こんにちは、芸大ラジオmymyです。アシスタントの谷口七葉と、そして京都芸術大学の先生であり、本業はデザイナーの坂井です。よろしくお願いします。
前回に引き続き、編集者の新庄さんをゲストにお招きしてお届けします。
もう毎回毎回の新庄さんの話が長くて、本当に苦労して収録してるんですけど。
こんな始まり方のラジオないですね。
今日こそは、学生時代の話から編集の話を、何としても聞き足したいと思っています。
七葉ちゃん頑張ろう。 頑張ります。よろしくお願いします。
卒業されたのが、映像・舞台芸術学科一期生っていうことだったと思うんですけど、一期生ってどういう雰囲気でしたか?どんな先生がいて、どんな生徒が?
水の駅という舞台をやっている太田翔吾さんっていう伝説の方が学科長です。
ちょっと羨ましい時代ですね。 そうかもしれないね。暗い感じのね。
僕の印象ね、これ旗から見た映像舞台は、渋い感じが大人な感じすごいしたかな。
どんな雰囲気でした?
常に一期生って言っても、短大時代があったりとかもするから。
例えば僕も実は空間芸術デザイン学科の一期生やけど、短大のインテリアデザインコースの先輩とかは同じ校舎にいたりして、
その先輩がいきなりバスケ部入れようとか言ってきたりとかするような感じなんで、先輩がいないっていう感じもそんなにないっていうか。
多分それ一緒かな。
それで言うと、僕は一浪してるんですけど、現役の時はそれこそグラフィックデザイン系の学科を受けてたくちで、
造形体の情報デザイン学科は当時すごく関西では結構深刻かった大げさだけど、すごい狭きもんで難しいかなっていうか、
大小に入れてなかったんで、他の大学のグラフィックデザイン学科とか受けてて、
そもそも高3の夏ぐらいから美大の勉強を始めたりだったんで浪人したんですけど、
浪人して映像学科に行きたいなっていう思いになった時に、ちょうど京都造形技術大学が短大が4大になるっていうタイミングで、短大にある学科が4大の学科になりますよ。
それでその映像コースっていうのが短大がなくなるから、4大の学科になるっていうことで会おけたいなと思ったわけですよ。
倍率もそれなりにあったけど、たまたま合格することができて入ったんですけど、映像舞台芸術学科で、今話してくれたみたいに太田翔吾さんっていう人が学科長で、
舞台コースっていうのが新設されて、映像コースは昇格したっていうことなので、舞台の影響のほうが強かったというか、
1回生、2回生は舞台、映像も舞台もそれぞれの借り際もやるんですよ。舞台の人もビデオカメラを買って映像を撮るし、編集をするし、我々も日舞踊ったり、
三階塾っていうアングラ系の舞踊のカンパニーの先生が来て、すごい15分ぐらいかけてゆっくり立ち上がる授業があったりとか、寝そべってそういう身体表現みたいなのをやったりとかっていうのもあって、
すごい実験の中にいるっていうか、カリグラムそのものがすごい、いろいろ迷いながら、その感じはすごい、今振り返るとよかったなっていうか、学校もチャレンジしてたっていうか、
映像はもちろん、例えばドキュメンタリー作家の佐藤誠監督っていう人とか、すごい自分も影響を受けたっていう、いい授業をしてくださった方々もいたりとかいるんですけど、
元々おられる方が中心だから、そういう意味では延長上って感じだけど、舞台はその位置から出来上がったし、それこそ宮沢京さんとかが当時いたりとか、結構気合の入った講師人、教授人ではあったので、
その春秋座っていうのも、当時はまだ工事中だった。まだ出来てなくて、2回生になった時ぐらいかな。
でもその春秋座とスタジオ21っていうのがあって、スタジオ21は結構学生が使えて、そこを部室みたいな感じで実践しながらやれたっていうのはすごい、教育上もよかったと思うし、スタジオ21とかが出来てからの方がより学生生活も充実していたっていう感じはありますね。
大学卒業、卒業する前ぐらいこのチラシすごいなって思ったチラシがあって。
誰がデザイナーやった?
それはパパタラフマラっていう。
笠井さん。
笠井香織さんのパパタラフマラという劇団でもないのかパフォーマンス集団みたいな人たちのチラシを見てすごいデザイン。
素敵なデザインやなと思ってたわけよ。
それが2004年とかその後2018年とかに笠井さんとお仕事するっていうことがきて。
それは野生のベリージャムっていう小島ひじりさん俳優の方が旅をされ、山を結構ガチで登られたりとかしてて。
ジョンミュアトレイルってアメリカのロングトレイル歩いた話とかモンブランとか行った話とかアラスカの話とかってそういう旅のエッセイの本なんだけど。
写真と文章みたいな。
写真は多分同行した写真家さんの写真が間に入るみたいな感じだったんだけど。
それのときに笠井さんにお願いしたいって言われて依頼してご一緒して。
笠井さんとはその後、そのときも帯をデザインするときに、帯って基本、そのときは推薦文を著名人からもらった推薦文があって入ってるんだけど、
その推薦文だけじゃなくてキャッチコピーというかを入れたい出版社としては。
そういう原稿を用意しておくったら、それが入ってないデザインが上がってきて、このキャッチコピー入れたいんですけどっていう話をしたら、すごい怒られて。
誰に?
笠井さんに。
すごい怒られてっていうのは主観的なあれかもしれないけど、入るべきではないんですっていうことをすごい言われて、はぁってなったんだけど。
でもそのときは本当に仕事に向き合ってるから、仕事上の普通のやり取りなんですよ。
でもそれを自分で振り返ると、あの笠井香織に怒られてるっていう嬉しさみたいな。
20年、2004年の自分がさ。
分かる分かる。
っていうこととか、あるいは自分がそういう、笠井さんもそうだけど、漠然と好きだったりしたもの。
例えば結構自分は、美奈川明さんがすごい好きだった。
それって大学の卒業して働く前、2005年ぐらいにスパイラル、美奈ペル本年ってスパイラルで5年ごとに展示をやっておられるんだけど。
2005年に行ったときの展示で本買ったりとかしてて、すごい素敵な服やなっていうので。
真女はああいう服着るんですか?
なんかああいう、ちょっとガーリーのものが好きだった時期があって。
そうそう、学生の頃そういうちょっとファッションやったよな。
そう、当時は。すごい古着が好きで。
まあいいわ、ちょっとごめん話長くなるんで。不って悪かった。いちいち細かく答えなくて。
とにかく好きだった。
その美奈川さんの本を作った。
の本を、それは2020年か。
真女は別に何年かもういいですけど、とにかく短く喋って。
関西と東京の戦いが。
思いをちゃんと伝えないといけない。
年号に思いは伝わらんからいらんですよ、ということで。
とにかく作ったってこと?
美奈川さん、つづくてんという展示があった時に、そのズロコ制限者が作って。
それは自分は直接の担当ではなかったんだけど、
その後、つづくてんという展覧会の中で、トークイベントがたくさん行われたのよね、その展覧会で。
トークシュー。
トークイベントをまとめたドキュメントブックみたいなものをやったりとか。
それは真女がやった?
それはそうそう、その流れの中で。
あとは天道木工ってバタフライスツールって、木のこういう。
柳総理の?
そうそう、その天道木工を、それこそ当時、学生当時、カーサブルータス、まだ発刊したてのカーサブルータスとかで柳総理特集とかあって。
めっちゃかっこいいなって思ってた、その天道木工さんの本を2022年くらいに。
だから年号言わんでいいって言ってるよ。
一緒にお仕事したかった方とか憧れてた方と作ったことが幸せだったってこと?
そうですね、それが何か話したみたいに、天道木工の本を作りたいんですっていう企画をあげるんじゃなくて、
そういう話がいろんな関係者の中で自分のところにやってきて、それを形にできたみたいな、そういうことが続けてるとあるし、
さっきの笠井さんだったり、三永さんだったりとか、多分当時の自分からしたら信じられないことが自然と起こってるっていうことをちょっと俯瞰したら、すごい幸せな仕事をさせてもらってるんだなって思う瞬間があるというか。
それは俺も何かわかるわ。遠くから見たらな、とか過去の自分が見たら、おーってなるようなことがあるよね。
怒られてることでさえもそう思えるわけやから。でも信じられないようなことは起きるね。
今回は信條さんの学生時代の話から編集者として作ってきて。
やりがいとかな。喜びみたいな。