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2021-05-31 07:57

#376 解像度とコミュニケーション

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専門家と呼ばれる人たちは、自身の専門分野に対する解像度の高さに自覚的であるべきだと思う。そして、他者とその分野についてコミュニケーションするときは、相手の解像度に合わせたデータサイズに処理すべきである。580KBを1GBにすることはできないが、1GBを圧縮することはできる。580KBはさすがに無理でも、がんばって300MBぐらいまでは圧縮してくれないものか。「1GBの画像です。」とドヤっても、そんな画像はほとんど誰も開きたくない。論文や学会など、1GB同士のコミュニケーションでやってもらう分には構わないが、素人相手に1GBのデータを送りつけるような連中が多い。自身の認識に対する認識の解像度が低いと言わざるをえない。相手をよく見て、コミュニケーションせよ。/シソフレ(思想フレンド)募集中!【秘密結社S.A.B】の活動はこちら https://bit.ly/2P3pujF /うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、ぜひnoteマガジン【脳内議事録】をご購読いただけると嬉しいです! https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、解像度とコミュニケーションという話をしたいと思っています。
人とコミュニケーションするときに、自分が気持ちだるとか、考えとか、いろんなものを伝える、情報を伝えるときの語彙がないとか、文法的に間違ってて、うまく伝えられないっていう、
そういう、なんていうのかな、ベースの能力の問題っていうのは一つあると思うし、合う合わない、好き嫌いとかっていう価値観の問題もあると思うんですけども、
今日お話ししたいのは、そうではない3つ目ですね、解像度のお話をしたいと思っているんですね。
相手とコミュニケーションを取るときに、何の話題でもいいんだけども、その話題、そのテーマの解像度って、相手と同じぐらいですか?っていうことなんですよね。
今って、かなり専門分野みたいなのが分かれてきて、専門家って言われる人達っていうのは、すごい細かいことを知っているけれども、
一方でちょっとその専門外に出ると、またその深さでは物事が見えない、その解像度では物事が見えないということで、
その専門に対する解像度はめちゃくちゃ高いけども、そうではないものに対する解像度っていうのはある程度低いというか、一般レベルであるということになるんですけども、
専門家と言われる人たち、もしくは専門家ではないけれども博学な人たちとかですね、
そういったある種解像度の高い人たちっていうのが、解像度の低い人たちに合わせたコミュニケーションができていないよなというふうに思うことが多いんですね。
例えばですね、いつか話したと思うんですけども、クラブハウスで結構前にお話しした言語学を研究されているという方がいて、
結構ね、庶民に言ってもしょうがないみたいな途中から怒り出すような人がいたんですけども、
庶民と会話して、庶民に言語学の話をするんだったら、庶民に分かるように伝えないといけないよねとかっていうふうに思うんですよね。
自分は、例えば深さ100のところまで見えてるんだから、100まで見えないお前らやべえみたいなことではなくて、
10までしかこの人たちは潜れないんだな、じゃあ10のところでお話をしようと、もしくは10まで見えるんだったら12とか13ちょっと背伸びしたところのお話をしようって感じで、
深く潜れるからこそ相手の深さとか相手のレベルに合わせて、相手の解像度のレベルに合わせてコミュニケーションするっていうのが、僕はコミュニケーションの基本だと思うんですよね。
でもやっぱり今、世の中を見渡してみても、そんなことも知らないのっていうマウンティングのコミュニケーションがね、はびこってるなと思うんですよね。
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もちろんその用語を知っていること、その言葉を知っていることで、そしてその概念を知っていることで、というかそれを知っているという前提でコミュニケーションすることで、いろんなものが端折れるから便利なんだけども、
そうでない人とコミュニケーションする。めちゃくちゃ分かりやすく言うと、学会でコミュニケーションする分には、その深さを知ってて当たり前だよねっていうコミュニケーションでいいんだけど、
学会じゃないところで学会レベルのことを分かってない人たち、お前らやばいよっていうのは、逆にお前らがやばいよっていう風にも、僕からすると思ってしまうんですよね。
子供相手に子供に合わせたコミュニケーションするって結構普通のことだと思うんだけども、それが大人になった途端、大人なんだからとか、こんなことも知らないのって急に同じ解像度を求めてくるっていうのは、これが不思議なもんだなと思うんですよね。
中学生が分からなくて、お前中学生のくせにとか言わないじゃないですかと。中学生だもんねって。でもそれは問題なんだよね。中学生だからってバカにしてるっていうのも問題だと思うんですけども、要は適切に属性ではなくて、適切に相手の解像度に合わせたコミュニケーションをとるっていう解像度の調整っていうのがコミュニケーション能力の一つなんじゃないかなというか、
コミュニケーション能力の中でもとても大きな、相手とのコミュニケーションの満足度を高めるためのとても大きな要素の一つなんじゃないかなというふうに思います。解像度が低い側が解像度の高い方に合わせるって無理なんですよね。
これはスマホで写真を撮ってもらったらわかると思うんですけども、性能の悪いスマホで撮った写真と、すごく性能の高いスマホで、いわゆる解像度の高いスマホで撮った写真を見比べてみると、引き伸ばしていくと四角い感じになってきますよね。どんどんガスが荒くなってきますよね、解像度が悪い方は。
一方で解像度の高い方は、結構ズームにしても綺麗に見えると。これが解像度、マスの目の細かさだと思うんですよ。マスの目が荒い方が細かい方に合わせるってことは不可能で、解像度の高い方が圧縮して解像度を低くするってことはできると思うんですよね。
だから解像度が高い方が本来解像度の低い方に情報をして合わせていくってことが大事なんじゃないかと。低い方が高い方に合わせるってことは難しい、この解像度に関してはですね。なので高い方が低い方に合わせるってことはとても大事かなと。
で、それってじゃあ賢い人がバカに合わせないといけないってことなんですかっていうふうに思うかもしれないんですけども、そうではなくて、例えば画像ファイルを開くときに35GBの画像ファイルが来たら嫌ですよね。そんな重たい画像ファイルを開きたくないわと。しかも性能の低いパソコンでね、35GBの画像ファイルというのが存在するとしてね、開こうとしたらもうフリーズしちゃいますよね。とてもじゃないけど開けないと。
本当はその後の写真でその画像で伝えたかったことっていうそのメッセージがあるはずなんだけども、その解像度で本当に伝えないといけなかったんだろうかと。全然解像度下げてね、1MBで送ってあげようよと。1MBだったら相手開けたんだからそのファイルを。1MBだったらダメだったんですかと。
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つまり解像度の高さを、もちろん解像度の高さがないと伝わらないこともあるから絶対とは思わないけれども、そもそもだったら解像度が低い人とその解像度が高くないとできないコミュニケーションをしてること自体が間違いだと思うし、解像度が低い人とコミュニケーションしてるんであればその解像度に合わせたファイルサイズに圧縮してあげないとやっぱり伝わらない、ファイル開けないから。
ファイル開けないお前やばいっていうのはコミュニケーションとしてはないんじゃないかなというのが僕は思うところですね。なのでコミュニケーションすると決めた以上はですね、相手の解像度に合わせたコミュニケーションをとっていく。それにはですね、自分の方が解像度が高いのであれば自分が合わせていくことが大事なんじゃないかというふうに僕は思います。
そして、やっぱり自分が解像度が高いに越したことはないって僕は思ってるんですよね。やっぱり相手に合わせてコミュニケーションできるわけだから、そういった意味では解像度が高い方が合わせてもらうっていう人にしてもらわないとできない状態ってのはやっぱり不自由だと思うので、自分が合わせれば相手に伝えることができるっていう状態にあるっていう意味では解像度が高い方がやっぱりいろいろ良いことあるよなと思うので解像度を高めていきましょうと。
ただその解像度を高めたまま相手にアウトプットして、このファイル開けないのはどんだけしょぼいパソコンなんだよって、どんだけしょぼいコンピューターなんだお前はっていうのはちょっとないなと思いますので、相手に合わせてそこは調整していくということが大事なんだろうなと思います。
なので、上手にコミュニケーション伝えるとかなんとかってテクニックの話ばっかりいろいろあると思うんですけども、ベースの解像度を相手の処理できる性能に合わせていくっていうことが実はコミュニケーションでとても大事なんじゃないかなということを今日お伝えさせていただきました。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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