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田中 愼一
どっから出てきたかというと、相手視点。
よくいろいろ相談に乗るんですけどね。
相談の内容っていうのは、頭ではわかってるんだけどできないっていう。
頭ではわかってるんだけどできないんですよっていう。
これはね、僕がやってるMBAの講座でもほとんどの人が言うことだし、
いろいろな人と会ってて、やっぱりコミュニケーションっていうのは非常に難しいと。
で、悩みのほとんどは実はコミュニケーションが来てるっていうね、異口同音に聞くんですよ。
何ができないのかっていうとね、頭では理解してるんだけど、何でできないのかっていうと、
一言で言うと、相手視点に立つってことができませんって言うんですよ。
必ず相手視点の前に自分視点がまず入りますって言うんですよ。
そうするとできませんって言うんです。どうやったら相手視点になるんですかっていう。
やっぱり自分視点の方を優先して、相手視点を次にするっていう。
だから自分の考え方がまず初めにあって、
それで、それを相手に伝えるために相手視点に入るっていう順番になってしまう。
ところが自分視点と思った瞬間にもう相手視点に立てなくなると。
中川 浩孝
そうなのかしら。そうなんでしょうか。
田中 愼一
分かんないけど、多くの人がそう言うんですよ。
だから逆に言うと、
っていうのは多分コミュニケーションっていうのは相手に何かを伝えたいと思う気持ちから発生するんで、
こっちはこれを伝えたいっていうこと自身が自分を呪縛して、相手の素直な発信を読み取れないっていうか。
こっちは相手にこれを伝えたいんだ、こっちはこれを伝えたいんだ、これを伝えたいんだ、これを伝えたいんだって思っちゃうがゆえに、
相手からいろいろな発信を受けてるのにもかかわらず、それを理解せずにこっちのことを言ってしまう。
で、相手はそこに対していわゆる反撃が出てくる。
さっきの攻撃すれば反撃もあるっていう話と同じように。
だからどうしたら相手視点に立てるんですかって話を聞いてくるわけですね。
で、僕は簡単にね、それは簡単な話で、自分をゼロにしなさいって言うんです。
そこも話はわかると。確かに自分をゼロにすればわかる。でもゼロにならないって。
自分を徹底的にゼロにするってどういうことですかっていうことをくるんだけども、
ヒロさんの場合は自分をゼロにするってことはそれほど難しいことじゃないように。
中川 浩孝
どうなんですかね。ゼロにするっていう感じなのかな。
私だってもちろんこういうこれを伝えたいというまず思いがあるときに、
こういう伝え方をしたらどう相手が捉えるか、これに対して疑問を感じるかなとか難しいかなとか、
この理論で相手の中でも腑落ちするかなみたいなことを考えていって、その言い方を考えるだけなので、
別に自分の考えを変えようとも思わないし、
ただ伝えたいことをどういうふうにしたら一番理解されるかっていうふうに、
逆算するというか因数分解するというかっていう感じなので、
別に自分をなくしているつもりも全くないし、
自分がありきだと私は全然思ってますけどね。
自分が何か伝えたいときが何があるときっていうのに関して。
田中 愼一
それはありきでしょうね。
問題はゼロにするっていうのは別になくすわけじゃなくて、自分を。意識しないってことなんですかね。
中川 浩孝
そう、客観的にっていうことですよね。
田中 愼一
客観的に意識しないっていうか、
頭からもうなくなっちゃう。意識しないっていうことは。
つまり、っていう心理状態になることが、
少なくとも僕の経験上はね、
僕が人にゼロになりなというのはそういうことなんですね。
要するに、自分はなくなるわけなくて自分であると。
そこにいつかずに、
禅の言葉で一つあるのが、
言葉で言うと少し難しいんですが、
まさに住するところなくして、しかもその心を生ずべし。
中川 浩孝
わからないですね。
田中 愼一
禅用語ってなんかわけのわからないこと言って、
真逆のことを同じだっていう癖があって、
これ何かと言うと、まさに住するところなくしてっていうのは、
住するってのは住居の住ですね。
中川 浩孝
住むってことですね。
田中 愼一
だから住むっていう話です。
まさに住むところをなくして、つまりこだわるところをなくして、意識するところをなくして、
でもその心を生ずべし。
つまり心を生ずるってことは意識しろって言ってるわけ。
中川 浩孝
そうですよね。
田中 愼一
だから、非常に相反するものをやるから、理屈では解けないんですよ。
理論では絶対解けないことなんですよ、これは。
そうすると、そこを解くっていうか、納得するっていうプロセスがですね、
実は人によっては50年かかるとか。
人によっては頓悟(とんご)するって言うんだけど、その場でわかる人もいれば。
そこは理屈をどんなにこねても、理解はできたとしても、
そういう心情にはなれないんですよ、人間って。
ある程度の、修練っていう言葉を、
今言ったように、まさに柔するところなくして、しかもその心を生ずべしっていうですね、
相反する意味を一生懸命考えて、理屈で考えていくともうね、こっちの頭が狂います。
どうだって理屈じゃ絶対解けない言葉ですから。
で、そこをどう自分を納得させるかっていうので、
自分の中で瞑想する人もいれば座禅する人もいればね、
逆に動く座禅って言って、自転車にひたすら乗って、
その感覚っていう心情をつかむって、これがまあいわゆる禅の一つの修行方法なんですけどね。
だからこういう言葉が言うんですけど、これに実はすごく似てて、感じ的に。
自分の心をなくすんだけど自分の心を生じなきゃいけないんですよ。
これ、理屈じゃどうにも歯が立たない。
そうすると、基本的に自分というものが徐々に2人いるって感じになってくるわけですよ。
で、残す自分と残さない自分。
これもまだ苦しむんですね。
自分をこの自分とこの自分に分けるっていう行為が、もう理屈に合わなくなってくるわけです。
そうすると、それをどんどん進んでいくうちに、突然風景が変わるんです。
で、これはいろいろな修行方法があるんだけど、座禅を組むっていうのは、僕の性にあんまり合ってなくて、
僕は一つのことに集中することに苦手なんですね。
僕はありとあらゆるものに集中していくっていう意識があって、
それをやるためには座禅を組んで、ずっと一つのことに集中するっていうのは増えてるんです。
ダメ。できない。
だからそのときどうするかって、体を動かすなんかの式たりっていうか、
技をこうやりながら、ある意味変な話だけど、加持祈祷みたいな。
体を動かす。火を燃やす。口から唱える。
あるいは指で印というものをやるっていう、こういう方法もあるんですけど、
そうすると一つのものに集中するっていう禅のやり方じゃなくて、
これは全部の、もう全てに意識を広げていくような。
それによってマインドセットっていうか、心理状況っていうのをコントロールできるようになってくるっていう。
これは一応僕の経験値ですね。経験って自分をゼロにするってどういうことかって。
で、それをやってると突然ですね、
頓悟するっていうのはもうその瞬間に降りてくる悟りを開くっていう言葉なんですけども、
納得しちゃうんです。そうだよなって。
自分をなくすだけじゃダメで、同時にまた生じなきゃいけないんだよなっていう相反する二つの事象が、
スポーンと一つになる瞬間があるんですよ。
そうすると、わかったって感じで、自分をゼロにすることができるようになるんですよ。
中川 浩孝
それは高度な技ですね。
田中 愼一
いや高度な技というか、何て言うかな。
なぜか昔、鈴木大拙っていうね、禅を世界に広めた人がいますから、
あの人の本との出会いが40年くらい前にあって、
そっからずっと彼の本読んでてわかんないんですよ、とにかく。
理屈じゃもう何もできなくても、苦しむ以外なくて、どうすりゃいいんだよ、これはって。
その頃僕はまだ理屈少年だったから、現代物理学を極めたいなんて昔思ってたから、
理屈の世界は一変とできたんだけど、禅というものに出会って、混乱を著しく、精神的混乱が起こってですね、
そういうとこを経てこういう考えになったんだと思うんですけども、
で、それがある意味コミュニケーションの世界に入ってくると、実は相手を知るっていうのがコミュニケーションでは一番重要なんです。
でも相手を知ることはできないんです。
これをどう自分に納得させるかっていうところ。
中川 浩孝
それも相反してまして難しいですね。
田中 愼一
そうすると結局、無の境地っていうことを求めていって、自分をどんどんどんどん削っていくんですよ。
僕自身が無になったかどうかっていうのはまだわかんないんだけど、
無になった境地になったつもりになると何が見えてくるかというと、空という限りない空が見えてくるんですよ。
これが僕が言う意識が広がっていく周りと同じで、
でもそれは無を一旦叩かないと出てこない世界なんです。
そうすると自分が一旦無になることによって新たな自分が見えてくるっていう。
それは空という世界が、要するにイメージで言うと大空が見えてくる。
無っていうのは暗黒の一点、もう何もない、真っ暗な、そこに集中していくわけですよ。
そこまで行った瞬間に大空がバーって見えてくる感じ。
その一点に集中している自分と大空を見ている自分というのは違うんです。
田中 愼一
これは、彼自身はアメリカへの感謝しかないんですよ。
別に作られたスピーチじゃないんです。その場で彼が思いついたスピーチをしたんですね。
もう一つの事象は、彼がデトロイトから離れるってことで、ホテルをチェックアウトするときに、
まず他のホテルのお客さんがみんな出てきちゃって。
それからその前に、まず記者の連中200人近く、
デトロイトでは自動車を専門に扱ってる記者がいるんだけど、
そこでみんなほとんど集まってきちゃって。
いつ出発するかって、どうやってバレたのか僕は知らないんだけども、
大群衆に囲まれちゃって。
で、さよならするほどで、みんなね、すごいね、ホンダさんホンダさんで、
なんでホテルの客前に出てきたかって言うと、
ホンダさんはホテルを歩くと、もう誰に対してもハローハローサンキューサンキューって言って、
それで終わったわけで、それがあったり、
それからもう一つは、チェックインしたときに、お寿司が、にぎり寿司が部屋の中に飾ってあったんですよ。
僕はもう全責任持ってるから開けて、なんだよこれって言って、
知らないよ、聞いてないよと思って。
と思ったら本田さんがドコドコって先行っちゃって、
口に入れちゃったわけ、スパーって。
えーっつって、ちょっとーっつって、びっくりして。
本田さんが食べた瞬間、鬼の形相になるんですね。
鬼の形相になって、僕の顔をにらみつけて、
おい、ホンダの連中呼んでこいって。
日本人だけですか、外人もですかって言ったら、まずは日本人だけ呼んでこいって。
そのときに本社からついてきた日本人と、
それからアメリカの西海岸から来た人と、
それからオハイオ工場の東から来た日本人が合わせて、
僕が一番ペーペーだけども、お偉いさんが15人くらいいたわけですよ。
それがみんなソファに座ってる本田さんの周りに正座しててね。
僕が最後のほうにいるんだけど、
お前ら、食べてみろ!ってそのお寿司をみんなに回し食いさせてるんですよ。
それを食った瞬間ね、お菓子なんですね。
握り寿司に目指したお菓子。
お菓子ができて、それでね、
お前らどう思う?ってどう思う?って言われたってね。
こっちをみんなビビり上がってんのに、震え上がってんのに、
いやーって、そしたらまた僕を睨みつけてきて、
ドキッとした瞬間、これ作ったやつ引っ張ってこいって。
しょうがないから降りてって、僕がですね。
シェフのほうに行って、台所に行って、
これ作ったやつ誰?って聞いて行ったら、
出てきたのがですね、これ驚いたのが18歳ぐらいの少年なんですよ。
コック見習い。
で、そいつを連れて行ったわけですよ。
シェフも知らなくて怒り、シェフも怒っちゃって、
俺ももう怒り心頭で、
お前なんてことしてるんだよ、勝手に。
警察連れてくぞとか言いながら、ブツブツ言いながら上がってったわけですね、スイーツルームに。
で、その彼を紹介したら、本田さんが急に泣き出すわけです。
で、彼のとこに行って、ありがとうありがとう、サンキューサンキューサンキューって握手して抱き合って、
サンキューサンキューって言うわけですよ。
で、それでね、その後本田さんからいる質問が出て彼に、
なんでやったんだ、なんでって言ったら、
いや、世界に鑑たる本田宗一郎さんが来ると自動車メーカーの、
やっぱり自分もデトロイトに育ってね、自動車メーカーのメッカで育ったんだと。
いやーこの人をやっぱり、サンキュー感謝の念を示さなきゃいけないって言うんで、
その当時日本料理屋ってみんな高かったんですけど、
18歳の少年が全ての金を集めて、かき集めて、握り寿司を撮って、写真撮って、それを真似てお菓子を作った。
で、ひそかにどうせ怒られるからって、ひそかにスイーツを入れてお菓子、ひそかってなーってこっちも怒ったけど、
それにさらに本田さん泣いちゃって、ありがとうありがとうって言って。
で、まあひとしお感動のひとときが終わって、
少年、青年はですね、帰っていって、で、残ったのは怖い、
あの泣いてる本田宗一郎さんと我々10人のホンダの人間。
で、彼がドアを出た瞬間に、今度は鬼の顔になってる本田宗一郎さん。
で、彼が言い出して、ね、お前らはな、甘く見てるぞ、アメリカをって。
18歳の青年が、俺のために、そこまでやって、俺の気持ちになって作ってくれたんだと。
で、食べてみろと、な、食べただろう、お前ら。
ちょうどいい80以上を超えた俺にふさわしい甘さ加減がいいだろうと。
で、僕なんか食べたら、アメーって思って、こんなの。
って思ったんだけど、一応うなずかないと怒られるだろうからと思って、結構うなずいてたら、
お前らわかってんのかって言って、何が始まったかって言って、お説教が30分そっから始まった。
で、何のお説教かって言うと、アメリカにいる日本人に対する説教。
お前らな、っていう話になって、で、それは何かって言うと、おごってるって言うんですね。
田中 愼一
もうビッグスリーみたいなところはないに等しいと。
デトロイトは終わったね、街だと思ってるだろう、お前らはって言って。
でね、確かにそうなんです。僕もそうだった。
もう一本勝ちで、もうとにかく買い、もう邁進してるから、日本の車。
もう、反日感情なんかどうでもよくて、車売れちゃうんですよ。
で、どんどん売れるもんだから、どんどん日本人。
これトヨタや日産も同じだけど、みんな鼻が高くなってきちゃって。
で、そこを宗一郎さんがついて、お前らはって、ぐわーって、お説教っていう形。
こういうね、小さな事案っていうか、他にもあるんですけどね、もっと。
そういうのがね、その10日間ぎっしり詰まったコンテンツ。
で、これがやっぱり、彼の自分をマイナスにできる、つまり相手視点に絶対立たない。
初めから自分視点に絶対立たない。相手視点にまず自分。
で、それを支えてるのが好奇心。
出会った人に対する強烈な好奇心なんですよ。
中川 浩孝
そうか。
田中 愼一
だから感情移入がスーッとできるんです、相手に。
で、それは、やっぱり彼がさっき禅の話をしましたけど、
人間ってある程度修行しないとそういうレベルには行かないと思うんだけど、
実は彼の過去っていうのは、それなりに厳しいものがあったみたいで、
小学校は出たけど、その後丁稚奉公に行って、いろんな人からいじめられ、差別を受け、
っていうその重なりが多分すごくあったと思うんですね。
で、そういう中で、自分を唯一守る方法っていうのは、相手視点に入るしかないと。
で、相手視点に入るには、相手を好きにならなきゃいけないと。
相手を好きにはそう簡単にはなれないから、せめて相手に関心を持とうと。
相手に関心を持つためには、すごい好奇心を。
幸いに本田宗一郎さんは、とてつもない好奇心を持って生まれてるっていう。
そのところをですね、レバレッジしてやってきたんだろうなと。
だからその相手視点に立つっていうのは、理屈で考えるっていう世界じゃないんだけども、
人間社会で生きてる限り、相手視点に立つっていうのは、
自分を守るための、実はすごく重要なね、
自分を生かすためのものすごく重要なA00だっていうのを教えてくれたっていうかな、本田宗一郎。
だからとにかく相手視点に立つことに努力するっていうんですかね。
でも少しでも自分がグワって出てくるんですよ、人間って。
で、出てきた瞬間、一瞬にして抹殺する。
で、それを抹殺するのは意識じゃ、理屈では抹殺できないんで、理屈では。
どうするかっていうと、今言ったような、本田さんの場合は強い好奇心を使って、
まずは相手を知りたいっていうところに自分の感情がブワーって先に行くっていう感じ。
それによって自分を忘れる。でも、自分の頃は生きてるんですよ、また新たな。
そういう違う次元の自分っていうか。
っていうのが非常に相手を意識するっていうのが、なんかすごいね。
なんかね、ここ数週間いろんな人から同じような、自分ゼロにするってできない、できないっていうのがあって、
そういう人たちに説明、一生懸命してると自分自身も覚醒してくる。
そうすると自分自身が覚醒してくると、あれ待てよ、本田さんそうじゃなかったのかなっていう。
本田さんはどうやってたのかなと、マイナスにすること。
っていうのを考え始めたらもう唯一の答えは彼の好奇心しかない。
田中 愼一
僕はずっとそれを工夫しながらいろんなことをやってるけども、でもなかなか難しいですね。
これは教われないものなんですね、結構ね。
だから禅坊主の、禅坊主とは怒られちゃう。
禅の和尚さんたちは、わけのわかんないことを言ってね。禅事を言ってですね。
やるな、でもやれとかね。ないけどあるんだとかね。
こういうバカみたいなですね、一見ね、理屈から考えると、
ことを唱えてお前考えろって、これだけですよ。
一つの禅が面白いのは、一滴水って考え方があって、将来偉くなったお坊さんなんだけど、
ある偉いお坊さんの下にいて、水撒きをしてきたらしいんです。
水撒きをね、庭で。
そしたら一滴の水が、花にかからず地面に落ちたんです。
そしたらそのお師匠さんがですね、その坊さんに言ったことは、その一滴を拾ってこいって言われた。
で、そのお坊さんはですね、40年間、その一滴を救い上げるために修行した。
つまり、今言った、我々に代わりにするとわけのわかんないことを、
感覚するっていうか、いわゆる理屈で理解するんじゃなくて、
体全体で、そうだなっていう、やっと救えたっていう。
こういう話があるんですね。
あのね、禅って本当にわけのわかんないことばっかり書いてあるんだけど、
でもそれを必死になってわけのわかんないのを極めようとして努力していくと、
徐々になんとなくわかってくるっていう。
これは僕の経験上、今なんとなくわかってくるレベル。
でもそんなことに無駄な時間を使うのかって言われそうだけど、
でもね、安心って、心の安心って言うんですか?
安定っていうのを求めるときに、実はその右脳の感度って言うのかな。
左脳で感覚する感度じゃなくて、それとはまるきり別の右脳の感度ってのがあるような気がしててね。
どうですかね。すいません、なんかちょっとわけのわかんない話をして。
中川 浩孝
いや、わけがわからないんですけど、なんか思考実験というか、なんか面白いは面白いですよね。
どういうふうに、てかそれこそAIに勝つためには、
というかAIとの差別化をするためにはやっぱりこう、
そういう理解できないようなことを理解しに行かないと、多分勝てなくなるのかなとか、
でももしかしたらAIもわかるようになっちゃうのかなとか。
田中 愼一
そこあたりがね、AIっていうものの中で、
人間は今不安とね、それから共感っていうか、なんか期待っていうものが上がってるんだけど、不安と期待。
でもその中で、なんかこの2週間ぐらい、その本田宗一郎さんのほうと考えてると、
その理解できないことを理解するっていうのが、理解っていう言葉がその理という言葉がついてるから、
ちょっとダメなんで、理解って言葉じゃないんだな。
腹落ちっていうのかな。腹落ちとか、だから理解のレベルじゃダメなんですよ。
だから腹落ち、理解から腹落ちさせるっていう、自分を腹落ちさせるって難しくて、
この2週間いろんな悩みを聞いて、ほとんどの人がですね、やっぱり理解はできる。
理解はできるけど腹落ちしない。
つまり腹落ちしないと、それを実践できない。
中川 浩孝
そうかそうか、なるほどそうですね。
田中 愼一
理解のままでは、認識のままで止まっちゃってるから、実践につながんないんですよ。
だから、なんていうのかな、腹落ちをどうさせるかっていうのが、これから人間にとって、
その腹落ち力っていうの、腹落ち力をね、やっぱり身につけなきゃいけないんじゃないかと思って、
今度のある一つ経営者会議みたいなとこがあるんだけど、そこで自分のセッションをやるんだけども、
腹落ち力を鍛えようっていうテーマで考えられないかなと。
そこに茶道の先生とかお師匠さんとかね、禅坊主とかね、そういう人間入れて、
あと誰かAIの専門家なんか入れてですね、そこで議論させると面白いかなって。
一応提案したんだけどね、却下される可能性は十分あるでしょうね。
何言ってんだって話だよね。だから腹落ちですよ。
中川 浩孝
腹落ち。
田中 愼一
そう、腹落ちなんですよ。
そういう意味で言うと、自分をゼロにしろっていうのは、ある意味禅語みたいなもんなんだな。
理屈はわかるけどさ、腹落ちできねえよ、そんなの。
中川 浩孝
難しい。
田中 愼一
難しい。難しいですね。
まあいろいろと考えなきゃいけないんでしょうね。