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みなさんこんにちは、オトコの子育てよももやまばなし。この番組は、現在5歳の双子を育てる清田と、2歳の子供を育てる森田が、育児のよもやまばなしを雑談していく番組です。
はい、前回はゲスト、ゲスト回ということで、富永京子さんをね、お招きして、育児のアウトソーシング問題っていうのを取り上げました。
結構ね、富永さんのご自身の経験とか、専門家としての、研究者としてのね、職業上のジレンマとか、すごいいろんな経験を語ってもらって、贅沢な時間でしたね。
そうですね、最高でしたね。富永さんは、ご自身のポッドキャスト、仕事の合間でも、結構、ももやまの本編の方とか、この子育ての番組のことを言及してくれて、出ましたっていうことをね、明らかにアクセスが増えてますね。
ほんとですか。やばい、総合コラボ効果。向こうに増えてるかわかんないけど。いいね、そのコラボ文化っていうか。
そうそう。
確かに、SNSでもね、これきっかけであっちを知ったとか、あっちからこっちに来たとかさ、そういうようなことを書いてくれている人もいたので、またぜひ、富永さん含め、いろんなゲストともおしゃべりしていきたいわけですけど、
今回はですね、森田さんが、自己啓発としての育児というテーマを持ってきてくれましたけど、急に何ですか。
いや、なんか、子育てしてると自分が変化してくな、みたいなふうに思って、そういうことを語ろうとすると、なんか結構自己啓発っぽくなるなっていうふうに、ちょっと思ったっていう、そういう感じなんですけど。
確かにね、自分の変化や成長、あるいは気づきみたいなね。
そうそうそうそう。
育児を通して、まあいろいろ発見があるのは確かだけど。
いや、そうなんだよね。
語れば語るほどっていう。
なんかちょっと前に、お風呂に入ってるときにね、ワイちゃん、これまでお風呂でそんなに遊びたがらなかったのよ。
うん。
そんなに好きな感じもなくて、お風呂が。
お風呂に浸かるとかすると?
そうそう、お風呂に浸かるのが。
そういう状況だったんだけど、なんかその日はね、面と向かって遊んでくれてさ、抱っこする形でね。
うん。
で、なんかこっちがちょっとおどけた、バーみたいな声出すと、ワイちゃんも真似して声出して笑うとかさ、なんかこう、ちょっと寄生っぽいさ、お、お、お、みたいなさ、寄生あげてさ、
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バシャバシャ水叩くとさ、なんか狂ったように喜んだりとかね。
はいはい、いいね。
そうそうそう。
楽しそうだね。
で、こっちはちょっと変な顔するとかさ、それともうほんとに、でもそれでたぶんね、10分くらいそれで遊んでたんだけど、
うん。
その時に、なんかすごい、自分がこういう自分になるとは、みたいなことを思って。
あー、なるほどなるほど。
なんかその寄生あげてさ、奇妙な顔をするとかってさ、それがごく自然にそのワイちゃんを笑わせるためにさ、こうやってるんだけど、普段俺はあんまりそういうキャラクターじゃないから。
確かにね、そういうのはパッとは想像つかないよね。
そうだよね、なんかね、自分で言うのもなんだけど、なんかちょっとこう澄ました感じだからさ。
うんうんうん。
なんかこう、でそれが別に、え、なんていうのかな、無理してやってるわけじゃなくて、自分が引き出されてる感じがして、
うん。
なんかこの自分は知らなかったなみたいな感じになったわけよ。
なるほど、新しい自分。
新しい自分。でなんかその時に、子育ては知らない自分に出会うことだな、みたいなことを思ったわけ。
なるほどね、でも分かるよ、とっても分かる。
もうさ、自己啓発っぽいじゃん、すごい。
そうだね、そこだけ切り取るとね。
そうそうそうそう。
あとなんかさ、啓発、自己啓発って言っても、えっと、自己啓発するもの、啓発するものはさ、外から来るものじゃない?
本なりさ、動画とかでもなんでもいいけどさ。
うん。
なんかそれとちょっと似てるところがあってさ、要は子供っていう、外から変化のきっかけみたいなものがさ、あるっていう意味では、
なんとなく、これを大きく言えば自己啓発なんだなっていう風にも思ってね。
まあそうだね、外から何かとの出会いとかコミュニケーションとかをきっかけに内的な変化が起きるっていうね。
いや、なんかね、えっと、それも考えたんだけど、えっと、外から、で今なんでそういう風にすごい思ったかっていうと、
多分ワイちゃんが成長して、こっちに働きかけてくる量みたいなものとか質みたいなものが変わって、
だいぶ向こうからこっちに働きかけが大きくなってるからだなっていう風に思うわけよ。
なんか言葉もかなり増えてさ、文になってきてさ、〇〇したとかさ、〇〇なの?とかさ、これ何?みたいな文になってきてさ。
なんかさ、完全な赤ちゃんの頃ってさ、基本的に向こうからこっちへの働きかけてさ、結構少ないじゃない?
まあそうだよね、世話をするっていうかね、こっちは反応応答してるって感じですね。
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そうそうそう。だから意図を持ってこっちに働きかけてきてるわけじゃないからさ。
いや、だからすごい思ったんだよね。変化するのが結構自分次第で、自家発電的にやらないと難しい。
ああ、なるほど。
今はダイレクトにワイちゃんがこっちに働きかけてくるから、それに合わせる形で自分を出していけばいいみたいな感じ。
まあそうだね。リアクションとかも結局、超赤ちゃんの頃はさ、泣いてる、
あ、おむつがねえかゆかったのねえとか、お腹空きましたねえとかさ、こっちが推測してこっちが向こうの感じていることとかをさ、
読み取って言語化して、まあ想像してって感じだったけどさ、多分まあコミュニケーション取れるようになっていけば、明らかに喜んでるなとか、明らかに怒ってるなとか、
まあわかるもんね。
だから双方向の感じになってるんだろうな。
こっちから一方的じゃなくて、ワイちゃんからも働きかけがあるから、それによって啓発されるみたいなね。そういうこと?
なるほど。わかりますわかります。
成長ってわけでもないんだけど、ふと知らない自分みたいなものが。
いやそうだよ。やっぱ啓発だからね。開かれる。
あ、まあそうだね。っていう話でした。
そういうテーマ。
なるほどなるほど。この、俺もさ、結構、まあ全然やれてないけど、その育児エッセイ書きましょうとかさ、本にしましょうって話はいただいていてさ、
いろいろその、打ち合わせをしたり、なんていうのかな、テーマをちょっとやりとりしたりってことはやってるんだけど、
やっぱどうしてもその子供がこうなったこうなったっていう話よりも、育児を通して変化したり、考えたりした、その自分の問題を書くっていう方がなんとなくしっくりくるなとは思ってて、
で、そういうことは折に触れてメモしたりしてるんだけど、
まあそれも言ってしまえばちょっとやっぱ自己啓発っぽいというか。
まあだから、いろんな変化は当然あるし、気づきもあるし、成長もあるだろうしってことだし、
まあ育児を通してこう幼き日の自分と出会い直すみたいなことはよく言われるけどさ、その体験が面白いっていうのもあるし、普段俺が自分で書いてるジェンダーの話とかも全然つながるんだけど、
確かに子供という、子育てというものを通じた自分の変化を語るときに、なんかどこか自己啓発っぽく、なんかその成長とかさ、なんか綺麗な感じとかさ、になっちゃいがちだなっていう、
なんかそう、自己啓発という言葉では認識してなかったけど、なんかそのいい感じになっちゃうっていうのはちょっと一つのこう、なんていうのかな、課題というか、
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わかるわかる。
として捉えてて、だからなんかこうもっとドロドロしたこととか、なんか若干意図的に、もうマジ育児無理だわみたいな感じも盛り込まなきゃみたいなことはちょっと思ってたりしたから、
それは逆説的に、どうしてもなんか育児を通じた成長とか気づきを語ると、なんかいい感じの自己啓発になっちゃうっていう問題が多分あるんだろうなと、思うよね。
そうなんだよね。
うん、だから面白いテーマだなとは思いつつ、じゃあ具体的に何をっていうところ、じゃあ一つはそのお風呂のシーンを通して気づいた、
まあ、ちょけた自分。
ちょけた自分だね、そうだね、ちょけた自分、とか、あんまり、これはちょっと違うけど、自分の変化っていう意味で言うと、あんまりこれ成長とかじゃないんだけど単純な変化だけど、
はい。
なんかほんと小学生とかを見ると、重ねちゃう?とか、そういうのはあるよね。
いつかのYちゃんを?
いつかのYちゃんを重ねちゃうとか、
あー、なるほど。
そういうのとか、
うん。
かなぁ。
なるほどなるほど。
なんか、鳥すがりに赤ちゃん見ると凝視しちゃうとかさ、
え?
赤ちゃんを見ると凝視しちゃうとかさ、すごい。
それはどういうなんか観察なの?
かわいい、かわいいなって。
やっぱこれ、かわいいみたいな。
そうそうそうそう。
そうなんだ。
なんか、俺はそこの面ではあんまり逆だったんだよな。
あ、そうなんだ。
そこの面ではね、つまり、もともと自分はさ、動物とか子供に興味がない人間という自覚があったから、
子育てとかを通じて当然、接する機会も増えるしさ、慣れとかもあるじゃん。
うん。
子供という存在に対する解像度が、それは当然、桁違いに上がってるはずだから、
道に行く子供とかさ、
あ、保育園でお散歩してんだなとかさ、
そういう街の子供に気づく率はすごい上がったと思うし、
公園とか行ってもさ、
想像がつくじゃん。
こういう子供たちもこういう生活していて、この日はこうやって高校で遊んでんだなとかはさ、
なんかそういう具体的な人間という存在として、視界に入ってくるようにはなったんだけど、
そうだから妻のしおりさんなんかはさ、子育てを通じてすごい子供に対する興味がますます上がって、
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結構今、子供に関係するちょっとした仕事とかもやってんのよ。
そうなんだ。あの、もともとの仕事の?
もともとの仕事とは別に、学童で働き始めて。
あ、そうなんだ。いいね。
そうなの。それはちょっと知り合いの手伝いというとこもあるんだけど。
で、いっつもその学童に来る小学生学校とかさ、そういう話をしててさ、
いいね。
あと保育園の友達に対する興味もさ、
なんかほんとに他のクラスの子供の名前とか顔とかもすげー覚えてるしさ、
なんかそういうのと比較するとさ、
俺はやっぱり結局ね、花丸さんとその周辺の仲良い子供ぐらいであって、
そんなに俺は子供に興味ない、やっぱりない人間なのかなみたいな。
だからちょっとそういうのを痛感するみたいなことも、まあ、あったりするんだけど。
でもまあそれは、まあちょっとその、負の自己啓発っていうかさ、
まあこういうことも言っといたほうがリアルみはあるかなぐらいの感じでさ。
まあやっぱり、やっぱりなんか、自己啓発。
まあ一個はその、
ある?
あるあるある。
なんていうの、イチャイチャができないみたいな話はずっと桃山のポッドキャストでもしてたしさ、
結構その恋愛におけるその投水能力っていうかさ、
そういうのには全くこう、自分は自信がないというか、そんな話をずっとしてたじゃない?
で、やっぱ育児を通して、まあとりわけこう、やっぱコミュニケーションを取れるようになってから、
例えばほんと自然に、まあなんと危ないから手を握るとかもあるんだけど、
別に道を歩いてるときじゃないときとかも、なんかずっとこう手繋いでたりさ、
あとなんか、なんつーの、ハグをしたりさ、
その可愛いとか好きだよとかみたいなのを、こう伝えてる自分がいるわけですよ。
ほー。
その自分をさ、やっぱり今日、客観的に見るとさ、
全然こういう感じって、今までそんなに知らなかったなみたいな、
そういう感じはちょっと自己啓発っぽいとか、愛情表現とかスキンシップとかを、
手雷なくできる自分っていうのは一つありましたね。
いやー、なんかまあ俺のにちょっと似てるけどね、だからね。
そうそうそうそう、そういうのはなんか。
なんか変化だね、でもね、すごい、わかる、わかるなーと思うし。
うーん。
そういうのやっぱ言うの?
言うよね。
ワイちゃんにも。
ワイちゃん、でもまあよく考えると俺そんなに、言葉の方は、
言葉の愛情表現足りないと言われてきた男だから。
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そうなんだ。
それはね、子育てじゃなくても。
そうそう。
だから、そういう意味では自分もそういうところあるのかなって思ったし、
まあでも、キュータほどイチャつき力が低いわけじゃないから。
そうだよね、だって恋愛。
私情主義の。
本当にこれ、慎重に言わなきゃいけないんだけど、
一緒に寝てる時とかさ、なんか恋人みたいだなって思うわけよ。
うんうんうん、でもまあそうだよね。
イチャイチャしてる感じが。
うんうんうん。
面白い、変な意味じゃなくてね。
うんうん、まあわかるわかる、スキンシップとかね。
そう、母になった友達とかに、高校の友達とかにね、聞くと、
なんかすごいわかるって言われたのね、この間。
そんなの全然わかるよって言われて。
うん。
でもなんか、ちょっと言いづらいじゃん。
うん、まあまあ、そうねそうね。
変なふうに捉えられないからさ。
うん。
だけどなんか、もう一緒だなって思って。
そうだね。
うん。
うん、まあだから、変なふうに捉えられるかもっていう意識すらないのかもね。
なんかその、自然にできちゃう人たち。
ああ、そうかもね、うん。
っていう人がもしいるとしたら。
うん、いやそんなの当たり前でしょ、子供なんだからって、自分の子供だからって。
とかね、あとまあ、もしかしたらこれ俺らは男だからさ。
ああそうだね。
なんかその、スキンシップとかさ、イチャつくっていうことに、なんかうっすら加害性とかがさ、
帯びちゃわないか、みたいな、心配をするじゃん。
はいはい。
そう思われるんじゃないか、みたいな。
なんかそういう意識もなんか関係してるのかもしれないけどね。
そうだね。
うん、まあでもあるよね。
あるある。
そういう自分には、出会えたっていうのは感謝ですね。
そこだよね、そこ。
新しい自分にね。
新しい自分に出会わせていただき、本当に感謝。
出会うは、あっち、難しい方の出会う。
新妞?新妞か。
出会う、新妞の出会うで、木付きの木は米の木で、行きたいね。
いや、こんな、ちょっと細かにするようなこと言ってるけど。
でも実際本当にそういうふうに思うし、あとその、なんていうのかな、この、
もう一つはそのね、入院したときにね、子供が。
まあやっぱり、ちょっと前に、二人連続で入院したみたいな話は確か、
前回そんな話だよね、富永さんにしたと思うんだけど。
まあそれは、24時間突き添える病院だったから、
まあその大変さはあるけど、まあなんていうのかな、
まあ一緒に入れることの、その、なんていうの、安心っていうのもあったんだけど、
その前にも2回ぐらい入院してて、花丸さんの丸さんがね、
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その、そのときはさ、夜、消灯時間になったら帰んなきゃいけないのよ。
そのときにさ、9時、9時だったかな、8時だったか、その帰んなきゃいけないときにさ、
帰んないでってなるじゃん。
なるね、それね。
その、やっぱ病室で一人で寝なきゃいけない。
で、双子だから特にその相方もいないし、
で、ずっと点滴がつながっていて、
ね、まあ夜中なんかあればそれはナースコールとか呼べば人は来てくれるけどさ、
もうめちゃめちゃ心細いじゃん。
うん。
で、帰んないでって泣くわけよ。
うん。
で、そのときにさ、ほんとにこう、縛りつけられるような、
帰るに帰れないみたいなところの感情とか。
うんうん。
あとなんかその、もらい泣きしちゃうっていうかさ。
うんうん。
なんつー、ほんとにこっちもなんかもう、涙が出てくるわけよ。
いや、出るんじゃない?それは。
かわいそうだなーみたいな気持ちもあるはあるんだけど、
なんかもっとこう、心からそのシンパシーみたいな感じのね、
こっちもすごくその、つらさが我がことのように伝わってくるし、
まあなんかそういうことってのは、自分はもともとそういうタイプの人間のような気もするし、
そういうのが全くない人間という分析もなんか、前お便りいただいたけどさ。
うん。
ちょっとそれはどっちかわかんないんだけど、こんな俺、
自分涙を流して、こう立ち去り、帰りづらい、
このなんかものすごい苦しい気持ちになるっていうのは、
なんか若干ね、まあそれもあの、新たな自分という感じがそのときはしたんだよね。
うんうんうん。
こんな風に俺泣くんだみたいな、かわいそうだなとか、
いてあげたいなとかそういうこととはまたちょっと違う次元の感情になったときに、
ちょっとこう気づきよう。
あの、抱いたことのない感情ってことでしょ?
そうだね、だから似てるかもしんないね。
抱いたことのない感情を持ったって感じだから、
すごいねそれねやっぱりね、わかるけどすごい。
なんかね、俺ほんと、なんかこういう場面ってよくあるんだけど、
例えば、自分がいなかったらこの人大変だろうなとか、
あと過去の恋愛とかにおいても、
なんかこう、例えば辛い目に相手が泣いているとかさ、
悩んでいるとかっていうときにすごいこう、心が反応するんだけど、
そのときにはなんか、
あ、俺ここでなんか立ち去ったらなんか失望されるかもなとかさ、
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なんかそういう不安とかも必ずセットになってんだけど、
なんかここで役立てないとまずいのではないかとかさ、そういう義務感とか、
なんかそういうのが一切ない、こうなんかピュアな、
ピュアなね、純粋なね。
ピュアな、純粋なシンパシーみたいなのがちょっと新鮮だったかな。
なんかさ、すごい話が飛ぶっていうか、
それで今俺が思い出してたのは、
なんか、変なこと言うよ?
なんかさ、寝る前とかさ、
結構死ぬこと、自分が死ぬことを想像して怖いみたいなのってさ、
まあちっちゃい頃はあったしさ、
で俺結構大人になってからも、それなりに泣くはないわけよ。
死ぬの怖い?
死ぬの怖い、いや死ぬの怖いなって、
あのふとした時に寝る前に思ったりしたんだけど、
なんか今それが、もう自分のこと全然思わないよね。
そうなんだ。
もうなんかその、まいちゃんがなんか事故にあってとか、
なんかそういう想像、すごい嫌な想像だけど、
そうするよね、その想像は。
なんかそうだね、
そういうテレビのニュースとかさ、
ああいうので見たりとかさ、新聞とかさ、
あとなんか動画で、なんかちょっとそういうのが、
Xで回ってきたりとかさ、
まあなんかさ、そういうのを見た日だと思うんだけどね、
だいたいそういうこと考えるのは、
読んだり、何か読んだり見たりした日に、
なんかそれと重ねちゃったりして、
ああ、みたいな感じになるんだけど、
で、それ本当にふと気づいたのなんか、
あれこれもう、結構まいちゃんが生まれてから、
まいちゃんがそういうなんか大変なことになっちゃうことしか、
こういう思考回路では考えなくなったなと思って、
自分が死ぬことを全然考えなくなったなって思ったんだよね。
すごいな、それ。
ない?そういうのはない?
いや、
自分が死ぬのが怖くないってことじゃないよ、全然。
全然違うけど、
今まで自分が死ぬことを想像して怖くなってた時間が、
そのまま、まいちゃんに何かあったらみたいなことに置き換わったって感じがするわけよ。
それはすごいですね。
ハイヤーステージに。
ハイヤーステージなのかな?よくわかんないけどね。
魂のステージが。
やっぱね、啓発されてね。
それはすごいんじゃないですか、一種の下脱というか。
いや、どうなのかな。
24:02
子供がさ、道歩いててすぐ車に轢かれたらとかさ、
あの角から車や自転車が飛び出してきたらとかさ、
ちょっとした風邪ひいたときにさ、このまま食べられなくなってとかさ、
確かに自分がちょっと手を洗い忘れたときに、
触ったものがあの人たちの口に入っちゃったみたいなさ、
そういう瞬間に、なんかわーって想像が死にまで直結するみたいなこと確かにあるけど。
なんか坂道を降りてたら転んでベビーカーを手離しちゃってそのままこう、
ベビーカーが先に行っちゃうとかさ、
なんかそういうのとかさ、さっきも思ってたけど俺なんか、
昼寝する前に絶対に坂道気をつけようって思って寝たんだけど、昼寝したんだけど。
すごいな。
俺、結構逆の想像とかしちゃうときがあるから。
逆って?
そのカリギュラっていうさ、言葉知ってる?
わかんない。
なんかやっちゃいけないことをやったらどうなるんだろうみたいな。
あー、それもわかる。
あるじゃん。
あるあるある。
だから坂でベビーカーやってるときなんかは、
ちょっとパッて離したらめっちゃスピードが出て、
超怖がりそうだなみたいなのを想像して、
ちょっとだけウケるって思っちゃう自分もいるのよ。
まあそういう自分も正直いるはいるけど。
でもちょっとそこまでその、自分の仕様。
いやだから別にいい、なんつーの、
いいことだともそんなに思わないっていうか別に、
何もなんつーの、
気候の中だけで起きてることだから、自分の。
はいはいはい。
でもまあ、それだと大きな変化じゃないですか。
そうだね、変化だよね。
いやまあそれでさ、
いやその、何だろうね、これ言いづらさ、
この自己啓発的なことの言いづらさって、
何だろうっていうふうに思ったときに、
なんか一つは、いわゆる自己啓発のやだみみたいなものはもちろんあると思うんだけど、
なんか、
いいものとしてあまり捉えるの良くないかなっていうのない?
あ、育児全般?
育児全般。
あーはいはいはい。
なんかわかる。
子育てが。なんかさ、
その俺、すごい楽しいなって思うんだけどさ、
楽しいぞって言いづらいところあるじゃん。
なんかそういうのもあるのかなっていうふうに、
ちょっと思ったりもする。
27:00
まあそうね。
まあ綺麗なものとしてだけ語る、
語っちゃっていいのかみたいな、
戸惑いというか、
抵抗感というかね。
まあそれは、
何だろう、
わかるわかる、その、
まあそれは多分さ、こういう、
ヴィランとして受け取られやすい土壌が最初からあるじゃん。
こういう。
だから、
まあ例えば俺もさ、
別のシーンで、
新たな自分への築きという点で言うと、
私あの人の唾液が苦手なんですよ。
あーそうだよね。
あーもう関節キスとかさ。
回し飲みできないもんね。
回し飲みできないから、
まあちょっとコロナ禍っていうのもあるかもしれないけど、
子供の唾液も、
なんか苦手だったのよ。
だからなんか、
ヨダレでビチャビチャになったものとか、
なんか触れない。
抵抗感がすごいあって、
で、子供のヨダレなんてさ、
あのもう、
綺麗な水だよみたいな、
こうそういう、
あるじゃん、なんか。
そんなのあるの?知らないけど。
いやある、なんかそういうこと言われたことがあるね。
もうヨダレは何本でも垂らしていいと。
っていうような子育てを、
まあだから子育て仲間みたいな友達が、
それこそあれじゃない?
森田妹だったかな?
言いそう。
なんかね、うちに、
ほらまあ千織さんと友達だからさ、
その花丸さんがちっちゃい時にさ、
遊びに来て、
たぶんその、
花丸さんのヨダレがさ、
妹に、
森田妹にかかったみたいなシーンだった気がするんだけど、
あ、ごめんごめんみたいな思うじゃん。
でももう全然、
大歓迎みたいな感じだったの。
確か確かね。
で、そういう時もなんか、
俺ちょっとそういう気持ちになれないなみたいな思った記憶があって、
で、
なんかまあ別にすごい嫌だってわけではないんだけど、
積極的には触れないみたいな感じがあったんだけど、
前その、ほらあの、
子供たちが胃腸炎になっちゃった時には、
結構戻しちゃうじゃん。
そうだね。
まあただ一方で千織さんはさ、
ウイルスの感染という点では、
絶対その土砂物に触るなとか近づくなっていうか、
そういうところをすごい意識してるから、
複雑なんだけど、
ただ、前病院連れてきた時にさ、
あの、一応オケとかも持ってたんだけど、
そのタクシー、病院に向かうタクシーの中で、
おえ?ってなっちゃったんだよ。
はいはい。
で、タクシーにこう、
ぶちまけてはならないっていう思いと、
30:01
その持っててたオケとビニールが、
なんか間に合いそうにないみたいな時に、
とっさに自分が着てた上着のポケットに、
こう履かせようとして、
こうパッて口元に当てたの。
ものすごく気に入っている上着のポケットに、
こう受け止めるためにね、
パッてこう、子供の口元に当てた自分は、
ま、新たな気づきだったわけですよ。
そうだね。
もう俺、こんなことするんだみたいな。
で、結果的にそこにはそんなに吐かずに、
ちょっとヨダレがついちゃったっていうだけで、
一応済んだんだけど、
で、なんか自分はこの大好きなジャケット、
気に入った、それもそんなに安くないものを、
大嫌いなヨダレとかオート物に対して、
こうイケる自分っていうのは、
すごい気づきだったんですよ。
成長してますね。
成長してるじゃないですか。
それで、ただ、そのジャケットをね、
こう、そのエピソードを言った瞬間、
しおりさんに、
うちに入れるなと。
捨てろと。
捨てろって言われたの?
ま、もうその空気ピンピンに出されてるけど、
ま、俺はちょっと捨てたくはないと。
っていうその説中案から、
今1ヶ月ぐらいベランダに干しっぱなしなんだけど。
それもすごいな。
クリーニング出せよ、クリーニング。
クリーニングも出しちゃダメだと。
なんで?
いや、感染が広がるから。
えぇー。
だから、いったん徹底的に消毒するから、
それまでベランダ保管だみたいな感じになってて、
俺もそれに触れないわけ。
すごいね。
すごいね。
だから、俺のあの、タクシーの中の結構感動的な自分と、
その後のね、なんか、そのエピソード話したときに、
なんかちょっとよかったねとかさ。
そうだね。
タクシーに戻さなくてよかったねとか、
とっさのナイスプレイじゃんみたいなさ、
ファインプレイぐらいに終わってたねさ。
そうだね、代表変わったねーって、
そう、そう、なりそうじゃん。
そしたらなんか信じられない、
今すぐそれ外に出してみたいな、
もうその、
冷たい水がかかってきたんだけど。
まぁたださ、その、このエピソード、
まぁちょっとしおりさんの反応が、
ある意味自己啓発味を薄めてくれてる。
だいたいこの話、もうこのまっすぐしたら、
わかる、子供の、いざというときは子供の大人すら受け止められるような、
こう、親の愛だよねみたいな話に、
こうなっちゃうと、若干さ、恥ずかしい。
そうだね。
だから、まぁわざとちょっとこう、オチのようなものをつけてさ、
中和させるんだけどさ、
33:00
まぁでも、そのこの部分だけ切り取れば、
私もその、成長というか、
そうだね。
いや、成長なのかどうなのかもう、
わかんないよね。でもさ、俺もさ、
なんか思ったことがあるな、最近。
おむつとかさ、うんちとかさ、もう、
臭いは臭いけどさ、平気じゃん?
そうだね。
まぁそれってでも、
手についても平気だもんね。
そうね。
だから、変化なのかただの慣れなのか、
とか思ったりはするなぁ、したなぁ。
慣れはそれなりにでかいと思うけど。
そうだよね。
とはいえさ、
そうだね、まぁ変化、
何なんだろうね、それはね。
でも別にさ、
いちいちさ、献身的ななんつーの、
何かを感じてるわけじゃないじゃん、
自分の中に。
そうだね。
もっとさ、ドライにさ、
やってるじゃん、ああはいはいみたいな感じでさ、
うん。
毎回さ、俺変わったなとか思わない、
まぁふとした瞬間に思うって感じだよね、
でもね。
そうだね。
何なんだ、でもそれ、
なんかうんちじゃ、慣れてさ、
おむつ変えて、うんち、
拭けるようになったっていう、
その慣れがあったとしてもさ、
うん。
じゃあそれがいきなり介護みたいになってさ、
いや、そうだね。
自分の親のおむつを同じように変えられるかって言うとちょっと、
そうね。
どう、いける?
いやぁまぁ、
ちょっと全然自信はない。
母親はいけるかなぁ。
ははは、マジで?
うん、父親は無理だなぁ。
ははははは。
それはもう、なんつーの、
愛情の問題だね。
あぁー、そっかそっか。
そうだね。
あのね、ちょっとね、介護みたいなことはまた、
うん。
このさっきのステージにあるかもしれないけど。
いやぁ、この変化したことを、
語り合うってのは結構面白いと思うけどね。
まぁ、そうだね、そうだね。
なんか、うん、
いや別に、
いいものとして捉えてもいいし、
ただ、あ、こういうところが変わったっていう風にさ、
言うだけでもいいじゃん。
なんか、
それって何なんだろうね、とかさ、
うん。
なんか、そうだね。
成長ってさっき茶化したけど、
成長なのかどうなのかちょっと分かんないな。
よく分かんない。
俺は。
まぁ、そうだね。
成長、発見。
よく分かんないって言うのは、
だからどうしても自己啓発的な文脈に絡めとられるのが嫌だっていうことなのかもしれないけど。
まぁそうだね、うん。
そ、そ、そうだろうな。
ははは。
いや、でもさ、
あぁー、なーん、
変化だと、そういうものがなかったとしてもさ、
うん。
別の変化をするわけじゃない?
まぁ本当は仕事したって、趣味にしたって、変化をしてるはずだからね、確かに。
うん、だから、
まぁそういう、そういうのもちょっと思ったけど、まぁまぁいいや、ちょっとそれは。
まぁでもそうじゃん、
その変化本来は、
大体、
何やってても影響を受けるし、何やってても、
習慣とかさ、スキルとかもさ、含めてさ、
うん。
まぁ変化したり向上したりさ、
36:00
まぁ、あるいは停滞したり、
えー、むしろ、効果、落ちちゃったりするとかっていろいろあると思うけど、
で、そういう変化をさ、
なんかこう、
ポジティブなものとかありがたいものとかさ、
うん。
なんかある意味奇跡的なものとかさ、
うん。
あるいは何かのおかげで、
っていうありがたいものとして、
パッケージして語るってさ、
うん。
なんか、その行為自体が自己開発っぽいというかさ、
そうだね。
それは仕事だってさ、そう、俺らじゃあポッドキャストだって、
うん。
じゃあ二軍ラジオの最初の収録と、今は比べたらずいぶん慣れてるじゃん。
そうだね。
その喋りのスキルとかさ、こう、自分のエピソードをまとめる力とか、
こう、自己開示をするところとか変化したり成長してるはずだけどさ、
うん。
そこでなんかこう、ほんと、
いや、清太と佐藤のおかげで俺も、みたいなさ、
急に森戸さんが語り始めたら、
うん。
なんかちょっと、なんつうの?
お前らのおかげで、俺も、自己開発が苦手だった俺が、みたいな。
うん。
急に、そのね、なんだろう、自己開発っぽくなるけど、
まあ、そこはそんな結びつけないじゃん、そういう、普段は。
そうだね。
なんか、仕事のおかげで成長したとか、
こんな上司のおかげで、こんなに慣れたとか、
子供たちとのかけがえのない時間を通じてとかって、
な、結びつけるとなんか、
そうなんだよね。
なんかね、こう。
うーん。
外側のロンリーに持ってかれちゃうっていう感じがするのかな。
俺とワイちゃんとか、ワイちゃんによる変化っていう、
ワイちゃんによってもたらされた変化であって、
それは、成長とか、
育児を通じた。
そういう子になんとなく、一般化されるというか、そういう時にね。
うん。
それがちょっと嫌なのかもって思ったなあ。
まあそうだね。
まあそれはすごいわかる。
やっぱ、なんかそうだよね。
育児ってそうだよねとか、仕事ってそうだよねとかっていう、
ちょっとこう、大きな物語に回収されていくことの、
そうだね。
ちょっとこう、抵抗感もあるけど、
だから一方でさ、
そういうことにてらいなく乗っかれたほうがさ、
数字は稼げますよ。
そうですよね。
だからまあ、
じゃあ資本主義、資本主義なんだな、それはな。資本主義っぽい。
なるほど、ほんと。
じゃあそこに。
そうだね。
うん。
まあちょっと、あれですけど。
ちょっとあれだ、ごめん。
あの、これね。
はい。
こっちのメモリーがね、ちょっとね、ちょっと怪しくなってきたから。
なるほど。でもまあいいんじゃないですかね。
そうだね。
はい。今日はちょっと手始めだ。まだこういうのいっぱいあるって。
そうだね。自己啓発的な。
いや、自己啓発そのものは本編のほうでちょっと考えてみたいなとは思ってたのよ、俺。
39:01
ああ、そうだね。
うん。
そりゃあいいかもしれない。
ていうかほら、コーチングの子でさ、ちょっとやったじゃん。
うん、その話したもんね。
そうそうそうそう。
いいじゃないですか。
だから、それかなと思ったんで。
ちょっとウォーミングアップになったんじゃないですかね。
そうですね。
はい。
はい。ということで、今回はちょっと、自己啓発としてのいくちぃのテーマに、我々の内面に起きた変化や気づきについて語らせていただきました。
はい。
みなさんもね、自分の変化を、なんかあったらお便りをお寄せくださいということで。
そうですね。はい。
山山翔二の清人でした。
森田でした。
それではみなさん、また次回もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。