1. オトコの子育てよももやまばなし
  2. #4 知らない人が優しかった☆ピ..
2024-01-16 40:27

#4 知らない人が優しかった☆ピ〜ス!

spotify
ワイちゃん初海外/小笠原への子連れ船旅は楽しい/台湾の人たちが子どもに優しかった話/いるだけで知らない人に優しくされる体験/返礼品としての優しさ・贈与としての優しさ/優しくされることへの戸惑い/双子を連れてるとめちゃくちゃ声かけられる/双子への声のかけやすさ/はなまるの塩対応/双子親の感情労働/子どもをかわいがってもらうと自己肯定感が爆上がり/双子経験の話しやすさ/子どもと一緒だと人に話しかけやすい/優しくするポテンシャルはそこら中に転がっている/ピースな気持ち/優しくされないことのが実際は多い/子連れに冷たい社会/東畑開人『聞く技術 聞いてもらう技術』/優しくされないと優しくできない/シャイな国民性/ニーズがわからないとケアは提供できない/Lobsterr FM/赤の他人と話をする効能すごい/ちょっとした会話によるピースの醸成/雑談がたくさん生まれる街の環境設計/ピ〜ス! 目指していきましょう

【番組へのお便りはこちらへ!】
https://forms.gle/ziqhBQc2XfhNXWdw5

【森田による番組振り返りnote】
https://note.com/moritayuhi/n/n53072073055d?sub_rt=share_pw

【番組内で紹介した情報・コンテンツなど】
東畑開人『聞く技術 聞いてもらう技術』(ちくま新書)
https://amzn.asia/d/bUw1POv

Lobsterr FM vol93:Modern Friendship
https://open.spotify.com/episode/6YU6v7eJZw1lEy1Rdk1Ytj?si=KRSASR4lQy2DP_TNUSxchg

アトランティック誌記事 「『見知らぬ人』との会話が幸せを呼ぶ──疑い深いこの世の中で、他人と繋がることの大きな効能」(クーリエ・ジャポン 2021/9/24)
https://courrier.jp/news/archives/261673/

00:11
みなさんこんにちは。オトコの子育てよももやまばなし、この番組は現在4歳の双子を育てる清田と、1歳の子供を育てる森田が、育児のよもやまばなしを雑談していく番組です。
はい。桃山商事の男2人で子育てを語っていく、このポッドキャストも第4回になりましたね。
はい。
前回は、マザリーズとファザリーズというタイトルで、いろんなね、言葉と自意識みたいな問題を語り合いましたけれど、
はい。
早くも今回第4回で、今回のテーマが、知らない人が優しかった☆ピース!、です。
なんだと。
モームスかと。
だいぶあの時代があれですけど。
はい。
ちょっとこの変なタイトルのテーマ、これちょっとね、森田さんが提案してくれたものですけれど、ちょっとこの意図や背景なんかを聞いてもよろしいでしょうか。
はい。えっとですね、この年始に、3泊4日で台湾に家族旅行してきたんですね。
ね。行ってましたね。
そうそう。
えっとこれは桃山障子のワッコに誘われて、
うん。
宿とかは別だったんだけど、我々家族とワッコと、ワッコの仕事仲間の女性となんか5人かで行ってきたんだけど、
ね。楽しそうだね。
ワイちゃん初海外ってことで。
早いな。俺初海外行ったの20代10番ぐらいだった気がするけど。
もともと我々旅行好きだから、
そうだね。
旅行自体は結構行ってたんだよね。
島も行ってたもんね。
そうそうそう。小笠原ね。
うんうんうん。
だから新幹線、特急、飛行機の国内線、国際線、車、船って大体もう既に。
もう何?全階級制覇してんの?
そうだね。大体制覇してるね。
すげーな。陸海空。
そうだね。船が結構特殊だと思うんだけど。
そうね。
11月に小笠原諸島に行ったときに乗ったんだけど。
結構長いこと乗ったんでしょ?
そう。片道24時間かかるんだけど。
なんだよそれ。
結構快適で、長時間の飛行機よりはずっと楽だと思う。
まあまあそっか。動けるしね。
そうそう。自由に過ごせるし、小笠原に行く小笠原丸って結構新しくて、
03:00
なんかキッズスペースがあったりとか、多目的トイレも広かったりとか、
あとレンジとか調理スペースもあって、すごいいいんだよね。
そうなんだ。
そう。その船旅自体が結構楽しい感じで。
そこからもう始まってるみたいな感じだね。
そうそうそう。
前後2日あるからね。
まあそうだよね。
そこも旅行気分で。
そうそうそう。外ではずっと海だけどさ。
まあなんかそれもいい感じで。
確かにね。まあ言われてみればですね。揺れで酔うとかさえなければ。
そうだね。荒れてなければ。
まあそれはいいとして。
まあそれで台湾に行き。
そうだね。今回もう台湾の話なんだけど、
そのテーマの話ね。台湾の人たちが子供と子連れ親子にみんなめちゃくちゃ優しかったんだよね。
どういうふうに優しいの?
なんだろう。まずお店はどこも当たり前に入れる。
飲食店とか。ちょっと高い店でも安い店でも、混んでても嫌な顔全然されない。
はいはいはい。
あとは子供との距離がすごい近くて、ワイちゃんに対してみんな。
例えばその電車に乗ったら、まあまず当たり前のようにみんな席譲ってくれるし。
へえ。
なんか隣に座った人とかがあやしてくれたりとか、手とかほっぺた触ってくれたりね。
それも全然嫌な感じはしないわけよ。
あとみんな譲ってくれるっていうのも、まず子供と子連れにすぐ気づくんだよね。
あれは一体なんだろう。なんでなんだろうって思うんだけど。
日本ってみんなスマホ見てるから気づかないじゃない。
そうだねそうだね。
台湾の人たちもスマホ見てるけどなんか気づくんだよね。
これ本当に何なんだろうって思うけど、いいね。
妻はその公共スペースっていうことに対する捉え方がもしかしたら違うんじゃないかみたいなことを言ってたけど。
あとその例えばホテルでもフロントの人が子供を自然にあやしてくれるんだよね。
そうなんだ。
もちろん日本のホテルでも人によっては例えば目があったら笑ってくれたりとかちょっと手を振ってくれたりぐらいのことはするけど、
台湾のホテルの人たちはわざわざフロントの外に出てきて近づいてあやしてくれたりするわけ。
完全にその個人の判断で可愛がるみたいな。
なんかそういう感じ。
あとは帰りの飛行機で後ろの席にいた台湾人カップルの人が、
06:02
ちょうど後ろの席だと俺が抱いてるワイちゃんと目が合う感じになって、
そうするとケラケラ笑わせてくれたりとか、
隣の席のおばさんはおやつくれたりとか。
すごいね。
とにかく全体的に優しくて居心地が良かったんだよね。
優しさ浴びてる感じなんだ。
ちょっとネットで検索したけど、みんなそういう風に言ってるね。
改めて知らない人に優しくされるっていうことを考えてみたんだけど、
電車待ってたり道歩いたりしてるだけで、
そこにいるだけで優しくされるっていう体験は、
大人になると他人からそんなに優しくされないじゃない。
第三者的な人は特にそうだよね。
構われないとも思うし。
だからすごい貴重な体験で、ワイちゃんに感謝してもいるんだけど、
ワイちゃんのおかげだから。
まあそうだね。
でも一方で我が国だと、そんなに感じないは感じないよね。
優しくされる経験って。
もちろん数は少ないけどそういうことはあるんだけど、
親切にされるっていうこともね。
だけど絶対数が相当少ないなっていう。
その辺りのことをちょっと話していきたいなっていう感じですかね。
今回は別に台湾と日本を比較して、
日本社会の冷たさを語ろうとかそういうことではなく、
台湾人が優しかったっていう体験が、
子供を連れて歩くようになって、
たぶん劇的に増えただろうし、
それが台湾ではもうジャブジャブに浴びて、
とてもうれしかったっていうところから、
何なんだっていうね。
感想がうれしかったっていう、すごいバカみたいな。
でもなかなか成人男性として、
特にさっきさ、いるだけでって言ってたけどさ、
なんかさ、対価として優しくされるとかさ。
だから、なんかをしたから見返りとして優しくされるとか、
あるいは我々もさ、時々呼んでもらったりするじゃない?
イベントとかさ。
そうすると一応ゲストっていう立場になるからさ。
とてもおもてなしてもらったりさ。
そういうことは確かにあるが、
そうだね。
それもやっぱりなんか、
何かドゥイングに対して優しくされてる。
そうだね。
09:00
返礼品として優しくされてるとか。
好感って感じがするね。
好感って感じじゃん。
造用ではないよね。
造用としての優しさを、
全く初対面というか知らない人から受ける経験っていうのも、
なんか新鮮だよねって話で、
そうそうそうそう。
そのあたりからの。
そうだね。
だから、子供に対して優しくしてくれてるわけじゃない?
基本的に。
そうだね。
それを通じて、
自分が嬉しかったっていうのは、
どんな感じなの?
もう少し。
なんかひねくれって考えたら、
別に俺に対してじゃないしなみたいな。
でもやっぱり両方あるよね。
子供に構ってくれるっていうことと、
子連れの自分に優しくしてくれるっていう。
なるほど。
日本だと、
ワイちゃんのことすごく構ってくれる人よりも、
子連れだから優しくしてくれるみたいなことの方が、
ちょっと多いような気がする。
なるほど。
俺初めてそれを体感したのは、
ワイちゃんを抱っこしてスーパーで買い物したときに、
外出しだしたときが2ヶ月くらいのときかな。
初めてスーパー行ったんだよね。
めっちゃ混んでるレジで会計したら、
店員の若い女性、レジ打ちをしてくれた女性が、
その買い物カゴを荷物整理するところまで持ってってくれたわけ。
なるほど。
持ってってもらったときに、
事態をうまく把握できなくて、
え、なんで?って思ったの。
そんな体験ないからさ、今まで。
はいはいはい。
ちょっと重かったし、カゴが。
自分より体の小さい女性が、
なぜ俺のカゴを持って行ってくれるのかっていう、
本当にわかんなくて、
ちょっとしてから、
そうか、俺ワイちゃん抱いてるから、
子連れだから持ってってくれたんだってことが、
わかったんだけど。
なるほど。
それはそれですごく新鮮だったけどね。
親切をされ慣れてないから戸惑っちゃうってのは。
そうだね。
あるかもね。
なんで?って。
まあまあ、子供を連れてれば、
その子連れの人として見てくれて、
そこを苦労してるとことか、
できないこととかを手助けして補ってくれるっていうことなんだろうってのは、
頭ではわかるけど、
確かに咄嗟のことだからさ。
そうだね。
なんかこっちもさ、
すいませんとかさ、
ありがとうございますっていう風に受け取れなかったりしてさ、
そうだねそうだね。
すいませんすいません、
大丈夫です大丈夫ですみたいなさ、
そういうことって結構、
あるあるある。
あるよね。
だんだんでもそれも当たり前になってきちゃって、
12:00
同じ店で、
この人は持ってってくれないんだとかさ、
そういう風になっちゃったりもするんだけど、
はいはいはい。
その辺もあるなと思うんだけど、
咄嗟はどう?
双子連れてるとさ。
双子だからね、目立つから、
基本的にはめちゃくちゃ声かけられるわけよ。
なるほどなるほど。
もうどこ行っても、
とにかく連れて歩けば、
何人かには絶対声かけられるし、
なるほど。
そんな経験有名人か?みたいな感じじゃん。
でも絶対声かけられるからさ、
それすごいね、でも。
絶対声かけられるってことはないもん。
ないでしょ、一人で。
ないない。
双子だとさ、
駅前の商店街歩けば、
4,5人には絶対に声かけられるし、
電車乗ってもさ、
でも、もちろんみんな必ず、
双子ちゃんって聞くのね。
もちろんね、そりゃそうだろうっていう気持ちも、
もちろんね。
いやいや、なんつーの、
なんか言い方が難しいんだけど。
でも、要はさ、
双子っていう、
もちろんそれは三つ語とかだったらもっとだと思うけど、
まずその特徴が明らかにあり、
双子ですかって聞くことが、
もうその会話を開くさ、
自然なきっかけになるわけじゃん。
うんうん。
なんか、一人連れの子供にさ、
声かけないってやっぱ、
その、子供ちゃんとかを声かけないじゃん。
そうだね。
だからその、たぶん、
言いやすい、すごく言いやすい状況で、
声かけても、
まああの、変に思われないだろうという感じがするだろうし、
まあもちろんその、
多いのは中高年の女性だけど、
うんうん。
まあでも結構いろんな、
学生の人とかもさ、
なんか、双子ちゃんかわいいとか言ってくれたりさ、
まあそういう声かけられるとかね、
まあかわいいって言ってくれるとか、
っていう意味での優しさはすごく浴びるんだけど、
まあその、何分この花丸さんがこう、
人見知りだから、
本当に最近この3,4歳、
3歳後半4歳ぐらいになってから、
だんだんこう手振ったりっていう、
こんにちはとか言うようになったけど、
こう前、もっと1,2歳の時とかは、
知らない人が近づいてきただけでギャン泣きするし、
で、注目されると固まっちゃうし、
なんならこっちに隠れたりするし、
はいはいはい。
その知らない人を多分怖いって認識してるから、
15:02
こうせっかく優しく声かけてくれたのに、
この人たちが塩対応するから、
うん。
それをもう既にパターンとしてこっちは認識しちゃってるから、
うん。
声かけられたり優しくされると、
もうハラハラするようになっちゃって、
ああ、なるほど。
この優しさに愛嬌で返せないから、
期待に応えられないっていう。
期待に応えられず申し訳ありませんみたいな、
なんかもうなんならサービス提供できなくてすみませんみたいな気持ちに、
やっぱちょっとなっちゃうのよ。
なるほどなるほど。
だからなんならもうなんか、はいこんにちはとかさ、
ちょっと俺がその代弁、
ねえ、代弁しちゃってなんかこんにちはとか、
子供の音声を俺が出すみたいな。
すごいね、その感情労働すごいね。
そうなのよ、まあそれは嫌とかじゃないんだけど、
その勝手にこう、
ああもううちのタレントさん塩対応なんでみたいな、
マネージャー、ちょっと気を回すマネージャーみたいな感じの立ち回りになっちゃうってことは、
割とずっとあって、
優しくされるのはもちろん嬉しいんだけど、
勝手に気を回しちゃうっていうのが基本的にはあるんだけど、
ただまあ単純にその、
ベビーカーを段差で持ってくれるとか、
同じようにスーパーでさ、
カゴを持ってくれるとか、
なんていうのかな、
例えば自動改札とかもさ、
こう通れるように開けてくれるとか、
道を確保してくれるとか、
なんかこうそういうことは本当にたくさんあって、
それは本当に具体的にすごい助けられる瞬間は多々あるね、
自転車乗ってる時にさ、
なんかちょっと、
一人で二人乗っけてる、
自転車止める時とかもさ、
なんつーの、
自転車止めて一人を前から下ろして、
後ろ下ろしてみたいなプロセスの時に、
ちょっと自転車を押さえてくれる人とかもいたり、
そういうのはさ、
本当にこうありがとうございますみたいなね、
こんな都会の砂漠で、
心にオアシスのような、
ちょっとこう潤う感じいただきました、
みたいな気持ちになるはなるから、
確かにそれを成人男性として生きてると、
第三者から優しくされる機会ないよな、みたいな風に結びつけては、
考えたことはなかったけど、個人的には。
でもあのなんか、
これちょっと潤う感じっていうのは、
双子に対しての優しさも去ることながら、
このね、子連れである親、
さらにまあ、
俺の場合はだからさ、
双子大変でしょみたいな感じの、
なんつーのかな、
ちょっとねぎらいみたいな感じも、
18:00
こう受信して、
やっぱこうピースみたいなね、
そういう気持ちには、
確かになってるなーというのはあるね。
話しかけやすいっていうのはあるよね、
なんかすごいでっかいフックっていうかさ、
そうそうそうそう、
なんていうのかな、
特徴があるっていうのってそういうことだよね、
話しかけても、
こういう風に話しかければ、
話しかけて大丈夫ですっていうさ、
もうサインっていうか、
サインっていうのがなんか出てるからね、
ほんとに声かけられるんだよ。
なんかフックがあると、
声かけるんだなっていうさ、
みんな。
そうだね、人はね。
そうそう。
私ワイちゃんに対しても、
愛嬌いいからさ結構ワイちゃんは、
人見知りしないし、
だからかわいいとかって言われることは多いんだけど、
多分ね、
多いってこれ親バカかもしんないけど、
だから単純に嬉しいし、
それこそうちのタレントどうですかみたいな、
いいでしょみたいな、
そういうさ、
そうやって可愛がってもらうと、
自己肯定感みたいなものが上がるような感じもあるよね。
はいはいはい。
それはあるよね、あるあるある。
だから結構、
双子経験を話してくれる人とかも結構いてさ、
なんかうちのいとこも双子なんですとかさ、
自分も双子って人もいたし、
ちょっとしたマイノリティ経験をシェアするみたいな感じで、
双子経験をね、こう聞かせてくれる人も結構いて、
ああそうなんすかみたいな、
そこでこう、ちょっとこう大人同士で会話が弾むみたいな、
なんか電車の中とかでも座っててさ、
隣の人が声をかけてくるとかそういうことも含めて、
それはみんな優しく声をかけてくれて、
それが、
そうだよね、なんかこう、
ちょっと肯定感満たされるとか癒しになるっていう意味では、
本当に優しさ、
社会でね、
そうやって優しさが交換、生き返る社会はすごくいいなって思うけど、
台湾なんかは特にそれがすごかった。
そうだね。
もうあらゆるところでひっきりなしだったわけでしょ。
そう、あらゆるところでひっきりなしだったね。
俺も今思い出したんだけど、
近所の公園とかで双子を連れてるお母さんとか見つけると、
話しかけるもん。
僕の仲いい友達にも双子がいるんですって。
そうそう、そういう方向から話しかけるみたいな。
不思議だよね。
ナンパみたいな感じで話しかけてるわけじゃん、要は。
そうだね。
下手すりゃね、これ理由がわかんないと、
21:00
ナンパや勧誘のような風に感じになっちゃって、
すごい警戒するシーンなのにさ。
そうだね。話しかけやすいってあるよね、人に。
特に子供を連れてる人だとそうだけど相手が、
なんだろう、自分自身は別に変わってないのに、
ある程度無害認定されるっていうかさ。
そうだね。
安心感みたいなのを、子供連れてるとあるような気がするな。
そういう感じの、だからみんなその関係性のあり方とかきっかけとか、
タイミングとか含めてさ、優しくする可能性やポテンシャルみたいなのはさ、
本当はそこら中に転がってるわけだよね。
確かに確かに。
店員さんとかもさ、やっぱすごいみんな、
なんていうのかな、2子たちがさ、特にレジでさ、
なんだっけ、バーコード読み取るやつ。
バーコードリーダー、なんだ。
リーダーなんかをさ、やってもらいたいからさ、
店員さんに自分でお願いしますって渡すわけよ。
そうするとやっぱりみんなね、店員さんとしてっていうところもあるけど、
みんなその人の人柄みたいな感じ、個人としてちょっとさ、
店員さんっていう役割を越えてさ、話してくれたりさ、接してくれる感じが、
それやっぱいいよね、そのなんかこう、よく言うビーイングみたいな意味でのさ、
その人のそういう部分が見えるっていう感じを一瞬感じるだけでもこんなにさ、
ピースな気持ちになるっていうのは、
ピースね。
ピースな気持ちになるっていうのはなんか、
こう、いいなともちろん思う反面、ただ一方ではさ、
やっぱりこの社会は、子連れに厳しい、冷たいという側面もあるわけじゃん。
そうだね、そうだね。
まあだから、どっちかっていうとそっちのほうがベース感覚で言えば、
基本的に、だから台湾は多分基本的に優しい社会なんだろうね。
そうだと思う。子は宝みたいなのがすごい教育として徹底されてる。
子供の頃からそういうふうに教え込まれてるみたいなことは、
これネット記事で読んだだけだからちょっと分かんないけどね。
そういう意味では、まあ確かに、
まあ俺も今、優しくしてもらう経験も多々あるんだけど、
ただ、例えばね、エレベーターとかさ、
何をしても全く譲ってもらわないときとかもザラだし、
まあ双子用ベイビーカーでかいからさ、
なかなかこう、一回見送って上に行ってまた下に来て、
24:02
空いてるときに乗ろうと思ってもまた人が結構いてみたいなね。
それでも何往復も乗れないとか、
あと、まあ電車でもさ、バスでも、
もう結構場所取っちゃうっていうところもあって、
ただで最高なんか申し訳ないという気持ちは確かにあるんだけど、
まあそういうときにとっさにスペースを空けてくれる人もいれば、
もう全く、なんなら下打ちされることもやっぱあるし、
そうなんだ。
あるある。あと、ベイビーカーじゃないときなんかは、
今なんか特にこう、普通に一緒に電車乗って行けるんだけど、
なんか寝ちゃったりするとさ、
表の二人で、一人ずつ抱っこして電車乗って、
結構なんか15、6キロあるからもう、
そうだよね。
ヨレヨレしてるんだけど、
まあ席なんか全く譲ってくれないことの方が多くて、
譲ってくれることもあるけど、
だからまあ譲ってもらうことがないだろうな前提で、
まあこっちはいるから、なんつーのかな。
だからそれを譲ってくれる前提でいるとさ、
なんで譲ってくんねんだよみたいな気持ちがやっぱになっちゃうから、
昔さ覚えてる?なんか俺らが一緒に住んでたときにさ、
俺が骨折してさ、
はいはい、覚えてるよ。
松葉杖でさ、一緒に電車乗ったときさ、
全く誰も譲ってくれなかったじゃん。
そうだね。
で、森さんそれに対して行き道痛じゃん、なんか。
そうだね。
ようかと思ったもんね。
ねえ。
いや譲りませんか普通って。
こんな松葉杖折れてるやつが。
まあああいう感じの気持ちになることもやっぱり一方で多々あるし、
まあSNSなんか見ちゃうとさ、
まあ小連れ様っていう言葉が結構ネットスラングであるじゃない?
小連れはなんかすごい権力者だみたいな。
で、どこ行っても優遇しなきゃいけない存在で厄介で怖いみたいな、
そういうスラングがあるし、
あとなんかすごいこれもひどいんだけどさ、
そのベビーカーをさ、
まあネットスラングっていうよりこのアンチフェミニズム的な人たちの間で
交わされてる呼び名だと思うんだけど、
ベビーカーをポリコレ戦車って言ってる人もそういう言葉があって、
だからポリコレ戦車が突っ込んできたみたいなね。
すごいね。
すごいじゃん。
誰も政治的な正しさ的に逆らえないからベビーカーが来たら譲るしかない、
避けるしかないんだけど、
あれはそのポリティカルコレクトネスを権力勝手にした戦車だみたいな感じで言葉があって、
27:07
結構なんかもう恐ろしいなみたいな気持ちにもなる部分もあるからね、
この社会知らない人に優しくされることの嬉しさと、
やっぱりまだまだとても小連れに冷たい社会であるというこの二面性をどう捉えればいいのかみたいなね。
小連れ様でいいじゃんね。小連れ様だよ。
小連れ様だよって。
だってみんなそうやって育ってきたわけじゃん。
本来はそうだろうね。
自分がもし子供を持たなかったとしても、
自分は絶対に、絶対にかどうかわかんない、いろんな人がいるからあれだけど、
たくさんの優しさで絶対に成り立っているはずなのに、
そういう優しさを享受してきたはずだから、それを返すっていう発想にならないんですかね。
でもそこが今回のテーマとも何となく結びつく気がしたんだけど、
要は優しくされないと優しくなかなかできないってとこもあるじゃない。
この東波とカイトさんの聞いてもらう技術ってのがあるけどさ、
やっぱり話を聞く人は、その人も誰かに話を聞いてもらわないと、
なかなかケアの雑用交換みたいなのはできないってことだと思うんだけど、
もしかしたらだよ、社会人として生きている、
もしかしたらもっと言えばそれで男性であるっていうところの属性で、
社会からさ、ドゥとしての優しさではなく、
ビーとしての優しさを浴びる機会が全くないと。
やっぱり浴びていいじゃんっていうとこもあるじゃん。
確かに俺が浴びて嬉しかったっていうのはそういうことだよね。
より嬉しく思ったっていうのはすごい新鮮だったっていうのはね。
その存在に気づいてもらい、気づかってもらい、
ちょっとしたケアを提供してもらい、
どっちもそれに対して感謝やなんやで答えるみたいなピースなやり取りが、
確かに社会人、大人の男として生きてると、
まず貢献して見返りとして優しくしてもらうみたいな感じの感覚が染み付いちゃうからさ、
一方で見えないケアをたくさん表示してるって特権性もあるからなんとも言えないんだけど、
30:06
でももしかしたらそういう優しさが生き返ってないと優しくできないみたいなところも背景にちょっとあるのかね。
どうなんだろうね。
そうだね。それはそうかもしれない。
難しいね。
優しくするとか親切にするってまず話しかけないとダメだからさ、多くの場合。
そうだね。
話しかけるっていうアクションがなかなか取れないっていう問題も多分あるよね。
それはなんか国民性みたいなものもあるような気がするけど、シャイっていうかさ。
そういうのはあるよね。
あと優しくするってニーズを読み取ったり認識しないとできないじゃん。
今物を持つっていうことで困ってんだな、じゃあ持ってあげようとかさ。
今重いもの持って立ってるとバランスが悪くなる、だから椅子を譲ってあげようとかさ。
ずっと子供を相手してるのは疲れるだろうから、ちょっとの間こっちが子供を構ってさ、
息抜く時間を提供してあげられたらいいなとかさ、ニーズが見えればケアを提供できるじゃない。
話しかけてニーズを把握するっていうアプローチもあるし、
あと共通体験から想像によってさ、多分今こうなんだろうな、だからこうしようっていう感じでニーズを把握することもできるだろうし。
だからそういうふうにして、優しさが生き返ればいいけど、
だからまず話しかけるきっかけもなければ、困り事を想像してもらうみたいな経験もないきっかけもないとか、
その対象に見られてないってことなのかな、なんかわかんないけど、大人って。
そうだね、話しかけられるものしないもんね。
しないもんね、本当に。
他人に話をすることの効能みたいなのってあってさ、
これはクーリエ・ジャポンに載ってたアトランティックっていうアメリカの雑誌かな?の記事で、
見知らぬ人と話をすることで私たちがより幸福になり、社会との結びつきが強まり、
頭がさえ健康になり、孤独感が薄れ、人を信頼できるようになり、楽観的になることが研究によって繰り返し証明されてきたって。
そうなんだ。いいことづくみじゃん。
そう、ちょっとしたことを話すっていうことがすごい大事なんだっていう。
33:00
まあでもそれはあるよね。
そうそう、だからセラピー、それ自体がセラピーになるみたいなね、知らない人と会話をするっていうことが。
これなんかね、恋愛よもも山晴らしの方でも今度紹介するロブスターFMっていうポッドキャスト、海外のトピックとかニュースを紹介するっていう面白いポッドキャストがあるんだけど、
そこのね、何の回だったか忘れたんだけど、この話をしてて、へえって思ったんだけど、
ロブスターFMの人もニューヨークに行った時とかにすごい話しかけられるって、それがすごいとても良かったっていうふうに話をしてて、
なんかそのカバンいいねとか、そのカメラのストラップいいね、クールだねみたいなこと言われて、気持ちが上がったって言ってたかな、ほっこりしたとか、そんなようなことを確か言ってたと思うんだけど。
確かに、なんかわかる気がする。
子供連れてて話しかけられることの良さってさ、なんかそういうのもあるじゃん、すごい。
あるある、確かにね。知らぬ間に我々はセラピー効果を。
そうそうそう。気持ちはやっぱり優しくなれるよね、それは。
うん、そうね、それはそうだね。
で、アトランティックの記事のポイントは話しかける人の方も幸福度が上がるっていうところが結構ポイントなんだと思うけどね。
話しかけられるだけじゃなくて、それもわかる。
いやーわかるわかる、確かに。
子供連れていることで、なんかその見知らぬ人に話しかけることっていうのも増えたような気がするかな。
例えば同じ子連れの人とか、さっき言ったように双子連れの母親を見た時とかに、時間ありそうだなと思ったら話しかけてみたりとか。
うーん、まあ講演とかあるわね。
だからこの見知らぬ人と話をすることでっていうのはすごくわかる。
確かに、なんか本当にこのめっちゃ可愛い革持ってんなーとかさ、ちょっとこう話しかけたくなるもんね。
なるなる。
めっちゃいいっすねーとか言ってさ、なんならちょっとどこのですかとか聞きたい時もあるしさ。
あるあるある。
でもナンパみたいに思われちゃうだろうなーとかさ。
そうだね。
その子供を媒介にしてない個人として一人でいる時なんか全然やっぱりできないけど、そんなのができたらね、嬉しいっていうか。
一歩なんだろうね、大学の非常勤講師やってる時なんかはさ、話しかけられるとちょっと嬉しいもんね。
あー、なるほどなるほど。
向こうの方、生徒の方が人数多いし、向こうは普通のクラスだからみんな、なんつーの、馴染みの空気もあるからさ、こっちをいじったりできるわけよね。
36:03
うんうん。
先生髪切ったーとかさ。
はいはい。
ピンク可愛いーとかさ。
うん。めっちゃいいね。
そういうの言われるのよ、そうするとやっぱりちょっと嬉しいじゃん。
それはそうだろうね。嬉しいだろうと思うよ。
あれだから言ってる側も嬉しいっていう可能性があるってことだよね。
そうそうそうそう。
ちょっとこう軽く、なんか俺がパン食ってたら、パン食ってんだけどーみたいな。
何パン食べてんの?とか聞かれるんだけどさ。
向こうも優しさ、ピースが交換されて、醸成されてるっていう風に考えるととてもいいですね。
ちょっとした会話がたくさん行き交う社会はとてもいい感じですね。
そうだね。またちょっとロブスターFMの話になるけど、ニューヨークなんかは街中にちょっとしたベンチがたくさん置いてあったりとか、ちょっと立ち止まれる場所とか。
いいね。
っていうのがたくさんあるんじゃないかみたいな。
街の設計がそういう風になってたりもするんじゃないかみたいなことまで話をしてたけどね。
確かに確かに、前に杉並区長の岸本聡子さんにインタビューする機会があってさ、
区長もそんなこと言ってたわ。そこかしこに座る場所があって、雑談がたくさん生まれる街の環境設計っていうのが、スペインとかめちゃくちゃそういうの意識してやってんだって。
そうなんだ。
なんかそういうのもね、もしかしたらすごく関係のある問題かもね。
ちょっとでかくなっちゃって、とりあえずね、俺らでどうにかできるもんじゃないけど。
俺が育った商店街で育ってるから、割とそういう人がごちゃごちゃ生きかかっててさ、
ちょっとした会話なんていうのは本当にたくさんあって、もちろんそれが鬱陶しいとかさ、めんどくせえなとか、
今ここなんか話しかけないでほしい気持ちなのにめちゃくちゃ人が絡んでくるとかそういうのもいっぱいあったんだけど。
まあでも、そういうちょっとしためんどくささや恥ずかしさとかもあるけど、やっぱりそのね、ちょっとこう潤いや、なんだろうね、
セラピー効果があるっていうのはなんかちょっとね、意識して、だからね、これからできるかわかんないけどそうなるといいなっていう感じですかね。
それでこそピースだと。
ピースだね。
知らない人が優しかったピース。
ピース。
ピース目指していきたいですね。
そうですね。
39:00
今日は森田さんの年始の台湾旅行の経験から、知らない人に優しくされること、あるいは誰も優しくしてくれないことなんかをテーマに話し合ったわけですけど、
結構ね、ジェンダーの問題とか社会構造の問題や心理的効果とかもあるなーみたいなことで、なかなか困ったかもしれないなということで、今回は知らない人が優しかったピースをテーマにお送りしました。
この番組では皆さんからのお便りを募集しています。
番組を聞いての感想や2人への質問など、どしどしお寄せください。
今回から概要欄に回答用のフォームを貼り付けてありますので、お便りはそちらまでお願いします。
また、スポティファイなどでの評価もぜひお願いします。
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
それでは皆さん、また次回。
よろしくお願いします。
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