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2023-09-22 45:02

【創業の軌跡】Vol.13 スマートドライブ/北川 烈

先輩起業家や経営者の方々にお越しいただき、創業前後からPMF辺りまでのお話を伺うPodcastシリーズ「創業の軌跡」の第13回目となるゲストは、スマートドライブ創業者の北川さんです(MCはジェネシアの一戸)。

北川さんは米国へ留学した後に東京大学大学院に入学し、2013年にスマートドライブを創業しています。

「モビリティ」というテーマドリブンで起業をしてからどのように顧客の課題を特定し、ターゲットを選定したのか。大企業がメインの顧客となる中でカスタマイズ性とプラットフォームとしての一貫性をどのようにバランスしたのか。ハードウェアの開発が伴い初期から多額の資金を要する中でどのように投資家を説得したのかなど、創業前後の起業家の方々にとってとても参考になるお話ばかりですので、皆さん、ぜひ聞いてみてください!

そして、次回のゲストはELEMENTS創業者の久田さんです!次回もお楽しみに。

起業や資金調達についてのご相談はTwitterのDMにてお待ちしています。

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サマリー

スマートドライブの北川烈氏が企業への思いや創業の経緯を語るエピソードです。大学時代のインターン経験や留学を通じて培った価値観が、移動データを活用したビジネスの立ち上げへとつながったことが紹介されています。北川氏は、自動運転や移動データプラットフォームの将来を予測しながら、現在のモビリティ市場での成長戦略を探っています。創業当初の経験や資金調達の苦労を通じて、B to Bビジネスへの転換を図り、競合分析を行いながら顧客のニーズを深く理解し、サービスの提供方法を模索しています。北川氏は、事業の資金調達方法やPMFについての考え方、そして組織文化の構築の重要性を強調しています。特に、総務省からの助成金やデータサイエンスの活用が成功の鍵となったことが述べられています。北川氏が経営するスマートドライブの成長過程や組織文化の構築についても語られています。従業員とのコミュニケーションの重要性や、ビジョン・ミッションの共有が成果に繋がる様子が描かれています。スマートドライブは、テクノロジーを駆使した運転支援システムに取り組んでおり、北川氏のリーダーシップの下で成長を続けています。

企業への思いの芽生え
はい、皆さんこんにちは。ジェネシア・ベンチャーズの市野 平です。【創業の軌跡】第13回目となる今回は、スマートドライブの北川さんにお越しいただきました。北川さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
それでは、北川さん、まずはじめに自己紹介をお願いできますでしょうか。
はい、私はですね、慶応大学を卒業した後にですね、大学院でこういった移動体の研究とかをしていまして、こういうデータ分析を世の中の課題解決に活かしたいという思いで
スマートドライブを創業しています。途中、1年間留学に行ったりですとか、在学中にベンチャー企業でインターンとかを経験させていただいて、在学中に学生のときに起業したという形になります。
ありがとうございます。簡単に事業内容についても教えていただけますか。
はい、我々基本はこの移動データにフォーカスをしておりまして、移動にまつわるデータを収集して解析して、付加価値をつけて提供するということをやっています。
事業内容としては大きく分けて3つありまして、1つが国内FO事業ということで、車を使っている会社様、基本的に我々B2Bなんですけれども、配送とか営業とかその車を使っている企業様向けにサーツを提供していて、これが今1000社を超えている形です。
そこで日々どういう車の運行をしているかとか、どういう事故リスクかとか、何の車を乗っているのかとか、そういう情報が溜まってくるので、そういった事業、そういったデータを例えば自動車メーカーとか技術会社とか保険会社とか、そういう会社に提供して一緒にデータを活用していく、新しいビジネスを作っていくというのをやっている、これが国内アセットオーナー事業という形です。
最後はこれらをローカライズして海外に持っていくですとか、海外ならではのビジネスでやろうということで、海外モビリティDX事業というのを3つ展開しています。
ありがとうございます。北川さんについて事前に色々とリサーチをさせていただいて、あんまり創業期についての情報がそこまで表に出ていなくてですね、そういう意味ですごいワクワクしているんですけど、
まずは創業に至るまでのストーリーについて色々とお伺いしたいなと思ってまして、企業に対する思いというのがどこから芽生えたのか、結構色々な記事を拝見すると幼少期の経験だとか、あとはその親族の方でビジネスをやっている方が多かったとか、そういったお話が色々と目についたんですけど、企業に対する思いが一番最初に芽生えたきっかけっていうのはどのあたりでしたか?
インターンと留学の影響
そうですね。先ほど言っていただいた通り、親族でビジネスをやっているというよりかはサラリーマンがあまりいなくて、そういう中で育ったのもあって、父も自分で会社やってて、小さい会社でやってたのもあって、あんまり就職するってイメージが最初からなかったんですね。
それで研究者になるとか、自分でやりたいことを見つけたら自分でやるとか、そういうのを含めて、いくつかイメージはあったんですけど、逆に就職するっていうイメージはずっとなくて、留学行った時にやっぱりすごく優秀な人たちで、何でも自分で授業を起こしてみるなり、それこそ実家に帰って政治家になりたいとか、研究者としてこれを極めたいっていう、自分で何をやりたいっていうのが明確にあったので、
僕もそういう何をやりたいかっていうのを見つけて早くから挑戦したいなっていうのはずっと思ってました。
なるほど。それでいうと、学生時代にインターンをされていたかなと思うんですけど、インターンを一番最初にしたきっかけって何だったんですか?
これは本当にちょっとアホな理由とちゃんとした理由2つあるんですけど、1つは学費を自分で稼ぐというか、親はある程度最初に支援した後は自分でやってくれっていうスタンスだったので、自分でアルバイトしてたんですけど、当時なんかそのFXとか株とかそういうのちょっと興味があって、それで運用してた時にちょっとボンミスをして300万ぐらい吸ったことがあって、
その時にこのままだと学校に通えなくなるんで、ちょっとお金を稼ぎたいっていうのがしょうもない理由で、もう1個は小さい頃から結構物事の仕組みとかに興味があったんで、どうやってビジネスってお金を稼いで回ってんのかなっていうのを自分でゼロから体験してみたいみたいなところもあったので、
新規事業立案インターンみたいなのを募集されていた会社さんに面接に行き、社長さんに最初のしょうもない話をしたらそれが面白いねっていうことで、次の日から来ていいよって言われて、インターンさせていただきました。
とある記事で幼少期について書かれていて、小学校の時に新聞を読んで、金利とか株価が変動するのが不思議でしょうがなかったと、そこから世の中のお金の動きだとか仕組みへの関心が強まっていき、家庭で電気代を節約する方法を親に提案したりとか、ローンの金利を下げるために借り替えを提案したりとか、
結構ぶっ飛んだ幼少期なんだなって思ったんですけど、割と天才派だと言いますか、自分では言いづらいかもしれないんですけど、そんな感じのお子さんだったのかなっていう。
いや、成績は悪かったですし、興味のあることにこうなるタイプだった。集中するタイプだったっていうところですね。さっきの電気代の節約して節約した分の何割か頂戴とかも、当時小学生だったってお小遣いって3年生は300円みたいな、そういう世界だったんですけど、
毎月家に届く請求書みたいなのを見ると電気代とか水道代に、下手したら1万とか払ってるわけで、これを半分にする方がこの300円よりも多くもらえるんじゃないかなとか、あと住宅ローンも日々返済の紙とかが届いてて、うちの親結構適当なんでその辺に置いてあって、そこで見る金利と駅前で銀行に貼ってある金利が全然違うとか、
これはなんでなんだろうってすごい気になって、っていうので興味を持って深く調べていったっていうだけであって、全然天才肌でも優等生でもなかったと思います。
いやー結構奇抜なエピソードだなと事前に思ってました。なるほど、ありがとうございます。そこからインターンをご経験されて留学に行くわけですけど、留学のきっかけみたいなのは何だったんですか?
やっぱりインターン時代にすごくいろいろ経験させていただいて、本当にゼロから授業の立ち上げみたいなことから、その授業計画の書き方とか、授業立ち上げるには何が必要かっていうのをすごく学ばせていただいて、すごくいい経験になったんですけど、やっぱりそのまま就職していくっていうのと、冒頭も申し上げたように自分が本当にやりたいことって何なんだろうか、
もうちょっと多様な人、ビジネスのところしか分からなかったのでインターンは当たり前ですけど、もう少し多様な人に触れてみたいっていうそういう思いで留学先を探しました。
実際留学してる時はどういったことをされてたんですか?
やっぱり軸として、当時エンジニアリングにも少し勉強したいっていう思いがあったのと、やっぱり私結構タイダの性格なんで、周りにちゃんと尊敬できる人がいるというか、周りの人たちを見て自分も頑張ろうって思える環境がいいなと思ってたので、結構その軸で探して、
プログラムがなかったんで、自分でとりあえず行ってみて交渉して、もうぐりで勉強させていただいたっていう感じです。
留学のご経験は何か企業につながるような経験とかってあったりしたんですか?
モビリティビジネスの展開
やっぱり価値観はすごく変わったなと思っていて、やっぱり自分たちで何かやりたいっていう思いがある人が、別にビジネスに限らず、自分たちの思いを社会実装していくみたいなところがすごく感銘を受けたので、やっぱりそういう価値観に変わったっていうのは大きい違いかなと思いますし、
当時の友達も今でも仲いい人いっぱいいるので、すごくいい経験にはなったなと思います。
そこから日本に戻られて東大の大学院に行かれたと思うんですけど、企業をする直接的なきっかけ、一番のきっかけはどういったところにあったんですか?
やっぱり留学中の知人が、私大学院に進学しましたけど、大体みんな就職したりとか自分の国に帰ったりっていう中で、結構やっぱり立系の大学だったので、それこそGoogleとかTeslaとかFacebookとかああいうところに就職する人たちが多くて、
当時自動運転とか電気自動車ってワードとしては盛り上がってたんですけど、実際にその友達を訪ねていってTeslaの電気自動車見せてもらったりとか、Googleの自動運転の車キャンパス内も既に走ってて、本当に手放しで運転してたりとかを見て、
これって本当に世の中が変わっていくんだなっていうのと、当時私が研究していたデータ分析みたいなところがやっぱりしっかりそういう基礎になってくる、そういう技術を普及させる基礎になってくるし、それが特に日本はあんまり盛り上がってなかったので、
日本からアジアとか海外に持っていけるみたいなことができたら、社会課題、移動の課題っていうのを解決できるんじゃないかなっていうのが直接的なきっかけです。
なるほど、結構ずっと何か企業の種じゃないですけど、その事業を作る上でのネタ的なものを色々と模索している中で、結構留学時代のそのご経験がベースにこのモビリティという領域が厚いんじゃないかみたいなところに目をつけられたってことなんですね。
そうですね、本当に当時は研究テーマも広かったので、それこそスマート農業みたいな話とか、医療とか、あと普通に人の流れとかも研究していたので防犯カメラの画像の解析をして人がどのくらい来ているかとかそういうのも一部やっていたので、今みたいに車に特化した研究ではなかったんですけど、
そういうやっぱりリアルデータ、特に移動みたいなことをやっていく中で、こういう体験があったということです。
ちなみに今農業とかそういったお話もあったかなと思うんですけど、色々と企業のネタみたいなのって出てきてたと思うんですよね。
その中で自分がその領域を本気でやるのかどうかって、また一つハードルがあるかなと思ってまして、その中での基準になっていた軸とかってあったんですか?
やっぱりすごくアホっぽい言い方をすると、自分の孫とかに自慢できること、お金とか社員数、社員数は大事かもしれないですけど、
そういうのってよりかは、例えば昔事故とか渋滞がもっと多かったとか、それを解決したら少し手助けができたとか、
例えば今って車って1トンとか2トンとか鉄の塊を人が制御してるわけですけど、これって50年後くらいから考えたら結構ありえないことだと僕は思っていて、
そういうのを昔はこうだったんだけど、おじいちゃんがこういうことをやったことによって少し良くなったっていう自慢ができるようなテーマがいいなと思ってたんで、
そういう意味ではやっぱり移動は、医療とかももちろんすごく意義があると思いますけど、移動っていうのは僕自身もすごく肌感覚としてこういう体験をして感じたし、
そういう社会課題の大きさっていうところも大きいし、世の中が大きく変わっていくタイミングでもあるかなというふうに思ったので、そこで腹落ちしたという感じです。
モビリティの領域に目をつけてから、モビリティって言っても結構広いじゃないですか、いろいろな事業のアプローチがあったかなと思うんですけど、その中でどのようにアプローチを絞っていったのか、
このアプローチはちょっと微妙だよねとか、このアプローチは結構厚そうだよねとか、そのあたりってどういうふうに取捨選択されていったんですか?
自動運転と未来の移動データ
2つあって、1つはやっぱり将来こうなるはずであるっていうところ、自動運転とかが普及して、そもそも人が運転しない事故とか渋滞がない世界、
それはガソリンじゃなくて電気で動いていて、もしかしたら今みたいな車じゃない形をしているかもしれないとか、都市のあり方も変わっているかもしれない時に、
やっぱり移動データだけじゃなくて周辺のデータが全部集まって、それをみんなが使えるようなプラットフォームって絶対必要だよねっていう将来からの逆算アプローチと、
とはいえ今それだけ作っても誰も使わないんで、じゃあ今これを活用したらどういう課題解決ができるかっていうのは結構海外の企業とかやっぱり分析していて、
もう2013年創業なんですけど、その当時からフリートマネジメントみたいなものは当然マーケットとしてあったし、テレマティクス保険みたいな安全運転を繰り促進することで保険料削減するとか、
そういうのはあったんで、やっぱりまずはマーケットとしてあるものをそのプラットフォームを使ってやっていこうっていう、そういう発想でやっています。
今のお話だといろいろな類似企業というか競合になりそうな企業をいろいろリサーチされたっていうアプローチもあったかなと思うんですけど、
逆に未来からの逆算についてはどういったことをされて、どういったことを調べられてそこの解像度っていうのを高めていったんですか?
これは結構本を読んでですね、しかもその自動運転がどうとかっていうよりかはやっぱりその都市設計とか都市がどう変わってきたか、
例えば車が発展したことで一番大きく変わったのって郊外にいろんな都市ができたことって言われていて、やっぱりそういうのって自動車業界の話だけだとあんまりわからないけど、
それが車ができたことで人が多く移動できるようになったんで、通勤にも100キロぐらい離れててもできるようになるから遠くに住もうとか、
そうすると都市の人がもう少し郊外に移住してとか、そういうような話とか結構いろんな文脈から本を読んで勉強していたっていうのがあります。
モビリティ市場のニーズ
なるほど、ありがとうございます。
じゃあ次は事業についてお伺いできればなと思うんですけど、先ほどお話をお伺いすると割とテーマドリブンと言いますか、
モビリティっていうテーマを一つ軸に色々と模索していったかなというふうに思うんですけど、まさに競合の企業というか参考となる企業をいろいろ調べる中で、
実際に顧客がどういう課題を持っているのか、どういうソリューションが求められるのかっていうのはまたちょっと違うアプローチというか、
いろいろと違うことを考えないといけないかなというふうに思うんですけど、最初の顧客となるペルソナ作りと言いますか、ターゲット選定と言いますか、
その辺りをする上で実際に行ったことってどのようなことがありましたか?
まさに創業時はですね、実はこれちょっと失敗した話でもあるんですけど、結構先ほどの将来からの客さんと今マーケットとして存在している事例の分析、
2つの軸があるとしたら割と前者の方を重要視していて、海外ではこういう事例はあるし、多分これをやったらビジネスになるんだけど、
海外にもできてないようなことをやりたいよねっていう感じですね。具体的に言うと2Cのこういうモビリティデータの活用でこういうふうに使えるんじゃないかっていうのを結構創業時はトライしてました。
なので結構積極的に実証実験とかをやらせていただいて、柏の派で実証実験やって住民の方にデバイスを配りしたりとか、
運転のフィードバックでどういう風にしたら運転が変わるかとかそういうのを色々やっていって、まさに本当に使ってもらって本当にお客さんになりそうな方々の声を聞いてたんですけど、そういうアプローチをまずはしておりました。
最初はC向けで考えられてたんですね。
B to B to Cみたいな感じで。
そのB to B to Cの間のBは車のメーカーとか保険会社とか、そこからB向けに移行していったのはどういうきっかけがあったんですか。
やっぱりこれはまだ可能性あると思ってるんですけど、当時の反省としてはやっぱり課題取り分ではなかったというか、我々として今世の中にできてない競合もできてないことをやりたい。
移動データにはこういう価値があるはずだっていう、我々の思いから始めていたので、お客さんにそこまでニーズがないかったのかなと当時は思います。
なんですけど、やっぱり海外の事例とか見てると、既にビジネスとして立ち上がっているものは明確にやっぱり課題があるからビジネスになってるわけで、
僕らもまずはそういう課題をしっかり探していこうということで、B to Bのところにまずは課題があるんじゃないかっていうのを踏みつけていったというところです。
そのB to Bの、Bって言っても結構いろいろなステークホルダーが考えられるじゃないですか、モビリティの中でも。
その中で一番最初にアプローチした企業さんとか人とか、覚えていらっしゃいますか?
これも当時はやっぱちょっと失敗したかなと思ったんですけど、まずは今で言うアセットオーナー、保険会社とかにアプローチして、
彼らがどういう課題があるかっていうのを抽出して、そこに分析で何かできることないかっていうのをやっていったんですけど、
結局彼らもやっぱり彼らのお客さんの課題をよく理解できていないので、結局やっぱりエンドユーザーのデータがないと、
彼ら自身もどこに課題があるかよく分かっていないっていうところが分かったので、今で言うFO事業っていうそのアセットオーナーのお客さん、
自動車メーカーとか保険会社のお客さん向けにまずは我々でサービスを提供してデータも取るし、そこの課題を抽出して、
それをアセットオーナーと一緒に活用していくっていうビジネスモデルにちょっとずつ転換していった感じです。
資金調達の苦労
結構アプローチしようと思ってもなかなか話してくれないような企業さんも多かったのかなと推測してるんですけど、
その開拓は最初どうやってやられてたんですか?
これはもうありとあらゆる手を使って、本当に知り合いに紹介してもらうもそうだし、VCの人とかに紹介してもらうもそうだし、結構イベントに出たりとか、
これはちょっと海外事業になりますけど、普通に提携したい企業の前で3時間ぐらい待ってて、
人が出入りするじゃないですか、ちょっと気の弱そうというか性格の良さそうな方を目星をつけて声かけて話していくとか、
なるほど、すごいですね。
ちなみにいろいろなステークホルダーが想定される中で、一社一社にカスタマイズしてプロダクトを作っていくというか、
何かものを開発していくっていう方向性もあり得たと思うんですけど、そうではなくて一つのプロダクト、プラットフォームとして今展開されてるかなと思ってまして、
ここの個社ごとのカスタマイズ性とプラットフォームとしての一貫性みたいなところの攻め際って当時あられたりしました?
ありましたね。やっぱりカスタマイズしてくれたらやるよってところがいっぱいあったんで、
やっぱり当時から思ってたのは、一つは将来像から逆算したときに、
個社開発しまくってるプラットフォームとしてみんなにデータを提供して自由に使ってもらうみたいな世界観はできないですし、
カスタマイズってニアリー・イコール・エクスクルーシビティとセットだったりもするので、
うちに特化してうちだけにやってくれたらいいよっていうのを受けてたらやっぱりオープンプラットフォームにはならないっていう、
やっぱりその創業の時の思いみたいなところから全部お断りしてきてました。
なるほど、そこをお断りされてたんですね。
そうですね。なので苦労したっていうところもあるんですけど。
そういう意味で言うと初期の方だと株主にそういった株主さんもあんまりいらっしゃらなかったですよね。
でも例えばAXAとかは株主だったんですけど、そういうのはちゃんとご理解いただいて、
他にも提供できるものではなきゃいけないっていうのと、
ドコドコだけっていうエクスクルーシブはなしっていう。
なるほど、じゃあそこをご理解いただける方のみの一緒に。
そうですね。
なるほど、ありがとうございます。
次にですね、最初の資金集めについてお伺いしたいんですけど、相当苦労されたのかなと推測してまして、
特にハードウェアの開発が必要になると思うので、ただエンジニアを集めてソフトウェア開発してもらってっていうのとまたちょっと違うのかなと思うんですね。
当時と2013から15年ぐらいですかね。
そうですね。
だと今ほどシードのVCとかもない中で、いろいろと資金調達が苦労されたのかなと思うんですけど、
一番最初お金集めるためにどういったことされてましたか。
やっぱり本当に最初の自己資金って大学院の時の貯金で100万円ぐらいの手玉持ちでやったので、そもそも自分に給料払う意味がないというかですね。
とはいえエンジニアを雇ってものが作れる額でもないので、たまたまご縁があってうちうち一人目の社員ってデザイナーなんですけど、
まずはやっぱりこういうものができたらどういう世の中になるのかとか、こういうプロダクトが何にとってプラスになるのかっていうのも少しビジュアライズしようということをやって、
100万円しかまさにないんですけど、毎月30万円でやってもらい、3ヶ月でキャッシュアウトするみたいな状況から始まったんですが、
やっぱり思っていることをちゃんと可視化するみたいなところをまずはやったんです。
そこを可視化してそこから投資家というかVCに回り始めたという感じなんですかね。
そうですね。ただ当時は本当に学生だったのもあって、そんなにVCのネットワークがあるわけでもなく、
今おっしゃるみたいにシードのVCがたくさんあるわけでもなかったので、本当に知り合いの方に何名かご相談して、
結果さまた兄さんに面白いねって言っていただいて、最初のシードの投資をしていただいた。
なるほど。一番最初に出資を受けられたのがいくらでしたっけ?
3000万円。
3000万円。最初に3000万円出資を受けられて、おそらくなお資金は足りなかったかなと思うんですけど、
そこからの資金調達でいうと、いろいろとリサーチをさせていただいた中だと、お客さんから前払いでもらったりだとか、
あとは事業会社の方から出資を受けたりとか、いろいろあったかなと思うんですけど、
そうするとこういうことができますっていうのを、結構VCに対して以上に改造度高く見せないといけなかったかなと思うんですけど、
そのあたりはさすがにデザイナーの方に入ってもらって、やりたいことをビジュアライズ化するだけでは足りなかったかなと思うんですけど、
そのあたりで工夫されたことというか、顧客候補の方々に信頼してもらうために行ったことってどういったことがありましたか?
ここはもう気合でしかないんですけど、
ソフトウェアだと3000万とかである程度動くものとか作れるんですが、我々ハードも絡むので、やっぱりそもそも2,3億量産までにかかるよねって言われていて、3000万円しか調達していません。
創業の資金調達
シリーズが終わったとシリーズAに行くってなると、やっぱり今まだ作ってる途中ですってなったら何の進捗もないんで、やっぱりもう一段階進めなきゃいけない。
その間にはその2,3億っていう壁があるって中で、そこはもう本当に気合でいろいろ集めてですね、創業融資みたいなやつを回りまくったりとか、
あと助成金を頂いていて、我々総務省から助成金頂いていて、これが結構大きい額だったんで、そういうのを繋いで、途中私も個人で借金して入れてとか、
やはりようやくものというかプロダクトができてきた段階で事業会社の人ともちゃんと具体的な話ができるようになったので、
それでシリーズAという事業会社のラウンドが繋がっていったという事です。
なるほど。じゃあ事業会社の方に出資頂くタイミングとか、顧客候補の方に会いに行くタイミングでは、それっぽいというか最初のMVPみたいなのはあったんですね。
そうです。
なるほどなるほど。それで言うとその総務省からお金をもらうのって、そんな簡単な話ではないじゃないですか、
それはどういったところが評価されて助成金を頂けることになったんですか?
移動データの可能性というところももちろんありましたし、当時は別に公表されているんですけど、
今DNXベンチャーとしてられている倉林さんという方がセールスフォースベンチャーズにいらっしゃって、
セールスフォースと一緒にこの移動データを活用しようということでアプライしていたんですね。
結構そのセールスフォースさんと組むと移動データを可視化してフリートマネジメントみたいな事もできるし、
当然CRMみたいな事にも使えるし、データの活用の幅がより具体的にここと組むことで実際に本当にできるんだってところをある程度見せれたので、
本当に一号案件として選んで頂いて、結構1億円近い金額を支援頂いて、本当に次のステップに進むための資金となっています。
PMFの重要性
ある意味そのセールスフォースさんと何か一緒にやるっていうところで、一定信頼も置いてもらいつつ、
そうですね。
なるほど、ありがとうございます。
次にPMFについていろいろとお伺いしたいなと思うんですけど、
ちなみに当時ってPMFっていう言葉自体ってあんまり今ほど言われてなかったかなと思うんですけど、
PMFっていう言葉自体は意識してたりしましたか?
当時はそういう言葉がなかったっていうのもあったんですが、やっぱり最初にいろいろ通信向けに近いことをやって、
少しうまくいかなかったときもあったので、やっぱりお客様をちゃんと定義する、
当時の言葉で言うとカスタマーセントリックみたいなことは意識していて、
なるほど。
僕らが作りたいっていうよりお客様の何の課題なのかっていうのをちゃんと意識しようっていうのは考えてました。
なるほど。PMFでいうとターゲット顧客の整理とか、そのターゲット顧客に対する刺さり具合とか、
あとはその顧客獲得体制の構築だとか、あとはデバイスの量産体制の構築とか、
いろいろな要素が考えられるかなと思うんですけど、
今から振り返ってみると、あのタイミングがPMFだったなみたいなタイミングってあったりしますか?
やっぱり最初は今の法人向けのサービスを出しても、僕らはそのペルソナとか作って考えてたんですけど、
当然全然売れなくて、ある程度やっぱりそれを多少無理して、
無理してっていうかお客様に多少目をつぶっていただいて、機能面を目をつぶっていただいて使っていただいてたフェーズがちょっとあったんですけど、
やっぱりそこでのブラッシュアップっていうのがかなりすごく意味があった期間かなと思っていて、
本当に10社ぐらいのコアのお客様がこれもできない、あれもできないんだけどちょっと使ってみるよっていうので、
ブラッシュアップしていただいたところからやっぱりデバイスもどんどんアップグレードされたし、
機能としても本当に使われるための機能ってところに絞り込めた感じはあります。
組織文化の意義
なるほど、その最初の10社は先ほどおっしゃられた気合で獲得したところだったんですか?
そこは割と気合でした。
なるほど、そうだったんですね。
でも面白いねって言ってくれて、ちょっと使ってみるよって言ってくれた方々が。
ちなみに価格設定って新しいサービスの場合だと結構価格設定が難しいかなと思うんですけど、
もしかしたらまだ完成されてる状態っていうか試行錯誤中かもしれないんですけど、
最初の価格設定ってどういう基準と言いますか、ロジックと言いますか、されてましたか?
これも結構今も試行錯誤しているところで、正直他の比較ができなかったので、
割とエイヤーで最初は決めてました。
ただやっぱりお客さんの提案していく中で、
費用対効果とかこれを入れる価値があるかっていうのは肌感覚でやっぱり返ってくるので、
僕らの機能で今提供できる価値だったらやっぱりこれぐらいはマックスなんじゃないかなってところを肌感覚で擦り合わせてっていうイメージです。
最初の受賞については無料でやられてました?
いや、そこも有償でお願いをしていて、やっぱり無料なら使うよっていうお客様のフィードバックってやっぱりお金を払うところとはちょっと違うところがあると思ったので、
そこは頑張って使っていただく先に最初から有料でということをお願いしていました。
僕らも結構投資先から最初は有料で展開するか無料で展開するか悩んでますっていう相談を受けることが多いんですけど、
やっぱり有料で展開するからこそお金をもらってやるっていう責任も芽生えると思いますし、
割とそこはケースバイケースにはなっちゃうと思うんですけど、結構有料で展開するところも最近増えてきてはいるので、
そうですね。
そのあたりは重要だったりしますね。
ありがとうございます。
次に、組織と採用についてお伺いしたいんですけど、先ほど1人目に採用されたのがデザイナーだったという話があったと思うんですけど、
3人目が人事だったという記事を目にしてですね、割とレアな採用順序だったのかなと。
でもとはいえ最近だと結構最初の方に人事の責任者を入れたりだとか、そういったスタートアップも増えてきている中で、
当時本当に一番最初のメンバーで人事がいるって結構珍しかったかなと思うんですけど、
最初の10名の採用をどういうふうに意識されていたか、何を意識されていたかって覚えてたりしますかね。
我々1人目がデザイナーで、2人目がデータサイエンティストで、3人目が人事というところで、
その3人は今でも大活躍して、普通に役員として活躍しているんですけれども、
やっぱり当時思っていたのは正直最初の3人で一番むしろ欲しかったのはエンジニアとか、開発できる人がその当時はリソースとして欲しかったんですけど、
今後のことを考えたときに、100人、200人、もっと増えていったときに、最初にいい人を取れる人事の人とか、
その人たちが働きやすいようなところを設計できる人、またはそれこそデータ分析って我々の肝なんで、
そこがちゃんと理解できて、そういうところを設計できる人が最初にいないと、
今は作れてなんとかなるかもしれないけど、組織が何百人何千人ってなったときに困るなっていうのがあったので、
将来的に大事になるってところから逆算して、こういう今みたいな考え方があったので、そんなに迷いはなかったですね。
なるほど。ちなみにその考え自体は何かを参考にされたのか、それとももともとされてたインターンとかで学んだのか、
どういった背景でそういった思考が生まれてきたんですか?
やっぱり一つは、自分が得意なところとそうじゃないところっていうのをある程度意識していて、
私は採用とかをやったことがないというか、働いたことがなかったので、
自分で会社にとって必要な人事制度とか、人が大事だっていうのは大前提あるし、分析が大事だってなるけど、自分がやったことないから、
ただ逆に営業とか事業開発とか、そういうのはインターンの時から少しずつやってきたし、
自分が早期に創業した時にやってきたりもしたので、自分ができないところをできる人をまず入ってもらうべきだっていう考え方と、
あとやっぱり単純にそのご縁があったっていう、どうしても3人目までに人事を取りたいと思ってたわけではないんですけど、
すごくいい方に巡り会えたっていうご縁もあったので、これは最初に来てもらうべきだっていうふうに思った。
そういう意味で言うと、初期けっこう権限以上に苦労する企業家の方も多いかなと思うんですけど、
北川さんはあんまりそのあたりは、割とスムーズに権限以上できたような感じだったんですか?
いや、それもやっぱり苦戦している部分もあって、やっぱりどこまでの権限と定義するかとか、
個人的には僕よりできる人たちばっかり、基本的に僕ができないことをできる人たちに入ってもらってるんで、
どんどん任せたいっていう個人的な思いもあると、
じゃあ任せた先にどこまでやっていいのかとか、
じゃあそれをやったときにどう評価するのかとかっていうのは、けっこう今も試行錯誤しています。
そういう意味で言うと、組織文化の構築がかなり重要になるかなと思うんですけど、
ビジョンで移動の進化を後押しする、ミッションでグローバルで最も利用されるモビリティデータプラットフォームになるっていう、
こちらのビジョンミッションを掛けられているかなと思うんですけど、
そもそもその組織文化の構築っていうものを意識したきっかけ、タイミングとかってありますか?
これはでも結構創業期からかもしれないですね。
それこそやっぱりそもそもうちに来ていただく魅力を伝えるタイミングでも、
やっぱりうちの授業って移動に興味があるかっていうのはあるんですけど、
そもそもやっぱり社会課題の解決と授業としての伸びしよう、
この両輪がやっぱり重なるところだと思っていて、
なので世の中のためになると思って働くことが自分のスキルの向上にもつながるし、
ビジネスとしても大きくなるからキャリアアップにもなるっていう、そういう発想なんですね。
なのでやっぱりそこに共感してくれる人じゃないと、
結構一緒に働き続ける、長く働くっていうのは難しいかなっていう思いはあったので、
結構創業時からそこは意識しています。
それで言うと自分自身の考えを言語化するって結構難しいじゃないですか。
やっぱりそこは一人目にデザイナーの方が入られたっていうのが割と大きかったんですかね。
と思いますね。
なるほど。
その組織文化を構築するタイミングって結構組織の壁にぶち当たったりだとか、
組織崩壊が起きたタイミングとか、
割とそういった会社さんも多いかなと思うんですけど、
これまでにその組織の壁とかってご経験されたことってありますか?
ありますね。本当に見事なまでに全部につらずいてきたじゃないですか。
組織の壁と成長
もう少し一段飛ばしていけないもんかなと思うぐらい、
よくある落とし穴には全部落ちてきていて、
それやっぱり単純に僕自身が未熟だっていうか、
私もその就業経験がないので、組織ってものを経験したことがないっていうところだったりとか、
そういうそもそも一般的な企業にある、
例えば有給はもちろんありましたけど、有給、産給、育給とかそういうのが知らなかったので、
そういうところから含めて本当に僕自身が足りてない部分が多いんだったんだと思うんですけど、
結構組織の壁にはぶつかってきたと思います。
一番自分自身が変化する上で印象に残ってる組織の壁みたいなのってありますか?
やっぱり30人ぐらいの時にちょっと感じた壁が、よくある組織の壁があって、
その時までって私も結構土日ほぼフルで出社してガーッと仕事すると、
変な話、週5日、営業日がある中、7日働けば5分の7で、
それが40%業績が伸びるっていうすごいシンプルな計算が成り立ってた時期なんで、
本当に私がいっぱい働くことが会社が伸びる、スピードアップするっていうところに効いてきたんですけど、
30人とかになると、そもそも全員が何やってるか把握できないし、
僕が40%50%多く働くよりもみんなが3%ずつしっかり働いてくれた方が、
当然会社としては大きい成果が出るってところが見えてきたタイミングなので、
私自身も働き方を多少変えて、みんなが働きやすいようにとか、
正しいミッションをやってもらうとか、そういうところに働き方をシフトしたっていうのは覚えてますね。
働き方をシフトする上で、特に従業員の方々に2,3%とか1,2%とか、より成果を出してもらう上で、
一番成果が出た取り組みというか、大きかった取り組みってどういったものがありましたか?
やっぱりビジョンじゃないですけど、なんでこの会社をやってるのかとか、
今僕自身がどう感じてるかっていうのを本当に一人一人伝えられるフェーズでもあったので、
やっぱりそこを伝えるっていうところと、30人とかいると各人がそれぞれ失敗をしてたりするわけですね、日々。
そういうのをちゃんと共有して横でちゃんとコミュニケーションを取るっていうところ。
ここができてくるとその時間を結構私自身が割いたんですね。
そうするとやっぱり会社としての方向性が固まってきた感覚もあって、
みんながより活躍していただけるようになったかなっていうのがあります。
ビジョンの浸透
初期の頃からそのビジョン・ミッションはすごく意識してたとおっしゃってたじゃないですか、
やっぱりそれでも従業員の方に浸透しきってなかったというか、共鳴しきれてなかった感じだったんですかね?
そうですね、やっぱり分かってるだろうって思ってた部分もあったし、
日々毎日同じこと言ってて、これももう聞き飽きたよっていうふうに思ってるかなと思ってたんですけど、
意外とそんなこともなかったりしたし、
逆にそれが100人とかになると私一人じゃ伝えられなくなってまたその壁ができたりとかね、
そういうのは体験してますけど。
なるほど、結構本当にスタートアップの課題としてそこはあるあるだなっていう感じはするんですよね。
特にビジョン・ミッションをテキストでは認識はしている、
復唱もできるけど、3Dでというか動画としてイメージしているビジョンが異なってきちゃったりとか、
そもそも想像もできない状態ってビジョン・ミッションについては理解はできてるんだけど、
そこの本当に共鳴している状態には慣れてないことが多々あるので、そこは結構苦労するところですよね。
北川さんの挑戦
ありがとうございます。
それを踏まえて今創業期に戻れたとして、組織文化構築でも採用でも何でも大丈夫なんですけど、
より強く意識すること、こういうことやるなとか、こういうこと考えるなみたいなことって何かあったりしますか?
そんなに今すぐ変えたいっていうのはパッと浮かばないんですけど、
やっぱり過去失敗してきたところがあって、それって従業員の人たちにとってみたらすごく良くないというか、
申し訳ないことしたなっていう側面もあるので、
あらかじめ分かっている穴っていうのはある程度先輩たちから聞くなりして、
落ちなくていい穴には落ちないように気をつけたいなってところですとか、
やっぱり組織もミッション・ビジョンとかももちろん大事だと思うんですけど、
やっぱり需要成長あってこそだと僕は思っていて、
そこがないとミッション・ビジョンだけではずっと続けていけない部分も正直あったりがするので、
しっかり意識して作っていくっていうことが、
今戻ったら昔よりは少し良くできるかなという気がします。
大事ですね。ありがとうございます。
一番最後にですね、北川さん個人について、経営者として個人についてお伺いしたいんですけど、
いろいろなその記事を拝見する中でですね、
なんとかなる精神、これが自分にはありますという記載があったんですけど、
例えばその先ほどのFXでお金を失うというところだとか、
あとは英語が苦手な中で留学に行かれたことだとか、
あとはサハラレースへの出場っていうのを目にしたんですけど、
こういったところだとか、
それこそ資金がない中でハードウェアの開発が必要な事業、
特にスタートアップがまだ未成熟な中で、
VCとかもそんなにいない中でこういった事業を立ち上げるっていうのもそうですけど、
なんとかなる精神が本当随者に見られるなというふうに思っていまして、
このなんとかなる精神がどういったところから生まれたのか、
どういったところで癒し直れたのか、
この辺りってどうですかね。
そうですね、ちょっと振り返って思うのは、
親にこれをやっちゃダメって言われた記憶はないんですよ。
基本的に自分で考えてやりなさい、
その代わり別にそんなにサポートしてくれない時もありますけど、
これはやるなって言われた記憶がないので、
やってみたらなんとかなるんじゃないかっていうのは、
割と小さい時から思っていますね。
なるほど、それでいうとチャレンジをしてみて、
何か成功した経験があるからこそ、
こういうなんとかなる精神というものが、
養われていったのかなとも思ってたんですけど、
北川さんにとっての一番の成功体験、
幼少期でも大丈夫ですし、学生時代でも大丈夫ですし、
一番の成功体験でパッと出てくるものってあったりしますか?
成功体験はあんまないと思います。
成功したことはあんまないんですけど、
逆にチャレンジしてやらなきゃよかったなと思ったこともなくて、
やって損したなってことは過去経験上なくて、
やってみて成功はしなかったけれども、
別のことが学べたとか、
こういうことにつながったってことはあるから、
やっぱりやってみて損はないんじゃないかなっていう体験が多いかもしれません。
なるほど、そういうことですね。
あとは創業期にベンチマークしていた企業家経営者の方、
今というよりも当時ですね、
当時にこの人のことをよく勉強していたとか、
本を読んでいたとか、そういった人っていらっしゃいますか?
いないんですよ。
そうなんですね。
周りの仲のいい企業家の方とかもそこまで多くなかったですか?
多少はやっぱりいるんですけれども、
この人のこういうこと言ってるのはいいなとかはあるんですけど、
人物としてこうなりたいとかっていうのはないんですよね。
なるほど。
逆に今はこういう経営者の方に憧れてるとか、
こういう方ベンチマークしてるとか、そういった方っていらっしゃいますか?
やっぱり何週間もあってビルゲイツとかすごいなって思っていて、
やっぱり事業を多角化しているとか、
ちゃんと次世代につないでいる、
ちゃんと自分がシリーズを言っても成長する企業になっているとか、
自分での活動とか、そういうのがバランスがすごくいいなって思っていて。
なるほど。
今はそういう方とかはすごい面白いなと思っています。
なるほど。
そういったビルゲイツから学ぶっていうのもそうだと思うんですけど、
今その経営者としてのセンスの磨き方だとか、
資産の高め方みたいなところで意識してることとかってあったりしますか?
やっぱり一つは多様な人に触れる。
自分にないものを持っている人に触れるっていうことだと思っていて、
これは僕の持論なんですけど、
自分の中に足りないものって本来ないと思うんですよ。
何かやりたいとかこうなりたいと思った時に、
必要なもんって既に自分の中にある気がしていて、
それをやっぱり引き出せるかどうか、
それはやっぱり引き出す人、こういう感性を持った人に会うとそれが引き出されるとか、
そういうことだと思うので、やっぱり多様な自分の違う人たちとも会う、
違う人たちから学んでいくっていうところがすごく大事かなっていうのは感じています。
なるほど。ありがとうございます。
もう一個は環境が資産を作るっていう部分もあると思うので、
僕も今こうやって経営をさせてもらってるんで、
いろいろ社会のこととか考えてますけど、
学生の時とかはいかにサボるかしか考えてなかったので、
やっぱり立場とか状況がその人の資産とかを意識を変えるって部分もあると思うので、
そこはすごく大事かなと思うので、
自ら飛び込んでいくっていうのも大事かなと思います。
なるほど。ありがとうございます。
いやー本日はすごく貴重なお話で。
いえいえ、ありがとうございます。
ありがとうございました。
最後にですね、スマートドライブについてのPRがあれば話していただければと思います。
スマートドライブも今ちょうど上場して半年強くらい経ってまして、
いろいろと事業も広がってきてます。
既存で今やっているフリートオペレーターって呼んでいる、
移動データを集めてくるような車を使っている企業さんからデータを集めてくるところもそうですし、
その集めたデータが今結構な規模になっていて、
そのたくさんのデータを活用して、
いろんな企業と一緒に新しく事業を作るとかデータを活用していく、
そういう広がりを作っていくフェーズでもありますし、
海外事業とかも今かなり力を入れようとしているので、
そういう新しいところにチャレンジしたい、
またゼロから作っていくところも味わいたいという方がいたら、
ぜひ採用ページを見ていただけたら嬉しいなと思います。
皆さんぜひ応募してみてください。
それでは本日はスマートドライブの北川さんにお越しいただきました。
北川さんありがとうございました。
ありがとうございました。
45:02

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