00:11
みなさん、こんにちは。オトコの子育てよももやまばなし。
この番組は、現在5歳の双子を育てる清太と、
2歳の子供を育てる森田が、育児のよもやまばなしを雑談していく番組です。
はい。お、増えた。
おっと。
ちょっと間が空いている間に。
そうなんですよね。
増えた。
増えましたね。2歳になりましたね。
そうですね。まいっちゃ年末ですよね。
そうそう。
いやいや、おめでとうございます。
ありがとうございます。
そして、ご無沙汰。この番組は。
そうですね。だいぶご無沙汰しちゃって。
ちょっとね、年末年始、自分が結構体調崩してて。
ねえ、なんかその収録しようって言って、確か2回ぐらい?
そうだね。ちょっと飛んじゃって。
ねえ。そんな感じで、年が明けちゃってってなったらワイちゃんが。
ちょっと睡眠が不規則になったりとか。
なんかいろいろね。
ちょっとその辺の話もまたしたいなという風には思うんだけど。
親番組の方もちょっと忙しかったりしてね。
そうだね。年末年始?
年始。
いろいろコラボ会とかね。忘年会もやったし。
いろいろ生配信に出たりとか。
なんだかバタバタしてたね。
バタバタとしてたんですけれども。
まあちょっと今週ぐらいから通常モードでいけるかなって感じなんで。
コツコツこちらもやっていきたいなという風に思ってます。
はい。というわけで、ちょっと久しぶりの収録の今回テーマが、
呼び名をめぐるお話なんだけれど、
このね、呼び名っていうのはこの番組のシャープ2で、
パパって呼ばれるのが苦手勢の呼び名談義というのをやって、
なんかちょっとパパって呼ばれたくねえなとかさ。
そうだね。
俺なんかは子供から代表って呼ばれてますとか、
森田さんのとこもそのね、呼び名が定まってないとかそんな話がありましたけれど。
そうだね。
そんな呼び名をまたやろうというのが今回の趣旨なんだけど、
これはね、そちらの。
そうだね。
はい。
えっと、そのシャープ2の呼び名談義、
パパって呼ばれるのが苦手勢の呼び名談義がちょうど1年前で。
そんなかつ。
そうだね。年末だったので。
で、その時にはワイちゃんまだ言葉発してなくて。
あー、そっかそっかそっか。
そうそう。で、その時の問題になってたのは、
一番はその身近な第三者。
例えばワイちゃんにとってのじいちゃんばあちゃんが、
俺たち親のことを何て呼ぶかっていうことだよね。
03:03
そうだね。
例えば妻が帰ってきた時に、
あ、ママ帰ってきたねとかさ、
そういう風に言いたくなるじゃない、やっぱり。
パパあっちにいるよとかさ。
で、その時にあんたたちのこと何て呼べばいいんだっていう風にすごい言われて、
で、なかなかそれが定まらなかったっていう、
ママパパ呼びやだなみたいな。
そうだよね。自分たちがちょっとそういう葛藤を抱えているのはまだしも、
それが周囲に戸惑いを与えてたみたいな。
そうだね。
あとは、子供に対しても自分で自分のことを何て呼ぶか、
自称を何て呼ぶかっていうさ。
あ、そっか。パパんとこおいでとかママんとこ行っておいでみたいなやつね。
そうそう。そういう問題が発生してたんだけど、
まあなんかそこはもう結構曖昧にしてきてずっと。
で、1年経ってっていうかその間にまいちゃんの言葉が発達してきて。
そっか。すごいね。
そうだね。
子育てドキュメンタリーならではな。
で、現段階では2,5分ぐらいは喋るようになってる感じかな。
割とはっきりといろんな意思を自分であっちに行きたいとか、
あれ嫌だとか、ご飯食べたいとか、それぐらいのことを言うようになってるんでね。
そっか。
そうだね。ずいぶん会ってないからもう久しぶりに会ったらびっくりするだろうな。
で、まあもうジージーとかバーバーも言えるようになってる感じなんで、
例えばね、名前みたいなのもだいぶわかってきてるっていう。
ワンワンとかさ、ピッピちゃんとかさ。
キャラクターとかね、好きなのも。
そうそう、ワンパンマンとかもね。
で、現在それで自分たちの呼び名がどうなってるかっていう話なんですよ。
そうだね、言葉がもうはっきりしてきたということはある程度認証が定まってきたということですか。
そうそう、そうなんですよ。
で、現段階ではですね、まずワイちゃんはね、俺のことはママって呼んでるのね。
ママ?なるほど。すごいね、ママ。
ママですね。で、妻のことはママムーって呼んでるの。
ママムー?
そう。
なんだそれ、すごいね。ムーが入るの?
そう、ムーが入るんですよ。これはちょっと家庭内でのあだ名みたいな、もともとの。
そうそう、そういうのがちょっとちなんでるんだけど、そういう状況ですね。
ママとママムーでパパがいないんだね、じゃあその呼び名としては。
呼び名としてはそうなんだよね。
面白い。
別にそうさせたっていうよりは、ワイちゃんがね、ある時期、身近な大人のことをみんなママって呼んでる時期があったわけよ。
06:05
そういうことか。
そういう期間があって。
それはなんか自分の世話をしてくれる系の人、それともなんかもう大きい人。
どっちかっていうと自分の世話をしてくれる人。
なんか身近な大人っていうか養育者みたいな人をママって認識してる。
じいちゃんばあちゃんのこととかもママって呼んでたんだけど、そこで俺があんま訂正もせずに、ワイちゃんがねママって呼ぶのに面白がって積極的に返事してたわけですよ。
そしたらママが定着したっていう。
それは何、いわゆる自分が訂正しないばかりかさ、ママんとこおいでとかさ、なんかこっちあるじゃん。
俺だったらさ、ちょっと代表と一緒に行こうとかさ、なんかそういう感じで自分の一人称をそうやって言うけど、それもママ。
そこはね、まぁちょっと若干誘導したところはありますね。積極的に使ったっていう。
そこは何、俺んとこ、俺と一緒に行こうとかなんかあるじゃん。自分の一人称は子供に向けたほうが大体ママなんだ。
ママに見せた。
で、それをねちょっと面白がって積極的に使ってたら、妻はちょっとそれ嫌がって。
ちょっとそれどうなのって、間違ったことを教えるのどうなのみたいな感じで多分。
そっかそっか。
ちょっとそこはでも無視して、ちょっとどうなるかなと思って。
そうだね。
結果的にママが定着したっていう。
なるほど。保育園とかでそういうシーンってあんのかね。ママママって例えばワイちゃんが言ったとしたら、
それはいわゆる父親を指しているみたいなさ。
そうなんだよね。だから最初これが定着しかけた時に、俺が迎えに行ってワイちゃんがママママって言って寄ってくるじゃん。
そうだね。
そしたらパパだよって保育士さんとか言うんだけど、俺はあまりそれを気にせずに、ママ来たよとか、はいはいみたいな感じで言ってたら、
一応説明したりはしたけど、ママって今呼ばれてるんですとかっていう風に。
じゃあそういう生まれたさんのところはそういうことなのねみたいな感じで先生も認識してくれてるんだ。
だんだん認識してきつつあるかなっていう風に思ってるところだね。
なんかね、面白いのは、俺のことをパパでありお父さんっていう存在であることは認識してるわけよ。本人。
だけどそこに戸惑いや矛盾や疎後は感じてないってことでしょ。
09:03
ちょっとそれがよくわかんないんだけどね。実家で俺の母親、つまりワイちゃんにとっては婆ちゃんが、
親戚一同の集合写真見せて、それは俺とかも写ってる、俺たち夫婦とかワイちゃんも写ってる写真なんだけど、見せて、
そしたら何かじいちゃんはどれとか、お母さんはどれとかっていう風に問いかけて指させるみたいなことをやるんだよね結構。
なんか多分どれぐらいの認知能力があるのかみたいなことを測ってるんだと思うんだけど。
で、その時だから母がお父さんはどれっていう風に聞いたら俺を普通に指してて。
ママのことを指してるんだね。
ママのこと、そうそうそう。
あとその保育園でお迎えに行った時とかも保育士さんもパパ来たよっていうのに普通に反応してるし、そういう状況。
確かにね。そのパパとママっていう言葉がさ、いわゆる通用なす概念的な感じで捉えてなければ、そこは混乱しないのかもね。
そうだね。
そこがパパとママ、意味的にさ、いわゆる男で女でとかさ、パパってことはママじゃないとかさ、そういう概念が入ってこなければ別にスーッとパパでありママでありみたいな感じなのかな。
そうだね。
なんかでもね、俺が迎えに行った時にうっすらパパって言ってるような時もあるわけよ。だからなんかその辺がね、まあ別に混乱はしてないと思うんだけど、まあ分かってはいるって感じなのかな。
でも分かってんじゃない?使い分けてるっていうか。
そうだね。
花丸さんもそういう感じあったよ、やっぱ。
あ、そう。代表。
代表って呼んでるから、もちろん自分の、自分たちの中でとか、なんていうのかな、家の中ではもちろん代表って言うんだけど、なんかあるとき、保育園で妻のしおりさんをしおちゃんと呼ぶけど、
保育園ではパパママって呼んでる先生に向かってパパママとかなんかパパがとか言ってるのを見たときに、なんかこいつら使い分けてると思って。
なんかこの社会、社会がうっすらもあんのかなみたいなね。
あ、なんかそうそうそう、そういうのちょっと感じた。
そっか、わいちゃんもそういうモードって、ほらここの場は家で、外でとかさ。
12:03
まあでも自然に使い分けてるんだろうね。
どこですね、その、俺で言えばさ、清田孝行っていう名前があるじゃん。
うん。
で代表で、パパってことなんだろうけど、だから一番存在感が薄いのは俺の下の名前なわけよ、誰も呼ばないから。
なるほど。
だけど、やっぱあるとき、この人たち俺のこと知ってんのかなと思って。
うん。
あの原丸さんはそういう名前があるでしょみたいな、しおちゃんはしおりさんでしょって。
代表はなんていうか知ってるみたいなこと言ったら、やっぱ高行さんとか言ってたんで、なんかそういうのは知ってて。
へえ。
なんで知ってんのみたいな。
おもしろい。
まあ多分うちの、俺のお父さんお母さんが俺をそう呼ぶから。
うん。
なんかこの人高行って呼ばれてんなみたいなところから、そういう認識が生まれたんだと思う。それ以外は全くないから。
はいはい。
だからなんかこう関係性を把握して、なんか観察しながらさ、この人にとってこの人はこうで、この人はこう呼んでいて、この場ではこう言っていてとかっていうのは多分見て、
そうだね。
なんかこう、どうやって認識してんだろうね。
そうだね。
言語があればさ、頭の中でさ、あれちょっと待てよみたいなさ、俺はこの人ママと呼んでるけど、この人はあるところではパパと言われていてとかさ、あるところでは別の名前で呼ばれていてとかさ、
まあモリタと呼ばれていてとかさ、なんかそういうことを頭の中で言語で考えるというコマンドがあるならさ、そういう風になってんだろうなって想像つくけどさ、
うん。
なんつーの、なんかインナーボイスみたいなものがさ、あの人たちってどうなってんだろうね。
そうだね。
特にそのYちゃんとかの今の言語の段階では。
なんかそんなに複雑な回路じゃなさそうな気もするんだけど、なんかその集合写真見せて指差させてる時に、お父さんどれでわかるって、なんか面白いなと思ったの。
そうだね。関係性というものを、まず一対一のこの顔のこの人はこの人みたいなさ、まあそういう一つの呼び名と一つの何かが結びつくっていうのは分かるね。
だから自分との関係性においてこの人はママなんだとのはまずすごい分かりやすいよね。
うん。これはね、それは分かりやすいけど。
本人との。
うん。
でもまたいろいろあるでしょ、その例えばジージバーバやいとこがいて。
15:00
そうだね。
で今度ママムーがいて。
ママムーがいてね。
ママムーはどういう、なんていうの。ママムーは何。
ママムーはもうママムーよ。
ママムーは今度は社会ではママなわけじゃん。
確かに。
ここら辺は一個混乱を着さしそう。
そこが一個混乱だね。確かにね。確かにそうだね。
まあまあちょっとだからそういう意味で言うとより複雑か。代表は別にそこ勝ち合わないもんね。
代表しかいないから。
そうだね。
役割と故障がそこ、いずれね、いずれ何かの代表なのかなと思うかもしれないけど、今は音としてしか認識してないじゃん。
でまあ別に自分がママと呼んでる人が外ではパパという風にも呼ばれるってのもまあわかるけど。
そうだね。保育園で保育士さんがママ来たよって言ったら、ママムーが来たなって思うんじゃないかな。
あってことか。
そうだね。まあまあそっかそっかそっか。保育園でパパはママで、ママはママムーってことになるのか。
そうだね。
まあそうだね。ちょっとママムーが、ママムーの親中やいかにって感じだね。
うっすら嫌そうな感じはしてるけどね。まあそれはやっぱり、だから俺がなんでそんなにパパを嫌がるのかがわかんないっていう風に。
そうだね。
いやでも元々お互いママパパ嫌だって言ってたからさ。
ああそっかそっか。
妻はさ、ママムーっていうさ、オリジナルのさ、呼び名を手に入れてるわけじゃん。
まあそう。ママムーにはママが入ってるじゃん。
まあね、でもママムーだからね。
どういう感じなの?あなたはパパを回避できてるけど、私は、まあムーはムーだけどママ入ってんですけどみたいな感じあんのかな。
そういう、それはもしかしたらあるのかな。ちょっとそこまでは聞いてないな。
なんとなくさ、ちょっとずるいっていう感覚が発生してもね。
そうだね。
不思議ではないじゃん。
確かにね。この、まあまあ俺がママはちょっとオリジナリティあるもんね。
あるじゃん。でまあちょっとその通常の世間での意味とは、逆みたいな面白さとか、
なんかこう、男性が男性ジェンダーをちょっとこうさ、回避してっていうのは少しなんかいい感じあるじゃん。
ああ確かにね。
だけど、なんかその逆の目から見たらそれどう見えるとかどう感じるんだろうな。
そこはほんと全然分かんない。ムーに、ママムーに聞いてみないと分かんないけどさ。
まあそうだね。まあひとえにこれはだから俺がパパが嫌だっていう、それを意識無意識的にこう回避してた結果なのかもしれないけど。
18:09
そうだね。まあそこだけね、単体で見るとそれはなんか面白い結果になってるっていう感じも、
まあするしこの先、たぶんワイちゃんもさ、いろいろ文脈を理解しながら、そんなに混乱しない気もするけど、
まああとだから例えば公園とかね、こうちょっといろんな人がいる場で、
まあパッと見、父親に見える人のことをママって呼んでたら、
なんていうのが、たとえばこれほら、訂正する人がいるかもしれないし、混乱する人がいるかもしれないし、
いわゆるなんか性別のなんかセンシティブな問題なのかなとかさ、
今時なんかその、いわゆるお姉みたいなふうに解釈する人はいないとは思うけど、
なんつーの、もうちょい触れてはいけない問題なのかなみたいな感じでさ、ちょっとドキッとする人もいるのかな。
ああ、いるのかもしれないね。
彼の人ママって呼ばれてるぞみたいなさ。
そうね。
まあもしかしたらな、わかんないけど、そういう意味、こっちの意図や意味がさ、全くその説明せずに通用しない、
理解されない罰ならむしろいっぱいあるわけじゃない。
そうだね。
どうなっていくんだろう。代表はまだシンプルだよ。なんか変なやびなではあるけど、
まあなんか、
確かに。
その意味がねじ、なんか誤解されたりはしないじゃん。
そうだね。
まだ、パパママがねじれてると。
どうなんだろう。
そうだね。
どうなんだろう。
それは面白い。
でもそう考えると、だから自分がパパが嫌だからパパ呼びを回避してるってのはちょっとね、
だからどっかのタイミングでもしかしたら、パパって呼ぶようになったらそれはさ、返事しようと思ってるけど。
あくまで、今自然発生的にこうなったから、まあいいかなと思って、訂正することもないかって思ってるっていう感じになる。
全然ないでしょ。
だからほんとこれで考えてみるとさ、別にまずは個人としての自己認識っていうかその好みも含めて、
こう呼んでほしいとか、これは嫌だっていうのはすごい大事な問題じゃん。
だから自分はパパって呼ばれたくないんだっていうことは俺らも喋ってさ、
今その結果がじゃあママという一つの着地点になったときにさ、それはそれで本当はいいはずなんだけどさ、
まあこれを社会っていう目線を導入するとさ、社会に混乱をきたすとか言ってさ、
21:02
コストが上がるわけじゃん、理解とかさ、コミュニケーションに。
それでなんかそれは社会や周囲に迷惑だからやめろみたいな圧力っていうのはさ、
なんつーの性別?トランスジェンダーをめぐるなんか言説とかでもそういうのってすごいじゃん。
それはお前、自己認識っていうのはお前のわがままだろ。
それは社会に混乱や迷惑をかけるからよくないんだみたいなさ、
目線っていうのはまさになんつーの、抑圧的で差別的なさ、話だと思うから、
別に自分がそう思って、そう望んで、そう実際になってんだからいいじゃんって思う。
それはすごく思う一方でさ、確かになんかこの先何かざわつかせることもあるかもしれないなっていう、
現実的にそういうことも起きるかもしれないっていうのは確かに想像つくっていうときにこう、
どうそれと対峙していくかっていうのはとってもなんか社会的な問題という気がしてきたわ。
そうだね。そこまでのことはやっぱりちょこっと考えられてなかったかな。
ワイちゃんと自分がどういう関係でいるかとか、そういうようなことは考えたけど。
今はね、全然ほんとにそれで全然いいなって思うけど、ちょっと保育園っていうファクターが入ってきていて、
周囲の祖父母とかいとことかっていう、それがだんだん広がっていくとさ、
コンサバティブな価値観を持っている人とかさ、常識とか社会通念みたいなものをすごく思っている人からするとさ、
何なのそれ、やめなよ、子供がかわいそうじゃんとかさ、例えば言われる可能性もあるじゃん。
そういうときにどうですか、例えばそんなようなことがもしあるとしたら、
例えばね、これただの想像の世界だけど。
いやまあ、あくまでワイちゃんがどう呼びたいかっていうことでしかないかな。
ワイちゃんがそれで気になるんであれば別の呼び名に変換してくるだろうし、
そういう圧力かかるのやだなと思うけどね。
一方で、名詞としての機能としてはさ、やっぱりママって女性に使うものだろうし、
パパは男性に使うものだろうから、そういうものとは別にあだ名としてママみたいなことだよね。
24:03
呼び名としてママがあるわけだから、今はね。
そうだね。
名詞としての本来の意味を超えて呼ばれてるわけだよね。
だからそれはこっちを尊重しろよとは思うよね。
そうだね、それはそうだね。
関係ねえじゃんって思うから。
こっちの問題だって話だね。
そうそう、こっちの問題だからあくまで。
確かに。
それはね、日々の関係性の構築や、そういう習慣とか自分のこだわりとかを含めて構築獲得してきたものだしね。
そうだね。
それをとやかく言われたくねえって気持ちも当然あるよね。
だからまあそうね、でも運ではないからな。
運ではない。
運ではないからね。
ここはだから、産後はまあそれはさ、それなりにやってきた自負はあるけどさ、やっぱり運ではないから、ママ。
だからちょっとおこがましいといえばおこがましいのかもしれないね。
ママって呼ばれて、その返事を積極的に返事してるってちょっと呑気すぎるのかもしれないな。
なるほど。
そういうちょっとこう、産奪というか搾取じゃないけど、なんか。
そうだね。
だからまあ確かにそのまあこの場でいうとママムーがね、一応このここにおいては産んでいる人で、
まあ別にそれがママという称号をね、まずはその人の所有物だっていうのもまたすごくジェンダーって感じの話だけど、
そうか。そこにのんびり返事してることに対する。
そうだね。ケアっていう意味では、育児ケアっていう意味では、それはなんていうの、
もうママとかパパとかあんまり関係ないからさ、だからどっちだっていいじゃんって思うわけよ。
うん。
そういう意味では。
そうだね。
まあだけど、だけどやっぱりね、産んでないからな。
産んでないから。
まあまあそれは。
それがだからジェンダーか。それがジェンダーなのか。ジェンダーっていうかセックスか。
そうそう、性別という、なんなんだろうね、この辺は。
まあでもほら、なんかわかんないけど代表って言葉もさ、別にそこにジェンダーは別に関係ないはずだけど、
世の中のあるじゃん、なんかその代表とか社長とかさ、
なんかふとそれパッと聞いたとき、なんとなく男性を想像しちゃう言葉っていうのがよくあるじゃん。
サッカー選手とかさ。
はいはい。
社長とかね。
社長とかね。別にそこにいろんな性別の社長もいるはずなのに、みたいな話はよくジェンダーの文脈で出てくるけどさ。
まあそういう意味ではなんか代表って俺がすんなり名乗れてるのもさ、ちょっとそういう男性ジェンダーの土台の上にさ、あるのかもしれないね、もしかしたら。
27:19
ほらあったじゃん、なんか桃山昌司はさ、代表だとか専務とか候補だとか役割の名前で呼んでて、それがすごくなんか男社会っぽいみたいなことを言われたことは確か昔あった気がするんだけど。
あったね。
まあなんかそういう問題とも少し地続きというかね、だから保育園なんかで俺らがすっかり代表って呼ばれちゃってるからさ、
この間もなんか、なんだっけ、運動会か去年。で、組の集合写真を撮るみたいなね。で先生とさ、園長先生とさ、子供たちと全部の親御さんがさ、集まって、
でまあ、カメラマンさんがさ、ちょっとこう寄ってくださいとかさ、前に詰めてくださいとかあるじゃん。でちょうど俺が最前列に座ってて、でちょっと詰めなきゃいけないみたいなときに、園長先生がさ、俺にさ、
ちょっと代表もうちょっと真ん中来てくれますかとか言ったのよ。なんかさ、俺なんか理事長みたいなさ。
そうだね。
園長の上にいる、なんかグループの長みたいな感じの、しかもちょっと真ん中の方に座ってたから。
真ん中にね。
周りの人、別に親御さんはね、花丸ちゃんのパパって思ってるだろうけど、一瞬その文脈知らない人からするとさ、なんであの人園長先生に代表って呼ばれてるんだろうって思ったんじゃないかなみたいな。
ちょっと一瞬そういう自意識が発動したけどさ。ちょっと恥ずかしい。
法人の代表っていうかさ、その法人の代表なのかなみたいなさ。
法人の代表みたいな。なんでね、なんか金髪みたいな頭でさ。
経営の方の人なのかなみたいな。
そっちのグループのね、みたいな、一瞬まあ代表って言葉にもそういう文脈によってはね、変な意味が生じちゃうっていうか、こともあるなとはちょっと思ったけど。
なるほどですね。
なかなか呼び名っていう問題と、一対一の関係でただただ呼び合うっていう呼び名としての言葉の側面とね、やっぱりそこには役割や意味、なんか帯びちゃうときに社会の文脈で照らし合わせると、
常識みたいなものとのずれとかねじれが生じると、何か不思議な面白くもあり、面倒くさくもあるみたいなことが起きる。
まあネックには自分がちょっと天の邪悪というかさ、パパ嫌だってさ。
30:05
パパ嫌だとか言っていい加減そんなの受け入れろやみたいなふうに思われるかもしれないよね。それはありますよね。
まあでもねこの自意識はしょうがないよね、40何年間。
でもさ、文化系の自意識とか思ってたけど、そもそもそのパパっていうものに帯びてるさ、ネガティブイメージが強すぎねえかっていう話もない。
まあそれはそうかもしれない。用意されたものとしてのパパという言葉に対するね、なんか制服みたいでね、一着しかない。
うん、パパがね。
これ着なきゃいけないの?みたいなさ。
なんかこう、まあだからどっか一緒にされたくないみたいなのあるのかもしれないね。
まああるよねだから。
パパ、なんかコミットしてない感じが若干あるっていうかさ、パパ。
ああそっかそっかそっか。
そういう。
ああなるほどね、まあそういう側面もあるね確かにその、どうせパパだしみたいな。
パパってこんなもんでしょうみたいなさ、どれだけ自分が頑張って一生懸命自分の中にこだわってコミットしても、見られ方としてはね。
そうだね。
パパに。
それはさ、今までの文脈があってさ、やっぱそのさ、子育て界においてさ、
てかその、そういう、たとえば子育て広場とかでもそうだけどさ、やっぱそのパパってそういう人だからさ、なんていうの?
まあそうだね、こう、あんまいないし。
そうそうそうそう。
コミットしないし。
いやだから、すごいもしかすると、より嫌いになってるのかもしれないパパっていう。
ああそっか。
呼び名が、俺は。
そうだね、そう思われたくないもんね、やっぱり。
まあでもパパなんだけどさ。
いやもう、パパではない。
なんかそういうことなのかもしれないなあ。
そうかもね。
ああ。
ちょっとこうレジスタンス要素も。
そうだね、レジスタンス要素ももしかしたらあるのかもしれない。
あるかもしれないね。
それはまあ、なんか今までのね、子育て広場とかの経験とかさ、
まあだからこの先逆の文脈でもあるわけじゃない?
俺なんかちょっとあるけどさ、その、じゃあ桃山、まあこういう番組やってたよさ、逆に、
パパなのにすごいコミットしてますねとかさ、
パパなのにそんなに偉いですね、すごいですねっていう、いわゆるね、その褒められやすい男性特権的な側面もこのパパって言葉にはまたあるからね。
これもちょっと歯がゆいっていうかさ。
仲間に入りきらなかったみたいな感じもあるわけよ、子育て広場とかでもさ。
ああそこそこそこ、主にママさんと女性のいる場で。
そう、やっぱりこう一線は越えなかったなみたいなのが、まあそれは俺のコミュニケーション能力の問題なのかもしれないけど。
33:08
そっかそっか、そういう時なんやねん、ちょっと悔しさというか。
寂しさみたいなのはあるかな。
寂しさ、寂しさ、なるほどね。
そうだね。
わかるわかる、俺も結構、例えば仕事とかで、仕事っていうか、文筆の一人の文筆をする人間としてジェンダーの問題に関わってると、やっぱさ、フェミニストの女性っていうのが一番多いしさ、
一緒になる機会とかも多いし、自分もまたそういう尊敬してる書き手の人に、たくさん女性のそういうフェミニズムのことを学んだりテーマにしてる書き手が多いって中でさ、
そういう人たちの輪になんかちょっと入れてもらえた時のさ、
なんかいわゆる名誉女性じゃないけどさ、
男という属性性別を背負いながらそういう場所にいるってどこかちょっと難しいというかさ、
居心地の悪さみたいなのもあったりはするんだけどさ、
でもまあどこかね、お前は男でありながらここにいることを多少許可するみたいなさ、
なんか逆に政治やビジネスの世界でなんかほら、嫌な言葉だけどさ、名誉男性って言葉があるじゃん。
まあいうののさ、なんつーの、ここにいるのはおおむねこっちの性別なんだけど、
その世界の中でいることを許された違う性別の人みたいな意味でさ、たまにそういう言葉を使うじゃん。
そうだね。
その時にそういう、なんかちょっと自分の中ではさ、そういうことに喜びを感じちゃってるところもあってさ、
新刊のエッセイでちょっとそういうことを書いたことがあるんだけどさ、
もしかしたらね、そのママと呼ばれることにとかさ、かつての子育て広場での経験も含めてさ、
ちょっとパパじゃないものとしていられることに対するさ、
嬉しさっていうかなんかちょっとポジティブな気持ちっつうのもさ、
それはあるね。
ね、あってもあっても不思議じゃないなっていう。
まあいいよね、ちょっと嬉しいもんね。
そうだね。
それはそれでいいと思うんだよね。
なかなかあれだね。
思ってたよりあれだったら複雑だったな。
そうだね、複雑だね。
俺の心の動き。
いや俺も最初聞いたときその発展版って聞いててさ、
なんかまあワイちゃんが喋るようになっていろいろあったんだってことぐらいはまあなんとなくイメージついたけどさ、
36:03
こうね、そこにはこう複雑な気持ちや歴史や社会との関係や、
まあもちろん課題とかまあパートナーとのもしかしたら向こうが思ってるかもしれない。
そうだね。
もろもろとかがいろいろ。
もやもやもありそうな気がするから。
含まれてますね。
でもね、なんでそんなにパパって呼ばれるのが嫌なのか、ちゃんと言語化してくださいというふうには言われてたから。
そっかそっかそっか。
だからまあ一応できたような気がする。
ちょっと進みましたか。
そうだね、進んだ感じはするわ。
それなら取り上げてよかったですね。
そうですね。
ほら、いいところに話が行き着いたんじゃないかなと思います。
というわけで、ちょっとねこの子育てポッドキャストもゲストを呼びたいねとか。
そうだね。
ちょっとそういうチャンスがあったんだけどね、それまた風が重なってできなかった。
風が重なってね。
そうだね。
あとはちょっとこの子育てポッドキャストがまたね、なんか何かになって、
そうですね、新展開。
新展開なんかもお知らせできるときとか。
そうだね、やっぱり定期的に、まあ1,2週間に1回ぐらい。
そうだね、できるときはね。
1週間ぐらいを目指しつつ、2週間ぐらいに間が空いちゃうこともあるかもっていうぐらいで。
そうなんだ、あっという間に年取っちゃうからあの人たち。
そうなんだよね。
聞いてくださってる人たちがやっぱりね、いてお便りとかもいただいてるんで、
本当にありがたい限りなので、コツコツととにかく。
そうですね、お便りを紹介する回もねまた。
そうだね。
やっていきたいなと思います。
というわけで、
はい。
はい、というわけでここまで聞きいただきありがとうございました。
大山翔人清太でした。
森田でした。
それではみなさんまた次回。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。