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2024-07-05 09:29

022 関係性と言葉

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はっきり言うべき派だった/言えない、言わない事情/「はっきり言うべき」を推しがちな3つのタイプ/言って分かると思える相手には言う/もはや言うとか言わないとかの次元じゃない/言葉は手段、手段は目的や状況による/関係性に目を向ける/


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「存在としての公園」をコンセプトに⁠⁠完全招待制の晩餐会⁠⁠を開催したり、⁠⁠公園にレジャーシートを敷く⁠⁠などさまざまな活動を行なっています。

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皆さん、こんばんは。上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、存在としての公園をコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
個人間のですね、人間関係において、はっきり言うべきだとかね、言わないとわかんないよっていう、
まあそういう場面って、よくあるなあと思うんですよね。
僕自身もですね、言わないとわかんないでしょって思ってたタイプだったんですけども、
この5年ぐらいかな、で、その辺かなり考え方が変わりました。
そもそも相手が言えないのか、言わないのか、どっちかわかりませんけども、
例えば言えないのであれば、言えない何らかの事情があるわけですよね。
例えば目の前の僕に言えないのだとしたら、それは怖いと思ってるから言えないとか、
何だろう、僕に言うとその秘密をばらされるかもしれないからとか、
そういうね、言えない事情があるということもあるし、
言えるんだけれども、めんどくさい説教が始まりそうだなとか、
言ってもどうせ意味わかってくれないだろうしなと期待されてないみたいなところで、
言わないという選択肢を取られている場合もあると。
相手が言わなかった、言えなかったときに、言うべきだよっていうのはちょっと無理があるなと。
言えない事情、言わない事情があるわけだから、言えない事情、言わない事情がある人に言えよっていうのはちょっとね、
すごい加害的というか、すごい圧をかけちゃってるなというふうに思うんで、
言わなかったということ、言えなかったということを察するというかね、
それは大事かなと思いますね。
何で言えないのか、何で言わないのかっていうのは、元を立たせば関係性の問題かなと思うんで、
言う言わないとか、もうそういう底の問題ではないんですよね。
今までのいろんな場面で、言わないとわかんないよとかね、
はっきり言うべきだって言ってる人たちっていうのはどういう人だったかっていうと、
大きく3パターンあるなと思ってて、
1つは、社会的に優位な立場にある側の人。
わかりやすい例だと、社長と社員みたいな感じで、社長はちゃんと言わないとわかんないだろうみたいなことを言って、
社員が言わされようとしてるみたいな場面ですね。
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それは社長にそんなこと言えねえなって思ってたりとか、これは言わないでおこうって思ってるとかっていう事情があって言わないだけで、
そもそも言える関係性とか言える情報だったら言ってるって話なんで、
言えないから言わない、言わない、言うに値しないから言わないってことがあるわけだから、
言えよっていうのはやっぱり無理があるなと思います。
次に、単純に気が強いっていうパターンはありますね。
比較的、僕はこれに当てはまるかなと思うんですけど、
はっきり言う派だったぐらいですから、
割と自分自身が言おうと思ったら、本当に言おうと思ったら言えてしまうみたいなところがあるので、
なので性格上ちょっと気が強い人とかは、言った方が早いんだから言ってよとかね、
はっきり言ったらと思ってしまうところが傾向としてあるかなと思います。
もう一つがですね、機微が読み取れない、ちょっと鈍感なというか、
機微が読み取るのが苦手な人っていう感じですね。
物事を言葉にして、言われた通りにしか理解できない人っていうのがいて、
そういう人は、空気がどうだとか、この文脈で言うとどうだとか、
読み取れない、言ってほしいって人がいる。
そういう人ははっきり言ってとか、その人自身もはっきり言うみたいなことがありますよね。
なので何が理由で、はっきり言うべきだって言ってるかっていうのはその背景はあるかなと思うんですけども、
社会的に優位な人は、自分自身が優位だから、言うことにハードルを感じないから相手の立場に立てずに、
自分と同じように考えちゃってね、言ったらいいじゃんって思ったりとかするとか、
自分が気が強くて言えちゃうから言ったらいいじゃんって思っちゃうとか、
もしくは自分が読み取れないから言ったらいいじゃんって思ってるっていう、あくまで自分の都合なんですよね。
相手には相手の言えない、言わない事情っていうのがあるので、やっぱりそこに目を向けないといけない。
日々が読み取れないパターンだとちょっとどうしようもないのかなと思ったりはしますけども、
自分が社会的に優位な立場にあって言えてしまう、ハードルが低いからというので、
自分の認識を相手に押し付けるとかは良くないし、自分が気が強いからといって、
それを相手に押し付けるのは良くないなってすごく思いますね。
はっきり言えないなっていう人が、その人なりの言葉ではっきり言ったときに、
それに対してはっきり返したりとかすると、例えばはっきり言うべきだよねって言ってよって言って、
相手がじゃあはっきり言いますけどって言ったことに対してはっきりそれを否定するみたいなことをすると、
だから言わなかったのにっていうのが多分ね、我慢してた方だと思うんですよね。
言えなかった人がはっきり言っていいよって言ったからはっきり言ったら怒られるとかってよくあるんですよ。
僕なんかはね、それでじゃあ本音で言ってとか、本音で言ったらすげえ傷つけるとか怒られるとかいうことがね、
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よくありましたね、昔はね。だからそこからはっきり言っちゃいけないんだなと。
はっきり言っていいよって言われてもはっきり言っちゃいけないんだなっていうふうに学習していくというようなことが起こって、
やっぱり言わないとか言えない側にとっても理由はあるんですよね。
なんで、はっきり言っていいよみたいな促し方はすごい悪手であるっていうことですよね。
そんなことを言わないといけない状況っていうのはもうすでに積んでいて、
もっと手前のやっぱり言える関係性にあるかないかっていうところが問題なので、
もうね、何考えてもはっきり言ってよって言わないといけない時点で、もうどうしようもないなと思います。
どうしようもないっていうのは、その関係がどうしようもないというよりは、言う言わないとか言う次元にはもうないということかなと思います。
言えるような関係性にないよねっていう話だと思うんで、もっとね、
非合のやり取りではなくて、もっと手前の関係性のやり取りみたいなところがしっかりと積み上がっていないと、
いざ言うべき時にというか、自分にとって言ってほしいなと思っている時に言ってもらえるだけの関係性に慣れてないみたいなことってあるよなと思うんで、
言わなかった相手にどう思うとかいうことはせずにですね、
言えなかったんだな、言わなかったんだなみたいなことをですね、そのまま受け止めて、言えない関係性だったんだなっていうことを振り返ってみるってことが重要なんじゃないかなというふうに思います。
あくまで言葉っていうのは手段でしかないですから、
なんか目的とかね、状況によってそれが効果的な時もあるし、そうでない時もあるよねっていうすごい当たり前のことかなと。
もう関係性的に言葉が効果的じゃないと見なされているということですよね。
こんなこと言えない、こんなこと絶対に言ってもわかんないから言わないとかって思われている時点で、その言葉っていうのが手段として、
少なくとも言わないほうからするとですね、有効ではないと思っているということなので、
ついついね、相手にちゃんと言わないとわかんないじゃんって言いがちな人はですね、
改めてね、それが言えない人、言わない人にとっては無茶振りなんだよっていうことをですね、
肝に銘じて、もっとその手前の相手との関係性みたいなところにですね、目を向けてみるといいんじゃないかなというふうに思います。
本日は以上です。
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