1. オトコの子育てよももやまばなし
  2. #34 育児のアウトソーシングと..
2025-02-25 55:03

#34 育児のアウトソーシングと家父長制 w/富永京子

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ゲスト:社会学者の富永京子さん/ゴリゴリのアウトソーシング魔神/アウトソーシングと家父長制/母親には頼れないので友達と互助的な関係を構築した(RNコロさん)/清田のアウトソーシング事情/母親に頼る葛藤/子育ては個人化しがち/申請とか調整クソだるい/アウトソーシングのハードル/保育園=巨大なアウトソーシング先/アレルギー負荷療法を保育園に拒否されてしまった(RN親戚のおじさん)/清田の保育園は神対応/保育士の賃金問題/資本主義的罪悪感/ワンオペ経験後の感覚の変化/外注する空虚さ/「昭和のサラリーマン」だった父親が…/一番言っちゃいけない一言/知らないことがどんどん増えていく/ベイビー清田のソロ活動と絶望/子育ての密度/クオリティや解像度を一旦落としてみる/子育てのDIY//消費者的ハックで解決しがち/自分の手で自分の暮らしをつくる/生きる力を減らされてる/アウトソーシングによって失われるもの/保育園もDIY/しおりさんのガチDIY/資本主義な/DIYアクティビズム/プロフェッショナリズムへの抵抗/

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富永京子さん…立命館大学産業社会学部准教授、専攻は社会学・社会運動論。

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仕事の合間

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親番組 桃山商事

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おたよりフォーム

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イラスト…清田隆之

00:11
みなさん、こんにちは。オトコの子育てよももやまばなし。この番組は、現在5歳の双子を育てる清田と、
1歳の子供を育てる森田が、育児のよもやまばなしを雑談していく番組です。
はい。ちょっとまだもや、久しぶり。
そうですね。
この番組、ちょっと最近更新するごとに久しぶりです。久しぶりです。
そうですよ。
久しぶりですって言ってて、なかなかすみませんね。
本当はね、ちょっと昨日もね、収録したいねっていう話があったんですけど、ちょっと自分、あの、双子ちゃんたちが。
1兆円でも連続入院っていう。
10日間ぐらい?
あー、そうだね。都合10日間ぐらい、もうなんかこもりきりで暮らしていて、心身ともにもう崩壊寸前なんで、
今日やっと外に出て。
そうか、久々。
そうなんですよ。やっと社会に戻ってきたって感じの感じなんで、ちょっと楽しく収録していきたいなと思うわけですけど、
ちょっとそんな久しぶりの今回、ゲスト回ということでですね、早速お呼びしましょうかね。
社会学者で、ポッドキャスト仕事の合間という番組をやられている富永京子さんです。
富永京子です。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
そうか、お二人に合わせて言えば、3歳の子供を持つ富永京子でございます。よろしくお願いいたします。
いやー、よろしくお願いします。富永さんと意外と長いお付き合いになりますよね。
そうですね。私がみんなのわがまま入門という本を書かれた時に、トークイベントを門山翔司さんとさせていただいたっていうことがきっかけですかね。
2019年とかですよね。
そこから僕個人的にはね、自分がやってるトークイベント、連続講座みたいなもののゲスト講師に来ていただいたり、
なんかお茶しましたよね、すごいアフターのティーみたいな。
あったあったあった。何回かしましたよね。
そういうちょいちょいした付き合いは確かに。でも確かに子供のね、私自身も最近生まれたっていうこともあって、あんまり子供にフォーカスを当てて喋ってなかったような気がしますね。
そうですね。いろいろちょくちょくあったりはするんですけどね。
森田さんは久しぶりだよね。
そうですね。そのイベントの後に一回富永さん主催のパーティー、出版記念のパーティーにお招きいただいて、それ以来ですかね。
そんなちょっと久しぶりなところもありつつ、富永さんがね、ポッドキャスト番組をやられていて、森田さんが聞き込んで。
嬉しい。でも森田さんはポッドキャスト2ですもんね。
相当好きですね。本当に大好きで、配信されたらすぐ聞いてるぐらいの感じで。
カバーアート。そもそも最初にやってたカバーアートは何ですか?
03:00
あれ?あれですよね。トーマスのパクリみたいなやつですよね。機関車トーマスのパクリみたいなフィギュアを乗せてたんですけど。
あれはイギリスのブライトンっていう町で、ちょっと錆びれたテーマパークみたいなのがあるんですよ。
その中で機関車トーマスのパクリみたいな顔のついた飛行機の、よく子供が乗って動くおもちゃみたいなのがあって。
母親がたまたま写真にそれ撮ってたんで、それにしていいかなみたいな。
あのポッドキャストそんな頑張ってやるつもりはなかったんで。正直あんな感じで。
あれがすごかったね。
ちゃんと自分の写真にしました。
でも富山さんは社会学者であるという、外から見れば真面目な先生という風な見え方もするけど、結構ツイッターの
そうですね。大喜利とか好きだから。
好きだし、そもそも何だっけ、アカウント名が飲み会しようぜ。
飲み会しようぜ。もうこれアップデートされてないです。
アップデートされてないですよね。飲み会しようぜ。
あっと飲み会しようぜみたいな名前ですもんね。
そうですね。
意外とそういう、俺も適当なつぶやきをしたときに、これ富山さん見てくれるかみたいな。
ちょっとそういう期待もあったりで、そういう側面もあるっていうのはすごく伝えたいところなんだけど。
ありがたい。
そんな富山さんをゲストにお招きして、今回は育児のアウトソーシングという問題をおしゃべりしたいなと思うんだけど、このきっかけというか。
そうですね。
これテーマ自体と思いついてたのが、去年の4月ぐらいのタイミングで、そのとき育休から復帰したタイミングだったんですよ。
それで、自分は1年3ヶ月育休を。
そう、長く取られてるなと思いました。聞いてて。
そうなんですよね。
で、取らせてもらって、妻は半年で復職したので、その後は一応ワーモペ育児みたいな感じで、その4月までやってたんですね。
それで、そのタイミングで、要は自分は復職して、そのときに、すごいな、これ全部今までやってきたことをアウトソーシングするんだって思ったんですよ。
保育園になり、知った母にやってもらえるってことですね。
子どものケアって、基本的には0歳とか1歳のときって、食事とか排泄とか、あるいは睡眠の管理とか、そういう感じになっていると思うんですけれども、
そのすべてを一応、曲がりなりに一人でやっていて、これやってるなっていう感じだったんだけど、これを手放しちゃうんだっていう感覚もあったし、
その寂しさもあったし、あとそうですね、僕、近所の子育て広場にすごい通い詰めてたんですけれども、そこで一緒になったママ友が、
同じタイミングで元々復職するって言ってたんですけど、割と直前になって、やっぱり9月ぐらいまで自分は育休を取るみたいな感じで、
06:05
友人が聞く割と職場で薬剤師さんか何かだったのかな。そのときにシンプルに羨ましいなって。
そう考えることが羨ましいなってちょっと思いましたけど。
って思ってしまったし、あとは他にも幼稚園勢っていうのがいて、要は年少ぐらいのタイミングで入れる。
3歳。
そういう人たちも子育て広場にいて、そういうふうに思うのちょっとあれなのかもしれないけど、偉いなとも思ったし、これを全部ずっと自分でやっていくんだということ。
一方、自分はこれをアウトソーシングするんだなって思って、その辺でトピックとしてちょっと面白いかなと思って、
でもなかなか切り口が、どんな話すればいいのかなっていうのでテーマにできなかったんですけど、
このところずっと富永さんのポッドキャスト聞いてて、なんか富永さんとこのアウトソーシングの話をちょっと話してみたら面白そうだなと思って声掛けしたという感じですかね。
富永さんのポッドキャストでもこういうキーワードが出てきたんだけど。
結構私、ちょっと素情についてお話すると、0歳の頃からゴリゴリのスーパーアウトソーシング魔人なので、母親をまず東京で子育てするのにマンション借りて連れてきたんですよね。
だって0歳の、だいたい嫉妬さって3ヶ月くらいからしか見てくれないじゃないですか。
だからまずここをゴリゴリのアウトソースしなきゃなっていうことで、
実は行く気も取ってないんですよね。
なので本当に0歳4ヶ月くらいの時からずっと保育園に行ってて、あんまり家事もやってないというか、
シッターさんとか家事代行さんがやってくれて、パートナーも協力的な人ですので、
だから自分で子育てしたっていう記憶がほぼない。
ここ1ヶ月パートナーが入院してようやくワンオペみたいな時期に入ったので、それでようやくアウトソースしなくなったというか、
なので森田さんがそう思えるのがすごく羨ましいというか、
自力でやってきたし、なんならそれをもうちょっと延長してもいいなって思われるっていうのはいいな。
逆にそれを聞いて、私なんでこんなに自分でやることを忌避してたのかなと思いましたよね。
結構モヤモヤしてた部分もあって、1年3ヶ月の休休っていうのもそうなんですけど、
桃山障子でジェンダーに関わるトピックとかを扱っていろいろ考えている中で、
アウトソーシングする先が全部女性じゃんっていうのもめちゃくちゃ途中から引っかかるようになってきちゃって、
なんかいろいろそれ楽になるけど、それで本当にいいのかなって、すごい押し付けてるだけじゃんみたいな風にも、
09:06
なんとなく思えてきてしまって、どうしても。だからやりたいなっていう気持ちもあったんですよね。
妻が半年で復職する後にワンオペをやるっていうのも、できるところまではちょっとやってみたいなみたいな、
そういう気持ちも多少あって、それでやってたところがあるっていう感じではあるんですよね。
確かにそうなんですよね。保育士さんにせよシッターさんにせよ男性増えてるとはいえ、女性が多くて。
上野千鶴子さんの話を聞くと、だからケア労働っていうのは非常に安い賃金。
家庭内の無賃金労働の延長線上として扱われてるから安いんだっていう話になるんであって、
女性に押し付けてるっていうのもあるし、相対的に安い賃金の人に押し付けちゃってるっていうのはアウトソースの特にケアの大きい問題ですよね。
今回エピソードも結構寄せていただいているので、そんなのも少し紹介していきながらなとは思うんだけど、
ざっくり分けると保育園であると、アウトソーシング先の問題として保育園にまつわること、あるいは実家とか義理の両親との関係とか、
あと友達に預けるシッターさんなどサービスに頼るとか、ざっくり分けるとこういうアウトソース先があり、
そこの中にも預けたはいいけど、
思ってたのと違う。
思ってたのと違うとか、こうしてほしい、こうしてほしくなかったっていう質とかの問題とか、
あと預けたい、頼りたいけど、これはできませんよみたいな、責任問題に発展しながらみたいなそういう線引きをめぐる問題とかのエピソード、
あるいはこういうサービスがあったらいいなみたいな話とか、そんなようなのがざっくり読み取れる問題、キーワードとしてはあったんだけれど、
まずはアウトソーシングというと、アウトソーシング先の話になるのかな。
保育園が初めてがっつりアウトソース先、でも親。
親ももちろん頼りはしたかな。育児うちはそこまでじゃなかったかな。近所に親がいるので、そういう意味では恵まれている環境だと思うんですけれども、
子育て広場もある意味、うっすらとしたアウトソーシングだし、見てくれてるんで、そういう空間ではあったかな。
結構最初、0歳、1歳、2歳、3歳とかだんだん大きくなっていくにつれて、こういう部分を頼りたいというのは変わってくると思うけど、
富永さんは変遷ってありましたか。
12:01
手がかからなくなってきたっていうのとはあって。
一番大きなアウトソース先としてはとにかくお母さんですか。
保育園の方が大きいかな。手がかからなくなる度が高くなると、やっぱりベッタリしなくて済むのと、言葉が通じるので、自分でもできることが多くなっていったっていうのがあって、
母親の需要度っていうのは相対的には下がっていたかなと思いますよね。
母親との関係でいうと、例えばラジオネームコロさんという30代の女性が、
私は実家に住んでいる。敷地内別居。そういう環境なんですけど、自分の親との仲が悪く、ほとんど子供からすると祖母、自分からすると母の手を借りることなく育児をしてきました。
娘にはどうして母のことが嫌いなのかを説明しているし、自分と母の関係と娘と祖母の関係は違うから、祖母と娘の関わりにはなるべく口を出さないようにしている。
ただ、そういうどこかしら感じが出ちゃっているのか、娘が私に対して忖度をしていて、私は別におばあちゃんと遊びたくないみたいなことを言ってきたり、そういうのがちょっと心苦しくなったりする。
そういう話の流れで、この話は別なんだけど、自分が育児において手を借りたいときは娘の友達、家族に預けてしまうようにしていた。
無理すればなんとか頑張れそうなレベルのときも、わざわざあえて預けて、そういう関係性を作っておいて、
向こうがピンチのときもこっちに頼ってもらえるように、アウトソーシングしたりされたりする。
そういう関係性が頼ることで娘、構築されていく。
社会を作ってますね。
すごくいいなと思った。親との関係が近くにいても関係側までだと頼りたくないとか、頼れないとか。
その代わりに友達、家族とそういう関係性を構築していったみたいな。
そんなようなエピソードを寄せていただきましたけれど。いいですね、これは。
そうですね。実家とか親に頼るって、自分が言えたことじゃないけど、結果として過不調整状の延長戦状っていうか。
でもたぶん友達に頼るって結城も言ったと思うんですけれども、
そうやって頼り合うことで子育てを個人化しない、私費化しないっていうのは重要なことですよね。
なかなかできることじゃないとかすごいことをしてると思う。
あと頼ることでいろいろプラスアルファで信頼関係とかを含めて得てるなって感じがする。
そうだよね。だから思い切って頼ることで、頼ってもらえるようにもなるっていう視点はすごくいいなっていうのがありますね。
15:00
うちも結構頼ってんのは妻側のお母さんと自分のお父さんたち。
だからだいたい家に来てくれて子供の世話をしてくれる。
これは向こうのお母さんがすごく多くて、なんか出かけるとか買いに行くとか、車に乗れないので僕が。
未だに73歳の父親を電話1本ちょっと連れてくれ、これ運んでくれみたいな。
電気屋だったんで、エアコンが壊れたとか、食洗機を取り外したりとか、壁に穴を開けたりとか、何かにつけて呼んで。
うちのお父さんも結構ゆるい感じのいいよみたいな感じの人なんで、妻の塩梨さんも直接うちのお父さんとやり取りしてお願いしたりしてるんで。
そこら辺は言いかけてこっちは一方的に助けられてるから、向こうはどう思ってるかわかんないですけど。
なんかいい感じの関係性ではあるんですけどね。
でも子供のケアを女性、おばあちゃんに頼るっていう感じはね、すごいさっきからテーマになっている過不調性の構造にちょっと欲かかってるな感はありますね。
家族との葛藤みたいなのはあったんですか?
母親に頼りに。
その葛藤を減らすために母親にお金を払ってるんですよね。月々そこそこの。
だからそれでなんとか葛藤を解消してる。つまり本来無給サービス労働を有給にすることで、っていうのはあるけど、難しいところですよね。
でもやっぱり母親側は過不調性上の延長性上というか、いや孫の面倒を家族が見るのは当たり前でしょっていう観点の上で動いてるだろうから、やっぱりそこはなかなか外に開いていかない部分ですよね。
だからさっきのラジオネーム何さんでしたっけ?
コロさん。
ちゃんと社会に開いてると思いますよね。
社会化する。
個人化するっていうか、閉じがちですもんね。
金で買っちゃうか、親に頼るか、それってどっちも個人化ですよね。
知ったとかそういう各種サービス、一時保育とかも、なんか余裕がないと使えないみたいな問題もあるじゃないですか。そもそも忙しいとそういう申請とかも。
調整の手間がくそだったりしますよね。
そういう問題もあって、じゃあ自分でやっちゃった方が早いかとかっていうようなこととか、さっきの子育て広場とかも、本来ああいうのって多分孤立化を防ぐための施策だと思うんですけれども、
その保育園、幼稚園に入るまでにやっぱりそこが一番孤立化してしまうから、特に母子はですね。
だからそれは孤立化を防ぐためのものなんだけれども、やっぱり余裕がないとそういうところに行くことすらできないみたいな問題っていうのもあるかなとは思うんですけれどね。
18:08
そうだね。最初ね、いろんな区のなんか冊子に、子育て応援券みたいなのがあって、こういうそこで使えますよみたいな、それで知ったさんの情報なり、家事代行とかタクシーとかね、いろんなサービス、利用できるサービスが載った冊子をもらったんですけど、
確かにこれ、読む余裕ねえよみたいな感じはすごいあったし、せいぜいやっぱ風邪ひいたらこの病院とか、いくつかのね、のっぴきならない頼り先っていうのは、それは調べたり、いくつかの選択肢を増やしておかなきゃとは思ってそうしてたけど、
やっぱなんかね、知ったさんとか、一時保育みたいなものの、あと病時保育とかもいろいろ考えたんですけど、そこで特にコロナ禍っていうのもあってね、余計病気がこじれちゃったらどうしようとか、なんかもらってきたらどうしようとか、逆にうつしちゃったらどうしようとか、そういう懸念もあって、
結局なんか検討したものの実際に利用してみようみたいなとこまで、なんかついぞいかなかったなみたいなのはあったし、まあどっちかと言うと自分の場合は、いつもあのしおりさんの方がすごくその衛生観念とかに関する感度がものすごい著しく高いので、なんかやっぱ怖いってね、僕に思っているんだと思うんですよ。
そういうハードルもあるか。
だから、いくら俺が大丈夫っしょ、預けてみようよって思ったとしても、いやいやいやみたいな。
家に人入ってほしくないのみたいな人も人多いでしょうしね。
そういうのとかも含めると、まず調べるコストもあるし、たぶんその夫婦で例えばやってるなら、その価値観や何かをすり合わせるコストもあるし、誰がどれがいいんだって吟味するコストや試してみるコストって結構ハードル高いですよね、そう考えると。
そうですね、なんかちょっと話変わるんですけど、私出産してから結構研究者としての仕事も院生とかうちのスタッフとか一緒にやってもらってるんですけど、最初頼むのめっちゃ怖くて、なんで怖かったかっていうと、こんなことも富永できねえのって若手に思われるのがすごい嫌だったんですよ。
そういう意味で家庭のことを自分から手放したくない人って、こんなこと、さっき森田さんがおっしゃってたことと繋がると思うんですけど、そんなことなら自分でやるよというか、全然外注してもいいんだけど、自分でできることなら自分でやっちゃうし、家のことっていうのは基本的に自分の領域内のことだから、頼むほどのことでもないよって思ってるのかなっていう感じもしますね。
ありますね、そういう感じで。
そういう、エラモスとても自分が抱え込みすぎちゃってパンクしちゃうみたいな道に繋がっていく話でもあるじゃないですか、頼るのがうまくできないとか、そういう問題もあるから、うまく頼ったほうがいいという思いと、とはいえそうやっていろんな、
21:17
自分もできるし親もやってきたんだしみたいな、プレッシャーとかね、規範があって、なかなか実際に歩みを進められないみたいなのは、なんかめちゃめちゃありますね。
あれはどうですか?保育園というのは一つ共通して、何歳から預けるのかな?うちは1歳児クラスってところから預けたのかな?
うちは1歳。
1歳か。
ゼロ歳ですね。
ゼロ歳から、実際保育園にという巨大なアウトソースに頼るっていうことが始まってからはどう?
いや、すげえシステムだなって思って。
リスペクトしてる。
リスペクトしてる。
そうですね。それはやっぱりあるかな、プロフェッショナルだなとも思うし。
よくあんな着替えを、例えば1クラス18人とかさせられるよと思う。
技術がね、やっぱりすごいなっていうか、座って待ってるんだけど。
うちで座ったことないのに。
そういう意味ではありがたい。
ほんとすごいよね。
ありがたいなと思う。
でもやっぱり過ごす時間が少なくなるなっていうのはやっぱり感覚としてはあるかな、その分。
そうだよね。もちろんその分仕事とかに時間をやってるんだろう。
かといって早く迎えに行ってるかっていうとそうでもないから、なんかそこが自分の中ではうーんって思ってるところかな。
例えば保育園の問題で言うとですね、ラジオネーム親戚のおじさんさん、男性の30代の方が、本当に私の妻の親戚なんですよ。
親戚のおじさんになった。
親戚のおじさんという名前で投稿してくれるんですけど、1歳の娘がおり、今年度から保育園を利用しています。
娘に食物アレルギーがあり、医師の指導のもと少しずつ負荷をかけて感慨させている途中なのですが、保育園の園長から、投縁する日の朝にアレルギー食品を食べさせて、何かあっても園では責任を取れないので、平日には食べさせないでくださいと言われました。
投縁日には負荷量を上げないことを説明し、万一の場合は豚服剤と医師の予約指示書も用意しましたが、ダメだと言われました。
そうは言っても、休日の病院が空いていないタイミングでアレルギー食品を食べさせるのも余計に怖いですし、かといって平日にアレルギー負荷を行うたびに有給取得して、家で面倒見るわけにもいきませんので、参っています。
育児のアウトソースが進む一方で、不良のケースや子どもの健康に関する対応ノウハウが社会的に十分蓄積されておらず、アンバランスな状態だなと感じる次第です。
24:08
こんなような投稿もいただきましたけど、こういう問題も結構抱えてる人多いだろうなとは、本当はこうして欲しいんだけど、なかなか対応してくれないとか。
自分家のツインズも花丸さんと、この番組では呼んでるんですけど、花丸さんの方はね、アレルギーが見つかって、いわゆる不可視圏という、ちょっとずつ食べさせて慣れさせるみたいなことはやっているんですけど、自分たちが通ってる保育園はやってくれるんですよ、これを。
投薬を、エピペンという、いざとなったら桃にぶっ刺すやつを保育園で預かってくれて、ちゃんと保育園の前先生でエピペンの使用にまつわる講習とかもやってくれたんですよ。
たぶんその状態でうちではエピペン使えないので、そこはご家庭でと言われちゃったような状況だと思うんで、そうするとね、この親戚のおじさんさんはなかなかそこが頼れないっていう。こここそ頼りたいのにみたいなところが頼れないとか。
そういう差ってすごいよね。保育園ってみんな払ってるお金同じじゃないか。全然違うか。
所得によって、でもおっしゃりたいことはわかりますね。
そうですよね。だけど全然サービス違ったりするから。
確かに補括あんな頑張らなくてよかったと思うけど、補括してこんなにクオリティじゃないんだけど、いろんな円の色って出るんだったら大学と変わんないなって思いましたよね。
なんか保育園にまつわる困難や不満や、あるいは逆にここをこうしてもらったおかげで助かってるとか、保育園にまつわることっていうのはお二人はどうです?意見上の大満足って感じ。
個人的には大満足って感じだけど、そうなればなるほどやっぱり賃金の低い差が気になりますよね。
それは本当に思いますよね。これはだってもう本当に上げてくださいって感じですよね。毎日。
1000万くらいもらっていいと思う。
1000万くらいもらってほしいですよ。
そうなれば罪悪感も消えるというか、そういう資本主義的罪悪感は、多分森田さんだとジェンダー的罪悪感になると思うんですけど、あるかなっていう感じはしますね。
資本主義的罪悪感ありますね。
確かに確かに。
確かにこれでみんな1000万くらいもらってくれたらもう心大きくなる。
いいっす。7時まで預けちゃいますみたいな感じになるんだけど。
27:00
そうですね。そういう面すごいありますね。
でも一方で、この言い方良くないかもしれないですけど、この職業の人たちそんなにもらってないんだよなみたいなことを前提にコミュニケーションするのもおかしな話じゃないですか。
だから難しいですね。
実際はね、いくら持ってるか分かんないですけど、社会的によくケア。
問題視されるということは問題なんだろうなと思うし。
それはすごい。だから結構去年お世話になった先生が次で辞めちゃうとかそういうのが何回かあって。
なんでかは分からないですけど、そうだね。
うちの妹が保育士なんですよね。
だから最近復帰したんですよ。
ずっと専業主婦になって辞めたりしても長かったんですけど、最近ちょっとパートタイムで働き始めて、めちゃめちゃ大変だけど楽しいみたいな感じで。
やりがいとか、あんな状態の子供と毎日ダイレクトで関わって。
どんどん言葉とかも覚えていくだろうし、それはあるでしょうね。やりがいはあるだろうな。
やりがいは絶対ありますよね。
その辺の感じる先生とかも、本当にそういうのを喜んでくる先生とかもいて、この間も親友っていうか仲のいい家族とおしゃべりしてたときに、なんとか君は揚げ物を最近食べられるようになったっていう報告をしてくれて嬉しかったみたいなことを言ってて。
それは去年の担任の先生が今の状況を見て。
ありますよね、そういうコミュニケーション。
食べられなかったなんとか君がちょっと給食で揚げ物を食べてから揚げを食べてるのを見て、めっちゃ嬉しいみたいな感じで報告してくれたことがすごく嬉しかったみたいな話をしてて。
それはすごい良い話っていうか。
そうですね。だからそういう点をやっぱりやりがいとしてるんだろうなっていうのは思ってて。
0歳の時に、うちパートナーも大学教員なんですけど、ご挨拶会みたいなのに行って、先生が私たちは子供が本当に好きでみたいなことを言ったとき、帰り道に学生のこと可愛いって思ったことある?って。
果たしていない。だからもちろん大学生を教えててもやりがいはあるし、こんな難しい志向もできるようになったんだって思うけど、やっぱりそれとはかなり別種の人間的な喜びがあるのかなと。
でもよく考えたら近い仕事。
近いは近い。よく大学でST費っていう言い方をして、これはスティーデントティーチャー費なんですけど、0歳クラスでST費めちゃめちゃいいっていうか。
まあやっぱり放っておいたら死ぬからですよね。だからやっぱりすごいケアのシステムだなっていうのは思いますよね、保育園見てると。
3人に1人とか?
そうですね。
0歳は本当にそれぐらいでしょうね。
今減ってくるもんね。4歳児だと。
そうだね。
23人に対して2人だもん。
まあでもね、大学になるともっと。
30:01
30人に1人か。
30人に1人。
そんなもんなんですね。
結構これは大学によって違うんだよね。
富山さんこの1ヶ月くらいでしたっけ?
ええ。
ワンオペになってっていうのは。
そうですね。まあ母はいるけどって感じですね。
その辺どうですか?やってみてアウトソーシングするっていうことについて感じ方が変わったりとかっていうのはありますか?
それは思いましたよね。つまり中身を知らずに外注することの空想さっていうか、この3年間本当に自分でしょうもなかったんだなみたいな。
つまり中身の仕組みを分かってないものを完全に人に押し付けてたっていうことっていうのは、
まあ私たちの社会ってだいたいそういうもんじゃないですか。
私たちがじゃあトイレの仕組みを使ってるかっていうと分かってないわけで。
そうなんだけど、ただそれを子どもに関して子育てに関してやってたっていうことは、
多分生まれはそれでもいいと思って生んだんですけど、知っておいてよかったなというか、
まあ3歳になっていうことじゃないですけどっていうのは思いましたよね。
確かにアウトソースってそうですよね。
機会を奪われちゃうことでもあるなっていうふうに思う。知る機会、体験する機会みたいなのを。
うちの父がもう70後半なんですけど、バリバリ昭和のサラリーマンで、
自分が子どもの頃は夜ご飯一緒に食べたこと、記憶なんてほとんどないぐらいビール会社だったんです。
そういう夜の仕事みたいなところもあって。
僕もそうなんですけど、姉と妹がいて近くに住んでるんですね実家の。
うちの父にとっては孫がうちの子で6人目で、その最初の子が生まれたときに、
人が変わったようにケアをしだしたんですよ。
考えるところがあったのかな。
そうなのかどうなのかわからないですけどね。
本当になんかよくわかんないんですけど、突然やりだして周りみんなびっくりしたんですよ。
本当にびっくりした。
人が変わったようにやってて、それと結果的に5人6人の面倒をそれなりに見て、
1馬力として数えられてるんですよね。
本人も子どもがこんなに可愛いし、自分は見れるんだ、ケアできるんだということを知らなかったと思うし、
やっぱりそれは時代としてそういう接する機会というのが、
まあそれは自分で選んだと思うけど、そのことは別に肯定したくないけど、
本当にゼロコミットだったんですよ。自分たちの子育てには。
本当にゼロコミットだった。
そういうお父さんいっぱいいただろうね。
別に擁護するわけでもないけど、機会がなかったんだなってすごい思ったんですよ。
33:00
上手い人がイニシアシブルを取っちゃうというのもあるだろうから、本当は関わりたかったのかもしれないし。
両親的に見過ぎかな。
いわゆる仕事ばっかりやってて、かつて子育てとか家庭の生活にコミットしなかったお父さんみたいな人がかつていっぱいいたとしたら、
そのお父さんたちは生活とか子育てを全部アウトソースしたということなんだね。
そうなんだ。
そうすると何が行われているのか。
だから空想ですよね。
だからマジで分かんなかったし、マジで空想だ3年間だったんだなって思った。
家族の前で一瞬言いかけてやめたことがあって、あっという間に大きくなったよなみたいな、
一番言っちゃいけないフレーズを言いそうになった時に、これ昭和のお父さんじゃんって気づいたという。
あっという間じゃない。
プロセスをね、点でしか見てないみたいな感じの発言になっちゃいますもんね。
いやいや、あっという間じゃないよみたいな。
それで言うとやっぱり、保育園の寂しさってそういうところある。
知らないことがどんどん増えていっちゃう、自分が。
全部知ってたはずなのに、保育園の先生の方が詳しくなっていって、
だって過ごす時間も長いから、起きてる時間は。
保育園の先生、お礼になりますもんね、時間的にね。
みたいなことも感じる。
なるほどね。
そこか、なるほど。
確かにね、それは思うよね、仕事とか忙しくなって、ある1週間、2週間関わりが減るみたいな時もあったりすると、
それでも変化するじゃん。
最近のこの人たちの流行とかわかんねえとか、そうなってくると寂しさとかも、もちろん感じる。
阻害感みたいなのがやっぱり。
家庭内孤立感みたいな。
仲間外れ感みたいなのがあったりするっていうのがわかる一方で、
このアウトソーシング問題をすごい考えてたら、すごい引き裂かれるような思いが自分の中にあるんですよ。
引き裂かれますね。
結構子どものね、成長はあっという間だから、できるだけ関わっといた方がいいよとか、
今だけだよみたいな。
今だけだよみたいな声っていうか、あるじゃないですか、言説。
実際言われたり、しかも確かにそうだなと思うところもあるんですけど、
その声を聞くたびに一瞬、ちょっと来るものがあるんですよ。
何なんだろうなみたいなことを思ってて、
自分自身が親に世話されたり、かわいがられた記憶が本当にないんですよ。
全然なくて。
ラルフ・ローレン時代。
ラルフ・ローレン時代よりもっと前かな。
幼少期の記憶とか、あったかい家庭みたいなイメージとか、あんまり正直ないんですよ。
36:06
常々しおりさんに、俺はちっちゃい頃こんな感じで親と関わったことはない、みたいな。
でもそんなわけはないと。
お前が忘れてるだけで幼少期はそんなわけないだろう、みたいな考えを彼女は持ってて、
あるときうちの両親に、俺代表って言われてるんですけど、
代表が子供の頃どんな感じだったんですか、みたいな聞いたんですよ、一緒にご飯食べてるときに。
そしたら結構衝撃で、当時そのバブルの時代で、
うちは商店街の電気屋でめちゃくちゃ忙しかった。
だからうちのお父さんとお母さんはもちろん店やってて、朝起きたら、
まず隣町にあるおばあちゃん家に俺を連れて行き、夜の9時に迎えに行くと。
すごいよ、9時。
9時だよ。で、俺寝てるんだよ。
それほぼ関わりないじゃないですか。
おばあちゃんが食べれない日は、お店の裏にずっと寝かしておいて、
当時はお店があって、歩いて3分くらいのところに家があったんですよ。
結構衝撃だったんだけど。
まだミルク飲んでる俺だよ。
9時のお店が閉店の時間になったら、まず家に連れて帰って、
ミルクを俺の枕元に置いて、また店に戻って。
一人きり?
一人きりだよ。
熱い。
ゼロ歳。やばくない?
やばいね。
ゼロ歳とか1歳くらいの俺は、一人きりで隣の部屋とかじゃないんですよ。
隣の部屋に置かれてたらしくて、しおりさんもちょっとドン引きしてて、え?みたいになってて。
お前は全然手がかかんなかったとか言って、お父さんも。
ミルクと人形とか絵本とか置いておけば、おとなしかったとか言って、
それはたぶんおとなしかったとかじゃなくて、絶望してたんだって俺は思うんですけど。
ガチでそういう感じだったんだと思って。
だから、今だけだよみたいな可愛い時期がいっぱい、親が大事にその時期を過ごした方がいいよみたいな言説に触れた時の胸の痛みは、
たぶん俺は一切そういう時間がなかったから。
なるほど、そういう現体験的な。
チャイルドキヨタは。
だから、そうじゃない時間を過ごしている人間としての人生を、どこかちょっと否定されたような感じがするのかなみたいな。
もちろん自分は今はそうじゃなくて、子供と双子っていうのもあって、関わらざるを得ない時間も含めて、圧倒的に関わる時間は、俺が子供だった頃の親よりもあると思うんですけど、
なんかちょっと嫉妬心というか、俺もこういう風に扱われたかったみたいな気持ちちょっとあるんですよ。
39:02
なんかいいなぁみたいな。
こんな泣き叫んでいる時に大人がすぐ来てくれるって。
だってソロカットしてたわけですからね、ゼロ歳時。
いや、記憶があるわけじゃないですよ。
その時の感じが、明確になんかトラウマになってどうこうとかじゃないんですけど、
なんかこの。
羨ましそう。
子供たちが可愛いと思う気持ちと、なんかこんなに可愛がられてちょっといいなって気持ちと、
あとこういう時代を大事に過ごした方がいいよみたいな言説に対する反発心で、もしかしたらそういう完全アウトソースで育った、
アウトソースどころじゃないですよ、ちょっとネグレット入っている感じの環境で育ったなんかと繋がっているのかなみたいなのは、
ちょっとこの問題を考えた時にもすごい感じたんですよね。
ほっとかれてしまった子。
それでも当時は多分そういうもんだったかもしれないですよね。
子育ての密度そのものがすごい上がっちゃってんだろうなっていう感じがしますよね。
そうなんですよね。
だから逆にそんぐらい適当でも育つんだったらそれはそれでいいじゃんっていう気持ちもあるし、
お前ら完全に放置しやがってみたいなちょっと恨みもあるんですけど、
ちょっと密度っていうか高まりすぎてますよね。
期待とかも。
ウィーンの出張で、ウィーンだけじゃないんですけど、大体海外出張で日中はどうしても会議とか出なきゃいけないんで、
ベビーシッターさんを探すんですけど、
割と最近ノウハウがわかったのが、大学教員なんでその町の大学の日本学科の学生さんとかが、
日本語も英語もその町の言語もできるんでありがたいんですけど、
割と欧米の方とかって、よくドラマとかでも出てくるけど、学生がベビーシッターやるみたいなのあるじゃないですか。
ああいうカルチャーがあるから試してみたんですけど、
多分クオリティにこだわってる日本の人はブチ切れるだろうなみたいな感じではあるわけですよね。
だからうんちが吹き切れてないみたいな。
ただ私それを初期にやったのはすごい良かったなと思って、
つまり別にこれでもいいんじゃんと思えるようになったので、
そういう意味で密度を減らす、もちろん外注をするっていうことなんていうのかな。
自分の中で子育てのクオリティって頑張って頑張って上げちゃうじゃないですか。
外部に比較基準がなければないほど。
だから一旦落とすっていう意味でも他人に低クオリティで、
それこそ頼り合うとか、低クオリティって言っちゃったけど、
いろんな社会の子育てみたいなものを経験してみるとかありなのかなと思いましたね。
それはすごい良いですね。確かに。
クオリティがどうかというよりも多分こうしてほしいとかこうしたいとかこうあるべきみたいなのと、
全く違うやり方をする人の育児を見ればそれはいろいろ気になるじゃないですか。
でもそういう気になりをある意味解像度を落とすというか、
そうすることで頼りやすくなったり、逆にその感高まる規範の中で人の子を今度預かるなんて怖くなっちゃうじゃないですか。
42:07
何をしていいのかとか何をしちゃいけないのかとか。
より適当にそこら辺にいてよみたいなぐらいの感じもね、なっていったらいいなと思う。
もちろんそれを具体的にどうするのかはそれぞれの。
富永さんはそういう経験の中でそういう感覚を味わえたっていうのがあると思うんで、
そういうのはできるのかね。解像度や。
ちょっと強引にするんだけど、自分で工夫しながらやっていくみたいなのも結構いいなっていうふうに思ってて。
目の前のこと、例えば料理とかもさ、離乳食とかもさ、自分なりに食うんだったらこれでいいかみたいな感じでやってみたりとか。
ミルクとかもそうだけど、子どもって結構育ってて変化するから、
なんかいちいち100点のことってできないなっていう感覚がしていて、
だからなんかちょっと適当でいいみたいな感じはどっかあるなっていう気はしてるけどね。
だからそれもだから自分の場合はやっぱり自分でやってみてわかるみたいな、そういう感じもあるかな。
あとすごい覚えてるのが、妹が看護師で。
助産師は持ってないんだけど、なんかね、授乳とかの指導とかは勉強してて。
で、うちの妻が最初大変だったんですよ。授乳が。
その時にちょっと来てもらって、見てもらったんですけど、その時に姿勢がどうのこうのみたいな感じで、
その辺にあるもの、クッションとか。
よくありますよね。専門のクッションみたいなのありますよね。
専門のクッションとかじゃなくて、うちにあるその辺に転がってるクッションとか、
布とか、そういうのを、これをこうしてとかって言って、適当に、すごい適当に配置して、
上手い姿勢を作ってくれたんですね。
だからこういうのは本当にその場にあるものでやるのがいいんだみたいな。
在宅の看護とかもやってるからなんだけど。
なんかそういうのも、こっちはつい、それこそ授乳クッションみたいな。
用意しちゃいますよね。
そういうものを用意しがちなんだけど、そうじゃなくて、その辺にあるもので、
ただの布が一番役に立つみたいなことを言ってて、すごいなというふうに思ったけど、
でもなんかそれだったら自分もできそうだなみたいなふうにも思って。
ついついそれこそキロ太の嫌いなハックとかみたいな、物で何とかしようとか、100点の物を。
専用の100点のね。
やろうと思っちゃうけど、そうじゃなくてもいいんだなみたいなところが、結構子育ての面白いところだなっていうふうに感じてる。
なんかそれすごい面白い。私、普段いわゆる社会運動デモとか政策提言とかの研究してるんですけど、今DIYの研究してて、
なんでDIYかっていうと、だいたい私たちの社会って結構いろいろ害虫して、建築とかってそうじゃないですか。
45:04
家作るなんて自分でできないから。
ただそれをやっちゃうと、まずハウスメーカーとか不動産業にめちゃくちゃなお金を払っちゃうっていうのと、
物の仕組みがわかんなくなるっていうので、だから自分の手で自分の暮らしは作ろうねっていう人たちなんですけど。
そういう意味で反資本主義の運動でもあり、自分たちの生きる力みたいなのを回復させる運動でもあるっていう考え方なんですけど、
それで言うと、害虫っていいことなんだが自分でやってないから、生きる力みたいなのをどんどんある意味減らされてるというか、
そうなんですよね。
っていうのもあるなっていう感じはしますよね。
なんか工夫する喜びとか面白さみたいなのもあって、大変なことを、要はアウトソーシングってついつい大変なことを預けてるっていうふうに思うんだけど、
大変じゃないよみたいな。
それと一緒に面白いこととか、そういう刺激的なこととか、楽しさとか、そういうものも一緒に預けてるっていう感覚が、僕は初めて子育てで思ったんですよね。
多分さっきから自分が言ってる寂しいとかっていうのの中にはそういうものも含まれていて、アウトソーシングすることの、別にそれに対して否定的なわけじゃないんだけれども、
何かやっぱり失ってるなっていう感覚があって、
富永さんのDIYの話とかを聞いてると、すごいそういうことをちょっと考えてたんですよね。
そう考えるとアウトソーシング問題ってのは資本主義におけるサービスを買うとか、商品を買うってことのほぼ同じ、
そうやって結局お金で何かを買うけど、そこを自分は仕組みをわからない。
かつ完璧を求めちゃうから、そういう消費者のりで子育てもやっちゃって、自分にも完璧を求めちゃうと。
本当ですね。そう考えるとなんかすごい気楽にアウトソーシングどうするかなって話し始めたけど。
でもなんかほら、面白いんですよね。手作りのものとかも多いし、保育園とかもそうだけど、保育園もめちゃくちゃDIYだなって思うんだけど。
ワクワクさん。
そうそう。そうなんすよね。
確かにそこはなんかスタンスが出るね。
そう。なんか保育園と自分の勤務してる大学比べてみて、こんなにいろいろ自分たちで補修するんだっていう。やっぱり資源の多さ少なさっていうところにあるんだと思うんだけど。
だから資源のないところから手作り工夫が生まれて、そこにクリエイティビティがあるっていう意味では全然負けてるなと思いましたよね。
なんていうのかな。あえて進んで苦労しろとかそういうことじゃ全然なくて、そっちの方が面白そうっていうか。
仕方なしから生まれるクリエイティビティみたいな。
確かにね。それで習慣とかね。物だけじゃないじゃないですか。自分の習慣とかプロセスとかフローみたいなのも自分なりに作れるとね。なんか違いますよね。満足感というか。
48:10
地に足がついてる感。
ついてる感なんだと思います。
自信を持ってやるみたいな。
地に足で。そうだね。
なんか別に丁寧な暮らしをしようとか、そっちの話だけではなく。
結構雑でもいいみたいなところもある。
雑でも自分なりのプロセスを経て構築したぞっていうのがあるとすごくいいですよね。
ベビーカーに付ける防寒の一クッションみたいな足が入るやつ。
あれなんか部品がなくなっちゃって、ずり落ちてくる感じになっちゃって。それで家にあった紐で後ろとくくりつけたんですよ。
それだけですごい妻にもめちゃくちゃ感謝されて。
なんかちょっとやっぱ工夫した感じが楽しくて。
本当にただ紐でくくっただけなの。
でもしばらくその発想すらなくて、しばらくそれで不便して新しいもの買おうかなとすら思ってたんだけど。
でもよく考えたらこれ見たらただここ紐で付ければいいだけじゃんみたいな。
そうだね。それ本当にいいですよね。
しおりさんそういうの大好きだから。
本当にちょっとしたものをここにマジックテープっぽいものを付けて滑らないようにするとか。
もっと結構リビングと引き戸で仕切れるみたいな戸があるじゃないですか、リビングの部屋を。
ありますね。
でもこっちの部屋にしか暖房がないみたいな。
暖かい空気があっちに行かなくなるみたいな問題に直面したときに、引き戸に穴を開け始めた。
なる。
うちのお父さんを呼んで、専用の工具で。
でもおっぱいプロはちゃんと呼んでる。
ちゃんと真っ四角に窓、まるでそこに窓があったかのような穴を開けて。
劇的リポート。
最初それ聞いたときに何を考えてるんだみたいな。
ドアが閉まらないようになんかすればいいじゃんぐらいに俺は思ってたんです。
本当に穴を開けて、確かに完成したものを見るとすごくちゃんとクオリティもして、
そういうものの蓄積が生活や自分たちの家や生活を形作っていくって感じは見てやっとく納得したんですけど、
最初俺は何をやろうと面倒くさいことをやろうとしてるんだとか、一回ブチ切られたのはそういうDIY的なものは俺は本当によくないんですけど、
ちょっと貧乏くせえみたいな言葉って言っちゃったことあるんですよ。
本当によくないこと言っちゃったんですけど。
知ったらふざけんなみたいな、ブチ切られたんですけど、そういうのは俺はよくなかったなと。
本当に確かに生活の手触りみたいなものに一個一個の工夫がつながっていくっていうのはすごくDIYの話と直結する話ですね。
51:03
自己効力感上がるらしいですかね。
上がりそうな感じです。
ちなみに社会運動とDIYっていうのはどういう接点があるんですか。
基本的に社会運動をやってる人ってお金がなくて生活自体も政治的。
例えばビーガンフードとかそうですけど、
まず一つは家とか住まいを作るっていうことについて、
やっぱり都心においてめちゃめちゃ都心のマンションとか高いじゃないですか。
だからそういう無意味に値札が付けられてるみたいな状況への反発として家作る、家具作るっていうのは一つありますよね。
もう一つとしては都市開発の文脈として、
都市っていうのは俺たちが自由に住んでる俺たちの自由に住みやすいようにしていいんだからということで、
ギリラ的に庭を作ったりとか、路上が補修されてない状況を自分たちで補修しちゃおうみたいな。
そういうのが伝統的にあったりしますね。DIYアクティビズムとかDIYアバニズムとかいったりしますね。
そういう言い方するんですね。いいですね。抵抗運動みたいな感じがして。
だから彼らはやっぱり保育園とかも自分たちで作っちゃったりするんですよね。
近所の人たちで集まって林番でというか、みんなの子供を見るみたいな。
どっかの団地の話があった。
そうです。三里団地みたいな日本だとそういう事例があるんですけどね。
なんかいいね。自治っていうか共同体を作るみたいなところにもつながっていきそうだな。
多分さっきのコロさんでしたっけ?の試みの延長線上にあるような気がしますよね。
確かに確かに。
やっぱり彼らがすごく対抗したいのってもう一つはプロフェッショナリズムですよね。
つまり専門家じゃないと建築だの保育だのするっていうのがそもそもおかしいというか、
みんな市民なんだからみんな社会に平等に関われていいはずだと。
そういう意味で幼児教室、たぶんさっきの親戚のおじさんの保育園みたいなことである種官僚制の産物だと思うんですよ。
なんかあったら責任取れないでしょう。
確かに。
それに対してさっきのミサット団地の幼児教室みたいな運動っていうのは、
素人のママ、パパが集まって、よその子供を見る。
もう責任問題とかすごい生じるだろうとは思うんですけど、
ただみんなが素人なんだから失敗したっていいじゃんっていう考え方なわけですよね。
めっちゃいいですね、それ。なんかすごいですね。
お便りとはからず人間関係を構築しながらDIYしてますよね。
自分の心地よい、互いに心地よいアウトソーシング先をDIYしてるという例かもしれないですね。
ある意味コロさんも親っていう最大のアウトソース先がないっていう資源の欠乏からそういうことをしてる面もあると思うんですよ。
だからすごい重要だと思いますよね。
54:02
ちょっと話は、いいところにまとまったところで、時間もあるんですよね。
そうですね、時間もそうですね。
いやーちょっと、これ一回で終わっちゃう。
一回で。
もったいないぐらい。
またぜひ来たい。
また話したい。
ぜひまたこんな話もさせていただきたいなと思いますということで、大丈夫ですか?話し残したことは。
大丈夫です。
じゃあここまでお聞きいただきありがとうございました。
本当に富永さん今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
青山翔司の清田でした。
森田でした。
富永でした。
それでは皆さんまた次回よろしくお願いします。
55:03

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