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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、12歳までにというパワーワートという話をしたいと思っています。
先日、自己肯定感が低いっていう人がいて、自己肯定感について語り合う機会がありました。
その方が言うには、12歳までに自己肯定感というのは作られる、と。
なので、12歳以降を自己肯定感を高めるとするならば、それはテクニックの話であり、
根本的な自己肯定感ではなくて、表面的なテクニックでどうにか自己肯定感を支えている状態なんだ、みたいな話で、
妙に説得力があったんですよね。反論するのが難しいというか。
というのも、自己肯定感が高い人低い人ってまずいると思うんですけども、
それでいて、自己肯定感が低かったけども高くなったとか、 自己肯定感が低くてずっと低い人みたいなとか、いろいろ経緯があると思うんですよね。
自己肯定感が高い低いにしても、その時系列というかあると思うんですよね。
それがさらに12歳っていう1個の線を控えたときに、この反論がさらに難しくなってくる部分もあるなぁと思ったんですよね。
例えば僕の場合を言うと、小学校3年生ぐらいで、スクールカーストの頂点みたいな人たちと仲良くなったことから、
急に自分が認められて、存在が認められて、学校生活を送りやすくなって、自然と同級生のおかげで自己肯定感が高まっていったみたいな、あったんですね。
だからまあ10歳、9歳、10歳とかなんで、12歳以前に自己肯定感が上がった人ということになるわけですけども、
そんな僕がですね、自己肯定感ってやっぱり高校で、こうしたら高くなるんじゃないかと自分は思っているとか言っても、
12歳以前の体験だから、12歳以降で今自己肯定感が低い人からすると、それ12歳以前だからじゃんみたいな感じで、一つ区切れてしまうっていうのは、これ相当強力な技だなぁと思ったんですね。
で、その12歳がなんで強烈な呪縛として機能するかなぁと思った時に思うのは、まず12という具体的な数字であるということですよね。
11でも10でもないと、12だと。だから12以前であればOKで、12以降であればアウトだみたいな、そこからはある種もう根本的には無理なんだと、表面的には無理なんだみたいな、
その数字で切られているというのが一つ説得力というか、明確な境界線として引きやすいというものはありますと。
もう一つは、12歳っていい感じに先天的な要素にプラスして後天的な要素で、その先天的なものを和らげて、ある程度先天的なものと後天的なものが混ざった最初のラインぐらいな、スタートラインに立ちました、みたいなのが12歳だなぁと確かに思うところもなくはないなと。
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ある程度自分の意思もあるし、それも遺伝だけではなくて、ある程度その学校の友達とか家族とか、いろんなメディアだとか、いろんな情報に触れてとかっていうその後天的な影響も十分受けて、自分の意思がある状態のスタートラインが10歳から12歳の間ぐらいにあるだろうと。
そこで12歳って引かれると、確かにそうだよねっていう気がしないでもないと。
だから、自己肯定観について、ごめんなさい、一回自己肯定観の方に話を戻しますけども、僕が思う自己肯定観は、結構アドラー心理学的というか、目的論なんですね、僕は。
だから過去の何歳の時に自己肯定観が低かったからなんていうのは、僕からしたらちょっと違うのかなと思っていて、自分が今自己肯定観が低くありたい、自己肯定観を低く持っていた方がいい、何か目的があって、自己肯定観を低くしている自分がいるんじゃないかって僕は思ってしまって。
その友人の場合だと、今いる環境を飛び出したい気持ちもあるけども、飛び出したくない、飛び出すのが危ないと本能的に理解している自分もいて、飛び出さないために飛び出すだけの自己肯定観を身につけない方がいいと思っているから、飛び出さないという目的のために自己肯定観を下げているというふうに僕は考えるんですね。
だから12歳か、僕からしたら関係ないんだけども、原因を過去に求めるか、今これからの目的に求めるかというところで、自己肯定観に関しては僕は目的論で、目的次第では自己肯定観が必要な目的があれば自己肯定観で高まるんじゃないのって僕は思っています。
それ結構厳しいような気もしますけども、そういう考え方ですと。それで一回自己肯定観の話はここでおしまい。自己肯定観はいろんな議論あると思いますので、それをここで今日は話す気はなくて、どちらかというと12歳っていう区切り方ってマジで過去に求める、原因論で物事を語るときに、やっぱり12歳までにこうだからって語るのは結構最強な論法だなというふうに思いました。
三つ子の魂100までとか言うけど、なんかちょっとそれって肯定的な要素がまだ3年分しかない気もするから、なんかちょっと本当三つ子ですかと思っちゃうけど、12歳まで言われると、やっぱりそれなりに肯定的な要素も組み込まれたやっぱりスタートラインに立っているぐらいの年代なので、過去に何か原因を求める場合には12歳までにって言っとけばですね、それなりに説得力があるなというふうに思いました。
なので何かいろんなことを語るときに、過去に原因を求めたいなという論理を組み立てるときは、ぜひ12歳までにって言ってみるとですね、なんかそれっぽくなるので、ぜひ12歳までにという論法を使ってみていただけるといいかなというふうに思います。
その友人はですね、本当に僕にとってすごく大切な友人なんですけれども、やっぱり過去に自己肯定感が低い原因を求めているっていうのはあるなと感じるし、一方でそのとき議論になったのは、やっぱり幼少期に自分は親からの愛を受けたとか、友人からその承認を受けたとかっていう、
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確かに12歳以前の経験があって、自己肯定感がある人間が言ってるからそうなるんだろうって言われてしまうと、僕のその目的論みたいなものも全部覆されてしまうので、結構パワーアードだなと思いますね。
僕がさっき言った目的論はアドラシーに逆的にどうだろこうだろでとか、自分はそういうふうに考えててとか言っても、それは12歳以前に自己肯定感を身に付けた人間が言っている自己肯定感だから、そんなもんあなただからそう言えるんでしょって言われてしまえば、もうそれまでになってしまうと。
だからとにかく過去に原因を求める場合に、求めたい人は12歳までにというと最強ですというお話でした。
ぜひ過去に重きを置く方は12歳までにという言葉を使ってみていただけるといいんじゃないかなというふうに思います。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。