2025-12-13 35:15

#127 個性とは

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発信力と関わっているとして前回も話題になった「個性」。では個性とどう向き合えばいいのか?鍛えることはできるのか?個性をどう扱うのか。

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一 (Blog)

高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)

中川 浩孝(note)

ご意見・ご感想、3 人に話してほしいトピック、3 人へのご質問などありましたら、以下のフォームからお送りください。https://forms.gle/ZGKtUCBn3m25Nr6J6

サマリー

このエピソードでは、個性がコミュニケーションに与える影響について議論しています。特に、個性を理解し育てることが自己表現に与える影響や、社会的メッセージの重要性を考察しています。また、個性の抑制が人々に及ぼす影響や、安全な表現を求める背景にある問題についても取り上げています。個性が良い方向へ向かうべきか悪い方向へ向かうべきかの議論を通じて、意識的な育成の重要性が強調されています。さらに、リーダーシップにおける個性の重要性や、親子間のコミュニケーションのあり方についても議論され、特に子供との対話が個性を育む方法に焦点が当てられています。

個性の定義と発信力
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
皆さん、こんにちは。コミュニケーションを極めると、自分が見えてくる、世界が見えてくる。コミュニケーションの世界に携わって40年以上、コミュニケーションが命。シン・田中こと、田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
SEからPRコミュニケーション業界に転職して約30年、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住中川浩孝です。
田中 愼一
今日はそうですね、先週から個性っていう話をしてて、リーダーの人っていうのは、やっぱり自分の持っている個性っていうものを大事にして、やっぱりするべきだっていう議論があったと思うんですけども、
もう少しその後、個性って何なのかなって考えるようになってきてですね、
コミュニケーションの視点から個性ってどういう意味合いがあるのかって考えるとですね、
やはり個性っていうのは、やっぱりその人の個性、どういう個性を持っているかが、その人の実は発信力と関係してるなっていう、
これは少しこの前の話の中でもしましたけれども、やっぱり個性っていうものはみんな多分持ってて、
みんなそれぞれ個性って何って考えがあると思うんだけども、
コミュニケーションの視座からだと、やっぱり個性がまさに発信のですね、その人自身の発信、オーラみたいなもんですよね。
発信性というか発信力っていうのを非常に大きく影響を与えてるんじゃないかなと。
っていうことは、個性とどう向き合うか、個性をまず知るっていうことはどういうことなのか、
またその個性っていうのは育てるってことができるのかできないのか、あるいは個性っていうのは鍛えることができるのかできないのか、
その個性というものをどう扱うのかっていうことがですね、自分から出ていくいろいろな発信メッセージっていうんですかね、
さまざまなメッセージを周りに流していくと思うんですね。
人間社会っていうのは基本的には別に人間社会じゃなくて自然そのものがつながりの世界じゃないですか。
だから個々のものがそれぞれ何らかのメッセージ性っていうのを持っていて、発信して、
それが周りに影響しながらその周りが動き始めて、今度は自分のところにその影響がまた戻ってくるっていう、
そういう世界に生きてるというふうに多分我々実感してるんで、そうするとやっぱり個性といえど、
単に個性をそのままにしとけばいいのか、あるいは個性をしっかりと育ませ培うのがいいのか、
あるいは個性っていうのはしっかり鍛えることがいいのか、どっちが人間が生きていく上で必要なことなのかどうなのかっていうのは、
結構かなり個性の議論を先週した後、非常に頭の中に残っていて、
そこでちょっと皆さんの何か意見を聞きたいなと思ったんです。
だから個性ってまず何?って言うとこから始まって、じゃあ個性をどうやって知るの?自分の個性は何?って言うから、
さらに言うなら、それを培うっていう発想はあるの?あるいは鍛えるっていう発想はあるの?
アメリカにおける個性の変化
田中 愼一
でもそれ何のためにやってるの?なんか自由議論できるといいかなと思ってですね。いかがですか、皆さん。
ヒロさんどうぞ。一番個性を大事にする国にいらっしゃる方だから、やっぱりヒロさん言ってよ。
中川 浩孝
ちょうど今その話をまさにしたので、ちょっと面白いなと思うんですけど、アメリカって個性の国って私思ってたんですけど、意外とそうでもないなって最近思ってるんですよね。
私の昔のイメージって、一人一人が好きなファッションをして、あんまり人の何を言われるかとかを気にせず生きていて、みたいなことだと思ってたんですけど、
ソーシャルのせいなのか何なのかわからないんですけど、私なんか日本のように流行を追う人が結構昔と比べると増えてるなって気がするんですよね。
田中 愼一
流行を追うね。
中川 浩孝
それが個性とどう関係するかはちょっとまだわからないですけれども、昔と比べると個性的っていうか、他と違うことがいいことだっていう価値観は昔ほどないんじゃないかなっていう気が、
私はなんとなく傍で見ていて感じるんですよ。なのでちょっとそこ今個性っていう話の前にまさにその話をしたので、ちょうどちょっと思い出したのでまず言ってみたんですけど、
それはアメリカはなんか昔と比べると、例えばその流行る曲が大人気になっちゃうと、国民のすごい本当に大多数がファンになっちゃうみたいな、
なんか物が売れるとそれが一大ブームになってトレンドになっちゃうみたいな、私それってすごい日本的なのかなと思ってたんですよ。例えば今だったらラブーブって多分日本でもちょっと流行ってると思うんですけど、
高木 恵子
ラブーブ。
中川 浩孝
ラブーブ。で、あれもすごいアメリカで流行ってるんですけど、なんかああいうのって僕アメリカではあんまり起こらないもんだと思ってたので、
そういうなんかみんなが欲しい、みんなが欲しいって思うっていう。その発想って、アメリカもちょっと変わってきてるのかなっていう感じが私は最近ちょっとしてる。
田中 愼一
僕なんかやっぱり漫画なんかすごいですよね。アメリカでの普及度っていうか。
中川 浩孝
漫画もね。
田中 愼一
鬼滅があれだけどでかく世界興行収入が上がってるっていう、あれも広がりっていうのは結構アメリカでも広がってるわけでしょ。
中川 浩孝
そうですね。あの普通のっていうか小さなというか普通のなんていうかこうシネマコンプレックスみたいなところでも見れたりするので、
そういう意味ではなんかすごく身近に多分感じていらっしゃるというか、今まで多分知らなかったというかあまり興味がなかったような人に対しても目に触れる機会は昔と比べるとやっぱり増えてるかなという感じがしますね。
田中 愼一
そうするとあれですかね。今のヒロさんの話聞いてるとその個性があるないの問題じゃなくて、
日本には日本の個性があってアメリカにはアメリカの個性があって、それ以上に個性を知るっていうところがポイントになるんですかね。
個性があるないじゃなく、日本人の個性って何とか、あるいはアメリカ人の個性は何とか、みんな個性持ってるんだから、別に個性あるない議論してもあんまり意味がなくて、
どっちかというと、個性って言われたときに、え、個性?俺の個性なんだろう?あなたの個性なんだろう?しかもその個性っていうのが生きていく上でどういう役に立つのっていう、そっちの議論のほうが生産的なんでしょうね。
コミュニケーションと個性の関係
中川 浩孝
そうかもしれないですね。だからあんまり意識してない人が多いんじゃないかなっていう気が実は。
田中 愼一
意識してないっていうことか。それいいですね。そうかもしれない。個性って案外意識してないんだよね。それ言えるな。面白いのは、それがなんで意識しないっていうのがコミュニケーションの都合に出て、コミュニケーションってみんな日頃あんまり気にしてるんですけど、意識はしてないんですよ。
気にしてるけど意識してないと同じのニュアンスだな。個性を意識してないってあるかもしれないですね。
中川 浩孝
なんかやっぱり人に言われて、中川君ってこういう人だよね。
田中 愼一
そうそう、そうかーって。人に言われてだよね、確かに。
中川 浩孝
まあ、そうかっていう感じですよね。
田中 愼一
あと、人に言われて、あ、そうかーって、悪い個性だって言われてたら怒るだろうけど、普通はね、いいね、いけてるじゃんなんて言われると、俺、個性輝いてるなんて考えちゃうもんね。
中川 浩孝
確かに悪いことは、悪いことはあんまり面と向かっては言われないから裏で言われてるかもしれませんけどね。
田中 愼一
だから案外それでね、喜んじゃったりなんかして。
高木 恵子
言われなくても、言われなくても、人と接することで、自分が違うと、良くも悪くも、人と違うっていうことに気がついたときに、初めて個性って感じるんだと思う。
田中 愼一
なるほどね。それは間違い、それはね、摂理というか原理原則ですね。
自分と周りとは違うっていう、相手とは違うんだって、初めて知覚するところから個性が生まれてきた。これは赤ちゃんですね、完全に。
高木 恵子
たぶんね。赤ちゃんのこと覚えてないけど。
田中 愼一
覚えてないけど、たぶんね、自分と自分以外っていうのを分けるっていう意識がね、たぶん、もう子供の時、下手すとまだお腹にいる時からかもしれないですけどね。意識持つんであればね。
記憶には残んないけど、意識っていうのはまた違うじゃないですか。
意識ってやっていくと、反応だと僕は思ってて。パッと起こると反応しちゃうっていうのは意識を持ってるような感じだから。
だから、そこだと思うんですよ。
ってことはやっぱり、人と接するっていうことが一つの自分自身の個というものを感じさせ、そこから個性が生まれてくるっていうことは、人とどう接すればいいのかっていうのは個性に影響するってことですかね。
高木 恵子
どう接するっていうところに行くまで、まだ時間かかると思うんですよね。
田中 愼一
でも、生まれてからもういろんな人と接するわけじゃないですか。まず母親と接しますよね。
兄弟がいれば兄弟と接するとか、保育園に行けば保育園で接するとか、様々な人間と接しますよね。
その中で徐々に、自分は違うんだ、自分は先生とは違うんだとか、自分はお母さんとは違うんだとか、
自分は兄弟とは違うんだっていう子の意識が出てきて、
たぶんそこからだんだん自分が物事に反応するあり方っていうのが、
物事が自分の周りで起こると人間は反応するから、その反応の仕方によって怒られるとか、
その反応の仕方によって兄弟から叩かれるとか、
僕兄弟いないからわかんないけど、
周りの自分じゃないものに対して、自分の発信したものあるいはやったものがお返しが来るよという作用が戻ってくるんだよっていうのから、
徐々に徐々にその個性というものを意識していく。
だから逆に言うとそこの個性の核となるものはすでにあるわけですよね、人間のまさに。
それがだんだん人と出会う、つまり自分以外のもの、別に人じゃなくてもいいんですよ、大自然みたいに、自分と自分を分けるものですよね。
そことの接点が徐々に個性を育んでいく感じですかね。
面白いな、結構個性って深みがあるんですね。
高木 恵子
だから褒められたりけなされたりっていうのが一番わかりやすいと思うんですけど、
褒められたりけなされた時の反応が自分がどうなるかですよね。
中川 浩孝
そう、ほんとそうですよね。
田中 愼一
その通り、反応なんですよね。
高木 恵子
だからなんかこう昔、今ねまたちょっと比較になっちゃうけど、昔ってよく褒められたり怒られたり大人からした記憶があるんですよね、私たちの子供の頃って。
田中 愼一
それはよく怒られましたよ。
あんまり褒めてくれる人いなかったけど。
高木 恵子
でも大人とか学校の先生も、何々ちゃん、けいこちゃん、頑張ったよね、何とかだねって、なんか褒められてる経験ってありましたよね、いっぱい。
田中 愼一
前も何回もお話したように、僕がローデシアにいた時に、6歳の時に味わった差別、人種差別的なところで、
唯一僕が黄色人種で、あとみんな白人っていう子供たちの中で、僕が初めの6ヶ月くらい受けた仕打ちっていうのは、ひどかったし。
ただそれが、ホンダのGPレースのチームが来て、そこで、その当時チャンピオンだったのがローデシア人だったんだけど、
その人のサインを学校に持ってったら、子供たちの態度が一変して、リスペクトに変わって、
その時は嬉しかったから、その時は間違いなく自分の個性を感じたんでしょうね。
自分というものを感じたっていう。
多分、そういう周りの動き方っていうのが、自分が今どう感じるか、自分に対して。
だから、周りに対して何を感じるかという以上に、周りが動いたことによって自分が何を感じたかっていう、
そこのところに、何か個性の寄りどころみたいなのがあるんだろうなっていうのを、今、話を聞いてて感じました。
高木 恵子
そう。だから、最近、パワハラ、セクハラとか、なんとかハラスメントがいっぱい、
すごく表面化して、規制をするっていうようなところまで来ちゃってるから、
そういう発言がしづらい環境になっちゃったじゃないですか。
田中 愼一
今、なってますね。勘違いされるっていうかね。
高木 恵子
そう。だから、あえて褒めることも、もちろん叱ることも、本当に極端に数が減ったような気がするんですよね。昔に比べちゃうと。
田中 愼一
それあるな。
高木 恵子
だから、そうやって考えると、今の話からキュッとまとめると、それが個性につながるのであれば、
これから個性のある人が減っちゃうのかなとか思っちゃう。
田中 愼一
でも、個性のある人が減るっていうことはですね、逆に言うと、自分のこれからの世界が変わってくるって話になって、人生の流れが変わってきちゃうんですよね。
高木 恵子
そうそうそうそう。
田中 愼一
だから、多分、個性がないっていうよりも、個性を隠すんでしょうね。
要するに、個性を抑えつけて。なぜかというと、個性っていうのは、さっき言ったように、発信力ですから。
今、自分がやっている個性のままだと、発信してしまうメッセージがいろいろ変わってきてしまって、周りの動きが変わって、
さっき言ったセクハラとかパワハラの問題で、えーって話になっちゃう。
個性の抑制とその影響
田中 愼一
そうすると、自分の個性をとにかく抑え込んで、それによって自分が発信しているメッセージっていうのをコントロールするっていう、多分発想が出てくると思うんですよね。
で、それは個性がなくなるっていうことじゃなくて、個性を逆に抑えつけることによっていってるっていう。
で、個性を抑えつけていくと一体何が起こっちゃうのかっていうのはまだわかんないけども、決して健康的な話じゃない気がするけど。
中川 浩孝
そういうのの現れがXとかそういうソーシャルでの発言になっちゃう。
田中 愼一
発言になるっていう、いわゆるそういうところで。
中川 浩孝
匿名の発言。
田中 愼一
匿名の発言に行くわけだよ。だから隠している自分の個性をそこで出すわけですね。
中川 浩孝
うん。
田中 愼一
それ面白い。
中川 浩孝
発散しているというか。それはあるような気がしますよね。
田中 愼一
うん。
高木 恵子
それでいきなり変な、想像もつかないような犯罪とかね、なんか何かを。
田中 愼一
そりゃそうですよ。総理大臣殺しちゃうなんてのはとてつもない。日本じゃ珍しい。
高木 恵子
表現がそうなっちゃいますよね、きっとね、もしかしたら。
田中 愼一
だからその個性を圧迫させる、抑制させるっていうことのマイナスが今起こりつつあるんでしょうね。
個性の善悪の議論
中川 浩孝
そうかもしれないですね。それはよくないですね。
高木 恵子
そう。そうやって考えるとちょっとなんか残念な。
田中 愼一
そうするとDE&Iも少しクエスチョンマークがついてくる。
って言ったら怒られちゃうかな、今の世の中。
だってあまりにも無神経なんだけど、日本のリーダーが。
もう少し個性をしっかりと育成しろと。だから逆に言うと、いい個性、悪い個性ってあるんですかね。
人に迷惑をかける個性と迷惑をかけない個性。人を助ける個性と人を助けない個性。
つまり個性っていうのは是非の論というか、いいか悪いか、そういう性悪説、性善説、どっちかというように分けることができるものなんですかね。
高木 恵子
私は分けることはできないと思うんですけどね。
でもその個性がいい方向に行くこともあるし、悪い方向に行くこともある。
田中 愼一
ってことですよね、たぶんね。
高木 恵子
別にいい、悪いっていう、どっちっていう個性じゃなくて、個性そのものはニュートラルだと思うんですよ。
田中 愼一
ニュートラルだけど、でもいい方向に、悪い方向に行く場合に、悪い方向に来た場合はどうなるわけです。
例えば非常にね、さっきの論で言うと、日頃自分の個性を抑えてるから欲求不満で、それを発散する場として人を殺してしまうとかね。
突然車で暴走して人を引いてしまうとか。そういうのっていうのはどうすればいいんですか。
そういうとこは、要するになるべくみんなの個性が悪い方向に行かないように、いい方向に行くようにっていうことを、
人間社会は努めなきゃいけないのか、やる必要はないのか、そこあたりなんてどうなんですかね。
高木 恵子
でもその暴走する、そのアクションは個性じゃないですよね。
個性を育てる重要性
高木 恵子
その暴走する方に、考えが行ったところのもっと奥のところに、その人の元があるわけじゃないですか。
だからそこですよね。そこはニュートラル。
田中 愼一
僕の場合は、どうもわかんないのは、因果応報って言葉ありますよね。
自分の個性がどうなるかっていうのは、生まれたときは僕は多分、個性っていうか受け皿があると思うんですね。
で、パッと出て、自分以外のものとの接点、人でもあるかもしれないし、ものとの接点、経験も接点の一つかもしれないですけど、
そういうものが積み重なってくると、そこのオープンのプラットフォームというか、クリーンなですね、
ところにどんどんそれが入っていくことによって、自分とは違うっていう他というものを理解することによって、
自分の個性っていうのを自覚して、それが徐々に作られてくる。
今それが性善説なのか、性悪説かって、分けるのか分けないのかって言うんだけど、
多分分けないほうがいいんでしょうね。けいこさんように。
ただ、それがですね、抑制されたり、何かの形でその個性っていうものが、自然に外に発信される事態が阻止されるような時っていうのが、
何が起こるんでしょう。自分の個性を抑制することに動いてしまって、その反動がどこかに出てくると。
どこかに出てくるっていうことの原因で、いわゆる因果応報じゃないけど、ボーンと出てくるわけですよ。
それはあくまで、個性というものを抑制したから、個性が良い悪いじゃなくて、個性を抑制したことが原因で、
結果として極端なところにボーンと行ってしまって、もっと言うならば自分に返ってきちゃうわけですよ。
だから基本的には因果応報というのは、自分でやったことが原因になって自分が影響を受けるっていう。
だから結局自分の個性を抑制したがために、その反動をくらって自分が傷つくって感じですよね。
高木 恵子
まあそうですね。
田中 愼一
だからそういう世界にいるっていうことは、やっぱり個性というものをもう少しやっぱり我々意識しないといけないんじゃないかなって論に行くんですかね。どうですか。
僕なんかなんかちょっと意識しなきゃヤバいのかなってちょっと感じましたけど。
中川 浩孝
個性って言っているものが、ずっと生まれてから死ぬまで変わらないものではなくて、ずっと日々変わり続けているものなので、
それを例えば日々のやり取りとか、他の人たちとのやり取りであったりとか、学びであったりとか、あるいは法律的なものであったりとかを知っていくことによって、
これはこの世界ではやってはいけないんだなって言ったときに、じゃあそれをやる、やっぱりやっていいのかやらない方がいいのかとか、
例えばそこを判断していくのはやっぱりそれぞれの人たちの判断なので、それでもやっぱり自分は悪い道を突き詰めたいという人がいるんであれば、
それはそれでしょうがないかなと思うんですよ。それでその法の裁きを受けることになる。
田中 愼一
まあそうでしょうね。だから基本的にはその個性をどう意識して、僕の場合は培うって言葉が一番ピンとくるんですけども、
育てる、培うかっていうのは、やっぱり本人、人間個人の責任だと、要はそこで間違えると自分のところに降りかかってくるよっていう、これが説理だと。
中川 浩孝
そこに関しては、だから私、人のせいにするのはよくないと思うんですよ。それに関して。
田中 愼一
そりゃそうでしょうね。それは自分だと思いますよ。
中川 浩孝
そこを選択できるのはやっぱり自分でしかないので、だからやっぱりそれを親のせいにしたりとか社会のせいにしたりとか。
田中 愼一
そうじゃない。基本的にそう思いますよ。やっぱり個性は自分の責任のもとにおいて考えなきゃいけないもんでしょうね。
高木 恵子
子供の時って、だから、たぶん子供の時の経験がすごく重要で、子供の時ってわからないわけじゃないですか。
自分の中にあるものってのがやっぱりまだわかんないから、自分が思っていることをきちんと自分の言葉で言えるっていう、変な話だけど、訓練じゃないけど、
子供の頃からそれができてないと、大人になってそうやって人とどうやって接して、違いがわかった時にどう自分が反応するかっていうのがうまくできなくなると思う。
田中 愼一
面白いですね、それね。すごく面白いですね。
高木 恵子
で、またすごい私の例になっちゃうんですけど、私は本当に体も弱かった。子供の頃とっても体が弱くて、学校の3分の1の出席日数がやっとできるぐらいの体の弱い子だったんですよ。
だから学校に1年間の3分の1行ける時って必ず毎日帰ると、うちの母親がどこの家でもあると思うんですけど、今日は学校どうだったって聞くじゃないですか。
そうすると、私が言い終わるのまでずっと1時間でも、ある時は別に10分、15分かもしれないけど、ある時は1時間でも2時間でもずっと私が今日会った、会った、こうで、こうで、こうで、誰々ちゃんがこうで、誰々ちゃんとこうやって遊んでとかいうの全部、
私が話すのをずっと、私が終わるまで聞いてくれてた。それが私の習慣なんですよね。今日私が会ったこと、感じたことを母親に学校のことを言うっていうのは、もうすべて私が思っていることを口に出す。
っていうのをずっと訓練されてたなって大人になってすごい気がついた。
田中 愼一
それはすごくいい話だと思いますね。
例えばアメリカなんかのうちの子どもたち、上の2人はアメリカの小学校行ってるんですけど、アメリカの小学校での一つの訓練の仕方っていうのは、ストーリーを語らせるんですよ。
写真を見せて、これ前も話したかもしれないんだけども、写真、例えば、段ボール箱があって、そこに3歳ぐらいの男の子が入ってて、段ボール箱に。
で、その隣にちっちゃな子どものブルドッグが座ってて。で、大きな倉庫の中に置かれている段ボール。そこに子ども1人犬1匹。
その写真を子どもに見せて、で、ストーリー語りなさいっていう風に。するとその子どもは、自分なりにその写真を見てストーリーを作っていくわけですね。
どういう風に作るかというと、まず見えてるものがどういう状況かっていうのを想像するんですよ。その子どもそれぞれが。
これは大変な時なのか、そもそもこれはすごく幸運なところかな。で、その映像になるまでどういうことが起こったのかっていうのを想像するわけですよ。
それを起こった後は、今度はこの映像、今見ている映像から次に何が起こったのかっていう。だから過去と未来を想像するんですね。
見えてるのは写真だけなんだ。現在の写真だけ。それでね、子ども子ども1人1人に語らせるんですよ、ずっと。
で、これ何が効果があるかと、まさに今、けいこさんのおっしゃった、自分を母親に全て感じたことを語らせる。語るっていう機能は、実は人間にとってもすごく重要で、
人に語るっていうのは、実は自分に言い聞かせてるんですよ。コミュニケーション的に。そうすると、語ることによって、それを毎日繰り返しやってるうちにですね、
自分をまず知ることになるし、自分の考え方とか発想っていうのを知ることになるし、さらには自分のストーリーを持てるようになるんですよ。
これ僕は今、ビジネススクールで教えてるんですけど、実はその写真使って、うちの息子が小学校でやってる写真使ってやってるんだけど、
ストーリーをやっぱり持つっていうのと、自分の個性を知るっていうのは、かなり近いものがあって。
だから僕は今やろうとして、仕事上でもやろうとしてるのは、トップリーダー、リーダーの個性というものを、いかに本人に自覚してもらうかっていうことと、
自覚することに、じゃあどういうふうにさせるかというと、ストーリーを作れっていうことを言うんですよ。
ストーリーを作るときに、僕自身の本来ストーリーは人に語るというよりも、語るのは練習なんですよ。
けいこさんみたいに。自分に語り聞かせるほうが重要なんですよ。
ストーリーっていうのはやっぱり持ってる持ってないかで、リーダーの発信力って変わってきて、ストーリー持っているとですね、やっぱり言語も非言語も一致してくるし、
とにかく言い方も変わってくるし、とにかく自分の熱意も伝わってくるし、やっぱりそういう発信をできてる人って、案外自分の個性を演じてるんですよ。
だから自分の個性をある程度見極めてそれを演じてるんですよ。
で、それをするためにストーリーを作るっていうんで、自分のストーリーっていうものをまず見せて、一回。
そこでストーリーを作るためのいろんな要素っていうのをピックアップさせて、で、受講生の連中に自分たちのストーリー作らせるんです。
で、自分の、それで発表させながら、周りから、いや、そこストーリー性あったねとかね、いや、あの手の動かし方良かったよとかね、
いや、あの時に目をぐわっと開けたところの凄さって、もうたまんないねとかね、こうやって周りから評価することによって、さらに自分のストーリーに対する自信というかね、だってまあね、褒め言葉しか出てこないから、あんまり悪口出てこないから、
っていうようなのがあるんで、それはまさにね、今、けいこさんが受けたトレーニング、特訓。
高木 恵子
うん。
田中 愼一
あれはね、間違いなくね。
高木 恵子
まあね、親も子供だからね、トレーニングとは言えないかもしれないけど。
中川 浩孝
いや、でもトレーニングになったんじゃないですか。
田中 愼一
いや、凄い結果として、ずっとやってたんですか。
高木 恵子
うん。小学校の時は少なくともずっとそうだったかな、今。
田中 愼一
え、凄いね。
高木 恵子
うん。
田中 愼一
あ、そういうのってね、凄い大事な話。
中川 浩孝
なんかそうすると普段から、これをお母さんに後で言おうとか。
田中 愼一
そうそうそう。
中川 浩孝
そうなりますよね。
田中 愼一
で、あのね、ネタ探しになるんですよ。
中川 浩孝
そう、だからアウトプットをすることによってインプットが増える。
田中 愼一
インプットがどんどん入ってくるわけ。そうするともっともっとね、世の中のことを知ることになって、自分の個性も知ることになる。
中川 浩孝
そうですね。インプットが多ければ多いほど、自分のフィルターで自分の考えを、これに対してはどういう考えを持つのかっていうのを訓練することになりますからね、やっぱりね。
リーダーシップにおける個性
田中 愼一
いや、それはね、凄くね、いい。その話、パクらせてもらっていいですか?
いや、本当にね、凄くいい話なんですよ。
いや、僕は基本的にはビジネス的に狙ってるのは、やっぱりストーリーをね、リーダーにしっかりもらってもらって、彼らの発信力をですね、高めていくってことをもうしないとダメな時代なんですよ。
どんなリーダーも。
だから自分の個性をどう活かせるかっていうね、
ここはね、もう絶対、人を動かすことが商売であるリーダーにとっては、絶対外せないポイントだと思ってて。
だからそこをね、今追求してるんですけど、実際トレーニングでもね。だからね、やっぱりね、いや、今感動ですよ。
やっぱり間違いなく霊性を持ってるね。
高木 恵子
でも、そうそう、私もこう、なんだろう、今思うと、だからうちの母親は、その、自分の考えは言わなかったんですよ。
私にずっと、何があったのっていう話をずっとして、で、まあ私がまずはファクトを話すわけじゃないですか、こうこうこうこう。
で、その時に、で、こうだったんだって言って、私が例えばそこにちょっとした私の感情とか考えが入ったコメントを言うと、
えっ、けいこは何でそう思ったのっていうのが返ってくるんですよ。
田中 愼一
すごいね。
高木 恵子
そうすると、
中川 浩孝
トレーニングですよね、まさにトレーニングですね。
高木 恵子
そうそう、だから何でそうふうに思ったのとか、何でそんなことをしたの?
田中 愼一
これはね、これはね、あの、ちょっとうちの長女と議論しましょう。
面白いと思う。うちの長女もだから子供とずっと付き合ってるわけですよ。子供というか、一番自分の子供は大変みたいなんだけど、
あの、やってる中で、話を聞くってすごく重要だって言う。
高木 恵子
そうそうそうそう。
田中 愼一
で、もっと重要なのは質問することだって言ってる。
高木 恵子
そうそうそうそう。
田中 愼一
で、それによって、あの、下手な質問しちゃうと、子供の発想を抑えちゃうんですよ。
だから、質問するってすごく気をつけなきゃいけないことで、
えっと、だから、黙って聞いてるほとんどっていうのは素晴らしくて、
それはもう、とにかく親の影響を与えないっていうことを、で、ただそこに一つでも、
あの、まさにね、個性のある発言があったときっておっしゃってましたよね。
そのときに質問が飛んでくるわけでしょ。
高木 恵子
うん。たぶん。
田中 愼一
それは逆に言うとね、親の方からも一つの発見なんですよ。
高木 恵子
あー、そっか。
田中 愼一
だから興味あるんですよ。
高木 恵子
そっかそっか。
田中 愼一
で、そこで逆に、え、なんでそう思ったのっていうのは、これ、親の方の関心、興味なんですよ。
そうすると、こっちもある意味、親の方も真剣勝負でしょ。
高木 恵子
うん。
田中 愼一
自分で、あの、え?っていう、そこに本当に子供との対話が生まれてきて、
だから子供との対話ってのは、押し付けちゃ絶対ダメなんだ。
高木 恵子
うーん。
親子の対話の重要性
田中 愼一
子供との対話、もう間違いなく相手を主にして聞いてあげるということで、
で、そこであとその中でポイントポイントで、こっちから質問を入れなきゃいけないんだけども、
そのポイントポイントを見極める目がないと、逆に押しつぶしてしまうというリスクもあるんですね。
高木 恵子
そうでしょうね。
田中 愼一
それをうまくね、お母さんもやられたんですよね。
高木 恵子
でもね、逆に私が大人になればなるほど、今度親との対立が増えましたけどね。
だって、やっぱりね、親、もう大人になったら、親のやっぱり考えとか、親の、親自身の、その個性があるわけじゃないですか。
それがやっぱり、私の大人になってからの個性が違うと。
そこはやっぱりある程度。
田中 愼一
それがあんのかもしれないな。
高木 恵子
逆にね、今度親は親の考えを押してきますよね。子供の時って全部まだ子供だからって。
田中 愼一
親の方もね、親の方もなんとかな、キリストだから、心優しい慈悲のね、マリア様だから。
高木 恵子
でもやっぱりだんだん大人になってくると。
田中 愼一
大人になってくるとね、そうはいかないもんね、親もね。
高木 恵子
そうそう、親としての常識とか、親としてのなんかこうルールがあるのを、なんでそうならないのみたいになりますよね。
田中 愼一
いや、僕も経験しましたし、あとうちの長女、長女だけじゃねえな、次女もそうか。女の子はみんなそうなんだよな。
高木 恵子
そんなこと言わないでください。
田中 愼一
ごめん、いや、僕とじゃなくて、母親とうまくいかないんですよ。
高木 恵子
あー。
田中 愼一
議論しちゃうの、喧嘩。でもまあ、喧嘩するのも仲のいいうちだと思うけども、やっぱりね、男の子たちと比べると激しい議論しちゃうんですね。
母親と娘たちは。
高木 恵子
そうかもしれない。
田中 愼一
だから、あーなるほど、そういうことあんだなと。
いや、今日は非常に身のある議論ができてて、面白いですね、実はね。
いや、すごくいい話がありましたよ、これ。
高木 恵子
そうですか、よかったです。
35:15

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