1. 現象のラジオ
  2. #209 人間関係のドーナツ化..
2020-12-09 11:52

#209 人間関係のドーナツ化現象

spotify apple_podcasts
大切な誰かが何かに困っているとき手を差し伸べるべきなのだろうか。いや、本当に困っているかは分からない。困っていそうなだけである。あなたならどうする。
「迷わずYES」というのがまともな人間なのかもしれない。私は「基本的にNO、例外的にYES」である。そもそも手を差し伸べるべきなのだろうか。過干渉ではないのか。神を気取ったおこがましい行為ではないのか。というか、例外って何なんだよ。そのような考えが頭の中をぐるぐるまわり、判断に慎重になる。/サイコパスのラジオは、サイコパスがサイコパスの視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。/番組の感想や質問は、ハッシュタグ「#サイコパスのラジオ」をつけて、ぜひTwitterでつぶやいていただけると嬉しいです!今後の番組の参考にさせていただきます。/パーソナリティ:うえみずゆうき https://note.com/y_uemizu/
00:01
みなさんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、人間関係のトゥーナツ化現象というお話をしたいと思っています。
久しぶりですね。
ちょっと、自己嫌悪に陥っています。
人間関係ですね、このポッドキャストでも、いろんな切り口でお話してきたんですが、
結構私ですね、かなりスタンスを明確にして、人間関係をバランスとってきたというのがあるわけですけども、
元々ですね、サイコパスなんですけども、それに気づいたのはですね、
気づいたのはですね、34歳の春だったので、いわゆる2020年の3月だったので、
いわゆる、それまではですね、自分がサイコパスだとか、そういう傾向があるみたいなことは全く気づかず、
ちょっとなんか意見の強い、強烈な性格だな、ぐらいに自分の理解をしていたんですけども、
そんな調子ですから、10代の頃なんかはですね、サイコパス全開出し切ってですね、
自分が思っていることを相手に伝えるだけですからね、結構無慈悲なことを言ってきたなと思うんですけども、
結果ね、やっぱりその10代の頃は、周りの身近にいた人たちがやっぱり嫌になってね、僕のことは。
というような苦い記憶というか、苦くもないけども、そういう記憶があります。
で、せっかく大事だなと思っている人たちが、自分のことを離れていくというところで、
やっぱり自分に何か問題があるよねというところで見直してですね、見直してというか、見つめ直して、
どういうコミュニケーションを取ればいいのかというのはよくわからなかったので、
20歳以降というのは、20歳以降というか福岡に来てから、21、22歳くらいから結構ね、自分をあまり出さないと。
音楽をやっていたので、ライブの場では、むしろ強烈な方がキャラ立ちもするしというか、
むしろそれくらいの方が受け入れてもらえるので、すでにいられたんですけども、
逆にステージ以外の日常生活に関しては、あまり言いたいことを言うというよりは、
本当に人に意図的に会わせるというか、自分を我慢して、あまり主張をせずに人に会わせるような感じでやってきた記憶があります。
ただね、それだと自分を出し切れていないので、すごく人と付き合うことに無理をしている感じで、
20代の前半を過ごしてきたかなと思います。
そんな感じで、両極端を振ってですね、出し切るのと、自分を押し殺すという両極端を振って、
なんだかんだ20代半ばの頃には、自分なりの処制術、術みたいなものを見つけまして、
03:04
それがね、このポテキャストでもずっと紹介してきた、人と人陸関係を距離感で調節しようよという話なんですね。
だから、その人のことが嫌いだとかなんとかだって言ってるけど、
それは距離感とかシチュエーションとか、いろいろあってうまくいってないだけであって、
うまくいく距離感にポジショニングをすれば、お互いの距離感がちょうど良くなれば、
揉めることってないんじゃないかっていう仮説に基づいて、人陸関係を作ってきました。
距離感を取るときにですね、何も相手に距離を置こうと言うのはですね、
あんましこう穏やかな感じじゃないじゃないですか。
僕からしたらポジティブな意味で、ちょっと距離を置こうよってことなんですけども、
距離を置こうよなんて話っていうのは、近づく分にはいいんだろうけど、離れる分には、
結構ネガティブな印象というか、人陸関係がダメになっていくみたいな印象を持たれることもあるので、
なかなかね、距離を置こうよっていうことはなく、僕から一本的にちょうど良い距離ってこれぐらいかなってことで、
僕が思う、僕にとって最適な距離感を無言でデザインして、そこに着地するっていう感じで人陸関係をやってきました。
それから10年ぐらい経つんですけども、そのやり方というか、そういうふうに人陸関係を考えるようになってからは、
僕にとって嫌いな人っていうのは一人もいないし、要は人のせいじゃなくて距離感のせいだと考えるようにしているので、
ムカつかない距離というか、ちょうど良い距離っていうのを常に最適化していくっていうのが、
僕の中での人陸関係ってことでやってきたんですけども、それで本当に嫌な気持ちになったりとか、
人のことに干渉しすぎないというか、うじうじしている人がいて、
そのうじうじしている人を見てムカつくみたいなことがなくなる。
その距離を置いていれば、それはその人の問題だしっていう感じで、
いわゆるアドラシン医学でいうところの課題の分離みたいなのが上手にできるようになったなと思って、
結構人陸関係をある種ハックしたぐらいの気持ちでいたわけですけども、
ちょっとここにきて問題が生じましたと。
何かっていうと、距離感を取っていくという諸星術っていうのは、
距離を離すことはできるんだけども、距離を詰めることは結構一定ライン以上難しいなと思ったんですよ。
というのが、僕の周りには、僕がサイコパスを全開に出して議論できるというか、
本音で語れる人っていうのが、幸いにも何人かそういう友人がいてですね、
そういった方とはやっぱり本音で会えるし、語り合いたいから、
比較的近い距離というか、僕の距離感理論でいうと比較的近いところに皆さんを感じているんですけども、
それでも比較的近いだけであって、結構近い至近距離にですね、
僕の心の至近距離に誰か人を入れるとか、
06:01
僕が逆に歩み寄って自分がその至近距離に入っていくみたいなことをですね、
ほとんどしてこなかったなというふうに思っているんですね。
なので結構その人間関係全般がサバサバしていて、
自分の問題だしねっていう、
あんまり厳しくない自己責任論というか、
相手には押し付けないけども、
プライバシーを最大限に尊重するじゃないけども、
あんまり深入りせずに人の問題が人の問題として、
助けを求められたら求められた範囲で答えるみたいなやり方の人間関係しかやってこなかったなと思っているんですね。
なのでいわゆる中心部に、
その至近距離に穴がしっかり開いていて、
その後に人間関係の近い順に人が分布するという感じで、
まさにドーナツみたいな、
都心部には人が住んでいないけど、
家賃が高すぎて都心部に人が住んでいなくて、
郊外に人が住んでいるみたいなドーナツ化現象ですよね、都市の人口の。
みたいな感じで、僕の人間関係がドーナツ化現象を起こしているなというふうに気づいたわけです。
というのに気づいたのは、
結構僕の数少ない議論できる友人が困っていそうだなというふうに思ったわけですね。
別に助けを求められているわけでもなく、
なんかすごい一杯一杯な感じがするし、
限界なんじゃないかなということを肌で感じていたと。
とはいえ、僕のさっき言ったスタイルでいくと、
勝手に自分が介入するというのは、
プライバシーの侵害に僕の中ではなるし、
干渉するというのは、お互いきついことだと思うんですよね。
というのも、
相手のことじゃないのに、相手のことに痛みを感じる、みたいな領域になってくるので、
いわゆるそれが一般的な共感と呼ばれるものなのかもしれないですけども、
ある種ね、
ちょっと脱線しますけど、
サイコパスというのは共感能力がないと言われているんですけども、
実はちょっとだけ違って、
共感能力を発揮しようと思えば発揮できるという、
共感能力が意識的にチューニングできるというのはサイコパスなんですよ、実は。
日常的にはそれをオフにしているので、スイッチを。
共感できないだけなんですよね。
共感しようと思ったら実はできるというのがサイコパスで、
僕が今、ある種共感する領域に人のところに入っていくというのが、
僕の今言っている至近距離に入るという感じなんですけども、
それがやってこなかったから、
すごいきついんですよ。
さっき言った友人が困っているというのに、
声をかけるかどうかさえ迷ったんですが、
迷ったわけで話を聞こうかということで、
声をかけたんですね。
幸いというか、話を聞いてくださいということで、
そこの声かけは良かったということで、
話を聞くことになったんですが、
いざ話を聞くタイミングになると、
09:02
僕がちょっと怖くなってしまったんですよね。
サイコパスのくせに怖くなってしまいました。
共感をしようとすることに、きっとできるんだけども、
そのモードを使うことにすごく怖くなってしまって、
自分が思っていた以上にちゃんと話を聞けなかったなと。
結局聞くに徹することができず、
日常のコミュニケーションになってしまったというところで、
自分から困っている人に声をかけておきながら、
困っている人に100%向き合えなかったなというところで、
久しぶりに自己嫌悪に陥っている感じでございます。
ドーナツ化現象が起こっていることで、
別に不具合がこの10年間あったわけではないんですけども、
いざ身近な人というか、
僕の中で数少ない議論できる仲間が困っているときに、
どう自分が接すればいいのか。
このドーナツ化現象のままの距離感だと、
ある種見て見ぬふりをしなければならないような状況にあったんですけども、
そこを一歩越えて、声をかけたまでは良かったというか、
チャレンジだったんですけども、
その時どうしていいかわからない自分がいたというのは、
結構新しいというか、
ある種封印してきた10代の頃の自分というか、
そういうのを改めて再認識した出来事でした。
このドーナツ化現象に対して、
自分の距離のスペースをどのように考えるのか、
そのままにしておくのか、
今までのこの10年間のスタイルを貫いて、
誰かに介入するみたいな、
僕がおこがましいと呼んでいるようなコミュニケーションを取るのを、
今後は一切やらないとか、
それともそこを自分なりに最適化して、
ドーナツの穴を少なくとも小さくしていく。
無くなるのが良いのか悪いのかさえもわからないので、
ドーナツの穴を小さくしていくような工夫をしていくのか、
そういうのは今後の僕の課題かなと思っています。
このドーナツ化現象みたいなのは、
あまり共感してもらえないのかもしれないんですけども、
それこそサイコパス的に、
すごく近いところで、
ある種ネチネチした感じになるのがやっぱり嫌だなというところで、
すごく距離を引いた結果、
人間関係にドーナツ化現象が起こっているというお話でした。
まだ何の解決方法も見つかっていないんですけども、
久しぶりに人間関係でダメージを食らったエピソードというか、
出来事だったので、ここでシェアさせていただきました。
まぁちょっとテンション低いですけども、
本日は以上でございます。またお会いしましょう。さよなら。
11:52

コメント

スクロール