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  2. #207 今この瞬間に永遠を生きる
2020-12-07 12:58

#207 今この瞬間に永遠を生きる

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人は放っておくと、自分の見たいようにものごとを見たがる。判断がかたよる。時間軸なんかはその最たるものだ。明日のことしか考えていない人や老後のことばかり考えている人など、挙げはじめればキリがない。
/サイコパスのラジオは、サイコパスがサイコパスの視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。/番組の感想や質問は、ハッシュタグ「#サイコパスのラジオ」をつけて、ぜひTwitterでつぶやいていただけると嬉しいです!今後の番組の参考にさせていただきます。/パーソナリティ:うえみずゆうき https://note.com/y_uemizu/
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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、今この瞬間に永遠を生きる、というお話をしたいと思っています。
今この瞬間に永遠を生きると、何を言ってるんだという感じかもしれませんけども、
僕が好きな言葉に、永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ、という言葉があるんですね。
ガンジー、わかりますかね、インド独立で頑張ったインド人の方ですけども、
ガンジーの言葉として世の中に出回ってるんですが、実際はガンジーの言葉じゃないらしいんですね。
けども、ガンジーの言葉みたいな感じで出回ってる言葉らしいんですが、
誰が言ったのか知りませんけども、僕はこの言葉がとても好きで。
僕の解釈でいくと、永遠に生きるかのように学ぶって、何の話なのかなって考えた時に、
まだ学びっていうのは、頭の中の活動だと僕は思うんですよ。
経験から学ぶこともあるし、自分の身体的な動きから学ぶこともあるんだけども、
結局は学びに変える時には、自分の頭で考えて考えて考えて考えると。
それが学びとして定着していくっていうイメージがあるので、
僕の中ではその頭の中の活動をしていくということが学びと捉えています。
例えばね、よく大学生とかで留学に行って、楽しんで帰ってきて、
結局英語が喋るようになったわけでもなく、別に留学先で人生を変えるような体験をしたわけでもなく、
そこの文化を学んだわけでもなくっていう感じで、
学習せずに帰ってきてるような人っていますけども、
あれはまさに経験をしてるんだけども、頭を使っていないから、
結局学べていないという状態かなって思うんですね。
なので経験をすれば必ず学べるってわけではないので、
やっぱり頭の中で考えて考えて考えると、その対象についてね。
自分なりの解釈をしていくっていうことがやっぱり学ぶということなのかなと思ってるんですが、
それはね、やっぱり頭を使うから疲れますよね。
僕はいつも言ってるんですけども、
筋トレしてない人とか運動してない人が筋トレとか運動すると、
すごいバキバキに疲れるじゃないですか、筋肉痛になったりとか。
っていう感じで、思考っていうのも日頃からトレーニングしてないと、
使ってないとやっぱりきついんですよね。
僕が例えば腹筋にしようと思ったら30回でもしたら、
もう多分次の日むちゃくちゃ腹筋痛いと思うんですけども、
っていう感じで、
頭を使ってない人が30回腹筋レベルの思考をすると疲れると。
でも僕はね、腹筋旋回レベルの思考を日々してるつもりなので、
腹筋旋回しろよって言われても困るというのはあると思うので、
やっぱり考えるのは疲れるんですよ。
それに考えるっていうのは、筋トレとかみたいに成果が出づらいですよね。
考えたから何か変わったかっていうのは、
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3年、5年、7年、9年とかっていう感じで、
結構な年数を継続して初めて変化が見えてくるものかなと思いますので、
そんな変化が見えづらいものに日々やっていくのは結構しんどいよねって思うんです。
ところがですよ、
それは今のは有限の人生の中でというか、
限られた時間の中でそれをやるのしんどいよねって話なんですけども、
もしも時間が、人生が有限じゃなく永遠だったらと考えてみてください。
そうすると途端に状況が変わってくるんですよね。
本来学びって学べば学ぶほど知らないことが出てくるじゃないですか。
学べば学ぶほど知らないことが出てくるんで、
永遠に時間が潰せるんですよね。
要は知らないことがどんどん増えていくからって感じで、
学びっていうのは永遠という暇を潰せる楽しい一つの娯楽になり得るし、
学びっていうのは実際、永遠じゃないにしてもね、
学びっていうのは蓄積されればされるほど、
やっぱり世の中のこととか周りの人のこととかを理解しやすくなるということで、
生きやすくなりますよね。
いわゆるその判断軸が増えるから。
生きやすくなるってことは、やっぱりその永遠を生きるんだから、
蓄積されて知識がね、より生きやすくなった方がいいよねみたいな感じで、
学ぶことは楽しいし、生きやすくもなるしっていう時に、
なんだろうな、学びがすごく学びやすいというか、
学びたいと思えるんだと。
学びを楽しみながらというか、
学びをちゃんと続けるという人っていうのは、
学びを楽しんでるんですよね。
その楽しみっていうのは、
イベントでテンション上がって楽しいですみたいな、
いわゆるアドレナリン全開みたいな楽しさじゃなくて、
もっと落ち着いた、
副交換神経をね、
フル活用したような、
もっと落ち着いた楽しみというかね、
マイルドな楽しみなのかなと思ったりするわけです。
つまりね、
永遠に生きるかのようにって思った瞬間、
学びが楽しくなるっていう風に
捉えられるんじゃないかなと僕は思っています。
次に、明日死ぬかのように生きろということなんですけども、
これはね、明日死ぬっていうね、
その、なんだろうな、焦り、
焦燥感みたいな話ではなくて、
本当に死ぬっていう話ではなくて、
Appleのね、創設者のスティーブ・ジョブズ、
日本人かと思うんですが、
あの人はね、2005年のスタンフォード大学のですね、
卒業祝賀スピーチで述べたことがね、
その中にね、結構明日死ぬかのように生きろ的な
ニュアンスのことを言ってるんですね。
これ結構有名なスピーチなので、
見たことある方もいるかもしれないですが、
もし、今日が自分の人生最後の日だとしたら、
今日やる予定のことを
私は本当にやりたいだろうか。
それに対する答えが、
NOの日が幾日も続くと、
そろそろ何かを変える必要があるなと、
そう悟るわけです。
ということを言ってるんですが、
まさにこれは、
明日死ぬかのように生きるってことなんですね。
自分がもう本当、
スティーブ・ジョブズの場合は、
今日最後の日って言ってるけども、
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なんていうのかな、
本当に最後の日だった時に、
自分が今抱えてる予定とかって、
本当にやりますかと。
やりたいですかと。
で、それがちょっと違うなってことは、
自分がやりたくないことをやって生きているってことなんですね。
人生は有限にもかかわらず。
何なら、明日死ぬかもしれないにもかかわらず、
人生を見ている。
それって大丈夫ですかと。
いうことを考え直す、
ある種、自分の生き方とか、
自分の暮らしを見つめ直すね。
本質的な意味で見つめ直すスタンスを取り戻すための言葉なのかなと。
僕自身もですね、
これかなり大事にしていて、
本当スティーブ・ジョブズと同じようにね、
本当に今日最後の日だったとしたら、
今日やる予定のことを、
本当に自分やりたいっけと、
今日の予定にいきたいっけと、
いう風に考えるようにしてるんですね。
実際にそれがやっぱり続く時っていうのは、
やっぱり意味を感じてなくかったりとか、
なんかなし崩し的にとか、
意味、しょうがなくやってたりすることとか、
たくさん、たくさんというか、
そう思うことっていうのはあって、
その時には、やっぱり変えないといけないっていう風に思うので、
実際、変えていると。
例えば僕が専門学校を辞めたのも、
これに当てはまるかなと。
普通ね、27歳とかで借金バリバリしてね、
専門学校に行って、
その専門学校辞めるって、
正気の里じゃないんですけども、
やっぱりね、本当に、
もう最後の日だとして、
この学校に通い続けるかとか、
自分がもしも、
この短い人生の中で、
その仕事をやり続けたいかという時に、
もっと他のことをしたいと。
今の会社にね、
それで移ったわけですけども、
やっぱり、
自分が死を意識するってことは、
とても本質的な、
自分が本当にやりたいこととか、
大切にしていることって何だっけ、
気づかせてもらえる、
いい問いかなと思っています。
で、まあ、
永遠に生きるかのように学べ!
とか言っても、
ちょっと抽象度高い。
永遠に、
明日死ぬかのように生きろ!
とか言っても、
ちょっと抽象度が高い。
生きるとか学べとかって、
ちょっとピンときません
っていう方もいるかもしれないですが、
もうちょっとね、
具体的な、
自分の身近なところに置き換えてもらっても
いいかなと思います。
例えば会社勤めの方であれば、
永遠に今の会社に勤めるつもりで働け。
明日今の会社が倒産するかのように生きろ。
みたいなね、
風に置き換えるとかね。
そうすると、
うーん、
なんだろうな、
どうせ自分はいつか辞めるし、
みたいな感じで働くんじゃなくて、
永遠にいるつもりで働くんだったら、
もっと会社を良くしたいときっと思うだろうし、
逆に、
明日倒産するかのように生きろ!
って言われると、
あのー、
なんだろうね、
ずっと会社に甘えてなくて、
やっぱ自立しなきゃな、
とかっていう、
なんだろうな、
自立意識を芽生えますよね。
その両方を持って生きていくっていうのは、
すごく面白いのかなと。
例えば、
そういう仕事とかじゃなくても、
別に恋愛でもいいですね。
永遠に添い遂げるつもりでパートナーを思え、
明日別れるかのように生きろ!と。
これもね、
えー、
永遠に添い遂げるのであれば、
やっぱりパートナーとね、
いい関係築いていきたいよね、
っていう風にも、
えー、
思う。
反面、
明日パートナーがいなくなっても、
明日パートナーと、
えー、
別れてしまっても、
生きれるように生きていくと。
この両方を持つね、
えー、
視点。
これムズいですけども、
できるとね、
すごくね、
あのー、
振り回されないというか、
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自分の軸で生きていくことができる、
と思うんですね。
はい。
えー、
まあ今の、
まあ今二つ、
例を挙げましたけども、
そういう具体的なものの集合体が、
要は、
永遠に生きるかのように学べ、
明日死ぬかのように生きろ!
ということ、
という風に、
えー、
認識していただいたらいいんじゃないかな、
という風に思います。
だから、
いろんなものに置き換えながらですね、
えー、
自分に落とし込んでもらえるといいかな、
という風に思います。
でー、
えー、
それはね、
永遠という、
ある種、
超長期的な視点と、
明日という、
超短期的な視点を、
同時に持たせてくれる、
ということなんですよね。
えー、
やっぱりね、
人間っていうのは、
そのー、
放っておくとというか、
無意識になるとね、
自分が見たいような、
えー、
判断軸で物事を見てしまうんですよ。
まあいわゆる、
自分の偏見のコレクションでね、
物事を判断してしまうと、
意識的にやっぱり軸は増やして、
意識的に軸をこう、
うーん、
自分の癖で思考しちゃうと、
まあ本当にね、
えー、
ただの偏見でしかない、
ということがよくありますね。
えー、
時間軸なんていうのは、
もう最多のもので、
うーん、
どうですか皆さんの周りにも、
例えば、
うーん、
目の前のね、
明日のこととか、
今日のことしか考えてないような人って、
いませんか。
うーん、
そういう人は、
例えば、
まあ、
直的な視点がなくて、
今しか見てないから、
うーん、
やっぱり安定感ないですよね。
で、
逆に、
今度老後のことばっかり考えてる人、
まあ、
老後はそうなんだろうけど、
今がなんか全然、
輝いてなかったりとかするというか、
うーん、
という感じで、
今度は超長期を見てるのに、
全然短期的なところを見てない、
みたいな感じで、
えー、
どっちも大事にして生きる、
っていう感覚なんですよ、
この、
なんていうんですかね、
えーと、
永遠に生きるかのように、
学び、
えー、
そしてあの、
明日死ぬかのように生きるっていうことは、
あのー、
両方の視点を持って、
バランスよくある人生きていくっていう、
その判断軸がその、
うーん、
すごく、
僕が重宝している、
あのー、
問いですね、
だから僕自身も本当にあのー、
日々というか、
ちょっとなかった時には、
まあ本当に、
永遠に生きるかのように、
学べてるのかなとか、
明日死ぬかのように、
生きて、
生きていられる、
生きているだろうかということをね、
自分に、
えー、
問いかけてね、
まあ、
あー、
いく癖を、
えー、
つけているんですね、
で、
そうしてくるとですね、
やっぱりその、
時間軸を聞きにできるわけですから、
その、
認識のやっぱり解像度が上がっていきますね、
やっぱり物事を見る、
見方というのが、
えー、
多面的に物事を見れるようになるので、
えー、
囚われからね、
えー、
思い込むから解放されて、
えー、
どんどんね、
そのー、
思考力も上がるのと同時にね、
直感も解き澄まされていくと、
いわゆる直感的に考えることの質が上がってくる、
という風なもんですね、
でー、
直感力が上がってくると、
今度何が起こってくるかというと、
うーん、
すごい不思議な感覚に陥ると、
それはどんな感覚かというと、
今日のタイトルにある、
今この瞬間に、
永遠を生きる、
という感覚なんですね、
さっき言った、
永遠に生きるかのようにも生きてるし、
今、
あー、
明日死んでもいい、
死んでもいいというか、
明日死ぬとして、
えー、
もう今やってることに取り組む、
というスタンスで生きてるわけだから、
今この瞬間に、
永遠を体現している、
という状況になるわけですよ、
これは、
あのー、
結果がそうなってるというよりは、
自分自身が生きている感覚が、
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その状態になると、
なので、
えーと、
やっぱり、
冷静になって考えると、
やっぱり、
僕は死にたくないというか、
まだ死にたくないし、
もっともっと、
このポッドキャストで、
本数ね、
いっぱい貯めたいし、
えー、
エッセイもいっぱい書き残したい、
っていうのはあるんだけども、
えー、
とかもっとね、
経験したいなと、
あるんだけども、
極論明日死んでも、
後悔はないかなと、
思ったりもするわけです。
つまり、
えー、
きっと、
えー、
そういう、
あのー、
今の、
いい意味での繰り返しで生きていくんだろうな、
という風に思っているんですね。
えー、
なので皆さんも是非、
えー、
永遠に生きるかのように学べているか、
そして、
えー、
明日死ぬかのように生きているだろうか、
ってことを自分に問うてみてください。
えー、
脳の日、
ね、
違うっていう日が続くとね、
そろそろ何かを変える必要があるんじゃないかな、
という風に思うわけでございます。
えー、
是非是非、
えー、
自分に問うてみてください。
以上です。
さよなら。
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