田中さんがお休みのため、今回と次回は、髙木・中川のこれまでのキャリアの流れについてお話ししてみました。今回は髙木編です。

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一 (Blog)      
高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)       
中川 浩孝(twitter / Facebook / LinkedIn / note)

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サマリー

林半世紀さんと高木恵子さんは、SEからPRコミュニケーション業界に転職しました。高木さんはアメリカ在住の方で、外資系企業でマーケティングの経験を積んできました。田中さんが都合で休みのため、2人で進行します。林さんは2週間の研修に参加し、それに続く2週間を所属先で過ごし、また2週間の研修を受けました。その後の2週間は研修のための勉強と予習をし、研修初日には試験があります。林さんは卒業試験を受けるために1週間ホテルに詰め込まれ、その後も研修が1ヶ月延長されます。また、高木さんは自身の職歴やマーケティングの重要性についてお話しし、コミュニケーションの視点を持つ人材の増加を目指していることを説明しています。

高木恵子の学生時代
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル
仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
高木 恵子
みなさん、こんにちは。SEからPRコミュニケーション業界に転職して、はや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住、中川浩孝です。
今回、田中さんがちょっと都合でお休みということで、2人…
高木 恵子
リスナーの方はちょっと残念がっちゃうかもしれないけど、田中さんの絶妙な饒舌が今日はお聞きできなくて。
中川 浩孝
そうですね。私たちがいっぱい喋るっていう回になるのかな。
高木 恵子
意外とこの2人も喋るかもって思われるかもしれませんが、頑張りましょう、ひろさん。
中川 浩孝
そうですね。やっていきましょう。
いつも田中さんの話はたくさん聞いている気がするので、
私たちのコミュニケーションにどう携わってきたかとか、これまでどんな仕事をしてきたかみたいな、
そういう話を主にしていこうかなと思うんですけど、
まずちょっと、というか、いつもSEからPRコミュニケーション業界に転職してっていうのがすごく、
ん?っていうか、面白そうだなっていうふうに。
もちろん私はある程度、恵子さんから聞いてますけれども、
たぶんこれを聞いている方はどういうことなんだろうって思ってた方もいらっしゃると思うので、
ちょっとまずその辺の話を聞かせていただいていいですか。
高木 恵子
はい。なんかもう、大昔、それこそ四半世紀以上。
もうほんと四半世紀以上なんで、ちょっとうろ覚えなところもありますが。
私、大学時代は実は理系で数学を勉強してて、数学の先生になりたかったんですよね。
中川 浩孝
先生になりたかったんですね。
高木 恵子
もともとは。
中川 浩孝
すごい合ってるような気がします、確かに。
高木 恵子
あら、あら、そうですか。
そうそう、一応ちゃんと教員免許を、書、書っていうか、
中川 浩孝
教えられるんですね。
高木 恵子
そうそう、教育実習もやったし、一応教員免許っていうのは資格はあるんですよね。
中川 浩孝
なるほど、なるほど。
高木 恵子
でももうそんなの本当に遠の昔なんでね、あれなんですけど。
ほんとバブル時代で、その時代の、何て言うんだろう、
女性の大学、ちょっとまたいろいろ差別用語になるかもしれないけど、
女性の4年生大学って結構割と珍しかったし、
珍しいってかもちろん増えてきてて、
かつ理系だったらもっとも割と少なかったっていう感じだったんで、
時代、ほんとに時代、その時の時代で、もうウハウハだったんですよ。
ウハウハっていうのはもう、職をどこ探せばいいかぐらいな感じの、
もう全然困らなかった時代。
今のね、学生さんたちにはなんか羨ましがられちゃうかもしれないけど。
なので私が就職活動したのって、大学4年の、ほんと7月?
中川 浩孝
えーすごい。
高木 恵子
ほんと、えーすごいでしょ。
IBMでの就職活動
中川 浩孝
普通の人はもっと早くからやっていたんですか?
高木 恵子
もちろん、で、内定ね、当然内定もらってたりしてますよね。
なんだけど、なんかだからあんまりやりたい仕事もその時あんまり感じてなくて、
で、もちろん先生になりたくて大学入ったんだけど、
ほんと先生の職、それこそ先生の職もいっぱい、
もう、あの、なんていうんだろう、先生の職は数が限られてるけど、
で、学校ってもう限られてるし、数もね、
だけど、やっぱ人数も多かったから先生になりたい人の、そこの倍率はすごく高かった。
中川 浩孝
なるほど、なるほど。
高木 恵子
っていうのもあって、なんかその先生になるのも大変そうだなーなんて思い始めて、
うーん、じゃあどうしよう、じゃあ、でも大学院行ってまで、
数学のまだ勉強するほど数学そこまではでも好きじゃないよなーみたいなことで、
なんかテレテレテレテレしてて、で、ちょこちょこ説明会とかは行ったりしてて、
ぐらいな感じだったんですよ。
で、まあ、うちの大学は理系だったんで、その就職間に、
まあちょっとあんまり言っていいかわかんないけど、その各企業の面接、
リストみたいなのがあって、そこに名前を書くと、
まあ、ほぼほぼ自動的に面接が受けれる。
そう、わかんない、言っていいかわかんないけど、今はね、たぶんそんなことないんだろうけど。
中川 浩孝
すごいですね、そんなルートが。
高木 恵子
ね、やっぱりその面接、なんか就職課に行って名前を書く、なんか表なのかリストなのか、
ただそれ友達が書いてくれたんですよ、私は書いてなくて。
なんかその、なんかやっぱり友達が心配してくれて。
中川 浩孝
心配してくれて。
高木 恵子
で、書いといてあげたよ、みたいな感じでありがとう、みたいな。
で、まあ、そのIBMの面接を受けに行きました。
そして、まあその日のうちにもう内定ももらった。
中川 浩孝
その日のうちにってすごくないですか。
高木 恵子
まあ、だからそのね、やっぱ時代もあったし、よくあるじゃん、皆さん聞いたことあるかもしれないけど、
その内定者の囲い込みじゃないけど、やっぱり逃げられちゃいけないっていうので、
IBMでの研修
高木 恵子
内定式の日はこうなんか、
中川 浩孝
旅行に連れてかれちゃったりとか。
高木 恵子
そうそう、旅行とかホテルでなんかとかっていろいろあるじゃないですか。
まあ、そんな時代ですよね。
中川 浩孝
すごい。
高木 恵子
だから本当、まあその面接もきっと7月だったんで、
ほぼ最後だったと思うんですよね、きっとね。
中川 浩孝
そうでしょうね。
高木 恵子
さすがに企業側もね。
だから、まあすぐ採用もくれたんだろうなっていう。
ただその時の時代って、
本当もう2000人単位の新入社員を採用してたんですよね。
中川 浩孝
すごいですね。
高木 恵子
あの時代。
中川 浩孝
さすがIBM。
高木 恵子
私の時がやっぱ1700人、800人ぐらいいたし、
前の先輩たちはだから本当に2000人みたいな、そういうバブル時代。
で、我々の本当その後ぐらいにバブルが弾けたらもう一気にね、やっぱり人数が少なくなっちゃったっていう。
中川 浩孝
なるほどね。
高木 恵子
あれですけども、だから本当いい時代というかその時代で、
IBMにもちろん、すんなりというか。
どこも別に。
中川 浩孝
じゃあ他は逆に面接受けてないんですか?
高木 恵子
受けてないですね。
中川 浩孝
説明会は行ったけど。
高木 恵子
説明会というのか、説明会とか。
なんかそういうのはもちろん、ちょっと旅行業界とか、
海外にはやっぱり興味があったんで、
旅行業界みたいなところの説明会とか、
最初の集団、面接まで行かなくても。
中川 浩孝
グループ面接みたいなところですかね。
高木 恵子
説明会があって、そこでちょっとその会社の人とお話しするみたいな。
一応なんか、今みたいなエントリーシートなんかないですからね。
なんかは多分書かされたのかな。
中川 浩孝
なるほどね。
高木 恵子
だけどやっぱり旅行業界とかだと、理系の方でなんで?みたいな。
やっぱり感じになっちゃうから、あんまり話を聞いてても、
先方からもなんか相思相愛の印象を受けなくて、
やっぱダメなのかな?なんて思って、
あんまりだから、説明会は2社ぐらい聞きに行ったけど、旅行業界とかに。
特に海外のツアーというか、海外のものをやるようなところ、
あんまり大手じゃなくて、海外に特化したような、
今あるのかわかんないけど、そういうちょっとちっちゃめな旅行会社とかの話とか聞きに行ったんだけど、
あんまり次に進むこともなくみたいな。
中川 浩孝
なるほど。
高木 恵子
もう1社そう、確かゼミ、何かのゼミの先生で、
海外とかに興味があるなら英語が使える企業行ったらどう?とか言って、
ほんと先生のツテで、なんか証券会社かな?
証券会社の国際部。
中川 浩孝
バブルって感じですね。
高木 恵子
そうそう、証券会社の国際部みたいな、そういうところとかに紹介をいただいた記憶もあるんだけど、
その当時は興味があっただけで、全く英語なんか、当然帰国子女でもないし、
英語の点数がすごいずば抜けてよかったかっていうと、そうでもなかったんで、
国際部なんて当然、その当時はなおさら帰国子女とか、
英語がもうそもそも話せる人が優先的に新入社員で採用されてたんで、
そこも一回面接みたいな、OG訪問的なのをさせてくれたのかな、先生のご紹介で。
行きましたけど、ちょっと英語力ないかもね、みたいな。
そうですよね、みたいな。
本当そのぐらいの就職活動だったんですよね、私の場合。
今の記憶だと。
他にもしかしたらあったかもしれないんだけど、自分で覚えてるのってそのぐらいで。
中川 浩孝
覚えてるのはでもそれくらいなんですね。
高木 恵子
で、そうですね、そのまま入社して。
ただだから本当にSEとかが好き、エンジニアをやりたいって思って入ってるわけではないので、
あんまりこういう言い方はしたくないけど。
ただでもやっぱり今思うと、今の私の社会人のベースを作ってくれたのはIBMですね。
中川 浩孝
でもそれって大切ですよね。私もまさに私の一社目がそうだなって思います。
高木 恵子
その教育、IBMのあの時代の教育1年目の。
中川 浩孝
そうか、教育しっかりしてそうですね。
高木 恵子
素晴らしかったんですよね。もう1年間、大学の延長で1年間まるまるですよ。
研修だったんですよ、1年間。
中川 浩孝
すごいですね。余裕っていうか、やっぱり時代のあれを感じますよね、余裕のある感じをすごく。
高木 恵子
でも1年間徹底的にそのIBMのカルチャーとか、ビジネスのやり方、もちろん製品の勉強とかもさせて、本当に研修なんですよ。
研修と試験
高木 恵子
2週間研修所に行って、2週間自分の所属に戻って、でまた2週間研修みたいな。
で、所属のところに戻っても、2週間後のその研修のための勉強、予習みたいなことをして、で結局、研修の初日って試験があるんですよ。
その予習をちゃんとどれだけやったかって言って。
中川 浩孝
学校ですね。
高木 恵子
今も大学の延長で、初日にやっぱり赤点じゃないけど、何点取らないと、その所属長とか自分の先輩に連絡が行っちゃって、
あなたの今年のお宅の新入社員はエントリー試験でこんな点を取りましたけど、どんな予習をさせたんですかっていう。
今度は教育不足みたいな風に怒られちゃうから、私たちは一生懸命初日の試験も受けなきゃ、頑張らなきゃいけないみたいな、そういう本当に学校延長みたい。
で、最後は3月に卒業試験があるんですよ。
中川 浩孝
卒業試験があるんですか。
高木 恵子
で、1週間そのホテルに缶詰で。
中川 浩孝
えー、すごい。
高木 恵子
そう、架空の会社に、私はSEだったんで、SEとしてIBMのサービスを提案する。
で、営業職の人は多分営業の提案のやり方、だからアポの取り方から提案書の作成。
それも最初ってやっぱりまずは現場の人、その次に現場の人の真部長クラスの人、その次は経理部の人、会計側の人に説得しなきゃいけないとか。
で、最後社長面接みたいな段階を本当にリアルな段階を踏んだ提案の仕方。
だから資料もそうやって作るし、実際に面接ですよね。
コールをする、模擬コールみたいなことが全部試験になって、で、それをパスしないと卒業試験として受からない。
中川 浩孝
それパスしない人いるんですか。
高木 恵子
いるんです。毎年何か2,3割いるらしいんですよ。
中川 浩孝
えー、それどうなるの、そうすると。
高木 恵子
で、さらに4月から研修が延長するんですよ。
中川 浩孝
うわー、すごい。
高木 恵子
で、そこで結構やめちゃう。受かったのにやめちゃう人もいるし、当然パスしなくて延長するっていうことでやめちゃう人もいる。
そういう意味で言うと、大量に人を採用して、1年目でふるいに落としてっていうのもあるのかな、みたいなのを感じましたけど。
中川 浩孝
なるほど。でも逆に言えばね、1年間は何にも生まないで本当に学校というかね、育てるのだけでお金をかけて、それだけお金をかけて逃げられちゃうっていうのは悲しいっちゃ悲しいですけどね。
高木 恵子
だけど、それだけの余裕もあったんだろうし。
中川 浩孝
そういうことですね。
高木 恵子
で、やっぱりそういう意味で言うと、一つさらにスクリーニングされるわけだから、残ってね、やれてる人たちってある程度、粒は揃うという言い方も変だけど。
だからそこで研修が本当にやっぱりベースになりましたよね、この社会人に関しても。
で、まあ実際に所属入っていろんな、本当に実際にSEの仕事をやっぱりやりましたけど、なんかあんまり好きじゃないかな、みたいな。
中川 浩孝
それはいつ頃思ったんですか?その2年目入って始まって、実際の仕事が始まってどれくらいでしたんですか?
高木 恵子
まあプログラミングをやっぱり作るってそんなにね、もちろん今面白いと思ってされてる方もいっぱいいらっしゃると思うんですけど、なんか私はもうつまんなかったかな。
ただ、書くっていうね、プログラミングっていう作業ですからね。
それを延々とやってることが、最初は楽しかったんですけど、出来上がればね、そのシステムが動いたりしたら楽しいしね。
達成感とかはあったんですけど、延々とそれを作るのはちょっとなーなんて思ってて、
そんな時にちょうどIBMも早期退職プログラムっていう大量にね、ちょうどそのハードウェアからIBMもソフトウェアとかそのソフト側ですよね。
転換期に来た時にグローバルで大量の人員カットっていうのをやった時代で、日本でもそれがいろいろプログラムが走って、
1年目は私見送ったんですね。そしたらその翌年、もう1年また同じプログラムが走ったんですよ。
で、その若い人でも通常の退職金のほんと何倍?5、6倍だったかな。
中川 浩孝
すごい。
高木 恵子
すごいでしょ?だから、そうかと思って、これをもらってなんかちょっとキャリアチェンジでもしようかななんて思ったのがきっかけ。
それがちょうどだから5年目、6年目だったのかな。
中川 浩孝
それでも5年はいたんですね。
キャリアチェンジの検討
高木 恵子
そうですね。そうそう。5年、6年、6年ぐらいいたのかな、最終的にはっていう感じです。
で、だからなんでPRとか、じゃあマーケの方に移ってきたかっていうと、最後私が作ったシステムのプロジェクトっていうのが比較的サービス流通のお客様が多くて、
で、だんだんジュニアからシニアになってくると、ほぼほぼプロマネみたいなことをするんですね。SEってね。
だからお客様の要件を聞いて、まず今の課題点を聞いて、どういう風にしたいかっていうことを聞いて、
お客様のまずニーズを聞く、それでその後に解決策、じゃあこんなシステム作りましょう、どうしましょう、こうしましょうっていう、今度要件を詰めていく、
システム定義に落とし込んでみたいな、そういう仕事をしてたんで、
お客様の課題を聞く、そこからソリューションなんか考えるっていうプロセスが面白いなっていうところに、
まず自分のモチベーションを感じ始めた。
さらにそういうのをどんどん繰り返していくと、システム作っただけでお客様のやりたいことって本当は実現できないし、
あとこんな志がある、こんな良い会社だったらなんかもっと違う方法でそれをもっと伝えればこの会社の良さ、こういうシステムが作って解決にはなるかもしれないけど、
それってごくひとつの氷山の一角で、こんなにこの会社って例えばユーザーにとってのことを考えてくれてるっていうのをもっと伝えたらどうなんだろうみたいな、そういう考えが芽生えたんですよ。
中川 浩孝
なるほどね。
高木 恵子
で、その時にちょっとキャリアチェンジするのに、その時も本当時代でみんなこぞってMBAを取りに行ってたんですよ。
中川 浩孝
そうですね、そういう時代ありましたよね、確かに。
高木 恵子
それもやっぱり会社からその学校に通わせてくれる、その企業派遣でMBAを取りに行ける時代だったんですよ。
中川 浩孝
はいはいはいはい、そうですね。
ファッション業界への転身
高木 恵子
周りはその企業から派遣されて、でも私会社辞めて、自腹でうん千万みたいな、いくら退職金そんなにないよなみたいな。
で、いやーそうかMBAか。一応勉強もね、TOEFLとかGMATとかいろいろお勉強、そこで一番英語も勉強したかなって感じなんですけど、一応そっち方向でいろいろ勉強もしたし準備もしてたんですけど、
なんかそれこそもうみんな周りMBA取りに行ってるし、なんかキャリアチェンジしてMBAホルダーでも、それで私がやりたい方向にキャリアチェンジができるのかななんて思った時に、
なんかやっぱり、せっかく自分のキャリアチェンジをこれから組み立てるなら、もうちょっと人と違うのここから差別化を自分でも作った方がいいなーなんて思って、
で、なんかいろいろこう調べていくうちに、なぜか行ったことのないイタリアに興味を持ったんです。なんかもうある時あるものすべて、これいいな、この建築物いいなーとか、この洋服いいなーとか、なんかこの絵が。
中川 浩孝
みんなイタリアに繋がってたんですね。
高木 恵子
もう全部メイドインイタリーだったんですよね。これはなんかイタリアに呼ばれてるんじゃん、みたいに思って、そこからイタリアの学校をいろいろ調べて、ちょうどやっぱり自分がファッション好きだったんで、イタリアはファッション業界で国が成り立っているようなその時代。
今ももちろんそうだと思うんです。まあもちろんね、自動車とか食品っていうのもあると、ワインとかね、そういうのもあると思いますけど、やはりファッション大国っていうのもあって、すごくファッションに関するビジネスのコースというのがいろいろあって、
で、1年間のそのマスターコースっていう、それこそドルチェ&ガッバーナが卒業した学校とかの、同じ学校でそういうビジネスコースが1年間であったんで、そこに留学を決めた。
で、1年間勉強して帰ってきて、見事というか、念願叶ってファッション業界のPRに初めてPR業界で転職したのがそこの仕事。そこからがはい。
中川 浩孝
すごい華麗なる転身ですよね、そういう意味では。 話すとね、たかなか5、6分の話なんですけどっていう。
高木 恵子
で、そこからずっとそこにいたわけではないじゃないですか。 そうですね、ファッション。インハウスにいて、で、ファッション。で、その時にあまりにもファッションが好きだったんですよね。だから、自分の好みが強くなっちゃうと。
中川 浩孝
ああ、ファッションは完全に好みの世界ですもんね、正解とかじゃないですもんね。 で、本来ならばそこの会社のPRをしなきゃいけないのに、やっぱ自分の好みが出てきちゃうと正直仕事にならなかった。
高木 恵子
その場合はね、あんまりこう自分のこう、なんだろう、服に対するある程度好みがすごいクリアなんで、あらあらみたいなのも増えてきて、ちょっとこうすごい一番好きなことはPRの仕事はできないなっていう。
うーん、でもなんかすごくわかるような気がします。 で、まあそれでちょっといろいろ考えるところもあって、でちょっと、まああのでも本当東京コレクションとかも2シーズンやったかな。それでまあ一通り、ああなるほどファッション業界も面白いしPRってこういうことなんだなーなんて思った中で、まあ転職、ちょっとじゃあ違うところも見ようかなと思って、
髙木恵子の経歴とマーケティングの重要性
高木 恵子
で、またいろいろ転職活動してて、DeNAですね。あの今、今はもうジャイアント企業になりましたけど、あのハイDeNAの割と初期メンバー的な感じで。入って、でインハウスで。だからインハウスは2つですかね。ファッションと、まあテック系。その当時もちょうどインターネットの本当始まりだったんで、
あのすごく楽しかったですね、PR。そこでも本当いろいろどういうふうにスタートアップのPRをするのかっていうのも、まあスタートアップに限らず本当PRのいろいろ実践もできましたかね、一番ね。
ていう感じです。で、その後が全部エージェンシーですもん。そこはエージェンシーですからエージェンシーの時代の方が長いんですけども。
なるほど。 ただそのエージェンシーも、あの私がいたエージェンシーって全部、だからスタートアップだったり、あんまり大企業のクライアントというよりは、その本当にスタートアップだったり、あとその海外のお客様、企業とかが日本のマーケットエントリーするときにどうするかっていう、なんかそういうフェーズのお客様ばっかりをやってたんで。
やっぱりIBMの反動なのか、もうPRやるときは全部その割とエントリーですね。まだ大きくなってない、これからどうしなきゃいけないかみたいな。
なんかところを会社と一緒にコミュニケーションとかPRっていう角度で一緒に会社を盛り上げていくところで、仕事をする楽しみを覚えて、今に至るって感じですね。
中川 浩孝
なるほど、それはじゃあ今でもけいこさんはその辺がやっぱり楽しいというか、それに対してこうなんですか、パッションを感じるって感じですか。
高木 恵子
今でこそ四半世紀以上やってて思うのは、そのコミュニケーションってすごく会社の経営とリンクすべきだし、リンクしないと会社も大きくならないし、あと会社の良さをだからどのタイミングでどういうメッセージを、
社内外ですよね。社員にも外にもどうすれば一番バリューをちゃんと伝えられるかみたいなのがすごい重要になってくることが日々の仕事で痛感するんで、そこが今面白みを感じてるし、
っていうところで、今のフェーズになるとどっちかっていうと、そういうふうな仕事をできる人材を増やしたいっていう。やっぱコミュニケーションを、なのでこのポドキャストもね一つの理由なんですけど、
ヒロさんがやってるね、マーケティングをやる人って意外と業界にいっぱいいて、例えば仕事探すのでも、マーケティングの仕事の方が広報とかPRより多いはずなんですよ。だからPR広報とかっていうコミュニケーションをやる、まず人材も少ないんだろうなって思うし、
そこのニーズがないから人も少ない、鶏が先か卵が先かですけども、だからそこの人材も増やしたいなって思ってるし、あとはどれだけコミュニケーションっていう、田中さんもよく言ってますけど、
もうどのくらい力があるか、どのくらい必要なものか、それこそ人生に必要なものぐらい田中さんいつも言いますけど、当然ビジネスには私はとっても必要だと思うんで、そこをすごくもうちょっと大きくしていきたいなっていうのが考えですね。
中川 浩孝
いやまあそうですよね、マーケティングでちょっと広くて、しかも細分化結構されていて、マーケティングの中って結構いろんなファンクションがあるんですけど、なんかやっぱりコミュニケーションっていうのはマーケティングにとっても大切な部分で、結局は同じことで、コミュニケーション視点があるかどうかっていうのはやっぱり、ある意味逆に言えば営業の人だってそうだし、サポートの人だってそうだし、コミュニケーションの視点って多分どの部署の人も持っていないといけないところなので、そういう意味でこういう私たちの話を聞いて、
なんかこういう考え方があるんだなとかこういう見方があるんだなっていうふうに思ってくれる人がいるとやっぱりいいなっていうのは私も日々思いながらやってますね。
高木 恵子
そうですね。
中川 浩孝
そうですね。
高木 恵子
そうなんです。
中川 浩孝
四半世紀ですね。
いやなんかでもバブルの香りがいっぱいしました。
高木 恵子
でもここからの四半世紀の方がどうすればいいんだろうみたいに思いますけどね。
だって人生100年時代じゃないですか。
中川 浩孝
いや本当ですね。
高木 恵子
もうここから四半世紀以上どうなるか、まあでも本当頭と体が元気な間はなんかこのコミュニケーション、何かしらの形でやっぱコミュニケーションの仕事は携わりたいですよねって感じで。
中川 浩孝
そうですね。なるほどなるほど。
高木 恵子
そうなんですよ。
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