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2024-08-29 08:20

061 生と死のバランス感覚:「死にたいな」と時々思うことがあるような人こそが僕の中でまともな人間だと思っている

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「死にたいな」と時々思うことがあるような人こそが、僕の中でまともな人間だと思う。死へのリアリティが意識の片隅にもない人は、一見よく生きているように見えたとしても、本当は生さえ意識できていないのだ。今日は死にたい気分である。まともな人間である可能性を確認できたので、それはそれでよしとする。時々死にたくなるのと、よく死にたくなるのとではわけが違う。これは生を意識しすぎていて、生に期待しすぎていてよくない。

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
完全招待制のバランス音会を開催したり、公演にレジャーシートを敷くなど、存在としての公演をコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
僕が思うにですね、死にたいなぁって時々思ったりするような人こそが、僕の中でね、すごくまともな人間だなぁというふうに思うんですね。
それは、この世界をあまり美化しすぎない、また、そんなに絶望的な地獄みたいなふうにも、地獄みたいなふうに思ってるかもしれないけど、その、毎日死にたいってほどの地獄だとは思ってない、みたいなね、ところですよね。
だから、そのバランスを取ろうとしている、きれいに50%みたいな話じゃなくて、自分の中のちょうどいいっていうんですね。
どこまで美化するのか、どこまで絶望死するのかみたいなところのバランスを自分の中でしっくりくるところっていうのをね、常に模索しているからこそというかね、
その間にいるからこそ、時々ね、バランスが崩れて死にたいなと思うこともあるよねというような、そういうね、漂っている、バランスを取ろうと漂っているみたいなね、人。
というか、そういう感覚こそが人間らしいなぁと思うんですね。
僕自身もね、たまにね、今日死にたいなぁという気分の時あるんですけど、本当に死にたいということじゃなくて、気分の問題ですよね。
ちょっともうしんどいなぁと思うような日もあったりするし、一方でね、なんというか、そんな日があるからこそ、死みたいなものにリアリティを持てる気分で死にたいってぼんやりしてるんだけど、
その時にちょっと待てよと、死ぬってなんだっけっていうことを考えてみるきっかけになったりするんですよね。
ぼんやりと死にたいなんて言ってるけど、本当に死ぬって何なんだろうみたいなことをじっくり考えるきっかけになったりすると。
そういうのを一通り考えると、結局よくわからなくなって、いろんな考え方ありますけどね、死んだ後にあの世があるという考え方もあるかもしれないし、
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僕みたいに死んだら無になると思っている人もいるかもしれない。でも無になるってどういうことなんだろうっていうことを考えても結局わからないし、
とにかく死みたいなことを一通り考えた後に、結局わからないと。わからないけれども何かが終わるんだろうなというような漠然としたものを、
漠然とするけれどもリアリティを感じると。
そして初めてですね、生きるということに目が向くというか、コントロールできるのはこの生きている間だけだなということにまたリアリティが持って、
じゃあそのコントロールできるこの今、この時間っていうのをどうしていきたいのかみたいなことを考え始めると。
そしてですね、ただただ死なないために何かをするのではなくて、生きている時間をどうすればこの生きているという感覚、充実感、
その生きている中で充実感みたいなものを得られるかみたいなことをようやく前向きに考え始めることができるということで、
やっぱり時々死にたくなるみたいな感覚は僕の中でとても重要だなと思っているんですよね。
それこそが生きるということに対してまたリアリティを持たせると。
だから全く死にたいなんて思ったことありませんみたいな人は、僕はもうですね、生きるということさえ意識できていない、
エネルギーを放出している、よくわからない、よくわからない物体として動き回っているというふうに僕には見えますね。
かたや、毎日毎日死にたいとネガティブなことばかり言っている人を見ても、今度はその対極というか、
それだけ死を意識しているということは、生きるみたいなことを意識しすぎているんだと思うんですよね。
だから本当は死にたいんじゃなくて、生きることに対する理想が高すぎるというか意識が高すぎる気がします。
だから全く死にたくないのもどうかと思うけれども、いつも死にたいのもどうかなと思うので、
時々死にたいなと思うことがあるぐらいの感覚の人が最も生みたいなものをバランスよく意識しながら生きている人なんだろうなと思って見ています。
実際僕の周りの友達を見ていると、決して死なんて考えたことないよみたいな人はいないし、
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いつも死にたいみたいな人もいないし、やっぱり時々死にたいなってきっと思っているだろうなみたいな人が僕の周りには多いなと思うので、
そういった人がバランス感覚に優れている感覚がありますね。
生と死のバランスみたいなものを持っているし、それゆえに程よく死を意識することで生みたいなものを意識できていると思うし、
生みたいなものを意識することで死みたいなものを意識できると。
これが意識しすぎると、自意識過剰というか何もできなくなっちゃうし、全部が不快になったりしてしまうし、
それが全く意識できないってことは、すごい不感症というか、この生とか死に対して鈍感であるという感じがするので、
生きるとか死ぬとかも結局はバランス感覚なのかなというふうに思います。
死にたいなって時々思うことがあるような人こそがですね、僕の中でまともな人間だなと思うので、
もしね、時々死にたいなって思うことがあるんですけど、どうしましょうって思っている方は、自信を持ってね、生きてください。
むしろ僕から見るとまともな人間だと思います。
本日は以上です。
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さようなら。
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