僕と松本さん、安金ってあえて呼ばせていただきますが、同い年で10年内の友人って感じではあると思うんですけど、
ラクスルやり始めた時のきっかけとか、AT会社に関しても聞いてはいたんですけども、
AT会社に入る前から企業とかって学生時代から意識とかしていたりとか、そういったのあったりしたんですか?
企業は意識してなかったんですけど、学生団体の立ち上げみたいなところで01やっていたりとか、
あとはシビコンバレーの結構いろんな事業家、投資家、エンジニアの話をするみたいな学生時代になっていて、
特にシビコンバレーのスタートアップの影響は結構受けていて、
企業をしたかったわけじゃないけれども、企業をしている人の話はよく聞いていただくという時代だったかなというふうに思いますね。
なので、人工心理でなんとなくそういう影響はあったのかなと思いつつ、
自分が始めたいというのが実はほぼなかったですね。
じゃあ、1社目のAT会社に選んだのも、別に事業力探すためにAT会社を選んだみたいな感じではなく?
そうですね。当時は外資コンサルが流行っていたので。
確かに流行っていましたね。
実際にいざAT会社に入って、1年ぐらいで創業したわけじゃないですか。
もちろん、リーマンの影響でコスト圧縮する中で、印刷の部分のコストが変動しやすいというのを見つけたというのはあると思うんですけど、
強烈にやっぱり企業をしなきゃいけないという思ったきっかけってあったんですか?
コンサルがあまり向いていなかった。
向いていなかったというか、面白くなかったんですよね。
特にジュニアの時代って、パーポイント通信の中でパーツを作っていくような役割で、全体感が見えないのと、あと手触り感がない。
お客さんと直接会って話をするとか、サプライヤーさんと直接会って話をするみたいなところがなく、
インタビューとかヒアリングはあるんですけど、やっぱり結構距離が遠いんですよね。
手触り感がない中でやっていくっていうのは、あんまり自分の中でインスピレーションが生まれなかった。
面白いなと思わなかったので、もちろんこういうと、より手触り感のあることをやっていきたい。
手触り感っていうのは、別に印刷をやりたいとか、フィジカルな何かをやりたいというわけじゃなくて、
自分自身で事業を動かしていくような、お客さんと話をするとか、サプライヤーさんと話をするとか、
そういう仕事の仕方をやりたいなというふうには思って、
実は最初は転職活動をしようと思って、こういうアンクルで、
印刷業界の輪郭をやっている会社ってないかなと探したんですけど、
なかったので利用したという、そんな感じです。
手触り感って今の安金にもずっと残っている印象はあって、
ハコベルとか立ち上げる時とか、今回の上質もそうだと思うんですけど、
テイクホルダーとかのヒアリングとかもちゃんとやって、
改造度を上げながら初めの1年とか、新規事業の立ち上げ方みたいなので、
そこなんか手触り感みたいな、このAT管理時代の経験も大きかったのかなと、
今聞きながら感じましたね。
ちなみに今だとコンサル出身で起業される方って、それなりにいるのかなと思うんですけど、
松本さんが起業された当時って、コンサル出身で起業される方って結構いらっしゃったんですか?
そもそも起業している人がいなかったですね。
今とランドスケープが違いすぎて、当時東京で受託含めて起業している人なんて、
両手で数えるくらいしかいなかったんですよ、1年で。
ってなると採用プールみたいなのはほぼほぼない状態ってことですよね。
そうですね。なので、大学時代の友人に、
さまたアンディという今VCやってる人がいて、
彼に連絡を取って、彼から大学時代のカメラクラブの同級生を紹介してもらうとか、
そういう感じでした。
すごいですね。今とだいぶ違う人材の調達環境だと思うので、
なかなか面白い話が聞けそうですけど、
いろいろ事前にリサーチをさせていただいた中で、
会社設立初日に仕組みを変えれば世界はもっと良くなるというビジョンを掲げているというお話が出てきていて、
これちょっとびっくりしたんですけど、
結構起業した初日とか初期の頃って短期的なことで精一杯というか、
明日どうやって食っていこうみたいな感じの発想になっちゃいそうな中で、
長期的なビジョンを掲げるというか視野を持つといったところが、
すごい短期的な視点と中長期的な視点の両方持たれていて、
なかなかできることじゃないのかなと思ったんですけど、
このビジョンを一番最初に掲げようと思ったのって、
何かインスピレーションがあったのか、
どういう背景でこれを決めるに至ったんですか。
学生時代に作った学生団体があって、
そこがビジョンを掲げた団体だったんですね。
ファンズをやっている柴田洋が立ち上げた団体だったんですけど、
彼が2年生で、私1年生で参加をしていて、
その団体からの影響がすごく大きくて、
ビジョンがあると人もお金も集まっていくし、
誰かと一緒にとかことに向かってというより、
より大きな目的に向かって人って共感をして、
ドライブされるっていうのを実体験としてその時に体感をしていて、
なのでビジョンもしっかりと掲げていくというのは、
人を巻き込んでいく、投資家を巻き込んでいく、
お客さんを巻き込んでいく、サプライヤーを巻き込んでいく上で、
最も重要なことだということを体感として持っていたので、
まずビジョンはしっかりと作っていこうと、
大義名分を掲げていくということは大事だというのを思っていました。
内容については、昔出たフラット化する世界っていう本があって、
あれ結構好きで、丸い地球が平らになっていくっていう、
これをいろんな事例を踏まえて、
インターネットによって世界がどれだけ小さくなったかっていうことを、
2005年とか2006年ぐらいに書いた本があって、
それにインスピレーションを強く受けていて、
その仕組みが変わって世界が変わっていく、
インターネットによって世界が大きく変わっていくっていうことを見て、
仕組みって変えられるんだっていうことを感じて、
そこからバックパックとかシリコンバレーをいろいろ回って、
いろんな企業がに会って話をしているんですけど、
今ある制度、仕組み、習慣が今を形作っていて、
これ時代を変えてしまえば大きな変化を作れるんじゃないかっていうのは、
これも学生時代の頃から思っていて、
コンサル会社で働く中で、
飛行率の厳選って、それを形作っている仕組みにあって、
ここを仕組みにアクセスしていくっていうのが、
一番大きなインパクトを生めるんじゃないかなというふうに思っていたので、
こういう言葉、そして世界はもっとよくなるって、
これはとてもシリコンバレー的な、
Make the world a better placeっていう、
みんなが大好きな言葉ですけど、
この世界をより良くするっていうことを抱えて、
仲間と一緒に仕組みを作っていこうという、
ことを持ってこういう言葉を書かれました。
その上でちょっとお聞きしたいのが、
実際にビジョンを掲げて、
そこから先ほどおっしゃられた資金調達っていうところまで、
それなりに期間があったのかなというふうに認識しているんですけど、
設立から最初の資金調達までの資金繰りっていうのは、
それこそ売上利益で稼いでたのか、
受託なのか貯金なのかデッドなのかみたいなところって、
どういうふうにやりくりされてたんですか?
最初資本金200万円でスタートしていて、
これは貯めたお金でスタートしていますと、
そこから半年ぐらいは売上ゼロが続いていて、
半年ぐらいにさっきの印刷企画.comというサービスを立ち上げて、
立ち上げてからは月100万、200万ぐらいの売上が立ち始めて、
それを一人だったんで、
一人と手伝ってくれる仲間とアルバイトの何人かというところだったので、
その中でやりくりをしていて、
その10ヶ月後ぐらいにシードファイナンスをして、
仮に含め600万円ぐらい資金調達をしました。
その後、シードでいくつか事業者さんに2000万円ぐらい出資をしていただいて、
次の1年ぐらいの間であって、
その売上とファイナンスをした資金でやりくりをしていたというところですね。
その間に事業について、
いろいろこうやってみたらどうなんだとか、
やってみたらどうなんだという仮説検証を進められていたということだと思うんですけど、
もともとATカーニー時代に、
印刷業界の非効率性みたいなところを痛感した中で、
印刷業界といったところで事業を立ち上げられて、
そこでちょっと僕が気になったのが、
松本さん自身の印刷業界に対する情熱みたいなのが、
どこから湧き上がってきていたのかなというのはちょっと気になっていて、
もともとそのコスト削減効果の高さというところは感じたものの、
それとまた情熱を感じる部分って結構違ったりするのかなと思ったんですけど、
どのあたりにこの業界の魅力とか、
情熱を捧げられるなというポイントを感じられていたんですか。
仕組みを変えることができそうだっていうところですね。
結構ビジョンがあって、その中で一番このマーケットが最適なんじゃないか、
そういう思考の順番で考えられたということですかね。
そうですね、非効率が存在していて新しい、
これはすごく大きなビジネスモデルの話から、
サービスの一つ一つのレイヤーまで、
自分たちが新しいスタンダードを作っていくことができるということに対して、
情熱を感じました。
ちなみにさ、仕組みを変えられると思うってところって、
もう少し解像度を上げていくと、どういう感じで見られている感じですか。
2つあって、1つは全体としては縮小していくんだけど、
デジタル化が進んでて、デジタルが引き取ると急成長している。
このデジタルの部分が主役になっていくんだけれども、
ここにプレイヤーがいない。
ほとんどのプレイヤーが旧代型のスクショしていく方にいて、
生産キャパシティが大量に余っているんだけど、
需要を獲得できているところが1人しかいないというところに、
我々じゃあこの需要をインターネットで獲得して、
アパート供給を最適化していくっていう、
こういうデジタル化における新しい仕組みの需要と供給、
インターネットで急拡大していく需要を捉えて、