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中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル、仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャットです。
田中 愼一
コミュニケーションの修羅場を人生のチャンスと思い込んでいる田中新一です。
高木 恵子
SEから転職して、ER業界早足半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきた、アメリカ在住の中川裕高です。
田中 愼一
今日の話はどういう感じで切りますかね?
ホンダへの就職
中川 浩孝
前回、前々回と田中さんの人生の中で、ホンダの存在がすごく大きいかなというのがあったので、アフリカに住んでいた時にホンダとの出会いがあって、その後ホンダで働かれたっていうことを、そこの話はわかったんですけれども、どういうきっかけで実際にホンダに就職されたのかっていう、その辺の話をちょっと聞きたいなと思います。
田中 愼一
そうですね、やっぱり小さい6歳ぐらいの時に、ホンダという名前の神様に救われたっていうことで、それはずっと脳裏にあったんですね。
学生入って、結構学生といってもですね、エンジョイはしたんですけれども、学ぶ方は今2歩ぐらいでですね、なかなかいい成績取れずに、で、あんまり就職のこともあんまり考えてなくて、
で、突然3年生ぐらいになってからハタとね、てか4年生になってからかな、3年の後半からだいたいみんな始まるんだけど就職戦です。
でも、なんかこれはちょっといけないなと、このままだとやばいなっていうことで、あんまり企業に行くっていうイメージあんまりなかったですね。
だから、どうするもんかなとは思って、あえて企業に行くとしたらどこに行こうかなと思った時に、やっぱりそういえばホンダだよねって話があって、一度救われた身ですから、
ていうことでホンダに行くと。で、偶然なんですけどね、ホンダっていうことを考えた時に、実はいとこがもうすでに3人入ってたんですね。
3人はすごいですよね。3人ね、2人技術系の1人事務系なんですけど、1番年上は事務系で、その当時ね、財務部長かな、財務課長かなんかやってたのかな。
で、そういうご縁もあってですね、まあとにかくホンダ1本に絞ってですね、受けてみたと。
で、そういうふうに思い出すと人間って面白いもんで、ますます昔のその時の思い出っていうのが蘇っていくと、
だんだんだんだんホンダに行くことが必然であるような、ストーリーを作り込んでいくわけですよね、人間って面白いもんで。
つまり自分の行動というのを正当化するため、ストーリーをこう自分を納得させるためのストーリー。
で、まあそういうのをどんどんどんどんこうやっていくとですね、いやあれはもともと6歳の時にホンダに救われたっていうのは一つの天命だろうと。
で、そういう流れの中でやはり南ローディッシャー、まあその頃もジンバブエになってましたけど、ジンバブエにですね、二輪の工場を作るっていうのがね、一つ夢としてはこれは面白いなというのがあって。
高木 恵子
で、自分のストーリーをですね、徐々にこう作り上げていくっていうプロセスで、で実際にホンダの面接に会った時もやはりそのストーリーを話したんですね。
田中 愼一
で、ぐわーって話して、でよって、ぜひともホンダに入りたいって。で、だいたいそこまで、面接の時にそのストーリーを語るまでですね、準備段階としてほぼ1年ぐらいあったもんね。
中川 浩孝
こんなにあったんですか?
田中 愼一
うん、そんなに考え始めてから、ストーリーが必要だと。そうすると、どんどんどんどんね、そのもうなんとかなりきっていくんですね、人間っていうのは。
で、ストーリーっていう、それがだんだんだんだん自分の表現も、非言語も、言語もですね、それにぐわーってこうなって、まあ結構あの強烈なメッセージ性を多分出してたんだろうなということで、あの面接は本当にね、あの非常に良かったです。
で、だいたい面接って2人いて、1人はだいたい相性が悪い人間で、1人が良いっていう感じじゃないですか、いつも。まるき違う性格の人が出てくるんですね。
で、そこはね、でもね、両2人とも突破したなって感じで、非常に良かったんですよね。
中川 浩孝
そこまで多分ストーリーというか、この会社の中で何をやりたいか何をしたいかっていうのが、こうはっきりと出てる学生さんって多分そんなにはなかなかいないですよね。
田中 愼一
まあそうですね、ある意味なんだろう、そういうまあ状況に追いやられたっていうか、あと基本的にはもう本田一本で住めてたんで、もうその最後の半年ぐらいかな。だからそういう意味で結構もうプレッシャーの中でやってたと、ただ面白いのはやはりそれ以降の自分の人生考えても必ず何というのかな、
パーパスなのか、今の流行りの言葉で言うと、あるいはミッションなのか、天の声なのか、なんかわからないけど、あの目の前にあること、初めからそう思ってるわけじゃないんですよ。
ただ就職する企業がいい、企業ってやっぱり本田かなって決めた段階から徐々になぜ自分は本田に行かなきゃいけないのか、本田で何をしなきゃいけないのか、
そういうものをですね、一生懸命考え始めるわけです。その理由ってのは今も言いましたけど、自分に対する正当性って言うんですか。
自分の決断に対する正当性っていうものを自分で確認したいということで、そういうアプローチだった。
結局本田入ってからもいろいろな仕事を与えられたんだけども、絶えずその時に今流で言う先ほど申し上げたパーパスみたいなものを明確に持って、そこに対して自分を納得させる
っていうような形で、ストーリーを作り上げていく。自分の。っていうのがまあ癖になったっていうか。
製造工程での経験
田中 愼一
だから例えば、一番初め入社してからどこにぶち込まれたかというと、工場、現場でありまして、初めの1年は全員行くんですよ。
145人行ったのかな、学卒、本社採用。事務系が45人の理系が100人。
通常、事務系は全員1年間現場でも車作るんだけども、その後は正式配属。正式配属で、俺は英語できるから絶対海外営業かなと思って本社だと思ったら、何のこともない通貨製作所公務科って言われて、これ公務科って何かって部品運びなんだ。
現場でラインの車が流れるに従って2万点ぐらい部品ありますからね。それをですね、僕の場合ネジとか、ああいう標準部品っていうやつを中心に何百種類ってあって、でラインに流れる車によってその必要量変わってくるんです。
それを時間通りに実際のあの電気自動車で一生懸命運ぶ。
これを3年ぐらいね。二勤交代で。
だいたい事務系でね、分系でね、工場行ったやつって僕の他にあと1人しかいなくて、そいつは系列部品メーカーさんのご子息なんで、
まあそういう工場は知っておかないといけないやろって送り込めたけど、僕の場合はなんで送り込まれたかよくわからない。
その時に3年過ごしてると、本社から同期がですね、こう来るわけですよ。海外営業で外人のお客さん連れて。
そうすると僕の姿見てね、おい新一何やってんだよってね、お前もう完全に本社から忘れされてるぞとかね。
だいたい何だと同期に対する言葉遣いかと思うぐらいね。
だから結構ね、焦ってたんですよ。俺こんなここで埋没すんのかなとか。
そこでも一応、パーパスじゃないけどミッションみたいなものを考えて、
いやこれはね、テンがね、少しその製造工程を理解するために、ここに今入れてるんだと。
ここを頑張れば、所詮本田はメーカーだからものづくりが基本だと。
じゃあ俺はものづくりで生きることにしようっていうようなね、自分に対する意味付けをこうどんどんどんどん作っていくわけですよ。
中川 浩孝
ポジティブですよね、そういう意味ではね。確かに。そこで腐る人も出てくるでしょうからね。
田中 愼一
ポジティブなんだけど、よく言えば、傷ついたところを舐めてる感じ。
中川 浩孝
まあそうですね。
田中 愼一
心が傷ついちゃってるやつを少しでも楽しようと、一生懸命犬がね、傷ついたところをペロペロ舐めてるのと似たような感じ。
それで自分なりの理屈をたくさんこね上げて、自分の今置かれてるストーリーっていうのを設定してやるわけですよ。
あの時はもう俺はこうなったら製造工程の鬼になってやろうなんてね、気持ちになって、実際に今でも具体的に製造効率、公務の払い出し効率を上げるために、
説得しなきゃいけないのは組み立てっていう現場の現場、この連中っていうのは少しでも効率的に動きたいし楽したいから、なるべく多くの部品を我々に持たせたり運ばせたいわけですよ。
こっちは逆で、こっちも人数いないから、そうすると向こうから部品を取りに来てほしいわけです。
これがね半年かかったんだけど、まず組み立てラインの連中をね、関係する連中みんな説得しなきゃいけない。
次にどこに取りに来るかって言った時に、
一つの箱のところに全部が入ってて、組み立てが取りに来たらすぐ分かるようにする、何か箱みたいなのが必要だったわけです。
これ、班長に言ったら、そんなの必要ねえって言うから、頭に来て、それで工場中もあって、そういう空いてる、もう捨てる寸前の箱を全部集めてきて、
そこに部品を全部置いて、組み立ての連中に説得して取りに来てくれって言ってね、その代わりこういう良いこともあるよとか何かいろいろ交渉して、半年後ね、ちゃんとしてラインができあがって。
高木 恵子
そしたら、次の班長かな、反対側の班長がですね、それ認めてくれて、お前すごいなこれって。
田中 愼一
それでああって言うんで、結構ね、それなりに活躍したんですよ。
あまり会社から評価されなくてね、その班長さんしか評価してくれなかったんだけど、でもそれが実はご縁で、その班長さんが本社にいる製品管理課長の元部下で、
実はこんな奴いるんですよ、鈴川に行ったら、それが向こうの耳に立って、製品管理課長っていうのが、実はその当時海外営業で、結構エースと言われたね、中南米営業部長の飯田さんって言うんだけど、これ名前言わないほうがいいよね。
の人につながってくれて、結果として3年で鈴川を終えて本社に戻ることになった。
高木 恵子
おー素晴らしい。
田中 愼一
そういう場でもやはりそれぞれのステージ、まさかね、実際今僕見てみればわかるように別に製造の鬼になってないでしょ。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
だから人生って分かんないんですよ、結果としてどこに行くか。
でも基本的にはやっぱりその場その場を生き抜くためには、自分に対して自分が今取ってる行動が正当なんだっていうね、ものを見つけないと人間生きていけないわけですよ、ある意味ね。
中川 浩孝
それはそうですね。
田中 愼一
だから一番ある意味、本田の時のボトムだったですね。
客観的に僕にとってはすごい貴重な経験だった。今から見るとね、3年は。
でもその当時の自分からすると一番ボトムのね、もう会社辞めようかっていうところまで行ってたから。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
そういう時にやっぱりそういうストーリー、自分のストーリーを無理でもいいから作り上げて自分を納得させるっていうのは結構重要なんじゃないかなっていうのはそう思うんですね。
ストーリーの重要性
中川 浩孝
納得っていうかなんかもう鼓舞してる感じですよね、そういう意味では確かに。
田中 愼一
でもこうしかない。無理やりね、痩せ我慢。
でも痩せ我慢をやんないと、本当にね、傷口を舐めないとね、やってられないでしょ、人間って。そんな心強くないから。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
そういうのっていうのがね、やっぱり一つ本田入った時の恐怖。だから本田に入るまではうわーって言ってたんだけど、入った瞬間に地獄に落とされたような感覚っていうか、話が違うっていう。
結構みんな最近は話が違うっていうケースが多いですよね。だから話が合うっていう方がない方が当たり前なんじゃないかと。
なるべく人はですね、話が違うっていうことがもう現実なんで。
中川 浩孝
それはその通りですね。
田中 愼一
話が違ったら違ったで、また別の方法でその中で生き抜くしかない。
中川 浩孝
なるほどね。
高木 恵子
なんか私も言ったような、新入社員の時の経験がありましたよ。
中川 浩孝
ぜひぜひ教えてください。
高木 恵子
田中さんと違って、どうしても行きたいっていう気持ちにはどこの会社にもならなくて、で私はもうやりたいこともあんまりクリアじゃなかったから、まずは給料のいい会社っていうので会社を選んで、外資に入ったんですけれども。
だから本当にあんまりモチベーションがなかったんで、まあ淡々と1年間ずっと研修だったんですよ。
私バブル時期の入社だったので、もう本当に会社も裕福で、もうまるまる1年、なんか大学の延長みたいに本当に研修所行って、2週間研修して、2週間自分の部署に戻って。
その部署に戻っても、次の2週間の研修のための予習をするんですよ、みたいな、本当になんか、研修で、当然会社のカルチャーとか、もちろん会社の製品のこと、いろんなことを全部、本当に教本があって勉強して、で研修では、私はSEだったんで、例えばSEとしてのプロポーザルを作ったり、
プレゼンテーションのロールプレイをやったり、みたいな、本当そういう、まだ現場に出る前に実際に、社員同士ですけど、みんなで、そういうロールプレイみたいなことを本当に1年間ずっとやってたんですね。
で、1年終わって、本当卒業式みたいなものもあって、そこで初めて、なんかちゃんとした部署に配属されるっていう流れになるんですけども、
その配属された部署が、たまたま私は女性が1人の所帯に配属されてしまって、最初は多分先輩方も、女の子の新入社員が来た、みたいな感じで、きっと喜んでくれたんだと思うんですけども、私もどこか悪かったのかもしれませんが、
どっかのタイミングから、全然なんか、もう村八部ぐらいな感じで無視をされちゃったんですよね。
田中 愼一
それはかなり強烈ですね。
苦い経験と学び
高木 恵子
まあ、そうなんですね。確かもう本当課長さん掛かり、先輩含めてもう6、7人ぐらいの部署なのに、全部私以外の先輩たちからもうガン無視されるみたいなことがずっと続いて、
だから、仕事もちゃんと教えてもらえなかったり、一応仕事は一緒についていくんだけど、本当に見てるだけみたいな感じの生活が本当に3ヶ月とか半年とか続いて、
さすがにやりたいことはなくて、この会社入ったけれども、ちょっとなんかフラストレーションというか、これも給料泥棒かな、ぐらいな感じで日々過ごしてて、
本当はじゃあ辞めようかなっていう選択肢もあったんですけど、それこそまだ2年目、でも1年ってまるまる研修だったんで、そういう意味で言うと全然社会人経験も送ってないし、これはよろしくないなと思って、
いろいろ考えて、部署移動をもう多分1年以内じゃないですかね、半年過ぎた後ぐらいに部署移動とかをもういきなり、ほぼほぼ新入社員ですよね、2年目といえども、部署移動を出して、変えてもらいました。
で、移った先がまた、そこが本当に素晴らしくて、
田中 愼一
それは良かったですね。
高木 恵子
そうなんです。上司も同僚も部下も、もうちょっと人数がいるところで、非常にそこでのびどびと仕事も覚えられたし、楽しい社会人、楽しいというか本当に社会人経験いろいろできたっていうので、
ネガティブに考えないで何かアクションを起こすっていうこととか、どうやっぱり今の目の前のチャレンジとか課題をどう取り組んでいくかっていうのは、
その時に目を背けちゃいけない、なんか嫌なことはきちんと一つ一つ対処していくっていうことがすごい身をもって経験できたんで、なんかその後すごい社会人で何かあってもまずうやむやにしないで伝えたいことは伝えて、
一つ一つ解決していく。要はうやむやにすると溜まっていくので、いろんなものがやっぱり溜まってきちゃうっていうのがすごい社会人1年生2年生ぐらいで、なんか一番覚えたことで、それって今でもなんかちゃんと残ってますね。
田中 愼一
でもそれは逆に言うとその前の一番初めに入った部署での経験っていうのは実はきっかけですよね。
ちなみに原因ってのは分かったんですか?
高木 恵子
うーん、なんかはっきりは分かんないんですよね。
田中 愼一
そこからその経験をレバレッジしたってことは言えますか?
高木 恵子
そうですね、そこでやっぱりどう対応していこうかっていうのをちゃんと向き合ったとは思いますね、自分で。
田中 愼一
たぶん初めからね、その2番目の部署についてたらそれは良かったんだろうと思うけども、でも実はその前にそういう根がなところを経験しただけに、2回目のところの良さがもっとよく分かるわけですよね。
高木 恵子
そうかもしれないですよね。
で、もしかしたら自分で無意識のうちに、きちんと前回がこうだったからここではこうしようとか、もっとちゃんと協調性じゃないけど、みんなと別に自分だけじゃなくても他の人でも一人になっちゃう人がいないようにとか、そういう意識になりますよね。
田中 愼一
だからそういうのってやっぱり実は長い目で見た時にはどっちが良かったのかっていうのは分からなくて、逆にレバレッジをかけるっていう意味で言うと、一見嫌な状況っていうのも、実は非常にもう少し長い目で見るとすごくそのおかげでっていうのがよくあるじゃないですか。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
これ大事なんでしょうね。僕も工場長かったから、初めて本社に通うことになった時にスーツを初めて着たわけですよ、社会人になって。
で、スーツ着て、おーこれから本社だーって喜んで行ったの。あれ普通初めから本社だったらその喜びがないですよね。
高木 恵子
あー、そっかそっか。
田中 愼一
で、入って行ったんだけど、なんて言うんだろうな、やっぱり本社の連中っていうのは現場知らないっていうのを痛感したですね。
高木 恵子
あー、じゃあそれは良い経験でしたよね、田中さん。
田中 愼一
現場知らずに語るなっていうぐらいに、現場を知らない人間が多すぎる。
やっぱりそういう意味では現場での経験っていうのが一番初めに来たから、それが結構僕にとっては良かったなって。
これが現場での経験っていうのが、本社に来てもそうだけど、その後アメリカに渡って、ずっと本田でのキャリアの中で一番やっぱりその現場感覚っていうものを大事にするっていう感覚がですね、叩き込まれたっていう。
で、それは今の仕事においてもやっぱり現場を一番大事にするっていうのが大事で。
そういう経験っていうのは本当、社外人出たてのホヤホヤの時の経験っていうのはすごい重要ですね。
高木 恵子
そうですよね。
中川 浩孝
確かにおっしゃる通りですね。
田中 愼一
いや、なんかそれ聞いていて、私はAppleで働いていたこともあるので、スティーブ・ジョブズの言葉いろいろ気になるところいっぱいあるんですけど、やっぱりなんか点と点って後から見た時にしか繋がらないっていうのをスティーブが言ったことがあって。
中川 浩孝
その時点ではすごく辛いことかもしれないんですけど、やっぱり後から見てみるとこの経験がすごく役に立ったなとかっていうことって、やっぱり社会人長くやってくると感じることがやっぱり多いですよね。
田中 愼一
そうするとまさにその通りで、点と点は現在進行形では見えないとなったら、繋ぎはね、点と点を繋げないっていうことになると、我々としては何が繋がって何が繋がってないのかっていうのを識別する能力っていうのはないというふうに割り切ったほうがいいですよね。
そうすると結局、どんな嫌なことがあっても、そこをこれは嫌なことだって決めるっていうこと自身が、逆にこちらのチャンスっていうものを削ってるっていうことですよね。
中川 浩孝
そうだと思います。仕事でもこういうことをしたいから、こういうステップを踏んでこうなりたいとかって考えがちだと思うんですけど、多分そうじゃないんですよね。後から考えた時にこの経験が繋がってきたりすることって。予想してこういうふうにいこうとしても結局いけないっていうのが人生。
田中 愼一
人間はそんなに頭良くないわけですよ。
分からないんですよ。
はっきり言って分かんないもん。だから逆に言うと今起こっていることを今決める必要はなくて、その価値っていうのはある程度時間が経つと、そういうふうに繋がってたのねっていうのが見えてくる。そういう動物なんですよね。人間ってね。
過去のストーリー
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
だから目の前で起こっているものを短略的に悪い、いいっていうふうに分けないっていうことでしょうね。
中川 浩孝
それはすごく大切だと思いますね。私も田中さんとお客さんの話聞いて、両方同じような経験されてるなと思って、私も似たような経験があって、私の場合は2つあるんですけど、1つは私がAppleに最初入った時、大学を卒業してAppleコンピューターという会社に入ったんですけど、1年間最初はいろんな経験をトレーニングみたいなことをして、研修でいろんな部署を回った後、営業に配属になったんですよ。
私はずっと小学部に大学では行っていて、どちらかというと経済ですとかマーケティングですとか、そういうところを勉強してきたので、マーケティングの仕事に就きたいなというふうに思っていて、とはいえ経験もないので、なんとなくふわっとした考えだったんですけど、営業になりましたと。
正直言って、お客さんとお付き合いでお酒を飲みに行ったりカラオケに行ったりみたいなこととかして、これはちょっと僕のやりたいことと違うなとは思っていたんですけれど、ただ私は社会人としては何にも知らないし、やっぱり1年、2年くらいは言われた通りに与えられた仕事をやってみようというふうに思っていたんですね。
そういう中で、1つ自分の興味ということで、マックワールドエクスポという展示会みたいなものがサンフランシスコで当時毎年あったんですけれども、慈悲で別に旅行、半分旅行で行ったんですよね。
それを慈悲で行ったっていう話があるマーケティングの人の耳に入って、あいつは営業の癖にマーケティングのことに興味があって、自分でわざわざお金を出したアメリカに行ったらしいっていうことが耳に入ったらしくて、それでこういうのやってみないということで、日本でも東京でもマックワールドって当時はやってたんですけれども、
それでマッキントッシュのアドバンテージについてプレゼンをするみたいな会を与えてもらって、それで実際にやらせてもらって、その中で彼はマーケティングに合ってるんじゃないかみたいな話になって、多分マーケティングに動かしてくれたという、移動するっていう話が出たっていうのがあって、
これも本当に単純に自分が旅行したいとかマックワールド見てみたいっていう、本当に自分の興味でしかなかったんですけれども、それがたまたまそういうふうにやっぱり目に留まって、そういう自分の知らないところでそういう繋がって、また自分のやりたいことにだんだん近づいていったっていうのは、後で見たときにはなんかああ、そうだったのかみたいな、別にそういう全然期待してやってたわけでは全然ないんですけれども、後で考えたらそういうことが繋がってたんだなっていうふうに見えたっていうのはありましたね。
田中 愼一
まあある意味、皆さんの話を聞いてると、やっぱり一つ一つの現在の目の前にあることを、少なくとも共通するのは一生懸命やってるっていうね。一生懸命やっぱりやるっていうことで、逃げないっていうことですよね。
逃げないでとにかく一生懸命やると。で、そのために自分自身を勇気づけるためにあるいはモチベーションするために、自分なりのその理由っていうか正当化というかストーリーというかそういうものを作って、それで何とか頑張っていくっていう、こういうプロセスが結局結果としてその経験が実は一つの他の点と繋がってたっていうことができるんでしょうね。
だから結構大事な話ですよ。
高木 恵子
この年になると、それこそ全てが必然だったんだなって思いません?
なるほどね。
なんかその点と点っていうのにも繋がりますけど、なんかいろんな経験をしてきて、今この年になって、全てがやっぱり必然的にあったんだなっていうのをすごい感じます。
田中 愼一
そうすると、自分のストーリー、これストーリー作るやり方を僕はいろいろ教授してるんですけど、皆さんに。いろいろな場でね。でもストーリーっていうのは最終的に死ぬときに初めて完成するって感じですね。
高木 恵子
いや、そうだと思います。そうだと思いますよ。
田中 愼一
ね。
高木 恵子
そう思います。
田中 愼一
だから逆に言うと、その安らかにあの世に行くんであれば、それなりのストーリーになってなきゃいけないって話なんですけどね。
中川 浩孝
どうなんですか?いや、それは皆さんのね、何十年も生きて亡くなるときには、それぞれの人のストーリーは必ずね、それだけの年数は同じだけ経っているわけですから、絶対あるはずですよね。
田中 愼一
そうすると何らかのストーリーがあると。ただ、じゃあそのストーリーの良し悪しは別として、何らかのストーリーがあったと自覚することが、逆にあの世に行くときの一つの、なんていうのかな、道というかプロセスなんですかね。
高木 恵子
いや、そう思いますよ。なんか私たちこうやって3人で、実はあのなんかペラペラ喋ってるようで、やっぱりその過去の話ができるっていうのは、ちゃんとストーリーを持った今人生を送ってきてるんじゃないんですか?って思いますよ。
田中 愼一
そうですね。そうですね。あの自分の過去というものをどう語れるかっていうのが、多分その人のストーリー性っていうのを決めるでしょうね。
未来への展望
高木 恵子
はい。
田中 愼一
間違いなく。だから、対話してると分かりますよね。この人、ストーリー性あるかないかっていうのは、多分そこでしょうね。自分の過去をどう説明、語ってるかっていう、そこにちゃんとした筋があるかどうか。
高木 恵子
はい、そうですね。
田中 愼一
っていうのは重要でしょう。これはね、そっか。
中川 浩孝
後から自分の人生をちゃんと理解して、どうしてこういうふうに自分がなったのかっていうことをちゃんと常にやっぱり考えられるかっていう。
田中 愼一
常に考えるってことですよね。そうすると、この次に何をしなきゃいけないかって見えてくるじゃん、ある程度。だから自分の過去のストーリーが明確に認識されてないと、次のこれからどうするかっていうのはあやふやだと思うんですね。
高木 恵子
うん、そうですね。
田中 愼一
だから我々としては、とにかく自分が来た過去っていうものをしっかりと語って、その中から将来を見据えていくっていうのが重要なんでしょうね。
確かに。
それは確かにそうだな。ストーリーを作るときの基本用語って3つあってですね、基本用語3つや1つのセンテンスなんですけど、僕がよく言うのは、先を見据えて、自分の過去を意味付けて、現在を行動する、語るっていう。
高木 恵子
あー、そうですね。
田中 愼一
ストーリーってのはもうそういうもんだと思う。だからまずは自分が今先をどういう先を見ているのか。で、なぜ今自分がそういう先を見ることができたのかというのを自分の過去を意味付けるんですよ。
それがさっき言った過去のストーリーですよね。
そうすると初めて、今現在進行形の自分っていうのがどういう行動をとっていて、でかつ何を語っているのかっていう、こういう発想で自分のストーリーっていうのを整理しろっていうのは、今いろいろな場で言ってる話なんですけども。
中川 浩孝
いや、これめちゃめちゃいいストーリーですね。
田中 愼一
そういうのがやっぱり一つの尺度として、我々は絶えずそういうものを持っていると、絶えずそれなりに元気で。
次の、だからまだわからない未来の世界っていうかね、そこに対して向き合っていける。ある意味、原動力が出てくるって感じなんですかね。
就職活動のストーリー
中川 浩孝
これさっきもう一つ言おうと思っていたのは、私の就職活動の時の話なんですけど、就職活動がうまくいった会社って、やっぱりこの会社の中で自分がやりたいことがしっかり見えていて、それが自分のこれまでの興味とすごくつながっていて、その話がすごくうまくできた会社なんですよね。
私NHKも受けてたんですけど、NHK、何がしたいんですかっていうのを話したときに、私は海外から来ているドラマとか、アメリカのドラマとかイギリスのドラマが当時大好きで、学生の頃すごく好きで、深夜深夜に海外のドラマとかたくさん見てたんですけど、NHKはすごく良質なドラマをいろんな国から買っていて、私そういうのを買い付けがしたいっていう話をしたんですよ。
それでまさに自分の興味であって、自分がこれまでやっていたことですごく興味があるところで、それの話をストーリーとしてすごく自分の中でも納得できるし、自分がそれをやっている姿も見えたし、実際にやりたいし、それが全てガチャってはまったときに、やっぱりそれが試験官の方にすごく納得してもらえるし、なんとなくこの人に入ってほしいなって思ってもらえるのかなっていう気は後で考えたときにしましたね。
田中 愼一
でもね、それは本当にね、そうなんだ。多分それができたっていうのは、そのイメージ、ヒロちゃんが持ってるそのイメージが明確に可視化されてたんだと思うんですよ。
自分の中に。ストーリーっていうのは、弱いストーリー、強いストーリーっていうのは間違いなくあって、やっぱりストーリー性の高い人ってものすごいイマジネーションが細部にわたってもう出来上がってるんですよ。だから語ってることが別に頭の中の概念を語ってるんじゃなくて、映像を見ながら語ってるんですよ。
映像ぐらいのイマジネーション力を持たないと、はっきり言って人を説得できるよう納得させるようなストーリー性っていうのは出せないし、自分自身も納得しないと思うんですね。だからストーリーっていうのはやっぱりイマジネーションっていうのが、我々いかにイマジネーションが重要かっていう。
中川 浩孝
アインシュタイン、僕の大好きなアインシュタインが言ってるように、イマジネーション is more important than knowledge.知識じゃダメなんだよ。知識をいくら入れても何の役にも立たない。やっぱりイマジネーションなんだ。だから、そういうイマジネーションっていうのはもっと具体的に言うとイメージを本当に可視化できる能力っていうか、それをしっかり持てると語りがしっかりしてくるんですよね。
すごく面白い話。
大平・そうなんですよね。
おだしょーさん。
なんか今、こんなに本気で話してる。
田中 愼一
何かカルチャーに合わないなとか、この人がこれだけやりたいこと、こんなに厚く語ってることはうちの会社ではできないなってたぶんすぐ伝わっちゃったみたいで、一発退場ぐらいな感じで。
良かったんじゃないですか。一発退場で。
それはいったら、それできなかったわけですからね。
そうかそうかって言って、向こうがそれを受け入れるだけの度量がない会社だって話。
中川 浩孝
仕事はご縁ですよね。本当に両方から、両方が両方じゃないと。
高木 恵子
そうなんですよね。
田中 愼一
でも面白い話。
高木 恵子
だからやっぱりストーリーって、そういう意味で言うと本当に、自分の人生の中に絶対左右されますよね。
そのストーリーをどう伝えるか、伝わったかで絶対に自分の人生のフットプリントが変わってきますよね。
田中 愼一
そうですね。多分巡り合わせも変わってくると思うんですよね。
僕の場合は、例えば反対版の班長に評価されたってことが、僕が本社に戻れる一つのきっかけを作り、
ストーリーの表現と影響力
田中 愼一
僕が本社の中南米営業部に行ったきっかけが、アメリカに行けるきっかけを作ってくれた。
やっぱりそういう、ご縁の世界というか、ご縁を呼び込むっていうのはやっぱりある程度ストーリー性っていうものが大きくかかってるような話だと思います。
ストーリー性が強い人の表現ってすごいんですよ。
所詮我々は表現の動物でしょ。表現して生き抜いてるわけですから。
だからやっぱりその表現が変わってくると周りへの波及効果っていうか影響が絶対変わってくるはずなんですよ。
そうですね。
ストーリーを持っていれば持っているほどその表現が輝いてくる。
それが他のいろいろな人たちに影響を与えていくっていう。
それが巡り合わせを作っていく。
中川 浩孝
だから偶然を必然にしていくような流れが多分あるんだと思うんですね。
高木 恵子
この3人の出会いも必然ですよね。
中川 浩孝
そうですね。多分そうだと思いますよ。
ポッドキャスト始めるくらいですから。