2025-09-27 38:04

#116 無心の強かさ

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田中さんが半年に一度講師をしている、グロービスでの授業から。無心の強かさ、とは?

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一 (Blog)

高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)

中川 浩孝(note)

ご意見・ご感想、3 人に話してほしいトピック、3 人へのご質問などありましたら、以下のフォームからお送りください。https://forms.gle/ZGKtUCBn3m25Nr6J6

サマリー

ポッドキャストでは、戦略コミュニケーションに関する特別講座を通じて、無心のしたたかさについて議論が深められています。本田総一郎の事例を用い、心で考えずに行動することで、最終的にしたたかさを得られる視点が探求されています。エピソードでは、無心のしたたかさについての考察が行われ、コミュニケーションの重要性やその実践方法についても議論されています。また、自我の強さと相手視点からの発想の必要性についても触れられています。対話を通じた気づきの重要性や、イノベーションを生み出すプロセスについても語られ、AIの文章と人間の文章の違いが論じられています。さらに、対話の中で生まれるワクワク感の意義が強調されています。

戦略コミュニケーションの意義
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
みなさん、こんにちは。コミュニケーションを極めると自分が見えてくる、世界が見えてくる。 コミュニケーションの世界に携わって40年以上、コミュニケーションが命。シン・田中こと、田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
SEからPR、コミュニケーション業界に転職して、はや30年、高木恵子です。
中川 浩孝
外資企業でマーケティングを経験してきた、アメリカ在住、中川浩孝です。
田中 愼一
今日は、とりあえず2日、3日、先週の土日に、あるビジネススクールのところで、戦略コミュニケーション特別講座というのを2日間集中で土日やったんですけども、これはこの場で、ポッドキャスティングでも話したと思いますが、これ年に2回あるんですね。つまり6ヶ月に1回あって、2日間徹底的に集中して、戦略コミュニケーションの発想って何かあって、みんなでね、大体35人ぐらい参加するんですけども、
100%オンラインですね。昔はね、合宿形式でやってたんですよ。
だから泊り掛けでね、対面を中心に結構濃厚なセッションで、終わった後はみんなで飯を食ったり飲んだりするっていうね、泊り掛けで行くコースだったんですが、その後コロナが始まって100%オンラインになって、
オンラインだからちょっと薄くなっちゃうかなって心配したんですけども、やりようによってはですね、より親密な話ができるっていうことで、
まあ今日まで至ってます。もう10年以上やってるのかもしれないですね。で、この10年ぐらいずっとこのコースを通じてですね、ある意味追求してきた一つのテーマがありまして、
それはやっぱり強か(したたか)に生きるっていうことなんですね。僕は強かっていうのがバーっとこう来て、で、もともと僕は強かっていうものに対してはネガな発想ないんですね。
ポジな意味で強かっていうのを使ってるんですが、実は世の中の半分以上の人は強かっていうと悪い言葉、あいつは強かなやつだとかね、ある意味悪口なんかでよく使われる言葉なんですね。
これも同じ35人の中にもだいたいそれぞれの流派がいて、それでいろいろ強かさってなんだろうねなんて話をずっとしてきたんですね。
で、今回はですね、なかなか強かに関しての議論が結構燃えましてですね、その強かさ、基本的にはその強かさっていうものってじゃあ何なのっていうところで、
で、僕がいつも言うのはそのコミュニケーションの視点から強かさっていうのを見たときは、実は2つの種類の強かさがあって、で、1つの種類っていうのはよく強かに考える人いるんですね。
で、なんとか強かにやんなきゃいけないなとか強かにって頭で考えた瞬間、実は人間の構造はですね、その強かさっていうオーラがですね、非言語を通じて外に出てきちゃうんですね。
だから基本的にはこいつ強かに考えてるなって感じ取っちゃうんですよ。
相手の表情とか、相手の言い話とか、相手の目つきとか、もう明らかにこいつ強かに考えて、今俺と対話してるなっていうのはわかっちゃう。
これコミュニケーションの原理原則で、これはもうそうなんですよ。人間というのはほとんど自分の発信の65%は非言語、コミュニケーションによって発信してるんで、言葉っていうのは35%。
しかも人間ってほとんど言葉のことはある程度意識するんですよ。こういうこと言ったらなんか強かって思われちゃうかもしれないなとか、こういうこと言ったらっていう。
言葉はなんとかコントロールするんだけど、それを表現してるときの表情とか、目動きとか、目の動きとか、言葉のイントネーションとか、特に目つきね。
目を見てると相手わかると言うけども。でね、こいつ強かなやつだなって印象を受けちゃうんですね。
で、これはね、ダメな強かなんですよ。
でも世の中にはですね、そういう非言語に全く出てこない、でもこれは強かに考えていない。
全然強かに行こうなんて考えていないのに、結果が強かな人っているんですよ。
これは僕自身として一番具体的な例を挙げると、この場でも話したことありますけども、
本田宗一郎さんなんですね。あの人は強かのことを一切考えていないのに、もちろん僕が知っている本田宗一郎さんと82歳のご高齢だったんで、
多分そのステージでは、ある意味無心の強かさの域に達していらっしゃったのかもしれないけども、
少なくとも82歳の本田宗一郎さんと10日間ずっとほぼ一緒で過ごしたっていう感じなんですけどね。
82歳でご高齢ですから、やっぱり絶えずつき添ってなきゃいけないってんで。
で、デトロイトに来られたときにずっと10日間つき添ったんですけども、そのときの全ての経験を足し合わせるとですね、
実に結果強かな方だったんですよね。
アメリカの自動車の産業の殿堂入りをするということで、日本人で初めてデトロイトに入られたんですけども、
その10日間デトロイトで過ごす中でいろいろなイベントがあるんですけども、
そのひとつひとつ、例えばスピーチをするとか、あるいは普通のホテルの中での立ち居振る舞いとか、
全てのものから感じ取る彼っていうのはですね、結果は強かなんですね。
とにかくその10日間で、ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナリーやテレビや、
あとスピーチをやったときに、コボホールっていうところに1000人以上の最も反日的な人たちが集まってるんだけど、
彼らの拍手・喝采を受けるとか。
まあ、本田さんが10日間デトロイトに来てくれたおかげで、アメリカにおける当時その反日感情が強かった中でもね、
それがひっくり返るぐらいの大騒ぎになっちゃって。
本田さんが帰るときもですね、もう記者の連中だけじゃなくて、
ホテルにいるお客さんや従業員の人たちはみんな外に出てきちゃって、見送るんですよ。
なんで従業員やお客まで出てくるのかっていうと、本田さんはホテルの中での立ち居振る舞いがですね、ものすごく明るくて、
見る人全員にハロー、ハロー、サンキュー、サンキューって、この2つか英語知らないんですけども、
ハロー、サンキュー、ハロー、サンキュー、ハロー、サンキューって、もう全員に言うんです。
だから名物になっちゃうんですよ、10日間もいると。
で、結局、そうなるね。
結果を見るとすごいわけですよ。まさに払拭した日本反日感情を、本当に払拭したような効果があって、
でも本人は強かに考えてるかと言うと、みじんも考えてない。
これがですね、僕から言わせると、結果強かって言葉で表現してたんですね。
要するに、強かに考えることじゃないんだよと。強かに考えたら逆にマイナスになるよと。周りに知れ渡っちゃうよと、非言語で。
でも一切強かに考えずに、一生懸命行動したことが、結果強かになるっていうのは本当の意味での強かさだと。
いうふうに今まで言ってたんですね。
そしたら、ある一つの言葉が出てきたんですね。
僕はね、なんでこんなの今まで気がつかなかったのかと。
誰かが言ったというか、誰かと話しててみんなで思いついたというかね、無心の強かさって言葉が出てきたんですよ。
本田宗一郎の視点
田中 愼一
つまり無心、だから心では何も考えてないんですよ。
でも結果として強かな結果が出てきちゃう。
で、それは逆に心で思わなかったことが、結果として強かな結果を出したんじゃないかっていう、そこの議論になって。
で、じゃあ無心の強かさってなんだよって議論が出てきたんですね。
そうすると、無心の強かさっていうのは、そこに心の図らいがないんですよ。
図らいっていうかなと、企てというか。
もうまるっきりもう真摯に、何かに真摯になるっていう、何かを持っている、それは何なんだろうかわかりません。
情熱なのか、情念なのか、あるいは信じている、信仰っていうのもあるのかもしれないけども、何かあるために自分の心を無心にできるっていう。
で、無心っていう言葉はですね、心をなくすって話なんですけども、心をなくすのはなかなか難しいですよね、人間って。
でも、基本的には心をなくすんじゃなくて、心があらゆるものにとらわれないことをするっていうと、もう少しコントロール効くようになってくるんですよ。
心をなくせないよっていう人が多いんだけど、そうじゃなくて、自分の心ってあちこちに興味を示すんですね。
コントロールできないんですよ。
で、それをなるべくあちこちに目を向けないように、心がね、あちこちに関心がいって気が散らないように、心を統一する、そういうのが無心っていうのに達する。
具体的に言うと、例えば禅を組むなんかね、ある一つのものに無心になることに集中すると、心があちこち行かなくなるんですよ。
あちこち行かなくなるってことは、それに気を取られないっていうことで精神集中ができるって、こんな技です。
だから、この本田さんの事象を見たときに、本田さんは一体何に集中しているのかなっていうことを、実は今回の2日間で考えさせられたんですね。
で、なんでああいうことができるのか、全然図らいもなく考えてるんだけども、なぜか素晴らしい結果が出してくる。
あの人のその、なんて言うんだろう、人間の心をつかむオーラみたいのはどこから出てくるのかなって考えたときに、結構議論してみんなとしたんですけども、
やっぱり僕の視点からすると、あの人は、よく僕が、これは前々から言ってるんですけども、
本田さんという人は、実は自分をマイナスにできる人だっていう表現を使ったんですね。
で、自分をマイナスするっていうのは非常に漠然とした僕の感覚なんで、そういうふうに表現してたんですけども、
なかなか本田さんみたいに自分をマイナスにすることはできないけど、
コミュニケーションにおいて重要なのは相手を知ることが一番重要なんで、相手を正確に知ると正しいコミュニケーションができるようになる。
だから相手を知るっていうことが重要なんだけど、そこを邪魔するに相手が出てくるんですね。それが自分なんですね。
だからずいぶん長年ね、皆さんね、とにかく自分をゼロにしなさいと。
自分をゼロにすると相手が素直に理解できますよと。
相手が素直に100%理解できたら相手を100%動かせますよっていうようなことはずっと言ってたんですね。
ただその時の表現っていうのは、ゼロにしなさいっていうところまではみんな感情的にはわかるんだけど、
マイナスにしろっていうのがみんなのクエスチョンマークなんですよ。
なんとなく自分の心をゼロにするっていうのは感覚的によくわかるような気がするんだけど、
でも本田さんは自分をマイナスにしたんでしょって言うと、どういうことですかってくるわけですよ。
僕は今までは、マイナスにするってね、自分をゼロにする以上に、マイナスにされると吸い込まれるような感じになるんだよって。
これ僕の感覚なんですよ。本田さんと話してると吸い込まれちゃうんですよ。
そこの表現で終わってたんだけど、今回いろいろ考えたときに、やっぱり本田さんっていうのは何に集中してるかっていうと、
相手視点に必ず立つんですよね。物の発想が、自己視点がまずないんですよ。
必ず相手視点から自分の言動を決めるっていうか。だから何と言ったらいいのかな、その相手視点に徹底できる。
少なくともそれがね、82歳になってから徹底することができるようになったのか、昔からそうだったのか、僕にはわかんないです。
昔のこと知らないから、本田さんの。人によるとあの人は怖い人だったとかね、ペンチで追いかけまわされたとかね。
いやもうとにかく設計のところでミスしたら、もうとにかくその設計図に基づいて作ったあらゆる人たち、
加工機械を操作したり加工機械を作ったりした、もうさまざまな人に、100人ぐらいの人に直接、
本田宗一郎さんがくっついてって謝らせたとかね、そういうすごい話がたくさん伝わってるわけですよ。
ところがそれとは真逆の本田宗一郎さんを見た感じで、好好爺っていうんですか、なんかすごいおじいちゃんで、
ただ何が違うかというと、今この2日間で言葉がわかったのが、相手視点に徹するって人だったね。
自分視点がみじんとも入ってこないの。
これはね、そうすると相手の発信がですね、本田さんの発信というのは極端に100%相手視点からの発信になるんで、
人の気持ちを抑えちゃうんですよ。だからいかに相手視点で、よく考えてみると、
我々っていうのは生まれた時っていうのは、ある意味だんだん自我が発達してくるわけじゃないですか。
自分の存在っていうのが自我っていうものから徐々に作られてくるわけじゃないですか。
自我っていうのは英語で言うとエゴっていう表現なんだけども、
特にヨーロッパではこの自我っていうものを自覚させるっていうところで、
我思うゆえに我ありとかね、人は考える葦であるとかね。
自我っていうのは自分が思っていることっていうね、
それをやっぱりリスペクトすることが重要だっていうところから個人主義的な発想が出てきてるんだけども、
やっぱり我々っていうのは生まれた段階でそういう自我っていうものがあって、
自我がないと生きていけないんですから当然。
だから東洋的にはそれ煩悩とか呼んだり、どっちかと否定的に東洋では扱うんだけども、
自我とコミュニケーションの関係
田中 愼一
欧米ではその肯定的な自分を成り立たせている自我っていうものがしっかりあってリスペクトするって発想なんだけど、
どうも自我が強くなりすぎ、それが肯定しすぎるとですね、
やっぱり自分が自分がっていうことになって相手を知るっていうことがですね、やっぱり弱くなってくるっていう。
これはもう完全に僕の思い込みですけど、近代社会っていうのはやっぱり自我を育てた。
要するに自我というものを育て個人個性というものを尊重するっていうような流れがある中で、
我々近代人っていうのはですね、やっぱりそこの考え方にかなりですね、
硬直化させられてるっていうか恥かせさせられてるっていうことで、何か思うときは必ず自己視点から発想する。
っていうのがですね、結構近代人ですね、ある意味で言うと。近代人の一つの特徴に近いのかな。
だからなんて言うんだろう、そういう中で相手を知るっていうのがコミュニケーションにとってすごく大事なときに、
そこをどうすればいいのかっていうんでコミュニケーション的な解決策っていうのは、
僕が教えてるのは、まず相手を知る最大の敵は自分だよと。だからまずは自分をゼロにすることによって相手を素直に知る。
そうすると、こちらが次にどういう言葉を発すればいいのか、メッセージを表現すればいいのかっていうのが的確なものがわかるよっていう。
これを繰り返していくと、徐々にお互いが持っている個性から発している、あるいは自己視点から発している意見っていうのがですね、
その対話を重ねていくうちにですね、徐々に徐々に共通項が増えていくんですよ、相手との。
そうすると自分の自己視点から入っていって出てきた考え方と相手の自己視点から出てきたものが、
はじめはコンフリクトでぶつかり合うんだけども、それを何とかかろうじて、いわゆる回していると徐々にお互いが共有する部分が出てきて、
お互いが合意する第三の道が見えてきて、そっちの方に二人ともこう吸い寄せられていくようなっていうのが重要なんだよっていうふうに教えるんですね、コミュニケーションの時ってのは。
だってそれはもう個性の違う人間が出会うんですから、当然ながらはじめコンフリクトが出てくるわけですよ。
でもそれをいかに、僕の言葉で言うと対話の兵法によってですね、そのコンフリクトをうまくマネージしながらいくとだんだん光が見えてきて、お互いが共通項を見える地平が見えてそこに動いていくっていうね。
こういうことをコミュニケーションでは今まで教えてきたんだけど、でもここにきてスポーンと無心の強かさっていう言葉が出てきて、
無心って何かって考えた時にコミュニケーション的にはもう100%相手視点からスタートする。すべての発想を相手視点から始める。
その後で自分っていう感じ。これがやっぱり本田さんの強かさっていうのかな、なのかなっていうような話を今回土日で75名だったかなの方々と話したんですけど、
なんか非常に今回の無心の強かさっていうのはどういうものなのかっていうのはもう少しちょっと考えていきたいなっていうふうにちょっと考えたわけです。
いかがでございましょう。ちょっと長々と話してしまいましたけれども、それほどちょっと衝撃的な話だったんで、僕にとっては。
なるほど。まずすべてを相手視点から発想の起点を置くっていうのは、結構近代人には苦手なことなんじゃないかなっていう感じがあるし、
それを乗り越えると結構結果強かな道っていうのが見えてくるのかなっていうなんてぼやーっとした考えでちょっとすいません。以上でございます。
無心のしたたかさの探究
田中 愼一
だからやっぱり考えたのはその人間っていうのは、
存在、
生きてるっていうのは存在のありようなのかなと。
自分の存在をどう感じてるかっていうのが生きてるっていう感じなのかなと。
なんかそこあたりどう思います?その存在を司るのがね、実はコミュニケーションで。
コミュニケーションのありようで、要するにさっきみたいに相手視点からスタートするようなコミュニケーションっていうのは、ある意味で言うと自分の存在感っていうのを違う形で認識する自分が。
なんかそんなことがあるのかな、例えばなんだろう、
あの本田さんはそうやって周りの反応が非常にフェイバーラブルになるんで、それをまた楽しんでるふうあるんですよ。
だから何というかその中で自分の存在感っていうものを、
なんていうか人間というのは絶えず意識して感じ取りながら、だからすごく重要なのは、
なんて言えばいいのかな、その存在感っていうものを、例えば生まれた時っていうのは自我が育っちゃうから自己中心の存在感なんだけども、
徐々にいろいろな人と出会う中で、対話をしていく中で、しかもその対話っていうのはコミュニケーションの本質なんですけども、その対話の作法がいろいろあって、
それをやっていくうちに徐々に自分の存在感っていうのが、自己中心的なところから、徐々に他者中心的なところも含めた存在感に膨れ上がっていくような感じ。
そうすると人間っていうのは、より自分の存在感のありようっていうものが形作られてきて、
そこに満足してるかしてないか、自分の存在感っていうものに触れて、自分がそれで嬉しいなと思っているのか、それじゃ悲しいなと思っているのか、
それで残念だと怒っているのか、ここあたりっていうのはその存在感っていうのが何か一つあって、
ちょっと存在感という言葉が出てきて、コミュニケーションっていうのは僕は長年使っている言葉なんですけど、
コミュニケーションっていうのは、自分の存在感っていうものをある程度形取ることを司っている作用なのかなっていうね。
だからコミュニケーションというものを意識して、コンシャスコミュニケーションをやっていると、徐々に自分の存在感がだんだん変わってくる。
人間にとって幸せな生き方っていうのは、自分の存在感がどんどん広がってるって言い方がいいのか、成長してるって言い方がいいのか、
あるいは変化してるっていうことがいいのか、自分の存在感が変化してくると見えてる世界も変わってくるっていうね。
そんなことをね、今回の土日でちょっと考えさせられちゃって。
だから、何ていうのかな。
孫子っていうね、世界最古の兵法書っていうのは、英語で何て訳されてるかっていうと、the art of war。
だから戦争のいわゆる兵法、戦争というか兵法ですね。
戦うためのアート。戦いに勝つためのアートっていう表現なんだけども。
それを文字ってですね、the art of presence, the art of existence、つまり存在の兵法っていうかね。
なんかやっぱり存在することっていうのが生きることと直結してて、その存在感をどう作っていけばいいのかっていうのが、
実はその鍵はコミュニケーションにあるのかなっていう日頃のね、conscious communicationにあるのかなっていうのは考えましたけどね。
いかがでしょう、何か。
中川 浩孝
なんかだいぶ難しい方向に行っちゃったので、ちょっとディープなところまで行ったので、どこまで私が理解しているかわからないんですけれど、
ちょっと戻って本田さんの話が出たときに、相手視点に立つっていう話が出たときに思っていたんですけど、
コミュニケーションっていうのはもちろん、自分、自己表現的なことというよりは、お互いというか自分と相手と理解し合うみたいなところが根本にあるのかなと私は思ってますけれども、
そういった中で、相手視点に立てるかどうかとか、相手視点から自分の話を後でしていくっていうか、そこから自分の考えを話していくっていうかコミュニケーションしていくっていうところの話を考えたときに、
多分、本田さんみたいな人はもしかしたら特殊というか天才的なのかもしれないんですけど、
私たちみたいな一般人が相手視点に立とうとすると、自分の考えがすごくブレる可能性が私はあるかなと思うんですよね。
影響されてしまう?
田中 愼一
影響されるっていうことも、実は議論にあって、でも何があるかというと、2つのパターンがあるんですね。
一つは相手を知ることが、逆に自分が言いたかったことを、いい形でより進化させていくっていう道と、
もう一つは今、ヒロさんが言ったように、自分を失っていく。つまり相手のことを知ると自分の考え方が弱くなってくるっていう。
この2つの道があるんですよ、別れ道が。
中川 浩孝
たぶんそれを一般人というか、天才的にそれができないのであれば、
普段から自分の考えをすごくしっかりと持っておけば、
見方が入ってきたときに自分の元々ある考え方をどういうふうにこれを説明したら一番わかってもらえるかなとか、
そこがブレずにできる。そこをちゃんと持っておくっていうことがすごく大切なのかな。
田中 愼一
かなりその議論もあってですね、要するに相手を知ると自分がなくなっちゃうんじゃないかとか、
そんな相手を100%知ったら自分亡くなっちゃうんじゃないかという議論があって、
基本的には今言ったように2つの道に分かれるんですね。自分がなくなるか、新たな自分を発見するかのどっちか。
そこのところをしっかりと抑えるデバイスがあるんですね。装置かなと僕は言ってるんだけど、
それが自分のストーリーを持つってことなんですね。
だから基本的にこの講座やる一番初め前半でですね、何をやっぱりみんなに言うかというと、
自分のストーリーを持ってくださいと。自分のしっかりしたストーリーを持って、
じゃあストーリーって何なのかっていうんで、何をするかというと、僕自身のストーリーを語るんですね。
ただ前置きはしてあるんです。ストーリーは自分で語っちゃダメよと、本来は。
今日は僕のストーリー語るけど、これは皆さんにストーリーがどういう要素で成り立ってるかを知ってもらうためにやるんだよっていう。
基本原則はストーリーは語るもんじゃなくて、自分に言い聞かせるものなんです。
っていうふうに前置きを置いた上で、自分の今どういうビジョンを持っていて、
さらにそのビジョンっていうのが過去のどういう原点から、原体験から来てるのか。
さらにそれによってこれからどういう見通しを今立ててて、今具体的に行動しているのか。
っていうところをですね、まず一旦自分のストーリーを作り、それを毎日毎日自分に言い聞かせる。
しかもそのストーリーは毎日出会うこと、出来事、事象に合わせて進化させていく。
それをしっかりやることによって自分に対するある意味自己暗示になるんですけども、
自分のストーリーっていうのを絶えず自分に言い聞かせることによって自分を元気にする。
ストーリーっていうのは自分を元気にするための装置なんですよ。
だから元気にすることっていうのがイコール、そのストーリーっていうものに対してより自分事ができるプロセスなんですね。
だからそれを持つことによって今言った相手を知るときに別れ道が出てくるんですけども、
自分のストーリーをしっかりと体得ですね。
頭で理解すんじゃダメ。体得しているぐらいじゃないと逆に相手に飲まれてしまいますよ。
だからヒロさんが言ったストーリーを持つ、自分自身をもっとしっかり持つっていうのはまさに僕も正しいと思いますね。
だからそういう、なんていうのかな、今回結局自分のストーリーが明確にあれば、
逆に相手に飲まれずに、どっちかというと自分の考え方を進化させることができるっていうことを通じて、
そういうことを通じて何とか結果強かになるっていうことをですね、皆さん目指しましょうっていうことで基本的には終了したんですけどね。
自分のストーリーの重要性
中川 浩孝
今自分がブレないみたいな話をして、やっぱり一つしっかりした何か確固たるものを持っておけば、
相手がどういう見方をしていてもそこに合わせていけるというか、ブレずに話せるみたいな話をしたんですけども、
一方で何か人と意見を交わした後に、今までの自分の考えを相手の意見によってフレキシブルに変えられるっていうのも、
私、すごい人の魅力の一つかなと思うんですよね。なんか私の中では、英語で言うジェニュインっていうんですかね、
本物っぽいというか、本当のことを言っているか、この人がその本心から何かを言っているかっていうのは、
私はすごくコミュニケーションの中ではすごく大切に感じていて、やっぱりその人がうわっつらのことを言っているのか、
本当に心から言っているのかっていうのは、それこそ非言語とかでわかるじゃないですか、ある程度。
なので、そういう中で、ここでパンと何か会話をしている時に、
あっていう風にその人の考えが変わる瞬間とかって見えたりする時ってあるじゃないですか、
ああいう時ってやっぱりお互いが理解できたなというか、お互いが化学反応が起こったなっていう風に感じられる時が、
コミュニケーションをやっていてすごく面白いなって思えるところなので、
そういうところが、何て言うんでしょうね、そういう反応が見せられるかどうか、
それがまさに非言語をうまく使うって話なんだと思うんですけど。
田中 愼一
そうですね。で、基本的には2つ、1つは、さっき自分のストーリーを体得するっていうのは、
頭で考えることじゃなくて、体得するって言ったのは、自分がそのストーリーを本当に信じ込んでなきゃダメなわけです。
対話の重要性
田中 愼一
要するに人間っていうのは、事実を知って自分が動くんじゃなくて、事実と信じて、思い込んで動くもんなんですね。
だから、体得するっていうのは、それを信じてないと、自分のストーリーっていうのはこれ事実なんだって信じてないとダメ。
そうすると、信じると心がガチって固まってるんで、非言語と言語は一致してきます。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
それから、もう1つは、ポイントは、その対話というものをどう捉えるかなんですね。
対話というものを、相手の意見と自分の意見を出し合って、それでちゃんちゃんバラバラやるっていうものではなく、
僕は対話はイノベーションだと思ってるんですね。つまり、対話をしてる間でお互いが気づく、いろいろなものを。
だから、その気づいた時、相手にそれが伝わりますから、そうすると、相手もあ、そうかって。
あと、人間って不思議なもんで、教えられるのと気づくじゃ全然違うことで。
教えられるとね、だから例えば対話で教えられたってね、心は全然嬉しくないんですよ。
ところが、相手と話してるうちに、今、ヒロちゃんが言ったように、何かに気づく時っていうのは、もうワクワクしちゃうんですね。
だから、対話の目的っていうのは、そのワクワク感をやっぱり作ることが対話の目的であって、
相手と自分がお互いに気づきの連鎖反応を起こしながら、そうすると徐々にですね、そこから新たな発想とかいうイノベーティブな発想が絶対生まれてくるんですよ。
だから具体的に僕が経験したもんでは、前もここで言ったと思いますが、ワイガヤですね。
ワイガヤのプロセスっていうのは、もうまさにお互いがお互いに気づきを出して、その気づきを出し合って、気づきが連鎖し合って、
とてつもない今まで想像もしなかったようなイノベーティブな発想や視点がボーンと生まれてくるっていう。
だからワイガヤっていうのはそれぞれのステップがあるんですけども、
対話っていうのはそのワイガヤをギューって凝縮して、そのワイガヤにあるあらゆるエレメントっていうか要素っていうのを対話という形の中で凝縮して、ただ法則的にはその同じなんですよ。
だからワイガヤっていうのはもしかしたら2時間か3時間かかるワイガヤがですね、実は瞬時の5分のあるいは10分の対話の中に凝縮されている。
いかにその凝縮されたものをうまくその対話の中で一つの作法として使っていくか。
そうすると、そういう目的意識で対話と接するとですね、対話っていうのはイノベーションなんだ、気づき合うことなんだって言うと、絶えず誰と会うかっていうのを選別するし、
想定外の人と会った時もさっとそういうふうに頭を切り替えて、これはイノベーティブなプロセスなんだって自分に言い聞かせて、
じゃあ相手と、想定外だったんだけど相手と対話を始めることによって何か新しい発想とか気づきを相手に、さらには自分にっていう、
こういう心構えで全ての対話をですね丁寧に向き合っていくと、面白い対話ができる。
AIと人間の文章の違い
田中 愼一
元気が出る対話ってあるんですよ、やっぱり。元気になる対話っていうのを求めてさまようっていうのは重要ですね。
高木 恵子
田中さん本当によくわかりますよね、私本当に。田中さんってそうやって動いてるのがよくわかる。
田中 愼一
そう、それどうも。一応じゃあ非言語は大丈夫ですか。
高木 恵子
すごくすごく。
田中 愼一
一致してますか。
高木 恵子
もうまさに体現されてるのがよくわかります。
田中 愼一
いやそのワクワク感なんですよ。対話ってワクワクなんですよ本当に。だからAIの時代に、
昨日その脳学者、認知科学を知ってる人と話をしたんですけども、
その時に言ってたのは、やっぱりAIが作り出す文章っていうのは完璧すぎて、人の心に引っかからない。
中川 浩孝
そうなんですよね。
田中 愼一
で、人がどこに人の脳に引っかかって記憶に残って、あるいは自分事ができるか、あるいは気づきまでいくかっていうのは、
やっぱり不都合な対話じゃなきゃダメなの。不都合な文章じゃないと。
つまり完成された文章じゃなくて、少し不都合な点があるような、
できの悪さっていうか、あるいはちょっと強さっていう、そういう文章のほうが人間の心を刺激するって。
だから逆に言うと、そういう意味で、
不都合な文章のほうがいいのかっていうことで、人間は書くことを忘れたらダメなんだなってちょっと僕は自覚したんですけど、
やっぱり人間の文章っていうのはやっぱりそういう引っかかりがあるんですよ。
不完全性があるんですよ。で、その不完全性に実は発想の源が隠れてるっていうね。
だからやっぱり完全なAIの文章だけを読んでいくと、人間はどんどんですね、
イノベーション力っていうのが落ちていくんじゃないかなっていうのを一方で思ったりなんかして。
面白いですね。こういう対話って面白いじゃないですか。
もともとはポッドキャスティングがそこから始まったんですよね。
中川 浩孝
確かに確かに。
田中 愼一
だから対話しましょうよ。だから僕は本当にね、この前土日に対話っていうのはイノベーションなんだよっていうのは口酸っぱく言いましたね。
だから対話に入るときは楽しみにして、どうやってワクワクしようかなっていうのをですね、エンターテイメントとして考えたほうがいい。
対話はエンターテイメントね。いいね。
自分で行って自分で乗ってるっていう。これもいいんですよ。
高木 恵子
いいと思う。すごくいいと思う。
田中 愼一
自分で言ってそれが自分をまた刺激してまた自分で。これ自分との対話なんですよね。
38:04

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