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2025-02-04 33:02

#33 漫才のツッコミを見た5歳に「どうしてこの人は叩かれちゃったの?」と聞かれて困った

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珍しく対面収録/ママムーより/シリーズ「あのとき私はなんと答えればよかったのでしょうか?」/どうしてこの人たちはケンカをしているの?/どうしてこの人は叩かれちゃったの?/どうしてこの人は穴に落ちちゃったの?/フィクションとノンフィクション・虚構と現実/プリキュアと仮面ライダーの暴力表現/感情表現と暴力が結びついてる/エンタメの道具としての暴力/結局のところ経済合理性…なのか/ゾーニング/


親番組 桃山商事

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みなさんこんにちは、オトコの子育てよももやまばなし。この番組は、現在5歳の双子を育てる清田と、2歳の子供を育てる森田が、育児のよもやまばなしを雑談していく番組です。
今日はちょっと珍しく対面、集合しての収録となっておりますけれど、ちょっとね、その前にももやま、親番組の方の収録で、わっこさんの新居に行ってきて、寒さんとした部屋で収録してきたけど。
そうだね。いい部屋だったね。
すごい良かったね。なんか、すごい近所で。
そうなんですよ。
たまにはね、こっちの番組でもゲストに呼んでも面白いかもね。
わっこね。
わっことか佐藤さんも。
確かに。
そういうのも。
それもいいかもね。
なんか、ちょっと距離が近くなったということで、まあそういうこともできるかなと。
ちょっと子育てポッツキャスト前回ね、久しぶりの収録になり、パパと呼ばれるのが嫌な私たちが、その後の現在の感じをちょっと話し合ったみたいな。
そうなんだよね。前回ヨビナーの話で、俺がワイちゃんにママって呼ばれてるっていう。
そうそう。
で、その話を聞いたママムーからの。
ママムーアンサー。
そうですね。雑巻みたいなのが届いてて。
俺がママと呼ばれてるのは、言葉として間違ってるから微妙だとは思ってるけど、気持ちはなんとなくわかるから放置。
放置。
放置。ただ最近はワイちゃんからのパパ呼びもちらほら見られるけど、それはスルーしてるので、そこはちょっと気になる。
若干都合良く。
あのね、確かにそういう時期あったんだけど、今はもう俺の認識だとあんまりないわけよ。
ああ、そうなんだ。
ちょっとスルーした瞬間はあるには。
なるほど、なるほど。
ママでしょとは言ってないけど。
パパと呼ばれるときに若干スルーしたんだ。
そういえばそうだったな、忘れてたんだけど。
あと、ママムー自身はママ呼びされたくないし自称もしたくないっていうのが。
ママと呼ばれたくないぜ。
そうですよね。なんかまとってるイメージが強すぎて、なんか女性の場合は結婚と子供ありなしが個人より前に来る感じがあると。
確かに確かにそうだね。
男性はどんな状態でも子が先にあるじゃないかみたいなことを言ってますね。
そうだね、子が消される感じがするっていうのは確か多分鞘子さんも漫画の中でそういうことを書いているシーンがあったけど、なんか繋がる話だね。
そうだね。
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そういうのもあって、個人として、子としてそれなりに認識される前に婚姻や子供のことは絶対言いたくないみたいな、そういう考え方の方なんですけど。
なのでママ故障を避けられているという意味では、俺がママって呼ばれているのは悪くない。
自分がね。
本当のママで。
そうそう。
ママムーだもんね。
この先もし俺がパパになっても、ワイちゃんがパパって呼び出しても、ママムーのままいけるんであれば行くかなって。
あと韓国のかっこいいアイドルのグループでいるんだよね、ママムーって。
そうなんだ。
だから好きっていうのもあるらしいです。
とのことでした。
ありがとうございます。子もありがとうございます。
そのうちママが取れて、ムーの部分が残って、子供なのかな、ムーちゃんとかなんかわかんないけどさ。
そうなる可能性もあるかもね。
そうだよね。しおりさんはしおちゃんってずっと呼ばれてるし、ママというのはほぼ呼ばれたことないから。
ややこしいじゃん。パパがママで、ママ的なポジションの人がママムーだったら、ややこしいからムーだけになるとかってこともあるかもしれない。
わかんないよね。面白いかなと。
でも結構はっきりと、俺がパパって呼ばれるのが嫌っていうのよりも、もっと強くママと呼ばれるのが嫌だっていうふうに、はっきりと理由を持って考えてるっていう感じかな、妻の場合は。
なかなか面白い話が広がったし、ママムーからのアンサーがあって。
また立体的になってよかったなという感じで、もしよかったら前回の配信も合わせて聞いていただけたらと思いますが、今回は私清田からの提案テーマで、
あの時私は何と答えればよかったのだろうかシリーズということで。
ジャッジリプレーターまたちょっと。
ちょっと似てるけれど、前にむしろ挨拶をなんでしなきゃいけないんだみたいなことを、花丸さんにふと聞かれたときに、
何と答えればいいんだみたいな返答に困ったみたいな回が確かあったような気がするんですけど、それとも通じるところがあるんだけれど、
正月に、結構9連休ぐらいだったよね、この正月、年末年始は。やっぱり家にいたり一緒に過ごす時間がほとんどだったので、
結構テレビを買ったのね、ちょっと前に。リビング、大人の寝室にしかテレビなかったんだけど、
イーテレとか面白い番組もやってるし、最近ペッパーピックっていうアニメ、英語のアニメなんかを結構好きで見てるんだけど、
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そういうのもあって、リビングにちょっとパッと見れるようなところにテレビがあるといいねってことで買ったんだよね、年末かなんかに。
で、お正月にさ、結構ボーっとテレビをつけたりしているみたいな時期もあって、そこでこう、例えば年末年始、初詣みたいなものとかさ、お祭りをさ、
映してる?いろんな地域のテレビのニュースなんかがやってて、そういうおみこしとかさ、男たちがなんかを巡って競争してるとかそういうのあるじゃん。
大阪のあるか、走るやつ。
走るやつとかああいうのも含めて、各地のお祭りとか年始の様子を映してるシーンがあったり、あとやっぱりお笑いの番組がいっぱいあってさ、漫才やってたりとか、
あるいはバラエティのドッキリ番組とかね、そういうのをいろいろやってて、なんかただそれをぼんやり眺めてた時に、
例えばお祭りの景色が映ってる時に、どうしてこの人たちは喧嘩をしてるの?ってふと聞かれたと。
ぶつかり合ったりなんかを巡って、なんか奪い合ってるみたいなところが、やっぱ喧嘩に見える。
あるいは漫才を見てる時に、どうしてこの人はこの人に叩かれちゃったの?ツッコミ?ぶたれちゃったと。
っていうふうに見えるんだと。
あとドッキリとかでも、どうしてこの人穴に落ちちゃったの?とか、どうして濡れちゃったの?みたいなふうにピュアに聞かれると、どう答えられるんだろうってのはちょっと困って。
つまりそういう、ある種の暴力性とか、ジェンダーの問題もそうだけど、何気なく見ている景色から、ある種の擦り込みとか思い込みとか常識とか、そういうのって形成されていくじゃん。
そういう時に、この祭り、喧嘩に見えるのか?とか、漫才のツッコミがね、悪いことをしちゃってこの人は叩かれてるみたいなふうに見えるのか?とか、濡れちゃうとか落ちちゃうってことがかわいそうだと思っていて、
なんでこの人はこういう目に合うんだ?みたいな、そういうピュアな疑問を向けられた時に、そういう習慣だから、風習だからだよとかさ、これは面白いからこういうツッコミだよとかさ、これは別にいじめてるわけじゃなくて、ちょっと面白いドッキリってものだよみたいなふうに、
説明すればいいのか?とか、説明するにもなんか難しいなとか思ったり、そういうちょっと暴力をこうちょっとこうってとまでは言わないけど、そういうシーンを、子供の目のフレームから見たらさ、なんかちょっといじめたりさ、喧嘩したりしてるのがよくわかるから、それをどう答えればいいんだろう?みたいなね、こういうふうに迷ったという瞬間があり。
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なるほど。
ちょっと今日はこの正月のテレビを通じて、その景色の、テレビに映る景色を通じてね、出てきた花丸さんたちの疑問。
答えに困る疑問っていうことだよね、そういう意味で。
だから説明も難しいし、その価値観とか感覚みたいなものに対する影響もあるかもしれないし、もちろん一つの場面でどうこうってことはないと思う。
あとはそういう、やっぱり社会的な文脈でこういうのってそういうふうに別に暴力を助長してるとかさ、それによって子供が暴力的になるとか、そこまで考えてるわけでは正直ないけど、ただ広く言えばさ、アダルトビデオの影響とかさ、そういう社会的な文脈でさ、暴力映画のとかさ、いろいろあるじゃん、そういう影響が論じられていて、
それがもしかしたら事件とかハラスメントとかいじめとかにつながってるかもしれないという議論は当然あるからさ、そういうことともそんなに切り離していい問題でもないしなとかね、真面目に考えればこういう感じもあるし、意外と返答に困っちゃって、
そうねーみたいな、なんでだろうねーみたいな感じで、なんか割とこう特になんかこうだからだよみたいな説明をするでもなく、確かにねーとか不思議だねーみたいな感じでちょっとこうふんわりコミュニケーションしたって感じだったと思うんだけど、改めてどうでしょう。
どうかね。
どう答えればいいでしょうか。
大きく見たらそのさフィクションかノンフィクションかみたいな話な気がするの。
祭りにしても漫才にしても、あとなんだっけ。
あとそのドッキリ。
ドッキリね。にしてもフィクション、作り物の世界だよね。
そういうちょっとメタっぽい感じになるのかな。フィクションというときにも物語とは限らなくて、そういう世界を作ってその世界観の中でやってるわけじゃん。
そうだね。
だからそのざっくりやっぱり作り物の世界なんだよっていうことなのかな。それって。演技とかとも近いからさ。
それをどういうふうに伝えるのかっていう話はあるような気がするけど、それはでもさ、例えば絵本とかさ、漫画とかさ、本とかさ、そういうのをフィクションの世界に親しんでいけば、あとアニメとかね。そういうなんていうのかな。
虚構と現実みたいな区別はね。
それはただだよ。そこの区別とそういう価値判断っていうのはまた違うような気がするわけよ。その暴力がダメとかっていうのはまた違うような気がするから、その価値判断とその、そうだね、現実と虚構っていうか、フィクションとノンフィクションの違いみたいなものを分けて考えたほうがいいのかなっていう気はちょっとしたね、議論としては。
つまりそのリアルとフィクションの違いっていうのは、たぶんまだそこまで区別はあるんですよね。わかるはわかると思うんだけど、ただ、でもさ、それを本当か嘘かっていうふうに分けちゃうとさ、嘘ではないじゃん。
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そうなんだよね。だし、さも本当であるかのようにやってるわけ。
やってるしね。そうそう。だから嘘、これは全然嘘でとかいう言い方もできないなと思って。そうだね。
だけど、フィクションとリアルっていう区別を俺が明確に伝えてたわけではないんだけど、ただ、嘘でやってるとかさ、結構難しいじゃん、その感覚を伝えるのって。
メタっぽい感じもするから。メタ認知っぽいのかな。
この人が別に叩かれていじめられてるとか、痛くて悲しい、泣いちゃうとかそういうことじゃないってことは、見てれば笑ってるし、見てればわかるんだけど、でもなんで笑ってるんだろうとかってね、暴力はいけないと基本的に教えられてて暴力が震われてる人がいて、その景色を見てみんなが笑ってるっていうのは、もしかしたら混乱するかもしれないですね。
あまりにハイコンテクスト。って考えた時に俺はちょっとわかんなくなっちゃって、そうだねーみたいなぐらいだったんだけど。
暴力がいけないっていうのは、それは一個そうじゃない。だけど、暴力がいけないくない世界もあるっていうことじゃない。
そうだよね。
そこはだから区別してみんな当たり前のように見てるよね。
見てる見てる。当たり前のように、たぶんそのうち見れるようにはなるんだろうね。
だからそういうふうになるまであんまりそういうものを見せない方がいいっていうのはやっぱりそういうことなんじゃない?意外と。
区別、混乱しちゃうしね。
混乱するしいいこととも思えない。要はこれはフィクションの世界でみんなそういう世界観の中でやってるからいいんだっていうのが、
それは別にそういう表現にはならないかもしれないけれども、なんとなくそれがわかるようになるわけじゃない?どっかのタイミングで。
逆に言うとそういう区別ができてないんだったら、あまりそういうものは見せない方がいいっていう指標になるかもしれないね。
そうだね。だからそういう疑問が、向こうもどういう意図で質問してきたかわかんないんだよ。ただシンプルにさ。でもやっぱ喧嘩してるように見える。
そうだよね。
なんで喧嘩してるんだろう。
普通に見せない方がいいかっていうとそんなことはないだろうから、そこの説明が一番難しいけど。
そんなことも正直考えないでさ、ただ正月で見つけてるってだけだったし、つい最近、別にこの出来事と関連してるわけでは全然ないんだけど、
日曜日の朝にプリキュアとかさ、仮面ライダーとかレンジャーものが連続でやってる時間帯があるじゃん。
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ああいうのをこう、保育園の友達の何々ちゃんがプリキュア好きだからプリキュア見たいとかってなってきて、で見たの。
ほんとついこの間の日曜ぐらいの。したらさ、まずプリキュアは女子のワンダフルプリキュアっていうのをやってて、
俺もパッと見なんだけど、ある大事な友を失った悲しみで怪獣みたいになっちゃった男の人が街を荒らしてるみたいな。
それをプリキュアたちがやめてーみたいな。結構そのケアをして怒りを沈めるみたいなシーンになってたの。
だけど男のキャラは大事な人を失った悲しみで攻撃性を発露して街をちょっと破壊してるみたいなシーン。
プリキュアたちは別に攻撃はしないんだけど、不思議な力でプリキュアに変身してなんか癒す。
で悲しみを沈めて怪獣が元の人間に戻って一見落着みたいなシーンだったし、
次の時間帯の仮面ライダーは仮面ライダーガブとかいうお菓子?グミとかプリンとかお菓子をベルトみたいなのにガチャンとはめると変身するみたいな世界観。
ちょっとよくわかんないんだけど。
すごい世界観だね。
その感じの世界観はありつつ、自分の弟をこう葬った悪の組織に復讐するためにあえて悪の組織の一員になって潜入してるみたいな、そういう設定っぽくて。
その男、仮面ライダーの男が君がすべきことはそうじゃないみたいな、悪の組織の手先になって一般市民に迷惑をかけることが君のやるべきことじゃないとか言って一緒に戦おうみたいな、そういうシーンだったんだけど。
そこでも基本的に感情表現とか怒り悲しみ嘆きをぶつける手段とか全部が暴力なんだよ。戦い、バトルでガンガンガンとかガスガスとかちょっと血が流れたり。
っていうプリキュアもそうだしさ、プリキュアたちはバトルしないんだけど、感情表現と暴力がめちゃめちゃナチュラルに結びついてて、しおりさんとかは行き通っちゃう。わなわな。何なんだこれみたいな。
俺もすごいわかる。
もうそれさ、やっぱ、しかもめちゃくちゃゴテゴテに盛られてんの、表現が。変身とかさ、ガチャンガチャンガチャンとかさ、ビームが出たりさ、なんかその怒りをうわーって表現するとか、相手に対してさ、なんでだーみたいな気持ちをぶつけるっていう感じなんだよ、その抽象化していけば。
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でもその表現がさ、なんかもうシャキンシャキンガンガンとかビューンとかビームになったりして、なんかゴテゴテに盛りに盛られてて、なんか俺ほんと宝塚とか劇団式のミュージカル見てるような感じがしたの。
俺は悲しいんだーみたいな感じで歌うじゃん。ああいう感じに盛られた表現で暴力行為がデコレーションされて、なんかやたらリズムもいいし、なんか見た目も派手だし。
やっぱ子供たちもさ、その後変身とかなっちゃってて、やっつけろーみたいになっちゃっててさ、それ自体は微笑ましくてかわいいシーンなんだけど、でもやっぱ保育園とか送りに行くとさ、やっぱ男の子たちがさ、レゴブロックとかで剣みたいなの作って、俺たちにさ、パーンとかやってきてさ、うー痛いとかってやるんだけど、
そこが、それは別にかわいいな、微笑ましいななんだけど、あえてめちゃめちゃ刺激。
でも背後にある世界観がさ、終わってるよね。
すごいんだよ。
だから何なのって本当に思うよ。前にさ、アンパンチ。
アンパンチか。
アンパンチ何なのってマジで思ったわけよ。パンチじゃんって。
しかもそのパンチに至るまでの演出とかがめちゃめちゃ巧みっていうか。
こんな暴力を肯定する。だからそれもさ、ごっこ遊びっていう中で子供はやるわけじゃない。
だけどさ、ごっこ遊びって身体勢を伴ってたりしてさ、実際に相手に危害を加えたりするじゃない。
するするする。
でも大人はそういうことやろうとは思わないじゃない。ごっこ遊び。
そうだね。
だからそこの区別がつくまで本当は見せるべきものじゃないと思うけどね。究極。
なんでこんなに子供に見せるものの中で暴力が当たり前のように描かれてるのかは本当に理解ができないっていうか。
俺も本当にそこは憤りを感じてるところだから。
だからさっきの疑問に答えるとしたら見せるな。
本当の本音を言うと見せるなっていうのが俺の本音なんだけど、区別がつくまで見せない方がいいとは思うけど。
だけどそれは人それぞれだからさ。見たいって言ったらさ。
子供向けの番組として普通に流れてるし、結局概念としての暴力というのはもちろんあるしさっきの疑問にどう答えるかということで丁寧に価値観をさ、
伝えていくための。
ダメなことなんだよって。
これは丁寧に教えていったり伝えていったりことはできるんだけど、それとは別次元に直感的に派手だしキラキラしてるし、
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その表現と演出とすべてがバーンって刺激として入ってくるから。
すごく論理だけで考えればさ、暴力が良くないよって教えられそうだと思うってことはもちろんわかってるから、
ツッコミで叩かれてる人がかわいそうに見えたりするわけじゃん。
でも一方でさ、仮面ライダーとかを見るとさ、めちゃめちゃ暴力振るってそれがかっこよく演出されて気持ちよく演出されて、
思考が開催する前にさ、接触しちゃうじゃん。
あれおかしいな、暴力はいけないとされてるのにここでは肯定的に描かれてるとなんて考えないじゃん。
しかもそれが矛盾を起こしてるとも思わないから、その時は。
その時見てるものがかっけえとかになっちゃうかもしれないし、さらにジェンダー的な目線で言えばさ、
やっぱプリキュアたちは暴力振るわないんだよね。
あ、防御か対話なの。
仮面ライダーはさ、俺の男たちはキャンキャンキャンとかやってて、
そこにはたぶんちょっとだんだんジェンダーのあれが入り込んでいくし、
関係してるかは全くわかんないし、結びつけすぎるのもあれかと思うけど、
公園とか保育園もそうだけど、何回か俺見てうわーと思ったのが、
男の子が若い女の先生に唾かけてるシーンを何回か見ちゃったの。
唾、ブーッみたいな。やめなさいみたいな風に怒られてるみたいなシーン。
結構すごいじゃん。先生が早く片付けてーとか言ってる時にブーッとか言って、
そこで思いっきり唾出してるわけじゃないんだよ、ブーッって言ってるだけなんだけど、
でも多少唾液の飛沫はかかってるだろうし、俺何回か見たことあんの、そういうシーンを。
その時にね、まあ、先生かわいそつれーなー大変だなーとか思う、
先生は慣れてるのかわかんないけど、でもやっぱり男の子があったんだよね、
俺が見たシーンは全て。で、なんかビームじゃないけど飛び道具みたいなさ、
直接殴ったり蹴ったりじゃなくて、なんか自分から何か飛んでいくものとしての
なんかっぽく使ってる感じがあったの、その時。なんかペッてやってるじゃなくて、
ビーム出してるみたいな感じでブーッみたいな、ああいうなんかこう、
まあそれは別に無邪気にこうやっちゃってんだけど、
まあもしかしてなんか影響を受けてる可能性はあるからね。
あるじゃん、知らぬ間に。で、とっさにそういう行動を選択するっていうところに、
相手に対する悪意だけじゃなくて、ちょっとかっこいいとかさ、強そうとかさ、
みたいなのが入り込んでるとしたら結構、
24:02
ね、ああいうバトルモノのさ、ビームみたいなものもなんか罪深いな、みたいな。
なんかね、その本能的にさ、面白く思っちゃうみたいなところがあるじゃない、ああいうのって。
だからすごい簡単に作りすぎっていうかさ、
まあ頼りすぎだよね、確かに。
結局なんつーの、経済合理性でしょ?っていう感じがさ、
経済と人権。
そう、っていうことだと思うんだよね。もっと、だからそれ以外でエンタメを作るのがすごく難しいから、
そういうものに頼って、でね、そこで経済圏が成り立ってるから、
もう今更それをっていう、
刺激が強いしね。
刺激、刺激だよね。暴力っていう刺激だと思うし、
まあ、究極、死だと思うけどね。
死。
死をエンタメ化してるんだと思うけどね。
まあそうだね。
だからそれは簡単だから、一番。
そうだね。
それは死にたくないしさ、みんな。
まあそうだね。本当にそうだと思う。エンタメの道具に作りやすいし、刺激もあるし、
だからその描き方のさ、いろいろ進化変化をしてると思うんだけど、
ただただ正義の見方が悪を暴力でやっつけるっていうだけじゃないと思うよ。
悪の中にも複雑な感情があるし、
あっち側から見た目線とかさ、昔みたいな善悪のさ単純な構図でとかだけじゃないと思うんだけど、
でもいずれにしよう全ての表現が暴力を伴って発露されてるってとこは変わらないわけじゃん。
善が悪をやっつけるときも、悪の悪なりの事情を描くときも、
そんな習慣で揺れ動く人たちも、
特に男性のキャラクターの悲しみ、喜怒哀楽感を発露するときに、
やっぱ暴力という表現手段を用いられるという点では結構共通してるから、
たまたま見たあれよ。
伝わりやすいから。
だからそれがエンターテイメントってことなのかな。
なんかそのさ、ただ面白いものを目指していくとそうなるわな。
まあね。
そしてそこに規制もかけてないから多分。
それをもってカルチャーって言ってるわけでしょ。
立場性とか感情の複雑さをより丁寧に描いていくという方向では進化変化をしてるんだろうけど、
根幹にあるなぜその表現が暴力という手段を伴うのかっていうところはほぼね。
そうだね。シンプルだからね。
本当はさ、もっと多数決で決めるとかさ、
例えばね。
すごいシンプルにやったらさ、
多数決もいろいろそれはあれがあるけどさ、
少数派をどうするんだみたいな話が出てくるけど、
例えばそういうとこ。
あとは、いやここは弁論でいきましょう。
弁論でいきましょうとかね。
とかね。
それが難しいってことだよね。
でもさ、プリキュアはさ、
敵の男性、敵というか悪者として描かれてる男性が、
27:03
暴力的な手段を用いて発露してたけど、
ケアという手段で沈めてんだよ。
ね、プリキュアのね。
プリキュアたちは。
で、それが一つのね、
ネガティブな出来事を収めるための手段として、
ケアや対話が用いられてるっていうのは、
面白いしでもただこれが女性性や男性性と結び付けられてるような感じもするから、
しかもたまたま俺が見た回だけの話で、
プリキュアだって戦うよみたいな話かもしんないけど、
ちょっとわかんないんだけど。
それがね、
女性性と結び付いてるっていうのは気になるけれども、
暴力と結び付いてないっていうのは、
なんかいいよね。
そうそう。
やっぱりね。
見てて面白かったし、
やっぱり男性キャラはこうなっちゃってるのかみたいなのも含めて、
ちょっとジェンダーについて考える時間にもなったし、
今日のテーマと結び付けると、
なんかナチュラルにいろいろな場面で描かれている、
大小様々濃淡あるけど、
暴力性のある何か表現っていうのは派手だしさ、
映えるし興奮刺激も伴うけれど、
あまりにも意識してみるとそういうものが溢れすぎてて、
子供のたちの中に何だろうね、
混乱という、混乱ということでもないんだけど。
花丸はちょっと混乱してる感じするけどね。
まあだからそうだよね。
それは素朴な疑問としてさ、
だから区別がついてないんだったら、
いやあれはダメなことなんだよって言ってあげるのがいいのかな、
そういう意味では。
かもね。
とりあえず今はそうやって言うのがいいのか、
あるいはね、
ちょっと理解はできないかもしれないけど、
複雑なことであるってことを、
そのまま何度も何度も伝えていっていれば、
そのうちそういうことなんだってなるのか。
そうだね。
でもほら本とか好きなんでしょ。
よく読んでるよね。
だんだんそういうのが、
そういう認知ができるようになっていくんじゃないのかな、
そういうものを通して。
それはフィクションの中のあれなんだ。
だから究極さ、
サンタクロースいつまで信じるかもんだみたいなのあるじゃん。
そういうのもやっぱ、
どういう感じなんだ。
リアルに今サンタさんいると多分思ってると思うけど、
そこからだんだんさ、
フィクションとしてこういうのがあるんだみたいな。
その間に一回中二病みたいにさ、
実は嘘なんでしょみたいなのがあるのかもしれないけどさ。
面白いね。
フィクション。
嘘と本当ではない。
そうだね。
このリアルと虚構の共存というか混在というか。
そうだよね。
自分たちがさ、
フィクションを見る時とかもさ、
ドラマとか映画とかはさ、
見る時もさ、
なんていうのかな。
30:00
どんな突拍子もない設定であっても、
リアルであれば入り込めるじゃない。
そうだね。
そこにある感情とかがリアルであれば、
すごい入り込めるようになって思うからさ。
そうだね。
だからワイちゃんなんかはさ、
まだ2歳の段階で、
どういう風にそういうものと。
そうだね。
全然違うけど、
いろいろなことで怖いっていう。
怖いと嫌がちょっと混在してるんだけど、
なんかそこでちょっとね、
いつか掘り下げたいなと思ったんだけど、
この人は何を怖いって言ってるんだろうとか、
すごい怖がりになる。
電池で動くものとか怖い。
怖いな。
でも確かにね、
電池で動く犬みたいなのが、
おもちゃがあったけど、
昔めっちゃツインズもビビってて、
なんかそういう目線で見ると、
確かに怖く見えるかもな、
みたいなのは面白いね。
多分観察していけば、
なんかこういう感じを怖いと、
言葉で捉えて表現してるんだっていうのが見えてきたら面白いね。
なんかだからそれも世界の捉え方なのかなっていう感じもするから、
ちょっとうっすら関係あるようなないようなみたいな、
なんとなくそのことを頭の隅っこの方に浮かんだんだけど、
さっきの話聞いてて。
いやーこれもね、コンテンツとの付き合い方っていう側面もあるしね。
そうだね。
結構このポータキャストの一つの、
嫌だなって言い続けるのは結構大事だなって思ってる。
そうだね。
プリキュア仮面ライダーゾーニングっていうのはもう、
でもさ暴力的な表現があったら、
6歳以上とかさ、
そういうのはあるんじゃないの?
どうなってんだろうね。
いやあるかもよ。
あんまり正直そこは、
もしかしたらゾーニングされてるのにも関わらず、
見ちゃったってことなのか。
それは可能性としては全然あると思うけど。
ちょっとその辺はもう一度確認してみようかな。
まあというわけで、
ちょっと今日はあの時の質問にどう答えていればよかったのか、
シリーズということ。
多分またこういうことは起きると思いますので。
そうだね。
ワイちゃんがいつか質問しだす瞬間があるかもしんないから。
ファースト質問なんかも。
いや超気になるね。
気になるわ。
気になるね。
何言うかな。
何に疑問を持つかな。
そうだね。
何に疑問を持つかっていうのはちょっと。
そうだね。
またここでご報告できたらと思います。
はい。
ということで、今回もお聞きありがとうございました。
大山修司の清田でした。
森田でした。
では皆さんまた次回。
よろしくお願いします。
33:02

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