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2024-11-28 11:25

126 世が世なら⚪︎されてる思考

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自然と持ってしまった責任感の取り扱いについて。

▼現象は、「存在としての公園」をコンセプトにさまざまな活動を行なっています。

▼活動一覧


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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、存在としての公園コンタクトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
これを収録しているのが、11月28日木曜日19時5分ということで、公開の2時間前に収録しているという状況です。
今朝、朝礼募会がついに第400回終わりまして、Xのスペースでの開催が今日で終わりました。
やりきった気分を朝から感じつつも、今日はコンサル案件が3件日中入っていて、それとは別に会議があったり、明日は経営合宿があり、経営合宿の準備があったりと、たまたまいろんな案件が集中していると。
その今日のために、今日の準備でまたバタついていたとかもあり、
なんとね、今度出展する永世の芸術祭、12月1日、もうすぐですね、今週末から始まる永世の芸術祭の納品ですね。作品の納品を締め切りを飛ばしてしまうというですね、大失態をやってしまいました。
ジャグリング状態。
これね、何でしょうね、タスクの量というよりはマルチタスクでいろいろやってて、同時に来るとやっちゃいますね。良くないなぁと思ってます。
久しぶりにね、テンション下がりました。
締め切りを飛ばしてしまった、もちろんもうね、それの対応は終わったんですが、締め切りを飛ばしてしまったということで、こういう時に僕がいつも思うことは、世が世なら殺されてるよなっていうことなんですよね。
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そういう、世が世なら殺されてる思考みたいなのが、僕のわりと根底にあって、もちろんこうやって自分の中でキャパを超えてしまってミスをすることってあるんですけど、日常的にやるわけではないというか、本当にやっちゃったなって感じですね。
その時に、これ世が世なら殺されてるなぁ、今命があってありがたいなぁ、みたいな気持ちになるわけですね。
この思考っていうのは、できてるできてないじゃなくて、結局そういうものに考えてしまうということですね。
この思考っていうのは、要は責任感が少し強すぎるということなんだと思うんですよ。
責任感が強いんだったら、ちゃんとやれやって話なんですが、責任感はあるが実行できなかったというパターンが今回の例ですね。
さておき、責任感が強すぎるということは、そういうふうに考えてしまおうということですよね。失敗に対して過度に自分を責めてしまおうということなんですが。
これで僕はですね、高校卒業のタイミングで就職、高校卒業のタイミングとは言わずですが、ずっと就職できなかったのって責任感が強すぎるからだったっていうのはあるんですよね。
社員にバイト先で誘われることがですね、フリーター時代たべたべありましたけども、そのすべてを何か責任が重そうだからやめとこうと、
自分がその責任を全くできるか分からないからやめとこうということで受けないということをやってきたと。
いろいろ回り回ってですね、覚悟を決めてですね、社会に出るというタイミングでは経営としての責任を持つというところでやってみたところ、案外自分に合ってて。
いろんな会社に行くような、このたまたまなんですが、いろんな会社の人たちと関わるような仕事について、実際に接したら大した責任感を持っていない人たちがいっぱいいるというところで。
そういう相対的に見てですね、自分は責任感が少し強すぎるんだろうなと思うことがあったりします。
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何度も言うけど、今日は締め切り飛ばしたので責任感が強いということと、それがミスなく実行できるかというと別の話なんですが、
別の話というか必ずしも一致しない時期があるという話なんですが、そういう失敗に対しての、それはやっちゃいけんだろうとか、そんなことがあってはならんだろうという強い気持ちがあると。
これがね、自分に持つ分には今回みたいなよほどなことがない限り大丈夫なんですけど、これ一歩間違うと他者にも求めてしまうというか、他者にも期待してしまう。
これをこうしたんだからこうする必要があるよねと、こうするべきだよねという期待みたいなものが生じて、がっかりしてしまうことがあると。
だからね、寛容であるためにというか、他者をもうちょっと許容できるようになるために、それは心の持ちようじは難しいなと思うので、
僕の性質としてね、要が要なら殺されてるよなって思ってしまうというところがあるのでですね、それを性質ごと変えるのは難しいなと思うので、やっぱりね、責任みたいなものを過剰に追わなくていいような、
言うなれば適当である必要性というのがあるなって思ってるんですよね。
で、適当にやってるぐらいが程よく責任感を持ってやれるみたいな。
例えばポッドキャストなんかはそうですよね。今仕事としてポッドキャストやってるわけではないので、ある種遊びの延長線上で、適当というか遊びでやっているというところが側面があったりするので、
そうなるとですね、本来だと更新をやめてしまったりとか、使ったらもういいやってなったりするところなんですが、そこそこ責任感があるので、この遊びであっても、
週5、上げると。この今締め切りの2時間前で、今日撮れてないや、もうやめとこうではなくて、上げに行くというね。
このちょっと責任がないぐらいの余白のある活動をやるぐらいが、ちょうどいい責任感でやれるんだろうなってことを最近は思ってますね。
だからあんまり責任のあることをやらないように気をつけようと思いました。そんな責任のないことに勝手に責任を感じて、割とちゃんとやるぐらいが、世の中一般の責任感ぐらいとちょうど釣り合うのかなと思ったりもするので、
もうちょっと適当に明るく元気に生きていきたいなと思った次第でございます。
09:10
本当ね、何かことあることに、これ要は要なら殺されてるよなとかって、自分に対しても思うし、人に対しても思ったりしてるんですよね。
ただ、その要じゃないので殺されないのもわかるし、自分自身が今日締め切りを飛ばしたことで、そんなリアリティを持って死ぬかもしれなかったみたいな恐怖を感じてるわけではないんですけども、
ちょっと思考実験としてというか、思考の中では、あの時代でこうなってたらこうなってたな、今生きてるな、ありがたいな、みたいな気持ちになるというのがありますね。
責任感がちょっと足りないというような自己認識のある方は、ぜひ要が要なら殺されてるかもなっていうふうに考えてみると、少し責任感が芽生えていいのかもしれません。
ただ、それを既に持ってる人は、それを消すって結構難しいなと思ったりもするんで、なるべく適当にやれることに従事して、その適当にやれることに責任を持つというようなバランス、活動でバランスを取っていくと。
認識が難しいなら、活動でバランスを取っていくみたいな必要があるかなというふうに思いました。
本日は以上です。
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それではまたお会いしましょう。さよなら。
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