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2024-06-03 30:58

[インタビュー対談①]事業サポートてきぱき: 安藤くん

#コラボ収録

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今回はインタビュー対談という感じで、事業サポートてきぱきの安藤くん来てもらってます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
という感じなんですけど、大学時代の同級生なんで、結構フランクな感じで喋っていこうと思います。
お願い。
というわけで、大学時代同級生でお互いスポーツやって、そこから自分は大学院に行って、安藤は就職して働いていった感じで、
今は独立して働き始めたから一緒に活動する機会もちょっと出てきてって感じで、事業サポートてきぱきみたいなのも。
今年決めたんだっけ、これは。
一応会議を届け出したのは去年の10月。
そっか。じゃあ去年決めたって感じか。
そうそうそうそう。
そんなこんなで、今何してんのかとか、どういう経緯でこんな感じになったのかみたいな感じをとりあえず今回話して、
次回2本目はまた今後やりたいことみたいな話もしていこうと思います。
よろしくお願いします。
なんですが、どうしよう、どっから話そう。
最近ノートの記事とかも書いてたし、この辺の話からしてみようかな。
理学療法士とか、大学で何してたかとか、どんな感じで働いたかとか、ザックバラに喋ってみてちょうだい。
そうですね、まず理学療法士ではあるんですけども、僕は比較的変わった部類の理学療法士で、病院の臨床経験っていうのがほぼないと言っていい状態。
そうだよね。
大学卒業しましたの時、深盛りしあんでもいいかもしれないけれども、スポーツトレーナーになりたいっていうので理学療法士を目指して、
大学の時に、これもスポーツトレーナーをしようと思って入部したのになぜか選手をやらされてしまって、4年間アメフトをするっていう形になって、
アメフト引退してから5年目はコーチをしながらではあったけど、スポーツトレーナーやっぱりやりたいよねっていうところからスポーツトレーナーの道を模索し始めて、
で、なんか気利浴勉強しよう、ちょっとカッコつけてアメリカ留学しようっていうところからスポーツトレーナーの道が始まったんやけども、結局留学はいろんななんやかんやでできなくなって、
卒業した時は一応日本の大学の時にあったつってで、生骨院に併設されているリハビリ施設みたいなところに入って、平日はそこで働きながら土日に、これもまたいろいろ言ったんやけども、高校のアメフト部に行ってみたり社会人のところにインターンしてみたり、
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一応その次の年はちょこっとだけお金をもらって、これまた社会人アメフトチームのところにアシスタントトレーナーを活かしてもらいながらっていうのが1年、2年かな。
なるほどね。
なるほどね。
ちょっとここまでもいろいろあるから深掘りしていくと、スポーツトレーナーになりたかったっていうのは高校ぐらいからって感じ?
詳しくは覚えてないけど、なんとなく、ドクターコト診療所がテレビやってた時に、医者ってすごいなっていう風になって、ただなんとなくそれでドクターコト見てから医者のこと調べてたら3分診療っていうか、
はい来ました、はいどうぞどうぞ、薬これ出しておきますね、パンみたいなイメージがなんとなく医者にあってて、
で、めちゃめちゃ偏見なんだけども、そんなところからもっと深く関われる職業ないのかな、同じようなものでって見てた時に、
スポーツトレーナーってなったら、もちろんその人が最大限パフォーマンス発揮できるようにずっと突き沿ってやるやろうし、これめっちゃいい職業やんって思ったのが多分高校生ぐらいの時で、
人と関わってなんだろう、すごい自分が役に立っているというのが目の前で実感できるような、その人に自分が関わったことで何か良くしてあげてることが実感できるようなことが多分したかったのかなっていうイメージ。
そこもなんか病院っていうわけじゃなくスポーツみたいなのがあったのかな。
スポーツっていうのはただ単純に自分が高校の時にスポーツをしてなかったけど、スポーツ自体は好きやったっていうので、これは面白そうだなっていう。
大学の時スポーツやりながら、周りの選手のサポートとかトレーナーっぽいこともちょっとはしてた。
選手の時はもう自分が選手をやるので精一杯すぎて、ほぼそんなあれはしてなくて。
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それこそ今思ってみれば自分が怪我した時にもっとこう、例えば足首なんかめっちゃ怪我しまくったけど、リハビリの時にもうちょっと考えてやったらもっと良かったのになって思うけど、本当にその時は選手で手一杯やって。
アメリカは結局留学はしてなかったけど、ちょっとは行ってなかったっけ?
アメリカ留学するにあたっての障壁が2つあって、1つがまず語学力。
もう1つがGPAっていうやつなんだけど、GPAっていうのが大学の科とか寮とか優とかそこら辺のやつの平均点みたいなやつで、そっちは今更取ってしまった単位もあるからどうしようもないと。
まずじゃあ語学力どうにかしようと思って、語学力をトーフル、トーエッグじゃなくてスピーキングとかそういうのが入ってるやつを取らなきゃいけなかったから、それのためっていうのと、あとは何も知らずに戦うわけにもいかないから、
まず向こうのATCの人に会ってみようっていうところから、部活引退した2ヶ月後ぐらいにじゃあ行ってきますって言って、これまた何のつてやったか忘れたけど、なんか大学の時になんかちょっと関わった人にDM送ってみて行っていいですかって言ったら、いいよおいでって言われたから行ってみた。
2ヶ月ぐらい行ったんかな。
そうだよね、なんか行ってた記憶がなんとなくあって。
ただそこから大学院とかも含めて行くのは難しかったと。
正確に言うと、院じゃなくて普通に大学に入学する分には、まあなんかすればいけたんだろうけど、そもそももともと大学で留年をしてたから、留年というか自主休学という名前のあれで。
私たちですね。
言うともね、大学をね、普通に院に行く前にもう長いこと言ってしまってるから、これ以上遠回りしたらあかんやろうと思って。
そうね。
院に行くっていうことしか考えてなくて。
で、そうなると合学力とGPAが必要で。
なるほど。
そう言うと、東風呂は3回目ぐらいの受験で、確かギリギリ点数通って。
あ、良かった通ったと思って、そっからもう必死でそれ以降の単位は全部Uを取りに行ったんやけども、それでもGPAがギリギリ足るか足らんかぐらいの状態で。
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で、一応ね、2個手術がんしたんやけど、色々エッセイみたいなのを書いたりとかしながら。
だけど、結論から言うとどっちも引っかからんくって、じゃあもう日本で働くしかないよねみたいな。
なるほどね。そんな感じっていうことで。
で、スポーツチームとか関わりながら、生骨院で働いてたって感じだけど、生骨院はなんか、施術業務って感じ?
基本ベースは、生骨院と独立はしてないんだけども、リハビリのスペースみたいなのがあってて、そこでリハビリ。
膝の手術した学生の子とかが多かったんやけども、前十字とか半月盤とか、そこら辺のオペ後なりとかが多くて、
で、スポーツの子にはいろいろ関わらさせてもらってたかな、そこでは。
一応生骨院にもちょこちょこ顔出すことはあったけど、メインはリハビリの方でさせてもらってた感じ。
なるほどね。そこでディーサービス立ち上げることになったっていうので、結局そっちの介護系は何年ぐらいやってたんかな?
8年、7年ぐらいかな?
結構長いよね。
最初の1店舗目立ち上げて、3年後ぐらいに2店舗目を立ち上げて、
で、さらに2年後に3店舗目が立ち上がって、
なんかね、それの中でもずっと立ち位置がいろいろ変わってきて、最初の1店舗目の時は、
僕自身もよくわかってない中やったから、理学療法士としながらもふわーっとした立場で始まっていって、
だけど雑務から何から、総芸もそうやし、計画書作ったりとかもそうやし、請求もせなあかん、ケヤマネさん対応せなあかん、
いろんなことがある中で、だんだんとできる人が限られてくるから、結構いろんなことを何でもやってて、
で、2店舗目立ち上げる時に、うよ曲折があってんけども、2店舗目の管理者も完全僕っていう形で立ち上がって、
2店舗目はもうほぼ申請から何から全部やったんかな、
で、3店舗目の時は管理者候補の人間が元から来てたから、
管理者候補っていうか管理者の人間をサポートしながら、それまで手伝いながらみたいなのでやっていって。
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なるほど。
で、その3店舗目できる前後ぐらいで訪問看護だったり、訪問看護の次がケヤマネか、ケヤマネージャーの許託の事業所ができ、
ヘルパー事業所ができってなって、デイサービス以外のところにはメインでは関わることはないけど、
システム的なことだったりとか、ちょこちょこ顔出してたから、いろんなこと知れたっていうのはすごくいい機会だったかなっていう。
なるほどね。
まあまあ、あんまり詳しくなかった看護業界に関わって、いろんな立場になってって感じで、
どうなんかな、最初からの気持ちの変化みたいな、最初は結構難しかったのか、意外と、意外とっていうか面白い部分もあったのかとか、その辺は。
まずその精度がすごく取っつきにくくて、精度の仕組みを知るっていうのがすごく大変やって、最初は。
3だ、単位だ、なんだとか、請求のつき遅れがどうのこうのなっててとか、国保連に請求するのか、生活保護のね、あれで自治体に請求せなあかんのかとか、
そこら辺がもうわけわからん状態で始まったから、最初は本当にもうわけがわからなすぎて、楽しむ余裕もなければ、現状を把握する余裕もなかったんだけども、
だんだん慣れてくると、もともと人と接することで、笑顔を提供できるような、笑顔にさせれるようなことができたらなって思ってた、その理想像みたいなところが、
けっこう介護の場面には多くあったから、すごい面白い仕事やなあっていうふうに思って、介護に足を踏み入れたこと自体はものすごい、自分が望んだことじゃなかったけども、やりたいことがそこにあったなあっていうような感覚。
なるほどね。電子サービスの業務っていうか、どんな内容を提供してたのかとか、どういう関わりなのかな?
電子サービスっていろんな分類があって、まず時間帯が、半日型なのか午前午後があるようなタイプなのか、1日型なのかっていう大きな違いがあって、これは食事を提供するか否かとか、そこら辺の差が、午前午後やったらあまり昼食の提供とかないからあれなんだけど、1日型やったら昼食の提供とかもありますよっていう、
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大きな分類と、あとはゆったりするようなタイプなのか、リハビリとか積極的にやっていきますよみたいなタイプなのかっていうのが、機能的な面で大きく分かれてて、
僕がやってたところは、全部半日型のリハビリ特化型という形でやってて、半日型だから3時間ぐらい滞在時間があんねんけども、3時間のうち2時間近くはメニューみたいなものがあって、もちろん間に休憩はいっぱいあるから、2時間ずっと動いてるわけではないけど、
極論めちゃめちゃ動きたい人は2時間ずっと動きっぱなしみたいな、そういうデイサービスをやってました。
なるほど。そのプログラムとかも結構安藤が考えてたの?
最初はね、リハビリ責任者みたいなのがいてたのね、一番最初に立ち上げたときは。で、そのときは人を中心にリハビリがやってて、
2店舗目のときもあれか、まだその人関わってたけど、実際に実務的にものすごくいいメニューでも、システム的に人がいっぱい必要、サッフが必要なものって、
全員に同じメニューを例えばしようと思ったら、その無理なメニューとかもあったりする。
1対1で例えばつかなきゃいけないメニューを全員にやりますって言ったら、みんな待ち時間だらけで何もできないみたいなのがあったりするから、
なんていうのかな、やりたいメニュー、やるべきメニューと僕らが提供できるメニューっていうのがまたちょっと違くて、
そこらへんをバランスとりながら、利用者さんがやりたいものももちろんモチベーションのためだったりとか、提供することもあるし、
でも、利用者さんがやりたいメニューと身体を見たときにやるべきメニューは多分違くて、それプラスさらにやるべきだけど僕らが提供しきらないものがあるから、
じゃあいろんなところの妥協点というかバランスうまいこと取ったらこういうメニューになるかなっていうメニューをずっと提供し続けるっていう。
なるほどね。
結構2年目、3年目とかで仕組みとかわかってきて利用者にそういうの提供してると結構やりがいは感じやすかったって感じ?
そうでもない。
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いろんなことが見えてくると、単純に利用者さんと接しててすごい楽しいなっていう思いだけじゃなくて、いろんなことを考えなくちゃいけなくなってきたから、
単純に見えてきたから余計どんどんどんどん楽しくなっていったわけではないっていう。
スタッフさんの、利用者さんに接するのはスタッフさんであって、
そのスタッフさんに負荷をかけすぎてしまっとったら最終的にスタッフさんがしんどくなる、イコール利用者さんに対するサービスの質も落ちてしまうかもしれないから、
利用者さんももちろん楽しんで、しかも効果あるものをやってもらいたいし、スタッフも無理なく仕事ができるように取り組めるようなシステムにしていきたいし、
っていうようなことをいろいろ考えて。
だからなんか単純な楽しさとかやりがいじゃなくて、ずっとなんか上手く回すために必要なことを考えてるみたいな。
そうだね。だんだん考えることが変わっていったんかな、年数を減るごとに。
なるほどね。で、なんか多分今の活動にも繋がってくるけど、その簡略化とか効率化みたいなのはかなりこだわるようになっていったって感じなのか?
そうやね、なんかね、めちゃくちゃ量が多い。記録だったりとか、そういうところの。
で、なんか同じようなものなんだけども、こっちの加算を取るためにこういうような記載が必要。
でもこっちの加算を取るためにもこういう記載が必要。
じゃあ紙2枚作らなきゃいけないよね。こっち同じこと書いて、こっちでも同じこと書くのみたいなところが結構何も考えずにやってたら多くあって。
そんなんとかを省略したりとか、ガッチャンコして一つの書類にしたりとか、
そんなんをしていかないと、さっきのやってあげたいメニュー、やるべきメニューあるけど、僕らが提供できないからこのメニューになっているっていう。
その、何ていうのかな、利用者さんに接する時間だけを作れないから、スタッフに対しても。
だからその、何ていうのかな、事務的なこととかそんなんとかも、せなあかんし大切なところもあるけど、
ちょっとでもスタッフさんが利用者さんに接しれるように、事務作業とかもとにかく簡略していきたいなっていうのはすごい気にしてたかな。
なるほどね。前の所属が7年ぐらいとかいたってとこだけど、
ちょっと離れて違うこともやりたいなとか、新しい方向を見たいなみたいなのを思い始めたのはどの辺とかあるんかな。
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日々結構だんだん立場だったりとか変わっていってたから、よしじゃあ辞めよう、こんなことやろうって本当の本当で思ったのは最後の辞める半年前とかそれぐらいかな。
それぐらいに、一回いろんなことリセットして、全部自分で責任を持ってやってみたいなっていうのを思ったときからスタートしたのかもしれない。
あとはあれかな、プライベートとの両立の難しさみたいなのもどっかで感じたのかな。
今3歳半ぐらいの子供がいるんだけども、子供が生まれる前と子供が生まれた後ではプライベートの時間の考え方が結構変わったのはあって、
お風呂入れてあげたりとか、夜寝顔だけ見るだけじゃなくて、ちゃんと一緒にご飯食べてとかをしてあげれるような環境を作りたいなっていうのは確かに思ってた。
もう結構、介護業界で働き始めてから帰り遅いとかは結構当たり前だったのかな。
そうだね。比較的遅いことが多かったかな。
あと、電車通勤になったから、じゃあ帰りますって言ってから家に帰るまで時間がかかるっていうのももちろんあったんやけども。
今の家は1時間ちょっとかかったのかな。前職から家に帰るまでだったら。
最初の方は結構家から近かった感じ?
結婚する前はほんまに職場のチャリンコで5分ぐらいのところに家借りていたからあれやし、
結婚してから引っ越して電車で20分ぐらい、電車とチャリで30分、40分ぐらいだったかな。
で、家建てます?ってなった時に1時間ちょっとになったかな。
なるほどね。そこから結構時間もかかるようになってきてって感じで。
で、やめようかなみたいなタイミングで、久しぶりに会ってたんだよね、たぶん。
あーそうそうそうそう。違うよ。やめようかなのタイミングでゆうとがフリーランスのセラピスト教科書?
あれを一般公開の前にテスターみたいなので出して、それ読んで、
俺今フリーランスというかそういうのしようと思ってるんだけど、なんか話聞かせてよって言って奈良駅で会った。
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そうだよね。あれから結局半年一年ぐらいで辞めたって感じなのかな。いつだっかな。
たぶんそれが辞める前の10月ぐらいだったと思うから、そこから半年ちょいで辞めて、
春先で辞めて、で、なやかんやしながら去年の10月、その半年後に会議をお届け出したって感じ。
そうだよね。で、今やってることみたいな、ちょっと1回飛ぶけど、今現在はどんな感じっていうの喋ってみてもらえる?
今現在は個人事業開業しましたっていう話で今なってるけども、実際に個人事業として事業収入得てる事業所は2個だけで出て、
コンサルじゃないけどもサポート配達させてもらってるところが2箇所。これはどっちもレイサービスで、
で、それ以外のところはレイサービスに3箇所非常勤の形で入ってて、
で、あと地域の診療所に理学療法士というか、なんかそれも村なんやけども、村の中でいろんなことできひんかなみたいな、
安藤さんこんなことしてきて半年やったら役場とかいろいろつなぎながらやっていこうみたいなので、そういう理学療法士枠というか、コンサル枠じゃないけども、
みたいなので、週に1回行かさせてもらってるのと、あとは地元の市がやってる地域体操教室みたいなクラスも1つ持たせてもらってるって感じかな。
なんかここ聞くと、なんか結構独立していろいろ仕事ポンポンポンと決まってったんですねみたいな見える気はするけど、自分的にはどうだったんかな、その辺の。
いやー独立しますってなってやめてから、正直仕事が見つからんというか、暇な時間っていうのも正直あってて、
その時間は営業しに行くとか、そういうのに当てているってやねんけども、正直前に進んでる感はない時間が去年の秋口なんかは結構あって、どうしようかなと思いながら。
でも、そうそうそうそう、本当に自分一人だったら、それこそ仮に生活費がないのであれば何本でもやったらいいし、土日でもなんか話があればピュッて飛んでいくんやけども、そういうわけにもいかないから、なかなかね、去年の秋頃はどうしようかなと思いながら過ごしてました。
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そっから具体的にどういう、今思い返すとどういう行動が良かったかなとか、どういう形で仕事繋がってったなみたいなって。
今ある仕事は半分が営業で足で取りに行った仕事、残りの半分は紹介だったりとか、そんなんで繋がった仕事で、しかもね、仕事上の紹介じゃなくて、なんなら先輩とたまたまシュッて喋ってたときに、
うちの母親こんなことしてんねんけど、安藤となんか繋がる可能性あるかなみたいな。ところから実は1個繋がってるのがあって、いや1個、正確に言うと2つかな。
2つも繋がってんの。
1個は足でも動いてた上に、たまたま先輩のお母さんが紹介とも繋がってて、両方の道筋からたどっていって、最終的に安藤さん来てもらえますかっていうので。
今年の中、4月。2ヶ月前からようやく一応、平日基本フリーではなかなか動けないぐらい仕事としては一応入ってくるようになって。
そうだよね。
うん。
なるほど。まあまあザザザーッと話して、あとあれだね、テキパキにした由来とか、具体的に関わって何やってるみたいなやつ、ちょっと喋ってもらってもいい?
事業収入として関わらせてもらっているところはテキパキの由来通りで、本当に書類の整理、こういうのに時間がかかっている。
だからこれをこういうふうに直したんやけどどうしたらいいかなっていうので、利用者さんだったりとかを、そこはエクセル上でバーッとデータベース化して、
で、あのー、曜日ごとに分けたりとかチェックリスト作ったりとか、毎日のバイタルの記録を残したりとかっていうのがすごく簡潔にできるような書類を提供して、
それの運用を、実際使ってるのを何回かフィードバック受けながら、じゃあこうしていこうかしていこうかって言って修正して、残業時間を減らしたのかな、そこ。
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たまたまそこはそこから引き続いて介護ソフトの変更だったりとかが入ってきたから、じゃあそこの導入のサポートしますって言って、今はそれのサポート中って感じ。
なるほどね。だから前の勤めてたデイサービスとか介護施設での経験とか踏まえつつやってるものもあるし、またそこから思っても見なかったものも広がってきてるって感じだよね。
広がってきてるね。こんなことするようになるんやっていうのがいろいろ出てきたりとか。
OKです。一本目はざっとこんな感じにしておきましょうかね。
これまでの経緯と今やってることがざっくり見えてきたんで、じゃあ次は今後またさらにこうしていきたいなとか、その辺の話をしていこうと思います。
了解です。
ありがとうございます。
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