに関してはすごく、
自分たちがここで手を緩めてしまうと、
どんどんどんどん品質が悪くなっていくっていう危惧感みたいなのは常にあるので、
一個一個に対しての、もちろん量産はするんですけど、
それ一個一個に対しての明確な基準みたいなのは、
自分たちでももうちょっと緩めてもいいんじゃないかっていう議論はよくするんですけど、
結構ありますね。これ美品にするんですかみたいなのを、
会社の中でも結構、いいんじゃないですかみたいなのはよくやってます。
それはめっちゃわかる。
岩田さんの会社でもそういうのも。
そうですね。検品厳しすぎる問題とかありますね。
でも検品厳しくするということは、
それによって廃棄されるものとかも増えたりもあるので、
紙の場合はちゃんとロスで出たものっていうのはリサイクルに出すので、
そういう意味では単純にゴミになるわけではないけど、
ここまで人的なコストをそこにかける必要がそんなにあるかみたいな、
その検品にどのくらい意味があるかみたいなことはやっぱり思うこともあるけど、
そこを緩めたらもう緩みっぱなしやでっていうこととかはありますね。
文化の継承と絶滅の危機
これちょっと壮大な話にするべきじゃないかもしれないですけど、
自然とか環境を守っていくっていう、今世の中が向いてる方向ってあると思うんですけど、
当然自然だったり環境っていうのは守っていかないといけないんですけど、
動物がどんどん絶滅していっている、植物が絶滅していっているっていうことについては、
共通の目的としてやっていかないといけないっていう反面ね、
僕が感じているのは文化の絶滅に対して、
すごく軽く扱っていることについてはすごく心配しているんです。
だからこれ前に言いましたっけ、エピソード10、言ったかもしれないですけど、
フランス人、フランス住んでた時にフランス人が日本って、
食文化の話になってたんですよね、日本ってクジラ食べるよねって言って、
クジラ食べたらダメよって言って、
それは日本人については、日本人にとって簡単な話じゃないから、
それ以上は言うなよって言ったんですけど、すごく激行したから、
ダメでしょだってって言って、
これらはお前だよって言って、
ふざけんなよ、
お前たちが行くところ行くところ、
動物も自然も絶滅していっているだけじゃなくて、
文化もどんどん絶滅させてきたことについては、
ちゃんと反省したらダメだろうっていうのを、
クジラが減っているのは取ったらいけない、そんなことはわかって、
それはちゃんと守ってきているし日本だって、
だけど文化が死んでいっていることについては、
一緒に悲しんでほしいんだっていうのを、
それを軽く言ったらダメなんだよっていうのを、
大喧嘩になりました、大喧嘩になりましたそれは、
いいか悪いかって言ったら、
それはいろんな状況でダメかもしれないけど、
だけど文化がなくなっていくことについては、
それは日本の文化なくなっていくっていうのではなくて、
その国の文化だって、やっぱり絶滅していくことについては、
それはどちらかというと積極的に守らせようとしていかないといけないと思うんですよ。
多文化の方が、他国の人たちが、
どちらかというとそれを守ってほしいんだっていうのを、
強く言ってもらいたいので、
文化がなくなっていくっていうことについて、
だからロスを出さないようにするっていうのの根拠が、
自然だっていわゆるエス・イーズなんかわからないですけど、
自然環境のことなら、それをロスにして品質を保っていこうとするっていうのって、
文化を守ろうとしていることだと思うんですよね。
自然と文化を天秤にかけないといけない状況にはなっていて、
それって簡単に結論を出すべきじゃないと思うんですよ。
クオリティと工芸の価値
そうなんですよね。
今だと企業でいろんな会社ができて、サステナビリティとか、
そうすると数値化、たとえばCO2排出量とか、
どのくらいエネルギーを使っているか、
それって機械で測れば、電力をどのくらい使いました、
みんなエレベーターを使わず、階段を使いましょうとか言って、
減らしましたとか言ってるけど、
文化ってそんな測り方ではなく、もっとすごく複雑だから、
一方の測り方すると、どうしてか絶対答えなんて出るわけないじゃないですか。
だから見方の多様性とか寛容かな、
さっき須藤さんがテディベアが、
現代での工芸という在り方に近いという考えとかあって、
工芸を守らなきゃって考えだけだと、
多分出てこない視点だし、
畑さんも物を作っているところに、
どこがBなのか、クオリティをBとするのかという判断で、
それを守るという、クオリティを守らないと文化が守れないというわけでもないけど、
でもやっぱり働いて作っている人たちの続ける意思にもつながっていくから、
このクオリティをOKとして、
そんなんじゃやっていけないと思う人もいれば、
やっぱり作ったものに対してのリスペクト、
何をBとするのかというのは、
素材もったいないだけじゃないじゃないですか。
その人の個性とか思いとか、
筆筋統制とかもあるけれど、
何をもって文化っていうのはすごく難しい話。
だからみんなに避けるんだと思う。
特に企業。
文化ってどうしてもマイナス面と切っても切り離せないじゃないですか。
日本っていう国はよく島組みだからとか、
いろんな言い方で、
日本の西側諸国に対するが進んでいるものとして、
それに対して日本ってこういうところダメだよねっていうような言説の中に、
多分須藤さんの話の中にあった、
壊したらちょっとまずいんじゃないかって文化も含まれるはずなんですよ。
そういう精神性みたいなことがつながっているから。
だから会社でのある程度組織の中での意思決定みたいになってくると、
効率化のためにはそれやめた方がいいよねとかっていう議論の中で、
結構切り捨てられやすい部分だったりするんですよね。
僕が感じているのは、
分かっていない人が信頼を与えてくれてるって感じた時に、
分かっている人はやっぱり普通になりたくて、
あんまり問題じゃないんですよ。分かっているので。
よく分からないけど、
だけどあなたは全力で守るべきものを守ってるんだっていうことだけは分かっているみたいなね。
一般の人たちのその敬意とか信頼っていうのを感じた時に、
使命感が生まれているというかね。
だからそれを啓蒙していくことは当然僕たちの役割に入っているんですけど、
だけどその伝えきれないんで当たり前なんですけど、
毎日ずっと何十年もやってきた人間が持っているものを簡単に伝えることはできないんで、
ただそれを守っている人がいるんだっていうことを、
何だったら私たち全員の誇りに思ってますというような、
分かっていない人がすごく与えてくれる時があるんですよね。
その時に自分が簡単に妥協するわけにいかないというのが使命として生まれてきたという。
だからそれがマイナス要素の部分は僕の中にはあまりないんですよね。
畑さんは宇治でお店があるので、一般のお客さんが普通に予約もなくフラッと入って来れるし、
一応ワークショップとかもやったりとかするじゃないですか。
だから割と一般って言い方がどこを置いておいても、
工芸ということに突如何かのきっかけで触れたっていう人がお店に来たりしますよね。
そうですね、多いというか。見かけたんで入りましたっていう人も多いんですけど、
ただでも工芸品として見られているかどうかっていうのは正直ちょっと分からない部分はありますね。
組紐の制作と品質
ただ、僕らの作っているものを工芸品として意識して作ってはいますけど、
別に組紐を使った商品とか製品って世の中にそこそこあったりはするので、
そことのどういう違いの付け方をするかっていうところに、さっきの自分たちの考える品質の問題っていうのがあって、
この一定のレベルを落としてしまうと、本当に量産品になってしまう可能性があるっていう気がするんですよ。
組紐のこういうのってあるよねって言われてしまうとやっぱり終わりになっちゃうと思うので、
一番言われて嬉しいのは、値段が比較的安い割にクオリティが高いみたいな、
もうちょっと値上げしてもいいんじゃないとかっていうのを結構いろんなお店の方とかからも
私も思った。
品質の割に安価になっている、設定が安いっていうのは、それはすごい褒め言葉だと思いますし、
もちろん自分たちの中でももうちょっとステップアップして、
これにはこういう値段をつけていこうっていう設定はもちろん考えてはいるんですけど、
でもそれが一つの僕らの種まきでもあって、
まずは知ってもらわないことには存続すら危ぶまれるような商品だったり業界だったりするので、
まず本当に身近に使ってもらって需要を生み出してから次の一手を考えていかないと、
もう廃退してしまう産業だったら続けていくこと自体がやっぱりできないので、値段云々という話じゃないですし、
商品として買ってもらって初めて成立するものかなと思いますね。
技術の継承
さっき、オフ会だから今収録って言って、なんかちょっと賢まっているけど、
さっきまでみんなでご飯とかお酒とかお茶とか飲みながら喋っていた時に、
畑さんの一緒に働いている方、何て言うんですか、同僚と呼んでいいのですかね。
会社の伝統工芸師ですね。
昔の紐を見て、これどう作られているかというのを見てみて、
もしかしたらこうかもって解体して畑さんが作ったら、
表面だけは合っているんだけど中身が違うぞという指摘をされるという方がいるという話をされていたじゃないですか。
その方もこの道70年という、何だろう、言語化?
教科書の動きが複雑だから、組紐って4次元の話じゃないですか、
時間軸と構造とだから、それをどうやって残すのかなと思うと、
やっぱりそれは畑さんに引き継がれていくじゃないですか。
ここ違うよって言って、畑さんもこれだったらできるかも。
それってやっぱり引き継がれていくのは、
みんなが学校で勉強したらはい、できますっていう話はないなと思っていて。
そうですね、そういう聞いてみないとわからないこととか、
知らないうちに誰かがアレンジしてて、
それが当たり前にそこのお仕事の中では、
これをずっと何十年もやってきましたみたいなことが結構いっぱいあるんですよ。
その間違ったのか、自分の何かを残したいからアレンジしたのかはわからないんですけど、
でもうちのところはもうこれを30年ずっと使っているんで、
これをそのまま変えたくないですって言われて持ってこられたものは本当にわからないんですよ。
どういう作り方をしているのか、ちょっとアレンジかかっているなみたいな。
それを辞めるときに引き継いでくださったらいいんですけど、
なかなかそういうことにはならないので、ちょっと頑張って解析するしかないっていう。
それを楽しんでやれる人がありがたいことに周りに何人かいたので、
これどうなっていると思いますって聞いたら、
いやこうじゃない、いや違う違うみたいなのを楽しめる人たちが本当にたまたま周りにいて、
なので悩まずに、一人で悩まずに進みますけど、
本来だったら多分もう頭が逃げくり返って、
なんかこう表装だけを整えてできましたって言って、
それが多分次のまた新しいスタンダードになっていく。
バージョンが変わっちゃう。
ダウンしてるのかアップしてるのかわからないですけど、
そういう繰り返しじゃないかなと思うので、
それはでも本当に僕一人じゃなくて、
何人かで知恵出し合いながら考えられるという環境もすごく助かっているなと思いますね。
最初の話にちょっと戻るかもしれないですけど、
須藤さんが工芸っておっしゃっていて、
手芸の話も出たじゃないですか。
手工芸というジャンルというか、手工芸という言い方もあるじゃないですか。
工業品みたいな、ちょうどその中間ぐらいに入れる会社なのかなと思います。
うちの会社っていうのが。
どっちにも言われるとは思うんですよ。
もう一個だけ作るっていうのも文化を守るために、
全然お金にもならないけど、
これをやめてしまったらもう途絶えるみたいなものは、
あんまりお金にならないけど、ちょっと残すためにやりましょうって言って、
力入れでやったりもしますし、
ちゃんと残していくための努力っていうか、
売れるものを作るというか、
需要をちゃんと見て、
それに合うものを作っていくということもやるので、
あんまりここだけっていうカテゴリーで考えてやってるわけではないと思いますね。
なるほど。
畑さんゲストで来ていただいた会で、
組紐って残らない、長い歴史で考えると、
弥生時代に使ってたとか、平安時代のものとか、
やっぱりテキスタイルが残りにくいみたいな話があったじゃないですか。
一方で須藤さんの話の中では、
やっぱり江戸時代に作られたものとかの、
その作家が自分にとっても今、目の前のライバルであったりするみたいな話があったじゃないですか。
多分そこの結構金属っていう、長いスパンで残りやすい素材と、
テキスタイルって消えていってしまうもの。
で、その文化の継承のされ方みたいなアレンジ。
アレンジされた後が金属が鎌倉時代から残ってたら、
こいつアレンジしよったなみたいなのは多分、
追っていくと多分わかりますね。
組紐も、今現状残っているものが全てやから、
どこでアレンジがかかったかわかんないですよね。
わからないですね。
テディウェアもテキスタイルらしい。
テキスタイルじゃない部分もあるけど。
組紐とかに比べたら圧倒的に歴史は短い。
もう圧倒的に短い。
僕もユキさんが半球100カテンとかで出された時に見に行かせてもらったりして、
言ったら全員アレンジしまくっているみたいな。
そうなんですよ。今のお二人の話を聞いていて、
やっぱりテディウェアって結構特殊やなっていうのを改めて思ってましたね。
特に私は個人でやってるっていうのと、
誰か先生に1から10まで教えてもらったわけじゃなくて、
本見たりとか、とりあえず自分でやってみて、
自分の縫い方とか結構めちゃくちゃじゃないんですけど、
ちゃんと作ってるんですけど、自分なりに縫いやすい縫い方で、
テディウェアの文化
自分なりに使いやすい針で、表にひっくり返す作業があるんですけど、
ひっくり返してみて、縫い目が綺麗やったらこれでOKみたいなやり方をしてるんで、
技術をそこで誰かから受け継いでるとかでもないですし、
自分の中でも自分がやっていくうちに、
こっちの方がやりやすいからこっちに変えようみたいなのもやったりするんですけど、
テディウェアを作って貼る、テディウェアアーティストって名乗って貼る国内外の人とかでも、
結構そういう自分なりに作ってる人がほとんどやと思っていて、
見てる限りではそうなんじゃないかなと思うんですけど、
だからなんかテディウェアって何なんでしょう?っていう。
またわからんけど。
すごいだって100年以上続いてて、
でもテディウェアっていう認識はされてるんですよ。
熊野ネイグルフィアとか。
もともと作ったメーカーがあるにしろ、
でもそことはまた別で、いろんな人が作って楽しんで、
販売もして、テディウェア作ってますって自ら名乗って。
だから概念としてはすごい強固やけど、
作り方のフレームがない。
だから何何派とかそういうのもなく、
なんかすごい特殊な、それも文化やと思うんですけど、
すごい特殊やなって思ってお話ししてました。
文化を超えた文化かもしれない。
なんかこういうイギリス風、ドイツ風、
ローカライズされやすい。
あとすごい個人的な好みもすごい反映されると思う。
顔つきとか、触った感触とか、
これがザ・ベストテディウェアですとかいう、
国宝級テディウェアとか、
そのうち出てくるかもしれないけど、
でも結城さんが作っているのは、逆に素材から作っているから。
そうですね。でもそれすらもテディウェアって呼べてしまうので、
何でもありといえば何でもありなんですよ。
そう、だから伝統工芸家って言ったら、
そうではなさそうですけど、
だけど工芸家って言うと、
今の一般的な工芸の認識で色々あるんでしょうけど、
やっぱり作り手と触れたがってたりとか、
コミュニケーションを取りたがってたりとか、
顔が見えることを結構一般の人って求めてたりするので、
それがどんどん講じていくと、
いわゆる作家だってことになっていくと思うんですよね。
だから作家的であると思うんで、
工芸作家だって話で言うとおそらくそうだと思うんですけど、
畑さんがおっしゃったように、
いかに残していくかっていうのはやっぱり伝統工芸の、
これは僕はでも使命だと思っているので、
そこをアレンジするときに、
結構作りやすさとかっていうだけじゃなくて、
やっぱり使命というか自分が残すべきものが何で、
捨てていいものが何でっていうのを考えてると思うんですよね。
確かにそこに自分だけの意思じゃないっていうのはありますよね。
特にたぶん畑さんの掛かわられているものとかって、
宗教的な意味合いがその結び方にあったりとか。
変えられない部分は絶対ありますね。
いろんなジャンルにもあると思いますけど、
例えばテディベアの作り方で、
わからないですけどここはこういうふうに縫わないといけないとか、
そういう部分を残しつつのアレンジだと思うので、
組み本ってそれすごいやりやすいと思うんですよ。
途中で切り替えるとか、ちょっといって変えるとかだけでも
アレンジが効いちゃうので、
でもたぶんそれをやる前の主軸みたいな部分は絶対残さないと、
全く違うものに変わってしまうので、
それは自分たちではどうにもできない部分というか、
逆に言うと変えてはいけない部分だと思うので、
そこを守った上での作り方をもうちょっと簡易的にするというか、
そこはたぶん企業努力という意味だと思います、ある意味。
もうちょっと作りやすくするとか、
今後も続けていくためにやりやすくするみたいな、
言語と文化の変化
努力の部分の範疇かなとは思いますけどね。
でもちょっと話がずれちゃうかもしれないですけど、
すごい今の説明、言語もそうじゃないですか、
言語ってすごく時代によって、
言葉も新しい言葉も変わっていくし、
でも守らなきゃいけないベースが、
例えばイギリスらしい英語なのか、
アメリカっぽい英語なのか、同じ英語にしても、
日本語も地方によって大切にしているものもあれば、
時代によって新しいものもコロコロ変わるけれど、
日本かしらは絶対ニュアンスだったりとか、
大切にしたいという言語化できないものも含めてあるなと思っていて、
私たち言葉を大事にしているのは、
人とコミュニケーションが取れる記録媒体にもなる、
自分の考えをまとめることもできる、
工芸が作っている人が自分と向き合う、
人に見てもらう、人と一緒に作るということで、
どうしても介入が起きるから、
イヤが大でも一人で作って、
一人で満足しているということにはどうしてもできないし、
今と今度100年後とかにもコミュニケーションをしているわけじゃなくて、
作っていることは残ってしまうから、
作り方とかも、
私は言語を勉強するのが好きだから、
そういうふうに聞いていて思ったんだ。
それが文化という国だと、
本当にどうやって守っていくんだろうというのは、
守っていながら変わっていかなければいけないし、
ただやっぱりね、
作っていて、
ちょっとお三方に聞きたかったのが、
食べていくための苦労って最初はあると思うんですよ。
畑さんはラジオで伺っていたので、
ちょっと全然別格な話だと思うんですけど、
ハローワークという、
生活のためのところからスタートしたけれど、
須藤さんとかはやっぱり、
お仕事でそこに食べていけるまでの、
いろんなあれやこれや苦労、工夫があったじゃないですか。
ありました。
あのね、
ちょっと僕は多分勝手にお二人の、
さっき際にいるみたいなことを言いましたけど、
だけどお二人の話を聞いていて、
自分はどっちもやっているなと思ったんですよね。
テディベアを作家として作っておられるというようなことで、
作家的に僕も作品を作りますし、
でもそうやって修理したいとか、
もしくはこの部分をこうしたいんだ、
こういう漆のものにこういう金具を作ってほしいんだ、
っていう話とかっていうのも、
それは全く伝統的な形を大事にして作ったりとか、
だからその、
なんていうんですかね、
やっぱりずっと僕も職人でやってきて、
作品を作る時に、
若い時は作ってましたけど、
それはもう本当に気楽に作ってたんですけど、
やっぱりこう積み重なってきた、
しがらみというかね、
自分が勝手に引き継いだと思っている美意識だったり、
技術だったりがあって、
そこを込めない作品を作るっていうのは、
なんかちょっとこう、
一歩こう自分が大事にしようとしているものに対しての、
不誠実かなって気持ちとか出たりとかね。
ただやっぱりその時に、
自分の純度を上げないといけないというか、
自分っていうのはどういうところにこだわりたいのかとか、
どこを見せたいのかとかっていうのを、
作品を作る段になると、
すごく意識しないといけなくなるんで、
それをいかに捨てるかっていうのが、
ある意味職人的なんですよね。
伝統だったり、
いやこっちのかっこいいだろうとかっていうのは、
勝手に変えれないし、
もしくはやっぱりお客さんの予算だったりとか、
それに合わせて自分が、
捨てないといけない部分が出てくるんですよね。
それを、
作品を作る時にその経済性だったりとか、
そういう手を抜くところの理由を探してしまうと、
本当にグダグダになっていっちゃうので、
そこではやっぱり、
本当にずっと自分と向き合わないといけないんで、
その振動さも分かってるんですよね。
ただそちらの状態の時に、
技術的な、もしくは知識的な、文化的なベースを、
ちゃんと守らないといけない時の振動さも、
そちらにまた戻らないといけない時に、
そのハードルも分かっているので、
だから性質は全然違うんですけど、
すごく人間が物を作っていく上で、
しかも物ってやっぱり残っていくので、
紐だとか、もしくは繊維の物というのは、
短いと言えれど、
ただやっぱり本当に大事に置いておかれたら、
ずっと残るんでね、やっぱりね。
だから物の命って本当にすごく長いんですよね。
自分たちが生きている時間とかっていうのは、
すごく短いんで、
その司法さんがさっきおっしゃった、
100年とかのスパンで、
向き合っていかないといけないっていうのとかっていうのは、
あまりどちらも変わらないと思っていて、
その中で、僕はどちらかというと、
どちらの顔も自分が持つことで残ってきたし、
それを今後の若手たちには、
お勧めしたいんですよね、正直言うとね。
どちらか一つだとやっぱりすごく危ういんでね。
業界としてもね。
だからどちらもできていくという。
だから多分葉田さんが普段開発されている商品みたいな物っていうのは、
お客様を意識しているんだって。
そういうのが考えておられるのは、
どちらかというと売れるかどうかよりも、
やっぱり自分自身が。
自分が好きだと。
職人の苦労と納得感
売れなかったら売れなかったで、
パートタイムで働きながらね。
まっしゃるとおりだよ。
だからそこら辺の、
それはもう僕はどちらもやってきた方で、
それは強く進めたいんですよね。
更新にね。
ただ得るものを得ないといけないものとか、
習得しないといけないものが増えるので、
そこのしんどさはやっぱりあるんでね。
バランスでもないけど、
その納得感のためだと思うんですよね。
もちろんみんな生活もあるし、
やっぱり生活きつくなるとストレス溜まるわ。
納得感。
何を私はそこまで犠牲にしてやらなきゃいけないとか、
家族も協力してもらってるしとか色々あるじゃないですか。
その納得感のためにやってると、
一般人の人たちから見るととても羨ましいんですよ。
いいなって納得して生きている。
どっちにしても。
でも多くの人は会社で朝8時から5時まで働いて、
電車に乗って納得していない仕事をして、
お金をもらう生活をするっていうところに作ってる人は
羨ましいなって思ってるということを
すごい私はアーティストだけど思われがちなんで。
塩さんも思われる側ですよね。
側ですね。
でも私どっちかというと須藤さんタイプかな。
どっちもやる。
クライアントワークもやるし、
自分の好き勝手なこともやるけど、
自分が好き勝手やるときはキワキワにやろうと思ってる。
誰の言うことも聞かないし、
基本は無理って言われても、
なんで無理なんですかみたいな、
頼んだ人に困らせるかもしれない。
なんでダメなのっていう。
納得するまでしつこく、
こうしたらどうだろうとか。
オーダーするときもあるじゃん。
自分で作れないとき。
そういうときはやっぱりこだわりたい。
お客さんのときは、
お客さんの何かを引き出したいという欲求が出てくる。
答えるだけじゃなくて、
お客さんのまだ見たことのない自分の欲求を
引き出したいというのは裏テーマ。
それをどうやってうまく飛び出さないくらい、
予算とスケジュールの間にやるという考えはある。
収録の前にみんなで話しているときに、
ユキさんが話してて、
改めてそういう人だよなと思ったんですけど、
この間まで2人テンで出されてて、
2週間くらい作らない時間。
材料をしないといけなくて、
作れない時間がしんどくて、
その後も作りまくって。
引きこもってますからね。
今のこの話の流れで言うと、
ユキさんの場合も完全に自分の自身で作るというところに
振り切っている生活をしているわけですよね。
僕正直想像したらめちゃくちゃ不安やな、
毎日不安なんじゃないかなって思っちゃうんですよ。
そうなんですけども、
今のところそれが楽しめてるんで、
一応いいかなっていう。
残していきたいとか思わないですか?
自分の美意識だったり技術だったりとか。
それは思って、
まだ私がそこに行けてないというか、
まだまだ私いろんなこと試して、
これが私の技術ですみたいなのは全然ないんですよ。
やってみたらできたわぐらいの感じなんですね、今って。
さっきおっしゃってた、
作家制と伝統的なものを受け継いで、
また引き継ぎってみたいなところとかも、
今私は作家制にすごい振ってるところを、
これ多分本当に立ち行かなくなって、
ご飯食べれなくてパートをそれこそやらないとなった時に、
多分パートで選ぶ仕事を、
何かしらテディベアに活かせる仕事を選ぶんですよ、私の場合は。
それが伝統工芸的なところなのか、
もっと内職的なところなのかわからないんですけど、
内職からのノウハウっていっぱい詰まっていたりとか、
何からでも学べると思っているので、
それを全部テディベアに集約してやろうという気持ちはすごいです。
なので、もしかしたらこれから塩さんみたいになっていくかもしれないですし、
今のところまだ私はやりたいが強いので。
塩さんたちはアーティストじゃないですか。
アーティストはそういう感覚というのはないんですか。
自分が持っている美意識だったりとかを、
更新に伝えていきたいみたいな。
美意識というよりは考え方とか生き方というか、
あとは簡単にいうとうまく立ち回り方とかは教えてあげたい。
何か自分苦労した分、そこはちょっといらん苦労だったなとかは教えて、
もっと気楽にできるとかやって、もっと広がってほしい。
自分は失敗したところは知ってもらって、
それは繰り返さず生かしてほしいなと思うことで、
学校で教え始めたの最近だけ。
僕はだからお前が持っている技術を後にどう伝えていくかを考えないのは無責任じゃないかというのを
やっぱり言われるんで。
そんなこと言われてもというね。
私は惜しみしているわけじゃないので。
若手育成の必要性
さっき1個質問があったんですけど、
須藤さんがその更新の育成を今後は考えていかないといけないとお話された時に、
自分の会社というか自分の仕事の中に人を雇って教えていくのか、
学校みたいなところで伝えていくのか、どういうスタイルなのか。
自分の仕事の中で人を雇うとなると、
その1人分のプラスアルファを生み出さないといけないじゃないですか。
そうするとさっきの伝統的な仕事と、
お客さんに沿った仕事というのの配分を変えていかないといけないと思うんですよね。
そういうのも含めてのどういうスタイルで教えていくというのを考えてあるのかなと思って。
僕は30代の頃はそれをチャレンジして、
実は佐々木も学校で教えた頃の教え子なんでね。
だから彼はどっちかというと教え子というよりは、
途中から仲間として一緒にやってくれましたけど、
彼と2人で一緒に若手を育てようとしたりとかしましたけど、
なかなかうまくいかなくて、
結局だから僕も伝統工芸の中では30代といったら、
まだまだ独立できるかどうかの年なんで、
その年で仕事を取ってくれるとやっぱり安いんですよね。
やっぱりまだまだ手も遅いし、環境もまだまだ整ってないんで。
制作する感じ。
そうなんです。今自分がやれる技術的な問題だけじゃなくて、
環境的な意味で今よりもすごく時間がかかるんで、
当然利益が出ないですよね。
あとはそれを労働時間で埋めようとして、
1日10何時間とか働いて埋めてましたけど、
体もガタガタが来たし、
もうやっぱり死なっちゃったら終わりなんでね。
やっぱりね、なんでこんなことしなあかんのだってね。
それ本当に迷ってるんですよ。
ただ昔よりは少し利益率も上がってきたし、
設備投資に使わないといけないお金もほとんどなくなってきたんで、
人的な投資をしないといけないかなという。
ただそれを先ほど塩さんもおっしゃってましたけど、
家族がどう思っているかとかっていうのも、
僕の頃は無視してたんですよね。
そこは若さゆえの勢いというかね、
仕方ないじゃないかっていうので、
ただもう仕方なくなくなってきたんで、
この年だとちゃんとできてないと、
それは言い訳できないんでね。
だからそこら辺の事例もありますけど、
ただやっぱり僕が得てきた経験、
今1500点、1700点くらい修理で預かってきましたけど、
多分この後の世代で、
そういう俺と同じだけの量的なものだけじゃなくて、
質の意味も含めて同じような経験をできるって、
もうあまり考えられないんですよね。
だからそうやってなると、
じゃあ自分が得たものっていうのは、
本当に個人の財産なのかっていうのが、
どんどんどんどん自分の持ってるものって、
預かってるものだっていう気がどんどん増えてきてて、
それは決して僕たちだけじゃなくて、
小美術のコレクターとかっていうのは、
やっぱり自分の持ち物だとあんま思ってないんですよ。
今一旦預かってるだけで、
それを例えば美術館に寄付したりとか、
もしくは次のコレクターに譲ったりとかって言って、
人類の財産として残していくっていうのを思ってて、
だから自分が持ってる間に、
なるだけ良い状態に戻しておいてあげたいっていうのが、
やっぱり根底にあるんで。
っていうのが、
僕がいる業界と界隈っていうのは、
僕たちもそうだし、
お客さんの方がもしかしたらより強くそれを持ってて、
それを自分もやっぱり考えないといけないんですけど、
ただやっぱりね、
もう今45なんで、
20歳とかの子たちだと、
年齢も離れすぎてて、
やっぱり共通の言葉も何もないんで、
正直言うとちょっとそこは難しいと思ってるんですよ。
30歳ぐらいの人間に何とか引き継いでいかないといけないんですけど、
技術の継承
その子たちも同じように、
その次の世代のために我慢をしてもらわないといけない状況なんで、
それを次の世代にお願いするのが心苦しいんですよね。
仕事として手伝いに来てもらったとしても、
やっぱりそんなにお金も払えないですし、
生活なんとかできるぐらいしか払えないし、
労働時間どうしても長いし、
労働じゃない部分も多いんで、
ここを見とけよみたいな話とかっていうのが、
まずいなと正直言うと。
何とかでも残していきたいんで。
1個質問します。
佐々木さんと若手育成にチャレンジされたっておっしゃってたときに、
何がダメや、どういうふうに若手の方が挫折していくのか、
このペースでは成長が遅すぎるっていう。
それ聞きます?
いえいえいえ。
彼と言ってたのは、まず僕が、
佐々木、これやれよっていうのを。
お客さんから正直なことはあんまり本人に言ってないですけど、
佐々木がやったやつを持って行って、
ダメ出しが出たりとか、
僕が直して納品しますんで、みたいなのもあったんですよね。
そういうのをただ、お前が育ってくれたら、
今1対1だけど、2人で1人を育てる。
育ったそいつと3人でまた次の人。
4人で1人。
どんどん楽になっていくから、
今乗り越えよっていうのをずっと言ってたんですよ。
1人育ってきて、育ってきたら佐々木が辞めた。
神戸よ。
神戸よ。
お前辞めて。
お前辞めて。
お前辞めてお前にするやん。
全然違うストーリーやん。
とんざしたのは、あいつが後継を辞めたんです。
ちなみに来週佐々木さんと一緒じゃなくて、
お部屋があるから。
分かるよ。
楽しすぎ。
だから、つまり彼がやったこと、彼に言ってた負担っていうのが、
次の世代のために負担を、
次の世代にも負ってもらわないといけない。
その次の世代にも、
だからそれが3代ぐらい続かないと、なかなか立ち直っていかないんですよね。
手を使うからね。
結局その体力がないので、
今ぐらいでちょうど廃業とか、
3代目で辞めてしまうケースが多いんだと思います。
結局、自分で加工する、手加工っていうのを減らして、
俗人性というのを海さんよく言ってますけど、
俗人性を下げていく方向に考えとしていくんですけど、
それは金属もいつも言ってるみたいにすごく進んでて、
それの行き着く先はコンピューターで制御して、
自動加工の機械になっていくので、
その部分に行くのはダメなんですよね。
ダメというか、そういうことじゃないんですよ。
ただやっぱり佐々木と一緒にやってた時っていうのは、
例えば毎日2時まで一緒に仕事してたんで、
ちょっと今聞くとさらにつらい話。
そういうときは全然大変だと思ってなかったんですよ。
須藤さんは?
多分彼も。
来週聴いてください。
終わろうこれ。
ある日12時に帰るようにしてるんで、
どっか行くんかなと思って。
どうしたんかなと思って。
今日4時半のか?って言ったら、
いやいや、帰るんですよ。
なんでや2時までやろうやって。
いやもう12時だから帰らせてくださいよって言って。
なんで帰らないといけないのかあんまりよく分かってなかったです。
それぐらい忙しかったし。
仕方ないんですよね。
別に決して僕だけ車に乗ってゴルフとかだけ行ってやっとくかみたいな。
そんな一番ブラックな状態で働いてるのは僕なんで。
それは一緒にやろうよというのはね。
その日1日に帰って寝て、学校でその時はまだ働いてましたから。
だから普通に7時に起きて。
この話が正直聞いてる方に響くか分かんないんですけど。
もうそろそろ時間ということで。
まだ全然もう1ページエピソードいけそうな感じですけど。
今日はこの辺で3方の会話終わりになるんですけど。
制作の楽しさ
ちなみに倉田紫ラジオ、まだまだリスナー少ないんですけど。
いくつぐらいの方が聞いてもらってるかとか男女比とか分かるんですよ。
僕らやってるのが40代なんで割と同世代が多いんですけど。
30代と40代50代ぐらいのところが一番ボリュームゾーンなんですけど。
20代とか10代とかの聞いてもらってる人とかも一定数というか少なからずいて。
だから今の2時までは。
過去の話だね。今はみんな違うので。
なぜそれをやってるのかみたいなところって。
若いうちに経験積まないとなかなか話だけ聞いてもよく分からんなみたいな感覚的にあると思うんですけど。
僕結構倉田紫ラジオずっと聞いてもらったら。
実際にものを作りながらどういうふうにそれぞれの人が考えてるのかっていうのを。
自分で、僕自身もそうですけど。
自分で経験しない中でも得ていくものとかってある気がしていて。
結構この番組の意義があるんじゃないかなって思ってると思うんですけど。
だから今日の対談もいい座組でしたね。
ネタバレすると異性の説を引いたくじ引きだったのに。
そういう話が聞けた回でしたね。
最後にごめんなさいね。
作り手にとって一番幸せな時間って技術的にある程度極まってからなんですよね。
だからなるだけ早くそこに行ってほしいっていう気持ちなんですよね。
それが伸びれば伸びるほど苦しい時間は長くなるので。
本当にそこそこでほとんどのことができるようになるとその後はずっと楽しいんですよね。
それをなるだけしんどいけど短時間で終わらせてあげたいと。
それを意識してもらいたいんです。
スリートっぽい。
そうなんですよ。
オリンピックを見てから余計に感じるけど。
基礎練習を早く終えてほしい。本当に。
楽しくなったらでも2時までやってても結局文化祭みたいなノリになって。
2時までやってたらたぶんしんどくないんだと思うんですよ。
一緒にやろうぜみたいな気持ちがある。
僕は2時に帰った後Yahoo!オークションで中古機械の良いのが出てないかっていうのを毎日1時間か2時間見てました。
そんなことない。
全然しんどくなかったです。
仕事じゃないですよね。
私もそうなんですけど。
別に仕事してるって感じではなくて。
徹夜とかもやらないというかテンション上がってきたらこれ絶対今日中に完成させようみたいな。
やっぱり技術が伴うと余計そうになっていくんでしょうね。
だから深夜のラジオが眠たくなる音楽を流し始めるんですよ。
それがある程度超えるとまた一周して割とテンション高める。
その感覚と一緒にしんどさも。
対談会の締めくくり
しんどい時間で12時くらいなんですよ。
このエピソードがそういう状態になっちゃった。
そろそろ終わりましょう。
来週もこの対談会を別の座組でお送りしますのでお楽しみにということで来週も火曜日配信します。
ハッシュタグCONCRAとフォームでも皆さんの感想をお待ちしております。
皆さんありがとうございました。
01:05:53

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