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2021-09-16 15:52

#407 勝ち取った自由なのだろうか

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私たち一人ひとりの自由意志が尊重される社会は、ある種の人権の勝利という見方もできます。しかし、本当にそうでしょうか。確かに、さまざまな事柄において自由度が上がって来てはいるけれど、単にそれは、旧来のシステムが機能不全に陥って崩壊しているだけではないかという見方もできるわけです。/

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、勝ち取った自由なのだろうか、というお話をしたいと思います。
僕はですね、今35歳、もうすぐ36歳になるんですけども、年々自由になっているなーっていう感覚、
そして自分は、自由っていうのはとても肌に合うので、年々生きやすくなっているなーという感覚を持っているんですね。
で、ちょっと過去を遡ってみたい。それは僕だけじゃなくて、皆さんもぜひやってみて欲しいんですけども、
5年ずつね、過去を遡って欲しいと。 例えば5年前の自分を思い出してみましょうと。
2016年かな?2016年になるのかな?思い出してみると、
専門学校を辞めて、小さな教育系のベンチャーにジョインしてですね。
2年目、3年目ぐらいのところですね。入る前の、
自由、小さなベンチャーだからすごい自由でしょって思ってたら、思ったよりも固かったりとか、
人数少ないのに思ったより意思決定遅いなーみたいな感じで、想像してたよりもですね、
結構大変だった頃だなーと、そのカルチャーに馴染むのにね、大変だったなーという時期でした。
5年経った今ではですね、すごく働きやすくなってるんですけども、
その2年目、3年目みたいな時期っていうのは、そこのカルチャーとの擦り合わせじゃないけど、
もう自分を適応させていくみたいなところで、結構しんどかったなーと。
もっと意思決定早かったりとか、もっといろいろチャレンジできれば、もっと成果が出るんじゃないかみたいな気持ちもあったけど、
なかなかそんな自分勝手にも進められないし、みたいなところの苦しさがあったなーと思うんですよね。
まあそういう大変だったとか言ってるけど、じゃあ今度10年前を思い出してみると、
10年前って僕は26歳とか25歳とかで、ちょうどねバンド、フリーターをしながらバンドをずっとやってたんですけども、
それに限界を感じてた時なんですよ。
だからその5年前の、ベンチャーしんどいみたいに言ってるよりもはるかにしんどくて、
なんかバンド一筋でやってきたけど、人生どうしようみたいな結構ね、キロに立たされてたのが25歳だったかなーと。
でまあその生活に収支費を打つために、作業料奉仕っていう医療系のね、リハビリの資格を取るために専門学校に行くために、
貯金ゼロからですね、何百万か貯金するっていうのをやってたんですよ。
でその時って本当にこう卓球日のアルバイトをね、して夜8時ぐらいまでやって、で夜10時からコンビニでアルバイトしてみたいな感じでめちゃめちゃ働いてたんですよね。
結構そう考えると、目標というかそのやるべきことは明確だったとはいえですね、
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労働環境というか、労働時間みたいなところで行くと結構地獄だったなぁと、もう体力消耗しまくってね、
何だろうな、仮眠しかしてなかったみたいな、そして仮眠生活みたいなのがいっぱいいっぱいで、
同棲してた彼女ともうまくいかなくて、余裕がなくてね、うまくいかなくて、
追い出されてね、ホームレスにもなるみたいな感じで結構悲惨な時期だったなと思いますね。
さらに5年前に遡る、つまり15年前に遡ると、何回か前の配信でですね、悪い流れを断ち切った話っていう回で、
お話ししたみたいにですね、毎日が絶望的な気分だったという感じでした。
そんな感じで考えていくと日に日にマシになっているというか、日に日に自由度が増しているような感じがするんですよね。
5年前の話しましたけども、今ではその会社でですね、かなり自由に働けているし、
意思決定にも携わらせていただいている、その中で取締役というポジションを得ているので、
意思決定にも関わっているしという感じで、かなり自分が思うような働き方ができているんですね、今は。
なので15年前から5年ずつ今に向かっていくと、どんどんどんどん自由度が上がってきているなというふうに思うんです。
これは単に僕が頑張ったからですとか、僕がその都度その都度意思決定して頑張った結果なんですよね、
みたいな言い方もできるとは思うんですけども、でもそれはすごく小さな物語であって、
裏にはですね、とてもとても大きな物語が走っているというふうに感じるわけです。
結論から言うとその大きな物語って何かっていうと、デジタル化なんですね。
今で言うとDXとかいう言葉が流行ってますけども、結局はですよ、Windows95以降ずっとDXなんですよ、デジタルトランスフォーメーションがずっと95年、1995年以降進んでいて、
今もう20何年か経つと、もうすぐ30年になりますけども、そういう何十年かけてアナログでいろんなものを管理していたところから、
デジタルでいろんなものを管理していこうよっていうふうにずっとDXが進んでいるっていうことなんだろうなと思ってるんですね。
僕が得ているこの自由度みたいなものっていうのは、もちろんいろんなインフラの上に乗っかった人々の心理的な変化みたいなものに影響されてるんだけども、
根本にはやっぱりシステムの崩壊みたいなものがあると思うんですよ。何のシステムが崩壊しているかって、アナログシステムの崩壊だと思うんですよね。
アナログシステムの崩壊、それは分かりやすいところで言うと、紙でいろんなものを管理してたとかっていうこともそうだし、組織もフェイスとフェイスで管理し合ってたってところもそうだと思うし、
先日クラブハウスで話した話とかで言うと、人々が連携し合う、助け合うみたいなこともアナログでやってたんだろうなと思うんですよ。
例えば、Amazonで注文するようになったおかげで、便利に翌日欲しいものが届くようになったと。
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そうすると、近所の人から無作為に、果物とか野菜とかが家に届くと、別に注文してもないものが頼んでもないタイミングで来るって結構迷惑だな。
っていう風に思いがちだなと思うんですよ。別に果物とか野菜だったらありがたいという人も、例えば、洗剤が送られてくるとか、コーヒー飲まないのにコーヒー豆が送られてくるとかもそうですよね。
今まではAmazonとかないから、そうやって気持ちがありがたいと、そうやって自分のことを思い出してくれて、プレゼントというか、何かを送ってくれることがありがたいしっていうことだと思うんだけども、
今って自分が欲しいものを欲しいと思った時に注文したら翌日には届く。なんなら即日届くかもしれないみたいな世界観の中にいて、
そういう欲しいと思ってないものとか、欲しいと思ってないタイミングみたいなものがノイズになり得る世界だと思うんですよね。
これはデジタル化がある意味進んだことによって、アナログのその非効率さというか、そういったものがちょっとストレスになっているみたいな一例だと思うんですけども、
このDX、本当の意味のDX、95年以降のDXみたいなものがアナログシステムを古いものにしてきたというか、崩壊させてきた。
そしてデジタルの社会に向かって今進んでいるという過渡期にあるんだろうなっていうことをすごく感じるんですね。
働き方とかも今どんどんどんどん自由になってきている。それはコロナの影響とかもあるけれども、
基本的にはデジタルのテクノロジーに支えられて成立しているものだと思うんですよね。リモートワークひとつともそうだと思うし、
デジタルによって何とかなっているよね、なってるよねじゃないね、そっちに向かっていってるよねっていう動きの中でアナログみたいなものが残っていっていると。
そのアナログが戦略的アナログじゃなくて、観衆的アナログというか、今までそうだったからということで残っているアナログみたいなものがあって、
まだまだ非効率なことがたくさんある。例えば、だいぶ減っていると思うけども、ファックスを送るとか、電話をかけるとか、緊急事態で電話かける理由ってあるっけとか思うんですよ。
これちょっと怒れるかもしれないけども、僕が例えばオンラインのセミナーとかを自分の会社の業務の中でやるんだけども、その欠席の連絡が電話できたりとかするんですよね。
メールでいいじゃないとかって僕は思うんですよ。でも電話でわざわざかけてきて、いついつのセミナー、欠席させていただきますみたいな。
おそらくこのアナログ時代の感覚でいくと、欠席しますってことをちゃんとね、本当は会って伝えた方がいいけれども、会うのはさすがに難しい。
でもメールでは失礼だから電話でやりますみたいなことだと思うんですけども、そこで僕は作業を止められて電話がかかってきて、休みますって連絡ですかみたいなことを考えると、
デジタル寄りの感覚からすると営業妨害に近いんですよね。だから次回以降はもう本当に電話を載せないようにしようとか、電話を解約したいなと思っているレベル感なんですけども、
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まだまだデジタルに向かう途中にあって、アナログ世界に生きている人とデジタル世界に生きている人がいて、それは必ずしも10か0かじゃなくてその中間の中にいるという世界観なんだろうなというふうに思うわけです。
でちょっと話はちょっと落ち上がってますけども、僕が今この15年かけてすごく20年30年かけてどんどん自由になっているなって感覚というのは、もちろん僕個人のいろんな意思決定とかいろんな選択の中で実現している部分ってあると思うんですが、
多くはこのインターネット、多くはこのスマホとかいろんなテクノロジーに支えられて、そしてその時代の空気に支えられて、自由になっているんだろうなというふうに思うんですよね。
だからここで勘違いしちゃいけないなと思っているのは、単にアナログからデジタルに今移行する途中だからこそ自由なんだということなんじゃないかなと思ってるんですよ。
デジタル化することが自由なわけじゃなくて、一つのシステムが解体されて次のシステムに移行している途中だから自由度が高いんじゃないか。
例えば自由かどうかは別ですけれども、ファックス送ってもメール送っても電話してもいいよみたいなツールが乱立しているのもある種の自由度じゃないですか。
こんだけ乱立しているのもアナログが許されているから手紙送ってもいいし、ファックス送ってもいいし、メール送ってもいいし、電話してもいいし、直接会いに行ってもいいし、
チャットで送ってもいいしみたいな感じで選択肢が多様なのは、まだ移行期間だからだと思うんですよ。
どっちも行けますよという期間だからこそ、その多様性が価値観として認められているんじゃなくて、たまたま移行期間だから認められているということだと思うんですよね。
学校の制服が夏服から冬服の移行期間で、夏服着ても冬服着てもどっちもいいですよみたいな、そういう期間に近いなと思っているんです。
だから一見デジタル化みたいなものが自由を切り開くものだと思っていると痛い目を見るんじゃないかなというのが最近思っているところですね。
どんどん自由になってきたこの十何年間、それは自分の努力ではなくてこの社会の動きだった。
その社会の動きって何だろうか、それはアナログからデジタルへの大きなDXの流れだった。
そしてその大きなDXの流れもその流れの途中にあるから一時的にそのカオスというのを自由度だと捉えて自由になっているような感覚がするけれども、
ここからアナログがどんどん追退してデジタルに収束していく中で、どんどんカオスから秩序の方に混沌から秩序の方に向かっていくわけじゃないですか。
デジタル化が完了する時、デジタルという秩序が完了する時っていうのは不自由なんじゃないかなというふうに思ったりするんですね。
意外とというか結構言われてますよね、個人のアカウントにも全ての銀行口座からマイナンバーから何から何まで紐づいてみたいなところで、
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そうやって監視社会で自由がなくてって言ってるけども、それは本当にそうだよなと思うんですよね。
僕の感覚からするとやっぱり不自由だった。アナログ社会がすごく不自由だった。それは土地に縛られるみたいなことも含めてアナログ社会、とても不自由だったんですね。
その街のカルチャーとか生き方も限られた情報源の中で多様性がないというか、画一的な生き方。
そのレールから外れるともう非国民とかね、反社会的人間になるみたいな感じですごく排他的な社会だと思うんですけども、
今っていうのはまさに混沌に向かっているアナログからデジタルに向かう途中でアナログシステムが崩壊したり、
デジタルシステムがちょっとずつできてきたりという感じで、いろんなものが乱立している、共存している中でカオスなんだと思うんですよ。
カオスだからこそ僕みたいな変な人間もすごく生きやすくなっている時代で、逆にとても秩序だった人、しかも特にアナログ社会に適応してた人みたいなのは
めちゃくちゃ生きづらくなっているんじゃないかなというふうに思うし、向き不向きがあるなと思うんですよね。
秩序向きの人もいたり、アナログ向きの人もいたり、デジタル向きの人もいてという感じで、自分の向き不向きがあるんだけれども、
その大きな流れというのは個人がどう思うと知ったことではなくて、大きな流れは止められないなというふうに思うんです。
たまたま僕は今、アナログからデジタルへの移行期間で、ものすごく自由度を感じているようなパーソナリティというか、そういった人間なんだけれども、
これからデジタル化の方にどんどん進んでいって、アナログの崩壊、そしてデジタルの秩序が完成した時には、
僕みたいにカオスが生きやすいという人にとっては意外と生きづらい社会にもなるのかもしれないなというふうに思ったりするんですね。
タイトルにもあるように、僕のこの自由というのは本当に勝ち取ったのかというと、勝ち取ったものではなくて、
この大きな物語に乗っかった一個人の悪あがきの結果、たまたま自由になっているという偶然に過ぎないなと思うんです。
これからどんどんデジタル化が進んでいく、本当の意味でデジタルという秩序に向かっていく中で、個人でできることは少ないかもしれないけれども、
本当の意味で自由ってなんだろう、人権ってなんだろうとか、そういったものをちゃんと盛り込んだ新しい秩序ができれば、それなりにハッピーというか、
生きやすくもなるんだけども、どんな秩序、どんなデジタル化された社会に向かっていくのかということは、誰にもわからないよねというふうに思います。
とにかく今日の話は大きな話だったので、どちらかってますけども、
僕が言いたいことは、個人個人がいろんな努力の結果、今の生活があるとか、今の働きやすい世界があるというふうに思っているかもしれないけれども、
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実はWindows95以降の大きな意味でのDXが今もなお進んでいて、結局アナログで管理されてきた、何千年、
アナログで管理されてきた社会がデジタルで管理する社会に移行しましょうという移行期間でしかない、
その移行期間ならではの混沌、ならではのカオスゆえの自由度であると。
だからデジタル化が自由なんじゃなくて、たまたまシステムの移行期間だから自由なんだよっていう視点もあるんじゃないかというお話でした。
ちょっと難しかったかもしれませんけれども、感想等あればぜひTwitterとかでつぶやいていただけると参考にさせていただきたいなというふうに思っています。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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