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2021-05-31 09:14

#377 インプットは感じて咀嚼する

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良質なインプットには、感じることと咀嚼することの両方が必要だ。感じなければ情報を立体的にとらえられないし、咀嚼しなければ情報を吸収できない。インプットの取捨選択とはつまり、何を感じ、何を咀嚼するのかに自覚的であるということである。 /シソフレ(思想フレンド)募集中!【秘密結社S.A.B】の活動はこちら https://bit.ly/2P3pujF /うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、ぜひnoteマガジン【脳内議事録】をご購読いただけると嬉しいです! https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、インフォットは感じて咀嚼する、という話をしたいと思っています。
今あって、すごい情報にあふれている、情報過多の時代だと思うんですよね。
あの、表面的にはいろんなことを知っている人は増えているんだけども、
それについて自分なりの意見を述べてくれと言った時に、
知っている範囲の表面的なことを言っておしまいという人がすごく多いと。
これは、確かにアウトプットに慣れていないとか、考えることに慣れていないというのが一つあるんだけども、
その考えたり、アウトプットするための土台となるインプットするということそのものが、
なんか、雑なんじゃないかなと思うんですね。
インプットというと、単純にいろんな情報に触れること、
いい情報に触れること、みたいなふうに思う人もいるかもしれないんですけども、
僕は思うに、それは情報の価値の話をしているのであって、
その情報をどのようにインプットするのかというところ、
インプットする時のインプットのプロセスみたいなところが、
意外とおざなりになっているんじゃないかというふうに思うんですね。
インプットするということは、僕の中では何か情報に触れたということだけではなくて、
まず触れて、もう2段階ぐらいちゃんとプロセスを踏まないと、
インプットしたうちに僕は入らないと思うんですね。
まず情報に触れる。そしてその情報を自分なりに感じるということが大事だと思うんですね。
その情報から何かを感じていないのに、そのままそうだと入れてしまうのであれば、
それはGoogle検索で十分な範囲というか、そこで感じたことまでセットでないと、
自分なりの情報処理がなされないというかですね、
ただ事実を記憶するというか、そういう記事があったとか、
こういうことを言われているとか、こういうデータがあったという記憶、事実に関しては、
何も頭で覚えておく必要はなくて、コンピューターの中に保存すればいい。
クラウド上に保存すれば、別に自分の脳内に保存する必要はないので、
どっちかというと、そういったクラウド上に保存する、また取り出せるように情報処理しておくということが一つ大事なんだけれども、
とは別にその情報から自分は何を感じたのかという、
しっかりインプットした、触れた情報から何かを感じるということが大事なプロセスかなと。
そしてその感じたことをしっかりと咀嚼する。どうしてそういう感じがしたんだろうかと。
その情報からなぜ自分はそんなふうに感じたのか、そしてそれはどう思うのかということをしっかりと噛み締めていくという、
この咀嚼する時間というのも大事かなと思うんですね。
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なので、情報に触れ、感じ、咀嚼する、この3ステップを踏まないと、僕はインプットしたうちに入らないと思っています。
多くのインプットは、あんまり感じず、あんまり咀嚼せず、どっちかというとたくさん触れましょう。
たくさん触れたものをいつでも取り出せるようにして、いざその時が来るときにパッと出せるようにという、
一人一人がプチグーグルになりましょうみたいな、そういうインプット術が結構はびこっているように思うんですね。
でも、その人がその情報に触れ、その人はその情報を経て何かをアウトプットするということを考えると、
やっぱり感じる時間と咀嚼する時間というのはとても大事なんじゃないかなと思うんですね。
そう考えていくと、たくさんの情報に触れるということよりも、触れた情報にしっかり丁寧に向き合うということなのかなというふうに思います。
そんなことを言ってもですね、この情報カタログ時代に丁寧に咀嚼するとかということは何言っているのという感じだと思うんですけれども、
それでも僕は丁寧にインプットするべきだと最近は思っています。
僕自身もですね、たくさんの情報に触れることが善だと思って、いろんな情報に触れて一生懸命本もたくさん読んでというふうにやってきたんですけれども、
やっぱりそれだと深まっていかないなって思ったんですね。
人とコミュニケーションする分にはですね、表面的なというか1歩2歩3歩ぐらい深まったところの情報を知っていると、
程よくマウンティングできたりするんですけれども、別にマウンティングすることで、もちろんそこでいろいろ交渉ごとが有利に進むことがあったりするので、
知っておく分には損はないのかもしれないけれども、それは何か勝ち負けの世界だと思うんですよね。
勝ち負けの世界ではなくて、やっぱり自分の人生をというか自分の感性を、自分の美みたいなものに対する豊かさみたいなところは、
やっぱり丁寧にインプットした、触れてきたものに対して丁寧に解釈していく時間が必要だ、それにやっぱり感じて咀嚼する時間が必要だというふうに思うんですね。
これだけ情報が多いから、何をインプットしようではなくて、何をインプットしないかという捨てる情報をかなり前もって決めておかないと、何をインプットするかどころの騒ぎではないんですよね。
インプットしたい情報というのはたくさんあるから、あれもこれもってやっぱりなっちゃうんですよね。
だから何を捨てるか、この情報は諦めると、この情報は入れないというふうにかなり捨てる必要があるかなと思いますね。
僕に関しては言えば、最近本も25冊、年間25冊しか読まないって決めたんですね。
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読書家の方からするとそんなことがあるかというふうに思うと思うんですよね。
僕は毎日本読むんですよ。毎日本読む人間が25冊しか年間読まないってどういうことっていうふうに思うと思うんですが、
1冊を何回も何回も読みたいと、1冊を何回も何回も読んで漢字咀嚼する、そういう読み方をしたいなって最近思ってるんですね。
そんなふうに考えていくと、ニュースみたいなものも最低限の最低限の最低限でいいかなと思っていて、
いわゆる仕事上そういう会話が出たときに、そんなことも知らないんですかって失望されない程度の情報収集でいいかなと思っていて、
なのでニュースに関してはほとんど僕は見てませんね。見てるんだけども本当にいわゆる新聞で言えば一面を見てるぐらいの感覚ですね。
主にニュースフィックスがニュース面でいうと情報収集の情報源になってるんですけども、
特集記事とトップページぐらいしか記事は読まない。もう追いかけないですね、細かい情報は。
自分自身が何かの専門家であればその情報については本来追っていきたいところなんですけども、
あいにくですね、僕は何の専門家でもないという、とてもこのご時世でいくとですね、生きづらいというか弱い立場の人間かなと思ってますね。
何かの専門性を持っている方が強いと思うんですけども、僕は何の専門性もない、何かこういう専門性を身につけたいなと、
30代仲間になって何を言ってるんだって感じがしますけども、何か専門性を身につけたいなと思えばですね、そこは掘っていきたいと思うんですけども、
あいにく専門性がないので、どっちかというと自分が読みたい本、もっと考えることそのものが好きなので、
今はね、哲学っていう分野にですね、足を踏み入れて哲学を学ぼう、じっくり学ぼうというふうにしてるんですが、
そういうね、突き詰めていこうと思っているところ以外に関してはもうさらっとでいいし、
あとはその本当に知りたいこと、僕でいうと25冊の本に関してはじっくり向き合っていきたいなというふうに思ってます。
何をインプットしないかっていうことを見定めないと、今の時代っていうのは、いろんな情報に触れたけれども、
結局自分が何を感じたのかも覚えてない。何なら感じてすらいない。よく噛んでいないから、何の栄養素にもなっていない。
そういうインプットを大量にしてしまって、何の時間だったんだろうっていう、つまりインプットしたと思い込んでいるけども何もインプットできていないという状況になっているんじゃないかというふうに危惧しております。
ぜひ一度考えていただいて、ちょっと消化不良に陥っているな、情報インプット一生懸命している割には何か何も身についていないなと思う方いらっしゃれば、
何をインプットしないかっていうことをしっかりと見定めて、インプットすることに関しては感じて咀嚼するという丁寧なインプットを心掛けてみるといいんじゃないかなというふうに思います。
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本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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