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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、空間と積読というお話をしたいと思っています。
今日はですね、僕が今唯一悩んでいること、あまり悩まないんですけども、
どうしようかなと思って悩んでいることが一つあって、ちょっとお話したいなと思っています。
僕はですね、本を読むことが好きで、本をたくさん持っているんですけども、
このPodcastでも話しましたけれども、若い頃は全く本を読まずに、
27歳ぐらいの時にある日、よくわからない本を読んだのをきっかけに、
一冊読み切ったことをきっかけに本を読む習慣がついて、だんだん本を読むようになったという経緯があるんですけども、
今はですね、本というのは僕の人生の中でですね、なくてはならないものになっているんですけども、
読書家というかね、本好きの人が陥りがちな積読というね、積読と書いて積読というんですけども、
本をね、読んでない本がどんどん溜まっていく状態を積読って言うんですけども、
案の定僕もですね、積読本がたくさんあるんですね。
物をあまり所有したくないというのが僕の別の話でありまして、
あんまり物を多くしたくないなというのはあるんですが、
本ばっかりはですね、どうしても増えていっているという状況があるんですね。
しかもその読んだ本かつコレクションしておきたい本とかでもなく、
読んでないという本がたくさんあると。
なんなら今や読んでない本の方がたくさんあるんじゃないかという状況になっています。
もっとタッチが悪いのは、Kindleを使って僕は本を読むことが増えていて、
Kindleで本をダウンロードする、最近買う本のほとんど、
数年Kindleでダウンロードした本が9割超えているんじゃないかという感じで、
Kindleでばっかり本を読んでいるので、
積読した紙の本がずっと積読されたまま、
全然読み進められないという状況が起こっていて、
単純に順番が回ってこないから読まないだけではなく、
紙の本だから読まないという、ちょっと読んでみたいなと思う本であっても、
紙かと思って読めないということが起こっているんですね。
これどうしたらいいんでしょうね。
一般的にその積読って悪いあれじゃないんだよみたいな、
積読を肯定しようみたいな向きが最近あるんですけども、
例えば自分の知的好奇心みたいなものが視覚的に入ってくるわけだから、
背びょうをしびるだけでも意味があるんだよとか、
目次眺めるだけでもいいんだよとか言う人もいますし、
その存在感ですね、本の物質的な存在感そのものを楽しむみたいなこともできますよね、
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とか言う人もいるし、
積読を買ったことに意味があるんだということで言うような主張が最近ありますけども、
やっぱり部屋のスペースですよね。
狭いので、どうしても本による圧迫感があると空間に。
しかもその本は読まれていないし、読まれる気配もないと。
どうしたらいいんでしょうね。
数年前に一度何百冊か捨てたんですよね。
捨てちゃったから、今ある本っていうのはその時捨てられなかった本が大半なわけですよね。
なのでその時に生き残った本たちなわけなので、
よし捨てようって簡単にいかないと。
売るってなっても、別の回でお話ししましたけども、
なんか言われたんですよ、本をメール買いに行ったら意外と売れるよとか言われるんだけど、
別にお金が欲しくてやってることでもないし、
何写真撮ってアップロードして、買いますって言って発送してっていう、
そのタスクでいくらですって考えるときに、
時給換算したらだるいよねとか思ってしまうんですよね。
お金が欲しいわけじゃないしって思うと、
売るんやったら捨てるわって思うけど、捨てていいのかなっていう、
そういう感じでずっと部屋に残ってる本があるんですよね。
今見ても読みたいなって思う本もあるし、
中には今はちょっと読む気がないけど、
なんでこれ買ったのかなみたいな本もあるし、
っていうのが混在しているんですけども、
どうしたらいいんだろうという感じですね。
だいたいこういうのはスパッと決めて、
どちらでもスパッと決めて捨てるっていうのが僕のスタンスなんですけども、
本はどうしても自分にとって重要なものっていうのもあって、
なかなか踏ん切りがつかない状況にいます。
あんまりこういう決めきれないってことはないんですけども、
この積読に関してはどう向き合っていいのかっていうのがちょっとわからないですね。
なおかつね、さっきも言いましたけども、
紙の本で自分が読んでて、紙の本を積読してるんだったら、
いつか読むだろうというような解釈の仕方で
なんとかできるのかもしれないですけども、
今ほとんど本当にKindleでしか読んでないんで、
紙の本を最後まで読み通せる自信がないというか、
両手で本を支える自信がないんですよね。
これ本当にギャグじゃなくて、両手を使って本を見開いてる状態が不自然なんですよね。
Kindleだと片手でいけるから。
それくらい自分の読書体験がKindleに偏っていて、
本を読むことがとても難しいなと、
紙の本を読むことが難しいなと今感じている状況なんですよ。
ということはこの積読はもしかしたら積読ではなくて、
そもそもこの本を読むことが僕はできないんじゃないかということもあるわけじゃないですか。
なおさら何をこの部屋に置いてるんだという話にもなるわけで、
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なおさら捨てた方がいいんじゃないかという気もしてきたし、
とはいえ読みたい本もあるしみたいな、
どっちつかずの気持ちを言ったり来たりしている。
これが2021年、僕が抱えている今一番の悩みです。
何かいいアイデアがあればTwitterとか、
そういう感じでね。
僕に分かるようにサイコパスのラジオとか書いてくれると、
ぜひ参考にさせていただきたいなと思っていますので、
この紙の本が読めなくなった人間が紙の本を積読している問題について、
何かアドバイスいただければ嬉しいなというふうに思っています。
本日は以上です。またお会いしましょう。さようなら。