こういう場を設けといて、特に何の電話も持ってきてないんですけど、結構あれですかね、皆さん出演していただいてから、倉田市ラジオはちょこちょこ聴いてもらってるって感じですか?
そうですね。
コンテンツ。
なかなかね、僕もそうですけど、一つのポッドキャストね、長いし、倉田市ラジオ。
そう、だんだん長くなりますもんね。
全部聞くとかちょっと無理なんでね。
1.5枚ぐらいがちょうどいいとか言われるぐらいの。
番組でこれまでお話ししてきた中で、結構それぞれゲストで来ていただいた方のお話とかを、他のゲスト来てもらった時とか3人で喋ってる時とかに割と反数しながら話を深めていくみたいな感じで来てるので、
このお集まりのお三方も、倉田市ラジオでお話しいただいてから結構時間も経ってるので。
シーズン2という共通点があるし、今4ですよね。エピソード5がこの前出たから。なのでだいぶ経ってるしね。
ちょっとなんかこう、倉田市ラジオでお話しいただいてたことを何かきっかけに、きっかけじゃなくてもいいけど、今どんなものを作ってますかとかね。
どんな考えでものを作ってるかみたいなこととかを、それぞれのちょっと上手いことね、組紐と金属工芸と。
ユキさんは、僕がお声掛けした時に、工芸をテーマにということで倉田市ラジオを始めましたけど、
いわゆる工芸って聞いた時に連想するような伝統工芸みたいなものとはちょっと違う、もっとインディペンデントな活動としての、
手芸とかって言われることも多いような領域のお話を聞いてみるのが面白いんじゃないかということでお声掛けしたところもあるので、
その辺のスタンスの違いみたいなこととかもみんなでお話しすると、違いとか実は違いないみたいなことをお話の中で聞けたらな、なんて思っております。
僕は初めて海さん、今おられないですけど、海さんと塩尾さんと岩田さんとお会いした時に、その時は伝統工芸の職人だったので、
皆さんは伝統工芸というか工芸自体にここから触れていくぐらいのタイミングだと思うんでね。
僕は自分自身がいわゆるザ工芸みたい、ザ工芸のど真ん中の住人だと思ってたんですけど、
蔵野社長をずっと聞いてきて、その後いろんな他の外部との関わりも増えてね、
割と自分のキワの方にいたんだなっていうのが、工芸の中でもだいぶキワの方にいるというか、
お付き合いしている人たちも含めて、全然中心で工芸をやっているというよりは、
そんな人たちいるんだみたいな人たちとビジネスもそうだし、活動もしてるんで、
どちらかというと、工芸が自分の思ってたよりもかなり大きい言葉なんだなっていうのも、
自分の認識ではもっと小さい世界だったんで、その中では真ん中にいると思ったんですけど、
自分がいるいわゆる伝統工芸の中でもかなり小さいところだったんで、
工芸っていう全体の中でいうと、すごく端の方にいるというかね、っていうのが印象なんですよね、このラジオをずっと聞いてきて。
だから、どちらかというと、さっきおっしゃったみたいな、ペリベアが工芸に入るのかっていうのは、
昔は多分全然入らないと思ったと思うんですけど、今はそういう人たちの方が、
どちらかというと工芸の中心側にいるみたいな印象にちょっと変わってきてるんですよね。
特に今、最近のいわゆる工芸っていう言葉の持つ意味でいうと、
おそらく一般の人は話聞いていくと、ペリベアっていうアイテムというよりは、
そのスタイルだったりとか、そういうのを工芸って呼んでるんじゃないかなという、
アイテムがちょっとぼやかせてるかもしれないんですけど、ペリベアっていうアイテムが。
っていうのが自分が変わっていった部分。
まさか須藤さんはそんな変わっているとは。
そう思って聞いて。
だから自分の立ち位置って相対的なものじゃないですか。
それが広がれば広がるほど、知識というかね。
広がれば広がるほど自分の相対的な位置って変わっていくと思うんで。
すごいこう、なんか俺が知ってるんだという。
知らないお三方に伝えるんだって気持ちがあったんですけど。
もしくはリスナーに伝えるような気持ちがあったんですけど。
そうも言えんなというのが、なんかちょっとこう。
こちらが分かってなかったり、
こちらの状況を共有してもらっても、
工芸全体の話とは全然遠いところの話に行くみたいなのも多いなっていうのがね。
なんかこの間ずっとこう。
ちょうどだから僕が、いわゆる下職というかね、
プロ対プロの仕事を受けているところから作活動だったりとか、
もしくはいろんなそういう作り上げの人と交流し始めた時だったんで。
だからもっともっとこう、そうなんですよね。
もっとこう、いわゆるこう。
ガラパゴスカって言うんですかね。
すごい進んでた時だったんで。
鎖国が解けたみたいな。
鎖国が解けた。
やっとその世界に。
世界って広かったんだなっていうのがやっとこの間。
だからそういう認識が変わったことで、
自分たちが大事にしないといけない価値観とかも、
ある意味より再認識した部分もあるし。
なんか、そうですよね。
逆にというか、ゆきさんからしたら、
正直、工芸っていうテーマでやりだした番組に、
こっちからお声掛けして、
別に自分としては工芸という自覚は全くないし、
むしろ遠藤いもんと思ってたぐらいですよね、たぶんね。
そこで話してもらったことで、
今の須藤さんの認識の広がりみたいなのがあったということですけど、
ゆきさんとしては工芸という言葉に対するイメージとか、
自分のやってることの認識の仕方ってどうですか?
そうですね。まず工芸という言葉の、
いまだにあまりつかめてないのが正直なところで、
考えれば考えるほど工芸とか、
手芸はなんとなく、手芸屋さんっていうものがあるんで、
手芸屋さんにあるものの中から作ってたら手芸かな、
みたいなイメージはあるんですけど、
デザイナーとかアーティストとか、
そこら辺のカテゴリー分けみたいなのが、
今、個人的に全然わかってない、
振り出しに戻るみたいな状態に。
デザイナーって名乗ってます?って言ってたんですけど、
最近それあんまり名乗ってない。
ディティベアデザイナーって自分で言ってしまったら、
デザインしかしえへん人みたいになるやんって思い始めて、
かといってアーティストっていうのもなんか違うしな、
自分がどういうことをやってるのかっていうのを、
自己紹介の時とかにココココですって言って、
何が一番伝わるんやろって思ったら、
やっぱり作家かって思ったんですね。
なんて言うんでしょうね。
今すごい工芸とか手芸とか、
そのカテゴリーが今すごい自分の中であやふやになってる感じです。
そのうちまたこうですって言い出すと思うんですけど。
須藤さんがさっき話してたテディベアのあり方っていうか、
その活動が工芸的だっていう話してたじゃないですか。
それってどういう意味があったんですか?
それをお聞きしたいんです。
なんか工芸ってやっぱり、
僕は製造業じゃないと思ってるんで、
ただ作ることがやっぱり大きい目的というかね。
作って提供というか世に問うというのが大きい目的なんですけど、
それだったらほとんど製造業ってそうなんで、
その中で自分自身と向き合う時間があったりだったりとか、
あとはお客さんが結局買ってくれたりとか仕事をくれたりするところの要素の中にね、
技術しかないのかもしくは美意識というか仕上げなのか、
そういうどういうところなのかわからないですけど、
美意識が入っているものっていうのはやっぱり工芸的だと思うので。
それを言うとテディベアそうだわ。
確かに。
そうなんですよ。
人形って工芸に入ってますし、日本でもね。
西洋も含めたら圧倒的に工芸的なんで。
広い意味で言うよりは今の工芸の解釈に近い。
ハッターさんがやっておられるようなものっていうのは、
素材として提供することもある仕事だと思うので、
そっちのほうが僕たちで言うと工芸のイメージが強かったんですけど、
ただ今はやっぱりハッターさんもおそらくこう、
直接お客さんに買ってもらえるようなものも開発したりとかされてると思うんですけど、
そういう素材を提供する人間というのはどんどん減ってきてて、
おられるんですけど、当然多くおられるんですけど、
そういう人たちっていうのが一般の人との距離が全然縮まらないんで、
だからアイテムとして提案できる人で、
そのアイテムの中に意識が絶対必要になってくると思ってるんです。
そういう意味では雑工芸だなという、そうなんです。
なるほど。ちょっと嬉しい。
今おっしゃったみたいに工芸って言われるのは嬉しいっていうのは、
すごく全身であったと思うんですよね。
その褒め言葉がどうなのかっていうのは、本来そうでなくてもいいと思うんですけど、
ただいいものだって言われてる気がするっていう言葉の持つパワーみたいなのは、
工芸というのはポジティブなんで、
だからそういう意味では、そうであってほしい。
確かに。言葉のイメージとしては、
なんて言うんでしょう。
なんて言ったらいいんですか。
ジェスチャーしか出てこない。
ジェスチャーでもわかんないけど。
それに真摯に向き合っているというか、
片手間にやってるというイメージよりかは、
これをやっています。
しっかりと言える人なのかなって、
言葉の話を聞いてて思いました。
今出てきたキーワードで言うと、
ハッタさんの仕事の場合、いわゆる製造業的な動きっていうのもすごく多いですよね。
たぶん仕事の局面の中で。
そうですね。
その辺はどうですか。
自分自身の仕事の質とかについて、
美意識的な部分、工芸的だなって思う部分、工業的だなって思う部分。
いや、でも難しいですよね。
どっかの界で、
結構、商品組紐のやってることって工業っぽいこともやってる。
量産品を作るっていうのも含めてですけど、
ただ、僕らのやってる商品って量産をもちろんするんですけど、
全部手工芸なんですよ。
材料はもちろん機械で作ったりもできますけど、
最終製品に作っていく工程は全部手工芸というか、
手で作っていくものなので、
一個一個の形もやっぱり違ったりもしますし、
もちろん素材だけで提供したりとか、
名前の出ないお仕事として部材提供みたいなこともいっぱいあるんですけど、
そういうのも含めて、
どっちというカテゴリーではあまり考えてはないです。
組紐ってもの自体が伝統工芸品としての認定はもらってはいますけど、
自分たちの作っているものが伝統工芸品かどうかって言われると、
別にそういう用途でそれをしかやってないわけではないので、
必ずしもそれイコールではないかなと思っていて、
ただ、作っているものに関してはすごく、
自分たちがここで手を緩めてしまうと、
どんどんどんどん品質が悪くなっていくっていう危惧感みたいなのは常にあるので、
一個一個に対しての、もちろん量産はするんですけど、
それ一個一個に対しての明確な基準みたいなのは、
自分たちでももうちょっと緩めてもいいんじゃないかっていう議論はよくするんですけど、
結構ありますね。これ美品にするんですかみたいなのを、
会社の中でも結構、いいんじゃないですかみたいなのはよくやってます。
それはめっちゃわかる。
岩田さんの会社でもそういうのも。
そうですね。検品厳しすぎる問題とかありますね。
でも検品厳しくするということは、
それによって廃棄されるものとかも増えたりもあるので、
紙の場合はちゃんとロスで出たものっていうのはリサイクルに出すので、
そういう意味では単純にゴミになるわけではないけど、
ここまで人的なコストをそこにかける必要がそんなにあるかみたいな、
その検品にどのくらい意味があるかみたいなことはやっぱり思うこともあるけど、
そこを緩めたらもう緩みっぱなしやでっていうこととかはありますね。
そうなんですよね。
今だと企業でいろんな会社ができて、サステナビリティとか、
そうすると数値化、たとえばCO2排出量とか、
どのくらいエネルギーを使っているか、
それって機械で測れば、電力をどのくらい使いました、
みんなエレベーターを使わず、階段を使いましょうとか言って、
減らしましたとか言ってるけど、
文化ってそんな測り方ではなく、もっとすごく複雑だから、
一方の測り方すると、どうしてか絶対答えなんて出るわけないじゃないですか。
だから見方の多様性とか寛容かな、
さっき須藤さんがテディベアが、
現代での工芸という在り方に近いという考えとかあって、
工芸を守らなきゃって考えだけだと、
多分出てこない視点だし、
畑さんも物を作っているところに、
どこがBなのか、クオリティをBとするのかという判断で、
それを守るという、クオリティを守らないと文化が守れないというわけでもないけど、
でもやっぱり働いて作っている人たちの続ける意思にもつながっていくから、
このクオリティをOKとして、
そんなんじゃやっていけないと思う人もいれば、
やっぱり作ったものに対してのリスペクト、
何をBとするのかというのは、
素材もったいないだけじゃないじゃないですか。
その人の個性とか思いとか、
筆筋統制とかもあるけれど、
何をもって文化っていうのはすごく難しい話。
だからみんなに避けるんだと思う。
特に企業。
文化ってどうしてもマイナス面と切っても切り離せないじゃないですか。
日本っていう国はよく島組みだからとか、
いろんな言い方で、
日本の西側諸国に対するが進んでいるものとして、
それに対して日本ってこういうところダメだよねっていうような言説の中に、
多分須藤さんの話の中にあった、
壊したらちょっとまずいんじゃないかって文化も含まれるはずなんですよ。
そういう精神性みたいなことがつながっているから。
だから会社でのある程度組織の中での意思決定みたいになってくると、
効率化のためにはそれやめた方がいいよねとかっていう議論の中で、
結構切り捨てられやすい部分だったりするんですよね。
僕が感じているのは、
分かっていない人が信頼を与えてくれてるって感じた時に、
分かっている人はやっぱり普通になりたくて、
あんまり問題じゃないんですよ。分かっているので。
よく分からないけど、
だけどあなたは全力で守るべきものを守ってるんだっていうことだけは分かっているみたいなね。
一般の人たちのその敬意とか信頼っていうのを感じた時に、
使命感が生まれているというかね。
だからそれを啓蒙していくことは当然僕たちの役割に入っているんですけど、
だけどその伝えきれないんで当たり前なんですけど、
毎日ずっと何十年もやってきた人間が持っているものを簡単に伝えることはできないんで、
ただそれを守っている人がいるんだっていうことを、
何だったら私たち全員の誇りに思ってますというような、
分かっていない人がすごく与えてくれる時があるんですよね。
その時に自分が簡単に妥協するわけにいかないというのが使命として生まれてきたという。
だからそれがマイナス要素の部分は僕の中にはあまりないんですよね。
畑さんは宇治でお店があるので、一般のお客さんが普通に予約もなくフラッと入って来れるし、
一応ワークショップとかもやったりとかするじゃないですか。
だから割と一般って言い方がどこを置いておいても、
工芸ということに突如何かのきっかけで触れたっていう人がお店に来たりしますよね。
そうですね、多いというか。見かけたんで入りましたっていう人も多いんですけど、
ただでも工芸品として見られているかどうかっていうのは正直ちょっと分からない部分はありますね。
さっき、オフ会だから今収録って言って、なんかちょっと賢まっているけど、
さっきまでみんなでご飯とかお酒とかお茶とか飲みながら喋っていた時に、
畑さんの一緒に働いている方、何て言うんですか、同僚と呼んでいいのですかね。
会社の伝統工芸師ですね。
昔の紐を見て、これどう作られているかというのを見てみて、
もしかしたらこうかもって解体して畑さんが作ったら、
表面だけは合っているんだけど中身が違うぞという指摘をされるという方がいるという話をされていたじゃないですか。
その方もこの道70年という、何だろう、言語化?
教科書の動きが複雑だから、組紐って4次元の話じゃないですか、
時間軸と構造とだから、それをどうやって残すのかなと思うと、
やっぱりそれは畑さんに引き継がれていくじゃないですか。
ここ違うよって言って、畑さんもこれだったらできるかも。
それってやっぱり引き継がれていくのは、
みんなが学校で勉強したらはい、できますっていう話はないなと思っていて。
そうですね、そういう聞いてみないとわからないこととか、
知らないうちに誰かがアレンジしてて、
それが当たり前にそこのお仕事の中では、
これをずっと何十年もやってきましたみたいなことが結構いっぱいあるんですよ。
その間違ったのか、自分の何かを残したいからアレンジしたのかはわからないんですけど、
でもうちのところはもうこれを30年ずっと使っているんで、
これをそのまま変えたくないですって言われて持ってこられたものは本当にわからないんですよ。
どういう作り方をしているのか、ちょっとアレンジかかっているなみたいな。
それを辞めるときに引き継いでくださったらいいんですけど、
なかなかそういうことにはならないので、ちょっと頑張って解析するしかないっていう。
それを楽しんでやれる人がありがたいことに周りに何人かいたので、
これどうなっていると思いますって聞いたら、
いやこうじゃない、いや違う違うみたいなのを楽しめる人たちが本当にたまたま周りにいて、
なので悩まずに、一人で悩まずに進みますけど、
本来だったら多分もう頭が逃げくり返って、
なんかこう表装だけを整えてできましたって言って、
それが多分次のまた新しいスタンダードになっていく。
バージョンが変わっちゃう。
ダウンしてるのかアップしてるのかわからないですけど、
そういう繰り返しじゃないかなと思うので、
それはでも本当に僕一人じゃなくて、
何人かで知恵出し合いながら考えられるという環境もすごく助かっているなと思いますね。
最初の話にちょっと戻るかもしれないですけど、
須藤さんが工芸っておっしゃっていて、
手芸の話も出たじゃないですか。
手工芸というジャンルというか、手工芸という言い方もあるじゃないですか。
工業品みたいな、ちょうどその中間ぐらいに入れる会社なのかなと思います。
うちの会社っていうのが。
どっちにも言われるとは思うんですよ。
もう一個だけ作るっていうのも文化を守るために、
全然お金にもならないけど、
これをやめてしまったらもう途絶えるみたいなものは、
あんまりお金にならないけど、ちょっと残すためにやりましょうって言って、
力入れでやったりもしますし、
ちゃんと残していくための努力っていうか、
売れるものを作るというか、
需要をちゃんと見て、
それに合うものを作っていくということもやるので、
あんまりここだけっていうカテゴリーで考えてやってるわけではないと思いますね。
なるほど。
畑さんゲストで来ていただいた会で、
組紐って残らない、長い歴史で考えると、
弥生時代に使ってたとか、平安時代のものとか、
やっぱりテキスタイルが残りにくいみたいな話があったじゃないですか。
一方で須藤さんの話の中では、
やっぱり江戸時代に作られたものとかの、
その作家が自分にとっても今、目の前のライバルであったりするみたいな話があったじゃないですか。
多分そこの結構金属っていう、長いスパンで残りやすい素材と、
テキスタイルって消えていってしまうもの。
で、その文化の継承のされ方みたいなアレンジ。
アレンジされた後が金属が鎌倉時代から残ってたら、
こいつアレンジしよったなみたいなのは多分、
追っていくと多分わかりますね。
組紐も、今現状残っているものが全てやから、
どこでアレンジがかかったかわかんないですよね。
わからないですね。
テディウェアもテキスタイルらしい。
テキスタイルじゃない部分もあるけど。
組紐とかに比べたら圧倒的に歴史は短い。
もう圧倒的に短い。
僕もユキさんが半球100カテンとかで出された時に見に行かせてもらったりして、
言ったら全員アレンジしまくっているみたいな。
そうなんですよ。今のお二人の話を聞いていて、
やっぱりテディウェアって結構特殊やなっていうのを改めて思ってましたね。
特に私は個人でやってるっていうのと、
誰か先生に1から10まで教えてもらったわけじゃなくて、
本見たりとか、とりあえず自分でやってみて、
自分の縫い方とか結構めちゃくちゃじゃないんですけど、
ちゃんと作ってるんですけど、自分なりに縫いやすい縫い方で、
自分なりに使いやすい針で、表にひっくり返す作業があるんですけど、
ひっくり返してみて、縫い目が綺麗やったらこれでOKみたいなやり方をしてるんで、
技術をそこで誰かから受け継いでるとかでもないですし、
自分の中でも自分がやっていくうちに、
こっちの方がやりやすいからこっちに変えようみたいなのもやったりするんですけど、
テディウェアを作って貼る、テディウェアアーティストって名乗って貼る国内外の人とかでも、
結構そういう自分なりに作ってる人がほとんどやと思っていて、
見てる限りではそうなんじゃないかなと思うんですけど、
だからなんかテディウェアって何なんでしょう?っていう。
またわからんけど。
すごいだって100年以上続いてて、
でもテディウェアっていう認識はされてるんですよ。
熊野ネイグルフィアとか。
もともと作ったメーカーがあるにしろ、
でもそことはまた別で、いろんな人が作って楽しんで、
販売もして、テディウェア作ってますって自ら名乗って。
だから概念としてはすごい強固やけど、
作り方のフレームがない。
だから何何派とかそういうのもなく、
なんかすごい特殊な、それも文化やと思うんですけど、
すごい特殊やなって思ってお話ししてました。
文化を超えた文化かもしれない。
なんかこういうイギリス風、ドイツ風、
ローカライズされやすい。
あとすごい個人的な好みもすごい反映されると思う。
顔つきとか、触った感触とか、
これがザ・ベストテディウェアですとかいう、
国宝級テディウェアとか、
そのうち出てくるかもしれないけど、
でも結城さんが作っているのは、逆に素材から作っているから。
そうですね。でもそれすらもテディウェアって呼べてしまうので、
何でもありといえば何でもありなんですよ。
そう、だから伝統工芸家って言ったら、
そうではなさそうですけど、
だけど工芸家って言うと、
今の一般的な工芸の認識で色々あるんでしょうけど、
やっぱり作り手と触れたがってたりとか、
コミュニケーションを取りたがってたりとか、
顔が見えることを結構一般の人って求めてたりするので、
それがどんどん講じていくと、
いわゆる作家だってことになっていくと思うんですよね。
だから作家的であると思うんで、
工芸作家だって話で言うとおそらくそうだと思うんですけど、
畑さんがおっしゃったように、
いかに残していくかっていうのはやっぱり伝統工芸の、
これは僕はでも使命だと思っているので、
そこをアレンジするときに、
結構作りやすさとかっていうだけじゃなくて、
やっぱり使命というか自分が残すべきものが何で、
捨てていいものが何でっていうのを考えてると思うんですよね。
確かにそこに自分だけの意思じゃないっていうのはありますよね。
特にたぶん畑さんの掛かわられているものとかって、
宗教的な意味合いがその結び方にあったりとか。
変えられない部分は絶対ありますね。
いろんなジャンルにもあると思いますけど、
例えばテディベアの作り方で、
わからないですけどここはこういうふうに縫わないといけないとか、
そういう部分を残しつつのアレンジだと思うので、
組み本ってそれすごいやりやすいと思うんですよ。
途中で切り替えるとか、ちょっといって変えるとかだけでも
アレンジが効いちゃうので、
でもたぶんそれをやる前の主軸みたいな部分は絶対残さないと、
全く違うものに変わってしまうので、
それは自分たちではどうにもできない部分というか、
逆に言うと変えてはいけない部分だと思うので、
そこを守った上での作り方をもうちょっと簡易的にするというか、
そこはたぶん企業努力という意味だと思います、ある意味。
もうちょっと作りやすくするとか、
今後も続けていくためにやりやすくするみたいな、
ちなみに倉田紫ラジオ、まだまだリスナー少ないんですけど。
いくつぐらいの方が聞いてもらってるかとか男女比とか分かるんですよ。
僕らやってるのが40代なんで割と同世代が多いんですけど。
30代と40代50代ぐらいのところが一番ボリュームゾーンなんですけど。
20代とか10代とかの聞いてもらってる人とかも一定数というか少なからずいて。
だから今の2時までは。
過去の話だね。今はみんな違うので。
なぜそれをやってるのかみたいなところって。
若いうちに経験積まないとなかなか話だけ聞いてもよく分からんなみたいな感覚的にあると思うんですけど。
僕結構倉田紫ラジオずっと聞いてもらったら。
実際にものを作りながらどういうふうにそれぞれの人が考えてるのかっていうのを。
自分で、僕自身もそうですけど。
自分で経験しない中でも得ていくものとかってある気がしていて。
結構この番組の意義があるんじゃないかなって思ってると思うんですけど。
だから今日の対談もいい座組でしたね。
ネタバレすると異性の説を引いたくじ引きだったのに。
そういう話が聞けた回でしたね。
最後にごめんなさいね。
作り手にとって一番幸せな時間って技術的にある程度極まってからなんですよね。
だからなるだけ早くそこに行ってほしいっていう気持ちなんですよね。
それが伸びれば伸びるほど苦しい時間は長くなるので。
本当にそこそこでほとんどのことができるようになるとその後はずっと楽しいんですよね。
それをなるだけしんどいけど短時間で終わらせてあげたいと。
それを意識してもらいたいんです。
スリートっぽい。
そうなんですよ。
オリンピックを見てから余計に感じるけど。
基礎練習を早く終えてほしい。本当に。
楽しくなったらでも2時までやってても結局文化祭みたいなノリになって。
2時までやってたらたぶんしんどくないんだと思うんですよ。
一緒にやろうぜみたいな気持ちがある。
僕は2時に帰った後Yahoo!オークションで中古機械の良いのが出てないかっていうのを毎日1時間か2時間見てました。
そんなことない。
全然しんどくなかったです。
仕事じゃないですよね。
私もそうなんですけど。
別に仕事してるって感じではなくて。
徹夜とかもやらないというかテンション上がってきたらこれ絶対今日中に完成させようみたいな。
やっぱり技術が伴うと余計そうになっていくんでしょうね。
だから深夜のラジオが眠たくなる音楽を流し始めるんですよ。
それがある程度超えるとまた一周して割とテンション高める。
その感覚と一緒にしんどさも。