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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、粘土板制作に伴うアウトフォットの見直しという話をしたいと思っています。
最近、粘土板を作っているんですけれども、粘土板っていうのはメソポタミア文明みたいなね、粘土の板に文字を刻むっていうことをやってるんですけども、
なんでこんなことをしてるんだろうかと、自分でもちょっと疑問に思ったので、改めて考えてみたところですね、
意外としっかりした理由が見つかった。しかも、1つではなくて、4つほどね、理由があったなというふうに振り返ってみてね、思うわけです。
その粘土板を作っている理由っていうのは何かっていうと、まず1つ目は、僕はずっとね、この2年ぐらいから毎日ノートというサービスでエッセイを書いてきたんですけど、毎日がほぼ毎日ですね。
いつかね、本を書きたいなーっていう気持ちが芽生えてきたんですね。で、本を書くってなると、やっぱり本を書くだけの中身が必要ですよね。
別にエッセイを寄せ集めて、なんかエッセイ集として本ですっていうこともできるんだけども、別にわざわざそんなことしなくてもノートのマガジンとして一応作っていますので、
横書きや縦書きになってまとめられたわけじゃないかみたいな話になりかねないと。別にそんな本を書きたいわけじゃなくて、やっぱ本を書きたいっていうこの気持ちっていうのは、
何万文字かにひたためて、何かメッセージ伝えたいということで本を書きたいって言ってるわけで、
一方で何万文字も使って伝えたいことって今のところないなーっていう、何万文字も伝えるほどのロジックが自分の中にないなーっていうふうにもう思うんですね。
だからこれはいつか自分はそれぐらいの中身がというかそれぐらい伝えたい中身がね、できた時に本を書きたいなーっていうふうに思うんですけども、それがもう50歳になるのか60歳になるのかわかりませんけども、
今のところ本にするほどの分量が伝えたいことないよねってのがあって断念しましたと。
で、この本っていうところからまたさらに考えていくと、僕が本を書くとしたら、紙の本って別に作らなくていいなーって思ってしまうんですね。
っていうのが、僕がKindleの端末で電子書籍を読むからなんですね。全然紙の本を欲してないので、全然情報として本を読んでいるような人間ですから、あんまり紙の本をコレクションするっていう感覚は僕にはないんです。
でも一方で、よく本の魅力として背拍子が語りかけてくるとかね、本棚に並んでいる本が持つ意味みたいなね、そのものとしての意味みたいなのもね、あるよねっていうのはよくいろんなところで言われる話ですよね。
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実際なんだろうな、紙の本になると物質としての質量があるので、なんかあり方さみたいなものは増すというか、迫力みたいなものがあるなーと思うんですよ。
紙の本の持つそういう物質的なというか、質量的な魅力っていうのもわからないことはないなと思うんですね。
言葉に質量を持たせるって確かに素晴らしいことだよなぁと思うと、実際自分のエッセイとか、僕のエッセイだけじゃなくてノートでいろんな人のエッセイを読んでみても、デジタル上のウェブ上に書かれた文字っていうのは
意味を取っていくっていう意味はいいんだけども、ただ、物質になった瞬間、見え方が変わる言葉の重みみたいなものもやっぱあるよねって思うんですね。
だから、紙にする価値というか、物質にする価値っていうのも穴がち。自分はコレクションしないけれども、穴がちね、物質としての本っていうのの価値ってあるよねって。
思うんですよ。この2つの時点で僕は粘土版を作ろうっていうふうに
思いました。本に書くほどの長文ではないけれども、短文を何か物質的な質量を持たせたい。
短文であれば、物質的なその重みって半端じゃないから、粘土版に短文を刻むっていいよねっていう思いつきで最初粘土版を作ろうって思ってたんです。
どうやらそれだけじゃないよなとも思っているんですね。残る2つの理由ですね。
長文を書く中身がないということと、質量を持たせたいという理由以外の3つ目の理由としては、時代なんですね。
例えばNFTとかって非代替性トークンとかやりますけども、デジタルデータをブロックチェーンの技術とか使って、唯一無二のデジタルデータみたいな販売って今
流行り始めていますよね。 それってさっきの質量の話からいくと、僕は古い人間だということかもしれませんけども、
唯一無二のデジタルデータとかその興味があんまないんですよね、今のところ。 唯一無二のデジタルデータよりも唯一無二の粘土版でしょってちょっと思ってしまうところがある。
しかもスマホとかタブレットとかっていたじゃないですか。 もう粘土版ですよね。もうその原型は粘土版なんじゃないかというふうに思ってしまうと、
この今の技術的なところを見ても、その原点って粘土版なんじゃ?みたいなことを思うと、すごい粘土版に対するロマンを感じるところがあるし、
もっと言うとですね、これから、これからとかもう今すでにですけども、AIがどんどんいろんなものを生産できるようになってくる、いわゆる知能みたいなものを
機械が置き換えていったときに、人間がわざわざやることってないよねと。
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デジタル化していく、前回の話ではないんですけれども、何もかもデジタル化されていく世界の中で、
アナログ的に処理していくことで、そういう活動があった方がいいなと思って、粘土版でしょってなったというところです。
最後、4つ目の理由なんですけども、粘土版ってウケるなと思ってですね、単純にそういう面白いなと思ってやってます。
なので、まとめますとですね、本を書きたいなと思ったけども、長文を書く中身がないので、短文で刻めるものが良かったと。
そして言葉に質量を持たせたかったから、何か紙でも何でもいいけど、粘土版っていうのはすごい魅力的に思えたと。
さらにはNFTとかね、そういう唯一無二のデジタルデータ、いや唯一無二のアナログでしょうとか、AIに置き換えられない、この粘土版は別にAIでも作れるでしょうけども、
僕の血と汗と涙で刻む粘土版っていうのは、やっぱり機能としてではなくてですね、意味的にはですね、やっぱりAIに置き換えられない。
僕が手作業で刻んだ粘土版っていう唯一無二のアナログみたいなことでやりたいと。
あとは何やってるんだろうっていう、そういうシュールな感じに受けるっていう、以上4つの理由からですね、粘土版を今制作し始めたところです。
それを要素に分解すると動機としてはですね、いわゆる物質、文字に機能ですね、文字に質量を持たせたいという機能的な意味と、
この今の時代に対するある種の、アンチテーゼまではいかないですけども、この時代に対するメッセージとして、社会的なメッセージとして粘土版を作っていると。
あとは自分のその情動的な、感情的な価値として受けるなと思ってですね、作っている。機能的にも感情的にも、そして社会的な使命としてもですね、この粘土版を作っているというのは、かなり幅広い動機で僕が今粘土版を作っているんだなということを自覚したところでございます。
じゃあ粘土版に何を刻むのかっていう話なんですけども、それはまあせっかく刻むからには自分が刻みたい言葉ですよね。自分にとってですね、自分の人生の中で気づきとか教訓みたいなものを刻んでいきたいな、こういうことに気づいた、これ大事だなと自分の中で思うことを粘土版に刻んでいきたいなというふうに思っています。
これってね、まあ普通に考えたらわかりますけど粘土に文字を刻んでいくって結構大変で、少なくともですよ、ツイッターでこうつぶやくよりはかなりの手間がかかりますよね。
で、そう考えるとツイッターだったら思いつくたびにその気づきをね、どんどんつぶやいていけばいいんですけども、粘土版ではそういうわけにはいかないということで、量よりも質が大事であると。
そうなると本当に刻みたい言葉以外は刻む余裕がどうしてもないので、じゃあもうちょっとアウトプットの流れを整理して見直して、最終的に粘土版にたどり着くようなアウトプットをスムーズにいくようなフローを作っていかなければならないなと思ったっていうのが今日のお話でございます。
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なので、最終的に粘土版としてアウトプットされるための前振りとしていろんなアウトプットがあるというような流れになっています。
具体的にはですね、まずツイッターですね。いろいろ思いついたこと、気づいたことをツイッターでつぶやいていくと。
これはなるべく質よりも量ですね。どんどんつぶやいていって、自分がこういうことを気づいたとかこういうことを考えたってことをどんどんツイッター上に残していくと。
ツイッター上にどんどん残していった言葉の中から、これはもうちょっと自分の中で深めたいぞと思うものをノートでエッセイに書くと。
今まではノートはですね、毎日書くということそのものを意味として価値としてやってきたわけですけども、これからはですね、そのツイッターの中からちょっと深めたいなと思ったものをノートに書くっていう形にしようと思っているので、毎日更新をやめてですね、もう週2とか3の更新にちょっと減らしていこうかなと思ってます。
その代わりですね、惰性で書くということはなく、書きたいなと思ったことをしっかりと書くというような流れにしたいなと思ってます。
さらにそのノートに書いたこととか、深めたいなと思ったことをこのポッドキャストでさらにですね、ちょっと丁寧に説明していくというような形にしたいなと。
だからツイッター、ノート、ポッドキャストというフローになってるわけですね。
さらにこのポッドキャストでも喋ったようなこととかを、年度版に刻むような言葉に変えていかなければならないと。
自分の中でもある程度対応年数のある言葉というか、気づきというか、これはもう何年先、時代がどうなってるかなんてことはわかんないから、確からしいことは言えませんけども、
自分の中である程度対応年数があるな、この言葉は、この気づきはということを年度版に刻むような言葉に置き換える必要があるよねということで書き換えると。
書き換えたものを年度版にいざ刻んでいくというようなフローになってます。
早速ですね、年度版じゃない年度を買いました。年度買ったのは実は8月中旬でして、1ヶ月以上前なんですね。
年度版、そしてヘラみたいなものをAmazonで注文したものの、なかなか奥で年度を触るって結構大変な能力がいるなと思ってですね、買いっぱなしで1ヶ月間丸々放置してしまいました。
年度版ってどうやって作ればいいの?って全くわかんなくて、調べたりとかすればいいんですけども、やっぱりね、こういうものは習うよりも慣れろということで、
とりあえず年度版の上に年度を置いて、早速年度版を思いつくまま作ってみるということをやりました。
小学生ぶりに年度に触れてですね、すごい懐かしい気持ちになったりとか、年度に文字を書くということは人生でやったことがなくて、
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やってみたんですけども、本当これね、書くっていうよりは本当に掘るとか刻むっていうイメージです。この感覚がわかると、
あの、くさび型文字であった理由みたいなのがちょっとね、わかってくる。身体的にくさび型文字であった理由がわかってくるみたいなね、
経験をしました。とにかくね、曲線をね、書くとかってすごい難易度高いですね。あと細かい文字が書けなかったですね。
本当、Twitter、僕のTwitterですね、初めてその年度版みたいなものを作ってみたっていうのをTwitterに写真をあげてるんですけども、概要欄の方に貼っておきますけども、ぜひ見てほしいんですが、
本当小学校1年生の方がね、作ったようなクオリティですね。文字も大きいし、もう下手だし、みたいな感じの、なんか本当ね、可愛らしい作品になっております。
今後ね、スキルを高めてその文字をもうちょっとちっちゃく、そして上手に刻んでいけたらいいなぁとも思いますね。
文字もですね、曲線とか複雑な文字を刻むのちょっと難しくて、カタカナしかこれ刻めないなって今のところはちょっと思ってます。カタカナだとね、ちょっと直線的な線で
割と書けるので、カタカナを刻んでいく感じになるのかなぁと今のところは思っています。
で、粘土をね、粘土板みたいな形にして文字を刻んで終わりかというとそうじゃなくて、これ乾かして焼いてみたいな、最後のニスか何かでコーティングするのかどうするのかみたいな感じで、その仕上げのまた工程もこの文字を刻んで終わりじゃなくて、そこから先もあると考えると、本当ですね、なんかもう一人製造業みたいになってるんですね。
粘土のその作るところから完成するまでもすごい製造業なんですけども、何を刻むのかっていうところまで考えていくとものすごく工程数がある。
まあそれこそね、いろんな人とか本とかからインプットして気づいたことをツイッターでつぶやいて、それをノートに書いて、それをポッドキャストで喋って、それを粘土板に刻むような言葉に書き換えて、それを粘土板に書いてみたいな、いろいろ書いていくとものすごいフローをたどって
一枚の粘土板ができるんだなぁということを今ね、体験している真っ最中でございます。実際今のところですね、その粘土板に文字を刻んで、まだ乾燥させてまだ3日目か4日目かなっていうところなので、実際初めて作った1個目の粘土板ではまだ完成に至っていません。
ただね、何回も試行錯誤しながら粘土板製作っていうのをちょっとね、
頑張って、これはという形になってきたらですね、ぜひオンラインでですね、粘土板ショップをね、オープンして粘土板販売サイトを作ろうかなというふうに思っています。
できればですね、年内に粘土板ショップをオープンできればなぁと思ってるんですけども、ちょっとね、未知数ですね、どんな感じになっていくのかというのはわかりませんけれども、引き続き粘土板製作の方もですね、
応援していただけると楽しみにですね、受けるなぁと思いながら、あの追加のね、今後の情報を待っていただけると嬉しいなというふうに思います。
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本日は以上です。またお会いしましょう。さようなら。