こんにちは。
上田カナヨです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
僕がまず見た目を説明しておきますと、着物で今日来られております。
これがまずビビったところ。
ビビったところ。
そして靴。これスイカの柄の靴を履いています。
皆さん想像できましたか?
着物にスイカの柄の靴を履いてきています。
そして帽子もなぜかかぶっている。
こういう見た目の人ですから。
素敵です。
想像して聞いてくださいね。
はい。
早速なんですけど、大半の自己紹介をお願いしてもいいですか?
はい。私、上田カナヨの自己紹介ですね。
3歳から詩を作ってるんですね。
でも子供はみんな詩人。
ただ私の母親は詩人で、
劇書きとか録音とかしてくれてたんね。
小さい時のものが残ってるっていう意味で、3歳から詩人ですって言ってて。
17歳の時に、高校生の時に浦山で勉強しようと思って。
浦山?
吉野出身なの。奈良県の。山いっぱいのところね。
浦山があるんですか?
そうそう。うちの敷地とかじゃないよ。単に地域の浦山があって、
そこに行ってね、古典の参考書を音読してるわけ。
浦山で?
浦山で。
かっこいい。
もうそんなこと今ありますかね、この世に。
今も吉野ではそういう高校生いるんですかね。
いないいないいない。いないけど、歩いて行って、
木の下で徒歩とかリハーグとか音読してたら、
シャボン玉みたいな声が見えた。
どういう意味?
声見えた。
すごい。
すっごい不思議な感覚で、でもね、結構あったかい感じがあって、
それを後に世界に見つけられた感じって名付けたの。
素敵。
素敵かどうか俺ちょっと判断できない。もうちょっと続けてください。
なんで私は声を出しただけで、世界が私を見つけてくれるのかっていう不思議なのよね。
もちろんこんなことはですね、思春期の私は人にしゃべれないですよ。
そうだね。
ずっと黙ってて、18歳の時に田舎家やから出てくるわけよね、京都に下宿しに。
卒業生ですから。
そして京大西部高等に入り浸るんですよ。
いろんなことの手伝いをするんだけど、そうしていく中で裏方ばっかり手伝ってるんだけど、
自分も何か表現したいかなとか、そんなことを考えていた時に、
あの感覚っていうのをもう一度やってみたいと思って朗読をすることにしたんですね。
西部高等で?
西部高等とか、あといろんな友達仲間たち集めて、いろんな場所を借りて朗読をしてみるっていう企画を主催していくわけ。
上田さん、ちょっと多分ですけど、これもういきなりストーリーが始まっていますよね。
始めた分、菜の葉ちゃんが求めたのは、上田です、詩人です、何とか何とか何とかやってます。よろしくお願いしますみたいなやつだと僕は思いました。
はい、でも聞き応えが。
引き込まれたよ。引き込まれたけど、俺別に引き込まれたからこのままでもいいんかなと思ったけど、ちょっと一回聞いてみました。
ありがとうございます。京都芸術大学の短期大学で卒業されたコースと卒業された年度と今のお仕事を軽くお願いします。
89年か90年に卒業してるんだけど、ビジュアルデザインコースです。だから高原校舎に行きましたね。
今は大阪の西成の鎌ヶ崎っていうところで、NPO法人、アートNPOですね。ココルーム、略称ココルームを運営してるんですね。
他には、堺亜津カウンシルのプログラムディレクターとか、お手前国際看護大学の非常勤とか、いろんな奈良市とか豊中とかの文化芸術の委員をしたりとか、いろんなことをしています。
ありがとうございます。すごくたくさん。ちなみに肩書きはなんて?
肩書き詩人、そして詩行家、でもこれは私が作った言葉だからなくて、詩を生業にするふうに名乗っています。
ありがとうございます。第1話では、そんな上田さんが運営されているココルームについて詳しく伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。
さっきの話の続きは、第3話にしてもらうってことだよな。
そうですね。学生時代の話とか、上田さんの原点とか。
さっきは京都に出てきたとこまでやったもんね。
もっと聞きたいけど。またそれ後で。
めっちゃじらされるな、これ。
じゃあココルームからいくんですね。
そうですね。ココルーム始まったのは2003年。始まりは西成区じゃないんですね。
奈良区の新世界、通天閣のあるところですね。そこで大阪市が現代芸術拠点形成事業というのを始めるんですね。
そこに大きなフェスチバルゲートっていうビルがあって、そこの空き店舗を活用したんです。
私の前には現代音楽のブリッジとメディアートのレモ、そしてコンテンポラリーダンスのダンスボックスっていう団体が入って、活動始めた半年後ぐらいに私はそこに参画するんですね。
現代文学の担い手としてです。
その空きスペースを活用する事業が非常に変わった仕組みで、公設、民営、家賃と水耕、熱費は大阪市が負担をしてくれるんだけど、他は何もないの。
自分たちで運営しなさいっていう仕組みで、現代芸術の振興に資することをすればいいわけよねって考えて。
私その頃30歳少し過ぎたばかりで、詩を仕事にしようとしてもしたかったの。
それで、詩を仕事にするってなかなか難しいから、大抵の人は詩を書いて詩集を売るものだと思うけど、それではなかなか仕事にならなくて。
じゃあ詩人として仕事を作るしかないと思ったのね。
場所を運営するっていうことで仕事にしようと思った。仕事にするってことは集中するってことだから、きっと現代芸術の振興に資することを一生懸命するんだろうと。
場を運営するっていう仕方で、それをやってみようと思ったのね。
場を運営しようと思ってもいかんせんお金がないから、じゃあということで喫茶店の不利をすることにしたの。
その空きスペースのお店の後なんだけど、中華料理屋さんの後を使って、舞台とか客席を作って、カフェをして、いろんな人にそこを使ってもらって、飲食店をするっていうことにしてお金を回しながら、
そこで働くのは関西で芸術とか表現を仕事にしたいと思っている若者たちが一緒に働くっていうことにして、挑戦を始めた。
その始まりがココルームで、大阪市からは10年してねって言われてたんだけど、途中で担当者が変わって、3年目にそんな約束はしてないって言われて、
あと2年間くらい本当にいろいろ頑張ったんだけど、やっぱりもう出て行ってって話になって、5年でその事業は終了するんですね。
喫茶店の不利事業?
ココルームがフェスティバルゲートで活動する、現代芸術拠点形成事業が終了する。団体としてはもう解散してもいいし、どうなってもいいわけなんだけれども、
私としてはもう少しこの実験を続けたくて、一民間となってやってみようと思って、拠点を移したのが20メートル離れた西成区で。
ほんの少し離れただけなんだけど、その鎌ヶ崎の商店街に今度はまた小さな元スナックを借りて、ココルームまた再びすぐ続けるんですね。
それからまた5年ほどして、街の様子がどんどん変わっていく中で、3分くらい南の方にちょっと移動して、今度はゲストハウスを運営しているんですね。
1階はカフェで、2階、3階をゲストハウスにして、今はそのゲストハウスを主な事業としながら、いろんな人たちが出会って、まとまっていったりするような場所を運営しています。
整理すると、でも詩人として生きていきたかった。でも詩を書いて本を出版して生きていくのは実際非常に難しい。で、そのココルームでの実験っていうことを詩にしようとしたんですか。
詩人という考え方で立ち位置でその場所を運営する。
っていう詩人の使い方というかをしていこうとされて、10年のはずが5年だったけど、そこでさっき喫茶店の不利をするっておっしゃってましたけど、それ以外何してたのかがまずお聞きしたい。
そしておそらくそこで何か手応えがあったから続けようとされてるんだと思うんですけど、どんなことがそこで起きたのかな。
365日やってたんですね。
そこにいつもいたんですか植田さん。
基本外で仕事がなければいて、それで空いてるからいろんな人たちがやってきてお芝居をしたりライブをしたりとかっていうのをそういうイベントに化したりとか自分たちの実習的なプログラムを作ったりもするんだけど、
カフェもしてるからいろんな人がやってくるのね。障害を持っている人が来たりとか隣町のその釜ヶ崎からの塾をしているような人だったりとかその支援をしている人たちだったりとか、それからニートの若者たちがいっぱい来るわけ。
一緒にご飯を食べたりするんですよ。喫茶店のフリしてるんだけどお金あんま回らないからスタッフの人たちのお給料確保するの大変やから、そうやったら私たち自分たちで作って食べようと。
それを自分スタッフだけで食べるまかないじゃなくて、それをお客さんにも食べてもらうと。お客さんにはお金もらうと。
ちょっとくれと。ないけどくれってことですね。
一緒に大皿料理を食べるんですよ。取り分けてね。お店に行って残したら捨てられるじゃないですか。あれすっごく嫌で。
取り箸で取って残ったものは次の食事に回すっていう風にすれば捨てないで済むよね。そうしたお店をしようと思ったわけ。
知らん人とご飯食べるんですよ。いつも毎日。いろんな人が来る。その人たちと静かに食べるわけにもいかなくて、
何してんですかとか、なんか面白いことあります?とか聞くよね。
そうしたらね、いろんなこと話してくれるの。困り事も話してくれるし、悩み事も話してくれる。
そういうのを聞きながら、世の中でそれが問題だとかっていう風になってなくても、あまりにも同じような悩みが多いのね。
若者たちは仕事のこととか。
ニートの悩みとか。
そうそう。そういうのを聞いて、なんかできるかしら?とかって思い始めて、とにかく場所がある。
場所があるってことは、話しづらいけどそれを話してみる場を作ってみるとか。
いろんな職業の人に来てもらって、20分ずつ仕事紹介してもらって、気になるとかって見つけていくとか、そんなことだったりとか。
あと、やっぱりコミュニケーション苦手っていう人が多かったから、演劇をやっている人たちがワークショップの手法を使って、
自分の気持ちを表したりとか、受け止めたりする、練習するとか。そんな風に、本当にみんなの話を聞くから、そこからピックアップして、事業を組み立てるっていうようなこともしてた。
だから、名付けられないようなパフォーマンスとかも、ライブハウスでも受け付けてもらえないようなパフォーマンスとか。
そういうものの発表の場でもあったけど、一方、まだ世の中にニーズとして上がってないような事柄にも取り組むっていうようなことができてたのが、フェスティバルゲートで始めたときに感じたこと。
常連さんとかはいるんですか?
ココルームっていう場は、アートNPOとして場を運営してて、一番やりたいことはその部分。
いやでも結構感動したなこれ。自分は絶対できない。
上田さんの真似ができない。
真似なんか別に。
不利はできないなと思うんですよ。やっぱり普通の喫茶店に行きたくなっちゃうから、それを運営するのもできないけど、
なんかわかる気がするっていうか、話聞いてて、これすごいな、こんなことやってる人いたんやなって今思いましたね。
いやでもね、めちゃくちゃ面白いのよ。
だからそれを、これ面白がれるとしたら、例えばその上田さんが話してくれる内容とかは面白がれるけど、直にコミュニケーションして面白がれるかなどうかなっていうのがわからんなと思って自分。
それやったことないからでしょ。
そうそう。あるんかもしれないしないんかもしれないし。
普通はそこでずっといるっていうのはなかなかできないんじゃないかなと思いながら聞いてましたけど。
わからん。どうでしょうね。
私は人と交流できる場に行きたいなと思うので、すごく気になったんですけど、
でも例えば自分がその町に住んでる学生とかだったら、すごい人とのつながりとかおしゃべりすることを求めていってしまいそうだなと思って。
だからね、学生さんとかもいらっしゃるんです?引っ込み事案の方とか、すっごい楽ですよ。
もうね、来た人勝手にしゃべってくるから、うんうんって言っとけばいいから、もうすごい楽よ。
想像がね、どれくらい想像できてるのかもわからん。その状況を。
本当に不思議。人ってこんなに幅あるんやって思うね。
確かに、言葉にならないものとかを形にしてる感じがありますね。今の印象として。
そうね、私ね、これ次の話になっちゃうんだけど、じゃあ詩って何かっていうとね、言葉と言葉にならないものでできてる。
それは言葉にしようとするからちょっとつかめるけど、でもした瞬間にもっと言葉にできないなってこぼれていくよな、もやもやするよなって思ってまた考える。
それの繰り返しやと思っていて、そんな風な場所。
何が?ここルーム?
ここルーム。でもきっとここルームにいらっしゃるお客さんからしたらすごい居心地のいい場なんだろうなと思って。
どうかな?わかんない。実は居場所っていう言葉ね、最近本当によく居場所が大事って聞かれる、言われるようになったけれども、よく言われるんです。ここルームって居場所だねって。
でも実は誰かの居場所にしちゃうと、誰か入れなくなっちゃうので。だから常に穴が開いてて誰かが出たり入ったりしてる。
誰も居場所でもないからこそ誰でもの居場所になる場所だと思ってて。だから今ちょっと私お払い箱だわって言って姿を消したりとか。
今めっちゃ楽しいけど今私自分のことしようと思って抜けたりとか、私もそうしてるし、みんながちょっとずつその場所をみんなのものにするための振る舞いっていうか、そういうのを大事にしてると思う。
実際宿泊業だしカフェだからみんな出たり入ったりするの本当に。
現在のここルームね。
喫茶店の振りもそうだし、ずっといるわけにはいかなくて、そうやってこう人が入れ替わっていくことっていうのが大事なんやろうな。循環していくことが大事。
ありがとうございます。
たくさんここルームについてお伺いしたんですけど、そろそろ1話のエンディングの時間となりました。
今回は上田さんが運営されているここルームについて伺いました。
インクルーシブデザインとか言ってるけどさ、世の中なんなんやろと思いましたね。
これなんなんやろみたいな。ちょっと捉えきれてないです、私。
ありがとうございます。
次回は鎌ヶ崎芸術大学について詳しく伺っていきたいと思います。
また違うのが出てくるの?ここルームさえよくわからないのに、次また新しいの出てくるの?
いや、もう面白いですよ。
もう行きましょうか。
ありがとうございました。
上田さんどうもありがとうございました。
どうもありがとう。
ありがとうございました。