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2025-02-12 27:21

半生(7 専門学生時代)

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[第180話]

私の半生を振り返っていきます。作業療法士の専門学校に通って、そして辞めた話。

「存在としての公園」

現象は、「存在としての公園」をコンセプトに活動している、上水優輝(うえみずゆうき)のソロプロジェクトです。

完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、場づくりを中心にさまざまな活動を行なっています。

自らを公園的なるもののシンボルとすることで、あらゆる空間を公園のように多様な人々を包摂する場へ。一体どんな現象が起こるのか、あなたもぜひ現象の公園に立ち寄ってみませんか?

→ 活動予定は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

→ SNS:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠X⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠instagram⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠mixi2⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠YouTube⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 完全招待制の晩餐会を開催したり、
講演にレジャーシートを敷くなど、存在としての講演をこのセットに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。 前回、福岡市にですね、移住してきた高輪郡からですね、
福岡市の方に移住してきて、 バンド活動をすごい頑張った
数年間、そしてバンド職業ミュージシャンを目指すのを諦めて、 作業療法士になるために専門学校に通う、学費を貯めている。
またその中でですね、いろんな イベントを企画する。まあ友達と遊ぶ時間がないので、まとめて一気に遊ぼうということで、
結構イベントを企画していたというような話。そして その生活が
当時付き合っていた彼女と別れるという形で 終わってしまい、そしてその後また新しい人と出会って
スピードコンをしたというお話までしました。 でその
出会ったのは多分、出会ったというか、その結婚するしないか決まったのは
確か2012年 だったと思うんですけど、12年の冬にですね、受験をして
2013年から入学するというような タイムスケジュールで考えてたんですが
あの 秋ぐらいだったかな、受験前だったと思うんですけど、一緒に食事をしてた時に
学校が夜間で4年間あるんだっていう話をしたら、ちょっと4年間は
待てない よっていう話をされて
僕は当時、結婚願望ゼロ だったんですが、4年間待てないよって言われたのは、なんか結婚
待てないから早くするっていう意味かなと思って、でもこれから学生になるし なんかなとかいろいろ思って、ちょっと2人では決めれないから
あの ご両親にご挨拶に行きましょうという話になって、ご両親と一緒に食事をしたら
ご両親がですね どうぞどうぞみたいな感じで、トントン拍子で話が進んで結婚が決まったと
それが2012年の多分秋ぐらいで、その後受験をして 結婚式をして専門学校に入学するって、もう本当トントン拍子でいろいろ決まっちゃったっていう感じで
結婚しました。でまぁ後から聞いたらですね なんかどういう意味だったのかちょっとよくわかんないですけど、4年間待てないって言ったのは
別に結婚早くしたいっていう意味ではなくて 単純に4年間待てないってことを言っただけで別に結婚したかったわけではない
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ということは後から言われまして お互い勘違いして結婚したねみたいな話をよくしてましたね
はいまあそれはちょっと後の話なんですが で2013年の春に
麻生リハビリテーション大学校に入学しました 作業療法学科ですね、夜間部ですね
夜間部ですから 結構社会人学生が多くて
僕より年上の人とかもいたし、僕は当時27歳でしたけども 30、上が一番上で36歳の人もいたかな
で一番若い人で高校卒業後の18歳って感じで かなり年齢や性別やっていうねとか社会経験みたいなバラバラな
20何人かのクラスでした でよく考えると
高校時代からずっとバンドをやってきたんで バンド関係の人とバイトで出会った人以外で
なんか他の社会の人と出会うっていうのは初めてだったんですね だから
そのクラスにいろんな経験をした人がいるっていうのは結構新鮮でした
で 結構優しい人が多くて
優しいというか穏やかな人が多くてびっくりしましたね 地元の田川はもう
すごい みんな
EQがあるし バンド界隈はバンド界隈で尖ってるしって感じでずっと尖ってる人たちの中で
生きてきたので 全然尖ってない人みたいなのに会った時に
こんな優しい人たちがいるんだと思いました あとは専門学生になってまた誰かに会った時に
最近専門学校に通っててって話をしたら なんか
すごい肯定的に受け止めてくれて ああ勉強してるんですねみたいな
いいですね資格取るんですねみたいな すごく前のめりな反応が来て
僕今までバンドしてるんですよねって言った時に さーって弾いていく感じとは違う
社会的信用にびっくりしましたね 学生って
すごく 肯定的に受け止められたので
改めてですね今までいかに社会的信用がなかったのかって この学生っていう信用が
すごくね 高くて今までの人生に比べると
びっくりしたのを覚えてますね 人権を取り戻したみたいな感じでしたね
半分人権なかったんじゃないかみたいな対応を今までいかにされてきたのかってことに
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自覚的になったという感じですね バイト時代の上司とかもやっぱりフリーターに対して人権を認めてなかったと思いますね
なんかすごく 舐められてたなっていう 舐められてたのは知ってたけど
なんかそんな舐められてたんだっていうことが学生になって初めて 対応が違ったんで気づきましたね
で学業の方はですね これはもう僕排水の陣ですから 27歳で
社会経験もないし お金もない なんかもう必死こいてお金貯めて
で自分で保証になしだったかな えっとなんだったかな というかその
奨学金を借りてみたいなもう ずたぼろですから やるっきゃないっていう 覚悟が違いますから
猛勉強をしまして テストではですね 結構100点とかを取ってたりしたし
低い点数でも95点みたいな感じで かなりね
あの優等生をやってましたね 無遅刻無欠席で2年連続学年出席 学費の一部が返ってくるみたいなね
なんて言うんですか 本気出してますみたいな状況でした
でそんな調子でしたから クラスでもなんていうのかな 変な目立ちか 今までみたいな
ユーモアでどうにかするとかじゃなくて 実力でねじ伏せるみたいなですね
かなり 戦闘民族みたいな時期だったかなと思いますね
バンド時代とかよりもはるかにですね 戦闘民族だった気がしますね なんかこう評価基準
テストだったりとかね 明らかに評価される軸が分かってるので その競技で優勝するという
いわゆる競争で勝つみたいな視点で どうしたら勝てるかみたいな
なんかですね 競争モード 戦闘モードで過ごした時期が この27歳頃からだったかなと思いますね
で 超意識高い系で 学校のですね シラバスに載ってる関連書籍とかも読み漁ってたし
授業で紹介された施設とかに 自分で見学を申し込んでですね 施設見学したりとかっていう感じで
まあ とにかくものすごい意識で 専門学生をやってたんですけども
で 先輩ともコネクション作ってですね 夜間だから結構授業で始まって 授業が終わったらもう解散みたいな感じで
結構 横の繋がりが全然できないような 学校生活だったんですけど それでもね
休み時間とか早めに学校行ったりとかして 先輩とコネクション作ってですね
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2年生だとどういうイベントが起こるかとか 3年生だとどうかみたいな情報収集をしたりとかですね
結構 もう全方位にですね 活動してた専門学校時代でした
なんかあんまり なんでしょうね 人間らしくなかったなって思いますね
完全にその環境をハックするみたいな視点で
超合理主義でストイックで 勝利しか考えてないみたいな
そんな 今思うと嫌なやつだったなと思いますね
これはね さっき言った排水の陣っていうのが一つと もう一つはですね 前回さらっと流しましたが
コミュニティみたいになってたんですけど 30人規模 40人規模みたいな感じで
結構ね みんなで夏とか秋冬って 季節ごとにみんなで集まってなんかやってたんだけど
それが当時付き合ってた彼女と別れたことで 彼女は可哀想と
可哀想も何も 何なら別れよって言われたから別れたのに なんでこっちが振ったみたいになってんだろうみたいな
なんかすごいいろんな情報が錯綜してて
全部ですね 僕の当時のパートナーが言った言葉が真実となり 僕の話っていうのが全部言い訳として受け取られてですね
今のSNSとかで炎上してる人とかは 何言ってももう信じてもらえないみたいなのと一緒みたいなのを
小規模で経験したって感じですかね なんかもう勝手に真実が確定してるみたいな状況の中で
なんて言うんですかね 真実っていうのは人がそうと思えばそうなるんだな それを集団で共有したらそれが真実になるんだな
みたいなことを経験しましてですね 何か人間を信じていないみたいな時期でもあったかなっていうふうに思いますね
自分でどうにかするんだみたいな そうですね 資金面も自分でどうにかするんだだったし
人間関係も一瞬で消えてなくなってしまったから やっぱりそういうのも人を信じてはダメだなとかっていう感じで
とにかく何も信じていない 自分しか信じていないみたいな時代だったかなというふうに思います
で そんな調子でしたが 学校生活 学校で与えられる課題に対しては120%に臨んでいたわけですけども
2年生の前期ですね 終わり頃に実習があったんですね
病院に実際丸2日間ぐらいかな 朝から夕方まで行ってですね
作業療法の現場を経験すると で レポート書くみたいな実習があったんですけど
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そこでですね 1年半 学校で学んできたこととは ちょっと許しがたいぐらいのギャップがあったんですね
すごい理念みたいなものも学んできたし セオリーみたいなものも学んできたけれども
で その学校の中で否定されていた 戦後はこうだったけれども こういうふうに変わっていってみたいな
それは戦後リハビリテーションがアメリカから輸入されて 無理矢理当てはめただけの何とかかんとかで
先生がディスってたものが 見学実習の目の前で行われてるわけですね
これは先生が全部ディスってたやつじゃんって思って こんなのは作業療法じゃないとか言ってた先生いたぞみたいなやつが
思いっきし目の前で行われていると
で しかもですね まだ僕たちは学生だったんで 何か具体的にできるわけではない状況の中で
作業療法士さんも何人かを同時に見ていて ちょっと手が離せないから ちょっと見といてみたいな感じになって
4年生にやる実習だったら 僕たちはある程度任せてもらって 実際にやるっていうのがあるんですけど
2年生の実習は見学実習ですから 何か具体的にできることもない
本当に見学しててねっていうやつだったんですけど 普通に担当者みたいなの 患者さんを当てられて
患者さんと何かすると 患者さんが自分でね ストップウォッチを押して
おはじきをね お椀からお椀に移すみたいなことを 自分でストップウォッチでタイム測ってやってるみたいなのがあって
いやいや これちょっとおかしくないかっていうふうに思って
ストップウォッチ 自分で測ってお椀からお椀に移すんだったら 病院に込んでいいじゃないかっていう話なんですけど
しかも1人でさせられてるわけですね 僕は一応当てられてるけど 作業用放射線ついてないし
何だこれと
これって手の細かい 指先の細かい動きをやるってことなんだと思うんですけど
普段お家でお箸でご飯食べれてないんですか? みたいなことを患者さん おばあちゃんに聞いたら
いや お箸は食べてますよ みたいな感じで ちょっと待ってと 普段からやってることをなんで病院に来て
しかもおはじきをお椀からお椀に移すみたいなことをやってんだと この病院の病院ならこのおばあちゃんもおばあちゃんやなと
そこで寂しさが満たされるとかもあるんかなと思ったりするけど もう担当者もついてないし
一人でおはんからおはんに移して これ何の意味があるんだという 結構衝撃を受けたんですね
診療報酬が発生するルールを 多分アウトだと思うけど グレーゾーンとして現場運用して
担当者は担当者で 適当なことを患者さんにやらせてるし 患者さんは患者さんで
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適当な扱いを受けてるということに無自覚で 先生から言われたからやってますみたいな感じとか
もう国も病院も担当の先生も 担当のセラピストも患者さんも全員終わってんなっていうことを
見学実習で 当時の僕は思ったんですね
で その時見たものがどうだったかってこととかを 1年半学んだことと紐付けながらレポートに書いた
もちろん批判的なレポートになったと思うんですが そういうものを書いたら担任から呼び出されましてですね
あなたが言ってることは正しいけれども 現実というのはあるからっていうことで
なんて言うんですか 正確合わせ飲みなさいということを言われて
なんだかなって思ったのを覚えてますね
で 2年生の後期あたりからだんだん 違和感みたいなものが大きくなっていって
3年生の前期が始まって すぐにですね 学校を辞めることを決意しました
4年の専門学校の2年とちょっとですね ちょっと半分過ぎたぐらいで辞めると
27歳 排水の陣とか言っておきながら 3年生の途中で学校を辞める
無時刻 無欠席 学年主席 突然学校を辞めるという もうわけのわかんない
端から見ればですね わけのわかんない感じになってしまったかなと
担任やですね クラスメイトから 結構引き止められたりとかしたんですけれども
というか 休学すればいいじゃんって いうふうに言われてたんですけども
ちょっとね 事情があって 大学を選びました
アナザーストーリーなんですけども 1年生の後期 時間を分け戻してですね
1年生の後期に結構重要な出会いがありまして その学校の科目にコミュニケーション学っていうのが
15校もあったんですが その先生がですね 実は今一緒に働いている株式会社ビッグトリーという会社ですね
僕は今 そこの取締役をしておりますけども 株式会社ビッグトリーの代表の野澄社長とですね
出会うわけですね 野澄社長が コミュニケーション学を担当していたと
で 野澄社長の授業を受けて 結構ね 楽しい授業をするんですよね
で 授業の後半には 価値観の交換っていって なんかいろんな 何ですか
賛否分かれるようなテーマで 価値観を交換するってなってたんですけども
印象深かったのは 国家試験の日が 自分の祖母の葬式と被ってしまったと
試験に行きますか それとも葬式に行きますか みたいな価値観の交換で
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僕のグループ 4人組の3人がですね 葬式に行くって言ったんですけど
僕はもうね スーパーストイックモードに 入ってるんで 受験でしょと
試験受けないと 葬式に行ったって しょうがないでしょ みたいな話をして
大品縮を買ったのを覚えてますね
そんな価値観の交換を経て 面白い授業だなと
今までそうやって価値観を出すと いろんな人にドン引きされるっていうのを
やってきたんですけども 野澄社長はね そういうの大丈夫な人だったんで
すごい面白がって聞いてくれて すごいいいなと思ってたんですけど
授業が終わって帰ろうかなと思って 駐輪場ですね 僕自転車通学してたんですけども
駐輪場に喫煙所があるんですけども その喫煙所で野澄社長がね
タバコ吸ってたんですね 先生とかって言って
またそこでいろいろとお話ししてたら 野澄社長はビッグトリーという会社を
経営していて 普段は企業の研修をしてたりとか
いろいろしてるんだみたいな話とか聞いて
企業してるんですねみたいな話で そういう話聞かせてくださいよみたいなところで
なんか盛り上がってですね 事務所においでって言ってくれて
事務所に遊びに行くようになりました
というのも僕はですね 勉強しまくってたこの時期って言いましたけども
専門医学系の本とかを読むと疲れるんで
息抜きにですね ビジネス書を読みなさってた時期でもあったんですね
蔦谷とスタバが併設されたような施設で よく勉強してたんで
コーヒー飲みながらですね 勉強疲れたら その蔦谷にある本を持ってきて
読むみたいな感じで かなりビジネス書を乱読してた時期でもあったんで
ちょっとなんとなくビジネスって どうなんなんだろうって興味もあって
事務所で話を聞いたりとかしました
そうこうしてたら 野辰社長がやってあったイベントですね
思春期の親子をバス旅行に連れて行ってですね そこで親子の対話をコーディネートするみたいな
それはビッグツリーの活動というよりは NPO法人とコラボしてやってるようなイベントだったんですが
そこにボランティアで参加して 203日の親子の旅に同行したりとかですね
そういうプロジェクトを通じて 野辰社長から活躍が認められて
あとは僕がバンドをやってて CDを作ってたとか 作品を作ってたとかも含めてですね
いろいろ これまでの経歴をなぜか評価していただいてですね
新規事業の立ち上げのミーティングに 呼ばれるようになったんですね
僕 学生ですけどね 社会経験ゼロです 社会経験というかビジネス経験もゼロ
社会経験ゼロなのに 新規事業の立ち上げのミーティングに呼ばれるようになって
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2年生の秋ぐらいから毎月 野辰社長の会社の事務所に行ってました
時期でいうと2014年11月から3月にかけてですかね 今やってますけども
小学校 高学年 そして中高生を対象にした ディスカッションの教室ですね
ディコートっていうディスカッションの教室を 作るプランを練っていました
そしたらですね 4月 5月ぐらいだったかな 4月だったかな
銀行の融資が下りましたっていうふうに 連絡が来て
あれと 今 野辰社長ともう一人しか この会社いないはずだけどなみたいな
これ借り入れして 教室誰が住んだろうみたいな
野辰社長のもう一人のパートナーは 子供がまだちっちゃくて
夕方までしか働けないって言ってたのに 夕方以降の習い事の教室を
誰がどうやってやるんだろうみたいな ものすごい状況で融資を通してしまっており
これは誰がやるんやろうっていう状態だったんで やめたっていうのもありますね
要はそれがタイミングになったっていう感じで 3年生の前期が始まってすぐにやめたっていうのは
そういうのもあったりします
なので 僕自身が実際 作業療法を勉強していく中 そして実習でですね 見たもの
そしてそれが 構造的な問題もあれば 現場で起こってる問題も含めて
もう全方位に結構絶望していて 困ったなっていうのと
また のぞみ社長の活動とっていうのが いろいろ重なってですね
対面重なってやめる決意をしたという感じです 具体的には3点ですね
1つは業界の保守的な態勢が 自分に合わないなと思ったし
一言で言うと すごく保守的な スローな態勢っていうのが自分に合わなかったし
2つ目は 患者さんにまで絶望してしまった っていうとこだと思うんですよね
いろいろむちゃくちゃな状況でも 自分が目の前の患者さんに向き合って
頑張っていけばいいやっていうふうに なんか思えなかった
あまりにも なんていうのかな 先生先生で思考停止してるというか
今 目の前で何が起こっているのか 何をさせられているのかみたいなことを
全然自分で考えていないように感じたし もちろん考えてもないからどうしようもないんだけども
自分の考えを言語化してセラピストに伝えて 一緒に作っていくリハビリみたいな
コミュニケーションによって作っていく 自分の生活を取り戻していくという
自分の生活を取り戻していくという主体性を 感じられなかったという感じですかね 患者さんからね
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それをハードルが高いよって思うかもしれないけども でも誰のためのリハビリなんだよっていうふうに
正直思ってしまいました それをセラピストが そんなふうに言っちゃいけないと思いますので
自分はやる資格がないなと思ったっていうやつ そして最後にまさかのどのタイミングで
仮入れしてんのっていう仮入れが通ってたんで これはもうやらねばならんなってなっちゃったっていうところで
いろいろ重なって3年生の4月 5月ぐらいに学校を突然辞めて
株式会社ビッグツリーですね 教育系ベンチャーでのチャレンジがスタートするというところです
これがですね 29歳かな 3年生なんで 29歳になる年だと思いますが
ついにドタバタで社会人デビューという感じになりました
で この時にですね 半年間 1年かな 最大1年ぐらい休学できる制度があったと思うんですけど
休学っていうのを選ばなかったのは おそらくですね この道っていうのはかなり厳しい道になるだろうと
厳しいチャレンジになるだろうというのは分かっていたんで 厳しいなって思った時に
やっぱり学校に戻りますみたいなふうになっちゃうと あんまり意味がないなと
やるんだったらやる やらないんだったらやらない はっきりしないといけないなって思ったんで
退路を断つというところで 学校を退学というふうにしました
というわけでですね 排水の陣で臨んでいた専門学校さえ辞めてしまってですね
そこで出会った株式会社ビッグツリーの 臨海社長の会社で 臨海社長ですね
株式会社 そこで出会ったですね 臨海社長の会社 株式会社ビッグツリーに入ると
入るって言っても あれですね どういう形で入るみたいなことは何も決まってなかったですね
例えば社員で入るとか どういう形で入るみたいなことは何も決まってなくて
とりあえず僕は学費もかからずにビジネスの勉強にもなるし いいかというところもあったという感じですね
奨学金等々ですね いろいろとプールしてた分というか貯金してた分があったんで
それを切り崩しながら生活すればいいかなと あと2年間学校行くと 学費で言うと200万ぐらいかかるんだけど
その200万の学費かからずに 生活費だけでビジネスの勉強できるんだったら
ビジネス専門学校2年通おうと思えばいいかと思ってですね 移ったというのもあります
そんな株式会社ビッグツリーで事業立ち上げた話っていうのを 次回していこうと思っています
本日は以上です
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