前提の重要性
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを築くなど、存在としての公園をコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
前回ですね、前提を共有しないと、共有できていないと、コミュニケーションは成立しないよねっていうお話を
しました。
で、それがね、まあ、いろんな場面があって、大した共有できてなくても、ノリでどうにかなる、みたいなこともある。
大した問題じゃない時には、なんて言うんですか、例えばお祭りで、あの、こう、ウェイって感じのテンションの時に、ウェイってやってたら、
とりあえずなんか共有できてて、そのウェイな感じを共有できているからOK、みたいな、前提は共有できないけど、とりあえずこのバイブス共有しました、みたいな感じで、
いいこと、いいっていうか、それでOKなことってあると思うんですけど、やっぱ問題が起こった時ですよね。
何かうまくいかない時に、やっぱりウェイじゃまずくて、その前提、なんで問題なんだっけっていうね、何を問題に感じている、どれくらい問題に感じていている、
どこがっていうね、どうすれば、それは要はゴールですよね、どうすればそれが問題じゃないと言えるのかっていうこととかね、
いうのもあるし、どういう状態だとそれが理想的なのかっていう理想の状態の話もあるかもしれないし、前提として、あの、
その共有しないといけないものがいっぱい出てくる、そのネガティブな場面ではですね。
で、共有できていないとすると、もう自分の意見のご利用しでしかなくなる。
それが喋り方の世界になってくるって感じですよね。
それを冷静にロジカルに話しているとそれっぽくなるし、感情的に、
何だろうな、Aだと思う、なぜならAだからだ、みたいな、ちょっと施設な語り口だと、
まあ、弱い、弱そうに見えるっていうね、バカっぽく見えるみたいなことあるかもしれないんですけども、
でもやってることは多分変わらなくて、前提が違うと、どんだけ論理をひねり出そうが、どんだけ感情的に、感情で襲うが、
まあ、別の土俵にいる、別の種目の人たちが戦ってるみたいな、
やり投げの人と100メートル層の人がどっちが強いかやってるみたいな感じになっちゃうんで、
良くないですね。
やり投げの人と100メートル層の人がどっちが強いかを決めようとすると、やっぱり、
一旦前提を共有して、どういう軸で強いとするかとか話し合えば、どっちが強いか決めれるかもしれないんですよね。
けどやっぱり前提を共有しないと、なんかね、不毛ですよね。
何の話?ってことをお互いに思うと。
だから問題解決しようと思うと、前提を共有しないと難しい。
問題解決じゃないにしても、結構、負荷のかかる対話をしようとするとですよね。
社会問題であったりとか、政治の話だったりとか、宗教の話だったりとかね。
最近だと経済的なところも結構、格差みたいなものもあったりとかするんで、経済の話とかもそうだかもしれないし、
いろいろ前提を共有しないと、もう変な感じになっていくというところですね。
その前提を共有しようとする人って、おそらく今僕が言ったみたいに前提が共有されてないと、
それ以降の話っていうのは全部不毛だよねと。東京に行こうって話してるけど、
現在地が福岡を前提に話してる人と岐阜県を前提に話してる人がいたら、それはもう噛み合わないし、
お互い福岡にいるんだけども、飛行機で行こうとしてる人とバスで行こうとしてる人がいたら、それもやっぱり話が噛み合わないし、
0円で行こうとしている人といくらでもお金使えると思っている人がいると話にならないと、
それを前提を共有すればいいと思うんですよね。これお金はいくらまで使えるんだっけとかね、
今どこにいるんだっけとかね、何時間ぐらいで着きたいんだっけとかね、
その移動中の環境ってどういうのがいいんだっけっていう、そういういろいろそもそもみたいな話をしないと、
不毛な対話のリスク
東京に行くって話だけしても、何の話っていうようなことが起こってくるわけですよ。
何の話って言うとやっぱり怒られるんで、どっちかがどっちかに言語をしていく形になりがちですよね、前提を共有できない会話って。
もうなんかよくわからんけどバスで行くんだなっていうことで、じゃあバスで行くかってなっていくっていうやつですね。
か、もう決裂ですよね。いや俺は飛行機で行くんだと。やってられっかっつって仲違いすると。
でも仲違いするような話でも何でもなかったりすると、例えば予算の問題だったら、
じゃあ確かに飛行機代がないんだったらしょうがないね、じゃあ自分が出すよなのか、
じゃあもうバスで行くしかないねなのか、その理由事情がわかればバスで行く東京までね、
福岡から東京までバスで行く理由に納得が行ったりとかすることもある。
でも全然共有できないと、なんでバスですかとなっちゃうみたいなね。
それを共有すればいいだけなのに、共有せずにバスで東京に行くなんて信じられないみたいなことやりがちだなと思いますね。
で、なんで確認すればいいだけだって今言いましたけど、その確認しようとする行為がまた人を脅かすんですよね。
人を嫌がらせるんですよね。前提確認するだけだって思うんですけど、
要は対話を建設的なものにするために前提が必要であるから前提を共有しようとそういうつもりでやっていても、
その前提を共有するということは前提が共有できていないと思っていない人からすると、
自分の前提が覆されるとか脅かされる、その前提が狂ってくるというふうに感じる人がやっぱり多いみたいですね。
なので、そもそもこの移動にいくら使えるんだっけっていうか、今バスにこだわってるのはお金の問題なのか時間の問題なのか、
それともバスという移動手段が好きなのか、もしくは飛行機という移動手段が嫌いなのか、もしくはとかいろんなパターンがあり得るけど、
っていう前提を共有してバスにこだわってる理由みたいなのがわかれば問題解決の方法がわかったりするわけですね。
さっき言ったみたいに、じゃあ飛行機で自分がちょっと負担するから飛行機で行こうよ、そしたら2時間で東京まで行けるよと、
何十時間もかけていかなくても、何十時間かかるんだっけ?ちょっとバスで東京行ったことないからわからないですけど、
まあ少なくとも1日ぐらいかかると思うんですが、半日?1日?かかると思うんですが、
2時間で行けるじゃんということで問題解決するかもしれない。
けれどもその前提確認がもうそもそもの前提を脅かすのですごく嫌がられる。
だから前提を共有しないとコミュニケーションが不毛になるんだが、前提を共有しようとしてもそれがコミュニケーションとして不可になり不毛になることがあるということ。
そういう意味でも僕は昨日ですね、昨日というか前回お話しした通り、前提が共有できていない人とのコミュニケーションはリスクだなと思っているわけですね。
コミュニケーションの質
前提を共有できている、または共有できていないということをお互いが認識して共有しようと歩み寄り合える関係性かどうかということですね。
いずれにしても前提を共有できる、または前提を共有し得る相手とのコミュニケーション以外ではなかなか立場を表明して意見を言うということは難しいかなというふうに思っています。
現象のラジオに関してはですね、そこの前提みたいなものがありますから、そもそも番組としてこれは現象という会社の存在としての講演というコンセプトを考えた、
ニアリー・イコール・植水由紀の思っていること、考えていることを言う番組であるとか、現象の活動について考えていることとか、もしくは活動の報告であったりとか案内であったりとかをする番組だという前提があるから言ってもですね、
むしろなんで意見を表明するんだって怒っている人がいたら、それはむしろそういう番組なんでとしか言えないということになるわけですから、その前提を共有するとかここでも重要になってくるわけですよね。
なんで前提を共有するっていうことをね、この2回で何回言ったのかっていう感じがしますが、すごいシンプルだけどすごい難しいことなんだろうなーって思います。
互換するとかいうことだけじゃない、その感情的だからダメなんだとかいうことだけじゃない、もっともっとですね、感情的なのがダメなわけでも、互換的なことがダメなわけでもないんですよね。
前提を共有しようとしているかという姿勢の問題が気がする。もしくは前提が共有できていないという認識の問題な気がする。
ここをちゃんと認識して、そして前提を共有したいと、それを欲しい、そして双方が欲しいですね。
そしてお互いに歩み寄るということができて初めて対話っていうのは成立するんだということですよね。
まあ、そのような観点でですね、人とのコミュニケーションの強度というか、どこまで意見を表明するか立場を表明するかっていうのを調整してみるのは割とおすすめです。
本日は以上です。
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