面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第90回の本日は、
人生が整うマウンティング大全と、話が通じない相手と話をする方法からの考える話の聞き方について語ります。
はい、どんだけタイトルが長くなれるか競争をやっておりますが、今回はクラッシャーのターンということで、この2冊を通して、コミュニケーションの取り方みたいなことを考えていけたらいいなと思ってます。
人生は整うマウンティング大全っていう、なんかタイトルからもう切ってる感じがしますよね。
そうですね。いきなり1冊目の人生が整うマウンティング大全という本に入りたいんですけども、正直ネタ本やと思ってたんですよね。
タイトルから察するに、マウンティング、人が他の人に対して自己の優位性を提示する、そういう会話とか話し方っていうものを収集するというネタ本やと予想して読んでて、
最後まで読み終わっても、もしかしたらネタ本なのかもしれないという疑いはあるんですけども、でも案外深いことが書いてあるなというところもあったんで、それを軽く紹介して、その後、別の話が通じない相手と話をする方法というので、もうちょっと具体的なとこを展開できたらいいと思うんですけども。
そもそも、マウンティングって、ゴリゴさん、ご存知ですか?あるいは一般的に使われます?
自分が使うってことはないんですけど、これだろう、ここ3、4年ぐらいとかですよね。なんか当たり前に聞くようになって、その相手よりも優位に立とうとする。なぜそれがマウントなのか。
それがマウント。このマウントとかマウンティングってのは、基本的に動物的な行動。ボノボってよく見られる行動で、すごい緊張感が高まったときに、疑似的な交尾行動をすることで、その緊張感はするっていうことがあったらしいんですが、それがどうにか展示で、人間間の間で自分の優位性をとつと示す行為と。格闘技とかでもマウントポジションみたいなのがありますよね。
レスリングとかよく使うイメージですね。プロレスもそうかな。
相手の上に乗って顔面ボコボコに殴るみたいな、そういうポジションのイメージがありますが、優位な立場にあることをマウント取るとかマウンティングっていうことを言うわけですが、本章で1章から4章までの話があって、1章でマウンティング図鑑ということで、
著者の名前がネタみたいなマウンティングプロレスの方が、実際に収集したマウンティングっていうものの数々の実例を、いくつか分類して提示してくれてるということで。
冒頭とかがよくあるんですけど、ニューヨークマウントっていうのがあって。
同窓会の誘いが来たときとかに、「すみません、ちょっとそこはニューヨークに出張でして。」って断ることで、この人グローバルに活躍してるんだということを匂わせるとか、
昨日永田町に呼ばれてるということを言うことによって、自分は何か生涯的な繋がりを持ってるみたいなことを言うみたいな、そういうものがいろいろほにゃららマウントという形で紹介されてると。
僕が予想してた話の流れとして、こういうマウンティングはやめましょうと。相手に不快予感を与えるのでやめましょうという話であれば、全然面白くないんですけど。
とがってるのは、こうやって自慢してしまうのは、ある種人間的な欲求の根源であると。もう誰しもがみんな持っていると。だからそれを無理に否定したり抑制するのではなく、相手がマウントしてくるのを受け入れて、その上で自分もマウントすることを受け入れて、お互いにマウントしあいましょうと。
そういう、一応マウントフルネスっていうのを目指そうと提言してるのが面白いんですね。考えてみると、マウントを取ってくる人、例えば同僚とか上司とか、上司が多いんかな、軽めの自慢してくる人に対して、相手がその自慢を受け入れてあげると非常に有効的な関係を保ってますが、
それを指摘しちゃうと非常にギクシャクするわけで。やめた方がいいとは言いつつ、やってしまう弱さを認めようとこれは言ってるように僕は思えるんですね。
上司をお立てようというふうにももちろん取れますが、そうじゃなくて、人間はそうやって自慢しちゃう弱さを持つんだから、それを認めてあげましょうというところから、コミュニケーションを始めようと提言してるとも読めるし、そう読むと案外、
なんかな、どう言ったんやろな。哲学的、倫理的な提言なのかなというかもしれませんけども。
け、ケアですね、ケア。
そうそうそう、ケアとしてのマウンティングみたいな、そういう受け入れ方もしたとしたら結構面白いんじゃないかなと。
で、あの、ど、実際、実際どうかわからないですけど、そのマウンティング取ることって、いわゆる啓蒙主義的な立場で言うと、あんまりやってはいけないことになってるじゃないですか。
できれば、その率直に意見を交換し合うのがよろしいという話なんですけど。
で、その、一つ思うのは、あの人マウント取ってるわっていうような言い方をするときって、さっきの例とかもそうなんですけど、直接的な自慢じゃないんですよね。
なんか、あの、見合わせる形になってるの大体。その、遠距離的に自慢しているという感じで。ここが、あの、人間的に面白いのは、たぶんゴリラとかやったらすげえ威嚇することで上位に立とうと思うんですけど、人間の場合は直接自慢しないんですね。
人間というか現代人かな。この現代人の場合は直接自慢しない。で、例えばその啓蒙主義の人がマウントを取る人を見て、僕はマウントなんか取りませんよねって言ったら、
もうそれがちょっとマウントになってしまうんですよ。これ、どう思います?
【迫真】うん、あの、まあ確かに、俺はマウントなんて取らない人間だっていう発言は、マウンティングに分類できる。
【迫真】つまり、僕らはマウントから、何か相手に何かをしようとした瞬間にマウントになってしまう、マウントに思われてしまうという可能性が常にあるというときに、
ふと思ったんですけど、日本語の炎上語と呼ばれる言葉。あれって、自分を下げることによって相手をマウンティングさせてあげる言葉ってことですよね。
たしかにそういうことだよな。だから結局それは、私はあなたに敵対する意思がないですよっていうことを示す行為でもあるわけですから。だから別におべんちゃらということだけじゃなくて、コミュニケーションの一環としてこういうのを持っておくというのは全然悪いことではないなという気がしますね。
なんとなく日本の文化として、マウンティングをさせるんじゃなくて、自分を下げることによって相手を上げてあげることを好むタイプが多いのかなっていう炎上語とかにも現れてくるように。欧米人は上がるの好きそうなんですよね。
相手が上がってきたら、こっち側は別に下がらんでもいいわけだから、そのまま上げさせておけばいいということで、相手が気持ちよくコミュニケーションをとってくれるようになったら、それが起点となって話し始めることもできるでしょうから。
あんまり過度なマウンティングっていうのは良くないけど、自分が好きと思っていることを大胆に相手に共鳴することが起こすネガティブさを踏まえた上で言うっていうことは、いいんじゃないかなというふうにちょっと思います。
この辺は賛否両論はあるでしょうけど、僕は本書からそういうメッセージを読み取りました。これが1冊目。
2冊目なんですけども。こっちは海外の方が書いた本で、話が通じない相手と話をする方法。サブタイトルが、哲学者が教える不可能を可能にする対話術という本で、結構長いタイトルなんですが、基本的に著者の一人が哲学者なんですけど、ちょっと変わった方で。
フェミニズムの著名な論文雑誌に、すごいヘンテコな論文を投稿して、なんとか問わさせようとしたっていう、某ソーカル事件かな。
見たことがした方。それに似てる気がするって思った。
という、結構大胆な方なんですが。その方が、人と人とのコミュニケーションを取る上で、もっと言うと、自分とかなり異なる、極端に異なる人と話し合いをして、話し合いするだけじゃなくて、可能であれば考え方を変えることを可能にするためのノウハウをまとめた本ということで。
一番想定されているのは、自分と全く逆の考え方。政治制度で言うと逆とか、社会主義と民主主義みたいな感じで、反対の考え方を持つ人と喋った時に、なんとかその会話を成立させて、できれば生産的な話し合いにしていくためのテクニックを紹介してくれる本で。
1章が、その冒頭が、この本が紹介するのはこういうものですよって定義されて、2章以降で入門から初級、中級、上級とどんどん難しくなっていく、統合で30を超えるテクニックが紹介されるんですけど、全部はフォローできないんで、1章と2章を今回紹介したいと思うんですけど。
今更言うまでもないですけど、宗教とか政治とか、ある価値観に関する考え方が異なる人と話すっていうのは非常に難しいわけですね。非常に難しいっていうか、ほとんど不可能に思えると。でも、著者の経験から言うと、確かに難しいけど、それを行ったら100%話がこじれて、もう人間関係が断絶するというほどのことはない。
うまいことをやれば、ある程度の成果は見込めるし、うまいことをやらなければ失敗に終わると。だから、やり方によって違いがあると。実際、例えば家族。自分の親とか配偶者とかでもいいですし、一番ありそうなのは配偶者の家族とかを喋るときに、政治的スタンスが大きく異なる場合に、その話を成立させるのってめちゃめちゃ難しいんですね。
たぶん、知ってるか知らないことが多いんですけど、身近な人たちと、そういう込み入った話をするのが難しいのにも関わらず、僕らは全然知らない、あるいはちょっと知ってるだけの知り合いと、SNSでその手の議論をするわけですね。だから、そのままうまくいくわけがない。
うまくいくための方法を身につけてないのに、やってるから悪いんであって、うまくいくための方法があれば、うまくいく可能性が出てくると。そこに本書の希望があるわけですけど。一応、本書のこのターゲットとしている会話、不可能な会話っていうものなんですけど、一応確認しておくと、まず話す人、二人として話す二人に価値観の橋渡ししがたい不一致があると。考えてることが大きく違うと。
ただし、話をするつもりはお互いにあると言うでしょ。ここがポイントで。例えば、全く話す気がない人を無理やり会話に引き込むテクニックが書いてあるわけではない。大抵の場合、自分が主義主張を持ってる場合って、やっぱり相手に話したい気持ちがあると。多くの場合は。
その話したい気持ちがお互いにあるけども、考え方が逆だと。こういう時は大体、面倒くさいから喋らないということになりがちで。で、著者らも別にそうするのは構わないと。別に無理して喋る必要はないけど、もし喋るための技法があって、自分がその選択肢を持っている場合と持ってない場合では違うんではないかと。
もし、自分が相手の考えに関与したくなった時に、方法がなければ黙ってるしか選択肢がないわけですけど、方法があれば話すということも一応選べるようになると。だから、避けるのは避けるのでは構わないけど、一応選択肢を増やすために技術を身につけましょうというのが本書の提案の一つ目ですね。
これ、現実的な話としてどういう場面が考えられるのかなーってちょっと思ったんですけど。
例えば職場とか身近な人と、その人の考え方を聞いて、できれば自分が持っているこの世は良いという考え方を広めたい伝えたいという時に使われるんでしょうね。
そうか。例えば、会社でこんなことをやってみたいとか、新企画としてこういうことをやりたい。もう一応選択肢というか、そういう場面としてはある。
それは多分まだ本書が取り上げる、例えば宗教的対立とかに比べるとまだ会社の利益っていう共通理念があるから、もう少しは絶やすいでしょうね、きっと。
あとはあれですかね、町内会で、もうちょっとここをどうにかできないかみたいな話題とかっていうのも、一応そういうものってことか。
ものに入るかな。それもまだもうちょっとマシかな。真剣な対立にはなりにくいでしょうけど、考え方が違う人に自分の考えを知ってもらう。ないしは考え方を変えてもらったらいいというところで話す。
逆にそういう欲望を全く持ってなければ別にこういうことはする必要じゃないですけど、ある考えを伝えたいというようなときに用いることができるし、そこまで深刻なものじゃなくても、その後で紹介する第二章の話はコミュニケーション全般において役立つかなと思います。
人っていうのは、それぞれの人が自分が持っている考え方とか価値観によってどう行動するかを決めるわけで、考え方っていうのは重要なわけですけど、考え方っていうのは固定物というよりは変化していくもの。経験とか何かによって変わっていくけど、人の考えを変える考え方は良いやり方と悪いやり方があって、良いやり方は基本的には会話であると。
悪いやり方は強制とか暴力と。悪いやり方っていうのは倫理的に悪いだけじゃなくて、基本的に逆効果なんですね。
とみたけ 相手の考えを変えるに至らないってことですよね。 至らないし、むしろ元々持ってる考え方を強めてしまわないといけないから、基本的にやろうと思ったら会話ないしは対話を通して行うのが良い。会話っていうのは基本的には英語で言うとコンバセーションなんですけども。
コンバセーション。 とみたけ コン、CONって共にって意味なんですね。だから会話っていうのは二人でやるものだと。二人というか、その場にいる人たちとやるもの。日本語の会話もそうですよね。会って、会うっていう字ですから。人と人がそこにいることで行っていく。
とみたけ 先回って結論みたいなことを言うと、共にだから、例えば僕がゴリオコさんの意見を変えてやろうと思って開かれた会話に臨んだ結果、僕の考えが変わることがあるわけです。 共にだから相手の影響を受けて自分も変わり得る。
とみたけ 自分が相手に影響を与えようと思って開かれた会話をすると、結果的に自分も自分の考え方も変わってしまうことがあるということを受け入れるしなし、それを積極的な効果として認めるということが、たぶん本書全体の一番大きなコンセプト。会話っていうものをどう捉えるかっていう視点。
それはパートナーと行う共同作業であるということをずっと、本書としてずっと言ってて、その考え方を持てればかなり変わってくるだろうと思いますね。 まあ一番簡単で基本だけど意外と忘れがちの一番重要なところか。
とみたけ さっきも言ったように、自分が何か伝えたい考え方があって、相手にそれを教えてやろうというときに一番失われる見方なんですね、これは。 っていうところを、そういう起きがちなミステイクを起こさないようにするためのノウハウが2章以降で、合計36話紹介されるんですけど。
で、これ2つ目のパートナーシップで。3つ目はちょっと似てるんですけど、ラポールという用語で、これフランス語らしいんですけど。
橋が架かってるっていうような状態かな。橋を掛け合わせるみたいなイメージで、心理的安全性というような言い方に近いかもしれませんけど、
親近感がある状態。相手がこっちに対して安心を感じてて、心地よく会話できるっていう状態を作ることが大切である。
それをどうやって作るかっていうと、雑談なんですね。雑談。
著者らに言うと、だいたい2分程度でいいんで、自分が話したい本論じゃなくて、相手の状況とか。例えば、街中で出会ったら、今日ここまでどうやって来たんですかとか、どこに行かれるんですかみたいなことから始めて、
その人にまず関心を持ってることを示して、その人の話を聞くと。アイスブレイクとかに近いんですけど、もうちょっと友好関係を結ぶことが意識された雑談を行うと。
まあ、名言的に。まずは友人であれと。会話とか議論を始める前に、まず友人であることを目指そうと。
たぶん30分しか喋らない人間であっても、その30分間は友人であることに努めましょうということで。そのアポールの形成方法としては、まず一番最初にやること。
その会話し始めたら、10分経ってからじゃなくて、会話のスタートからアポールの形成に向けて動き出すこと。要するに雑談することと。
で、さっき言ったいくつか特化解の質問をしてから、話を広げていく。まるまる添加していくと。で、共通の土台を見つけるとよろしいと。
まあ、スポーツが好きとか音楽が好きとか、ライフハックが好きとか、まあ別に何でもいいんですけど。共通の土台を見つけると、結構話が広がっていく。
で、例えば野球が好きですっていう人が2人たぶんいて、そのチーム、好きなチームは違うかもしれませんけど、たぶん自分のチームが勝つことが好きみたいなのは一緒なわけじゃないですか。
ある種の思考性みたいなのは基本的に共通していると。まあこれはどんな人でもその良いものを求める感情があるという言い方をしてますけど、だから同じ分野を見つけるとだいたい盛り上がれるし、その盛り上がって話せることが、まあラポールの形成に役立つと。
で、パラレルトークをしないというのがありまして、ちょっとわかりにくいと思うんですけど。例えば、ゴリオさんが僕に、大阪に旅行行ってきたんですよって話し始めたそうじゃないですか。
だから、大阪って言ったら、大阪城がいいですよねって切り返すと、そのパラレルトークになるわけですね。つまり、相手の話を聞こうとせず、こっちの話に引き付けて返すと。
これもね、よくやるおっさんが多いんですけど、これは結局相手の話を聞いてないという姿勢を示すので、これは抑制した方がいいと。
で、コールアウトは避けるっていうテクニックもあって、これも結構あるんですけど、相手が例えば間違ったことを言ったりとか、そういう無順すっていることを言ったときに、それを急断するようなことをする。
言ったら、相手に恥をかかせるようなこともやめる。
コールアウトってそういう意味なんだ。
しかもこれ審判のあれじゃないですか、きっと。
本職ではコールアウトというか、別に相手をピピーって振り回して、「あなた間違ってます?」っていうような指摘は、やっぱり信頼関係を崩すことになるんで、そこはやめる。
言うとしてももっとやんわり、あるいは時期を見て言うっていうことが良い。
最後は礼儀正しくあることなんですけど、これはもう、今までの話から言うと当然、当然な話ですね。
心理的安全性を築き、パートナーシップを醸成した後に出てくるのが、この傾聴なんですね、傾聴。
話を聞くことなんですけど、まず話を聞かなければ相手を理解することができないし、相手を理解することができなければ、会話っていうのはもう存在しないものの等しい。
しかし、聞くことが非常に難しいと。
思い返してみると、僕たちは幼少の頃、話す練習はたくさんするじゃないですか。
むしろ話せ話せと背が回れるわけですけど、聞く練習って、つまり傾聴の練習ってほとんどしないんですね。
僕らは例えば学校で先生が一方的に喋ってるのを聞く練習をしますけど、あれ聞いてる先生なんですよね。
だから、別に日本のような内向的な人が多そうな社会であっても、聞く練習ってほとんどしない。
だから、聞くっていう技能が育ってないから、やっぱり聞けない。
だから、傾聴って、例えばビジネスショーで傾聴って大切ですねって言って、うんうんって思っても、じゃあ明日からできるようになるっていうところはできないわけですね。残念ながら。
だから、その人に能力がないというよりは技能がない。訓練してないからということで、少なくともこの手の開放性させるためには、まず傾聴っていうことが技能として習得される必要があると。
これも、数々のポッドキャストをこなしてるゴリコさんであれば、ほとんど当たり前の話でしょうけども。
大事なポイントが話を譲る。お互いが話し始めたら、まず相手に話してもらうようにする。
話す時は、相手の方向を見て話す。これもう、小学生に言うような話ですけど、でもね、しない人いるんですよ、これ本当に。
【迫田】聞くときですね。 【迫田】そう、聞くとき。聞くときに相手の方向を向いて、うんうんって聞く。で、話は遮らない。で、間を大切にする。
その沈黙があった時に、その沈黙が居心地が悪いからって言って、相手が何か考えて続き言おうとしても関わらず、喋ってしまうみたいなこともやめる。
で、テレビとかラジオとか、その会話に集中してるはずのその集中が途切れてしまうようなものは、できるだけなくすようにする。
で、少なくともその会話において、理解する責任は自分にあるとする。だから、「それって分かんないんですけど…。」とか意味不明みたいな言い方は、多分。
【迫田】あー、そうか。そういうのあるな。できない人。 【迫田】そうそうそう。一方的に遮断されてる感じがしますけど。
その話は、「よく分からなかったんですけど…。」っていうような感じで、少なくとも、理解する姿勢はこっちにあるから、もっとヒントをくれっていうような対応をすると。
で、例えば、話してる時に相手が何か感情的にしっくりきてないなっていうようなのを感じたら、それはどんな感情であろうかっていうことを理解するように努めると。
怒りなのか、行き通りなのか、不快感なのか。で、おそらく不快感だろうなと思ったら、その不快感はよく分かりますけどというふうに、自分が相手の気持ちをちゃんと理解してるよっていうことを伝えるっていうことをする。
で、仮に考え方してて、相手の話を聞いてなかったら、聞いてるふりするんじゃなくて、「すみません、ちょっと気が散ってました。もう一回言ってくれませんか?」みたいに素直に謝る。
自分が話し始めて、同時に話すか何かして、話が遮られたとして、相手が話し終わった後に、そのまま遮られた話をもう一回始めようとしない。
そうしてしまうと、その相手が話してたっていうことが、あたかもなかったようになってしまうんで、相手の話を受けた話を必ずするようにする。
で、もう10番なんかあれなんですけど、「スマートフォンはいじらない。」って書いてあるんですけど、もうこれが一つのルールとして示されるぐらい、僕らはたぶんスマートフォンを見ながら会話をするんでしょうけど。
それは当然にあってはいけない。で、「なるほど、わかります。」英語で言うと、「I have here。」っていうような言い方で、相手が話を聞いてることを示す。このようなこの11のポイントが、継承のポイントで。
これ、列挙すると別に普通なんですけど、やっぱり話を聞けない人は、これの半分ぐらいはできてない感じがしますね、なんとなく。
その、あれだな、一番思うのはその、「わからんを捨てる。」っていうイメージだな。聞いてくれない人。わからんからそれ以上聞こうとして、努力をしてくれないっていうか。
なんか、そうですね。だからこっちの話を音声としては聞いているんだけれども、やっぱり、ヒアーだけどリスンじゃないっていう感じ。
なるほどなるほど。そんな態度を取られたら、こっちもまあいいかってなっちゃうわけですから。話を聞くっていう立場をもしちゃんとしたかったら、理解しようと自分から務めるということが継承のポイント。
だからね、やっぱりこれはかなり難しくて、やっぱりカウンセラーの人がプロのカウンセラーであるということには、ちゃんと技能的裏付けがあるんだろうなとはちょっと思いますね。
やっぱりついついこっちから喋ったりとか、間が嫌やから埋めるように言うとか、相手の感情を理解しようとしないことも多いですね。
なんとなく漠然としたままで終わって、相手が怒っていることをむしろ無視して否定するように喋ってしまうことも結構あると思うんで。
この辺、注意点は結構。ここのポイントは、たぶんここを学ぶだけで、いわゆる会話上手、聞き上手にたぶんなれるんじゃないかなと思いますね。
5つ目がね、これ伝令はむしろ打てってちょっと長いフレーズなんですけど、これもともとは伝令は打つべからずということわざがありまして、悪い知らせを持ってきた人間を罵してはならないという意味なんですね。
【河村】あー、はいはい。なんか漫画っていうかそういうので、大変ですっていう、ああいうやつね。 【迫田】そうそう。そうです。逆のフレーズで伝令はむしろ打てということなんですけど、伝令って英語でちゃんと何というかは知りますけど、メッセンジャーなわけですね。
メッセージを伝えようとする人。で、イメージしてもらうと分かるんですけど、メッセージを持ってきて伝える人って、何かを一方的に言って終わるじゃないですか。その伝令的イメージ。
で、当然伝令だからメッセージだけ言うだけで雑談とかしないわけじゃないですか。だから伝令とはね、ラポールも気づかないわけなんですよね。 【迫田】そうです。かつて、信証を送る手段がそれしかなかったから伝令だったんですよね。
これもね、本当によく話しちゃうんやけど、自分と全然違う考え方の人を見ると、その人がだいたい無知か狂ってるか邪悪だと思ってしまうっていうふうに書かれてるんですけど。
邪悪までは行かなくても、でもね、無知か狂ってるに近い印象を持つことは確かにあるんですよ。これね、人間の第一、一番最初の反応なんでしょうね、きっとね。
なんか間違ってる感じがするんですね。でも、どう考えてもそんなわけはなくて、それぞれの人は自分が知っている情報の中で最前的な選択をしているはずという認識、前提に立ち返ることができれば、もうちょっとマシな認識に思ってるんですけど。
最初の印象やと、無知とか狂ってるとか邪悪だと思ってしまうと。そう思ってしまうと、もう次の瞬間から自分が相手の話をまともに聞けなくなるんですよ。だって、間違ってるからっていうふうになってしまう。
――アホな人の話なんて聞けるかってなるんでしょうね。 ――聞けないっていう。こうなったら、もう自分から門を閉ざしてしまうわけですから。少なくとも人々は、それぞれの人にとって良いと思うことを望んでいるし、そのための理解もしているし、情報を持っていると。
ただ、その前提と情報とか、得てきた経験が違うから、異なる信念を持っているんだと。そう思えたら、じゃあその信念はどうやって形成されたのかに、好奇心を持つことがおそらくできるだろうと。だからこの意図を落としめない。相手の意図を落としめて取らない。あるいは、捉えてしまったら、いやそうじゃないんだよと自分の中で切り替えられるようになるというのが、この6番意図のOCですね。
たぶんね、ここが一番難しいかもしれないですね。僕が思うに。で、これができたら他は全部できると思うんですけど。一応補足として、善をなす意図があるとは想定しますけど、嵐とかサイコパスは例外と書かれてて、これ結構重要やなと思いますね。
番人がそうではない。で、インターネットも確かに、ただ荒らすことしか意図してない人がいるし、そういう人との会話っていうのはもう始めから望まなくてもOKやと。サイコパスは見極めが難しいんですけど、ああ無理そうやなと思ったらそれは普通に逃げてよろしいということが書かれていて、ここら辺が微言的というよりは非常にプラクティックなOCやなと思いますね。
サイコパスなんてなぁ。わからんというか、まぁわからんだもんなぁ。 一見すると多分わからないけど、なんか二言三言喋ってると、「ん?」っていう感じがする人たち。
で、それはもうなんか度胸が違うから、今まで言ってきたようなテクニックを駆使しても多分意味がないし、こっちがただ傷つくだけなので、それはやめた方がいいというような話があります。
これをどのようにして見極めるかはまた別の課題としてあるわけですけど、何が何でも会話を成立させろという教えではないというのは一応頭に留めておいてください。
で、最後なんですけど、これがね、引き際を見極めることということで、会話っていうのはどっかで必ず終わるわけですけど、どういうタイミングで切り上げるのかを知っておくと会話もやりやすいだろうと。
で、切り上げっていう表現から、引き際とか切り上げっていう表現すると、なんかネガティブな状況でやめるというようなニュアンスもあると思うんですけど、実はね、会話がうまくいっている時でもそのタイミングがあるというのが本職の面白いところで。
一番わかりやすいのは、さっき言った切り上げですけど、話をしてる相手が苦痛を感じてると、この会話を続けるのはもっと心理的にしんどいみたいな時になったら、それは即座にやめる。
その状況で、もっと会話を続けようとすると、結局さっき言ったコンフォートな感じが崩れてしまうんで、これはもう良くない。
で、お互いにこれ以上発展的な議論ができない、同じ証拠の繰り返しを述べてるだけになった時も、これもやっぱりやめる。
そういう時に、なんとか修復しようとしたり、一回ゼロから考えましょうかっていうんじゃなくて、そこはもう一旦今日はここまでにしましょうって言って平和的に別れるのが吉だろうと。
この第2章の中で僕が一番関心をしたのは、考えが変わるのには時間が必要と。考えが変わるのはゆっくりで、しかもその人の心理的状況とか習慣によって変わると。
陰謀論の話なんですけど。若い大学生が陰謀論に巻き込まれていくみたいなのが、とりあえず1巻と2巻の話なんですけど。陰謀論の手口もね、やっぱりね、なんかヒントを与えて、日常にそれを発見させる感じなんですよね。
あー、自分が気づいたってさせるんだ。 そうそうそうそう。だから、数字のロックロックロックは危ないってことだけ言うわけですよ。
日常でロックロックロック見つけたら、「あー、これがそういうことだったんだ!」みたいな発見をして、自分で発見をしたら、もうそれを捨てることができないということがあって。
これは悪い利用方法ですけど、結局それは良いか悪いか相当あれですけど。
自分が良い考え方を相手に伝えようとしている時も、やっぱりメッセンジャー的に説得するんじゃなくて、相手に疑問を持ってもらって、持ってもらったそこから何を発見するかは相手に任せるっていうやり方の方が、実は一番ラディカルなラインで変化するのはそのラインで。
表面的に、例えば瞬間的に説得して、「はい、そうですね。」って相手が受け答えたとしても、3日後には結局モト君に戻っているってことがありますし、たぶん強く訴えかければ訴えかけるほど、表面的な反応になってしまうと思うので、この予熱で火を通す作戦っていうのは、かなり役立つんじゃないかなと思いますね。
これは何かを教える時にも、やっぱ上手く考えたい話ですね。そうやって気づいたように思えるようにする。
ヒントだけ提示して、相手が自分の日常とか実践の中で、はって気づいたものは、たぶんずっと忘れない。Appleも取説書かないですけど、たまたまやって間違った操作で操作波を発見したら、それってあたかも自分が見つけた裏技のように大切にしますし。
そういう発見的な余地によって、学習より強固にするっていうのは、相手の信念っていうものに作用させる上で結構重要なノウハウかなとはちょっと思いますね。
というわけで、かなりざっと。2章だけでこの内容で、2章以降どんどん難しく。今回は本当に触りというか、基礎的な会話の成り立たせ方なので、ご了承さんはたぶん全部はほぼ当たり前に思われると思いますけど。
まあね、でもね、日常でここまで傾聴のスキルを持ってる人に出会う確率は低いので、やっぱり聞く訓練はされてないなと思うんで。話を聞く人には良い情報が集まるという法則もあるので、これは実際的にも身につけておいて良いんではないかなと個人的に思いますね。
この聞こうという環境というか、聞いてお互いが話せて聞ける時間を確保するのって結構難しいんじゃないかなっていうことを思ったりするんですけど。間違いなくそうですね。本社もこういう手羽を払うのに値するものだけの話と区切ってますね。
全ての会話にこれを適用せよっていう話じゃなくて、自分にとって大切なものの話題に関してはここまでセッティングした方がいいよというようなことですね、これは。
たとえばなんですけど、ツイッターでのやり取りにこんな努力をすることの方が無駄なことが多いような気はするし。
で、突然通りかかったリプライとかで、RTとかで流れてきた人にそう言うのはそうですけど。でも、いくつかの実践は、普段よくリプライしてる人とちょっと込み入った話をするときには多分有効だと思いますよ。
ああ、そういうのはありますね。 だから、日常的会話のスキルというよりは、あんまり避けたくない込み入った話をするときに役立つ方法という感じかな。
自分の場合の使う場面というのが、今の生活環境だとあんまりないよなっていう気がして。
まあ、ここまでフルで発揮することはないかもしれないですけど。でも、家族の話し合いで自分の考えを相手に説得しようとするのは、どちらにしてもやめた方がいい感じはしますね。そんなことは言われるまでもないと思いますけども。
そうですね。身近な話で言うと、やっぱりそこが一番でかいかな。いわゆる思ったのが、多分職場の距離感が一番役に立つことが多そうな気がして。
自らが付き合いたいと願った相手ではないんだけれども、ある程度うまいことやっていかないといけない。
いけないっていう時には確かに使いそうですね。家族でも人生に関わる大きな問題。例えば転職するとか引っ越しするとかっていう時に、相手に自分の考えを一方的に押し付けて、メッセンジャーモードになると話はこじれてくるし。
そうですね。いきなり仕事を辞めることにしたらダメですよね。
しかもその時に、これこれこういう意義があって、こうだから辞めるべきだと。みたいな感じでメッセンジャーになると、相手は反発するか反発しないにしても、
内面で不満をくすぶったまま結婚生活を送って、何年か後にみたいなことになりかねないわけですから。
やっぱり天気を聞くとかいう会話じゃなくて、ある価値観に関わる会話をする時は、こういう意識を持って臨んだ方が、最終的にはハッピーな結末になりそうだなとは思います。
そうか。そういうので言うと、はるなさんが聞き上手って言うとあれなんだけど、日常で毎週、ある程度話すことをしていてっていう。
まあそういう意味で、あれなのかな。自分の場合で、ある程度できているみたいな感覚があるから、想像する場面がなかなか出てこないのかな。
特別困ってることがないというのは思う。で、僕から見るとだいたいゴルゴさん普通に全部できてると思うから、まあゴルゴさんに対してアピールするわけじゃないけど。
いやでも本当にね、おっさんが多いけど、これ、デキ禁止と。なんか知らんけど。おっさんが多いけど。とりあえずね、これ、めっちゃ損してるよなと、肌から見て思うんで。
SNSの会話だけじゃなくて、日常的な会話でも、こういう聞く技術を持ってない人が、聞く技術1とか2を身につけるだけでも結構変わると思うんで。
このニコの本、ちょっとネタ気味ではあるけども、心理的なものも書かれていますし、講者も非常に実践的プラクティカルな話が山ほどあるんで、よろしければ読んでもらえたらなと思います。
そうですね。あと自分の場合で言うと、思いついたのが、町内会で何かをやっていくときにどうすればいいのか。
難しそうやね。
で、それを想像しながら聞いてたんですよ。そうするとやっぱ難しいのが、例えばやっぱり切り上げられないんですよね。
そうやね。
切り上げたら来月になってしまうので、その集まりみたいなやつが。
とか、複数人に同時にっていうことに多分なると思うので、そこがやっぱりむずいよね。1対1で職場の同僚になら使えそうなんだけど。
そうやね。だからその、職場で言う得た町内会の発言権を持ってる人に対して特別にアプローチするっていう場を設定しないと難しいよね、このテクニック。
そうそう。で、向こうも別にやりたくてやってる人なんて今の時代ほとんどいないので、話を聞くのすらめんどくさいんですよね、向こうも。
まあでも、例えば、相手がめんどくさいこととか間違ったことを言ってたと思っても、意図を悪意に捉えないみたいな方針は、全般的に役立ちそうやと思うけどね。
それはデカいですね。あと、考えが明らかに違う人っていうのは、たぶんいっぱいいると思うので、そこには。
だからやっぱり、そうやって相手が間違ってるとかバカだという態度を自分が取ると、結局どんどん自分の風当たりも終わってくるわけで。
説得する以前に、やっぱり話の聞き方みたいな、ベースラインとして、相手を大切に思うパートナーとして取り扱うっていうことは、全体的に、全般的に役立ちそうですね。
ですね、はい。ということで、こんな感じで、BookCatalystは番組を支援していただけるサポーターも募集しておりますので、
AfterTalkとかEarly Accessとかあるのかな。そういうのが気になる方、Podcast概要欄をご覧いただければと思います。
それでは今回も聞きいただきありがとうございました。 ありがとうございまーす。