00:14
zabo
【シン野球トーク】 BaseBallCafe べかふぇ。今回は、【静まぬ枕】というポッドキャスト番組から、おTARさんという男性パーソナリティをお迎えいたしまして、新コーナーを立ち上げます。
TAR
【コーナー名】あん時ぁオイラは野球人でございます。学生時代の野球部だった頃の思い出話を語っていただく、そのようなコーナーでございます。
zabo
よろしくお願いします。本日は【静まぬ枕】おTARさんをお招きいたしまして、また新しい角度で野球を聞いていきたいかなというふうに思ってるんです。
学生時代野球部だったというふうに聞いてるんです、おTARさんが。プレイヤー歴っていうのは何歳くらいの頃からのスタートになるんですか?
TAR
小学校3年生から始めましたね。
zabo
小学校3年生というと9歳ですかね。
TAR
9歳だと思います。少年団式野球部に入りました。地域のっていうんですかね。
zabo
地域のね。何歳くらいまで続けられたんですか?
TAR
継続的にやったのは中3まで。
zabo
中3まで。中3っていうのが15歳ですか。
TAR
そうですね。15歳ですね。
zabo
高校のときは野球部ではなかったんですね。
TAR
高校のときは野球部ではなかったですね。
zabo
はい。ということで、まず小3に上がる前までに野球に興味があったから、その少年野球部に入られたと思うんですけども。
その幼少期の頃の好きだったプレ野球球団はあったりしたんですか?
TAR
えーとですね。小学校3年生の頃、野球を始めた頃っていうのは、特に別に好きな球団っていうのはなくて。
zabo
へー、そうなんだ。
TAR
別に野球やりたくなかったんですよ、正直。
zabo
そうなんだ。はい。
TAR
なんて言ったらいいんですかね。母親がおりまして、私。
はい。
母親の夢が、息子が甲子園に出るという壮大な夢を持ちの方でして。
へー。
その夢を勝手に背負わされたという。
zabo
あー、なるほどなるほど。お母さんも背負わされたわけだ。
TAR
思いっきり小学3年生に、そんなでっかい十字架を背負わされたわけですよ。
zabo
それに関しては、じゃあ母ちゃんの期待に応えてみようか、みたいな感じでの入団になったんですか。
TAR
そうですね。僕は日曜日はやっぱり遊びたかったので。
うん。
土曜日が学校の時代のものですから、我々は。
zabo
反動でね。
03:00
TAR
そう、反動で。だから日曜日が休みたいわけですよ。でもまあ、うちはちょっと共働きだったので。
zabo
なるほど、はい。
TAR
で、まあなんかお母さんは、なんかその。
なんて言うんでしょうね。やっぱりその、自分が女だから甲子園に行けなかった。野球がすごい好きだった人らしいんですけど。
zabo
お母様が、はい。
TAR
お母様が。
うんうんうん。
で、まあその夢を勝手に背負わされたので。で、僕は日曜日やりたくなかったけど。
zabo
うん。
TAR
正直言いますけど、泣かれた、泣き疲れたんですよ。やってほしいと。
zabo
あらー、そうなんですか。
TAR
もうそこまで言われたもんですから。
zabo
うん。
TAR
わかりました、わかりましたっていう感じで渋々始めたっていうか。
zabo
あー、そういう入り口なんですね。
TAR
対しては嫌で嫌でしょうがなかったですよ。
zabo
まあとにかくじゃあ、そのお母様の強いお気持ちもあって入団に至ったということですね。
TAR
そうですね、はい。
zabo
じゃあ、ルールも何もわからないままの入団となったわけですか。
TAR
えーと、まあ友達同士で遊んで野球をやってたことはあるので。
zabo
ゴムボール、野球みたいな。
TAR
そうですね。低級、低級っていうんですかね。で、カラーバットで打つみたいな。
zabo
はいはいはい。
TAR
あれはやっていたので、基本的なルールはわかっておりました。
zabo
うんうんうん。はい。
じゃあ、まあ基本的にキャッチボールだったり、ノックだったり、いろいろ入団したての頃は、
講師の方から指導を受けてあったと思うんですけども。
ありましたね。
最初に守ったポジション、覚えていらっしゃいますか。
TAR
えーと、僕ずっと小学校のときはほぼほぼセンターを守ってました。
zabo
センター。はいはいはいはい。
お前はこうだからセンターがあると思うんだっていう話とかあったりしたんですか。
TAR
えーとですね、僕足が異常に速かったんですよ。
zabo
へー。うん。
TAR
短距離が学校で一番だったんですよ。
zabo
へー。
TAR
なので、まあそういう理由でだったと思うんですよね。
ちょっとそこまではっきりした理由は覚えてないんですけど。
zabo
足の速いのも一個の大きな理由だとは思うんですよ、センターだったらね。
TAR
そうですよね。
zabo
うんうんうん。
TAR
まあそんな感じで多分抜擢されたような覚えです。
zabo
なるほどなるほど。
小学校3、4、5、6と4年間ずっとセンターだったんですか。
はい。
5年生の半年ぐらいは、肩も強かったので、
TAR
キャッチャーを一時期やってた時期はあります。半年ぐらい。
zabo
へー。5年生の一時。
TAR
そうですね。春から夏にかけてぐらいですかね。
zabo
うーん。春から夏にかけてのわずかな期間キャッチャーをやった後にまたセンターに戻ったんですか。
TAR
そうですね、はい。
zabo
何か理由があって戻ったんですか。
TAR
多分僕の足を生かせなかったじゃないですか。
zabo
うん。もったいないってことか。
TAR
多分そういう理由だったと思いますね。守備範囲が異常に広い子だったので。
06:04
zabo
素晴らしいじゃないですか。
TAR
自分で言うのもなんですけど、レフトフライとか取っちゃう子だったんですよ。
zabo
あー。
TAR
ガの強さはその辺にも出てますけど。
という感じの子だったので、バッティングされたんですけど、またセンターに戻ったという感じですかね。
zabo
なるほどね。守備の話から入ったんですけども、バッティングのほうは、とりあえず右打ちか左打ちかスイッチヒッターだったらどっちなんですか。
右打ちです。
右打ちで、やっぱり攻撃のほうでも足を生かしたような攻撃が多かったんですか。
TAR
4年生ぐらいまでは実はそれほどバッティングが良くなって、どちらかと言えば6番から下を任されることが多かったんですよ。
zabo
いわゆる買い出せんと言われるとかですね。
TAR
そうですね。5年生ぐらいになって体も大きくなってきて、監督コーチの指導の意味がようやく分かりつつあって、それを実践しだしたらバッティングもめちゃくちゃ上り上司になりまして。
zabo
おお、打撃界隈になったわけですね。
TAR
そうですね。そこから1番か3番になりましたね。
zabo
あらら、へー。小学校卒業するくらいには1番か3番でセンターを守っていらっしゃったわけだ。
TAR
そうですね。
zabo
で、例えばお手本にしたプロ野球選手だとか、あるいはモデルになるような選手とかっていたんですか。
TAR
いました。その頃にはいましたね。
zabo
教えていただけませんか。
TAR
私は元西武ライオンズの秋山浩二選手を目指しておりました。
zabo
おおー。秋山、西武黄金時代と言われたあの時代の主軸の選手ですよ。
そうですね。
まだ今ほどメジャーリーグに選手が入ってない時代で、1番メジャーリーグに近い選手と言われた1人ですよね。
そうですね。
秋山選手の印象なんか教えていただけませんか。
TAR
やっぱりあれじゃないですか。ホームラン打った後の爆点ですよ。
zabo
爆点ホームラン。はいはいはい。
TAR
あれの印象が強いですね。豪快なホームラン打って。
えっ、そんなことしていいの?ホームベースの前でって小学生ながらに思いました。
zabo
そうですね。チャレンジしたことあるんですか。
TAR
えーと、そんなんしたらマジめちゃくちゃスパルタだったんで怒られるんで。
一回もやったことないです。
zabo
誰もいないところで一人で練習したのかな。僕、したことあるんですよ。
爆点ホームイン練習。
TAR
それはありますね。練習は僕もしたことありますけど、後頭部を強打してから辞めました。
zabo
あ、そうなんだ。
TAR
はい。死にかけましたんで辞めました。
zabo
意外とプレイには、実際のプレイはしないんだけど、そういう練習っていうのは意外とするもんでしてね。爆点の練習。
TAR
しますね。
zabo
そうだし、バット投げとか練習しませんでした?
TAR
バット投げは練習しました。
バット投げの練習は、僕は池山選手がモデルでやってました。
09:05
zabo
へー。
TAR
ヤクルトの。
あの人のバット投げは芸術的だなと思いました。
zabo
なるほどなー。へー。
うん。じゃあ、そっか。とりあえずプレイヤーとしては秋山浩二さんに憧れたということですね。
TAR
そうですね。打順とポジションでやっぱり目標になる選手でしたね。
zabo
中学校に上がるようになりますと、やっぱり岡田さんのお勧めで中学でも野球部に入られたという流れですか?
TAR
そうですね。中学進学するときにシニアリーグからお誘いを受けたんです。
zabo
へー。はい。
TAR
体も大きかったですし、割と所属していた少年野球チームが強いチームだったので、
うちに中学から来ないかみたいな話はいただいたんですけど、
いやー、そんな高級とか怖いしっていう感じで、中学の部活の野球部に入りましたけど。
だからね。
はい。
zabo
僕のこの番組は、野球にあんま詳しくない人でも野球を面白く聞いていただけるっていうのを目指してるんですけども、
シニアリーグっていうものを簡単にご紹介いただけませんか。
TAR
今でいうとクラブチームですかね。
zabo
うんうんうん。
TAR
学校の部活以外で活動している野球クラブっていう形ですよね。
zabo
部活動ではないってことですよね。
TAR
そうですね。はい。
zabo
だから学校内では帰宅部というカテゴリーに来ずされるかもしれないけども、
その実は学校から帰ったあとは別のグループに行って、その野球に特化して練習するっていうことですよね。
TAR
そうですね。
zabo
シニアリーグっていうのは公式しかないんでしたっけ。
TAR
たしかシニアは公式だけですね。
zabo
なるほどね。ということで、プロ野球選手が使ってる硬いボールという。
TAR
そうですそうです。あんなもん当たったら死んでしまいますよ、ほんとに。
zabo
それは断られたって話でしたっけ。
TAR
自ら断りました。
zabo
ね。はい。
TAR
友達がみんな中学の野球部に行くっていうのも大きかったんですけど。
zabo
なるほどなるほど。
TAR
って感じですかね。
zabo
野球は団体のスポーツですから、やってるうちにチームメイトと仲良くなりますもんね。
みんな団体で部だったら部、クラブチームだったらクラブチームっていうふうに動きになるんでしょうね、きっとね。
TAR
そうですね。
zabo
ごめんなさい、僕はそういうプレイヤー歴が大物ですからね、そういうふうに課題を持ってます。
TAR
そうなんですか。
zabo
僕は高校の時ソフトボールやりましたけども、小学校の時は何もやってないな。中学の時は陸ジャブでした。
TAR
じゃあいつから野球を好きになったんですか、見るの。
zabo
僕見るのが好きになったのは小学校4年生ぐらいの頃ですね。
TAR
やっぱジャイアンツですか。
zabo
ジャイアンツ好きでしたけど、好きになったきっかけは買っ飛ばせ清原くんっていう漫画があって。
TAR
はいはいはいはいはい。
12:00
TAR
コロコロコミックが芸術になってきましたね。
確かにそうですね。今は言われて思いましたけど、買っ飛ばせ清原くんの存在はかなりでかかったです。
ああ、やっぱりそうですか。
zabo
それとあとはファミスターかな、ファミコンのね。
TAR
そうですね。
zabo
まだパワフルのない時代でした。
TAR
そうですね。
zabo
その辺から入ったわけですけども。
おたわさんが中学校に入りますということで、やっぱりガイアからのスターだったんですか。
TAR
中学校入った当初はピッチャーに抜擢されまして、
古文の先生がですね、大学を卒業された後にプロテストを受けられた方で、
某球団にプロテストを受けて合格されたんですよ。
合格、はい。
プロ野球選手になれたはずなんですけど、
もらった背番号が3桁だったらしいんですよ。
そのチームそんなに強いチームじゃなかったから、将来性を感じずに、
それで教員になられたっていう方が古文の先生だったので、
その先生に見出されましてピッチャーになりました。
zabo
おたわさんが中学校の時期っていうときには、
まだプロ野球界には育成選手というのがいない時代だと思いますよ。
TAR
ないですね。
zabo
でも3桁の番号をもらうっていうことは、練習生に近いようなことだったと思います。
TAR
そうですね。だと思いますね。
大卒でそのポジションっていうのは、そこからの出世って難しいのかなと判断された当時のプレーヤーの方もいたし。
zabo
そんな歴のある先生に見出されたってことですね。
TAR
そうですね。
zabo
外野からピッチャーとなると練習方法もガラッと変わってくると思いますよ。
TAR
全然全く違うことさせられましたから。
zabo
印象今でも残ってるようなことってあったりしますか?
TAR
やっぱ外周走ってろってよく言われましたね。
zabo
ピッチャーは走るのが仕事だってよく言われますね。
TAR
学校の外を外周って言うんですけど、学校の外の大回りを走ってこいって言われました。
zabo
いいって言うまで?
じゃあ距離とか何も関係なく走らないといけないから、ペーストファイブもできないじゃないですか。
TAR
だからそういう近代的なトレーニングを僕、中学の時にさせてもらったことがなくて。
技術的な指導もそれほどないんですよ。
だからもう自分で先輩の身を見真似てやっていくしかないっていうか。
目で盗んだ。
zabo
職人さんと同じじゃないですか。
TAR
本当にそんな感じだったんですよ。
フィッチングホームとかも我流なんですよ。
こうしたらアートだって言われたことがなくて。
だからそれにはすごい戸惑いましたね。
zabo
それこそプロの試験を受けたような先生に言われたんだったら、結構ガッチリ教えてもらえそうなもんだろうなと思ってたんですけど、そんなことないんですね。
15:05
TAR
そんなことなかったです。もう放任っていうか放置っていう。
そんな教えてもらえないのに、基本的にはずっと外周走ってるわけですよ。
外周じゃもういいぞって言われてフィッチング練習、ブーベンみたいなところで練習させていただくんですけど。
特に別に後ろに立って後ろ足も言われないですし。
なので分かんないんです。本当に手探りだったんですけど。
ある時3年生の練習社員にバッテキされて投げろって言われて。
zabo
1年生の頃にってこと?
1年生の頃に3年生ばっかりのチームの中に入って投板したんですか?
TAR
そうです。
すごいじゃないですか。
何を思って今を考えると分かんないんですけど、投げろって言われまして、その当日の朝に。
zabo
当日の朝に?
TAR
そうです。投げたんですよ。自分の前番組でも言ったんですけど、やっぱり中学1年生からした3年生って神様みたいなんですよ。
zabo
そうです。
TAR
本当に話しかけるのもはばかれるような存在で。
zabo
作用でございますね。
TAR
そんな方たちといきなり混ざって試合しろって言われるので、めちゃくちゃ緊張してたんですよ。
何百球って投げ込んだストレートの握りが分かんなくなってしまって。
zabo
舞い上がるような気持ちになるわけですね。
TAR
なので、4試合連続フォアボールですよ。
もうすぐ交番ですね。
ホロニーがデビューでした。
zabo
でもホロニーがデビューになったかもしれないけど、その後のピッチは続いていくわけですね。
TAR
その後、そうですね。続きます。
1年生の大会っていうのがあったので、その試合でも投げるんですけど、そこまでにもこういう練習しろ、ああいう練習しろって言われないんですよ。
自分で考えて、先輩がこうやってるからこれをこうしたほうがいいのかなとか、自分で考えてやってるんですけど。
基本がなってないのに自分で考えろって、今考えると本当におかしな話だと思うんですけど。
ただ、やれって言われてるし、やるしかないよなって思ってやり続けてたんですけど。
1年生大会に投板した時に、1試合目はなんとか勝ったんですけど。
2試合目がそこそこ県内でも強いチームだったんで、ぼっこぼこされましたね。
TAR
打ち込まれたってことですか。
打ち込まれとフォアボールで2回で8失点ぐらいしましたんで。
それでもう後半して。
zabo
それでも正直、もうやりたくないなと思って。
TAR
そこから冬はもうボールを使えない練習になったので。
11月ぐらいだったんですけど。
そこからもう冬の練習に切り替わると、本当にランニング、冬場は駅前部に所属させられるんです、ピッチャーは。
18:06
zabo
そういうことがあるっていう噂は聞いたことがある。実際そうなんですね。
TAR
実際にそうでして、僕先ほども言いましたけど、短距離は学校で一番早いぐらい早いんです。
ただ、長距離というか時給層になると、学年で下から数えたほうが早いぐらい遅いんですよ。
zabo
極端だ。
TAR
心肺機能が弱いのか分かんないですけど、全然走れないんですよ、長いこと。
zabo
だから僕にとって地獄の期間だったんですよね。
TAR
でもそれが嫌で、1年生の2月にピッチャー辞めさせてくださいと。
先生お願いして、外野に戻してくださいってお願いして、ダメならもう野球部辞めますっていうことを伝えたら、
外野に戻っていいよっていうのを言っていただいたので。
そうなんだ。
それで外野に戻りましたけど。
zabo
ちなみにピッチャー時代に同じ学年で、同じお母さんのようにピッチャーとして練習してた人っていたんですか?
TAR
3人いたんですよ、僕がピッチャーに抜擢される前に。
で、その3人を差し置いて僕が一番つけてましたから。
なるほどなるほど。
その3人はもともとピッチャー経験者なんですよ。
だからその3人もよく、なんでお前がつけてんだよと思ってたんだよ。
zabo
なるほど。
TAR
そういう同じ学年の子からの、なんでお前なのみたいな目でも見られますし。
zabo
直後には言わないでしょ、でも。
TAR
全然言われないですね。もともとこういう性格なんですよ。
言っては来ないと思うんですよ。
言いたかったんでしょうけど。
そういうプレッシャーも感じつつ、冬の走り込みがすごいやだったから辞めた。
zabo
なるほどね。
同じようなエピソードですよ。
現在メジャーリーグの選手で、菊地優生選手っていて。
TAR
いますね。
zabo
彼が今年の2月ぐらいまでスタンドFMで番組持って喋ってたんですけども、
似たようなエピソードを喋ってらっしゃいました。
TAR
本当ですか?
zabo
急にマウントに上げられてピカッと投げるんだけど、
ストライクなんか入らないで5者連続フォアボール出してみたいなことがあったみたいな。
TAR
一緒っすね。俺メジャーリーガーと一緒だった。
ちょっとテンション上がった。
zabo
やっぱり3人4人ぐらい同じ学年でピッチャーの方がいたんだけど、
菊地優生選手はその中の番手で言うと3番手か4番手ぐらいで、
なんでお前がメジャーリーガーまで行ったのか全然わかんねえって同窓会とか出るとよく言われるんですって。
そこは小田さんとは違うんですけど。
でもエピソードトークはよく言ってたなと思って。
21:02
TAR
すげえ。僕あのまま頑張ってたメジャーリーグ行けましたね。
もしかしたらね。
もしかしたらね。
zabo
その中学の2年生でしたっけ?
はい。
その時にガイア市に戻ったわけですね。
TAR
そうです。
zabo
やっぱりガイアは良かったですか?ピッチャーに比べて。
TAR
ガイアはそうですね。子供の頃から守って、小学生の頃から3年以上守ってたところなので。
zabo
慣れ親しんだ。
TAR
そうですね。だから何の違和感もなく溶け込めましたし、
ピッチャーやってる頃は打順も買い出せんだったんですけど、
ガイアに戻ったってことで打順も上の方に上がって。
zabo
やっぱり1番とか3番とかですか?
TAR
その頃はそうですね。3番か5番でした。
5番。
センターで。
そうですね。
zabo
ピッチャーの頃はほとんど指導というかコーチングというかそういうのがなかったというお話だったんですけども、
また野手になったら違うんですか?
TAR
野手になっても基本的な技術指導っていうのはなかったんですよ。
zabo
あ、そうなんだ。やっぱり。
TAR
ノックを受けたりはしますけど、
特にこういうふうにやれ、ああいうふうにやれっていうのはなかったですね。
zabo
なるほどね。
TAR
で、卒業までガイアでやってきたと。
そうですね。やりましたね。
zabo
で、高校ではやらなかったっていう理由というのは何かありますか?
TAR
いよいよお母様の望まれた高校野球だったと思うんですけど。
ここからが僕の中のメインの話なんですけど、
中学2年になった時にですね、僕はパッとギターに持ち替えるわけですよ。
ギター出会ってしまって、そっちに本腰を入れ始めるんですよ。
もちろん部活は在籍してますし、練習にも参加はしたりしなかったりはしてたんですけど、
一応ちゃんと続けてはいたんですね、卒業するまで。
ただもう気持ちは完全に音楽をやるんだ、俺は音楽をやるんだって思ってましたから。
だから2年生の春から2年生一輩までは野球に対しての情熱なんかもまるでなかったですね。
zabo
ああ、そうですか。そもそも強い気持ちがあって野球に取り組んではなかったんですもんね。
TAR
そうですね。母親の十字架を背負わされていたというのもあったので。
言い方よ。
zabo
まあいいんですけど、それよりも好きなものが見つかったということですね。
TAR
そうですね、はい。
zabo
で、中学の期間の間は野球部に所属してたけども、徐々にその情熱が薄れていって、
音楽の方に気持ちが傾いていった結果、高校では部に入れなかったということですね。
TAR
そうですね。高校にどうするんだみたいな時期になるじゃないですか、3年生と。
24:03
zabo
で、僕は別に野球をやる気はなかったんですよ。
TAR
ただ、顧問の先生からは、なんでかよくわからないんですけど、
お前は高校まで続けたら必ずプロ野球選手になれるって言われたんですよ。
zabo
ああ、なんですかね、それは。
TAR
わかんないんですよね。でも技術的な指導はしてくれないし、
そんなこと言われてもなぁと子供ながらに困惑してたんですよ。
zabo
いわゆるダイヤの原石に見えたんですかね、監督さん。
でしょうかね。わかんないんですけど。
才能に恵まれた人には変なことを教えないっていうのが、
結構以前から野球の中ではあったりするんですよ。
そうなんですか。
あんま偉人じゃねえって監督からよくあることではあるんですけどね。
TAR
へー。
zabo
そうだったのかもしれませんね、そういうお話だったらね。
TAR
これは前もって言っといたことしかないですね。
だからその高校入ると。
zabo
ノモ・ヒデオさんはすごく変なピッチングフォームだったと思うんです。
TAR
トルネード・トーフォーですよね。
トルネード・トーフォー。
zabo
あれをいじりたがるコーチもいれば、
それは触ってはいけないっていう指導者もいると思うんですけども、
TAR
極端な例だと思うんですけど、そういうことだと思うんですよ。
zabo
あー、なるほど。
ごめんなさい。
TAR
高校を決めるときに野球はやるつもりなかったんですけど、
2社面談とか担任の先生と決めるじゃないですか、高校どうするんだって。
僕別に特段野球もやるつもりなかったんで、機体高校もなかったんですよ。
だからどこでも入れるところならどこでもいいですっていう感じだったんですけど、
ガラガラって急に教室の扉が開いたんですよ。
高校の先生がいきなりやってきて、同席されて。
そんなことがあるんだ。
こいつは僕の母校に入れますみたいなことを言い出したんですよ。
いやいや、ちょっと待ってよって。
だから野球やらないって言ってるじゃないですかって話になるし、
担任の先生もびっくりしてるので、
一回じゃあここの場はやめましょうっていう形になって、
担任の先生と対談したら、今日お前どうするんだって。
いやいや、もう野球はやらないですっていう話をして。
じゃあお前が本当に野球もやらないんだったら、
俺はお前の味方をするからっていう話をしてくれて。
そういう高校の先生からの、いわゆる推薦留学ってやつですよね。
はいはいはい。
なんとか断ってくれようとしてくれたんですけど、
時がたって3社面談とかあるじゃないですか。
zabo
ありますね。
TAR
母親が同席する場合ですよ。
zabo
はいはいはい。
TAR
だからこの時にまた顧問の先生がやってくるわけですよ。
zabo
そんなことがあるんだな、はい。
TAR
でも母親は泣くし、
27:01
TAR
顧問はお前はこのまま続ければプロ野球選手になれるって言われるし。
でも担任の先生は僕はもうやりたくないっていうのを知ってるから、
なんかそこで口論が味わわれる。
面倒くさいなこいつらって思って。
でもそこで僕はもう本当にやりませんってブチギレて出てちゃったんですよ。
それを重くとってくれたのか、
担任の先生が母親と顧問の先生を説得してくれたみたいで、
僕はなんとかここで野球もやらなくて済んだっていう。
zabo
いやドラマチックですね。
TAR
その担任の先生には今でもすごく感謝してるんですよ。
zabo
3社面談が4社になって。
4社ですよね。
TAR
母親は泣き崩れるし。
zabo
野球派と非野球派に分かれて論争があったんですね。
TAR
そうですよ。最悪でしたよ。
zabo
いやーまさか初の新コーナーがこういう形に帰着するとは思わなかった。
TAR
すみません、なんか。
zabo
いやいやいや。
結局野球は中学で終えてという話ですよね。
中学の時の監督さんにしてみたら、
才能あふれる選手であると。
それからお母さんにしてみたら、
小学生のお母さんを野球にさせたっていうのは、
こうして私を連れてってみたいな感じで。
TAR
本当ですよ。
zabo
スタートだったわけですからね。
それがこういう形なわけですね。
ちなみにお母さんは高校上がってから経営をやったり、
あるいはバンドを結成したとかされたんですか。
TAR
そうですね。高校入ってから仲良くなった友達とバンドを組んだりとかして、
活動とかはしてましたけど。
zabo
なんかのコピーバンドを作ったりとかしたんですか。
TAR
そうですね。その当時はやっぱりブルーハーツとか。
zabo
ブルーハーツか。
TAR
あと洋楽で言えばニルバーナとか。
zabo
あー。
TAR
そうですね。そういうバンドをコピーしたりして遊んでましたね。
zabo
そのバンド注意ですよ。練習中でもライブ中でもいいんですけど、
もし野球やってたらどうなってたかなと、みたいなことは思ったりはされませんでしたか。
TAR
あー。でもそれは思わなかったですね。
また思わなかったですか。
そうですね。あの日、あの4社メンダー以降、
そのことはあんま考えなかったですかね。
zabo
えー。母止めの思い出でしょうしね。
TAR
そうですね。いまだに言われますもん、母親に。
zabo
そうですか。なんて言われるんですか。
TAR
やってくれればよかったのにって。
zabo
あー。何十年も経った今でも言われるんだ。
TAR
で、もう一個エピソードがあるんですけど、
zabo
その当時の僕の野球部の顧問だった先生が、
TAR
僕兄がいるんですけど、兄の娘が中学に上がったんですよ。
そしたらその学校にいたらしくて。
あー。そうなんだ。
僕のことを覚えていて、
30:02
TAR
兄もその先生との面識があったので、
弟元気にしてんのかっていうふうに、
僕のことをいまだに気にかけてくれてたっていう話もありますけど。
zabo
やっぱ愛されたわけですよ。
TAR
もうちょっとわかりやすくしてほしかったですよね。
じゃあこうしてくれ、ああしてくれっていうのを言ってくれれば、
まだその野球に情熱は持てたのかもしれない。
zabo
全クールまでやってた、不適切にも程があるというドラマの、
安倍佐藤さんの役がね、野球部の監督でしてね、
ケツバットだったりするわけですよ。
ドラマの中では、こうしたらいいんだよみたいなコーチングは
全くしてなかったような印象があって。
時代的にもそれに近い時代じゃないですか、
お父さんが中学の時代ってね。
そんなような印象なのかなと頭にふと思い浮かびますわ。
TAR
ああ、でも多分そういう印象ですよ。
ケツバットも散々されましたからね。
zabo
やっぱりケツバットあったんだ。やっぱりあるんですね。
TAR
むちゃくちゃ痛いですよ、ケツバット。
やっぱバットってケツ縛られますからね。
zabo
本気で叩くもんなんですか、ケツバットって。
TAR
いや、さすがに金属バットですから、
フルスイングはないですけど、
でも5割ぐらいで振ってきますよ。
めちゃくちゃ痛いんですから。
zabo
痛いもんなんだ。
TAR
僕一番嫌だったのが、ケツバットも嫌だったんですけど、
例えば外野の守備受けてるじゃないですか。
外野の守備で後ろにボール反らしたりするじゃないですか。
前でもいいんですけど、エラーするじゃないですか。
そうすると僕外野センターにいるんですよ。
キャッチャーの前にボール転がされて、取りに行こいって言うんですよ。
バーって走っていって取って、キャッチャーにトスした瞬間に外野フライ打たれて、
それを走ってまた追いかけるんですよ。
zabo
わけわからんな、それも。
TAR
もう分かんないですよね。
そういう指導があったりとかして、
ちょっとよく分かんないなっていうのが正直な感じですね。
zabo
でも他の人のエピソードトークで同じようなこと聞いたことがある?
TAR
やっぱりどこでもあることなんですよ。
zabo
プロ野球選手のエピソードトークだったと思うんですけどね。
やっぱりそういうのあったみたいですよ、当時は。
TAR
珍しい練習方法ではなかったんでしょうね、きっとね。
zabo
全く理にはかなってないと思うんです。
TAR
いや、そうですよ。
zabo
キャッチャーの目の前に転がったボール、センターを取ることとか、
何をどう考えてもあるわけないんで。
TAR
ないですよね。
zabo
でもそれを教えられた指導者の方も、自分が選手だった時代にはそういう教えを
得られてたから同じことをやってたと思うんですけどね。
そうだと思うんですよ。
もしかしたらその練習がすごく性にあって、
それが身について野球選手として活躍できた人も、
もしかしたらいるかもしれないですよね。
33:00
zabo
たぶんそうですね。理不尽に耐えれたらいけるんじゃないですかね。
なんかよくね、時代時代にアワンっていうのもあるんですって、
そういう教え方っていうのがね。
TAR
いや、あるでしょうね。
zabo
だからまたそういう時代に戻る可能性もあるし、
また全く違うことがあるかもしれないし、まだわからないですけどね。
おたあさんが野球プレーヤーだった時期の練習方法が多かったってことですよね。
ちなみに練習中水飲むのはやっぱりあったんですか。
TAR
ありました、ありました。普通ですよ、そんなの。
zabo
そんなの普通なのかやっぱり。
TAR
普通ですよ。水飲むのなんて悪だとされてましたからね。
zabo
そうですね。今では全然真逆、水と水分足れよって言われますからね。
TAR
本当ですよね。
zabo
貴重なお話でありがとうございました。
TAR
いえいえ、すみません、なんか長々と。
zabo
いえいえ。まさかそんな劇的なお話であるとは思わない。
TAR
僕こう見えて結構劇的な劇道な人生を生きてるんで。
zabo
本当ですね。貴重なお話いただきましてありがとうございました。
こうやってポッドキャストを喋られる方でもプレイヤー歴があられる方っていっぱいいると思うので。
そうですね。
またおたあさんのように小学校、中学校、高校、大学ぐらいまででもいいからプレイヤー歴あるんですよ。
TAR
人がいらっしゃればぜひお話聞かせていただきたいなというふうに思っております。
zabo
はい。
TAR
ということでございまして、新コーナーの名前を。
zabo
はい。
TAR
まだ思いついてないんですよ。
zabo
あ、そうなんですか。新コーナーの名前。
編集してアップするときには多分思いついてると思うので。
TAR
またオープニングで、今回の新コーナーこんなんですって言うと思うので、それをぜひお楽しみになさってください。
zabo
そうですね。楽しみに待ってます。
ということで本日のゲストは、静まぬ枕からおたあさんでございました。
TAR
おたあさんもお付き合いありがとうございました。
ありがとうございました。