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2026-01-06 21:53

【9-3】学生時代(映像・舞台芸術)から編集者へ。 編集者の幸せは、あの人に怒られたこと。

京都を代表する美術系出版社「青幻舎」の編集者・広報マンの話。マイペースな男のマイペースな話の根底に見える、自我を超越したなんとも不思議で幸せな生き方。
“芸大ラジオmymy”は京都芸術大学の開学50th(2027)を記念して始まった、芸術・デザインをひもとくラジオです。

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関連URL

太田省吾(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E7%9C%81%E5%90%BE

※太田省吾 | [日本劇作家協会] 戯曲デジタルアーカイブ

https://playtextdigitalarchive.com/author/detail/327

水の駅(「太田省吾演出『小町風伝』『水の駅』上映 & トーク」京都芸術劇場 春秋座 studio21)

https://www.kyoto-art.ac.jp/events/2461

佐藤真(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9C%9F

宮沢章夫(「追悼 宮沢章夫」京都芸術劇場 春秋座 studio21)

https://k-pac.org/readings/8234/

京都芸術劇場 春秋座 studio21

https://k-pac.org/

※パパ・タラフマラ2004

葛西薫(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E8%A5%BF%E8%96%AB

小島聖『野生のベリージャム』(青玄社)

https://www.seigensha.com/books/978-4-86152-642-8/

ジョン・ミューア・トレイル(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AB

※ミナ ペルホネン / 皆川明 つづく

つづくで起こったこと「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」展 93日間の記録(青玄社)

https://www.seigensha.com/books/978-4-86152-802-6/

天童木工

https://www.tendo-mokko.co.jp/

天童木工とジャパニーズモダン

https://www.seigensha.com/books/978-4-86152-854-5/

サマリー

このエピソードでは、映像・舞台芸術学科の一期生としての経験や編集者としてのキャリア形成について深く掘り下げられています。また、編集者としての幸せや人間関係の重要性が議論され、出版業界の現状にも触れられています。さらに、編集者としてのキャリアや学生時代の影響について語られ、笠井香織との仕事を通じた経験から得た喜びや成長が紹介されています。また、美奈川明の作品に触れた思い出も交え、編集者としてのやりがいや人との関わりの重要性が強調されています。

学生時代の思い出
こんにちは、芸大ラジオmymyです。アシスタントの谷口七葉と、そして京都芸術大学の先生であり、本業はデザイナーの坂井です。よろしくお願いします。
前回に引き続き、編集者の新庄さんをゲストにお招きしてお届けします。
もう毎回毎回の新庄さんの話が長くて、本当に苦労して収録してるんですけど。
こんな始まり方のラジオないですね。
今日こそは、学生時代の話から編集の話を、何としても聞き足したいと思っています。
七葉ちゃん頑張ろう。 頑張ります。よろしくお願いします。
卒業されたのが、映像・舞台芸術学科一期生っていうことだったと思うんですけど、一期生ってどういう雰囲気でしたか?どんな先生がいて、どんな生徒が?
水の駅という舞台をやっている太田翔吾さんっていう伝説の方が学科長です。
ちょっと羨ましい時代ですね。 そうかもしれないね。暗い感じのね。
僕の印象ね、これ旗から見た映像舞台は、渋い感じが大人な感じすごいしたかな。
どんな雰囲気でした?
常に一期生って言っても、短大時代があったりとかもするから。
例えば僕も実は空間芸術デザイン学科の一期生やけど、短大のインテリアデザインコースの先輩とかは同じ校舎にいたりして、
その先輩がいきなりバスケ部入れようとか言ってきたりとかするような感じなんで、先輩がいないっていう感じもそんなにないっていうか。
多分それ一緒かな。
それで言うと、僕は一浪してるんですけど、現役の時はそれこそグラフィックデザイン系の学科を受けてたくちで、
造形体の情報デザイン学科は当時すごく関西では結構深刻かった大げさだけど、すごい狭きもんで難しいかなっていうか、
大小に入れてなかったんで、他の大学のグラフィックデザイン学科とか受けてて、
そもそも高3の夏ぐらいから美大の勉強を始めたりだったんで浪人したんですけど、
浪人して映像学科に行きたいなっていう思いになった時に、ちょうど京都造形技術大学が短大が4大になるっていうタイミングで、短大にある学科が4大の学科になりますよ。
それでその映像コースっていうのが短大がなくなるから、4大の学科になるっていうことで会おけたいなと思ったわけですよ。
倍率もそれなりにあったけど、たまたま合格することができて入ったんですけど、映像舞台芸術学科で、今話してくれたみたいに太田翔吾さんっていう人が学科長で、
舞台コースっていうのが新設されて、映像コースは昇格したっていうことなので、舞台の影響のほうが強かったというか、
1回生、2回生は舞台、映像も舞台もそれぞれの借り際もやるんですよ。舞台の人もビデオカメラを買って映像を撮るし、編集をするし、我々も日舞踊ったり、
三階塾っていうアングラ系の舞踊のカンパニーの先生が来て、すごい15分ぐらいかけてゆっくり立ち上がる授業があったりとか、寝そべってそういう身体表現みたいなのをやったりとかっていうのもあって、
すごい実験の中にいるっていうか、カリグラムそのものがすごい、いろいろ迷いながら、その感じはすごい、今振り返るとよかったなっていうか、学校もチャレンジしてたっていうか、
映像はもちろん、例えばドキュメンタリー作家の佐藤誠監督っていう人とか、すごい自分も影響を受けたっていう、いい授業をしてくださった方々もいたりとかいるんですけど、
元々おられる方が中心だから、そういう意味では延長上って感じだけど、舞台はその位置から出来上がったし、それこそ宮沢京さんとかが当時いたりとか、結構気合の入った講師人、教授人ではあったので、
その春秋座っていうのも、当時はまだ工事中だった。まだ出来てなくて、2回生になった時ぐらいかな。
でもその春秋座とスタジオ21っていうのがあって、スタジオ21は結構学生が使えて、そこを部室みたいな感じで実践しながらやれたっていうのはすごい、教育上もよかったと思うし、スタジオ21とかが出来てからの方がより学生生活も充実していたっていう感じはありますね。
編集者への道
スタジオ21に大杉蓮さんっていう俳優の方が、かっこいい大人の人が来た時に見に行った。そのトークで。
大杉蓮さんは大田翔子さんが主催された天啓劇場っていう劇団の団員だったから、ずっと大田先生を慕って、そういうのにも来てくれたりとか。
いいですね。過去は全く知らないので。
でもさ、今、新庄大先生は編集者ですよ。
そうですよ。
全然違うよな、映像とか舞台とね。
だから、なんなんかなと思うよね。
初めグラフィックに興味があったけど、映像舞台を受けてチャレンジしてみようかなと合格して、大学生をしていて。
舞台と映像を学び、卒業して、2年間グラフィック的なこと、またなんか知らんけどやりだして、そこからの編集者ですよね。謎。
だいぶ飛んでるけどね。
そうかな。
赤赤社の4年半とかっていうのは、編集以外というか、ひめのさんのアシスタント的な編集はするけれども、その他の雑務全般っていう感じだったので、ひめのさんっていうのは精神的支柱みたいな人がいて、みんながそこに寄ってくるみたいな場所にずっといましたと。
だから、制限者で働き始めるっていう時に、一旦そういうのをリセットして、出版社でちゃんと働くじゃないけど、だほうがいいっていうのは入る時にそういう話もして、一からやろうみたいな。
最初は営業をやってた。赤赤社でも営業をやってたし。
営業といっても本だけじゃなくて、制限者っていろんな取引先があるので、アートグッズっていうものを、本じゃないアイテムを売る営業を2年とかやってて、そういうことをやってまた本の営業もやったりして、
そこから広報っていう仕事をするようになって、広報ってメディアの人たちに本を売り込むみたいな。本を売り込むっていうのは営業時代にやってたことが少し対象が変わってやるみたいなことで、
PRというか広報をやるようになって、結構関係性というか人間関係が広がっていくような仕事で広報って外の人と会うから、メディアの人だったりとか。そういうふうにやっていくと企画の相談とかを受けるようになっていくので。
それで、自分は赤々車の時に編集はしないけれども、姫野さんという人の横で本ができる過程は知っていたし、体感していた部分があるから、何となく本作りにシフトできたというか。
そういう相談を受けたものを自分が担当しようかっていうのは会社の判断だから。制限者の体質というか、兼業みたいなものを恐れないというか、みんながいろんなことをするっていう風土があって。
それで編集したらいいというか、自分が編集するっていうタイミングが来て、そこから編集業みたいなことが始まるって感じかな。
そうか、だから広報やったり営業やったり、普通の会社員的な働きを経て、ただ会社自体は結構、なんでお前広報やのに編集やんねんみたいなことは言わないような会社だったから、科とか専門領域を越えて編集を始めたと。
だから編集歴はそんなに長くないってこと?10年ぐらい?
そう、10年ぐらいか。
今まで作られた本で、これはやったぜみたいな。
何冊ぐらい作ったの?
半冊ぐらいなのかな。
出版業界の現状
確かに。
50冊ぐらいとか。
50、すごいな。
でも会社でいうとそんなに多い方じゃない。
会社の中にいる編集者の中ではってこと?
それこそ他社でもさ、年10本ノルマがあるとか。
10本作られるっていう。
会社とかもあったりするから。
でもさ、実際今本ってやっぱりそんなに売れないわけでしょ?売れないよね?
出版業界としては。
出版業界。
例えば30年前とか40年前とかに比べると絶対売れなくなってるじゃないですか。
それはもう事実としてね。
でもやっぱ本は作れ作れっていう姿勢なんやなと思って。
それじゃなくて本じゃないもの作れみたいにはならんのかと思ったんですけど。
でも出版社だからね。
本作って利益にかかわらないといけないっていうのはあるけど。
分かるけど、例えば制限者さんとかやとグッズも作ってたりとか。
グッズとか作ってたといえばイベント企画ができるようになっていったりとか。
それから多分繋がりがすごいあるやん?出版社って。
作家さんだったりとかライターさんやったりとか。
そういうものを全然違う使い方をして新しいビジネス作っていこうぜみたいなことはやらないの?
それやっぱ本なの?
いやでもそういうことはやっていかなあかんと思う。
大きく言うとそういう会社の考え方としてはそっちになりつつはあるというか。
例えば展覧会企画のグループ会社があったりとか。
展覧会企画してその展覧会に合わせて図録も作るしグッズも作るしっていうその状況を生み出すっていうようなことはやりつつあるけれども。
で何が、何がじゃない。
約50冊の中で。
一番苦労したものとかってあります?
一番苦労。
信条って心強いよね。打たれ強いでしょ。
だからあんまり苦労とか苦労、人が苦労だと思うことを苦労って感じなさそうな気がする。
ストレスとかないやろ。
まあまあ確かにマイペースっていうのがあって。
確かにそれはそうかも。
人は人みたいな。
そういう人は怒っているけど私には関係ないっていうようなこういう。
そこまでいけてない。
そこまではいけてない。
やっぱ怒ってる。キュッてなったりするけど。
キュッてなったりする。
するんや。やっぱり。
けどまっすぐそのキュがふわっとふわっと開いてくるっていうことかね。
早く本の紹介しろよもう。
それでいうと出版社に入って幸せだったことっていうか。
編集者としての成長
大学卒業、卒業する前ぐらいこのチラシすごいなって思ったチラシがあって。
誰がデザイナーやった?
それはパパタラフマラっていう。
笠井さん。
笠井香織さんのパパタラフマラという劇団でもないのかパフォーマンス集団みたいな人たちのチラシを見てすごいデザイン。
素敵なデザインやなと思ってたわけよ。
それが2004年とかその後2018年とかに笠井さんとお仕事するっていうことがきて。
それは野生のベリージャムっていう小島ひじりさん俳優の方が旅をされ、山を結構ガチで登られたりとかしてて。
ジョンミュアトレイルってアメリカのロングトレイル歩いた話とかモンブランとか行った話とかアラスカの話とかってそういう旅のエッセイの本なんだけど。
写真と文章みたいな。
写真は多分同行した写真家さんの写真が間に入るみたいな感じだったんだけど。
それのときに笠井さんにお願いしたいって言われて依頼してご一緒して。
笠井さんとはその後、そのときも帯をデザインするときに、帯って基本、そのときは推薦文を著名人からもらった推薦文があって入ってるんだけど、
その推薦文だけじゃなくてキャッチコピーというかを入れたい出版社としては。
そういう原稿を用意しておくったら、それが入ってないデザインが上がってきて、このキャッチコピー入れたいんですけどっていう話をしたら、すごい怒られて。
誰に?
笠井さんに。
すごい怒られてっていうのは主観的なあれかもしれないけど、入るべきではないんですっていうことをすごい言われて、はぁってなったんだけど。
でもそのときは本当に仕事に向き合ってるから、仕事上の普通のやり取りなんですよ。
でもそれを自分で振り返ると、あの笠井香織に怒られてるっていう嬉しさみたいな。
20年、2004年の自分がさ。
分かる分かる。
っていうこととか、あるいは自分がそういう、笠井さんもそうだけど、漠然と好きだったりしたもの。
例えば結構自分は、美奈川明さんがすごい好きだった。
それって大学の卒業して働く前、2005年ぐらいにスパイラル、美奈ペル本年ってスパイラルで5年ごとに展示をやっておられるんだけど。
2005年に行ったときの展示で本買ったりとかしてて、すごい素敵な服やなっていうので。
真女はああいう服着るんですか?
なんかああいう、ちょっとガーリーのものが好きだった時期があって。
そうそう、学生の頃そういうちょっとファッションやったよな。
そう、当時は。すごい古着が好きで。
まあいいわ、ちょっとごめん話長くなるんで。不って悪かった。いちいち細かく答えなくて。
とにかく好きだった。
その美奈川さんの本を作った。
の本を、それは2020年か。
真女は別に何年かもういいですけど、とにかく短く喋って。
関西と東京の戦いが。
思いをちゃんと伝えないといけない。
年号に思いは伝わらんからいらんですよ、ということで。
とにかく作ったってこと?
美奈川さん、つづくてんという展示があった時に、そのズロコ制限者が作って。
それは自分は直接の担当ではなかったんだけど、
その後、つづくてんという展覧会の中で、トークイベントがたくさん行われたのよね、その展覧会で。
トークシュー。
トークイベントをまとめたドキュメントブックみたいなものをやったりとか。
それは真女がやった?
それはそうそう、その流れの中で。
あとは天道木工ってバタフライスツールって、木のこういう。
柳総理の?
そうそう、その天道木工を、それこそ当時、学生当時、カーサブルータス、まだ発刊したてのカーサブルータスとかで柳総理特集とかあって。
めっちゃかっこいいなって思ってた、その天道木工さんの本を2022年くらいに。
だから年号言わんでいいって言ってるよ。
一緒にお仕事したかった方とか憧れてた方と作ったことが幸せだったってこと?
そうですね、それが何か話したみたいに、天道木工の本を作りたいんですっていう企画をあげるんじゃなくて、
そういう話がいろんな関係者の中で自分のところにやってきて、それを形にできたみたいな、そういうことが続けてるとあるし、
さっきの笠井さんだったり、三永さんだったりとか、多分当時の自分からしたら信じられないことが自然と起こってるっていうことをちょっと俯瞰したら、すごい幸せな仕事をさせてもらってるんだなって思う瞬間があるというか。
それは俺も何かわかるわ。遠くから見たらな、とか過去の自分が見たら、おーってなるようなことがあるよね。
怒られてることでさえもそう思えるわけやから。でも信じられないようなことは起きるね。
今回は信條さんの学生時代の話から編集者として作ってきて。
やりがいとかな。喜びみたいな。
学生時代の影響
でもめっちゃ編集者っていう話やったな。多分今編集者とかが人気の理由ってそういうの結構あるんじゃない?
だから私のこの人に取材したい。この人の本作りたいとかっていうのでやっぱりどうしてもメディアって人気の職業になると思うけど、ほんまにそんな仕事なんやなってことが語られたなと思いました。
自分で望まないっていうか。
流れの中で落ち葉が流れてくるみたいな。ふわふわふわっと自分の体についた。ホタルが飛んできた。
カタツムリが入ってたみたいな。
そうやな。カタツムリは俺だけやけど。
今回はそんなお話を伺うことができました。信條さんありがとうございました。
ありがとうございました。
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