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  2. #401 自我について
2021-08-05 16:32

#401 自我について

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自我を私はどのようにとらえているのか。あるようでないようで、ないようであるようで、ないようで…。その都度の現象を、ただ自我と呼んでいるだけ。/ムロさんのPodcast 【牛を忘れる】 https://open.spotify.com/show/376D6bRC3oTJQxI2QQQ9GP?si=rNyHiUuXSQCkshvz-RifGQ&dl_branch=1 /エッセイを書いています。【脳内議事録】 https://note.com/y_uemizu /シソフレ(思想フレンド)募集中!自己を再定義するサウナ、アート、ブックな活動をする秘密結社で一緒に修行しませんか?【秘密結社S.A.B】 https://forms.gle/cDFpZtHra1dAkPR66 /うえみずゆうきのTwitterはこちら【@y_uemizu】  https://twitter.com/y_uemizu
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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、自我についてお話ししたいと思っています。
おかげさまで、サイコパスのラジオをですね、400回を突破しまして、改めて思うのは、僕がこう、ベースで考えていることというか、ベースでこういうふうにものを見ているんだっていうことを差し置いてですね、いろんなことを話してしまっているなぁと思ったので、
結構そのベースになりうる、自我みたいなものをどんなふうに捉えているのか、みたいな話を今日はしたいと思います。
以前ですね、クラブハウスで牛を忘れるとかのラジオっていうポッドキャストをやられている室さんとですね、お話をした際に、自我って現象だよね、みたいな話をして、本当そうなんですよね、みたいなことをすごい2人でキャッキャ言ってたんですけども、他の人はドン引きみたいな状態だったんですよ。
で、室さんはそれをね、台風を例に説明されたんですね。台風みたいなもんだと自我はということで、ここではちょっと僕の言葉から説明しませんけども、室さんのポッドキャストが概要欄の方に貼っておきますので、そちらからですね、室さんがどんなふうに自我を説明するかということを聞いていただきたいんですが、僕は僕ですね、多分その時期に一回自我についてお話ししたんですが、ちょっとあまりね細かく説明できなかったので、今日はね、
うまく説明できるかわかりませんけども、なるべく丁寧に説明してみたいなというチャレンジをしたいと思います。
で、一旦自我のここでの定義としては、思考、行動、意識を司る主体としての私ぐらいの認識でいいと思います。
そもそも自我ってあるんですかないんですかみたいな話になると、僕はですね、その固定的な自我みたいな、私は明日も私、明後日も変わらない私ですみたいな、その固定的な自我みたいなものはないっていうふうに思っています。
ただし、現象として現れる自我、流動的な自我っていうのはあるというふうに思っていて、あると言っていいのかちょっとわかんないですね。流動的にその場の状況で現れてくるものとしてはあるよねと思っているという感じです。
僕の言葉で言うと、その時々にある変数の掛け算の結果であるというふうに思っています。
その場にどんな変数があるのか、そしてその変数の値はどうなっているのかということは状況とか状態によるので、その掛け算で現れてくるものだと思うと、やっぱり流動的になっちゃうよねみたいな話です。ちょっとわかりづらいですかね。
なので、自我の根源とは何かみたいになってくると、僕はないと思っています。
この自我を構成している変数とか言ってるけども、変数そのいろんな要素あるよね。どんな要素が具体的にあるのっていうのをちょっと例で挙げていきたいんですけども、
例えば、まずはこの体にひも付いたものですね。この身体構造そのものがまず一つそうだと思うし、記憶みたいなものもそうですよね。
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ずっと生きてきて残っている記憶みたいなものが自分の自我を形成していると思うし、その日の体調みたいなものも自我に影響を与えると構成しているというふうに僕は思います。
自分の体だけじゃなくても、周囲の環境というのは自我に影響を与える、構成する要素になると。
例えば空間が会議室にいるのか、自宅にいるのか、美術館にいるのか、浜辺でいるのかって、全然自分の考え方とか行動とか、意識状態みたいなものは違うと思うんですよね。
あとは時間でも違いますよね。朝なのか昼なのか夜なのかとか、ざっくり言ってますけどね。そういうのでも違いますよねと。
あとはその登場人物でも違うと。誰も登場しない自分一人なのか、それとも友人といるのか、恋人といるのか、社長といるのか、部下といるのか、みたいなことで全然現れてくる自我みたいなものも変わってくるんじゃないか。
もしくはもっと広い意味で見たときに、社会情勢はどうなんだろう。今このコロナのとき、ビフォーコロナとアフターコロナ、アフターじゃないね、ウィズコロナのときで何か違わないだろうか。多分違ってると思うんですよね。
あとはその自治ネタみたいなものもそうですね。オリンピック期間中とそうでない期間というのはどうなんだろうかという感じで、そういう自分自身の体はそうだし、周囲の身近な環境もそうだし、社会情勢とか自治みたいなものも自分の自我を構成している要素になるんじゃないかというふうに僕は思っています。
またこの体とその周囲の環境とか社会みたいなものとの関係性の中で作られていくものもあるよね。つまりそことの関連性であるとか、そことの文脈であるとか、そこに対する言葉遣いや言葉選びみたいなものを自我を構成する要素になっているんじゃないかと。
いろいろ言いましたけども、結局はその時々に認識し得る、認識しなくてもいい、無意識レベルでもキャッチしている、そんないろんな要素のそれらが変数となっていろんな値を持っていて、そこの掛け算によってその瞬間の自我っていう、その時の自我みたいなものが現れているんだよっていうのが僕の考え方です。
なので常に変動しているのが自我だという感じですね。とはいえ常に変動しているんだったら、なんで今日も明日も私は私でいられるのかっていう疑問ってあると思うんですけども、厳密には毎回違う自分なんじゃないかっていうのが僕の考え方です。
とはいえですね、ある程度この自分は自分だという同一性を担保できているのは何なのかという話になるんですけども、ポイントは3つあって、1つはその変数が登場する頻度っていうのがありますね。この体に紐づいたものっていうのはほとんど毎回登場しますよね、変数として。
自分の身体構造みたいなものは毎回影響するだろうし、記憶みたいなものも記憶喪失にならない限りは毎回影響するだろうと。体調みたいなものもですね、必ず影響を受けるだろうということで、この体に紐づいたものっていうのはほぼほぼ毎回登場するということで、その影響を自我を構成する要素としてはかなり比重が大きくなりやすいよねっていうのがあります。
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2つ目にその各変数っていうのは強弱がありますよねと。まずはそのさっきの頻度が高い変数みたいなものは、やっぱり必然的に影響力が強いっていうふうになりやすいと思いますし、そうでないもの、個人差があるもので言うと、例えばすごく体調に左右されやすい人なんかもいますよね。その体調といっても、例えば僕の場合だと睡眠の影響をものすごく受けやすい。
本当は8時間から9時間くらい寝たい、結構ゆっくり寝たいタイプの人なんですが、それくらい寝れると地球のみんなに優しい気持ちになれるというか、すべての存在を承認しようみたいな方向に意識しなくてもそっちに働いていくというか、そういうある種自我が現れてくるんだけれども、6時間未満の睡眠とかになってくるとすべてにイライラするし、他人に対してもむちゃくちゃ厳しい評価を加えるというか、
存在否定の方向に意識が無意識レベルで離れてしまう。相当意識してコントロールしようとしないと、自分の自我が存在否定の方向に走ってしまうという感じで、僕の場合は睡眠一つとってもめちゃめちゃ自我が変動してしまいます。
だからものすごく影響力の強い変数として、睡眠による体調みたいなものがあると。体に紐付いていないものでいくと、今度、権威に弱い人とかもいますよね。偉い人と話すときに人が変わったような、ごますりみたいになる人もいるし、自分より弱い立場の人みたいに対して強気に出る偉そうにする人とかもいるじゃないですか。
ああいうのなんかはね、表現したわとかと思うけども、あるその変数によって自我がそういうふうな現れ方をしたというような僕の認識ですので、各変数には強弱がありますよということですね。
3つ目。変数の中には値がある程度一貫しているものがありますよねと。繰り返しますけども、この身体構造はある程度一貫してますよね。明日起きたら女子高生になってたってことはない。明日も30代のおっさんになって起きてくるということで、今日と明日の体はそんなに変わらないですね。
明日めちゃめちゃお腹が出てるみたいなこともないですし、逆に明日めちゃめちゃ筋肉質になっているってこともない。それは積み重ねの中で長期的に見ると変わってくることではあるけれども、今日は明日でポンと瞬間的に変わるものではないので、ある程度値は一貫してますよね。今日と明日、明後日の値は一貫している。
記憶もそうですよね。今日の視力があって、病気とか事故とかないのに、明日いきなり目が見えないとか、明日いきなり耳がちょっと聞こえづらいとか、明日いきなりめちゃくちゃ鼻が良くなったなとかいうことはないんですよね。五感もある程度、今日も明日も明後日も病気や事故がなければ、同じような視力、同じような嗅覚、同じような聴覚という感じになるのかなと思います。記憶もそうですね。いきなり記憶が書き換わって、自分はどっかの石雲王の息子なんだみたいなことにはならないということですね。
体に紐付いたものというのは、かなり変数の中でも値が一貫しがちであるということです。なので、その変数が登場する頻度とか、強弱とか、固定された値みたいなものを踏まえると、平時はですね、やっぱりその自我はある程度安定するというのが妥当な考え方かなと思いますね。
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決して固定的な自我というわけではなくて、その自我を構成する要素が安定しがちであるということです。ところがですね、さっき権威を前にした時に表現する人がいるみたいな話をしましたけども、やっぱりその時の変数によっては自我って変わっちゃうと思うんですよ。
例えば、しょぼい例というか身近な例でいくと、スタバに行きましたと。スタバに行ってコーヒーを飲んでます。一人で飲んでるのか、友達と一緒にスタバに来て飲んでるのか、全然違いますよね。もしくは一人で、どっか座って本を読んでるにしても、隣の席に誰もいないのと、隣の席がめちゃめちゃ騒いでてうるさいのと、隣にものすごく怖いチンピラみたいな人が座ってるのと、
自分が思う美女ないしイケメンが座っているのとは、全部この自我に与える影響というのが違うと思うんですよね。もちろん変数の強弱みたいな話あるので、隣の人がいる、いないで影響を受けづらい人、受けやすい人というのもいると思います。
あとは、車の運転をするときに攻撃的な人格になる人とかいますよね。あれを何気ないことと捉えている人はいるけれども、車の運転という状況によって、いろいろ要素あるんだろうけど、その状況によって自我が影響を受けている。自我を構成する要素として車の運転という状況がかなり干渉しているという状態であると。
なので、自我というのはそういった周囲の環境、状況に左右されるんだよということですね。また、状況だけじゃなくて状態にも左右されると。さっき言った睡眠なんかはそうですよね。自分の体調、状態によって、睡眠時間の違いによって全然人格が違うみたいな話とか。
男性、あるあるですけれども、ちょっと下世話の話になりますけれども、射精をすると、いわゆる賢者タイムに入るみたいな話ってありますよね。あれは科学的に見れば、セロトニンとかオキシトシンとかプロラクチンが射精後に分泌されてリラックス状態になるとか、性欲を抑制するとか、眠たくなっちゃうとかっていうことが起こって賢者タイムに突入するわけですけれども、状況としては変わらないわけじゃないですか。
裸の相手がベッドにいるわけであって、射精という一つのラインを引いたときに、ビフォーセックスと、何?アフターセックスがあるだけ。ビフォーじゃないね。セックスの真っ最中とアフターセックスがあるだけで、その射精と一個の線を引いたときに、その瞬間から賢者になる。動物から賢者になるわけですから、すごいですよね。ホルモンのバランスによっても、この自我みたいなものが変わっていくよねっていう話なんです。
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そういうある種短時間のものっていうのは、一般的には自我とか言わずに気分みたいな言い方をしたりすると思うんですけども、僕はその気分みたいなものっていうのを、ある種自我に含めて捉えているところはあります。なぜなら、その場の構成するいろんな要素によって表出した現象としての自我としか思ってないので、一瞬一瞬自我が書き換わっているという考え方をします。
なので、動物タイムも賢者タイムもそれぞれ自分の自我であると、現象として現れた自我であるというふうに捉えます。
以上ですね、僕が思っている自我っていうのはこんな感じですよっていうお話だったんですけれども、もしね、仮にその自我がそういった流動的なもの、瞬間瞬間の変数の掛け算によって現れる現象でしかないんだと捉えたときには、人間は変われると、それどころか変わり放題だし変わり続けるという思想に行き着くわけですね。
そして、もっと言うと、今日言った話を元にするならば、何か強烈な変数を加えたりとか、持続的に変数を調整することによって、ある種自我をデザインするようなこともできるんじゃないかというふうに思っています。
まず一つ目、強烈な変数を加えると分かりやすくて、何かこう自分の腕が切り落とされたとかになっちゃうと、生活も変わるし行動も変わるし思考も変わってくるし自我変わりそうだよねっていうのは多分想像つくと思います。
あとはそのとても大切にしている人が亡くなってしまうとかね、いうこともすごく影響を与えるんじゃないか。
あとは生活環境を失うとかですね、もう人生安泰だと思ってたら、失業しちゃいましたとかなったら、すごいね、なんていうのかな、ショックを受けるでしょうし、もしくは災害とかで家ごとになくなってしまうとかでなると、考え方も行動も変わるよねと。
結構東日本大震災の後に人生を考え直したみたいな人って周りにも多かったんですよね。あれっていうのは強烈な何か変数が加わったことによって、加わったというか与えられたことによって自我が書き換わっちゃったっていう例なのかなというふうに僕は捉えています。
そんな強烈なことだけじゃないにしても、持続的に変数を調整するって方法があって、いわゆる習慣の力ですよね。何か習慣を取り入れてみる、運動をする習慣を取り入れた人がだんだんポジティブになってきましたみたいな感じで、ポジティブな性格というかポジティブな人間になれたっていうのは完全に自我が書き換わっているし、
瞑想を取り入れたんでとか言ってマインドフルな時間を1日の中に持つことによって少しポジティブな自分になれたとか、僕みたいに酒びたりだった人間が酒を減らすとかやめることによって体調が良くなってすごい活動的になれたよとかということで、習慣が自我を構成するっていうのもあるかなと。
その変数をコントロールすることによって自我が作られていくんじゃないかとも思うので、強烈な変数を加える、与えるというのはあまり現実的ではないので、習慣をコントロールすることで自我を書き換えようみたいな話にも通ずるのかなというふうに思っています。
あとは自分だけじゃなくても他者を観察しててもそうですよね。何か一貫してない人とかを見たときに、なんでこれはこうなのにそれはそうなるわけとかっていうロジックで考えたらおかしくなっちゃうんだけども、
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今日の自我の考え方をするならば、その時の変数の掛け算によって現れているから、その時のそれとしては正しいよねみたいな見方ができる。その瞬間的な見方をすれば正しいよねと。
それが過去のその人と今のその人の矛盾をきたしていても、別に今この瞬間の変数の掛け算だからしょうがないよねっていうような見方もできるのかなというふうに思います。
いろいろ情報が多かったですけども、僕はこんなふうに自我を捉えています。
この体にひも付いた状態、周囲を取り巻く環境、状況、社会みたいなもの、そしてそれとの関係性の中で、その瞬間瞬間に現れてくるものであると変数の値はその時々変わるんだよということですね。
なので固定された自我というものはなくて流動的で、本来はバータリー的なものであると、ただの現象でしかないんだよっていうのが僕が思う自我でございます。
今後もいろんなことを僕はこのポッドキャストで話していきますけども、ベースにこの自我についてのスタンスみたいなのはあるので、随所にそういうものが現れてきたりとかするかなと思いますので、理解していただけるとですね、とても嬉しいな。
別に共感はしなくていいので、理解をしていただけるとこのポッドキャストもより楽しめるんじゃないかなというふうに思います。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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