冒頭の自己紹介を少し変えた田中さん、そこから「絶対主観」の話に。また、日本からアメリカに帰る途中の乗り継ぎフライトが遅れに遅れた中川の話から、マウンティングの話に…。

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一 (Blog)     
高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)      
中川 浩孝(twitter / Facebook / LinkedIn / note)

ご意見・ご感想、3 人に話してほしいトピック、3 人へのご質問などありましたら、以下のフォームからお送りください。https://forms.gle/ZGKtUCBn3m25Nr6J6

00:01
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル
仕事でコミュニケーションを扱う3人がこれまでの経験や最新の話題を語りながら
コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
皆さんどうもこんにちは。コミュニケーションを極めると自分が見えてくる、世界が見えてくる
コミュニケーション40年以上キャリアを持ちます田中愼一です。
よろしくお願いいたします。
高木 恵子
SEからPRコミュニケーション業界に転職してはや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住、中川浩孝です。
田中 愼一
今年初めてのポッドキャストという形でですね、結構よくここまで来たなという感じがします。
中川 浩孝
もう1月も半分以上終わっちゃいましたけどね。
田中 愼一
これからも頑張っていきたいなという感じで、ちょっと若干出始めを変えたんですけどね私の。
つまり今まではコミュニケーションを極めると自分が見えてくる、世界が見えてくる
コミュニケーション命、シン・田中こと田中愼一ってね。そこを後半戦ちょっと変えてですね
40年以上っていう、つまりコミュニケーションに携わって40年以上っていうのをちょっと表に出してみようかなと。
やっぱり40年以上もやってるとですね、コミュニケーションがもう何ですかね、
もう本当にコミュニケーション命になってきちゃって、
どんな事象にあっても、どんな経験にあっても、どんな出会いにあっても、
結局全てをコミュニケーションで切ってしまうっていう癖ができちゃってるんですよね。
中川 浩孝
それはありますよね。
田中 愼一
だからコミュニケーション視点から物を考えるようになるとですね、
だんだん気が付くのは、人が見ている世界と自分が見ている世界が違うんじゃないかと。
人間ってやっぱり視点の動物でしょ。
どういう視点から目の前で起こっていることを解釈するかっていうのは、やっぱり視点によって違うと思うんですね。
中川 浩孝
それは確かにありますよね。
マーケティング調査みたいな依頼がメールとかいろいろ来たりもするんですけど、
マーケティング業務に就いている人はお答えできませんみたいな、結構そういうのってあって、
確かにマーケティングの人に聞くと、何を聞かれて、これはどういう答えを求められているのかとか考えちゃうから、
ダメなんだろうなと思うんですけど、
でも一般の人でもそういう考え方っていうか、そういうふうに先を読める人もいると思うので、
03:01
中川 浩孝
マーケティングの人だけダメだよっていうのはちょっとあれだなって思ったりはするときはあるんですけど、
ただ私もずっとマーケティングの仕事をしているので、見方が違うだろうなって思うところはありますよね、やっぱり。
田中 愼一
まあね。だからそういう視点の持ち方っていうのは実は重要で、
本当にあまりにもこんなコミュニケーション視点ばっかりにこだわっていて大丈夫なのかなと。
だんだん皆さんの意識と乖離していってね。
結局はですね、孤立化の方向にどんどん進んでいくんじゃないかとね。
僕が言うことはね、周りがちょっと違和感感じ始めたりしてですね、僕からどんどん離れてっちゃうとかね。
こういう恐怖感を一瞬ちょっと最近感じ始めました。
高木 恵子
そんなことないですよ。そんなことないですよ。
田中 愼一
だからそういう意味もあってですね、ちょっと40年以上という年数を入れて、
自戒をすることも。
中川 浩孝
そういうことなんですね。言い訳なのかと思いました。
田中 愼一
いやいや、言い訳じゃなくてですね。
やっぱり真摯に反省はするべきときは反省するということで、
なるべく多岐に渡った視点を持ちたいなとは思うんですが、
でもね、往生際が悪いのか、
そういう意識を持てば持つほど逆にね、
いや違うんだと。これが正しいんだっていう意識が出てきちゃうんですね。
そういうふうにちょっと悩んでたときに、あるテレビを見て、
前に話したかどうかわかんないんですけど、高橋英樹さんという俳優さんいますよね。
あの人がどっかの地方局、神奈川テレビだったかな。
どっかで、高野山っていうのをテーマに、弘法大師・空海さんのお寺の高野山ですね。
特集番組があって、そこで高野山に行っていろいろ取材っていうか、
お坊さんたちに話を聞いたりしてるんですけども、
そのときに高野山、弘法大師・空海の仏教は真言宗っていうのが一つの流れなんですけども、
そこの総本山である高野山の金剛峯寺っていうお寺があるんですね。
そこの座主、座主というのは一番偉い人だと思うんですけども、
その座主の人がインタビューを高橋英樹から受けて、
やっぱり人間が安心を持つためにはどうするべきなんですか?
高橋英樹さんの質問に対して、一言、「絶対主観」ってことだったんです。
絶対は絶対的にの絶対。それに客観主観の主観って言ったんですよ。
そこで降りてきちゃってね、僕、それ言葉を聞いて。
やっぱり絶対主観なんだと。人間って客観では救われないと。
06:01
田中 愼一
つまり客観的にどんなに説明されても、結局は腹落ちしない?
究極の腹落ち?
逆にその座主の人は絶対主観なんだと。
究極の最後の最後を突き詰めていくと、
自分の絶対的な主観以外に頼るものはないっていうような話をされてる。
それ結構ね響いて、そうかと。
やっぱり自分はいろいろな意味で考えるときに、
結構悩みの種っていうのは、客観的な発想になった瞬間に結構悩むことが多いんですよ。
例えば人からどう見られてるのかなとか。
今みたいにね、俺もしかしたらこのまま行くと周りから人たちが離れていくんじゃないかなとかね。
要するに客観的な視点なんですね。
さっき視点っていうのは大事だって話をしたんですけども、
実は我々日々考えていくと、自分を客観的な視点で考える癖ができちゃってる。
要するに、わかんないけど、例えば300年ぐらい前の人たちとね、
もっと前に500年前でもいいですよ。
あるいは弘法大師、空海がいた1200年か1500年ぐらい前でもいいですけども、
基本的に科学っていうものはそれほど発達してなかったと思うんですよね、科学思想って。
ところが近代に入ってから科学思想っていうのが普及して、
人類の社会発展にものすごく寄与っていうか、それあっての寄与だと思うんだけども、
ある中で客観的にものを見るっていう視点っていうのが、
やっぱりいつのまにか我々の中にかなり染み込んでる。
だから物事を話すときってのは、客観的じゃないとそれダメだよ、主観的な話だよって却下されちゃう。
客観的になるべくこうやっていく。
ヒロちゃんがやってるマーケティングだって、
やっぱり客観的なインサイトっていうものを取って、それに基づいてやっていくっていうのがありますよね。
ビジネスの世界ではその客観論ってすごく重要だと思うんですね、客観的なものが。
ところが自分自身の人生とか自分自身のことを考えたときに、
自然と我々はその客観主義というのかな、客観的視点を導入しちゃうんですよ、自分に対しても。
そうすると、なかなか自分を客観的に視点から自分を分析しちゃうと、
結構悩みが出てくるなって感じなんですけど、皆さんそういうことないですか?
中川 浩孝
なさそうだと思いません?だって私たち。
田中 愼一
まあなんちゅうかね、危機意識の欠如というか。
09:05
田中 愼一
なんかちょっと人生もっと真剣に生きたほうがいいんじゃないですか、なんて言いたい気持ちになってきちゃいますね、確かに。
高木 恵子
なんかその客観的とか主観的って、私あんまり自分のことを生きていく中であんまり考えたことがないですね。
そもそも主観的とか客観的っていう。
田中 愼一
そこがもともと霊感の強い方で、主観と客観で分けなくても全然問題ないっていうことなんですよ、たぶん。
高木 恵子
そうです。分けるっていうこと自体があんまり。
田中 愼一
そう、だから分けるっていうことがもともと間違ってるんですね。
例えば科学という発想は、分けるとこからすべて始まってるんですよね。
物事をいろいろな要素で分けていく。
分けることによって、いわゆる理論というか、因果関係ですけどね、一言で言うと理論。
原因ですよね。原因があり結果が出てくるっていう、その中で一つの理論体系を作って、それで周りの世界を解釈していくわけですよね。
そうすると周りの世界には原因と結果があると。
だから一つの科学っていう体系が出来上がって、科学がものすごく発達してきて、今や宇宙まで行けることができる。
あるいは一言で言うと原因と結果のつながりが明確になってるわけですよね。
原因を決めてやれば結果が出てくるっていう。
これが科学っていう思考体系の一番基本にあるんですけども、
その一番のスタートポイントっていうのは、分けるっていうところがすべて始まったんですよね。
面白いのが、すべてを分けていくとですね、理屈的には納得するんですよ。
でもね、心がね。
理屈はわかるけど、心がついていけないよ、それとかね。
だからよくあるのが、人間ってやっぱり一番の関心項目って死じゃないですか。死ぬこと。
そうすると、死ぬことをいくら科学的に説明されても、死ぬのは嫌だなって思うんですよ。
ところがですね、これは別に、ある境地まで行った人たちの話を聞いてると、
死ぬっていうことを自然に受け入れてる感覚が出来上がってるんですよ。
これね、科学的な説明をいくら受けても、そういう境地には絶対ならないなっていうのが僕の実感なんですよ、最近。
で、その時に高野山のヘッドの人が絶対主観って言ったっていうのは、
なんかそこがね、結びつきあるんじゃないかなって、今疑ってるんですよ。
12:04
田中 愼一
なんかね、コミュニケーション的に説明するとね、
ここでもまたコミュニケーションにこだわっちゃうんだけども、
やっぱり思い込みなんですね、人間の世界って。
だから思い込んだが勝ちっていう世界があるんですよ。
で、これはある意味いいことかもしれないけど悪いことかもしれないですね。
思い込みって言っても、ある意味、これも逆に言うと分ける発想になっちゃうんだけど、
いい思い込みと悪い思い込みってのがあって、
やっぱりいろいろ幸せになってる方って、たぶんいい思い込みをされてる方で、
あんまり苦労されてるって言う方ってのは、やっぱり苦労されてるって言い方はないけど、
やっぱり悪い思い込み。
だから、物事を前向きに捉える思い込みと、それから物事をすべて否定的に捉える思い込みと、
どっちがいいか悪いかっていうのは、ここで分けるってことは嫌いなんで、
僕は分けなくてもいいと思うんですけども、どっちも思い込みであることは。
ただ思い込みっていうのが人間にとって重要だなっていうのがあるんですよね。
思い込みっていうのをいろいろ考えてると、
自分が行動を起こすときって、なかなかその背後に思い込みがありますよね。
これを正しいことなんだとか、これ今やるべきだなとか、これ全部思い込みなんですよね。
要するに思い込みがないと人間は行動に出ていかないっていうのが、
これは完全にコミュニケーションの発想からの説明になるわけですね。
だからそうなると、絶対主観という言葉はある意味思い込めって話なんですね。
ただ何を思い込むかっていうところへの答えは、そのお坊さんは出してくれなかったんですけども、
少なくとも思い込め。絶対主観イコール思い込め。
っていうのは、なんかいろいろ示唆に富んだ言葉かなと思って、
その後ずっとその思い込みって何なのか、絶対主観って何なのか。
この前、うちの卒業生の人たちと話をして、
飯を食いながら薬膳鍋を食べながら、いろいろ議論したときに、
僕がそのときの絶対主観って言葉を言ったらですね、
結構ね、周りはえ?って思って、なるほどって、受けがよかったですね。
受けがよかったっていうか、なんか気づきを与えたんでしょうね、絶対主観って。
僕なりの気づきは、さっき言ったように思い込みが重要だっていうのと、
他の人たちもそれぞれの経験に基づいて、絶対主観を自分なりに翻訳してたんじゃないかなって気がしますね。
だからその絶対主観ですかね。
なんでここまで来たんでしたっけね。
15:02
田中 愼一
あ、そうか。僕の出だしの言葉を帰るってんで言ってましたね。
すいません、そんな外れに外れちゃって。
ですから、そんな始まりなんですけども、なんか面白いことでも語りますかね。
高木 恵子
いいですね。今年もこんな感じで進められるのが。
田中 愼一
いいじゃないですか。その時々の頭に浮かぶ思い込んだことを話してみなさんで考えましょう、今年も。
なんか長い新年のイントロだったような気がしますが。
中川 浩孝
新年ね、なんか私アメリカに帰ってきたんですよ、昨日か一昨日か。
でもうね、今回は久しぶりにすごい遅延に遭いまして、乗り過ぎだったんですけど。
田中 愼一
本当に。
中川 浩孝
1時間半くらいの待ち時間だったはずがですね、7時間半になるっていうですね。
高木 恵子
7時間半。
それは天候ですか、それとも。
中川 浩孝
天候です。天候なんです。
今ね、すごい寒波が来ていて、アメリカ全土なんかいろんなところで寒いんですけど、
うちのあたりも雪が降って大変だったんですけど、
本来飛んでくるはずの飛行機がもう前の前の空港でまずスタックしてしまって、どんどんどんどん遅れて、
7時間半遅れました。
田中 愼一
7時間半はきついな。
中川 浩孝
なかなかきつかったですね。
高木 恵子
何やってたんですか、逆に。
田中 愼一
何やってたか興味あるな。
中川 浩孝
いやもうラウンジでひたすらいろんなテレビとかビデオみたいなものを見たりとか、
あとちょうど私家に帰ってから、タイミングがすごく良ければ家に着いて参加できるビデオ会議があったんですけど、
ちょっと遅れそうだっていうのが最初にあったので、すいません遅れそうなのでビデオ会議出れませんっていうメッセージを送ったんですけど、
ずっと遅れちゃったので、なんと空港のラウンジから出るっていう。
高木 恵子
仕事しちゃったんですね。
中川 浩孝
仕事しちゃいましたちょっと。
田中 愼一
なるほどね。
中川 浩孝
なかなかですよね、6時間、7時間半遅れるっていうのはですね。
高木 恵子
ちょっとつらいな。
中川 浩孝
今までの中でも多分一番厳しかった。
田中 愼一
7時間半はすごいな。
中川 浩孝
でね、その話をいろんな友達とかにもしてたんですけど、
今日全然別の視点で、マウンティングっていうかですね、
いろいろ自慢することによって人に対してマウントするみたいなマウンティングがあるじゃないですか、
それのですね、もうマウントのことだけを書いてある本があるっていう話を聞きまして、すごいんですけど、
それに空港マウンティングっていうのがあって、
中川 浩孝
今空港で遅れてて大変ですみたいなのを言うのがマウンティングですとか言われちゃいまして、
それもマウンティングなんだと思って、
何言ってもマウンティングなんだなみたいな、
それはジョークですよ、ジョークとして言うと。
ジョークとしてね。
でもそういうこと言う人がいるみたいなのが書いてあって、
なかなか恐ろしい時代がやってきたなと思いました。
田中 愼一
マウンティングね。
結局マウンティングを一言で言うと何なんですか。
18:08
田中 愼一
どういう言葉で表現すればいいんですか、マウンティングっていうのは。
みんなそれぞれ漠然とした理解でグワーって広がっちゃうんだけど。
中川 浩孝
なるほどね。要は人よりも自分が何か優れているよとか。
高木 恵子
自慢合戦みたいな。
中川 浩孝
要は自慢ですよね。
田中 愼一
だから基本的にはネガに使われているのか。
中川 浩孝
そうです。
田中 愼一
ということはどっちになります。
やっぱりネガですか、自慢話は。
高木 恵子
どうなんだろう。
なんか面白いマウント合戦もありますよね。
中川 浩孝
ありますよね。
高木 恵子
見てて、聞いてて面白いなっていう。
田中 愼一
そうか。
高木 恵子
言うのは私は時々ありますけどね。
田中 愼一
僕は今、ヒロちゃんがマウンティングって言った瞬間何を思ったかというと、
何、俺への攻撃かと思ったんですよ。
中川 浩孝
何で、何で、どこがですか。
田中 愼一
俺マウンティングばっかりしてるから、いつも。
高木 恵子
なんかそういう自負があるんですか。
中川 浩孝
マウンティングしてましたっけ、そんなに。
田中 愼一
違う、今のマウンティングって言葉にね、突然これ降りてきたというか、
上がってきたって言ったほうがいいのかな。
降りてくる感覚とちょっと違うんで。
なんか登ってきたって感じがしたんですけども。
マウンティング、やばいとは思わなかったけど、
あれ、俺のこと?って一瞬思っちゃったんですね。
俺結構マウンティングしてんじゃないかなと。
中川 浩孝
全然田中さんからマウンティングを感じたことは私はないですが。
田中 愼一
それよかった。
中川 浩孝
どういうのがマウンティングかっていうのがその本。
この本の名前が人生が整うマウンティング大全っていうすごい名前なんですけど。
どういうのがマウンティングかっていうと、例えばですよ。
すいません、その日はあいにくのニューヨーク出張でして同窓会に参加することができません。
というのがニューヨークマウントって書いてあるんです。
それは半分ジョークなんですよ、半分ジョークなんですけど。
高木 恵子
なるほどね。
中川 浩孝
ダボス会議に参加するたびに国際社会に向ける日本の存在感の低下ぶりについて考えさせられます。
これがダボスマウントみたいな。
そういうネタです。
田中 愼一
そうか。
でもね、結構共感しちゃったんですよ、マウンティングって言葉に。
考えてみたら人間ってマウンティングしてると元気になるんだろうなって。
中川 浩孝
そうですか、そう思います?やっぱりそうなのかな?
田中 愼一
自分で語ることは自分に語ってるんですよ。
言い方おかしくて。
自分が語ってることは自分に語ってるんですよ。
これはもうコミュニケーションの原理原則で。
自分が語れば語るほど。
だから一種の、もっと言うなら自己暗示なんですね。
人間って絶えずコミュニケーション的に見ると自己暗示をかけてるんですよ。
もちろん言葉に出さず、考えるって言うのでも自己暗示なんだけど、言葉に出すほうが強烈な自己暗示になるんです。
だからマウンティングしてるってことは自分の自慢話をしたり、
21:02
田中 愼一
なんか俺偉いんだぞとかね、
俺実はダボスから今帰ってんだよとかね。
俺本当に会いたかったんだけど、実はちょっとね、総理が来てくれって言われて。
中川 浩孝
そう、それも書いてあるんです、そういうのも。マウンティングの中に。
田中 愼一
これはね、基本的には一種自慢話って話なんだけど、
それを語ることが人にね、実は自分に語り聞かせる感じで、
そうすると自分のエネルギーになるんですよ、逆に。
自分を褒めてるわけ。
俺ってすごいんだぞって。
そうでしょ、マウンティングって俺ってすごいんだぞっていうメッセージを出すことでしょ。
中川 浩孝
その通りです。
田中 愼一
それは相手には貧縮として語るかもしれないけど、
自分に対してはいい思い込みになるんじゃないかな。
だからマウンティングって捨てたもんじゃないなっていう。
中川 浩孝
でもこれ聞く側も、結局その人の気の持ちようですよね。
高木 恵子
そうなんですよね、そう思います。
中川 浩孝
だから2人の関係性というか、言ってる人と言われてる人の関係性によって全然違う捉え方になる。
田中 愼一
全然違うと思いますよね。
だから多分、これもコミュニケーションですけど、
相手の見ている風景と自分が見ている風景は違うわけで、
こっちが発信するものっていうのは、
あくまで自分が見ている風景の中からAとして発信するわけで、
そのAというものが相手の風景の中に入った瞬間に、
Aとは、なるとは限らないわけです。
CとかDと言うと、
この原理原則っていうのがコミュニケーションの一つの大きな原理原則なんですけども、
というものを当てはめると、基本的にはこっちがマウンティングしても、
こっちと同じ風景を見てる人間であるってことは仲がいいってことですよ、言い方変えると。
お互いがお互いのことを理解してるってことだから。
そうすると、向こうはジョークとして受け取ってくれて、うまいねって感じで受け取ってくれる。
どこがそれがないと、この野郎なんだよって感じで、
いますよね、そういう人ね。
中川 浩孝
そうなんですよね。
だからその人のことをどれだけ理解してるかによって全く捉え方が違った。
田中 愼一
僕、十分理解している人間がいるんですけどね。
あんまり実名は言っちゃいかんのだけど。
中川 浩孝
実名はやめてください。
田中 愼一
何人かいるんだけど、
でもね、いくら相手のことを理解してても、受け取るとね、
本当にこういうことをやめればいいのにっていうね、マウンティング。
するやつって必ずいるんですよ、何人かいるんですよ。
マウンティングにもう慣れきっちゃってる。
あれはどういう心理構造なのかって、研究対象としては興味があって。
本当に自己陶酔型って言うんですかね。
悪気はないのかもしれない。
高木 恵子
性格になっちゃってる。
そもそも性格ってことなんですよね、もうね。
だと思いますよね、そこまでいくと
田中 愼一
あとはこっち側の問題で、
24:03
田中 愼一
それを面白いねって受け取ってやる感度をこっちで養っておけばいいわけですよ。
中川 浩孝
そうですね。
高木 恵子
それか、そういう人とはもう距離を置くとかね。
中川 浩孝
それもひとつ
田中 愼一
恵子さんは冷たいね。
高木 恵子
嫌だなと思ったら、
自分がそれを受け入れるか受け入れないかだけじゃない。
相手に求めないんですよ。
田中 愼一
求めない。
一応僕も求めませんよ。
自分がいわゆるそこに過剰反応しないように、
自分の感度を調整する感じ。
高木 恵子
嫌だったら別にもう大人なんだから、
いやいや一緒にいなくても付き合わなくてもいいとかってなりますよね。
田中 愼一
でもそれ自身が付き合わないようにするっていうのがメッセージになる場合もあるんだけども、
そういうふうにやってるのにまだフォローしてくる人って言いますよ。
本当にわかってないっていう人。
普通は少し離れればメッセージ伝わるんですよ。
あ、俺嫌われたとかね。
でもそうじゃなくてね、全然そこら辺りに鈍感な人っていますよね。
中川 浩孝
鈍感な人はいますよね。
高木 恵子
いますね。それはいるかも。
田中 愼一
でも案外鈍感の方が幸せなのかもしれない。
中川 浩孝
間違いなくそうだと思いますよ。
高木 恵子
鈍感な人の方がマウントするのが性格になってるかもしれない。
田中 愼一
なるほどね。
高木 恵子
だからマウンティングいつもできるんですよ。
田中 愼一
できるんですよ。あんまり周りの気にしないからね。
高木 恵子
いつもそれが自然に、オーガニックに出てくることが、そもそも。
田中 愼一
本当にそうなのね。
高木 恵子
ですよね、きっとね。
田中 愼一
うん、来るんですよ。
本当にさっきのね、ちょっとごめん行きたいんだけど総理からお呼びがかったっていうようなマウンティングだけど、
ことあるごとに、説明するごとに全部マウンティングって人いますよね。
中川 浩孝
いますね。
田中 愼一
例えば今日の会食に間に合うって言ったら、
いま渋滞に入っちゃって、ちょっと遅れるかもしれないけど、
まあ参っちゃったよな、今度買ったマセラティがね。
で、ここの、なんていうのかな、でかいんだよね、この車なんつって。
車の話をしばらくするんですよ。
自分の買った最新鋭のマセラティ。
中川 浩孝
すごいですね、それ。その技は。
田中 愼一
でも一種のね、これブリッジングっていう。
高木 恵子
そうそう、私も今そう思った。
中川 浩孝
まさにそうですよね。
高木 恵子
素晴らしい。
田中 愼一
車の話を延々とした後ね、
だからちょっとね、遅れるかもしれないな、ごめんなとか言ってね。
27:00
田中 愼一
そんなこと話す時間あるんだったら早く来いって言うんだけどね。
いやーごめんごめん、実は出るのはちょっと遅れちゃったんだよってまた続き始まってね。
でさ、ほら社長からコールがあったんだよ、直接。
そういうのがどんどん連なっていくってやつがいますよ。
ここになるとね、ここはね尊敬に値する。
あのブリッジング技術がすごいっていうだけじゃなくて、
あの、その鈍感力っていうか、
あるいはなんていうのかな、
そこまで言うとこっちも呆れ返っちゃって、
もう彼はマウンティングって性格だっていう風に色付けて、
何を言われてもあんまり気にしなくなるんですよ、こっちも。
だからマウンティングとは結構面白い言葉ですね。
中川 浩孝
ブリッジングをまだ学んでわざわざできるようになる人から、
そういう風にもう息を吸うように、
自分の話したいことが話せる人もいるっていう。
田中 愼一
だから案外結構自分の話したいことを話せないっていうのは、
周りを気にするっていう感覚があるから。
中川 浩孝
そういうことですよね。
田中 愼一
多分そこなんだと思うんですね。
だから基本的には周りを気にしなくなると、
はっきり言って自分の言いたいことがどんどん言えるっていうのが出てくる。
そこはどっちに転ぶかですね、いいか悪いか。
これはちょっとリスクは当然あるでしょうね。
やっぱり相手が過剰反応、ネガに反応するか、ポジに反応するかっていうのは、
やってみないとわからないですよね、言ってみないとね。
中川 浩孝
確かに確かに。
田中 愼一
鈍感力のある人はやってみてもフィードバックがわからないから、
どんどんどんどん突き進んじゃうわけですよね。
だからどっちがいいかっていうのも、
これも分けちゃいけない話なんですよね。
どっちもありなんですよね。
中川 浩孝
国によって少し差はありそうですよね、やっぱり。
日本はその近くと言いづらいというか、言わないほうが多いのかもしれないかなっていう。
田中 愼一
アメリカと日本なんか比べても明らかに日本のほうが配慮しますよね。
これ言っていいのか、言ってないのか。
欧米だと結構ストレートに言っちゃうんですね。
中川 浩孝
そうですよね。
田中 愼一
これは本当にアメリカ人と話してるのと日本人と話してるのでも、
僕自身が調整しちゃいますからね。
マウンティングで言ってもネガかポジかって分ける必要もないし、
思い込みって言ってもネガかポジカって分ける必要もない。
それぞれが何か意味あるんでしょうね。
そんな感じですね。視点ですね。
思い込み?マウンティング?なるほど。
マウンティングってでも面白いな。
僕はマウンティングって言葉あんまり使ったことないんですけど、
ヒロちゃんがマウンティングって言ってた。
マウンティングかって。
中川 浩孝
ソーシャルネットワークの世界は、SNSの世界はマウンティングで溢れているっていう話もありますから。
田中 愼一
そうですよね。
30:01
中川 浩孝
みんなに自分がしたことを見てほしいっていう気持ちももちろん分かるし、
こんなおいしいものを食べましたっていうのをシェアしたい気持ちも自分の中でもあったりするから。
でもそれが出過ぎるとまたおいしいものを食べてるっていうふうにひがむ人もいたりとか。
難しいですよね、このバランス本当に。
田中 愼一
バランスは難しいですよね。
ただ今ヒロちゃん言ったように、
自分が優れてるっていうのは言い過ぎかもしれないけども、
自分がこういうことをしてるんだっていうのを知ってもらいたいっていう欲求は、
これはある意味人間にとっては本能に近い欲求なんじゃないかなって気がしますよね。
もともと本能とか煩悩とかいうのは人が生きていくために絶対必要なもの。
だからある意味で言うと自分を周りに知ってもらいたいっていうのは一つの煩悩で、
でもその煩悩があるからこそ、周りとの関係っていうものを考えるようになるわけですよね。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
だから社会的動物である人間にとっては、
周りに自分がどういう人間なんだっていうのを知ってもらいたいっていうのは、
自分が生存するために必要な実は能力なわけですよね。
だからある意味、煩悩ってみんなそうじゃないですか、基本的には。
種の保存っていうところにすべて結びついてる気がするんですよね、本能っていうのは。
種が保存するためには食欲も必要だし、
何でもありとあらゆる煩悩っていうのが基本的にはそこを支えてる装置じゃないですか。
だから動物なんかは、見てると基本的には煩悩のほうが強いですから、
本能と言っていいのか、煩悩と言っていいのか。
本能って言うとなんとなくポジティブな発想で、
煩悩って言うとちょっとネガティブな意味合いで。
これも分けちゃってるんだけども、所詮一つなんですよね。
分けるっていう意味がなくて。
その煩悩か本能か、本能煩悩って読みますかね、語呂がいいから、
本能煩悩っていうのは、やっぱり生きるための術で、
それが種の保存につながっていくっていうことだから、
やっぱりそういう自分を知ってもらいたいっていう欲求を、
あえて抑え込むってのは、やっぱりよくないんでしょうね。
ただ、物事には過ぎたるも及ばざるがごとして、
あんまり言っちゃうと、だからやっぱりね、バランスなんですよね。
高木 恵子
今話を聞いてて思ったのが、
私たちコミュニケーションの仕事をしてる中で、
どちらかというと、発信する人側に対して、
こういうのがいいですよっていうアドバイスが多いじゃないですか。
田中 愼一
多いですね。
高木 恵子
結局、今、割とマウンティングの話もそうですし、
33:04
高木 恵子
セクハラとかパワハラっていう、いろんな社会問題が起きてる中で、
要は受け手?発信する人じゃなくて受信する人のコミュニケーション力を、
実は教えるっていうか、受信する側のコミュニケーション、
受ける側の考え方を唱えるというか、教育する場所ってないですよね。
田中 愼一
あるとしたら、宗教。
高木 恵子
そこ行っちゃいますか。
田中 愼一
宗教っていうのは、まず一つ歴史が長い。
根本的に、どの宗教も僕はある程度そうだと思うんですけど、
僕ははっきり言って読んでるのは仏教しかないんでね。
あんまり他の宗教っていうのはそれほどないんだけど、
たぶん宗教の一つっていうのは、
やっぱり宗教の根本っていうのは、人間にとって、
仏教が特にそういう哲学を持ってるんですけども、
やっぱり生きるってことは苦だっていうところから始まるわけですよね。
生きるっていうのは苦しみっていうことで、
一体その苦しみをどうすれば軽減できるかっていうことを、
ずっと考えてきたのは、特に具体的に言うんだったら、
仏教で2500年ぐらい考えてきてるんですよね。
お釈迦様が誕生して以来ずっと。
で、その中で結局出てきたのは、自分が変わるしかないっていう結論なんですよね。
結局相手に求めても、外に求めてもダメで、一向に苦しみは和らがなくて、
結局苦しみっていうのは、受け手側を変える以外に、
それを乗り越えるものはないっていうのが基本結論なんですね、仏教の哲学に。
で、それはいわゆる苦しみはどこから出てくるかっていうと、
基本的には、自分が目の前で起こっていることを、
どういうふうに受け入れるか受け入れないかで決まってくる。
そうすると、その受け入れ方をちゃんと整えてあげれば、苦しみは軽減していく。
だから一番仏教哲学で重宝されているのが、
それを非常に短い言葉で表現したお経が一つあって、
それが般若心経っていうお経なんですね。
これは世界で一番仏教の中で一番ポピュラーな、どこの宗派も信奉しているお経なんですけども、
そこの中に、基本的には苦は一切なくすことができるっていう。
で、そのお経を分析していくと、基本的には自分自身を変えろって話になってくるんですよ。
36:05
田中 愼一
つまり、空の境地になりなさいと。
だから空を解いたお経って言われてるんですけども、
いわゆる空っていう概念ってよくありますよね。
空になれとか、あるいは無になれとか。
無と空っていうのはちょっと違うんだけど、ここで説明し始めると長くなるんで。
一種の、皆さんが思っている、いわゆる無の世界って言うんですかね。
で、無の世界になると基本的には苦がなくなるっていう。
空の境地、無のさらに空の境地になると、つまり心をゼロにすれば、
あるいはマイナスにすれば苦しみはなくなりますよっていう教えなんですね。
だから仏教っていうのはずっと受け手の立場に立って、メッセージを。
発信する立場じゃなくて、受け手の立場に立って、
自分の中にどういう心があるのか。
そこで出てくる一つの言葉が、阿頼耶識っていう、これ仏教用語なんですけどもね。
人間の心にその一つの進化のステージっていうのがあるって言うんで、
全部ステージ化して、それを仏教では8つに分けるとか、9つに分けるとか、10個に分けるとか、
そういうカテゴリー別に作ってるんですよね。
それは宗派によっていろいろ8つなのか9つなのか10なのかってのは分かれるんですけど、
基本的には何からなってるかっていうと、まず認識の識っていう漢字がありますよね。
五識って読んで5つの識がまず初めにあるんですね。
初めの識っていうのが、目で見る眼識。つまり目で認識する作用。
次に耳で認識する作用。それから鼻で認識する作用。
それから舌で認識する作用。
5つ目が身体で認識する作用。5つの五識っていうのがあるんですね。
人間も動物も全部この五識を通じて認識作用っていうのが生じてくるわけです。
その認識作用が5つで動き始めると、実はこれは動物でもある動物ではそうだと思うんだけど、
人間は間違いなくその上に6つ目の認識作用、これを意識と言います。
意識なんですよ、そこが。だからこれが我々が今意識してるっていう世界なんですね。
その意識のさらに次のレベルに、次の認識作用に無意識っていうのがあるんですね。
これが基本的には6が意識だから7つ目の、これをたとえば末那識とか言うんだけど、
39:07
田中 愼一
この一番初めの無意識のレイヤーっていうのがどちらかというと煩悩とか本能的なものとか、
そういうことに基づいた認識作用をするわけです。それが意識よりも次のレベルなんですね。
さらに8つ目っていう意識があって、これがさっき言った阿頼耶識っていう。
そこは逆に非常に仏教的な表現と正常な表現、ある意味で言うと空ですね。
空の認識作用、つまり物事を空として認識する心の認識作用。
っていうふうに分けて分析してるんですね。
仏教は単に哲学だけじゃなくて、手法論も展開してるんですね。
そういうふうになるためには、自分の心をそういうふうに進化させていくためには、
つまり空の、仏教で言うと空の境地に進化させるための具体的な方法論っていうのもあるわけですね。
それを実践することによって、宗教として形になってるわけです。
僕も別にその宗教を勉強したわけじゃないんですけども、
特に一神教的な宗教と比べると、仏教みたいな多神教とは言い過ぎだと思いますけども、
仏教の場合はみなさんが仏様になるわけだから、一つの神様がいるわけじゃなくて。
なんだけど、仏教の場合っていうのは、よりその手法論が豊富なんですよ。
具体的に。その手法論の違いによって宗派が出てくるんですね。
だから真言密教だったら真言密教の手法があって、あるいは天台密教だったら天台。
それからいわゆる禅宗とか、それから浄土真宗、浄土宗とか日蓮宗とか。
大きく分けると平安時代までの仏教。
これはどっちかというと最澄の天台宗と空海の真言宗っていうのがあって、
それ以外に奈良にいくつかの宗派がある。
法曹宗とか華厳宗とか、いろいろあるわけですね、宗派がね。
それから、鎌倉時代に生まれた新しい宗教って言われてる浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗とか。
そういうのがあるんだけども、いずれの宗派もそれぞれの手法っていうのを持ってるんですね。
だからそういう意味では、今けいこさんが言った、発信する側の立場だけじゃなく、
受信する側の立場を整えてあげるっていう仕事は、
僕ね、これからコミュニケーションの世界の一番ね、必要とされる分野だというふうに思います。
高木 恵子
ですよね。
田中 愼一
間違いない、それ。
高木 恵子
初めて、今それに気がつきました、なんか。
ずっと今までね、私たち発信する側がこうだこうだ、ソートリーダーシップだなんて話をしてるけど、実は受け手重要ですよね。
42:07
田中 愼一
重要ですよね。
例えば今やってるいろんな企業とのトレーニングなんかね、あれも実は発信することを目的にトレーニングしてるんだけど、
とは同時にですね、物事をどう受け入れるか受け取るかって受信のところも要素が入ってるんですよね。
だから逆にこれからそこをもっと強化していくっていう方向でいくと、面白いビジネスができるかもしれないですよね。
高木 恵子
そうですよね。
なんかそうすると生きやすくなるかもしれない。
田中 愼一
ああ、生きやすくなると思いますよ。
高木 恵子
そうですよね、生きやすくなる。
田中 愼一
発信することも重要なんだけども、どう受信するかっていう心構えを整えるっていうのは、
たぶんこれから個人にとってもすごく重要なポイントになってきますね。
どう受け入れるか、周りに起こっていることを。
どう受け入れると、逆に言うと自分にとっては幸せなのかっていうね。
そういう発想っていうのはこれから絶対に重要になるし、企業も全く同じだと思います。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
企業の場合はやっぱりこれから単に稼ぐだけじゃなく、社会貢献も一緒にしていかなきゃいけない。
つまり企業にとっては社会貢献が副業から本業になるわけですよね。
すると、稼ぐっていうのと社会貢献っていうのは本当に一体にする発想っていう。
そうすると、やっぱり発信する力だけじゃなくて、
周りでいろんなステークホルダーとか、あるいは社会とか世間とか世論とかが、
今どういうふうにそれらを受け取るかっていう受信の仕方ですよね。
そういうのがものすごく重要になってくると思うんですよね。
高木 恵子
そうですね。
これはね、非常に面白いですよ。
今までのコミュニケーションの方向性とは違った、ブレイクスルーになる可能性はありますね。
高木 恵子
やっぱり学校ですよ、田中さん、学校。
そういうのを、受信も発信も、教えるって言ったら変だけど、そこをこう。
田中 愼一
じゃあ、有志を集めますか。
例えばね、今度ゲストで招待したいと思ってるんですけど、
さっき前に言った、薬膳を囲んだ仲間たち。
その会名は阿頼耶識会って名前がついてたんです。
いわゆる一番進んだ心の状態ね。
高木 恵子
最上レベルですね。
田中 愼一
最上レベルです。
最上レベルなんです。
実はね、それよりもっと上がいるんですよ。
それ言ったらね、みんながっかりしちゃってね、最上レベルじゃなかったのってみんなから文句言われたんだけど。
そこまで今入りませんけど。
でも、阿頼耶識会っていう一つの境地って言うんですか。
その仲間を集めて学校を開いてもいいですけどね。
高木 恵子
いいですね、いいですね。面白そう。
45:02
田中 愼一
一人一人がそれぞれ立ってるんで。
例えば、この前ゲスト出演してくれたAさんっていうのは、
やっぱりコーチングがすごいんですよ、今。新たなコーチングを。
現場でがっちりやってて。
コーチングっていうのも、まさに受信する側の心を整えるってことですね。
高木 恵子
そうですね。
田中 愼一
だからそれはね、非常に重要かなと思うんですね。
あと、そこにいた他の連中で言うと、
特にテレビに対して、
その社会的問題っていうのをどういう形で取り上げてもらうかっていうのを専門してるんですよ。
それからもう一人は、これはPR会社なんだけども、
いろんな形で企業の悩み事っていうのを発信もあるんだけども、
でも結構受信がだんだん重要になってきてる。
面白いコミュニケーションという筋で考えたときに、
そういう仲間を集めてきてやるってのは面白いかもしれないですね。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
それを一つの学校にするっていうのが一つの手かもしれません。
どうしますか、学校。
高木 恵子
いいですよね。
田中 愼一
ワイガヤでも開きますか、有志集まって
高木 恵子
あと、不動産屋さんとかがいたら、
空いてる物件を使わせてもらうとかね。
中川 浩孝
具体的になってきましたね。
田中 愼一
やっぱりオフの場が必要ですよね。
高木 恵子
そうなんですよ。
だから、不動産屋さんの知り合いも誰か協力してもらって、
空いてる物件を使わせてもらうとか。
あとは、食品とか飲料のメーカーに、
テストマーケティング用でそこに提供してもらうとか、飲み物とかね。
そうすると、あっという間に場所と憩いの時間の場所ができる。
田中 愼一
憩いの場所はいいですね。
結局、飲みの場になっちゃったような気がして、飲み
中川 浩孝
いや、でもそれでいいんじゃないですか。
楽しい場の方がいいですよね。
田中 愼一
溜まり場が欲しいんだよね。
高木 恵子
そうなんですよ。
なんか昔ありましたよね、なんか昔っていうか。
なんか、私若い時代とか、ここに行ったら必ずこういう人たちに会えるみたいな。
なんかありませんでした?
中川 浩孝
何でしょう?
田中 愼一
溜まり場ね、溜まり場。
中川 浩孝
バーみたいなもんですかね。
高木 恵子
バーとかレストランとかでも、
別に普段そんなにつるまなくても、
そこの場所に行くと必ずいるから、
なんとなく一人でも行けるみたいな。
田中 愼一
あーなるほど。
えっとね、焼き鳥屋があったな、一つ。
高木 恵子
でもそんな感覚ですよね。
そうするといろんな人でそこに出会って、
48:01
高木 恵子
でまたそこでって。
田中 愼一
そこ路上なんですよ。
有楽町のガード下にある一つ。
そのうちの一つで路上に近くて、
ほとんどの人が店の中というよりもだいたい道端で飲んでるんですね、座って。
ビールのケースがあるじゃないですか。
あれを並べて上に板を敷いて。
あとみんな椅子ったってもう、
そんなビールのケースみたいなのを椅子にして。
そこは外人が多かったんです。
国際会議とかが東京で行われると、
だいたいそこは外人でほぼ満杯になるぐらいで。
僕もそこを紹介されてもらったのは外人なんですけど、弁護士なんだけど。
そこ行くと結構ね、「おお!」って話で会う。
いろいろ日本人も含めて。
高木 恵子
なんか私も今、
今もう随分前になくなっちゃったんですけど、
それこそ広尾に日本語のカラオケをしてはいけないっていうカラオケバーがあって、
でもちゃんとステージがあって、
スポットライトとか本当にちょっとしたミニコンサート場みたいなところで。
本当昔、私がまだもうそれこそIBM時代の新入社員の時に初めて、
私もだから同僚に連れて行ってもらった場所で、
だから来てる人がほぼ9割方外国人で、
みんな英語の歌を歌って、
日本人も英語の歌をカラオケでそこで歌うっていう。
なんかそこの場所はやっぱりもういろんなそのね、
当然エクスパットで来てる人とか出張で来てる人とか、
それなりのすごい外国人の人たちが来てたり、
そこで私、要は外国人の有名な俳優さんとか歌手とかでその場所で会いましたもん。
で歌を本当に実際カラオケなんだけど、
でもすごいカラオケだから、
音響システムだから結構本当にプロの歌手とか、
あと東京ディズニーランドのエレクトリカルパレードでいろいろやってくれてる、
本当にああいうプロのダンサーさんとかシンガーの方たちがそこで歌ってくれるとか、
なんかすごい楽しい場所だった。
なんかそこに行くといろんな人に会えるみたいな。
なんかそこで仕事になったこともあったし、
なんかいろいろそうですね、
なんかいろんな情報交換ができたりとかっていうのもあったかな。
そういう場所がなんか今、コロナがあったからっていうのもあるけどね。
田中 愼一
でも、コロナがひとつのきっかけになった。
高木 恵子
東京にそういう、ここに行ったらこんな人に会えるみたいな場所が、なんか減っちゃってるような気がするな。
51:01
田中 愼一
まあ結構、海外から来た人たちが集まるゲトーみたいな、ゲトーじゃないけど、
場所っていうのは結構あちこちポツポツまだあるようには聞いてますけどね。
ただ、外人に限らずいろんな人たちが溜まれる場、溜まり場って、ありがたいですよね。
51:44

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