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2021-05-18 46:35

【#50】「LIFE これからのこと」を起点に考える、在宅医療と人生のたたみ方

今回は、先日リリースされたばかりの世田谷区の在宅療養・ACP(アドバンス・ケア・プランニング)ガイドブック「LIFE これからのこと」を取り上げます。人生の終盤で訪れる変化によって、医療や介護が必要になっていく5人の登場人物の物語と解説により構成されている本ガイドブック。在宅療養のあり方や、高齢者の孤立化が進む都心部における人生のたたみ方について、ガイドブックの総合ディレクションを担当したデザインリサーチャーの神野真実さんと、編集ライターの篠田栞さんをお招きしてお話します。

「LIFE これからのこと」ガイドブック概要https://mediva.co.jp/info/2021/04/post-4559.html

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◉ゲストプロフィール

神野真実
デザインリサーチャー。高齢社会における自立や共生を支援するプロダクトやサービスを作るべく、医療やヘルスケアの専門職とチームを組みながらリサーチ活動を行なっている。もろもろの瞬発力にかけるため、やや反応が鈍いことがあるが、持久走や長期戦は得意。好きな言葉は「ナマケモノは、ナマケモノなりに十分賢い」。

篠田栞
編集ライター、パフォーマー。人や集団がもつ「らしさのようなもの」をインタビューを通じて引き出し、言葉にして伝えることを生業とする。こどものころから身体芸術と祈りの関係が気になっており、お能をはじめ伝統芸能の身体性を学びながら、作品発表やレクチャーなどを行っている。

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皆さん、こんにちは。リサーチャー・ストーリーテラーの杉田真理子と、
エクスペリエンス・デザイナーの石川佳子です。
この番組は、都市というテーマが好きで好きでしょうがない2人が、
都市に関する様々なグッドニュースを、ザック・バランに話す場所です。
はい、今回は、世田谷区の在宅療養、アドバンスケア・プラーニングに関するガイドブック、
【LIFE これからのこと】を起点に、都市とケアについて考えていきます。
今回は、このガイドブックを作ったデザインリサーチャーの陣野真美さんと、
ボイスパフォーマー・ライターの篠田詩織さんをお迎えしてお話ししていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
4人の収録が初めてですね、我々のポッドキャストは。
なので、ちょっと賑やかな感じです、今日は。
実はお二人、私たちとも同じロフトワークって会社の元同僚で、みんな今は卒業しているんですけど、
同世代の4人です。
ちょっと簡単にお二人の今の活動とかをお伺いしたいなと思うんですが、
陣野真美から今どんなことをしているのか教えてください。
ありがとうございます。
陣野真美と申します。
デザインリサーチの活動をしていて、前職の頃からそうなんですけど、
大きく高齢者だったり、高齢者の生き方、住まい方、暮らし方について、
訂正的なリサーチ、具体的に言うと、観察したりだとか、インタビューしたりだとか、
そういうことを通じて、これからの社会にどういったデザインが必要なのかということを
提案したり、一緒に実装していくというところの活動をしています。
今在籍しているのは、メディバという医療とかヘルスケアに関する
コンサルトオペレーションの会社にいて、実際の医療現場の皆さんと一緒に
リサーチのことを一緒にやったりとか、今回みたいなガイドブックの作成を一緒にしたり
ということをやっています。
ありがとうございます。
篠田さんお願いします。
篠田しおりです。私は今フリーランスでライターと声のパフォーマンスをしていて、
もともとロフトワークにいた頃だったり、その前だったりとかは、
企業のブランディングプロモーションとか、そういったことの企画をやるような仕事を
していたんですけど、インタビューしたりとか、それを文字に書き起こす
みたいなことがもともとすごく好きで、今はすごく不思議ないろんな語源があって、
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割とチベット仏教だったりとか、戦術とか密教とかの武術の同情されている方の
インタビューをして、リサーチをして、そういう道を作っていった経緯を書き起こしたり、
少しマジカルな話をお聞きするようなことが多くて、
そういうのって聞いたままそのままを書くっていうことじゃなくて、
昔から小説とか民話があるように、物語みたいなものがあるように、
物語化して記すみたいなことをアプローチとしてやってみたりとかしているんですけど、
インタビューしてもそのままインタビューの形式で書くこともあれば、
少しそれをストーリーに起こしてみるみたいなことをしてアウトプットする、
小説みたいなことを書くこともあるんですけど、
そういった形でライティングをしているっていうのが、最近の仕事では自分は多いです。
もともと劇作もしていて、日本の斧とか伝統芸能が好きで、
そういう日本の発声方法だったりとか演劇の作り方に興味があるので、
そっちの方面でのパフォーマンス活動みたいなことも同時に今しています。
すごい、濃いお二人ですね。
濃いお二人よ、もう。
物語っていうのは気になるなと思って、今回のテーマであるこのガイドブックも、
ファクトとかデータとかが書き記されたものというよりも、
物語を起点に始まっているという点で、その物語を書いた篠田にもお話を聞きたいなと思って、
今日お呼びした経緯です。
なので、そこらへんも聞いていけたらなと思いました。
いいですね。
じゃあ早速、このガイドブックについて話を聞きたいなと思うんですけど、
これは世田谷区からお話が来て作り始めたという感じなんでしょうか。
そうです。
世田谷区の中で、おうち、在宅療養って、
これまでだと病院に患者さんが通って、
施術を受けるという、診療をしてもらうという形が、
自分が病気になった時の一般的なフローのイメージとしてあると思うんですけど、
例えば、今年を重ねてきて、なかなか自分で通院することが難しくなってしまった方とか、
ずっと入院し続けることができない状況にある中で、
どうやっておうちにいながら、医療を受けるかケアを受けるかということを推進していくか、
というところでお話があって、そのガイドブックを作ろうというふうになりました。
06:03
これが短い背景的なところなんですけど、
もうちょっと大きな背景とかを言うと、
今は高齢者向けのおうちとか施設って、
高齢者の人口に対してどんどん足りなくなっていっているという状況があるんですね。
だから普通に年をとっていったら、
例えば最後どこで亡くなるかって、
病院で亡くなるっていうことが全然スタンダードじゃ、これからどんどん亡くなっていくっていう状況があって、
そうするとじゃあ、どこで死にたいのとか、
どこでだんだん体の機能が落ちていく中で、
ケアだったりサポートを受けていきたいのっていうことを考えていくと、
ずっと住み慣れてきたおうちの中で、
自分の好きなものだったり、好きな活動をしたままで、
そういうケアを受けられる状況っていうのがこれからどんどん必要になってくるよねっていうところがあって、
なのでアドバンスケアプランニングっていう話にもつながるんですけど、
そもそもどうやってこれから暮らしていきたかったんだっけとか、
その辺りを本人とか、一緒に暮らしを作っているパートナーだったり家族だったり、
それからそのケアを提供していく医療側だったり専門職の人たちと一緒に改めて話してみることで、
一緒に未来を作っていきましょうっていうことを浸透させていきたいっていう、
自治体レベルだったり国レベルでの背景っていうのがあるっていう感じになってます。
なるほど、そもそもの話を聞きたいんですけど、
在宅療養って今珍しいものなんですか?
いつからどんな歴史があったのかなっていうのもそもそも気になっていて、
昔はもっと病院じゃなくて家でケアされて家で家族に見取られてみたいな、
もっと身近にあったものが病院にみんな行き始めるようになったのって、
いつぐらいのことだったのかと、今その過渡期としてどういったプロセスに来ているのかみたいなところも聞いてみたいなと。
わかる範囲でいいんですけど。
肝心に在宅療養専門家で勉強できていないところもあるんですけど、
もともとは1980年代くらいからそういうものが始まったって言われていて、
定期的にお家にお医者さんが訪問してきてくれるっていう概念が生まれたのは86年くらいというふうになっています。
法律だったり制度があったりっていうので、
それがどうやったらうまく回るかっていうのを今の時代まで続けてやっているっていう感じだと思うんですけど、
でももともとはそれより前ってお医者さんっていうものが名前としてなかった時代だったり、
やっぱり自分が何か傷を負ったり、
09:00
例えば出産とかもそうですよね。
出産とか亡くなっていくことっていうものはもともと家の中にあった文化というかカルチャーで、
病院ができたのとかってもっともっと、
あと医療職っていうものが専門化されていったのってもっと近代の話なんだと思うんですけど、
なんかその中で今私たちが一緒にやった看護師さんとかが強調されていて面白かったなっていうのは、
見取りの文化、亡くなっていく文化っていうものが病院の中にどんどん専門化されて閉じられていってしまっている状況を、
そこを伝承する一つの職業として訪問看護師をやっているっていう看護師の方と今回一緒に作って。
えー面白い。
その辺りの話も結構しなさんと一緒に聞いていて面白かったポイントでありました。
なんかそもそも今ナチュラルにこのアドバンスケアプランニングってワードを使ってたんですけど、
私実は今回このワード初めて聞いたんだけど、これはどういうことなんでしょうか。
今お話ししてた、これから亡くなって人生の終盤に入っていくっていうタイミングで、
そもそも何を個人として大切にしていて、その個人の価値観をもとにどういう医療とかケアのサービスを取り入れていきたいか、
自分が自立して暮らすためにどういう関わりを持っていきたいかということを話し合う一連のプロセス。
これをアドバンスケアプランニングっていうふうに呼んでいますね。
例えば結構昔からの考え方っていうか、特に戦後の健康に対する考え方とかで言うと、
1日でも長生きをすることとか長寿っていうことがいいこと、長寿は素晴らしいことだっていう考え方が割と一般的に普及をしていると思うんですけど、
でもよく考えてみると、本当に一日、例えば医学的な技術、医療的な技術を本人の意思とか去っておいて、
1日でも長く生き永えられるように技術を使っていくってことが本当にその人にとっての幸せなんだっていうところで言うと、
今の価値観っていうか、もう少し現代、今日の価値観っていうところで言うと、そもそも太く短く生きたいっていう人もいるし、
必ずしも1日でも長く生き永えられるっていう形じゃなくても、自分として納得できるような暮らしができる方がいいっていうふうに考えられる人も認めていくべきだよねっていうところで、
12:00
きちんとその対話っていうのを、誰かの当たり前とか誰かの価値観じゃなくて、本人の考えに基づいて作っていこうっていう考え方ですね。
なるほど。なんか結構、リンディとかが関わってセンシティブなテーマでもあると思うんですけど、そういう時にどうリサーチをするのかどう対話を作ってどうヒアリングしていくのかみたいなところって難しいなと思うんですけど、
ここら辺はちょっと篠田にもバトンを渡してみたいなと思うんですけど、どういったアプローチでヒアリングとかどこら辺気をつけたとかあったら教えてもらいたいなと思います。
なんか、陣野さんが割とそういう場をちゃんとセッティングしてくれたっていうことも大きいんですけど、まずさせてもらったのは、医療現場の皆さんにお話を伺うということと、
コロナ禍でそういったことに気をつけながらというのはありつつも、在宅医療に実際に行かれる現場に同行させていただいて、場を見せていただいたということがかなり大きかったんですね。
例えば、死ぬっていうことの概念が私の中でなるほどと思って変わったのは、死ぬっていうことが例えば言い換えると、
食べる量が少なくなって、おしっこの量が少なくなって、いろんなことが少なくなっていくっていう一つのグラデーションだっていう言い方をされていたところが一つあって、
急にかくって死ぬって、病気で死ぬみたいに思うけれども、死ぬまでの間に長い時間を過ごすみたいな方たちもたくさんいらっしゃるし、
その中で、牢牢介護の状態でとか、もう話せなくなってしまってコミュニケーションが取れなくなってとか、
本当にいろんな状態があるし、いろんな家族像があるんだっていうことを、まず何かお聞きしたり決めたりするっていうことよりは、そこに一緒にいさせていただいて、
具体的に、こういう部屋がだんだん牢牢介護だと片付けられなくなるようになってくるんだよなとか、そういったことの実感を積み重ねていくっていうところを、
丁寧に、そんなに長い間ではないんですけど、丁寧に教えてくださって、一緒にいさせてくださった、メディバの方たちが一緒にいさせてくださったっていうところがすごく大きかったかなと思っていて、
気をつけていたこととしては、あまり静かに一緒にいてできるだけ事実を観察するみたいなことを、
どれだけちゃんとできるかっていうことだったり、それこそ対話で、さっきから話の中に出てきている、キーマンになる看護師さんがプロジェクトはいたんですけど、その方が3時間とかね、結構長い間、今までどんな方の見取りをされてきたかとかっていうお話を聞かせてくださったりもして、
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そういう具体的な、いろんな人の人生のある意味、終わり方みたいなものの像を集めて、収集していくって言うとちょっと人生に対して言い方が軽いかもしれないんですけど、
すぐに書かないというか、すぐに言葉にしないみたいなことを、ギリギリまで待つっていうのはすごく意識したことかなとは思います。
なんかその場にいて観察するっていうのが確かにキーだなと思っていて、私とかお年寄りと一緒に住んでたりとか、近くに病気のケアが必要な方とかがいないので、あんまり都市生活の中で見ない現場なんですよね。
今私は京都にいるんですけど、京都でもね、私が住んでるエリア結構年寄りが多くて、でもその人たちがどういった環境でどう暮らしていて何が必要なのかっていうのは普段全く見ない世界。
なんか本当にもう数メートル先、数十メートル先とかなのに見ない世界で、私たちの世代とかがオキパイしている占領している空間みたいなものってよく見るじゃないですか。
でもなんかその見ないレイヤーみたいなのが結構あるんだなっていうのをこの本を読んでいて、このガイドブックを読んでいて思ったので、やっぱりそういった現場に行って観察するっていう品田もその通りだなと思って聞いてました。
すごく死って怖いことだし悲しいこともたくさんあるんでしょうけど、なんかそういう場所にいるとひたすら感じるのは人の愛しさだったりとか優しさだったりとかして、私とか外から来てくっついて行ってたりするんだけど、
おばあちゃんとかがもみじまんじゅうくれたりとか、リンゴジュースたくさんくださったりとか、そうやってコミュニケーションとってくださるんですけど、
なんかそういう人の生活がそこにあって、ある意味物への愛着とか、なんか家族への執着とか、性の執着とかいろんなものがそこにあるっていうのが、死に対してっていうことはもちろんあるけれども、
人間生活みたいなものがある予測できない不安なことに対して何か結論をこうしてしまうっていうことではなくて、在宅の医療従事者の方たちは家族ごと見るっていうようなことをよくおっしゃってたんですけど、できるだけそのコントロールできないことに対してできるだけ対話が最後までできるような状態にしておく、決めておくのではなくて、
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そのための事前の話し合いだったり、そのための環境づくりだったりっていうのをジーノさんも含めてかもしれないですけど、いろんな角度から考えていらっしゃるっていうのがすごい面白かったし、
マミちゃん、自分は姪っ子さんの立場になることが多いって看護師さんがおっしゃってて、友達でもなくて姪っ子ぐらいの距離感だったら、話したいことがおばあちゃん話せたりするんだとか、娘に言えないけど親戚の子になら言えるとかなんかあるじゃない?
そういう七変化してね、相手によって七変化していろんな立場になって、医療交流するだけではない、何かそういう対話をしていく相手として存在されるっていうのをリアルに見れたというのはすごく貴重な体験だったなと思います。
なんかまさにその対話のところがすごく気になって、この本にもすごく私個人的にも良かったんですけど、去年おばあちゃんが突然亡くなってしまって認知症だったんですけど、すごいアクティブなおばあちゃんで、おじいちゃんまさかおばあちゃんが先に死んでしまうとは、みたいな形だったんだけど、おじいちゃんが今90代で都内で一人暮らしになっていて、
なんかちょくちょく行くんだけれども、だんだんこう自分一人で死ぬことみたいについて向き合っている姿を見るようになって、なんかおじいちゃんとどう対話したらいいんだろう。
もちろんおばあちゃんが認知症になった時もどう対話したらいいんだろうって悩んだんだけど、対話っていうものはすごく私は重要だなって自分の家族と触れる中で思ってて、
でもなんかこういうことって結構その家族だけに閉じてたり、あんまり人に相談しないとか、なんかその母方の祖父母だったんだけれども、なんか母が例えば面倒を見なきゃいけないとか、母がなんか聞いてあげなきゃいけないみたいな、こう自分のお母さんが結構責任感を持ってしまうみたいな。
でも今言ったみたいに第三者が聞けることもあるし、だけど第三者とどう繋がるのって言った時に都市の中でその繋がりが今まで作られてない。じゃあ老人ホームに行くのか、老人ホームに行くと今までのその生活背景を共にしてない価値観の人に新しく触れるから、なんか気が合わないみたいなことも出るし、そういう本質的なこととか本音とかって対話するってことすごく重要だと思うんだけど、
なんか結構そういうものができていない、特に都市でっていうのは多いんじゃないかなというふうに思うんだけど、そこら辺はお二人どう思いますか。
私お父さんが結構最近亡くなったんですけど、最近って言ってももう4年前ぐらいか、死んだ後に面白かったことがいろいろあって、いろいろ知らなかったことが出てきたっていうことなんですけど、お迎えの家にわりと新しい家族が引っ越してきててさ、全然話したことなかったの。
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でも多分不登校の息子さんがいて、父が亡くなった後にそこのお母さんと息子さんが訪ねてきて、お父さんにすごい遊んでもらってたんですって言っていて、その息子さんは父ピアノ弾きだったんですけど、父がギターをやれとか言って、ギターの練習すごい熱心にやるようになって、今でもたまにギターの音が聞こえてきたりするんですけど、
そういう近所好き愛で、そんなどこまで深く関わっていたかわかんないけど、なんかふっとつながってる人とか会話を交わす人とかいるじゃないですか。
都会に住んでるとそういうことってあんまり確かにないっていうか、近所の怪しいおっちゃんだったと思うんですけど、うちの父親なんて無職みたいな、どう喋ってたんだ中学生みたいな、でもそういうことが何かのお互いに救いになったりするようなことっていうのが、村とか田舎だと起きているっていうことはあったのかなって。
まりこ氏が最初にその在宅医療とかそういうのより、江戸時代とかだったら家で死んでたのだろうし、みたいなのって、そういう時にあった対話とかコミュニケーションって、すごいディスカッションするとかっていうことだけじゃなくて、怪しいおっちゃんにギターやれよって言われたみたいなこととかもきっといろいろ混ざっていたりして。
なんかその在宅医療の看護師さんのお姿とかを見てお話とか聞いていると、メイクになって一緒にお絵かきするとか、おばあちゃんとねとかそういうお話が出てきたりとか、お化粧をその人から習って死に化粧を私の完璧なメイクしてって言って代わりにしてあげるとかっておっしゃってたんですけど、
なんか医療行為じゃないところのそういうね、なんかすごく大事な部分というか、他人とのその何か接点みたいなものに変わる行為がそこにあったりもするのかなって感じたりもした。
なんか個人的にはそれこそ今回、看護師の小山さんという素晴らしい看護師の方がいるんですけど、小山さんとかと深く現場のお医者さんも含めてお話聞いていく中で、人への興味の持ち方が人一倍強いんですよね。
なんかその、医療的行為としてきちんとその人を見なきゃいけないっていうのはあるんですけど、なんかその病気がどう変化してるかとか数値がどう変化してるかっていうこと以上に、なんか人としての興味とかそこの拾い方がまさにそのリサーチャーじゃないですけど、
24:19
していく中ですごい、仕事の8割9割を占めているというか、っていうのはすごい感じました。
だから結構その都市みたいな話と重ねて考えると、なんか人にも興味を持っている都市みたいなのって、なんかあるのかなーみたいなことはすごい考えてて、っていうのも結構その在宅医療やってる訪問看護とかをやってる看護師さんたち同士の間で、
なんかその訪問してる地域のある商店街というかがあるんですけど、そこに天気がいいと椅子を出して外でひなたぼっこしてるおじいちゃんがいるらしくて、そこのおじいちゃんも訪問で行く日があるみたいなんですけど、そのおじいちゃんのことをみんな愛称で呼んでいて、
なんとかぞーっていう名前忘れちゃったですけど、なんとかぞーって呼んでて、なんか今日なんとかぞーいた?とか言って、天気悪くて膝痛そうだった?みたいな話とか、じゃあ次回訪問行くときちょっとその話してみるねみたいな会話があるっていうこととかを聞いて、
なんかその、そういうあの人大丈夫かなとか、それは高齢者に限らないことだと思うんですけど、なんか人に常に興味を持てたり、その興味を持ったことに対してなんかこうみんなで何かアクションができるみたいな関係性っていうのがなんかすごく大事なのかなっていうのはこの話聞いてて思いました。
人に興味を持てる都市っていいね、いいですね、作りたいですね、なんかあのこのテーマでいろいろ都市関係で調べてると、なんかシングルトンっていう言葉、本なのかな?もともとあって、どんどんこう孤独化していく都市、それは高齢者に限らず、あのどの世代もみんな各家族になり、一人暮らしになり、どう生きていくかみたいなところで、その本読んでたんですけど、なんかその中でこう、
ユカコも言ってたような、都市らしいなんかケアのあり方みたいな、なんかその村的なその社会構造がとは違うっていうのを前提に、なんかちょっと田舎にはあるような人間関係とかなんかケアのあり方っていうのはそのまま都市にアプライするのが難しい、全く社会構造が違うっていう中で、
だったら都市だからこそできるケアのあり方とか、都市だからこそできる人生の畳み方だったりとか、どんなものがあるんだろうっていうのは今後のテーマとして考えてみたいなと思いました。
27:08
なんか知り合いのでも60代ぐらいの女性とかもなんか一人で結婚もまだしてなくて、まだまだ現役みたいな人たちも結構今多いと思うんだけど、なんか知り合いの人はなんかゆくゆくは、なんかその友達同世代ぐらいの友達3人ぐらいでなんかシェアハウスして暮らしたいわ、みたいなこと言ってたりとか、
なんかそういう友達同世代の友達かつ一人、みんなのか夫婦なのかいいけれども、なんかシニアのシェアハウスみたいなものも、なんかありだなぁと思ってその話を聞いてて思った。
そうだね、あとなんか最近知り合いでシニア向けのに不動産今借りられないところがすごい増えているみたいで、その人たちがちゃんと借りられるように不動産を確保している同世代ぐらい、もっと若いぐらいの人がやっているんだけど、ちょっと名前を会社の名前忘れてしまったんだけど、そういう取り組みもあったりとかして、
もちろんなんかそのシェアハウスやりたいって言った時に、それをスムーズに叶えられない社会構造とか不動産のね、あれこれがあるので、それをそこらへんももうちょっとちゃんと慣らしていくというか、調整していくっていうのは大切なのかなぁと思いました。
あとあれだ、なんか何でもやみたいなことやってる知り合いが、なんか最近これ始めようかなって言ってたのが、なんか都内におじいちゃんとかおばあちゃんとか両親がいたらさ、パッてなんだかんだ見に行けるじゃん、だけど沖縄ですとか北海道だと今動けないしみたいな人がやっぱ多いんだって、だからなんかちょくちょく依頼として、なんか親に玄関まで行って親の顔見てきてほしいみたいな。
大丈夫かちょっと行って見てきてほしいみたいな相談とか来たりするらしくて、なんかそれもすごいなんか素敵な現象だなぁと思って、その何でもやのこの話を聞いてた。
面白いねそれはね。あとでも、なんか死とセットで生みたいなところも、なんか一番冒頭であのじんまみが見通りの文化と、あと生まれるっていうのも家でそもそもかつてはあったみたいなところで、なんかちょっと話を聞きながら思い出してたのが、
仙骨っていう映画を最近見ました。沖縄の映画なんだけど、沖縄はあのまだえっとなんていうんだ、風装っていうのかな、なんかあの仮装じゃなくて、でなんか何年か過去にもう一回遺体を出して家族全員で骨を洗って、それで仙骨洗うこと。洗う骨で仙骨。
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数年後に孵化してしまった遺体を洗って、みたいな映画なんだけど、その最後でちょっとネタバレになっちゃうから、なんか出産シーンがあるのね。なんかその場で、で、近所の人たちがわーって走って、なんか倒れるとか、お湯とか近所の人たちを巻き込む感じなんだけど、なんかそれがねセットだったのが良かったなぁと思ってた。
なんかその死の話をする時に、生の話だったりとか、そうだね、生きてる人たちとの、なんていうんだろう、関わり方とかバランスみたいなところもセットで話せると楽しいのかなと思いました。
まさになんかこのガイドブックもさ、もちろんその死を、死に方を整える本人もそうだけどさ、その周辺の人との対話でもあるんだろうなと思った時、やっぱりなんか残される側の生き方とか、記憶の整理の仕方とか、記憶の解釈の仕方も重要だなぁみたいな。
さっき死の話が言ってたみたいに、亡くなったことで家族が知る父親の一面とかもあったりとか、なんか亡くなったからこそ、こう対話ができるようになることみたいなのもあるんだろうなぁと思うと、やっぱり生きる人への対話っていうのはものすごく重要なんだろうなっていうのは思ったかな。
そこらへんはどうかな、尋問にとか。
そうですね、もちろんそのアドバンスケア・プランニングの中でも、その本人だけのっていう話ではもともとなくて、家族側が生きることとか死ぬこととどうやって向き合っていくかっていうところが一番、ところももちろん大きく関わってるのかなっていうふうに思います。
ちょっと話が変わっちゃうかもしれないですけど、この間、私、暮らしの手帳がめっちゃ好きなんですけど、暮らしの手帳の1個のコラムの中でクレヨンハウスのオチアイさんっていう人が書かれたコラムって、
生まれてきてよかったと思えることと、長生きしてよかったって思えることは、どこか遠くで繋がっているっていう言葉があって、すごいその通りだなって思ってて、
多分、生命の長い時間を80年とか90年とか生きていく中で、結構歴史とか価値観とか文化ってちょっとずつ変化しているんだけれども、
変わっていく価値観の中で、でもそこにお互い、お互いというか自分の社会も適応しながら、生きていてよかったって思えることと、新しく生まれた命、新しくつくっていく文化が、
33:15
永遠に続いていくっていうことができると本当はいいんだろうなってすごい抽象的なんだけど、それを読んで思って、結構このガイドブック作った時とかもそうだったんですけど、
やっぱり80代とか90代とかの人が見てきている歴史とか、自分と同い年だった時の光景って全然違って、その人たちと対話することって単にその人がどう生きたいですかっていうところ以上に、
今の価値観とか、自分が生きてきた歴史を元に今がどう見えているかみたいな、結構そこまでわかることにつながっていて、それがすごい面白い。私は結構その高齢の方と話す機会が多いんで、
そこが一番インタビューだったり対話ということを通じて、得られるスペシャルな部分だなというふうに思っていて、だから本来はこういう会話とかも、あるいはこれから生まれていく会話みたいなものも、
単に人として、もちろん人としての興味というところもあるんだけれども、もう少し広く時代の価値観とか、今の考え方とか、これからの考え方ということを考えるために、すごく重要な時間になっていくんじゃないかなって個人的に思っていて、
対話ってそういうふうにあるといいのになっていうことが思ったりします。すごい短絡的な、どうしたいですかみたいな、命令をしますかみたいなオンオフの話はきっとなくて、きっとその人が、それこそ80代、90代の人だったら戦争を経験してきたりとか、
友達が若い時に亡くなるということを経験していたりだとか、その時代を経て今も友達が亡くなっていくみたいなこととかがある中で、どうそれを見ているんだろうっていうところまで、興味、私の特には、そういう興味の持ち方がそれぞれで色々あると、単なるやらなきゃいけないこととしてじゃなくて、
いい時間の作り方として、対話がもったらしてくれるものとかはあるんじゃないかなって思ったりしてます。
36:01
ちなみに、2人は今回こういうインタビューを通じて、何かどこでどう死にたいって思ったり。
聞きたい聞きたい。みんなのその話をしながらまとめていきましょうか。
なみちゃんも考えてるんだっけ?
なんか私はいろいろ、結構定期的に考えるというか、こういうことやってるから、あれどうやって死ぬんだって思うときとかは結構あったりするんですけど、
でも一言で言うと、なんかこうチャーミングなおばあちゃんになりたいって思ったし。
別になんか、何て言ったらいいのかな。
人として何かこう、ここにいるメンバーとかもそうだけど、話したいとか、一緒に何かやりたいって思える人っているじゃないですか。
なんかそういう人であり続けられたら、きっと歳をとっても、みんなと一緒につながり続けながら、やりたいこととかできるんじゃないかなって思ってて。
なんかそう、もう一度会いたいとか、もう一度この人と何かしたいって常に思われる状況は、なんか作りたいなっていうふうに思っていて。
それはなんか、死ぬっていう点の話っていうよりかは、なんか生き続けるっていうプロセスの中でやりたいこととしてあって。
逆にそれができてたら、なんかどうやって亡くなってもいいかなっていうふうに最近は思っている。
なんかもちろん病気だったりとか、どうしても抗いきれないことっていうのも自然の中であると思うんですけど、
それでもなお、生き続けられるみたいな、自分のモチベーションになる人が周りにいたら、これはすごい幸せだなって思います。
なんか私、このインタビューとか通じて余計にわからなくなったというか、どう死にたいかみたいなことが。
なんかね、お葬式が、自分のお葬式をハッピーにしたいみたいなことはあるんですけど、
サプライズしたりとか、面白くしたいみたいなことはなんとなく野望としてあるんですけど、
でもその死ぬっていうことが急かもしれないし、死ぬまでの直前弱っている時間が長いかもしれないしっていう、
39:01
いろんな今まで考えたら当たり前かもしれないけど、考えもしなかったことをいろいろとこのプロジェクトで教えてもらったりしたので、
わかんないなって、その通りに死ねはしないのかもしれないなって思うところがあって、
順番通りにいけば、母親とか、先に死ぬ人が今周りにたくさんいるじゃないですか。
そういう人たちがよく生きて終わっていくっていうところを、
どういうふうに支えるかみたいな経験とか、どう対話するかみたいな経験で、
だんだんその時になったらわかってくるようなものなのかなみたいなことを、
逆に思い返したりもする。
人が死ぬ時に立ち会うっていうことの大切さというか、そこから教わることの多さみたいなのは、
どう死にたいかっていうことの答えになってないんですけど、
じわじわ考えつつあるなあっていう感じです。
ちなみに場所はどこみたいな?それもない?
在宅医療のお話だったんで、
どんな病気でもどんな状態でもお家で死ねるよっていう話だったんですけど、
病院で死ぬよりは家とか、遭難して死ぬとか、
自然の中で死ぬとか、そういう方がいいなあって思ったのと、
おばあちゃん死なないでみたいなの私苦手なんで、
マミちゃんその方がいいかもだけど、
いやいや、私も猫みたいにカーテンの裏にする。
ひっそりとね。
私も猫みたいに死にたいっていうのはすごくわかるかも。
そこに人にいてほしいわけではないかもしれない。
なるほど。
猫みたいに死にたい。
ゆうか君は?
あんま考えたことないな。
でも確かにこの1,2年で死に直面することが多かったんだけど、
死ぬ時は死ぬんだなってどこかずっと思っているのかもしれない。
意外とドライなのかもしれない。
死に方に対して。
なるほど。
でもなんか今回これをきっかけにとか、
自分の周辺の状況も変化したから、
感心があるのはやっぱその、
この繋がりがないとか、
それこそマンションとかでさ、
この都市の中でどう生き抜いていけるんだろうみたいなところは、
構造としてもすごく今感心があるから、
もっといろいろな話を聞いていきたいなっていうのを思っているかな。
なるほど。
私は魔女みたいなおばあちゃんになりたくて、
42:02
ラピュタのピンクの髪の海賊のおばあちゃんいるじゃない。
何て言ったっけ、名前は忘れたけど。
天空の城ラピュタになってくる。
ドーラ。
ドーラみたいな意地悪なおばあちゃんになりたい。
でもなんか多分そうあるってことは、
きっと若い人たちともかなり関わりがある状態を保ってたいんだろうなと思って。
しかもなんかこういたわられるというよりも、
なんだよあいつみたいな感じで子どもたちと遊びたいなみたいなところはあって。
あと、死んだ後にちゃんと燃料として使ってもらいたいですね。
なんていうの、樹木草とかあるじゃない、樹木草っていうの。
自分の死体で木を育てるときな。
いくつかそういったデザインも、
篠田がやったプロジェクトで見たりとか知ったりとかすることがあって。
死んだ後っていうのも考えたいなと思いました。
そのプラネットのために、サステナビリティのために。
人間は死んだ後さえも地球を環境汚染しているみたいな話を聞いたりとかしたので。
どういうふうに死にたいかっていうのもそうだけど、
自分が死んだ後に自分の体のエネルギー、
肥料にしたりとか電気エネルギーにしたりとかしてほしいなとか私は思いました。
なりこしらしいね、すごい。
選択肢が増えたりもする可能性があるじゃない。
安楽死とかさ、自分で死ぬタイミングを選べるとかさ、
そういうふうになるとまたちょっと医療的行為の延命以外の選択肢が増えると、
また変わってきそうだよね。
そうだね、そうだね。
そういった未来があるといいなぁと私は思いました。
はい、じゃあ最後にお二人がいろんなテーマで活動をしていくと思うんですけど、
今後こういうことをやってみたいとかあったら教えてほしいなと思いました。
じまみ。
私はでももっかい結構この本をいろんな人にやってもらったりとか、
使い方をいろんな、それこそ今ちょっとあまり話に出なかったんですけど、
医療とか介護に関わる人ってそれこそ町の中に本当にたくさんいて、
そういう人たちがこれを見たときにどういう感想を持っているのか、
それをどうやったら使えそうかっていうのを、
営業案件みたいなのをやってたりしてて、
おじいちゃんに書いてもらったりとかしてて、
それをうまいこと使ってもらいながらその対話を聞いたりとか、
市だったり生きるっていうことだったりの考えられる状況、
自然を考えられる空気みたいなのは結構作っていきたいなと思っていて、
展覧会とかそういうことも考えたりしています。
45:04
いいね。
いいですね。
このプロジェクトは本当にまみちゃんがすごくて、
物語にするとかさ、そんな抽象的なことなかなかクライアントワークでやりづらいじゃないですか。
それをその本当こうそういうね、区のガイドブックでありながら、
イラストレーターさんとか本当にこうアートワークとしてこれを成り立たせたのって、
まみちゃんのディレクションの本当力だと思うんですけど、
なんかこういう芸術みたいなことだったりとか、
その文章をちゃんと物語として書くとかアートワークとして作っていくみたいなことが、
クライアントワークの現場に入っていくと何か視点が広がることってあるだろうなぁと思って、
4CITIESのお二人がしていることとかもそうかなって思うんですけど、
そういう仕事にもっと関わっていけるように、
言葉の仕事として物語を書くみたいなことが、
もっとできていけるようになっていくといいなというふうに頑張ろうと思ってます。
いいですね。ありがとうございました。
今後もこの番組では都市をテーマに様々なおしゃべりを繰り広げる予定です。
毎週木曜日にニュースレターも配信しています。
ぜひこちらもご登録お願いします。
次回もお楽しみに。
46:35

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