1. 芸術・デザインをひもとく芸大ラジオmymy
  2. 【8-1】NPO法人ココルームが「..

詩人として、釜ヶ崎でインクルーシブデザインまたはアーティスト・コレクティブのような活動を続ける、国宝級の「生き様」。詩は言葉と言葉にならないものでできている。
“芸大ラジオmymy”は京都芸術大学の開学50th(2027)を記念して始まった、芸術・デザインをひもとくラジオです。

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URL

上田假奈代

http://www.kanayo-net.com/

スイカの靴(上田假奈代Facebook)
https://www.facebook.com/kanayo.ueda/posts/pfbid02UrYsAojREkU4uCHitPGp8qTYzsoRaECukoQ8Bp9jgvMtCu3jAUS2ZCciJ1TLwQVjl

西部講堂(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E8%A5%BF%E9%83%A8%E8%AC%9B%E5%A0%82

京都芸術短期大学高原校舎(WARO KISHI + K.ASSOCIATES)

https://k-associates.com/works/takahara_campus/
ココルーム(特定非営利活動法人こえとことばとこころの部屋)

http://cocoroom.org/

堺アーツカウンシル(堺市)

https://www.city.sakai.lg.jp/kanko/bunka/art_katsudoshien/sakai_artscouncil/artscouncil_main.html

大手前大学国際看護学部

https://www.otemae.ac.jp/jukensei-navi/faculty-nurse/

奈良市文化振興計画推進委員会

https://www.city.nara.lg.jp/site/shingikai/10100.html

豊中市文化芸術振興審議会

https://www.city.toyonaka.osaka.jp/joho/keikaku/shingikai/fuzokukikan/soshikibetsu/tosikaturyoku/tosikatu/geijutsu/index.html

フェスティバルゲート(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88

スタッフもお客さんも一緒に大皿料理を食べる/恩送りチケット(no+e ココルームの日々)

https://note.com/cocoroom/n/nc1e24c470250

サマリー

今回のエピソードでは、NPO法人ココルームの上田カナヨさんが共に居ることの大切さや「場を作る」意味について語ります。また、喫茶店のフリを通じて、さまざまな人々に開かれた居場所を提供し、皆が集まるコミュニティづくりに挑戦している様子が紹介されます。ココルームは、さまざまな人々が交流し、居場所を共有することを目的とした場です。喫茶店のように振る舞いながら、困難を抱える人々とのつながりを大切にし、相互にサポートする仕組みが参加者のコミュニケーションを促進しています。

ココルームの紹介
皆さん、こんにちは。芸大ラジオmymyです。
芸大ラジオmymyは、京都芸術大学の人気先生、坂井先生と、舞台芸術を学ぶ学生の私、谷口菜の葉がお送りする芸術・デザインのラジオです。
様々な領域で活躍する人たちや先生をお招きしておしゃべりをします。
未だに芸術・デザインは、絵が上手いこととか、あるいは自分とは関係ない遠い物事と感じておられる方が多いと思うのですが、
すごく身近で生活のそばにあるものなので、その辺の誤解も解いていけたらと思います。
改めまして、菜の葉です。よろしくお願いいたします。
そして、
はい、京都芸術大学の先生の坂井です。
お願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日もこの2人でゲストを招きしたいと思います。
前回は、映像作家・ディレクターの山城大輔さんに来ていただきました。
私は山城さんと坂井さんの思わぬ共通点が面白かったなと思って、
異動とか、
背が高いとか。
それもそうですね、確かに。
あとは、肩書きとかが難しいよねって意気投合されていて。
ああ、そうね。
今日のゲストの方も肩書き難しそうな気がしますけどね。
いろんなことをされていると。
そう、いろんなことをやっていると肩書き難しいよね。
ところで今回のゲストなんですが、
詩人、NPO法人、声と言葉と心の部屋、通称ココルーム、代表理事をされている方です。
理事。
はい。ココルームってご存知ですか?
俺?
はい。
知らない。すみません。
今日もたくさん聞けると思うので。
今日それを教えてもらえるんやろ?
はい。
ココルームについて詳しく聞いていけたらなと思います。
では早速お招きしましょう。
上田カナヨさん、どうぞよろしくお願いいたします。
はい、こんにちは。
場を作る意義
こんにちは。
上田カナヨです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
僕がまず見た目を説明しておきますと、着物で今日来られております。
これがまずビビったところ。
ビビったところ。
そして靴。これスイカの柄の靴を履いています。
皆さん想像できましたか?
着物にスイカの柄の靴を履いてきています。
そして帽子もなぜかかぶっている。
こういう見た目の人ですから。
素敵です。
想像して聞いてくださいね。
はい。
早速なんですけど、大半の自己紹介をお願いしてもいいですか?
はい。私、上田カナヨの自己紹介ですね。
3歳から詩を作ってるんですね。
でも子供はみんな詩人。
ただ私の母親は詩人で、
劇書きとか録音とかしてくれてたんね。
小さい時のものが残ってるっていう意味で、3歳から詩人ですって言ってて。
17歳の時に、高校生の時に浦山で勉強しようと思って。
浦山?
吉野出身なの。奈良県の。山いっぱいのところね。
浦山があるんですか?
そうそう。うちの敷地とかじゃないよ。単に地域の浦山があって、
そこに行ってね、古典の参考書を音読してるわけ。
浦山で?
浦山で。
かっこいい。
もうそんなこと今ありますかね、この世に。
今も吉野ではそういう高校生いるんですかね。
いないいないいない。いないけど、歩いて行って、
木の下で徒歩とかリハーグとか音読してたら、
シャボン玉みたいな声が見えた。
どういう意味?
声見えた。
すごい。
すっごい不思議な感覚で、でもね、結構あったかい感じがあって、
それを後に世界に見つけられた感じって名付けたの。
素敵。
素敵かどうか俺ちょっと判断できない。もうちょっと続けてください。
なんで私は声を出しただけで、世界が私を見つけてくれるのかっていう不思議なのよね。
もちろんこんなことはですね、思春期の私は人にしゃべれないですよ。
そうだね。
ずっと黙ってて、18歳の時に田舎家やから出てくるわけよね、京都に下宿しに。
卒業生ですから。
そして京大西部高等に入り浸るんですよ。
いろんなことの手伝いをするんだけど、そうしていく中で裏方ばっかり手伝ってるんだけど、
自分も何か表現したいかなとか、そんなことを考えていた時に、
あの感覚っていうのをもう一度やってみたいと思って朗読をすることにしたんですね。
西部高等で?
西部高等とか、あといろんな友達仲間たち集めて、いろんな場所を借りて朗読をしてみるっていう企画を主催していくわけ。
上田さん、ちょっと多分ですけど、これもういきなりストーリーが始まっていますよね。
始めた分、菜の葉ちゃんが求めたのは、上田です、詩人です、何とか何とか何とかやってます。よろしくお願いしますみたいなやつだと僕は思いました。
はい、でも聞き応えが。
引き込まれたよ。引き込まれたけど、俺別に引き込まれたからこのままでもいいんかなと思ったけど、ちょっと一回聞いてみました。
ありがとうございます。京都芸術大学の短期大学で卒業されたコースと卒業された年度と今のお仕事を軽くお願いします。
89年か90年に卒業してるんだけど、ビジュアルデザインコースです。だから高原校舎に行きましたね。
今は大阪の西成の鎌ヶ崎っていうところで、NPO法人、アートNPOですね。ココルーム、略称ココルームを運営してるんですね。
他には、堺亜津カウンシルのプログラムディレクターとか、お手前国際看護大学の非常勤とか、いろんな奈良市とか豊中とかの文化芸術の委員をしたりとか、いろんなことをしています。
ありがとうございます。すごくたくさん。ちなみに肩書きはなんて?
肩書き詩人、そして詩行家、でもこれは私が作った言葉だからなくて、詩を生業にするふうに名乗っています。
ありがとうございます。第1話では、そんな上田さんが運営されているココルームについて詳しく伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。
さっきの話の続きは、第3話にしてもらうってことだよな。
そうですね。学生時代の話とか、上田さんの原点とか。
さっきは京都に出てきたとこまでやったもんね。
もっと聞きたいけど。またそれ後で。
めっちゃじらされるな、これ。
じゃあココルームからいくんですね。
そうですね。ココルーム始まったのは2003年。始まりは西成区じゃないんですね。
奈良区の新世界、通天閣のあるところですね。そこで大阪市が現代芸術拠点形成事業というのを始めるんですね。
そこに大きなフェスチバルゲートっていうビルがあって、そこの空き店舗を活用したんです。
私の前には現代音楽のブリッジとメディアートのレモ、そしてコンテンポラリーダンスのダンスボックスっていう団体が入って、活動始めた半年後ぐらいに私はそこに参画するんですね。
現代文学の担い手としてです。
その空きスペースを活用する事業が非常に変わった仕組みで、公設、民営、家賃と水耕、熱費は大阪市が負担をしてくれるんだけど、他は何もないの。
自分たちで運営しなさいっていう仕組みで、現代芸術の振興に資することをすればいいわけよねって考えて。
私その頃30歳少し過ぎたばかりで、詩を仕事にしようとしてもしたかったの。
それで、詩を仕事にするってなかなか難しいから、大抵の人は詩を書いて詩集を売るものだと思うけど、それではなかなか仕事にならなくて。
じゃあ詩人として仕事を作るしかないと思ったのね。
場所を運営するっていうことで仕事にしようと思った。仕事にするってことは集中するってことだから、きっと現代芸術の振興に資することを一生懸命するんだろうと。
場を運営するっていう仕方で、それをやってみようと思ったのね。
場を運営しようと思ってもいかんせんお金がないから、じゃあということで喫茶店の不利をすることにしたの。
その空きスペースのお店の後なんだけど、中華料理屋さんの後を使って、舞台とか客席を作って、カフェをして、いろんな人にそこを使ってもらって、飲食店をするっていうことにしてお金を回しながら、
そこで働くのは関西で芸術とか表現を仕事にしたいと思っている若者たちが一緒に働くっていうことにして、挑戦を始めた。
その始まりがココルームで、大阪市からは10年してねって言われてたんだけど、途中で担当者が変わって、3年目にそんな約束はしてないって言われて、
あと2年間くらい本当にいろいろ頑張ったんだけど、やっぱりもう出て行ってって話になって、5年でその事業は終了するんですね。
喫茶店の不利事業?
ココルームがフェスティバルゲートで活動する、現代芸術拠点形成事業が終了する。団体としてはもう解散してもいいし、どうなってもいいわけなんだけれども、
私としてはもう少しこの実験を続けたくて、一民間となってやってみようと思って、拠点を移したのが20メートル離れた西成区で。
ほんの少し離れただけなんだけど、その鎌ヶ崎の商店街に今度はまた小さな元スナックを借りて、ココルームまた再びすぐ続けるんですね。
それからまた5年ほどして、街の様子がどんどん変わっていく中で、3分くらい南の方にちょっと移動して、今度はゲストハウスを運営しているんですね。
1階はカフェで、2階、3階をゲストハウスにして、今はそのゲストハウスを主な事業としながら、いろんな人たちが出会って、まとまっていったりするような場所を運営しています。
実験と挑戦
整理すると、でも詩人として生きていきたかった。でも詩を書いて本を出版して生きていくのは実際非常に難しい。で、そのココルームでの実験っていうことを詩にしようとしたんですか。
詩人という考え方で立ち位置でその場所を運営する。
っていう詩人の使い方というかをしていこうとされて、10年のはずが5年だったけど、そこでさっき喫茶店の不利をするっておっしゃってましたけど、それ以外何してたのかがまずお聞きしたい。
そしておそらくそこで何か手応えがあったから続けようとされてるんだと思うんですけど、どんなことがそこで起きたのかな。
365日やってたんですね。
そこにいつもいたんですか植田さん。
基本外で仕事がなければいて、それで空いてるからいろんな人たちがやってきてお芝居をしたりライブをしたりとかっていうのをそういうイベントに化したりとか自分たちの実習的なプログラムを作ったりもするんだけど、
カフェもしてるからいろんな人がやってくるのね。障害を持っている人が来たりとか隣町のその釜ヶ崎からの塾をしているような人だったりとかその支援をしている人たちだったりとか、それからニートの若者たちがいっぱい来るわけ。
一緒にご飯を食べたりするんですよ。喫茶店のフリしてるんだけどお金あんま回らないからスタッフの人たちのお給料確保するの大変やから、そうやったら私たち自分たちで作って食べようと。
それを自分スタッフだけで食べるまかないじゃなくて、それをお客さんにも食べてもらうと。お客さんにはお金もらうと。
ちょっとくれと。ないけどくれってことですね。
一緒に大皿料理を食べるんですよ。取り分けてね。お店に行って残したら捨てられるじゃないですか。あれすっごく嫌で。
取り箸で取って残ったものは次の食事に回すっていう風にすれば捨てないで済むよね。そうしたお店をしようと思ったわけ。
知らん人とご飯食べるんですよ。いつも毎日。いろんな人が来る。その人たちと静かに食べるわけにもいかなくて、
何してんですかとか、なんか面白いことあります?とか聞くよね。
そうしたらね、いろんなこと話してくれるの。困り事も話してくれるし、悩み事も話してくれる。
そういうのを聞きながら、世の中でそれが問題だとかっていう風になってなくても、あまりにも同じような悩みが多いのね。
若者たちは仕事のこととか。
ニートの悩みとか。
そうそう。そういうのを聞いて、なんかできるかしら?とかって思い始めて、とにかく場所がある。
場所があるってことは、話しづらいけどそれを話してみる場を作ってみるとか。
いろんな職業の人に来てもらって、20分ずつ仕事紹介してもらって、気になるとかって見つけていくとか、そんなことだったりとか。
あと、やっぱりコミュニケーション苦手っていう人が多かったから、演劇をやっている人たちがワークショップの手法を使って、
自分の気持ちを表したりとか、受け止めたりする、練習するとか。そんな風に、本当にみんなの話を聞くから、そこからピックアップして、事業を組み立てるっていうようなこともしてた。
だから、名付けられないようなパフォーマンスとかも、ライブハウスでも受け付けてもらえないようなパフォーマンスとか。
そういうものの発表の場でもあったけど、一方、まだ世の中にニーズとして上がってないような事柄にも取り組むっていうようなことができてたのが、フェスティバルゲートで始めたときに感じたこと。
常連さんとかはいるんですか?
ボランティア活動の現場
常連さんも、やがてもちろんいるんです。
いっつも飯食う人やね。
そうね。
そして軍書で手伝ってくれたりとか。
もちろん、もちろん。ボランティアの方もたくさん来てくれて。そのボランティアの中にも、すごい不思議な人が混じってて、なかなか困ることいっぱいあるんですよ。
例えば?
例えば、窓拭いてねって頼むでしょ。そしたらチラシとかポスター貼ってあるじゃないですか。ベリベリって破れるんですよ。
破る?
そう、窓拭くから。どういうことなんやろって考えて、いつの間にかいろんな人たちが知り合いになっててね。若者支援をしてる専門家がいたの。
その人にちょっと聞いてみたのね。そしたら、まあその果たす障害というか、そういう障害だろうと。
こういう人にコミュニケーションを取るときは、そのポスターの部分は破らないで、その周りを拭いてねっていうふうに言うとか、
言葉で話して伝わらない人には、例えば書いて伝えるとか、そういうのはいろんなコツも教えてもらったりとかしながらですね、
なんかハリッとあらゆる人がやってきました。
それが面白かったということで。
そう、面白くて、不利って言ってるとこが絶妙でね。
恩送りチケットの仕組み
たぶん本当の喫茶店だったら、注文をしてお金払える人がお客さんじゃないですか。
でも不利なので、いろんな人が来ていろんなことと関わることが、なんていうのかしら、面白がる店なんですよ。
今だったらお金がない人が来ても、恩送りチケットって言って寄付の仕組みを作っていて、
お財布豊かな人が誰かの分の食べ物代とかコーヒー代を払ってくれてるんですね。
今?
今。そういうチケットがあるの。
おしゃれやね。
で、本当に今もう何もないねっていう人が来たときに、
そりゃうちだって食べてもらいたいし飲んでもらいたいけど、かっこもできひんわけですよ、お商売している身ですか。
でもこの恩送りチケットがあるから、どうどう巻き金なくねっていうこともできる。
もちろん運用は難しいですよ。この人が毎日毎日それ使うっていうのは、じゃあどうだろうとかっていうことももちろんあるから運用は難しいけれども、
でも本当に困った人たちっていらっしゃることが実はあるので、大変そうした仕組みを使って何とかやってますよ。
上田さんはこのつながりの場を作るっていうことを支援としての表現として、表現しながら待ちのためになっている。
いやでもね、待ちのためとか誰かのためとかね、あんま思ってなくて、そうなんですよって。
そうそう、やっと20年あって言葉にできたんだけど、聞いたら困っていらっしゃる人、社会的弱者とかね、
そういう人たちと関わってるのねって思われるかもしれないんだけど、
彼らが一緒にご飯食べたりとかね、話してるときに、自分の中にある何か大事にしてるものっていうのを差し出してくれることがあって、言葉として。
めっちゃくちゃいいのよ。
なるほどな。
めっちゃ面白いの。
なんとなく想像だけですけど。
このこと聞けてよかったって思って、めっちゃ励まされてるのね。
だから本当に苦労されてる方たちっていうのが、持ってる力っていうのは実はすごくあって、
それなのに支援しなくちゃいけない存在、お手伝いしなきゃいけないっていう、される存在に閉じ込められてるのってめっちゃくちゃもったいないなと思ってて、
そこに関わっていけるのって、一緒に表現の場を作っていくことによってできるんちゃうかなって思ってるんですよね。
居場所の再考
ココルームっていう場は、アートNPOとして場を運営してて、一番やりたいことはその部分。
いやでも結構感動したなこれ。自分は絶対できない。
上田さんの真似ができない。
真似なんか別に。
不利はできないなと思うんですよ。やっぱり普通の喫茶店に行きたくなっちゃうから、それを運営するのもできないけど、
なんかわかる気がするっていうか、話聞いてて、これすごいな、こんなことやってる人いたんやなって今思いましたね。
いやでもね、めちゃくちゃ面白いのよ。
だからそれを、これ面白がれるとしたら、例えばその上田さんが話してくれる内容とかは面白がれるけど、直にコミュニケーションして面白がれるかなどうかなっていうのがわからんなと思って自分。
それやったことないからでしょ。
そうそう。あるんかもしれないしないんかもしれないし。
普通はそこでずっといるっていうのはなかなかできないんじゃないかなと思いながら聞いてましたけど。
わからん。どうでしょうね。
私は人と交流できる場に行きたいなと思うので、すごく気になったんですけど、
でも例えば自分がその町に住んでる学生とかだったら、すごい人とのつながりとかおしゃべりすることを求めていってしまいそうだなと思って。
だからね、学生さんとかもいらっしゃるんです?引っ込み事案の方とか、すっごい楽ですよ。
もうね、来た人勝手にしゃべってくるから、うんうんって言っとけばいいから、もうすごい楽よ。
想像がね、どれくらい想像できてるのかもわからん。その状況を。
本当に不思議。人ってこんなに幅あるんやって思うね。
確かに、言葉にならないものとかを形にしてる感じがありますね。今の印象として。
そうね、私ね、これ次の話になっちゃうんだけど、じゃあ詩って何かっていうとね、言葉と言葉にならないものでできてる。
それは言葉にしようとするからちょっとつかめるけど、でもした瞬間にもっと言葉にできないなってこぼれていくよな、もやもやするよなって思ってまた考える。
それの繰り返しやと思っていて、そんな風な場所。
何が?ここルーム?
ここルーム。でもきっとここルームにいらっしゃるお客さんからしたらすごい居心地のいい場なんだろうなと思って。
どうかな?わかんない。実は居場所っていう言葉ね、最近本当によく居場所が大事って聞かれる、言われるようになったけれども、よく言われるんです。ここルームって居場所だねって。
でも実は誰かの居場所にしちゃうと、誰か入れなくなっちゃうので。だから常に穴が開いてて誰かが出たり入ったりしてる。
誰も居場所でもないからこそ誰でもの居場所になる場所だと思ってて。だから今ちょっと私お払い箱だわって言って姿を消したりとか。
今めっちゃ楽しいけど今私自分のことしようと思って抜けたりとか、私もそうしてるし、みんながちょっとずつその場所をみんなのものにするための振る舞いっていうか、そういうのを大事にしてると思う。
実際宿泊業だしカフェだからみんな出たり入ったりするの本当に。
現在のここルームね。
喫茶店の振りもそうだし、ずっといるわけにはいかなくて、そうやってこう人が入れ替わっていくことっていうのが大事なんやろうな。循環していくことが大事。
ありがとうございます。
たくさんここルームについてお伺いしたんですけど、そろそろ1話のエンディングの時間となりました。
今回は上田さんが運営されているここルームについて伺いました。
インクルーシブデザインとか言ってるけどさ、世の中なんなんやろと思いましたね。
これなんなんやろみたいな。ちょっと捉えきれてないです、私。
ありがとうございます。
次回は鎌ヶ崎芸術大学について詳しく伺っていきたいと思います。
また違うのが出てくるの?ここルームさえよくわからないのに、次また新しいの出てくるの?
いや、もう面白いですよ。
もう行きましょうか。
ありがとうございました。
上田さんどうもありがとうございました。
どうもありがとう。
ありがとうございました。
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