期待しないことの意義
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
完全招待生の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、存在としての公園のコンサートに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
僕は人に期待しないように、あるところらへんからね、すごく意識しているんですよね。
おそらくは、20代半ばに、当時同棲していた恋人と別れた後に、情報操作というか、一方的な、今のXの炎上案件みたいなのと一緒で、
すごく偏った一方の見方みたいなものに感染した数十人のコミュニティのメンバーが、一斉に僕をバッシングして、
僕の言い分というか、僕が見ていた事実みたいなこととは異なる事実を採用してですね、村八部にあったというその辺りから、
人間というのは、理性的でもないし、物事をじっくりと判断できるような人ばかりではないんだな、という事を思った。
それは別にその人たちが悪かったという事ではなくて、人間という種がそもそもなかなかそのように冷静に物事を一つ一つじっくり考えたりする事ができないんだろうな、という事を思った辺りから、
期待せずにですね、そんなに期待せずに、もっとその存在と向き合っていくって事をしたいなと思ったという感じなんですよね。
いや違うな、それは時間をかけてそうなっていったって感じで、まずは人間って、20代半ばの僕が思ってた事ですよ、人間ってすごい欠陥品だなって思ったんですよね。
なんか理性なんて持ってないじゃんっていうことに対して、すごく絶望して、誰も信用ならんなって思ったのが20代半ば。
そこから一旦、結構な孤独というか、寂しいとかっていう意味じゃなくて、一匹狼みたいな感じで、人との関わりをかなり経って生きてきたと。
表面的に爽やかな挨拶はするけれども、全然心を開かないという事をしばらくやっていたんですが、すごく快適でスムーズで、物事が上手く運ぶんだけれども、
味気ないのは味気ないなと思って、やっぱり人と生きていくってことこそが人生の醍醐味の一つなんだろうなと。
いくつかあるうちの大きな一つが、やっぱり人と生きていくってことなんだろうなと思って、20代後半ぐらいから、またいろんな人たちとの関わりっていうのを模索して、人間関係みたいなものに対して向き合っていくようになったんですね。
そこでたどり着いたのが、存在としてその人の存在に価値を感じるということ。機能みたいなものではなくて、存在に価値を見出していくということ。
さっき言った、理性が働かないなんて欠陥じゃないかみたいなことを言いましたけれども、働かなくてもその人の存在そのものに価値を見出せたら、
ちょっとその理性が働いてなくても大丈夫っていうか、感情的になってるけど大丈夫っていう気持ちが持てるというところで、
存在にフォーカスするようにすると、もうちょっと人間関係みたいなのが楽しくなったというか、自分の受け入れる余白ができたっていう感じですかね。
機能みたいなものにはやっぱり点数がつくと思うんですよ。
例えばテストを受けると100点とか60点で点数がつく。
それはある国語の知識、テストに出てくるものをどれぐらい知ってますかっていうレベルみたいなものが点数で測られるってことですよね。
それなんでもいいですね。サッカーでボールを蹴るっていうのも、キック力みたいなものを例えば数値化できるだろうし、足の速さを数値化できるだろうし、
いろんなものを数値化しやすいのが機能だと思うんですよね。
人に期待するとか期待しないっていう時、特に僕が人に期待してないっていう時っていうのは、機能に期待してませんよっていうことなんですよね。
あなたの存在がどうでもいいですなんてことは思ってないと。
よく期待しないって言うと、じゃあ人に期待しないって寂しくないですかみたいなことって言われるし、
それに今まで寂しいことじゃないけどなと思いながらあんまりそこに説明を加えなかったんですが、
機能に期待していないのであって存在そのものには価値を感じてますよってことなんですね。
もちろん期待しないっていう言葉には2方向あって、すごいネガティブなやつで言うと、
機能を果たしてもらわなければならないにも関わらずその機能を果たせない、つまり役に立たない人とコミュニケーションを取ってもそんなコストを払いたくないみたいな仕事の上ではあったりとかすると思うんですが、
もっと広い意味での人間関係って別に役に立つか立たないかではないと思うんで、
もっとポジティブな方向で言うと、あなたの存在そのものにすでに価値を感じているんだから、
別に何か頑張らなくてもあなたのままでいいんですよって意味で期待しないって言ってると。
例えば赤ちゃんに理性的に振る舞うことを期待しないし、
誰だってね、
とか付き合ったばかりの恋人たちが恋人に甘いとかも別にこうあるべきみたいな機能を求めてないですよね。
だからそういう機能じゃなくて、その人の存在そのものに価値を見出そうとする姿勢、
そして機能ではない部分に価値を見出そうとする姿勢ですよね。
関係の構築
という意味で期待しないという言葉を僕は使っています。
そう言いながら、今年久しぶりに期待してしまった案件があって、
仕事なんですけど、ポートキャストとか全然関係ない仕事ですね。
だからあの人かなこの人かなとかって思わないでほしいというか、思ったところで違うと思うんですけど、
僕のコンサルの仕事ですね。
プロジェクトを一緒にやっていた人がいて、
すごいね、期待してたんだと思うんですよ。
期待しちゃってたんで、知らず知らずのうちにですね。
で、どっかのタイミングで、あるタイミングで言われた一言で、
すごいね、がっかりしたというか、ガクッときちゃったと。
で、その時初めて自分が期待してしまってたんだなってことに気づいた。
で、その期待してしまってたっていうのは何かというと機能の部分ですよね。
機能とかその機能に対する考え方みたいな部分で、
そんなふうに考えるんだったら、ちょっともう一緒にやっていけないなってことで、
そのプロジェクトも閉じちゃったっていう出来事があって。
別に揉めたわけでも何でもなくて、単純に僕が期待してしまっていて、
その期待に大きく下回るものの考え方だったなっていうところで、
一緒にやってもあまり良いことがなさそうなんで、
まあそんな言い方はしてないですけども、プロジェクトを閉じるってことをやりました。
期待しちゃうとそういうことが起こるし、
僕の期待って多分高いんですよね。高い。期待しすぎちゃう。
これぐらい出来るべきであるとか、
そのようにするにあたってこのように考えるべきであるみたいな、
結構べきの思考って僕強い方だと思うんで、
現象を僕の個人会社にしてるのってそもそもそういうことというか、
社員を取ったりとかするとおそらくその期待みたいなのが出ちゃって、
すごい窮屈な感じになっちゃうだろうなと思うんで、
あまり期待しないでいられるように、
機能の部分で人とあまり関わらない存在として関わっていきたいみたいな、
それが一番僕は人間関係をうまく継続していくとか、
許容していけるラインだなと思ってるんで、
まさに公演の活動を僕は個人でやって、
そこで出会う人たちと存在としてつながっていくということをしていきたいと。
その関わる人たちに別に期待はしてませんよと、
その期待はしてませんっていうのはどうでもいいっていうことではなくて、
存在に価値を見出しているので、
存在と存在で関わっていけたらと。
存在がやっぱり自分にとって害みたいなことが中にはあると思うんですよ。
例えば何でしょうね、
分かりやすいやつで言うと、
公演を荒らされるとかっていうことがあれば、
存在として害なので存在に価値を見出せないので害ですってことはあるけど、
そんなんじゃない限りは基本的に存在そのものが価値、
ありがたい、そこでつながるということですね。
存在としてつながっていくってことは、
僕はこの時代、これからの時代だからこそとても価値だと思う。
つながりなんてものは何になるんですか?
それでお金になるんですか?みたいなことってなんだろう。
ちょっと前まですごい、今も蔓延してるのかな、この社会で。
そうかもしれないけども、
でもこれからどんどんどんどん人は孤立していくし、
低くと思うし、
つながりが希薄になっていく一方だと思うので、
健全に、安全に、安心してつながれる場っていうのはどんどんどんどん減っていくだろうなと思うので、
僕のこの講演活動はそのような存在同士でつながっていける、
機能を果たさないと価値がないと見なされるみたいなものではない、
存在そのものがいいねっていう、
そういうコミュニティをつくっていけたらいいなと思ってます。
ちょっと話が行ったり来たりしましたけども、
期待しないっていう言葉に僕が込めている、
人に期待しないっていうことに込めている意味っていうのは、
機能みたいなものには期待してません、
期待しないように気をつけますと。
一方で、存在そのものには価値を見出しているんで、
そんな機能、自分を動物化しなくていいんですよと、
価値出そうとしなくていいんですよと、
人としてですね、
なんていうのかな、
仲間だよというポジティブなメッセージで関わり合えたら、
全然何かができるとかできないとかっていう機能の話、
能力の話はそんな重要じゃないんですよっていう、
そういうことですね。
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