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ポッドキャストのアイコンにもなっている本物のイケメン!!岩見コーチの登場です!

テニスの名門柳川高校を経て中央大学テニス部へテニスエリートが選んだ【テニスの道】若きイケメンコーチが内に秘める、テニスへの想い、レッスンへの想いを語ります。

出身は鳥取県で幼いころはサッカーをやっていた。テニスは最初好きではなかったが、母親の勧めでテニスをすることに。。。
入ったテニススクールのコーチが親身になって教えてくれたから、成長できた。その想いを忘れず、テニスの仕事に直向きになっている実は熱い男のお話。





00:02
五代スポーツポッドキャスト、すぽきゃす。
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
五代グループの提供でお届けいたします。
はい、それでは本日は亀戸支店、岩見コーチです。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
なんかテンション低いけど大丈夫ですか?
はい、大丈夫です。テンション上がってます。
元々上がらないタイプだもんね。
そうですね、あんま表面に出づらいかな。
表面に出づらい。それは小さい頃からそうなの?
そうですね。出づらいかなと。なんか小さい頃の方が出てた気がする。
出た気がする。でもあれでしょ、さすがにカラオケとか行くと
出ます。
テンション上がるんでしょ?
上がります。
なんかすごいよね、普段の。正直仕事をしてる時、スイッチオフにしてるでしょ?
テニスコートに入るまでは、テニスコートに入ったら結構入れてるつもりだもん。
入れてるつもりだもん、ほんと。
俺3面とか4面見てて、岩見がいるって気づくの15分くらいかかった。
え、ほんとですか?
結構岩見頑張ってるっていう。
嘘ですよ、嘘ですよ。
ありがとうございます。
こんなところで話すのもなんなんですけど、4視点で継続率ナンバーワンを取ったよね、この前。
97%くらいでしょ、お前、継続率。お客様クラス継続率97%くらい取ったんじゃないの?
噂で聞いたけど。
一番っていうふうには聞いてないですけど、結構高い。
いや、高い。トップじゃないの。トップかどうかわかんないけど、
もう全体的に言うと、まさきコーチに匹敵するくらい、津田コーチに匹敵するくらいのあれなんじゃないの?
津田コーチたちはちょっとしたくらいで。
自分ではちょっと信じられないんですけど。
いや、それはね、やっぱりスイッチをオフにしてたから。
いやいや、なんかね、すごい成長位置づるし、今言えなかったけどね、位置づるし。
位置づるしくね、言葉が合ってるかどうかわかりませんけど。
ポッドキャストっていうところでですね、岩見とこんな話をするのが、まさかね、こんな日が来るとは想像もしなかったですよね。
そうです。ちょっと緊張してます。
緊張してる?何に緊張してるの?このポッドキャストに緊張してるの?それとも俺に緊張してるの?
いや、両方…いや、伊沢樹さんの方にちょっと…
今言わされたよね、簡単に。
伊沢樹さんとも久しぶりなんで。
久しぶりだよね。
今何年目になった?入社して。
5年目になります。
もうそんな経った?
岩見ってさ、今いくつになったの?
27歳です。
03:05
岩見ってさ、世代で言うと申し訳ないけど西堀世代よりも下なの?
そうですね。西堀選手の方が多分僕の2つ上とか。
そうなんだ、それよりも若いんだ。
このポッドキャスト、なんと岩見コーチがポッドキャストのアイコンになってるんですけど。
そうなんですよ。
知ってた?
俺が勝手に使ったんだけど。
気づいたらなってるなっていうと。
報告も許可もなしにね。
結構ある。
結構あるよね。結構いろんなところで使われてるよね。
なんか岩見コーチいたよみたいな。お客さんに言われて気づくみたいな。
そうなんだよね。
著作権もクソもないよね。
プライバシーもない。
プライバシーは関係ないから。
使われるっていうことは、ビジュアルがいいっていうことなんで。
それはね、自打共に認めるっていうところあるでしょ?
それで売っていってる感じは、言い聞かして。
言い聞かして?
俺はこれでキャラクターで売ってるんだと。
なるほど。
ホームページもバラくわえたりしてるもんね。
あれ面白かった。
なんかないかなと思ったらバラがあったんで、ちょっと加えてやっちゃいました。
なるほど。
LINEスタンプでもバラくわえてる岩見コーチがいるよね。
ダウンロードされてるのかされてないのか、今回はもうね。
カウントは僕はしてないですけど。
あのー、ポッドキャストでアイコンの方が変わるってことは、
岩見コーチとしてはね、なんで俺が40何回目なんだっていうね。
第1位は俺だろうっていうことをカメイドで言っていたっていうのが
俺の耳には届いてる。
あ、本当ですか。いつかなと思って。
いつかなと思ってね。
文句言ってたの?
いや文句というか、いつかなって。
ちょっとこわこわ。
ちょっと俺、いつ食うかって。
いつかなって。
いつかなって。
ちょっと俺、いつ食うのかなって。そのうち来るんじゃねえかと思って。
なるほど。
まあ、ということですね。
とうとう岩見コーチの回が来ましたけれども。
なんと岩見コーチ、ポッドキャストを聞いたことがないというですね。
これだけもうポッドキャストをみんなで40何人もやっている中で、
今日まさかポッドキャスト前から撮るぞという話を言っていたにもかかわらず。
そうなんですよね。
そうなんですよね。
聞こうとはさ。
いやそれはね、僕慣れてるんで。
岩見コーチだけじゃないんですよ。
もうポッドキャストこれ何なのこれっていう社員がすごい多いっていうですね。
06:02
まあでもなかなかポッドキャスト自体がまだ普及してないっていうところもあるんだけれども。
これを機にね、自分のビジュアルだけじゃなく美声も。
声もちょっと。
聞いていただいて。
ということでですね、岩見コーチのバックボーン的なところを探っていこうかと思ったんですが。
ご出身はどちらですか。
出身は鳥取県です。鳥取県鳥取市で。
鳥取県鳥取市。
27歳。
はい、27歳です。
27年前に鳥取県で生まれて鳥取市で育ち。
鳥取市で育ち。
小さい頃はスポーツって何やってたの。
小さい頃は、小学生になってもサッカーをずっと自分がしたいなと思ってずっとサッカーをしてて。
5年生くらいまでやってたんですけども。
陸上もすいません、やってました。陸上もやってて。
そしたら母親がテニスやらないみたいな感じで行ってきて。
僕はあんまり好きじゃなかったというか、初めてからそんなにっていう感じだったんですけど。
親的にはサッカーよりテニスをやらせたかったのかなみたいな。
それはなんで?お母さんがテニスやってるって言われちゃったの?
高校生の時にテニスをやってたっていう話は聞いたんですけど、公式はやってないみたいで。
ご両親とも?
父親は全然違う。
水泳とか野球とか。
テニスをやらせたかったんだ。
やらせたかったと聞いてないんですけど、テニスの方がすごい推してきて。
テニスの方がいいよって。
そんな感じです。サッカーじゃなくてテニスみたいな感じで僕は感じ取っただけかもしれないんですけど。
洗濯が嫌だったのかな?
泥沢みたいなのが嫌だったのか、団体だからなのか、理由は今でも聞いてないんですけど。
そうなんだ。
そこから中学からサッカー辞めて、そこからずっとテニスをやってる感じですね。
テニスを小学校6年生まではサッカー?
5年生まではサッカードリクジョンやってて、5年生からテニスも始めて、3つ全部6年生までやってて。
中学校からは部活に入るかどうか、サッカー部とかに入るかどうかってなって、テニス一本にしようってなって。
部活はなかったのでテニスクラブ、外の部活じゃないのでテニス一本にしてっていう感じで。
09:06
そこはお家の近くにテニススクール、クラブがあった?
そうですね、車で20分くらいだったんですけど、近くにあったので。
最初はテニス普及みたいな、がっつり試合に出たりとかではないんですけど、
テニスを普及、ちょっと楽しみましょうみたいな感じのとこに入って。
ちょっと試合に出たら、1回優勝できまして。
いつ?
初めて1年くらいで、そんなに大きい大会とかじゃないんですけど、優勝して。
ちゃんとした育成というか、スクールに入ってみようかみたいな、多分親となって。
それで、育成みたいな、試合とかにも一緒についてきてくれるようなスクールに。
初めて1年で大会優勝するってすごいね。
そうですね。
サッカーやってたり、陸上やってたりっていうところもあると思うんだけど、
それにしても、どんな大会であれ、初めてね。
出場者数が2人とかじゃない?
いや、もうちょっといましたね。
ちっちゃいのが16人とか、その初めとかそんなのだった気もするんですけど、
優勝できちゃったので。
やっぱりそこでモチベーションがグッと上がっていった記憶はある?
そうですね。僕のモチベーションもなんですけど、多分親のモチベーションもちょっと。
親のモチベーションとかね。
生きるんじゃないかみたいな、多分あって。
それに乗っかった感じ。
そしたら中学3年間はスクールに通って、
育成チームがあるところに入った。
なんていうとこだったの?
UポートTCっていう。
固定の場所があるところじゃなくて、いろんなところを借りて、
そこにコーチも行って、レッスンをしてみたいな。
そう、なんか拠点を持ってるわけじゃないんだね。
そこでコートを使って、
じゃあ今日はここだよとか、今日はここだよってみたいな。
そうです。
そういうスタイルもあるんだね。
レッスンもあるんですけど、
レッスン以外も他のコートで練習してたら勝手に来てくれたり、
お金を払ってるわけじゃないんですけど、
勝手に来てくれて見てくれたりとか、
すごい親民だというか、いいコーチ。
12:01
そこで結構成長できたかなっていう。
今でもあるの?
あります。
ちょっとあまり顔出せてないんですけど、
今でも会ってやってるみたいなんです。
同じコーチがその時と?
一人はテニスショップをやりだして、
2人でやってるんじゃないかなと思うんですけど、
あと3人で。
じゃあその時はまだコーチたちも若かっただろうし、
20代だったのかな、30代だったのかな。
多分30代前半とかそれぐらいだったんじゃないかなと思うんですけど。
それは素晴らしい環境だったんだね。
そうですね、環境は本当に良かったと思います。
そのコーチたちのモチベーションがなければ、
なかなか育成とかそういったところっていうのは、
外で練習しててコーチ来てくれるっていうのはなかなかないよね。
でも顔を出さないっていう不義をコーチはしてるわけ。
顔を出そうと思いつつ、
一回出さなくなるとタイミングを許してない。
何年くらい行ってないの?
大学卒業してからは行ってないんじゃないかな。
じゃあもう5、6年かかったんじゃない?
そうですね。ちょこちょこ電話をもらったりして、
ちょっとコミュニケーションをとってるんですけど、
国民体育大学の予選とかに出ないかみたいな感じで、
結構誘ってもらえたりとかして。
学生時代に?
社会人になってから。
国体鳥取の?
結局日程とかがイベントに重なったりして、
結局出れてないんですけど。
そうなの?
今まだ声かかったりするの?
一応今年も電話をもらって、
出ないかって言われたんですけど、
ちょうどその時もイベントが被ってたので。
そうなの?
なんで出ないの?
社会人になって最初の方は、
ちょっとこう、きついなという、
自分の体的にもっていうところで、
ちょっと試合に出るのはちょっときついかなと。
気持ちがちょっといかなかった?
そうですね。
最近はどう?
最近は東京都の試合とか、
区の大会とかにも出て、
出れる余裕というかが出てきたので、
今年は本当に手が合えば、
出れたらいいなというか思ったんですけど、
15:01
本当にちょうど被っちゃって、
っていう感じで。
そうなんだ。
じゃあこれを機に国体に出ましょう。
はい、出ますか。
国体に出た方がいいね。
俺は毎年神奈川県の…
出てるんですか?
俺は出ないけど、
トーンに選手としては終わってますから、
監督としてね、
いつもね。
今年も行きますけど国体に。
見ました。
見た?
そうなんですよ。
ですんで、
ぜひそれはね、
ここで決意を。
はい、じゃあ国体に出ます。
出ます。
じゃあ、井上コーチ国体に出ます。
ここで宣言しちゃったんで、
これからもトレーニングを頑張って、
じゃあ教員賞でっていうことで。
そういうつながりがあって、
テニスの方にお母さんの
そういった推しも強くて、
当時井上少年は
テニスにのめり込んで
自然に行ったわけなんだけど、
その中学校3年間、
UポートTCで
恵まれたコーチの環境の中でやって、
その後、
またテニスをずっと続けていったわけだけれども、
その先の進路はどうしたんですか?
その先は、
中学校の時に
テニスで中国大会とかで優勝したりとか、
一応全国大会にも出たりして、
伸びてったんだね。
そうですね。
本当にテニスばっかりやってて、
それで結果が少し出て、
ちょっと声をかけていただいて、
柳川高校の方に。
柳川高校に行っちゃったんだ。
そうなんです。
行っちゃって。
なるほど。
九州の福岡へ。
福岡へちゃんと行きまして、
そこで結構厳しい環境だったんですけど、
やるしかないという環境で。
もっとテニスをやるしかない環境だよね。
そうですね。
中学校の時もすごい結構やってたんですけど、
それ以上に柳川ではやるしかないという環境で。
そうだよね。
中学の時に全国大会まで出れるようになって、
結果残して、
それでスカウトされたわけでしょ、柳川に。
それで柳川にはもう柳川しかないなと思ったんですよ。
柳川と長尾谷高校っていう。
長尾谷高校。
18:00
多分結構強かったと思います。
長尾谷と、
あとは関東の方は、
足利とかそこら辺にちょこちょこと声をかけていただいて、
長尾谷と柳川でちょっと迷ったんですけど、
やっぱり伝統があるじゃないですか、長尾谷高校の方が。
自分も知ってたので、
そっちの方がいいかなと。
いいかなと。
ふわっとした感じなんですけど、
それで長尾がかなと思ってそこに決めました。
そこから鳥取を出るわけなんだよね。
そうですね。
どうだった?柳川高校のその3年間って。
今から思うと。
正直に言うと地獄だったかなって。
みんな言うよね。
100%言うよね。
本当に。
もう一回やれって言われたらちょっと無理だろうなっていう。
その時だからそこに来られた。
何が地獄だった?
今一番地獄だったな、辛かったなっていう。
やっぱり1年生の時の仕事っていうんですかね。
1年生はボール拾いだったり、コート掃除、寮の掃除とか色々あるんですけど、
そういうのと上下関係、先輩が。
中学生の時ってあんまないもんね。
そうですね。全然上下関係とかもなかったので、
ちょっと仲良いかなと思ってた先輩とかに、
軽はずみに溜め口が出ちゃったりした時も、
ミーティングとかですごい怒られてて。
そんな感じで、ちょっと気を抜けないように。
ある意味、社会を知る掛けになったっていうところなんだよね。
あのギャップってすごいよね。
あんまりない、そういうラフな環境にいたわけじゃん。
上下関係とかあんまりよく分かってなくてさ、
縦社会とかもよく分かんなくてさ、
いわゆる社会の流れが分からないテニスをやってたわけじゃん。
そこからさ、いわゆるすごいモサたちが、
そしてガチガチの体育会議の世界に入るわけじゃん。
その時のギャップっていうか、その時のメンタルの状況ってさ、
あれはすごいよね。
いや、すごかったです。
最初入って、入った時はそのままの感じで、
中学校の頃の感じで、
その時、試合の態度とかもそんなに良くなくて、
そのまま入ってからすぐに試合とかがあって、
先輩とかと試合をしたんですけど、
やっぱり態度が悪かったみたいで、
すごい占められて、
21:01
そこら辺で改めました。
なるほどね。
そこでやっぱりね、いろんなものを学ぶよね。
だから、意外とやっぱりなって思うのはさ、
自分の中では、
意外とやっぱりなって思うのはさ、
辛かったっていうことが何かって言ったらさ、
テニスのとトレーニングとかそれじゃないんだよね。
違うんだよね。
そこは体力的に鬼のように辛いんだけど、
そこは何ともないんだよね。
テニスやってたほうが、まだコートでしごかれたほうが楽なんだよね。
まだそっちのほうが良いですね。
生活がそっちのほうが良かったです。
そうだよね。
だから精神的な部分でものすごく鍛えられたんだね。
そうですね。
何回も辞めようと思いました。
何回も辞めようと思った?
だんだん声が小さくなってきた。
どこまで話していいのかなみたいな。
いやいや、だってもうそんなのは、
柳穴川って言ったら、
すごいそういったところでね、
だからこそ上昇軍団でいられてるっていうところもあり、
全国制覇ができる高校として名門っていうね、
もうだってすごい歴史だもんね。
柳穴川高校って。
やっぱりそれは、いろいろとやり方とかね、
もしかしたら賛否両論ね、
いやきついんじゃないかとか厳しいんじゃないかってあるかもしれないけど、
それは一つのあり方であって、
みんな今、県に岩見も立派にね、
立派かどうかちょっと分からないけど、
でもそういうことを学ばせてもらって、
僕も数年前に柳穴川高校に行くことがあって、
監督さんとね、
本田監督だったでしょ?
そうです。
すごい本田監督向こう行った時によくしてもらって、
俺がインターハイ出た時も、
俺も残念ながら柳穴川にインターハイで2回、
負けてるのかな、ベスト8かどっかで団体戦で柳穴川に当たって、
その時本田監督だったね。
ちょうど変わった時くらいだったのかな、本田先生に。
すごい10年ぶり以上にお会いして、
向こうでいろんなところを車で連れてってもらったりしたんだけど、
うちの後代スポーツアカデミーってさ、
高知学校の子がこういったことをやってるんですっていう話をね、
九州に出張に行った時に寄らせてもらって、
10年ぶり以上にかな、
10年もって言おうか、お話しさせてもらったんだけど、
のどかな場所で、
そうですよね、何もない人に会って、
何もないからこれはテニスするしかないなっていうね。
24:03
そうですよね、やることがなかった気がします。
なんかね、岩見が育った理由がわかったよね。
本当にそうですよね。
そう、なんかそういうところだよね。
はい。
その後3年間やって、
岩見の時代はどうだったの?3年間。
僕が1年生の時は、
あれ?優勝?
ちょっと記憶があれなんですけども、
優勝した気がするんですけど、
片山さんが。
片山翔くんがいれば優勝するだろうな。
確かにいて、長穂谷と決勝やったんじゃないかと思うんですけど、
でも僕は補欠だったんですけど。
その時は補欠だったんだ。
で、応援をしてて。
その時自分出てなかったのか。
そうです。
で、2年生の時も、結構上まで行ったと思うんですけど、
自分はその時もギリギリ出れず、
補欠で、
2年生の時は、
2年生の時は、
2年生の時は、
ギリギリ出れず、
補欠で、
メンバーには入ってなくて。
で、3年生の時に、
一応一番って登録で出たんですけど、
九州大会まで、
九州大会でも優勝はしたんですけど、
ちょっとこう、
事件というか、
があって、
事態を、
あ、違うな。
すいません、選抜です。
事態した。
それも一番登録で出て、
中国大会、
九州大会まで行ったんですけど、
全国は事態して。
そうです。
事態して。
事件があったの?
そうですね。結構。
学校的に?
部活。
部活内で。
それでちょっと出場、
事態を。
自粛したんだ。
そんな時があったね。
ちょうどその時で。
じゃ、全抜出れなかったの?
そうなんです。
結構いいとこまで行けるんじゃないかって、
結構いいメンバーな感じだったんですけど。
俺、選抜の上で柳川に負けたんですよ。
思い出した、今お前のせいで。
あ、そうなんですか。
選抜も柳川に負けて、
ギンター杯も柳川に負けたのかな。
柳川に負けたのかな。
そう。
だんだんムカついてきたもん。
そうそう。
ギンター杯は一応出て、
ギンター杯は全国まで出たんですけど、
27:01
奉勢2校に2回戦でやられて。
あのね、今見の時代って奉勢2校強かったよ。
なんかこう、ダブルスも強いって言われたんですけど、
シングルスの1番の人も結構、
エリートとかに入ったのかな。
結構強かったみたいな。
あのね、強い子いたよ。
全日本に出るくらいの子もいたもん。
いた気がした。
いたいた。
で、そうなんですよ、負けちゃって。
結局、すごい良い成績は残せなかったんですけど。
ちょっと時代が痛かったね。
そうですね。
もしかしたらそこ取れたかもしれないな。
そうですね。なんかこう、突出して強い人はいなかったと思うんですけど、
結構全体的に同じくらいのレベルで。
ああ、そういう時があったんだ。
その均等の時の団体戦ってめちゃくちゃ強いんだよ。
そうですよね。
エースに頼ってるとね、そのエース負けた時に流れがガタンと来る時あるから。
うん。全体的に強かったんですよ。
ああ、そうなんだ。
それはもう、自分のせいじゃなくて、学校のせいにしたっていう。
まあ、そうです。自分のせいじゃないかなっていうのはあるんですけど。
そうだよね。
それもね、でも団体生活の中でね、いい経験したんだね。
はい。
なかなかできないからね。
いわゆる、こうしてもよくね、時代っていうのがあるけれども。
そうですね。
あれはもう、言葉にできない悔しさだよね。
そうですね。
悔しかったです。
なるほど。そんな悔しい時を経て、次の進路を。
はい。
誘導尋問で申し訳ないんだけど、次はどうされたんですか?
次は、えっと、中央大学に。
中大に行ったきっかけって何だったの?
えっと、中大に行ったきっかけは、
スポーツ衛戦で行ったんですけども、
声がかかったのは、関西方面の方が結構ほぼだったんですよ。
近代だったり、寒代だったり。
だったんですけど、中央大学の方はそこまで多分声を、
ちょっとこう、監督と会ったぐらいだったと思うんですけど。
でも、なんとなく自分の中で関東の方がテニスが強いイメージがあって、
そっちの方に見置いた方がいいのかなとか、
あとは楽しそうだなっていうのが。
どちらかというとそっちでしょ?
そうですね。正直ちょっと関東の方が。
ちょっと憧れたんだ。
はい。ちょっと関東デビューをしたいなっていうので。
ずっと西だったからね、こうやってね。
30:00
そうですね。
なんか行きたいなと思ったのと、
あとは正直柳川の時が結構ガッチガチの部活で。
で、中央大学はちょっと噂で聞いた、今は多分違うと思うんですけど、
ちょっとこう、若干遊びが活発というか。
そういう噂だった。
噂を聞いてたので、これはいいんじゃないかと。
なるほど。締め締めと。
締め締めと思って。
テニスもやろうと思ってたんですけど、
両方楽しめるならいいんじゃないかと思って、中央大学に。
なるほどね。
そこで僕とは年齢が違うので被ってませんが、
僕の後輩になっちゃったわけですね。
そうですね。
中大の、参っちゃったねそこでね。
運命ですね。
運命ですね。
語弊がないように、遊ぶ大学では別にないので、中央大学というのは。
ただものすごく実習性に任せてくれる練習も自分次第で。
もちろん練習しない環境では全くないからね。
インターファイト、インカレー優勝する選手が、
インカレーに1から6までみんな出るでしょ、今の子たちって。
みたいですね。
だからすごい強い中央大学が今また出てきてるっていうところで、
そういった環境がね、気持ちわかるよね。
ずっとテニス付けでやってきてっていうところで、
この社会人目前にした4年間っていうところでね、
またそのところっていうのはなかなかストイックになってきちゃうから、
いろんなことをせっかく関東に出てくるんだったらっていうところでね、
それで中大を選ぶ、そういう理由で選ぶ人が多いよね。
中大をね。
多分結構みんなそうなんじゃないか。
でもね、俺も4年間中央大学にいてよかったなって思うよね。
いろんな大学と迷ったけど、やっぱりそういうね、自分で考えて、
そこで考えられるよね。
ここまでちょっと垂るんじゃまずいなっていうところがね、あるよね。
はい、ありましたね。
すごいなんか自分で考えて。
考えてね。
追い込むところとか。
ちゃんとインカレ出た?
そうですね、1年生の時から一応出れっていう。
そうですね、ドロもちょっとよかったのかなっていう気もするんですけど、
その予選で強かったんですけど、
33:05
就職活動で全然、強いんですけど就職活動で全然点数してない人と当たって。
で、勝って。
で、本選に行って、本選は1回戦で同じ大学の1年生と川崎光と当たって。
で、相性が良くて、練習試合でも全然負けなくて勝って、
それでインカレをもぎ取ったというか。
予選って何?春巻のこと?
春巻の予選で。
強いのと当たって。
そうですね、でも就活でその人はやってなくて。で、勝って。
で、本選が春巻ですね。春巻で同期の1年生と当たって。
で、その時は1個勝てばインカレ。
1個勝てばインカレみたいな時で。
で、そこからは2回戦で負けちゃったんですけど、そこからは1個でも勝てば。
負けたらどんどん次に。1個でも勝てば行けるみたいな感じで1個勝って。
でも1年生から4年生まで4年間ちゃんとインカレで行けたの?
3年生の時だけ行けなかったです。
ちょっとたるんだんでそこで。
そうですね、一番たるんでた。
少し抜かったんでそこで。
抜かれました。ちょっとこう、行けるだろうなっていう気持ちはあって。
そうですね、そこまで追い込まなかったのかな。
でも4年の時にもう1回気を引き締めたの?最後。
そうです。インカレには行きたいなっていう、なんとなく自分の中でそこまではやっぱり。
最低限のところ?
最低限、そうですね。行かないとっていうのがあって。
これを聞いてくださってる岩見コーチのお客様、春館って言われてもわからないかもしれないけどね。
春の関東学生というのがあって、今もあるんですけど、インカレっていうのは全日本学生選手権というのね。
学生はそこにまず出れるのが全国の128人しか出れないんで、そこを各地方選手権を経てそこから128人に選ばれるわけなんですよね、全国のね。
でも出るのもすごい難しいからね。大変だからね。
大学になるとね、岩見コーチもそうですけど、小さい頃からテニスをやり続けたMOSAたちがね、集うところが関東学生になって、
インカレになるとさらにね、インカレのベスト8くらいから、168くらいからもうちょっとプロの域に達してくる人たちも出てくるからね。
そうですね。
そういった中で4年間頑張ったっていうところで、その中でテニスっていうものを改めてね、違う形で今携わっているわけですけども、
36:15
なんでテニスコーチやってみようかなって思ったの?
テニスコーチをやりたいなと思って入ったわけではなくて、そのまま色々と迷ってまして、
一番のきっかけは石崎さんと佐竹さんっていう中央大学の先輩に誘っていただいて、
自分が本当に何がしたいのかっていうのがちょっとわからなかったときに、
やっぱりテニスをここまで続けてきて、アドバンテージになるんじゃないかなっていう、
すぐ戦力になれるんじゃないかなっていうので、テニスコーチやってみようかなって感じで。
あれもうあの時って5年前だもんね。
そうですね。
早いね。
早いですね。
いや、迷ってたよね。
すごい迷ってましたね。
佐竹さんに本当にちょっと迷惑をかけて。
いやいや、あの時さ、あの時出会わなければさ、俺がたまたま行ったんだよね。
そうですね。
応援に。
応援にたまたま、たまたまっていうかはい。
だってあの時俺岩見とすれ違わなかったらなかったもんね。
多分入ってないと思う。
ないもんね。だからなんかすれ違ってさ、俺岩見がさ、
大学の入れ替え戦だよね。中大の一部二部の入れ替え戦だったのかなあれ。
確かそうだよね。
そうだよね。
と思います。
応援しに行ったんだよね、大学まで。
はい。
で、その時に岩見となんか坂ですれ違ったことがこれ記憶にあるんだけど、
お、岩見頑張れよって、お前今日頑張れよって言われたら、
言ったら、
いや、僕もう引退してますって言って、
あ、お前もうOBなのかって。
ありましたね。
ね、あの時久しぶりに会って、
で、知らない間に岩見もう引退してたんだよね。
そうなんですよ。
で、そしたら、で、お前今、え、何してんのって話から始まったんだよね。
はい、そうですね。
あの岩見の、いや、今、これから先を考えているっていうところを。
はい。
で、俺がちょっとなんか軽い感じで、あのね、
亡くなっちゃったけどジャニーさんみたいな感じで、
言う気ちゃいなよっていうところから始まったんだよね。
はい。
え、あれ5年前なんだ。
そうですね、5年前くらいになりますね。
いや、それであれだったもんね、いろいろと就職活動もしてたし、
はい。
なんかいろんなところ考えてて、こう考えてるみたいな感じでね、やってて、
でもあれからなんか、あのいろいろと悩みながらもずっともう5年経つんだね。
39:03
そうですね。
すごいんだ。
早いですね、5年目。
5年目っていうところ。
はい。
すごいじゃん、なんかもう大学4年間ってそう考えるとすごいちっぽけだったね。
そうですね。
もう5年経っちゃったんだもんね。
はい。
まあその時を経て悩んだりとかそういったところを経ながら、今5年目になって、
はい。
それでね、三年前か、ここの亀戸支店がこういった大きな施設が立ち上がるっていう時のね、
はい。
そういった立ち上げの一員として参画して、
はい。
今4年目になったのかな、ここがね。
3年過ぎたもんね。
そうですね、もう4年目ですね。
ねえ、今こうして社会人5年目を迎えて、
はい。
コーチとしてテニスというものをプレイヤーというところから、
はい。
まあ今もね、こうして現役でそういった東京の大会でチャンピオンになったりとか、
はい。
そういったところで活躍してもらってるんだけど、
はい。
今こうして生きてどうですか?
仕事に対してはさ、
はい。
どう、自分の中でレッスンしててさ、
はい。
楽しい?
うーんと、楽しいと思う場面もやっぱりありますね。
どんなとき楽しい?
うーん、なんかこう、やっぱお客さんが笑ってるときと、
やっぱりこう、まあ自分がまあ教える、教えて、
うん。
まあ上手くなって、
うん。
はあ、みたいな、こうだったんですね、みたいなことを言われたり、
うん。
まああとはその自分がやっぱりこう、レースをずっとしてきてて、
うん。
まあやっぱり武器は自分のこう、教えるとまあ技術、
うん。
自分の技術、
うん。
結構高いっていうのも、
うんうん。
自分でいうのもなんなんですけど、
うん。
なのでそれで打ち負かしたときに、
うん。
すごいなんかクソみたいな感じでやったりとかこう見ると、
うん。
まあ楽しいというか、
まあお客さんがそれに対して頑張ってきてくれて、
ああそうなんですね、
うんうん。
そういうのを見たりとか、
うん。
まああとは、まあレッスンのメイン会だと、
うん。
まあ一応イベントを、
うん。
まあその、まあ企画して、で、やって、
うん。
で最後にこう、なんかこう上手くいかなみたいな、
ちょっと嫌だなっていうか緊張感は終わるまではあるんですけど、
うんうん。
終わってからなんか、なんかみんながこう笑ってたりとかすると、
うんうん。
ああよかったんだなみたいな感じで、
うん。
ちょっとこう嬉しいというか楽しかったりとか、
ああなるほど。
みたいな、
うんうん。
そういうところですかね、
うんうん。
楽しさとか楽しさは、はい。
まあでもやっぱね、あのー、結構みんなお話聞いててやっぱ共通してて、
やっぱりみんなその相手側その、まあレッスン受けてくれてくださってる皆さんの、
42:04
そういう楽しんでる姿っていうところが、やっぱやってて嬉しいんだよね。
はい。
すごいね。
うんうん。
だからなんかそこがね、そこがないとなんか、
あのー、なんかそれだけで嬉しいよね。
はい。
うんうん。
まあそうなるように頑張ってるっていう感じですね、最初にそこを考えて。
うんうん。
どうやったら楽しいかなって思って。
うんうん。
で、その反面、
はい。
あのー、悩んだことっていうのはどうなの?
もう悩んでしかないんですけど毎日。
ハハハハハ。
でもそれは考えてるからでしょ?
そうですね。
そこになるために。
はい。
うん。
なんかこう、やっぱりこう、
周りにすごいコーチたちがいて、
松田ヘッドコーチだったり、
まあイデチーフだったりとかが、
まあすごいお客さんもすごいたくさんいて、
で、教えるのもやっぱりすごい上手くて、
で、自分はどうかなみたいなのと、
やっぱりこう、教える技術もまだまだですし、
なんかこう、レッスンの流れとかもまだまだなんで、
うん。
なんかこう、わーって思うというか、
うん。
やばいなーって、
うん。
まあみんなやめちゃうんじゃないかなみたいな。
ハハハハハ。
思っちゃう。
なんかこう、
へー。
そっちに行っちゃうんじゃないかなとか思ったり、
そうですね。
なんかこう、
まあ結構こう、
自分の売りがやっぱりテニスのあれかっこよさというか、
うん。
そういう技術だと思うので、
結構こう、動いて打ちまくったりするんですけどレッスンで、
うんうんうん。
そういうの結構肉体がこう、
うん。
きつかったりとか、
うん。
わーこのままで大丈夫かなみたいなとか悩んだりしますね。
なるほどね。
うん。
もう、で、あのーそういったことを考えて日々、
まあ自分の中で不安が出てくるんだろうけど、
はい。
でもそういうことを考えているからこそ、
あのーそれが滲み出て、
あのー感じてくださっているお客様もたくさんいると思うんで、
うん。
これからも、
はい。
あのーなんか悩んでください。
ハハハハハ。
うん。
でもその自分でも言ってる通りその、
まあやっぱ武器っていうのはね、
だって岩見コーチの武器ってそのーやっぱり、
テニスの実力っていうところと、
はい。
うん。
やっぱそこはやっぱりどうしてもね、
あのみんなが見たいところだと思うしね、
はい。
エキシビジョンマッチをやってもやっぱみんな見てくれるだろうし、
はい。
で、それで試合に出てね、
シングルスでもこうやってダブルスでも勝てるね、実力を持ってて、
45:03
技術ではやっぱトップクラスにいるわけですよ。
はい。
で、だからそれはもうね、
あのーみんながあのー楽しみにしているところだから、
はい。
それはもうぜひあのーいくらあのー肉体が張り裂けても、
はい。
あのーはち切れんばかりで頑張っていただきたいなと、
はい。
頑張りたいなと。
いやもうほんとみんなそう思ってると思うんですよね。
はい。
で、あのーやっぱ今の中にあのーあったんですけど、
まあみんなにね、あのーこれからね、
またこういった形で岩見コーチもたくさんのお客さんがね、
はい。
今レッスン受けてくださってるんで、
はい。
あの皆さんに、
はい。
あのメッセージをお願いしたいんですが、
はい。
お客様に。
えーもうさっき国体に出ますって言っちゃったんで、
あー。
それはもうあのー忘れてないんですけど、
はい。
まあそれ以外で。
そうですね、まああのー自分は今、
でもまああのー、
まあ試合に出たり、
うん。
して、
うん。
まあ自分の技術もまあ落とさないように、
うん。
まあしてるんですけども、
うん。
でまあ自分の、僕のレッスンは、
やっぱりこう、
打ちまかす、打ち合う、
うん。
あとまあ僕のテストを見てもらう、
うん。
いうようなレッスンだったと思うんですけども、
うん。
まああのーこれからもそれを楽しんで、
うん。
でまああのー、
まあ教えるっていうのもそうなんですけど、
まあ見て盗んでもらうっていうのも、
うん。
盗んでもらう。
うん。
うーん。
やっても、やってもらってというか、
うん。
うーん。
でまああのー、
まあ僕と打ち合いたい、
とかバンバン打ちたい方は是非、
うん。
僕のレッスンに来ていただきたいなと、
うん。
思います。
うん。
はい。
いや、あのーやっぱりね、
なかなか生きたボールっていうのを打てるっていう機会もないですし、
はい。
あのー、
もう本当に上級者の方からね、
まあもちろんあのー、
ね、
えー中級、
まあもちろん初中級初級の方もね、
うん。
あのー本当に見るだけでも、
あのいい、
あのー、
ね、
もしかしたら目の保養になる方もね、
はい。
あのーすごいかわいいかっこいいね、
岩見コーチなので、
で、
そういった中であのー、
本当に、
あのーいいボールを打てるっていう機会っていうのは、
なかなか、
あのテニスをやろうと思っても、
なかなかあのーそういう相手って、
テニスって相手がね、
はい。
いなければいけないスポーツだから、
まあそういった中でもあのー、
そういったあのー、
ね、
もっともっといいボールを打ちたいんだっていう方たくさんいると思うんで、
はい。
まあ岩見コーチのね、
あのーそういった生きたボールを、
はい。
ね、
あのー打ちたい方ぜひね、
はい。
あのーこれからも楽しんでいただきたいなと、
はい。
思いますが、
はい。
まああの岩見コーチはテニスコーチだけじゃなくてですね、
はい。
今あのー、
ね、
後代はゴールデンキッズっていうね、
あーそうですね。
うん。
あのー、
子供の運動能力向上スクールですね、
はい。
あのやっていますが、
はい。
岩見コーチもその子供小学生を対象にした、
はい。
48:00
テニスではない、
テニスではない。
運動神経をさらに発達させて、
はい。
将来のね、
運動神経の一つにでも活かされるようにね、
はい。
まあ今はもうほんと習い事が多くて、
はい。
えーテニスももちろんだしゴルフもそうだし、
はい。
はい。
で今はダンスですとか、
はい。
ね、
あのーもう多岐にね、
はい。
あの渡る、
はい。
あの習い事してる子たちがいっぱいいるんですけど、
はい。
あのー、
はい。
なんかそういったね、
はい。
えーと、
はい。
ことテニスじゃない指導っていうところをやってみて、
はい。
あのー、
なんか初めてでしょ、
はい。
そういう子供たちの、
はい。
ことテニスじゃない、
はい。
テニス組っていうのは今何年目になった?
ゴールデンキッズ。
えーと、
ゴールデンキッズは、
うん。
2年か1年半ぐらいだと思うんですけども、
うん。
うん。
多分それぐらいですね、
うん。
はい。
やってみてどう?
うん。
子供たちと接して。
うん。
でもやっぱ難しいなっていうのを毎回思ってますね。
うん。
うん。
まあ運動神経を向上させたいっていう気持ちも、
うん。
うん。
させるために頑張って、
うん。
うん。
うん。
うん。
うん。
で、こうやって、
うん。
何かこう楽しすぎても、
うん。
うん。
んー。
ふわっとなっちゃうというか、
うん。
うん。
嬉くなっちゃうので、
うん。
うん。
やっぱりこう、
うん。
何かこう例義だとか、
うん。
うん。
ってこともやっぱ身に付けてもらえると。
うん。
うんうんうん。
でもそこだとメリハリが、
うん。
うん。
難しいなっていうのは、
うん。
思ってまあそこは自分でもちょっとと気をつけてやってるんですけど、
うん。
なんかさ、
ここは自分でもちょっと気をつけてやってるんですけど
なるほどね
楽しむときはちょっと同じような目線になって
ちょっとふざけて
で、やるときはピシッと行こうかなっていうところで
まさにね、ゴールデンキッズのそういったところの礼儀からね
そういったしっかりと正しいフォームで走る、投げる
そして人からそういった盗むって見て盗むっていうね
それで自分でこうやって体現してる、模倣するっていうところね
ところの部分を今指導してると思うんですけど
まさにそこの礼儀っていうところの部分では
柳川仕込みの
そうですね、仕込みのね
いやいこちはやっと高校生で気づいたっていうところがあるんで
それを小学生のうちにみんな身につけようねと
そのほうがいいと思います
まさに今多岐にわたってね、いろいろとプレーヤーとしても
コーチとして、テニスコーチとして
そしてゴールデンキッズのコーチとしてっていうところで
活躍してる矢見コーチですから
ぜひこのカメイドでいろんな方たちとね
触れ合う機会が多いと思いますので
ぜひともこれから矢見コーチのレッスンをね
楽しく受けていただきたいと思います
今日はもう言い残したほうがないですか?大丈夫ですか?
大丈夫です
大丈夫ですか?
はい
じゃあ今日は矢見コーチありがとうございました
51:01
ありがとうございました
この番組は提供、五大グループ
プロデュースキクタスでお送りいたしました
51:24

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