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中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル
仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
高木 恵子
みなさん、こんにちは。SEからPRコミュニケーション業界に転職して、はや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住、中川浩孝です。
今回、田中さんがちょっと都合でお休みということで、2人…
高木 恵子
リスナーの方はちょっと残念がっちゃうかもしれないけど、田中さんの絶妙な饒舌が今日はお聞きできなくて。
中川 浩孝
そうですね。私たちがいっぱい喋るっていう回になるのかな。
高木 恵子
意外とこの2人も喋るかもって思われるかもしれませんが、頑張りましょう、ひろさん。
中川 浩孝
そうですね。やっていきましょう。
いつも田中さんの話はたくさん聞いている気がするので、
私たちのコミュニケーションにどう携わってきたかとか、これまでどんな仕事をしてきたかみたいな、
そういう話を主にしていこうかなと思うんですけど、
まずちょっと、というか、いつもSEからPRコミュニケーション業界に転職してっていうのがすごく、
ん?っていうか、面白そうだなっていうふうに。
もちろん私はある程度、恵子さんから聞いてますけれども、
たぶんこれを聞いている方はどういうことなんだろうって思ってた方もいらっしゃると思うので、
ちょっとまずその辺の話を聞かせていただいていいですか。
高木 恵子
はい。なんかもう、大昔、それこそ四半世紀以上。
もうほんと四半世紀以上なんで、ちょっとうろ覚えなところもありますが。
私、大学時代は実は理系で数学を勉強してて、数学の先生になりたかったんですよね。
中川 浩孝
先生になりたかったんですね。
高木 恵子
もともとは。
中川 浩孝
すごい合ってるような気がします、確かに。
高木 恵子
あら、あら、そうですか。
そうそう、一応ちゃんと教員免許を、書、書っていうか、
中川 浩孝
教えられるんですね。
高木 恵子
そうそう、教育実習もやったし、一応教員免許っていうのは資格はあるんですよね。
中川 浩孝
なるほど、なるほど。
高木 恵子
でももうそんなの本当に遠の昔なんでね、あれなんですけど。
ほんとバブル時代で、その時代の、何て言うんだろう、
女性の大学、ちょっとまたいろいろ差別用語になるかもしれないけど、
女性の4年生大学って結構割と珍しかったし、
珍しいってかもちろん増えてきてて、
かつ理系だったらもっとも割と少なかったっていう感じだったんで、
時代、ほんとに時代、その時の時代で、もうウハウハだったんですよ。
ウハウハっていうのはもう、職をどこ探せばいいかぐらいな感じの、
もう全然困らなかった時代。
今のね、学生さんたちにはなんか羨ましがられちゃうかもしれないけど。
なので私が就職活動したのって、大学4年の、ほんと7月?
中川 浩孝
えーすごい。
高木 恵子
ほんと、えーすごいでしょ。
高木 恵子
内定式の日はこうなんか、
中川 浩孝
旅行に連れてかれちゃったりとか。
高木 恵子
そうそう、旅行とかホテルでなんかとかっていろいろあるじゃないですか。
まあ、そんな時代ですよね。
中川 浩孝
すごい。
高木 恵子
だから本当、まあその面接もきっと7月だったんで、
ほぼ最後だったと思うんですよね、きっとね。
中川 浩孝
そうでしょうね。
高木 恵子
さすがに企業側もね。
だから、まあすぐ採用もくれたんだろうなっていう。
ただその時の時代って、
本当もう2000人単位の新入社員を採用してたんですよね。
中川 浩孝
すごいですね。
高木 恵子
あの時代。
中川 浩孝
さすがIBM。
高木 恵子
私の時がやっぱ1700人、800人ぐらいいたし、
前の先輩たちはだから本当に2000人みたいな、そういうバブル時代。
で、我々の本当その後ぐらいにバブルが弾けたらもう一気にね、やっぱり人数が少なくなっちゃったっていう。
中川 浩孝
なるほどね。
高木 恵子
あれですけども、だから本当いい時代というかその時代で、
IBMにもちろん、すんなりというか。
どこも別に。
中川 浩孝
じゃあ他は逆に面接受けてないんですか?
高木 恵子
受けてないですね。
中川 浩孝
説明会は行ったけど。
高木 恵子
説明会というのか、説明会とか。
なんかそういうのはもちろん、ちょっと旅行業界とか、
海外にはやっぱり興味があったんで、
旅行業界みたいなところの説明会とか、
最初の集団、面接まで行かなくても。
中川 浩孝
グループ面接みたいなところですかね。
高木 恵子
説明会があって、そこでちょっとその会社の人とお話しするみたいな。
一応なんか、今みたいなエントリーシートなんかないですからね。
なんかは多分書かされたのかな。
中川 浩孝
なるほどね。
高木 恵子
だけどやっぱり旅行業界とかだと、理系の方でなんで?みたいな。
やっぱり感じになっちゃうから、あんまり話を聞いてても、
先方からもなんか相思相愛の印象を受けなくて、
やっぱダメなのかな?なんて思って、
あんまりだから、説明会は2社ぐらい聞きに行ったけど、旅行業界とかに。
特に海外のツアーというか、海外のものをやるようなところ、
あんまり大手じゃなくて、海外に特化したような、
今あるのかわかんないけど、そういうちょっとちっちゃめな旅行会社とかの話とか聞きに行ったんだけど、
あんまり次に進むこともなくみたいな。
中川 浩孝
なるほど。
高木 恵子
もう1社そう、確かゼミ、何かのゼミの先生で、
海外とかに興味があるなら英語が使える企業行ったらどう?とか言って、
ほんと先生のツテで、なんか証券会社かな?
証券会社の国際部。
中川 浩孝
バブルって感じですね。
高木 恵子
そうそう、証券会社の国際部みたいな、そういうところとかに紹介をいただいた記憶もあるんだけど、
その当時は興味があっただけで、全く英語なんか、当然帰国子女でもないし、
英語の点数がすごいずば抜けてよかったかっていうと、そうでもなかったんで、
国際部なんて当然、その当時はなおさら帰国子女とか、
英語がもうそもそも話せる人が優先的に新入社員で採用されてたんで、
そこも一回面接みたいな、OG訪問的なのをさせてくれたのかな、先生のご紹介で。
行きましたけど、ちょっと英語力ないかもね、みたいな。
そうですよね、みたいな。
本当そのぐらいの就職活動だったんですよね、私の場合。
今の記憶だと。
他にもしかしたらあったかもしれないんだけど、自分で覚えてるのってそのぐらいで。
中川 浩孝
覚えてるのはでもそれくらいなんですね。
高木 恵子
で、そうですね、そのまま入社して。
ただだから本当にSEとかが好き、エンジニアをやりたいって思って入ってるわけではないので、
あんまりこういう言い方はしたくないけど。
ただでもやっぱり今思うと、今の私の社会人のベースを作ってくれたのはIBMですね。
中川 浩孝
でもそれって大切ですよね。私もまさに私の一社目がそうだなって思います。
高木 恵子
その教育、IBMのあの時代の教育1年目の。
中川 浩孝
そうか、教育しっかりしてそうですね。
高木 恵子
素晴らしかったんですよね。もう1年間、大学の延長で1年間まるまるですよ。
研修だったんですよ、1年間。
中川 浩孝
すごいですね。余裕っていうか、やっぱり時代のあれを感じますよね、余裕のある感じをすごく。
高木 恵子
でも1年間徹底的にそのIBMのカルチャーとか、ビジネスのやり方、もちろん製品の勉強とかもさせて、本当に研修なんですよ。
高木 恵子
2週間研修所に行って、2週間自分の所属に戻って、でまた2週間研修みたいな。
で、所属のところに戻っても、2週間後のその研修のための勉強、予習みたいなことをして、で結局、研修の初日って試験があるんですよ。
その予習をちゃんとどれだけやったかって言って。
中川 浩孝
学校ですね。
高木 恵子
今も大学の延長で、初日にやっぱり赤点じゃないけど、何点取らないと、その所属長とか自分の先輩に連絡が行っちゃって、
あなたの今年のお宅の新入社員はエントリー試験でこんな点を取りましたけど、どんな予習をさせたんですかっていう。
今度は教育不足みたいな風に怒られちゃうから、私たちは一生懸命初日の試験も受けなきゃ、頑張らなきゃいけないみたいな、そういう本当に学校延長みたい。
で、最後は3月に卒業試験があるんですよ。
中川 浩孝
卒業試験があるんですか。
高木 恵子
で、1週間そのホテルに缶詰で。
中川 浩孝
えー、すごい。
高木 恵子
そう、架空の会社に、私はSEだったんで、SEとしてIBMのサービスを提案する。
で、営業職の人は多分営業の提案のやり方、だからアポの取り方から提案書の作成。
それも最初ってやっぱりまずは現場の人、その次に現場の人の真部長クラスの人、その次は経理部の人、会計側の人に説得しなきゃいけないとか。
で、最後社長面接みたいな段階を本当にリアルな段階を踏んだ提案の仕方。
だから資料もそうやって作るし、実際に面接ですよね。
コールをする、模擬コールみたいなことが全部試験になって、で、それをパスしないと卒業試験として受からない。
中川 浩孝
それパスしない人いるんですか。
高木 恵子
いるんです。毎年何か2,3割いるらしいんですよ。
中川 浩孝
えー、それどうなるの、そうすると。
高木 恵子
で、さらに4月から研修が延長するんですよ。
中川 浩孝
うわー、すごい。
高木 恵子
で、そこで結構やめちゃう。受かったのにやめちゃう人もいるし、当然パスしなくて延長するっていうことでやめちゃう人もいる。
そういう意味で言うと、大量に人を採用して、1年目でふるいに落としてっていうのもあるのかな、みたいなのを感じましたけど。
中川 浩孝
なるほど。でも逆に言えばね、1年間は何にも生まないで本当に学校というかね、育てるのだけでお金をかけて、それだけお金をかけて逃げられちゃうっていうのは悲しいっちゃ悲しいですけどね。
高木 恵子
だけど、それだけの余裕もあったんだろうし。
中川 浩孝
そういうことですね。
高木 恵子
で、やっぱりそういう意味で言うと、一つさらにスクリーニングされるわけだから、残ってね、やれてる人たちってある程度、粒は揃うという言い方も変だけど。
だからそこで研修が本当にやっぱりベースになりましたよね、この社会人に関しても。
で、まあ実際に所属入っていろんな、本当に実際にSEの仕事をやっぱりやりましたけど、なんかあんまり好きじゃないかな、みたいな。
中川 浩孝
それはいつ頃思ったんですか?その2年目入って始まって、実際の仕事が始まってどれくらいでしたんですか?
高木 恵子
まあプログラミングをやっぱり作るってそんなにね、もちろん今面白いと思ってされてる方もいっぱいいらっしゃると思うんですけど、なんか私はもうつまんなかったかな。
ただ、書くっていうね、プログラミングっていう作業ですからね。
それを延々とやってることが、最初は楽しかったんですけど、出来上がればね、そのシステムが動いたりしたら楽しいしね。
達成感とかはあったんですけど、延々とそれを作るのはちょっとなーなんて思ってて、
そんな時にちょうどIBMも早期退職プログラムっていう大量にね、ちょうどそのハードウェアからIBMもソフトウェアとかそのソフト側ですよね。
転換期に来た時にグローバルで大量の人員カットっていうのをやった時代で、日本でもそれがいろいろプログラムが走って、
1年目は私見送ったんですね。そしたらその翌年、もう1年また同じプログラムが走ったんですよ。
で、その若い人でも通常の退職金のほんと何倍?5、6倍だったかな。
中川 浩孝
すごい。
高木 恵子
すごいでしょ?だから、そうかと思って、これをもらってなんかちょっとキャリアチェンジでもしようかななんて思ったのがきっかけ。
それがちょうどだから5年目、6年目だったのかな。
中川 浩孝
それでも5年はいたんですね。