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2021-07-29 15:46

#400 主観の新幹線、それすなわちイリュージョン

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サイコパスの方に出会いました。ガチのサイコパスでした。人は感情を正当化するために事実を歪曲するほかない。主観の新幹線、それすなわちイリュージョン。/ほぼ毎日エッセイを書いています。収益は書籍代および体験など、学びの機会にあてさせていただきます。応援してくださる方はぜひご購読いただけると嬉しいです!【脳内議事録】 https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 /シソフレ(思想フレンド)募集中!自己を再定義するサウナ、アート、ブックの秘密結社で一緒に修行しませんか?【秘密結社S.A.B】 https://forms.gle/cDFpZtHra1dAkPR66 /うえみずゆうきのTwitter【@y_uemzu】  https://twitter.com/y_uemizu
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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、主観の新幹線、それすなわちイリューション、という話をしたいと思っています。
先日、某日本一のポッドキャスターの方からですね、突然ツイッターのDMが来まして、
サイコパスがいるので、会ってみてもらいたいです、というDMが来ました。
何の文脈もなく、そのようなDMが来まして、喜んでということで、Zoomでサイコパスの方とですね、お話をするという機会をいただきました。
お話したんですけども、ガチのサイコパスでしたね。いろいろ経歴というか、過去の話を聞いていたら、
脳の画像診断をちゃんとして、変動体の活動が低いというふうに診断されたそうで、
生物学おすすめ付きのサイコパスだなぁ、ということだったんですけども、1時間弱一緒にお話をして、
めちゃめちゃ通ずるとこあるなぁって思うと、僕もそういう感じなんだろうなぁと。僕は脳の診断を受けてないんで、自称サイコパスってことなんだけども、
かなり感覚も近いし、きっと僕も変動体の活動がちょっと弱いんだろうなぁっていうね。感情をね、コツをかたどっている脳の部分なんですけどね、変動体って、そこはちょっと活動が弱いので、恐怖とか不安とかを感じにくいとかね。
あと人がこう、なんだろう、感情的になってても、その感情が伝播しづらいとかね、いろいろいいところも悪いところもありますって感じですね。
で、初対面とは思えないぐらい、話がスムーズだったですね。その感覚、見てるその、なんだろうな、フレームが似てるというか、物事をね、感情でこう捉えるじゃなくて、かなり構造的に整理して捉えようとするようなところがあって、話がすごいスムーズでしたね。
チューニングがいらない会話っていうのを久しぶりにしたっていう感じですね。まあ、お相手がね、どうかっていうのはわかんないですけど、僕はすごくストレスフリーな感じで、
とても濃い、1時間にしてはですね、とても濃い話ができたなというふうに思っています。で、どんなことを話したかっていうと、もちろんね、初対面なんで自己紹介みたいなものをちょっと軽くするんですけども、
なんていうのかな、人間は社会的動物であるみたいな話とか、マインドフルネスって言ってる人たちってとってもマインドレスだよねとか、
教育の話とかもちょっとしたりしたんですけど、中でもね、感情と事実みたいなものを分離するとか、関係のないものをごちゃごちゃにして話す人って多くないですか、みたいな。
それとこれ別物なのにね、みたいな、どうしてそんなことになるんだろう、みたいな話からですね、今日の本題、主観の新幹線、それすなわちイリュージョンという話に繋がっていく
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わけなんですけども、なんで感情と事実の分離ができないか、感情と事実だけじゃなくて、いろんなことといろんなことを関係ないのにくっつけてしまうのか、それは
主観の暴走なんじゃないかっていうふうに思ったんですね。そのお相手が言うにはですね、人はやっぱ感情によってね、事実を歪めてしまうと、感情を正当化するために事実を歪めるほかないんだと
いう話をしていました。全くその通りだなというふうに思ったんですけども、なんでそんなことが起こるんだろうか、みたいなところで、僕なりに仮説がありまして、それはね、判断する、
物事を判断するプロセスの違いにあるんだということですね。その方が言ってて面白いなと思ったのは、その主観で、いわゆる感情によって事実を歪曲している世界観のことを
イリュージョンっていうふうに名付けていて、この人イリュージョンに入ってしまったな、みたいなふうに捉えるそうなんですけども、それをちょっと今日はね、
拝借しながらお話ししたいんですけども、イリュージョンの人とイリュージョンじゃない人の判断プロセスの違いっていうのをちょっと説明したいなと、説明したいというか、僕の仮説ですね、これは仮説です。
イリュージョンの人っていうのは、対象を認知した時に、それに対して湧いてくる印象がありますよね。その印象をもとにもう判断しちゃう。
これどういうことかというと、まず認知っていうのは、その五感でキャッチしてますよね。それはまず主観的なものですよね。そしてその主観的なものから湧いてきた印象という主観で、
最後主観的に判断しているという感じで、主観、主観、主観で判断までしてしまっているという状態にあるんじゃないかなと。
一方、イリュージョンじゃない人の判断プロセス、いわゆる合理的な人って言われるのかな。合理的な判断プロセスって何かっていうと、
まず五感で認知します。何かそこにある。もしくは何か感じる。じゃあそれって何だろうって。ここで観察が入るんですよね。それを対象をよく見るとか、対象について調べるとか、
データを集めるとかってことをするんです。観察するんですね。で、観察して解釈をする。いわゆる観察結果をもとに、つまりどうなんだろう、こうだろうってことを自分なりに考える。
そしてそれをもう一回客観に戻す、評価するんですね。例えばある評価軸に乗っ取ってね、採点をしてみたりとか、解釈をいくつかのパターン、ABCパターンに整理してみるとか。
その上でですね、まあ判断を下すと。5ステップなんですよ。認知、観察、解釈、評価、判断っていう。この5ステップを踏むはずのものが、イリュージョンの人は認知、印象、判断になっていると。
イリュージョンでない人の5ステップの判断というのは、認知というまず語感の主観ですよね。主観でキャッチしたものを今度観察という形で客観に一旦、客観を一旦経由して、そして解釈という主観に戻す。
そしてその主観をさらにまた評価によって客観化して、その客観したものを最後に主観で判断するという感じで、主観、客観、主観、客観、主観っていうね。
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何度かこの客観フィルターでろ過することで、研ぎ澄まされた主観がね、最後残っていくみたいな判断の仕方だと思うんですよね。
この違いがイリュージョンかイリュージョンでないかを生んでるんじゃないかっていうのが僕の仮説です。ちょっとね今の説明が分かりづらい、抽象的な話だと思うので、
ちょっと例題で今の二つのね、この思考回路というか、あの判断のプロセスについて説明していきたいんですけども、
電車にギリギリ間に合った人の話っていう例題でやっていきたいなと思います。
家から駅まで徒歩7分のところに住んでいますと。で、電車に乗ろうと思ったある日、5分前に家が出てしまった。
バタバタですよね。7分徒歩でかかるところに、5分前に家が出ちゃったと。
もう走るしかないんですよね、電車にその間に合わせようと思ったら。
ということで、もう全力疾走して、なんとか駆け込み乗車できました、というお話があるとします。
で、この出来事を振り返る時に、イリュージョン的な状態の思考回路って判断プロセスってどうかっていうと、
まず認知として、なんとか駆け込み乗車はできた。そして解釈。ここで印象ですよね。
間に合ってよかったなとか、今日はさすがにギリギリだったな、みたいな印象が湧いて、
で、判断。今回はラッキーだったな、次から気を付けよう、ぐらいの感じになっちゃうんですよね。
一方で、イリュージョンでない人がこのギリギリ電車に間に合った話をどう考えるかっていうと、
ギリギリ乗れましたっていうのは一緒ですよね。ギリギリ乗れたというこの認知状況から、
まず振り返るんですね、事実を。走ったその5分間の出来事を振り返るんですね。
ひたすら走ったな、きつかったな、汗だくだったな。そして駅までの道中、結構車とかも多かったし、人も多かったな。
そして信号、あれたまたま青だったけど、赤だったら間に合ってなかったなとか。
ホーム、むちゃくちゃ人が並んでて電車に座れなかったなとか、って感じで観察結果がありますよね。
それを元に解釈をすると、やっぱりこれから人に会いに行くのに全力疾走で汗だくで行くのってちょっと相手にもちょっと印象が良くないし、
自分もちょっと汗で気持ち悪いし、できれば汗かきたくないなとか。
あんだけ人通り多い中走るのって流石に危ないよね、もしかしたらそこで事故に遭うかもな、危なかったなとか。
5分前に出るってちょっとギリギリすぎるよね、もっと余裕持って出た方がいいよね、とかっていう風に解釈したとしますよね。
解釈はちょっと適当でしたけど、解釈を経て評価をすると、間に合いたいよねと。
5分前はさすがに遅いって分かってるので、途方7分なら7分前に出るパターン、10分前に出るパターン、15分前に出るパターン、例えばABCパターンを想定しますと。
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7分前に出ると当然間に合うんだけども、走らなくていいけどギリギリみたいな感じですね。
10分前だとちょっと余裕があるよね。
15分前だと途中コンビニに寄るとか、もしくはホームに早く並ぶことによって電車に座れるよね、みたいな感じで3パターンありますと。
で最後判断、このABCパターンあるけども、例えばこれって主観なんですよ。
その3つのパターンどれも電車に間に合ってるからもういいんですよね、7分前だろうが10分前だろうが15分前だろうが関係ないんだけども、判断、最後主観を入れるんですね。
走りたくないだけだから別に7分前でいい、乗れればいいから7分前でいいっていう人もいれば、やっぱりちょっとさすがに安心したい、余裕持ちたいから10分前に出たいでもいいし、電車座りたいから15分前がいいみたいな感じで、
最後は主観でね、自分のニーズに合わせて7分前なのか10分前なのか15分前なのか、はたまた20分前なのかっていうのは勝手に決めればいいと思うんですけども、
そんな感じでその判断までのプロセスが丁寧ですよね。
この個人的な出来事に関してはですね、こうやって勝手にレビューして最初のパターン、イリュージョンな人が適当な振り返りをしてね、毎回遅刻しそうになっても、毎回これ単発の出来事だから知ったことではないというか、勝手に遅刻するなりしないなり確率論でやってくださいって話なんだけども、
これがね会話になるともう少し厄介なんですよね。何でかっていうと一言一言、一つの問いかけとか一つのターンごとに主観印象判断が繰り返されていくので、主観主観主観でですね、どっか行っちゃうんですよね。
例えば博多でお話ししてるはずなのに、岡山、新大阪、東京みたいな感じで、博多で話してるはずなんだけどなんで東京にいるの?みたいなことが起こっちゃうんですよ。この状態をイリュージョンと、いわゆる客観性がなくなっている状態、主観主観で三段飛びぐらいしちゃって、どっか行っちゃってる状態、これをイリュージョンとサイコパスの方との会話の中で定義しました。
で、これがなんで起こるのかっていうと、やっぱり広い意味での感情だと思うんですよね。やっぱり起こった印象みたいなのも含めてって感じですね。自分に起こっている感情とか、そこで起こった印象みたいなものを正当化しようと思うと、客観経由するよりもどんどんどんどんその主観で突っ走った方がね、そのままその印象を正当化できますよね。
繰り返しますけども、個人の出来事の個人のレビューみたいなものであれば、勝手にその主観で判断してもらって、毎回また5分前寝ちゃった、やばい遅刻そう、また走って汗だくだってことを何回リピートしてもいいと思うんですけども、これ対話となるとですね、ちょっと厳しい。なかなかお互いに共有することが難しいんですよね。
その上でその対話するテーマで共通了解を導き出していく。どこまで共通了解を作れるかみたいな話だと思うんだけども、共通了解どころか前提を共有できないっていう問題が起こっちゃうってことで、なかなかねコミュニケーション可能な他者としてみなすことが難しくなってくるよねというふうに思う。
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この主観の新幹線、イリュージョンですね。なかなか厄介だなというふうに思ってます。で、人はねやっぱり感情が有意になることによってどうしても主観が有意になってしまって、その客観的に物事を見るとかゆっくり考えるみたいなことがどうしてもしづらくなるんだろうなと。
感情が有意になってそのさっきのね印象判断みたいな方のプロセスに行っちゃうと、事実をね歪曲して本人はそのつもりないと思うし、自覚もないかもしれないんだけども、イリュージョンに入ってしまうと。
この感じっていうのは日頃僕は全くわからないんですけども、人と会話していてああまたイリュージョン入っちゃってんだみたいなことがしょっちゅうあるんですけども、会話では対話では僕は起こりづらいんですけども、僕もねそうやって考えられなくなる瞬間というかそういう領域があるんですね。
なのでなんとなく気持ちわかると。何かというと僕虫が本当にダメで、虫を見た瞬間もうその気持ち悪い、怖いっていう印象が出てしまって、強烈にね。
その強烈な印象に対してもうそのままだから虫はダメだ、絶滅してしまえばいいみたいな判断にまで行ってしまうと。
それ客観的に考えたらおかしいですよね。ちゃんとよく観察したらそんなに怖くないとか、もしくはねいろんなデータ集めれば虫が自分に回り回って何か利を持ってきてくれてることもある地球環境に必要なんだみたいなこととかいろいろ客観的に事実あるかもしれないけれども、印象で判断するとキモい絶滅してくれってことになっちゃうと。
いかに印象判断っていうのは危険かっていうことをこの虫の話はね。僕が虫に対して抱いている印象とかその判断っていうのが危険かっていうことなんですね。
今ほど危険じゃないにしても今ほど感情が爆発しない印象が爆発しないにしても結構ちょっとした人の一言、人の言葉とかで感情的になってそういう危険な判断をしてしまっている人って僕が見る限り結構多いなと思うんですよね。
これはもう僕はサイコパスだからどうしても感情が動かされにくい人の発言とか人の感情に感情が動かされにくいっていう特徴があるのでできていることだったりすると思うんですけども。
それでもやっぱりね感情が動かされやすい人ほどですねやっぱり自分の感情に自覚的になってなんていうのかな例えば博多で会話してるんだから岡山新大阪東京って言っちゃうと東京でその博多にいるつもりになられても東京だからみたいな話になっちゃうから難しいんですよね。
なのでやっぱりより良いコミュニケーションのためにこれコミュニケーション限定しますね個人の振り返りは勝手にね博多の件をね東京的に考えてもいいと思うんで。
対話をする誰かとコミュニケーションする場合においてはですねなんていうのかな決して主観が悪いわけじゃない主観でね岡山まで行っちゃったってことあると思うんですけども岡山から博多に引き返してほしいんですねもう一回博多に岡山ぐらいで気づいて途中下車してね博多に戻ってきてほしいと。
これはねどうすればそれができるかっていうことねは正直僕にもまだわからないんですねとにかく感情に自覚的になって途中下車して博多に戻ってきてくれということ以外今の僕には言えないんですけどもどうしたらその感情を意識してどうしたら途中下車して何なら東京行きのね新幹線乗らずに博多のまま話せるのかみたいなところはですねちょっとヒントが見つかり次第またこのサイクパスのラジオでシェアしたいと思うんですけども
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いかにこの主観の新幹線によってイリュージョンに入ってしまうかっていうことを今日はシェアさせていただいた次第でございますサイコパス同士の会話だからこそたどり着いた一つのですねたどり着いたというか改めてですね気づかされた件でした本日は以上ですまたお会いしましょうさよなら
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