田中 愼一
で、なんでだろうってこう思ってたら、実はスーツを作るというそのプロセスの中にですね、何が起こったかというと、鏡を前に来たり後ろ見たりこうやったりやるわけですよ。
でね、測ってるスタイリストの人は、いや足長いですねなんて言われたりね。
いやそうなんですよっていうね、こういう会話をしながら、だんだんこっちが明るくなってくるわけですよね。
ああ肩幅広いですね、これ結構ガッチリいいですね、ああそうですか、とかね。
そんな話をしてると、だんだんだんだんですね、なんだろう、あのね、イマジネーションっていうのが働いてるんですね。
高木 恵子
ほー。
田中 愼一
で、そのスーツを今作ってるっていう、それがですね、いろいろなこうなんていうのかな、イマジネーションというか妄想というかそういうのが出てくるわけですよ。
で、もともとなんでスーツなんかと思って、もう最近ね、コロナ以降なかなかスーツ着る機会っていうのは少なかったんだけども。
だと言うと、今、僕の仕事の集中してるところっていうのは、トップマネージメントの人たちの発信力をどう強めるかっていう一種の仕事をしてるわけですよね。
で、コロナが解禁になったということもありですね。
いわゆるもうかなりの頻度でその仕事が入ってきてて。
で、そこでこうね、お偉いさんというかトップマネージメントの方々と会うっていうのは、やっぱりスーツ着なきゃダメでしょ、やっぱり。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
でも本当にスーツってね、買わなかったんですよ。
だからこれはって言ったんですけど、でも着てるうちにね、測ってるうちに徐々に徐々に、これはある意味ね、新しいトップマネージメントの発信力を高める一つのビジネス分野をこれから開拓していく。
そのまさにスーツを着ることによってね、いざ鎌倉って感じのね、イマジネーションが湧いてくるわけですよ。
何が起こったかというとね、元気になるんですね。
元気になってね、今週は何回、今週ひどいんですよ。
大体ね、1週5日のうち4日間はトレーニングなんだけど、トップマネージメントとの発信力強化週間なんだけども。
もうそれがね、めんどくさいなと思ってたのが、俺はこれから頑張るぜって話になって。
でもうね、計画、水曜日はこうこうこうって、どんどん緻密になって。
どんどんどんどん自分の心がですね、八重洲のミッドタウンの入り口にいて、だんだん心が暗くなっていくと同時に、それが今度逆に明るくなってくる。
実はよく考えてみると、八重洲のミッドタウンに行った時に、僕に迫ってきたものっていうのは、今の表現で言うと表現なんですね。
つまり、目に見えるものっていうのは全部表現なんだ。
車は車を表現してるし、人間は人間の個性を表現。
全て見えるものっていうのは表現なんですね。
その表現をワーッと一気に受ける中で、その表現の中から多分この自分の不安とか、心配症的なものっていうのが発生してるっていう。
だから見えるものに心が影響されたってことなんですよね。
ところが、それがスーツを着てスタイリストが測ってるうちに、だんだん自分の鏡でその姿を見てることによって、実は今見えてる以外の見えないものを、実はイメージしてるんですね。
まあ言い方変えると見えないものを見てるんですよ。
多分これ人間とってすごく重要なことで、見えるものだけで多分喜怒哀楽が決まってくるっていう世界は実は結構苦しくて。
目に見えない、見えるものだけで喜怒哀楽が左右されるっていう中では、そこで何か非常にネガティブなことを受け取ったときに、そのネガティブを解消する唯一の方法が実は見えない世界を見る。
見えている世界以外に見えない世界も見ることによって、その今見えてる世界で来た心の不安とかそういうものっていうのが実はもう一つ見えない世界を見ることによって解消されるっていう、逆に言うともっと積極的に元気になる。
スーツを実際にテーラーメイドでスタイリストの人が作ってるこの自分の姿を鏡で見てる中で、徐々に徐々にかっこいいじゃんかとかね、いいね、こういうところでトップマネジメントとこの姿であって、いろいろ発信力どう強めるかっていうのを相手とやり合うっていうのがイメージされてくると、今それは目の前には見えない世界ですよね。
トップマネジメントの人たちとこうだこうだってやってるようなセッションなんていうのは今見えてないんですよ。でもそれをイマジネーションによって見ることが一つの元気を与える。だから多分人間っていうのは見えないものを見ることによって元気になるっていうのは言えると思うんですね。
中川 浩孝
おもしろいですよね。でも私あんまり普段、ネガティブな気分になることってあんまりないんですよ。
田中 愼一
いいじゃないですか。だるまさんからね。
中川 浩孝
安定してるんですけど、逆に想像するとマイナスなことを想像してしまうことの方が逆に、むしろ普通の生活は楽しくしてるんだけれども、いろんな将来のことを考えると不安が襲ってくるというか、こういう風になったら嫌だなとか、そういうのを逆に考えちゃうのであんまり先のことを考えないようにする。
逆に私の場合は、もしかしたら、田中さんとはもしかしたら、むしろ逆なのかなと思います。
田中 愼一
でも結局、実は落ち込む時ってあるじゃないですか、人間。
中川 浩孝
もちろんありますね。
田中 愼一
落ち込む時っていうのは、実は見えない世界を見ちゃってるんですよ。
中川 浩孝
そう、そうなんですよ。
田中 愼一
それももちろんあるんですよ。だからそうなると、実はどっちにも行くんですよ。
中川 浩孝
そう、どっちにも行っちゃうんですよね。だからね。
田中 愼一
本当は何が必要かというと、その両方のギアチェンジが即できるようにしておかないといけないんですよ。つまり見えない世界と見える世界のギアチェンジ。
高木 恵子
その何かこう考え方っていうか、その継承する、自分がいなくなってもできなくてもこの思いだけは消えない一生ちゃんと継承されるっていう、なんかそこにすごいなんかもうズドンってくるものがきましたね。
田中 愼一
見えないものっていうのがその思いであるとか、継承するって目の前で別に思いは見えないし、実際に継承するって言ってもそれはやっぱりイマジネーションの世界ですから。
だからやっぱり僕はイマジネーションがすごく重要かなと思いますね。だからそれが人間に勇気を与えるとか元気を与える。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
それは間違いないなと思います。
高木 恵子
だからすごく今コミュニケーションを四半世紀以上仕事にしてますけど、この仕事で救われてることもいっぱいあるだろうし、仕事が面白いっていうこともあるので。
だからこのコミュニケーションの良さをやっぱり広くもっと伝えたいっていう気持ちが強いっていうのもあるし、それがねこのポドキャストの一つでもありますよね。
田中 愼一
やっぱりね、見えないものを見るっていうことができるようになってくると、人間ものすごく幸せになりますよ。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
やっぱり見えるものだけで、あるいは見えない世界を間違ってみるがために、今の生活を苦しむっていうか今苦しんでいる。
そうじゃなくて、やっぱり見えるものから何を意味を取って、さらにはその背後に見えない世界を描くことがやっぱり自分が元気になっていくっていうのは間違いないと思いますね。
僕もコミュニケーションの本当の始めの始めっていうのは、僕が本田にいたときに海外営業部にいたときに突然部長から呼ばれて、おい田中、お前、来月じゃないな。
3ヶ月後にワシントンD.C.駐在だって言われて、えーって言われて、何しに行くんですかって言ったら、PRをやりに行くんだって話になって。
PRって何ですかって言ったら、パブリックレーションだって。パブリックレーションって何ですかって聞いたら、怒り出してね、部長が。
てめえうるさい、と。そんなのお前、向こうへ行って習えばいいだろっていうね、いい加減な部長だなと思ったんだけど。
その後彼が言い訳がましく怒ったことを恥ずかしく思ったんですよね。まあなって田中と落ち着けと。部長も落ち着かなきゃいけないのに。落ち着けと言ってね。
本田っていうのはですね、目に見えるものにはものすごい強みを発揮する。ところが目に見えないものは、からっきし弱い。
お前はこれから目に見えないことをやりに行くんだと。
高木 恵子
なんかすごい部長さんですね。そんな言葉を。
田中 愼一
本田の中でもフロンティア最前線にいるんだぞって言って、何を言ってんだこの部長とね。
なんかわけがわかんない、見える見えない話でごまかすつもりかっていう話で僕はその時は思って、アメリカに行ったんですよ。
中川 浩孝
でも田中さんを選んだのは、おしらはの矢を立てたのは何か理由があったというか、そこに田中さんに何かを見たんでしょうね。
田中 愼一
英語ができたってだけの話。
たぶんアメリカからは英語ができるやつを送り込めって言われてた。
ただあの当時の本田って英語どこじゃなくて、僕なんか英語しかできなかったんだけど、周りは海外営業部のときはポル語とスペイン語みんなできるんですよ。
本田って中途が多いから、あの当時。ほとんど中途採用が多かったんで、だからみんなすごものがたくさん集まってて。
その中でいくら英語ができるかって言って、俺がなんで選ばれたのかってのはよくわからないんですが、僕としてはがっかりで、営業の道を越えて外れるのかって言うんだよね。
とにかく出世するためには英語があるなんて勝手な思い込みを持ってた。
だからそれでアメリカ行ってPRに接したときに、見えないものと見えるものっていうのが、少なくともその時点である程度腹落ちしたんだよね。
田中 愼一
やっぱり人の意識ってわかんないんですよ。見えないんですよ。行動とか表現は見えるんですよ。
表現は見えるんだけど、その背後にある意識とか思いとか偏見とか怒りとか、そういうものっていうのが見えないんですね。
中川 浩孝
なんかでもそれは前回の話みたいな、ジンバブエで体験した人種差別の話とか、やっぱりそういう他の人が持っていない経験を持っているっていうのは何かあったんじゃないですか、田中さんの中に。
田中 愼一
もしかしたらあった。ある意味確かに共通項というのは、当時のローデシアでは、自分がどうやって周りの役に立つか。
同じ学級の中で、変な黄色い点だったのが、こいつなんて野郎だと思われてたのが、いわゆるホンダのおかげで、いわゆるホンダに乗っていたチャンピオンがローディッシャ人で、
そこと握手したり写真持ったり、それを学校に持って見せびらかしたり、あげたりなんかして、相手の役に立つことによってリスペクトを勝ち得たってこと。
似たような状況が実はホンダで起こってたんですね。
中川 浩孝
面白いですね。
田中 愼一
それは当時いったときは日米通商摩擦でも、日本メーカーが、自動車メーカーがもう悪っていうふうに色塗られて、
世論が反日世論になっていて、とにかく日本メーカーは悪い企業。
いろんな事件が起こるわけですよ。
例えば日本車が燃やされてあっちこっちで、中国系アメリカ人が日本人に間違えられて失業した労働者にバットで殴り殺されたとか、そういう時代だった。
そうなった時に多分共通してたのは、ホンダがいかにアメリカに役に立つ会社なんだっていうことをいかに訴えることが逆にホンダに対するリスペクト。
だから実際はアメリカで7年やったんですけども、やってきたことってのはアメリカの世論をどうホンダの味方につけるか。
それにはやっぱりアメリカにアコードやシビックだけ見せてもしょうがないんですよ。
やっぱり見えない世界、ホンダっていうもので自動車、アコードシビックは見えるんですね。
でもその背後にある見えない世界をどうアメリカ国民に見せるかっていうのがやってきた7年間の仕事だった。
あくまでも僕を配属した海外営業の部長は立派な人なんだけど、確かに意味のあることを、
本人がそれを意識して使ったかどうかは別として、見えるもの見えないものっていうのはそこから始まったんですね、僕の頭の中に。
20何歳だ、6歳ぐらいのときかな。
多分そこあたりの発想っていうのがまだ僕の中にもあって、見えるものと見えないものっていうのを結構分けて考える。
結構みんな一緒になってるんですよ。
見えてる部分と見えない部分がごっちゃになって、喜怒哀楽が決まってる感じじゃないですかね。
それをあえて分けることによって、意識して見えるものっていうものを見、そこからどういう意味を感じるか。
さらには見えないところをどうやってイマジネーションで見ていくか。