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皆さん、こんばんは。上水優輝でございます。
完全招待せんの晩餐会を開催したり、
公園にレジャーシートを敷くなど、存在としての公園をコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
人と関わるにあたってですね、
ポジティブな場面っていうのは、
正直ですね、
その雰囲気でOK、みたいなところがありますよね。
そのポジティブな雰囲気、気持ち、
みたいなノリ、みたいなものを共有できれば、
まあ、本当はそれを言語化した時というか、解像度を上げた時に、
お互い違ったとしても、
まあでも、大筋そのノリを共有しているから、いいよね、ということで許容できる場合が多いと思う。
けれど、ネガティブな場面ですよね。
そこで擦り合わせができないと、
どっちか、ないし両方がひどい目に遭うという、
ある種危険な場面だとか、危険が訪れそうな
場面っていうのは、かなり解像度を上げて、しっかりと擦り合わせをして、
その後起こりうることに対処していかなければいけないっていうことは、
たくさんあると思うんですよね。仕事でも、
友人関係でも、恋愛でも、家族でも、これから来る課題、ないし今抱えている課題を
回避する、ないし乗り越えていくには、擦り合わせないといけない、みたいなことがあると。
その時に、コミュニケーションがうまくいかない、
具体的には、伝わらない、
みたいなことが起こるわけですよね。
平常時、割と小難しい話をしている人、
自分と一緒に小難しい話ができている、やや複雑な話ができている、
結構細かいところまで共有できている、みたいな人でも、
いざ、そういうシリアスな場面で、
じゃあ擦り合わせましょうかってなった途端、
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普段なら、わかるようなレベルのことが全然わからない、なんてことが起こる。
それでわからないって言うから、わかるように、一生懸命、
たとえを用いてみたり、そのたとえじゃわからない、じゃあこのたとえはどうだろうか、とか、
この言葉じゃわからない、じゃあもうちょっと柔らかい言葉にしてみようか、とか、
高校レベルじゃわからない、じゃあ中学レベルにしてみようか、とか、
どんどんどんどん、わかりやすく伝えようとする、伝えたい人がね。
伝えようとしても、どんだけレベルを下げても、わからない、わからないとなると。
だんだん伝えたい方は、
あれ、この人、バカなのかな、みたいな風に感じ始めて、
まあ、そのままバカにしてみたり、
または、だんだん、
ムカついてきて、怒ってしまったり、
とかいう感じで、シューシュー疲れなくなっていく、みたいなコミュニケーションってよくあるなあって。
それ周り見ててもそうだし、僕自身も、あれ、これで伝わらないってことは、じゃあこのたとえでやってみようか、みたいな感じで、
よりわかりやすいたとえを考えたりとかして、説明を尽くしてしまうんですよね。
つい。でも、多くの場合、
わかるか、わからないか、みたいな能力、その理解力の話ではなくて、
わかりたいか、わかりたくないか、みたいな気持ちの話だったりすることが、
よくありますね。その背景には、
その目の前の事象とは別にというか、その相手にとって、
その分かってしまうことで、状況がどんどんひどくなるという、かもしれないという不安、自分にできるか分からない不安感とか、
自分を大事にされてないという感覚で心を閉ざしているとか、
もしくはそれをわかってしまうと、自分の地位が脅かされるというか、自分のプライドが傷ついてしまう、みたいなところで、
自分をなんらか守るために、それはプライドなのか、その不安な気持ちからなのか、それとも大事にされてないから、
相手にむちゃくちゃにされるからなのか、理由はわかりませんけれども、自分を守るために、
もうわかりたくないと、わかりたくないからわからない、みたいな、そういう順番になっている気がするんですね。
なので、そもそもわかりやすく伝えよう、みたいな努力自体が無駄、
かえってその逆効果、ずーっと説明している、みたいなのは、結構攻撃しているみたいに見えたりもするので、
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意外とそういう伝わらないなーって場面っていうのは、相手にわかるだけの能力がないパターンはもちろんありますけれども、
それよりも、わかりたくないからわからないんだっていうこともあるなって、そっちの方が多いんじゃないかなって思うんですね。
わかりたくないから、わかりたいと思ってもらえる工夫っていうのが、いろいろ必要なんだと思うんですけど、
そのわかりたいと思う工夫っていうのは意外と動物的で、
オンラインじゃなくて対面だったらわかろうとしてくれるとか、例えばですね、そういう些細な工夫だったりするっていうか、
大事にされていると思う環境で喋るとかね、それだけで大事にされている気がする、みたいなことが起こる、みたいなのがあって、
そうするとわかりたいという気持ちが起こり、初めて言っていることがわかる、まあなぜならわかろうとしているから、みたいな、
わかろうとしているかわかれようとしていないかっていう気持ちの問題、マインドセットの問題っていうのはめちゃくちゃでかいなっていうことを思っています。
これを応用していくと、今の僕が想定したのは、
対人関係、一社間の、もともと信頼関係がある程度ある人と何か話し合うときの場面を想定して今喋ってたんですけど、
これって、例えば信頼関係がない相手ってとても怒るというか、例えばSNSで何かの議題がある、議題って勝手に話題があると、
世の中の選挙かどうだとかね、何か話題があると、そのときに一方的に正義を振りかざしている人たちっていますけれども、
ああいうのが良人へ全然交わらないのって、頭が悪いからじゃなくて、多分分かりたくないからなんですよね。
分かりたいものを分かって、分かりたくないものを分かろうとしないから、もう違う意見を戦わせるというか、
戦わせちゃダメだね。その意見と意見をぶつけ合ってというかね、出し合って、
良いバランスで理解していく。どっちもの視点を取り入れて、ああなるほどなって理解をしていくんじゃなくて、
どっちが正しいかみたいな対立構造に陥っちゃうので、やっぱりこれも分かるか分からないか、相手の意見が分からないバカなんだではなくて、
分かろうとしないから分からないだろうなっていうふうに思うわけです。
だから、誰かと分かり合おうみたいなときに工夫すべきは、
相手に分かるように伝えるという、相手の知っている情報のレベルに合わせて伝える。
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小学生に伝えるなら小学生で分かる知識のレベルで伝えないといけないっていうのと一緒で、相手が分かっていることの範囲で伝えていく。
相手が馴染みのある言葉で伝える。ビジネスパーソンだったらビジネスパーソンを使った方が伝わるかもしれないし、ビジネスパーソンじゃない人にビジネスパーソンを使っても伝わりませんよねっていうのと一緒で、
知っている言葉で伝えることも重要だと思う。けれども、そういう分かりやすさだけじゃなくて、分かりたいと思えるかどうかという気持ちの配慮。
その気持ちの配慮が思いやりを持つとかそんな話じゃないんですよね。本当に分かりたいと思える環境をどれぐらい整えることができるかみたいな、
そういう実践的な話なんですが、分かりたいと思える状況をどう作り出せるかまで含めて伝えるということなんだろうなぁ、みたいなことを最近は思いますね。
そこまでして伝えたい相手がどれぐらいいるかっていうこともまた同時に考えたりもしますね。
とても限られた範囲じゃないと、分かりたいと思ってもらえる環境を整える、状況を整えるっていうのは相当な労力なので、やはり真にコミュニケーションしていく人っていうのは限られてくるんだろうなっていうことを
改めて感じる次第でございます。特にトラブルが、トラブルというかシリアスな場面、これをちゃんとすり合わせないとこれから来る嵐に対応できないよね、みたいな関係性ってやっぱその時点である程度限られてると思うんですけど、
そういう関係を結ぶということ、誰かと何かを一緒にやるということは、よく考えないと分かりたいか分かりたくないかみたいなところに配慮しながら、
分かる分からないコミュニケーションをしていくということになるので、そこは改めてね、分からないからバカなんだみたいな切り捨て方はできないなというふうに思うんですよね。
コミュニケーションって難しいですね。本日は以上です。
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