2023-07-29 35:42

#6 日本人と欧米人の考え方の違い

ネットプロモータースコアの話から、日本人と欧米人の考え方の違いに。そして、コミュニケーションの方法論の違いと、海外に進出するときの日本の会社の戦略について。そして、織田信長のコミュニケーション論とは。

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一    
高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)    
中川 浩孝(twitter / Facebook / LinkedIn / note)

サマリー

今日、ゴールデントライアングルのメンバーがコミュニケーションについて話し合っています。田中新一、林繁盛期、中川裕隆はそれぞれの経験と最新の話題を通じて、コミュニケーションの意味を探求しています。アメリカとホンダのコミュニケーション戦略の違いについて考察し、信長のコミュニケーションの天才性について説明しています。信長はネットワークを通じて情報発信したりイベントを仕掛けたりすることで自己表現を行い、コミュニケーションの力学を作り出しています。

00:00
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
コミュニケーションの修羅場を人生のチャンスと思い込んでいる、田中愼一 こと、シン・田中です。
高木 恵子
SEからPRに転職して、はや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきた、アメリカ在住、中川浩孝です。よろしくお願いします。
高木 恵子
よろしくお願いします。
田中 愼一
今日はヒロちゃんのほうからネタが出てくるというお話です。
中川 浩孝
そうなんですよ。私、2週間お休みをしていまして、会社全体が夏季休業という形で、実はお休みをしていたんですけれども。
高木 恵子
いいですね。
中川 浩孝
いいでしょ。
田中 愼一
2週間ね。
高木 恵子
いいですね。
中川 浩孝
贅沢ですよね。
高木 恵子
やっぱり海外ですよね。
クルーズ旅行の経験
中川 浩孝
その1週目に、実は私の両親と妹が日本からアメリカに来ていまして、一緒に実はクルーズに行ってきたんですね。
私、最近クルーズにずっとハマっていて、その話は全然別途したいんですけど。
家族もちょっと興味があるっていうことだったので、いきなりちょっと長いのは、もしかしたらあまり合わないかもしれないということで、ちょっと短めの4泊の短いクルーズに行ってきたんですけれども。
その時にすごい面白い経験があったので、ちょっとその話をまずしようかなと思うんですけど。
ネットプロモータースコアってあるじゃないですか。
0から10で点数をつけて、あなたがこのサービスを親しいお友達ですとか、同僚に薦めたいと思う度合いはどれくらいですかっていうのを聞くっていう質問ですよね。
非常に最近よく使われている方法だと思うんですけれども。
船の中でも結構いろんなところで今のサービスどうでしたかみたいなのを聞かれて。
でもその場で結構最後クルーズが終わった後にそういうアンケートとかってもちろん来るんですけど。
今回はその船の中でも結構そういうのを調査している人がいて、今のサービス、今受けられたサービスは0から10だとどれくらいですかみたいなことを結構聞かれたんですよ。
うちの妹に何だったと思うとか言って、答えさせたりとかしたんですね。
私が言ってもあんまり意味がないかなと思って。
何かの時に7っていう評価をうちの妹がつけたんですよ。
日本人ってこういうのが来ると真ん中辺につけがちっていう実は傾向があって。
私もずっと外資系のマーケティングをやっているので、日本ではどうしてもその点数がNPSのスコアが低く出る手がちっていうのがあるんですよね。
これは理由がまた別途あるんですけど。
その時にハッとした質問があって、7って言った後に、どうしたら9にできましたか10にできましたかっていう質問をされたんですよ。
うちの妹がうってなっちゃって。
7っていうのは相対的になんとなくつけた、真ん中辺より良かったっていうくらいのでつけているんですけど。
アメリカ人とかの西洋の人はそういう人が多いと思うんですけど、やっぱり10とか9を向かって基本的にはやっているので、そこに行くために何が足りなかったのかっていうのをちゃんと聞きたがるっていうのがあって。
これはやっぱり日本人のコミュニケーションと外国人のコミュニケーションにすごい差があるところだなと思って。
なぜかっていうのは一つ言われているのは、ハイコンテクストな文化なのかローコンテクストな文化なのかっていうのがあって。
アメリカ人なんかやっぱりいろんな人たちが、いろんな国から来たような人たちが住んでいる国なので、やっぱりはっきりとちゃんと良いものは良い、悪いものは悪いって伝えないと、シンプルに伝えないと伝わらない。
日本人の場合はやっぱりなんとなくみんなで、なんとなくこれくらいの感じだよねっていう期待感があって。
そういうのを共有している部分があるので、ちゃんと説明しなくてもなんとなくわかるよねっていう雰囲気ができているっていうのがあって。
その差がすごく出てるなっていうのを実感したんですよ、今回。
だから皆さんも多分マーケティングのこういう仕事に関わられていて、なんか日本人の評価ってちょっと厳しいよなとか、なんかそういうのって感じられたこととかあると思うんですけど、なんかそういう経験だったりされます?
田中 愼一
うちが外資系なんで、基本的に25年間悩ませ続けてきたのがですね、社員満足度調査ってやつ。
中川 浩孝
そうですよね。
田中 愼一
で、いつも日本はビリッケツ。グローバルがなんでこんなに高いのか。これはね、25年間とにかく不思議の一つですよ、僕にとっては。
もちろん傾向値として、日本人っていうのは大体ね、今ヒロちゃんが言ったように、こんなあたりかなっていう感じで大体真ん中ぐらいのちょっと上ぐらいをつけるんですよね。
ところが、それつけられるとですね、平均値よりちょっと上ぐらいになっちゃってて。でもほとんどね、例えば基本的には1から100ぐらいだと、日本は60から70ぐらいをさまよってるんだけど、グローバルの平均は99ぐらいをいくんですよ。
中川 浩孝
すごいですね。
田中 愼一
そうすると、この差はなんだって言うんで、それが基本的にはこっちの評価につながっていくんですよね。
中川 浩孝
そうですよね。
田中 愼一
だから、この日本の特性っていうのはずっと悩み続けてきましたよ。なぜそういう発想があるのか。今ヒロちゃんが言ったように、ハイコンテキスト、ローコンテキストっていうのは間違いなくあると思いますよね。そこがね、何らかの原因として。
あとはどうなんだろう。ある意味漠然と捉えるんですかね、日本人の場合は。全体的に、全て感じていることも含めて、具体的っていうんじゃなくて、例えば賃金だったら賃金とか、休みが何日ついてるかとか、
具体的な尺度を持って、良い悪いを判断するというよりも、今ヒロちゃん言ったように、基本的には全体の感じでね、オールで見ていくっていう、それはあるでしょうね。
案外ね、それがね結構、例えば、何だろう、これ僕の単なる試験なんですけども、商品化開発でもそういうね、何ていうのかな、その全体から醸し出す、このアイデンティティみたいなものっていうのは結構、案外日本人上手いんじゃないかなと。
それに比べて一つの明確に主張できるようなものっていうのはやっぱり欧米が多いかなって気がするんですよ。車のスタイリングが、日本の車のスタイリングっていうのは、何て言うんだろう、穏やかなんです。穏やかっていうかね、尖ってないんですよ。
ドイツ車のスタイリングと日本のスタイリングを見ると、もう圧倒的にね、ドイツ車の方がスタイリング入れても尖ってるし、フィーチャーなんか見ていくと、トータルバランスという用字、やっぱり尖ったところがたくさん見えてきてるっていう。日本は個々のスペックではそれほど高くはないんだけど、トータルとしては結構まとまり感が非常にあるっていうね。
中川 浩孝
なるほどね。あれですかね、やっぱりみんなが好きか、みんなが嫌いかっていうと、みんなが嫌いっていうのがすごい嫌がるんですよね、きっとね。
嫌いなのを削っていくと、なんとなくみんながなんとなくいいかもしれないって思うものができるっていう、なんかそんな感じなのかもしれませんね。
高木 恵子
いいとか悪いとか、どっちかに振り切るのをやっぱり日本人ってやらないとか、好まないとか。恐れますよね。そうなんですよ。だから自分がどっちのグループというか、何々派に入っちゃいけないみたいな、なんかこうそういう意識が全てに関して私はあるような気がしていて、
だからなんとなくこうどっち好かず、なんかボワンと、特にそういうちょっとなんか考えを述べるとか多数決みたいな時って、本当はもしかしたらまあそれぞれちょっとね自分の考えとかである方もいると思うんですけど、
それを発する時ってやっぱり、まあ無難な回答、よく無難って言うような言葉がすごい日本って飛び交うと思うんですけど、やっぱり無難な回答をみんなして、とりあえずその場を収めるみたいな。
田中 愼一
たぶんあれ日本って災害大国じゃないですか。災害。つまり自然災害っていうものとずっと長く向き合っている国民性だから、結局どうしようもない。しょうがないっていうとこから発生して、とにかく自然災害はもう来たらもうしょうがないと。
田中 愼一
もうそれに合わせて、なるべくフレキシブルに対応していかざらを得ないと、その状況に応じてっていうことで、なんか主張型じゃないんですよね。受け入れ型なんですよね。受け入れて、その中でアダプタビリティを働かせていくっていう。
田中 愼一
で、その中で基本的には間違いなくサステナブルっていうそういう発想が生まれてきて、例えば日本の水田なんかっていう、いわゆるお米っていうのは、ある意味で言うと循環型の仕組みで支えられてるんですよ。
だから同じ土地から何千年とずっと米が取り続けるんですよ。なぜかというと水田という水を通じて絶えず栄養素を土地に巻きながら、その失った栄養を取り返していくっていう循環型でこういく。それに比べると麦はそれがなくて、土地から全部吸い取っちゃうわけですよね。
田中 愼一
だから何もおさくってできなくて、基本的にはある程度そこで植えたらもう次の土地に行かざるを得ない。で、残った土地は焼き畑じゃないけど燃やすんですよ。燃やすとそれが時間とともに栄養素になっていくっていう形。
だから一つの場所から何回も何回も米を取るっていう水田方式っていうのは、ある意味その自然災害の中で、しかもそのサステナビリティっていう発想を見たときに生まれてきたその農耕方法っていうんですか。
田中 愼一
それが何か日本人の、何て言うんだろう。よく日本人は多様じゃないとか欧米の方が多様だとか、あるいは日本人がフレキシブルじゃないとか欧米の方がフレキシブルだとか、多様性とかフレキシビリティとかいうもののどっちかさっきね、けっこうさんが言ったようにどっちかだっていう風に。
欧米はフレキシブルだけど日本はフレキシブルじゃないっていうのは、この分け方があるんだけどあれすごい間違ってて、それぞれのフレキシビリティのあり方が違うんだと思う。
あと多様性を受け入れる違いもあると思うんですね。
日本って東洋、あるいは中東、さらにはもっとヨーロッパまで入るかもしれないけども、あらゆる文化のたまり場っていうんですか。
田中 愼一
つまり一番東の端っこの方の島国だから、ヨーロッパや中東やいろいろなところで発生した文化がインドや中国、朝鮮という形で日本に入ってくる。
普通の国々っていうのは多様性って言うんだけども、やっぱり例えば宗教がいい例ですよね。基本的には日本人って800万の神様がいるぐらいで、いわゆる一見無神教みたいに見られてるんだけど、実は多神教っていうか多くの神様がいるわけですよね。
田中 愼一
それを受け入れるフレキシビリティ、多様性っていうのは多分日本の国民以上の人たちっていないじゃないかと。本来は新しい宗教が来ると古い宗教を捨てて新しい宗教に入っていくとか、今でも日本にあって中国にない文化っていうのは結構、中国から伝わってきたのに日本にだけ残ってるっていうのはいろいろありますからね。
田中 愼一
だからそういう意味でやっぱり日本人の多様性とかフレキシビリティとかっていうのは質が違うんでしょうねって気がしますね。
高木 恵子
たしかに。
日本企業の現地化とサステナビリティ
中川 浩孝
ただますます、それこそホンダでアメリカで働いていたりとか、クライアントで日本の会社があったりとか外資企業があったりとかっていろいろな経験をされてると思うんですけど、そういう中では日本企業に対してやっぱり外国ではこういうふうにしなくてはいけないとか、外国企業とやるときはこういうふうにやるべきだとかって、何かそういうところって田中さんの中でアドバイスとかしてるところってあったりしますか?
田中 愼一
どうですかね、ある意味日本、アメリカなんかで仕事してると日本の企業っていうのは非常に現地化っていうのがすごい努力しますね。
で、その根底にあるのがある意味サステナビリティともつながってくるのかもしれないけども、要は仕事をいただいてるとか、そのマーケットで稼がせてもらってるとか、いわゆるお世話になりますっていうね、よくお世話になりますって言いますけど、要は何とか周りから生かされてるっていうか、
生かされてるっていう感覚。これはね、非常に日本の企業って、日本人って強いんで、そうするとアメリカに進出したときにこのやり方で行くぞっていう発想あまりなくて、僕の知ってる範囲で言うとね、ホンダなんか特にそうで、やっぱりどうやって受け入れられていくかこの社会にとか、そういう発想でアメリカ進出をホンダはやってましたね。
だから基本的にはそういう発想が、実際僕が行ったとき7年間いましたけども、日米通商摩擦のときに対応の仕方っていうのが、ホンダの対応と例えばビッグスリーの対応っていうのがですね、コミュニケーションの方向論に非常に反映されていくんですね。
要するにアメリカの場合は、俺のくじだっていうところからスタートして物事を発信するから、外から入ってきた外部侵入者はですね、徹底的に攻撃する対象で、それによってそのメッセージの内容だけじゃなくて、メッセージの出し方が非常に直接的なんですね。
田中 愼一
直接攻撃するっていう。で、一方ホンダの方のやり方っていうのは、ビッグスリーが起こるのもわかるよねって感じから始まって。
で、俺たち、アメリカに来てから大きくなったよなとね。アメリカのおかげで大きくなったんだから、やっぱりね、そこは直接ビッグスリーを攻撃したりね、アメリカのいろんな仕組みや法制度を攻撃したりするっていうのは、それはちょっと他の違いだろうねっていう議論が行われるわけですよ。
で、それがいわゆるコミュニケーション戦略にそのまま。だからビッグスリーなんかはホンダを直接攻撃する。だから直接話法ですね。それから間接話法で言うと彼らは議員とか、いろいろな人たち、インフルエンサーと呼ばれる人たち、あるいは端的に言うなら世論ですよね。
田中 愼一
世論を半日半ホンダに炊き上げて、どんどんどんどん使ってですね、で、ホンダを攻撃するわけです。で、ホンダは悪いやつだと。で、ホンダのほうはそれに対してビッグスリーは一切攻撃しない。
田中 愼一
基本的には、今アメリカが抱えてる問題っていうものに対しては意見を言う。でもビッグスリーには攻撃もかけないし、組合にも攻撃はしない。もうあくまでホンダは一途にアメリカに役に立つ企業になりますぜっていうその活動を発信するんですよね。
田中 愼一
だから攻めないんですよ、相手を。だから攻めないんじゃなくて、自分自身がこうやってアメリカの役に立ってるんですっていうのを、その発信を中心にほとんどやってたっていう。
だからこれはもう全然立ち位置が違いますよね、両者ともね。
田中 愼一
でもおかげで、その頃はSNSもなかったっていうことがこうしたのか、不幸だったのかわかんないんですけれども、7年かかったんだけど、7年でかなり、ほぼ完璧に近い線でホンダを受け入れてもらいましたね、アメリカに。
だからやっぱりそういう、なんていうんだろう、それがなんか日本的だなって気がしますね、入り方として。
中川 浩孝
なるほどね。確かにでもSNSがあったらどうなってたでしょうね、どう思います?
田中 愼一
どっちに転がってたかわかんないです。何しろ情報のスピードが速いんでね、SNSが入ってくると。そうするともう全然ね、スピード感が違うと思いますよね。
中川 浩孝
そうですよね。
田中 愼一
たぶんね、短くなるとは思うんだけど、期間は。7年もかけなくても、もっと下手すと2,3年で勝負がつくぐらいのところもできるのかもしれないけど、どっちに転ぶかがわからない。
僕がアメリカにいたときって、SNSが存在しませんでしたから。
中川 浩孝
そうですよね。
田中 愼一
マスメディアって言ったら新聞雑誌しかないわけで、あとはインフルエンサーマーケティングって言ったら有識者っていう学者の人たちとかアナリストたちですから、そんなに複雑な世界じゃないんですよね。
田中 愼一
そうするとある程度スピードが遅いんで、先を見ることが可能で、そうするとじっくり準備しながら7年かけて世論を味方につけていくってことが多分できたと思うんですけども。
今はそれが本当にできるのかどうかってのは確かにね、難しいかもしれないですね。
中川 浩孝
今なかなか企業に7年でやりましょうって言ったって多分聞いてくれないですよね。
田中 愼一
誰も聞いてくれない。
中川 浩孝
1年で何とかしてくれって話ですよね。
田中 愼一
もう1年下手したら半年だよなって話ですよね。
中川 浩孝
下手したら半年ですよね。
田中 愼一
ある意味B2Cの世界はできるんですよ、それでも。
要するに戦略PRとかね、うちのブルーカレントジャパンが作った戦略PRという発想とか、ああいうのはかなり短期勝負なんですね。
3ヶ月から6ヶ月で大体勝負決めるぐらいのやり方なんだけども、やはりどっちかというとB2Cじゃなくて、B2BというかB2ソサエティ。
要するに今よく言われるソートリーダーシップみたいに社会に貢献することによって我々はビジネスを成り立たせていきますよっていうような発信っていうのは、
これはですね、たとえSNSが今あるとは言ってもね、かなりやっぱり時間がかかるし、
しかも中期経営計画って言われている企業の事業戦略と連動していかなきゃいけないんで、一つの商品のサイクルじゃないんですよ。
B2Cだったらもうどんどんどんどん商品サイクルが回っていって新しい商品をどんどん出していきますけど、
今言ったようなソートリーダーシップっていう社会の中で存在感のある企業になるみたいな話になると、これはもう完全にその企業が持っている事業戦略と連動した形でこういくから、
まあ最低でも3年は覚悟しなきゃいけないから。
中期経営計画はだいたい最短で3年ですよね、日本はね。
田中 愼一
だからそんな世界でしょうね。
でもなんかそういうのを今話しながら、
信長のコミュニケーションの天才性
田中 愼一
そうね、日本人的でない日本人っていうので思い浮かぶのがやっぱり織田信長なんですよね。
田中 愼一
信長はですね、今NHK大河ドラマでどうする家康っていうね、なんか評判がイマイチって言われてるんですけど、
田中 愼一
先週っていうかこの日曜日だったかな、本能寺の変だったんですよね。
高木 恵子
そうですね、見ました見ました。
田中 愼一
なんかね、一方で今年は何でしたっけ、キムタクの信長もありましたよね。
結構今年は大河で信長も、岡田准一が出て、頑張って、キムタクも映画で信長って言うんで、
田中 愼一
信長っていうのはですね、ずっとタイガードラマ見てて考えてたんですけども、やっぱりね日本人らしくないんですよ。
田中 愼一
彼は日本の歴史上ですね、今スピードって話が出てきましたけど、
ものすごいスピードで、最も多くの人の意識を変えた。
非常に短期間です。彼生きたの49歳前ですから。
田中 愼一
本能寺が49歳の時だから、原服した当初になったのが18歳。
だから18歳から49という、その期間の中で多分日本の歴史上ですよ、
田中 愼一
一番多くの人を変化させた、意識を変えた男だって言って間違いないと思います。
中川 浩孝
すごいですよね、テレビも何も新聞もないのに。
田中 愼一
何もないのに。
田中 愼一
で、そこで実は、こういろいろ考えていくとですね、
実は信長はコミュニケーションね、これコミュニケーションの一つの場なんで、
田中 愼一
そういう視点から考えると、やっぱりあのね、僕は本も書きましたけど、
田中 愼一
信長っていうのはコミュニケーションの天才だと思ってるんですね。
で、今言ったようにすごい短期間で、最も多くの日本人の意識を変えたっていう。
で、これはですね、武力だけじゃ絶対なり得ない話で、
やっぱりコミュニケーションっていう力を借りないと絶対できない技なんですね。
で、それで僕が信長は随分自分なりに研究したんだけど、
表現の重要性と彼の表現方法
田中 愼一
まあ別にここで信長の話してですね、コテンラジオと対抗しようなんて気はないですけど、
田中 愼一
でも少し信長っていうのをシリーズ化してね、
田中 愼一
たまに信長のコミュニケーションって何だったのかって見るのは、
僕は面白いかなと思ってて。
で、彼のやっぱりすごいところはね、表現なんですよ。
で、これ案外我々忘れるんだけど、コミュニケーションが帰結するのは表現なんですよ。
田中 愼一
我々は表現で生きてるんですよね。
田中 愼一
表現できなかったら生きていけないんですね。
だから結局コミュニケーションコミュニケーションって我々は言ってるけれども、
田中 愼一
やっぱりそれが基本的には表現というものに帰結して、
田中 愼一
初めて我々の命が保証されている。
我々の存在そのものが確信されるっていう。
田中 愼一
だから表現ってすごく重要だと思うんですね。
田中 愼一
で、信長の表現っていう言葉が出てきた時にイメージしたのがですね、
桶狭間の前夜で、
信長が幸若舞っていう、いわゆる、
踊るんですね、幸若舞っていう曲っていうか踊りを。
で、下天のうちは50年、つまり人生50年しかないと。
基本的にはそれだけのね、すっとなくなってしまう人生なんだからっていうような歌を歌って舞うんですよ。
人生は50年しかないと。
だから思いっきり生きていこうぜみたいな意味なんでしょうけども。
田中 愼一
で、その前が彼の表現だった。
田中 愼一
これがね、僕子供の頃からすごい印象深くて、
信長っていうとその幸若舞を待っている信長の姿がいて、
その前に家臣たちがずらっと並んでて、その姿を見てるっていうね。
これがイメージとして一番すぐ出てくるんですけども。
田中 愼一
で、信長が何でそういう表現を、
田中 愼一
桶狭間の戦いの前夜でやったかっていうと、
基本的には桶狭間の戦いっていうのは今川義元が基本的には東北から攻めてきて、
田中 愼一
で、信長の一団は全員一応城にね、建てこもって、
田中 愼一
で、信長は一切戦略会議も何も開かずに、
田中 愼一
ただ何もせずにそこにいるだけなんです。
田中 愼一
で、家臣団は非常に心配して、
これは籠城しなきゃいけないのかどうすんだっていろいろ揉めてるわけですね。
で、それがですね、突然真夜中にバッと起き出して、
で、幸若舞っていう舞を待って、
田中 愼一
で、湯漬けをササッと食べて、
田中 愼一
で、一挙に兜と鎧を着て、
田中 愼一
一気に馬に乗って飛び出していくわけですね。
田中 愼一
もちろんその後、他のあれも追いかけようとしてんだけども、こういうシーンなんですけども、
で、その時なぜ彼は待ってそういう表現をしたのかっていうと、
相手は二人いたんだろうなと思うんですね。
田中 愼一
で、一人はやっぱり家臣連中、そこに詰めていた家臣連中。
田中 愼一
彼らの覚悟をね、促すっていう。
田中 愼一
自分自身。で、そこで歌うのも人生は所詮は50年だぜっていう、
田中 愼一
まあ覚悟をですね、促す歌を歌うわけですね、舞いながら。
田中 愼一
で、一方でそれを舞いながら、逆に自分に対する覚悟も固めた。
中川 浩孝
なるほど。
田中 愼一
だから、我々がコミュニケーションを通じて帰結する表現っていうのは、
田中 愼一
必ず周りの人に対して動くモチベーションを与えるだけじゃなくて、
田中 愼一
自分が動くモチベーションっていうんですか。
だからね、そういうのがすごくあるのかなって表現というものに対して。
中川 浩孝
なるほどね。前回も言いましたよね。
自分で口にすることによって自分に対して確認しているというか。
田中 愼一
多分あの時の議論っていうのがまだ頭に残ってたんでしょうね。
田中 愼一
だから結局そう考えていくと、表現するってすごく重要なことで。
で、自分なんか何表現してるのかなーなんてよく思うと、やっぱりルーティンっていうのがありますよね。
日々やってるルーティンって必ず皆さんいろいろあると思うんですけど、
田中 愼一
そのルーティンをやるのとやらないのとでだいぶ自分のモチベーションが違うなっていうのが分かってきて。
ルーティンやらないときはダメなんですよ。
これね、僕が尊敬する人がよく言ってたんだけど、もう84なんだけども、今でも毎日5キロ走ってるんですよね。
田中 愼一
で、なんで走るのかっていうと、基本的にはやっぱりね、走ると自分が元気になるってことですよ。
だから言い換えると、表現っていうのは自分を元気にするんでしょうね。
だから表現するっていうのを意識して行うってことは、実は結構元気になる源なんじゃないかなって最近思い出してて。
で、そうなった時に、信長の話が来た時に、そういえばこういう表現したなと思って見ていくと、
実は前を踊っただけじゃないんですね、彼の表現っていうのは。実はいろいろ彼は表現してるんですね。
田中 愼一
例えばお城で言うと、彼は初めて岐阜に入った時に岐阜城というですね、非常に山全体をもう城にしちゃって。
田中 愼一
で、山のてっぺんだからもう全部が見渡せるような背景で。
で、フロイスだったかな。
宣教師ですね、キリスト教の。岐阜に行った時になんという素晴らしい御殿なんだっていうね。
田中 愼一
その発想が今度はもっと具体的に豪華にですね、表現されたのが安土城ですね。
田中 愼一
琵琶湖のそばにある安土城。で、これらっていうのは今までの城とは違うんですね。何が違うかというと、
今までの城は守るための城だったんです。
田中 愼一
ところが、岐阜から安土城っていうのは見せるための城なんですね。
田中 愼一
だから、普通安土城なんかっていうのはですね、ものすごい大きな石段の道がですね、
ずっと門のところまで直接こうつながってるんですね。正門のところまで。
これ普通のその前までの城づくりからは考えられないようなことで、
普通のその前の城っていうのは迷路になってるんですね。正門まで行くのに。
信長の自己表現
田中 愼一
それがものすごく大きい一本の道でつながっちゃうんですよ。正門に。
田中 愼一
これは守るために作ったんじゃなくて、逆に見せるっていうことで、
で、もともと信長はそこに天皇陛下をね、天皇を呼ぶつもりだったらしいんだけども、
田中 愼一
いずれにしてもそういう見せるという表現形態。
田中 愼一
それから彼の場合面白いのは、いろいろなイベントを仕掛けるんですね。
田中 愼一
京都お馬添えっていうですね、いわゆる今で言うと軍事パレードみたいな感じですかね。
みんな武将が馬に乗って何万っていう武将たちが軍事協力するわけですよ。
しかも京都という、その当時SNSはないしマスコミもないんだけど、
田中 愼一
実は京都っていうのは情報発信基地でありまして。
中川 浩孝
まあでもそうですよね。日本の一番の最先端都市ですよね。
田中 愼一
京都でやったことっていうのは、商人と公家のネットワークを通じて、
大体2週間後ぐらいには全国つつうらうらに伝わってる仕掛けなんですね。
それからあと彼の場合は、戦争そのものをメディアにしてしまう。
戦争っていうのは放っておいても周りがどんどん広めていくんですよ。
だからその当時の戦争っていうのはある意味記者会見みたいなところもあって。
田中 愼一
一番代表的なのは長篠の戦いっていう武田の騎馬隊を殲滅した。
田中 愼一
あれは勝つ負けるが勝負だったんじゃないんですね。
信長にとってはどう勝つかだったんですね。
田中 愼一
負けるっていうのは一切ない。
田中 愼一
そのために彼はめちゃくちゃすごい仕掛けをして、
田中 愼一
絶対的に勝てるっていう体制で、
田中 愼一
じゃあいかに今度は圧倒的に勝つかっていうところを目的にして、
田中 愼一
圧倒的に勝つことが、特にあの当時は毛利、西国の九州、
田中 愼一
今の中国、九州、四国あたりの大名がまだ屈してなかったんで、
そこに長篠の戦いを見せつけるっていうか。
田中 愼一
っていうような形で表現。
だから彼はいろいろな形で自分も表現するんだけども、
田中 愼一
いろいろな建築物とかイベントとか戦争とか、
そういう事象とか事件とかいうものもね、
使ってそういう表現を発信してたっていうのは間違いなくて。
中川 浩孝
じゃあもし今の時代に生きてたらソーシャルメディアとか使いまくってる?
田中 愼一
使いまくってるでしょうね。
イーロン・マスクとか、もうあんなの屁のカッパ。
プーチンさよなら、習近平終わりって感じで、
田中 愼一
トランプびっくり、こんな感じですかね。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
だからやっぱり歴史見てるとね、
田中 愼一
いろんな人たちがそれぞれの表現っていうものを持っていて、
その表現によってことを起こしている。
ことを起こすってことは、基本的には自分一人が動くだけじゃなくて、
周りが動かなきゃことは起きないんで、
そういう意味では信長はすごく面白いコミュニケーションの素材として見るべきで。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
彼の持ってるコミュニケーションのからくり、力学っていうのがどう作られてるのかっていうのは非常に今でも役に立つ。
田中 愼一
特に今は信長が生きてる時代以上にいろいろなチャンネルっていうか、
田中 愼一
発信チャンネルというか受信チャンネルも含めてあるんで、
田中 愼一
信長のコミュニケーションの力っていうのは、
田中 愼一
基本的にはコミュニケーションっていうものを知る上では一つの素材としては意味があるなって気がしますね。
コミュニケーションの重要性
中川 浩孝
なるほどね。面白いですね。
田中 愼一
今後は実はいろんな人のコミュニケーション力学をシリーズ本で時々話したいなと思うんですけど、
田中 愼一
例えば信長はそうですけど、あともう一人すごいのは、やっぱり弘法大師・空海ですよね。
それから他で名前をもし入れるとすると、福沢諭吉のコミュニケーション力学も面白いですね。
学問のススメっていう立ち位置の勧めっていう発想を持ってた感じがあるし、
あとそうだな、これは人間じゃないんだけど、一応人になってるんだけど孫子、古典。
あれのコミュニケーション力学っていうのも面白いと思うし、オバマとかトランプもそうでしょうし、
田中 愼一
やっぱりもう少し深掘りしたいなと思うのはゼレンスキーですよね、今はね。
中川 浩孝
それはタイムリーですね。
田中 愼一
こういう人たちのコミュニケーションっていうのは、別に彼らはコミュニケーションを習ったわけじゃないんだけども、
生きるっていうことはイコールコミュニケーションを取るってことなんですよ。
田中 愼一
一生懸命生きればですね、必然とそのコミュニケーションのからくりっていうのが多分わかってくるんだと思うんですね。
一生懸命生きる。
だからそれをやっぱり重要になってきてるのかなって気がしますね、最近。
中川 浩孝
なるほどね。今後も楽しみじゃないですか。
田中 愼一
いろいろなシリーズを出していけたらいいんじゃないかなと思ってます。
中川 浩孝
なるほど。
35:42

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