山城大督と学生の交流
こんにちは、芸大ラジオmymyです。アシスタントの谷口七葉と、デザイナーの坂井洋介さんです。
はい、坂井洋介です。よろしくお願いします。
お願いします。本日もこの2人でゲストを招きしていきます。
今回も映像作家・ディレクターの山城大督さんに来ていただいております。
前回は学生時代の学びから自己肯定感の教えとかまで、パーソナルな部分について伺いました。
俺の学生の時と山城さんって、かぶってるのかかぶってないのかあんまりよくわからないですけど、似たような感じの時なんで。
それでさっき、一緒にお昼ご飯食べてる時は、僕の卒生のこと褒めてくれるっていう打ち合わせで言ってたんですけど、それがなくなって残念でした。
まあ、またいつかね。あるといいなと思いますけど。
いいですか?してもいいですか?
しなくていい、しなくていい。もうこの回はね、時間との戦いなんでね。
そうですね、盛り盛りなんで。頑張っていきましょう。
早速なんですけど、山城さんの教え子のアートプロデュースコースの3回生のジンボートキさんっていう方とちょっと交流がありまして、
はい。いつも結構話題に上がってるので、どういう人かとかエピソードがあるかっていうのを聞いてきたんで、読み上げます。ちゃんとこう。
すごいじゃん、なんか原稿みたいになってる。
ちゃんと原稿みたいに書いてくれました。まずエピソードからなんですけど。
去年の12月に授業内で企画をする授業があり、クライアント先にプレゼンする日がありました。
その日のプレゼンはうまくいかず、修了後学生の雰囲気はダダ下がりでした。
この後どんなテンションで授業をするのかなと思っていると、山城さんが最近あったハッピーなことを言おうと言い、一人ずつ言うことになりました。
私は何言ってんだ山城さんと終始引き目に見ていましたが、いざ始まると本当にみんなのテンションが上がりハッピーになって立ち直すことができました。
本当にこの出来事は山城さんに感謝していますし、他の人にはできない山城式空気づくりだと思いました。
これ恥ずかしやろな山城さん。
今もうなんてコメントしたらいいんだろうと思いながら。
山城先生はどんな人か。
陽気な人と言われたらまず思いつく人です。
学生と先生という立場はあるものの、楽しむ時は学生に気を遣わせず本気で楽しむふざけてくれる人です。
授業開始前には緊急報告や学生の髪型の変化に話を振ってある程度テンションを上げてから授業につなげてくれるので、学生としてはとてもありがたいし、山城大輔の天性の才能だと思います。
ただふざけたおじさんではありません。
また私は山城さんの会社の企画したアートプロジェクト、アートサイト名古屋城にお邪魔したことがあるのですが、その時はいつもの陽気な山城さんではなく真剣な眼差しで動画を撮ったり、アーティストとしてエッセンシャルオイルの抽出、解説をしていて講師の切り替えに尊敬しました。
大変なこともあると思いますが、そんな中でいつもユーモラスで陽気な生き方をしている人です。私もこんな40代になりたいです。とのことです。
いつも山城先生が大好きみたいな感じのことをずっと言っているので。
井戸掘りの計画
いいね。そんな応援してくれる人いていいな。
推薦文みたいなのをいただきまして、光栄に感じております。
どうですか?
そうですね。照れくさい気持ちもありますが、必死に盛り上げようと頑張っている姿が全部お見通しで見られてるんやなっていうのを感じて、逆に分析されてちょっと恥ずかしい気持ちでいますね。
結構学生と密に関わっているっていう印象を持ったんですけど、どうですか?
どこまで関わったら密なのかなって思いながらいつも付き合ってて、友達ではない。
でも先生と生徒みたいな形だけで自分が経験したことを全部渡せると思えないし、技術として渡せる部分もあるけど全部技術じゃなかったりするし、
その人が持ってるものを伸びていったら、僕なんかはるかに僕が持ってないものをうまく成長させるかもしれないしっていうので、すごい迷いながらやってるんやなっていうことが分かりました。
ありがとうございます。
さて、今日は絵増しろさんからお土産をなんといただいています。
どこにあるお土産?
こちらにあります。
今日収録にあたって近所のものとか何かちょっとお話になるようなものを持ってきてねっていう声をもらってたので、今日は持ってきたのはこちらなんです。
かわいい。
水?
そうです。
組んできた?
素敵。
瓶がかわいいな。
めっちゃかわいいですね。
この水場に道田高校って言って美術高校が移転したんで、今使われてない。
名前も変わった?
今ね、小池中学校の付属施設みたいな形で使われてるんですけど、そこによくお酒飲んで歩いて帰ったりとかしてると、なんか人めっちゃ溜まってるっていうか車で来てる人とかいてて、何してんのかなと思ったら水汲んでるんですよね。
水汲んでると思って、話聞くとここの水おいしいよとか言って、みんな首に来てるよみたいな、みんなって誰?って言って。
で、汲んで、よくそこで川洗ったり、夏になったら川洗ったりとか飲んで帰ったりとかしてて、場所としては河原町丸田町ちょっと下がったとこなんで、街中なんですけど、こんなところで水飲めんの?みたいなんで、めちゃくちゃ感動したんですよ。
で、子どもたちも近くで遊んだりしてるから、小学生普通に飲んだりしてるんですよ、この水。
いい音してるね。
ありがとうございます。
いい音。
めっちゃいい音してる。
で、今日はそれをね、11時頃に汲んできました。
ありがとう。
ありがとうございます。
ぐびぐびっと飲んでください。
すごい。
素敵なグラスも。
そうでしょう。
いろいろね、個物とかが好きで。
もう飲んでいいですか?
どうぞ。
いただきます。
おいしいな。
ね、なんか、なんて言うのかな、こう、スッとするっていうか、水ってやっぱ面白くて、味があったらダメなわけじゃないけど、甘いねとか、すっきりするねとか、そういうのじゃなくて、なんか、
筋が通ってるか通ってないかみたいなのとか、なんか、僕はこれ何回か飲んでるから、こう、同じ場所に帰れるみたいな気持ちになるんですよ。
なんか、それがやっぱ面白いなと思ってますね。
これ、家から近くにあるんですよね。
そう、歩いて5分ぐらい。
めっちゃいいな。
でね、その、ここから、なんか、その、自分の展望みたいな話になってくんですけど。
ちょっとひょんなことから、土地を取得することになって、町柳あたりなんですけど、そこに井戸掘るっていうことをすることになったんです。
で、調べていくと、自分で掘ったりできるらしいんですけどね。
めちゃくちゃ大変っぽくて。
で、掘るかってなったんですよ。
でも、その土地、もともとなんか井戸があったらしくて。
なったってのはどういうこと?誰となったんですか?
私の中でです。
私だけです。
私と家族ですね。
家族で、そこの場所に拠点と自宅みたいなのを作ることになって。
で、町柳に?
じゃあ、引っ越そうとしてるわけですね、この水の近くから。
そこで、家でもあるんですけど、もっと開かれたインフラみたいなのを、本当にさっき言ってたアートがアートっていう発行の中に入らずに、みんなの人生の中にあるものにしていくためには、公共事業をやったりとか、大学を教えるとかもその一つだと思ってやってるんですけど。
それだけじゃなくて、自分の生活みたいなのとかも、もっと開かれた場所にしていきたいと思ってて。
その中で、もともとその場所に土地に井戸があったっていうのを聞いて、調べ始めたら、まあ、案外安くで井戸が掘れると。
で、これは京都の立地だからこそできる話らしいんですね。
京都って深井戸、浅井戸ってあって、30メートルぐらい掘ると必ず日本って水脈にぶち当たるんですよ。
深井戸の方が安定した水質が出てくるから推奨されてるんですけど、8メートルぐらい掘ったら水出てくるから、ここならいいんじゃないかと思って。
井戸掘り屋さんに連絡して、そうしたら親子でやってるいい感じの人が来て、
ああ、もうこの辺りだったらすぐ出ますよみたいな。
めっちゃ調子いい感じだなと思って、はい、じゃあ今度は掘りましょうみたいなんで、これから掘るところなんですよね。
京都の地盤って、それから僕も今勉強してるところなんで、そのまま勉強したものを言ってるだけですけど、
すり鉢状の形になってるんだけど、この土地の山に囲まれた下には水があって、その上に土地が浮いてるみたいな。
ボール状の水が溜まってる上に浮いてるぐらいの地質だそうで。
だからこそ出待ち穴ぐらいまで行くと川も近いから、水はかなり安定的に出るんじゃないかっていうことで、
その水を自分の家でも使うけども、例えばこの今教訓できた場所って防災用で使ったりとか、
水の大切さ
地元の人用に誰でもお金も入れなくていいぐらいに配ってるようなもので、そういうこともできたらなと思ってるんですね。
めっちゃいいな。最高やわ。その井戸掘り名人はいくらぐらいなんですか?
30万円。
で、8メートル。
30メートルは確実に掘りますっていう。で、水出なかったらお金いりません。
そうなんですか。
で、でもその四軒隣ぐらいで掘ったことあるから、あとなんかデータベースがあって井戸掘り屋さんたちが見れる。
この辺りだったら出るだろうみたいな。で、こことここ出るから、ここら辺もまあ水脈ありますよって。
すごい。
えーとかって。で、それやっぱ聞きながら、あとはなんかモーターが必要やからモーター20万円かかりますねとかって。
そういうことね。
うわ、リッチやな。それでお風呂入ったりできるわけですよね。
坂井さん、関心ありますか?
めちゃくちゃありますよ。僕掘ろうとしたことあるんで。
自分ちの庭に。
マジで?
自力で。
無理やったんですけど。
何メートルぐらい行きました?
いやいや、全然行かなかったんですよ。ちゃんとした井戸掘る機械まで買ったのに。
なんかダーンって打って地面に掘っていくやつ?
なんかこうやって回す。
岩盤に当たるんかな?
ちょうどその土をどんどんどんどん上に巻き上げてこなきゃいけないんですけど、
その筒に筒と同じサイズぐらいの石がいっぱいあると全部詰まっていくんですよ。
で、諦めてたんですけど、ちなみに僕んちの隣、今この間本当に工事してて、
家壊したんですよ。
で、今更地なんです、隣が。
それで、その人が、もともと塀が、僕とその人のお家の間に塀があったんですけど、
それを作り直すって言うから、何のためにいるんですかって言って、
それいらん、塀なんかどうせ家があるんだし、境目なんか適当でいいじゃないですかと。
えっ、そんなんでいいんですか?みたいな感じで言ってて、
だから塀作らんくていいから、僕んちにそのお金で井戸掘ってくれませんか?って言ったぐらい関心があります。
それは実現はならず?
いやいや、まだ。
交渉中?
交渉中というか、なんかその業者さんが井戸を掘る人連れてくるわって言ってました、この間。
もしあれやったら、僕もパッと調べて一番トップに出てきた人に連絡したら結構いい人だったんで紹介します。
そうですね。
30万とかやったら全然俺掘ってほしいなって今思いました。
なんか水はすっごい大事だと思います。
いやそうですよね、なんか当たり前にあるもので、
最初にほうに話してた人間にとって一番必要なものであり、
別にでもどんな水でも水だしなんだけど、
掘ったら水出てきて、それを掘るのにお金かかるし、モーターとか動かさないと電気代必要だけど、
そもそも水って誰のものでもないんだっていうのが一番僕感動したところで、
それに自分が掘り当ててっていうか、自分で手に取れるっていうのが、
なんか今一番感動してることで、自分が作らなくてもいいっていうのが嬉しい。
水の本質と自然とのつながり
それを誰かに、今日僕の水じゃない、僕の水っておかしいな、
京都の水じゃないな、なんていうんかな、
地球の水でもないな、誰のものでもないものをただこうやって飲んでることで喜びを得れるっていうのは、
作らなくてもいいかもって思ったりする理由になってて、
そっからちょっといろんな発想につながっていかへんかなって思ってるんですよね。
自然やしな。
そうですよね。
僕らの食べるもんって、今日もここにお菓子が用意されてるけど、ものすごい不自然な食べ物だし、
肉にしても野菜にしてもみんな一回冷蔵庫を経由してたり、
一回冷蔵庫に入ってきてたりとかするものがほとんどだなとかって考えると、
本当に冷蔵庫一回も経由せずに僕の元に届く自然なんで。
やっぱ水道水こうやって入れると中に気泡入ってたりとか濁りがあったり、濁りっていうことじゃないんですけど、
今日も汲んだ瞬間めちゃくちゃ綺麗で、
たぶん地面からそのまま上がってきてここに入ってガラスの瓶の中に入ったその日光が当たってる角度とかめちゃくちゃ綺麗だったんで、
視覚的にもわかるなと思いました。
気づいてるっていうか、重い、重く言ってくれてる感じがして。
でもこれたぶん山城さんの井戸というか拠点に水を汲みに来る人、アート目的じゃなくてね、そういう人って絶対いると思うし。
そうなんですよ。そこからじゃあそれをお金に変えていこうっていうことではなくて、
自然な入り口が作れるんじゃないかなと思って、なぜ方とかでもさっきラーメンって言ってくれたみたいに、
やっぱり何かみんなが知ってるものに代替して入ってきてもらって、そこで起こることを作るってしてたけど、
もっと自然な形に自分がなれるんじゃないかなって思えてきてるって感じですね。
映像作りの哲学
もう風呂もやってほしいわ。
そうですよね、やりたい。だからもっと京都っていう立地がうまくそれをできるんだったら、もっと流行ったりしないかなと思って井戸掘るの。
水をもう一度自分の手に戻そうみたいな運動が残るかもしれないし。
新幹線地下通すとかやめてくれって。
そうですよね、あれで反対されてる方たちの気持ちはすごくよくわかったなと思って。
なんかそれで水脈一つ変わって、水によってできてた、例えば出町双葉とか井戸水で作ってるんですけど、
あれ絶対水の影響で美味しさ増してるって思ったりもしてて。
それはそうですよね、豆腐屋さんとかしか積もんない。
うちの近所の豆腐屋さんも井戸水で、やっぱり全然味じゃなくて何やろうなあれ、また言葉にできないんですけど、
真ん中に戻るっていうか、自分が真ん中に戻っていく感じがあって、それを体験できるメディアが、
ああ、水や。これは僕は映像と思ってるっていう風にしたいなと思ってるんですけど。
ん?
え?
え?
え?
今のが分かりにくかったな。
水が映像っていうのが。
最終的にそこの話にいけるんやん、今日は嬉しいでしょ。
なんで映像なんですこれ。
これいけんのかな?
自分が最初に出会った感動とかは、みんなそれぞれ会って表現の道に行ったり、
別に表現じゃなくてもいいけど、生きるモチベーションになったりしていく一つに自分は映像体験っていうのがあったんですけど、
別にそこに全部繋げなくてもいいけど、映像そのものを僕自身はどこかとどこかを繋げるための方法とか、
いつかと誰かを繋げたりとか、過去のと今を繋げたりとか、場所全然違うとこ繋げたりとか、
それの技術が映像だと思ってて、水もそういう風にならないかなっていう風に思ってますね。
なるよなるよ、だって今ここに汲まれたこの水はいつの雨やねんっていう話ですよね。
そうですよね。
めちゃくちゃ遠い遠い。
なるんやけど、だからといってこれが映像かどうかはわからない。
ところで山下さん、僕そういえば映像作品ってマジで苦手なんですよ。
それはどこまで指してます?映画もCMもテレビも。
それ好き好きいけるいける、美術館で鑑賞する場合の話なんですけど、
やっぱこう一瞬ではわからない。
そうですよね。
で、まあまあ時間を要するんですよ。
で、例えば5分とかその場に立ってたらまあまあ損した気持ちになるんですよ。
相当な面白さがないと。
いやもちろん面白いのありますよ。
今パッと思い浮かぶのは木の上に2人の裸の2人がお尻を向けてカメラの向きに座ってて、
そのお尻のおならで笛を吹いているっていう映像を美術館で見たことあって、
それとかはなんか一瞬でピロピロピロとかってどういうことってなんだとかそういうのはすぐわかるから、
コミュニケーション速度早い。
で、絵画とかそういうものも一瞬で見れるのに対して映像は僕をすごい時間を取るっていうところが苦手なんですけど、
この映像大好き山城さんにしたらこういう意見を持ってる僕どう思いますか?
だって基本的に人の時間を奪うメディアなので、その自覚を持ってる作家なのかによってもう全く体験が違ってて、
展覧会場で映像を見せるってこと自体がもしかしたら本当はこうやってはいけないことをしてるのかもしれないですよね。
例えば演劇作品、演劇公演を展覧会場で毎日上演してても同じことが起こると思うんですよね。
40分50分みたいなのをある時間見続けないといけないって。
そもそもそれが演劇やってる人たちからしたら選択しない。
そんな風に見て欲しくない、途中入隊場ありとかしたくないっていう風に演劇の人はやらないように、
本当は映像も展覧会場に入っていくこと自体を拒否しないといけなかったのかもしれないけど、
今結構それをなあなあでされてるところがあって、すごいコンパクトにどこ見ても10秒見ても1分見ても40分見ても同じ体験が持ってる映像もあれば、
なんか5分見ただけでは本当にわからない映像もあったりして、
結構ここは僕自身は展覧会を3周したりとか4周したりするみたいな見方をする時もあるんですけど、
本当だから6時間入れるなら6時間いたい。でもなかなかそんなことないですよね。
だから断片的に見ていくみたいな見方をしてしまってる時はありますね。
だから坂井先生の意見に対して疑問ですとかは思わない。むしろ映像メディアの表現者たちが解決できてないっていう。
あと展示者かな、展示者の問題かな。最近解決方法としてはQRコードがあってその後からも見れるっていうので解決しようとしてるんですけど、
ちょっとまだ足りてないって感じですね。
ねえ、もったいないなあと思う。反面なんか便利さもあるからなあ。
そうなんですよ。
送るのに郵便使わなくていいとか、そういうのはすごい便利やろうなあと思ったりするけど、なかなか。
で何だっけ、水が映像?
これぐらいでいいかもしれない。
家族の話だ。
お子さんが生まれてから作品の方向性とかで変わることとかも。
なんかその水が映像に見えないかなみたいな話と繋がってくるんですけど、
2013年に今上学6年生になったんですけど、息子が生まれた時に1年間子育ての子供が成長する姿を見てめちゃくちゃ大きい影響を受けたんですね。
それは生まれた瞬間の人間を見るのも初めてだったし、自分も体験したはずなんだけど記憶はないから、
初めて人間が人間になっていく様子を見させてもらったっていうのを主に最初の1年間かな思ったんですね。
その時考えてたのは、人間例えば80年100年生きるとしたら、その後99年間の変化率と0歳から1歳の変化率が同じぐらいだと思ったんですよ。
だから1歳から99歳まで生きたとしても10が100になったら10倍じゃないですか。
0歳から1歳も1が10になって10倍、なんかすごい1年間にいろんな変化が起こってるのを見れたっていう。
まず子供が生まれて、赤ちゃん自身が自分が存在してるっていうことに気づいてないっていうのが面白くて、
泣くしかできなくて言語もなくて距離もわからなくて、母親とか父親とかそういう人間、自分の他者が言ってるのもわかってないから自分が言ってるのもわからなくて、
危機管理能力だけで泣いてたりとか反応したりしているのが3ヶ月ぐらい続くと。
最初の10日間なんてもうバスタオルみたいな、一応生きてるけどこの子1人置いておいたら確実にすぐに生命がなくなるなっていうような状態を見たときに、
カメラみたいだなと思って赤ちゃん自体にいろんなもの見せながら世界を認識させていくっていうか。
これがお母さんだよとかママだよとかこれを飲んだら安心するよとか言葉じゃなくて体験を通して見ていって、
それが3ヶ月6ヶ月ぐらいになっていったら首が座ってきて物を握ったりとか自分の指並み始めたりとか、
だから自分の手を投げ始めて自分を確認しだすんですよね。その時点でちょっとこう人間になってきたって思えてきて、
生後半年から1年1歳ぐらいまでの間にテレビとかも見たりしてたから、
テレビ見てるといつも見てる番組とかだったらブーブーとかあーとか言い始めて、
そのテレビで映ってるものとそのテレビの横に置いてある花瓶が彼にとっては同じものに見えてる時があって、
こっちはこの左側に映っている例えば映像の中に花があるとしたら、花とそのテレビの外側に置いてある花が区別がない状態。
両方が10日に彼には見えてて、映像の中に人が入れないとかっていうことをまだ気づいてない時代があったんですよ。
それすぐに分かるようになるんですけど、こっちは映像でこっちは偽物でとか。
でもそれが見た時に映像を今までシングルチャンネルで紙芝居みたいにカットとカットを組み合わせて映像を編み上げるっていうのを僕はしてたんだけど、
物だけで映像を作れないかなと思い始めたんですね。
だから例えば花瓶が置いてあって、その横に何かテキストがあって、その横に例えば何か光があって、それが順番に繋がっていくことで一つの物語、物語じゃなくていいな。
すごく詩のように、詩のようにっていうのは文法的におかしくても感情が生まれるのが詩だと思うんですけど、
そういうように物を並べるだけで時間を作れないかなって思って、そこからインスタレーションのタイムベースメディアっていう作品手法を作って、
家族との関わり
物を並べながらそこに光を当てたり時に映像を組み合わせたりしながらインスタレーションするっていうのをやったんですよね。
何もモニターに映ってるものが映像っていうよりも、物質も何か組み合わせたりすることで映像的になるんじゃないかなと思って、水とかもその一つになるかもしれない。
水はよくわからんかったけど、今の話は面白かったな。
よくそんな赤ちゃんを観察してましたね。
俺、そんなの全然わからんかった。
テレビとその隣にあるものの、それが同じに見えてるっていうか、そんな細かいことまでずっと見てたんですね。興味があって。
人間が人間になっていくのが。
得意な映像で記録ももちろん。
記録もたくさん撮りましたね。初めてご飯を食べるシーンを10日間撮ってみるとか、ぐっちゃぐちゃにしてる様子ですけど。
でもそういうのとかも、お皿で食べるってすごい不自然な行為で、相当教育されてないとできないけど、それを赤ちゃんにさせてみたら、
当然お箸も使えないし、手で食べるけど、お皿って概念もないから、ぐっちゃぐちゃにお皿の外にこぼして、それを食べたりしてる。
でもそういうのが、自分をもう一回解放してくれる感じがして、自分のその認知とか、これはこういうものであるっていう記号を全部分解してくれるような気持ちになって、面白かったんですよね。
今お子さんは1人?2人?
2人いてて、小学6年生の息子、セカイって名前なんですけど、と小学3年生のヒカリっていう娘。
どんな子ですか?
どんな子か、いやーこれ僕には言えないですね。それを言ってくと固定化していっちゃう気がして。
井戸掘りと地域貢献
もう言えなくなってきたみたいな感じですね。昔はもうちょっと言った気がするけど、今はもう自分とは違う人間にしっかりなってきたなって感じがして。
素敵ですね。
君もそんな頃があったんだぞ。
そうですね。
俺も。
そして子供のお子さんが誕生して、それも今の作品に生きているっていうことですか?
そうですね。当時経験したのは、今もまだ影響を受けてますね。
ありがとうございます。さて、4回にわたって山城大輔さんにお話を伺ってきました。セカイさんいかがでしたか?
大学、この間までいたのに今いなくて、でも教育みたいなことは山城さんの作家活動の中にあると。
まだプランとしてあるっていうか、作家としての教育活動みたいなことがあるって初めの方に言ってて。
それだけちょっと最後にどういうことみたいな。
先生って肩書きじゃなくてってことなんで、それだけ教えてもらえたらなと思いました。
そうですね。職業としてとか、最初結構今回のポッドキャストの一番最初の方に肩書きの話とかあったんですけど。
確かに何者かになるためには肩書きとかをゲットしていくのが一番早い方法で。
それも自分も感じながら生きてたんですけど、そういうのを全部外して混ぜていけないかなっていうのは思ってて。
教育って本当はもう誰もが関わってる話で、教育を受けずに行ってきた人なんていない。
それが受けてきたことを誰かに教えることを誰もがしてもいいはずで。
僕もその一人だと思うので、もしかしたらそれは大学の中ですることもあるかもしれないし、地域の中の息子の友達とすることもあるかもしれないし、
商店街の中でするかもしれないしっていう風な意味で関わっていきたいなっていうのはもうすごく根源的に思ってますね。
山城さんが作っていく作品によって、例えばそれにファンが出てくる、ファンがいるとしたら僕は教育してるってことになるのかなとも思うんですよね。
教育と映像制作
そうかもしれないですね。
刺激的な刺激を与えて反応を引き出す。その人の新しい学生の新しい表情だったり、その人らしさを引き出すことにつながるのかなとかも思いましたし、
僕もなんかデザインしてて、その視点、プロダクトによる教育でもいいし、自分が考えた企画によって教育でもいいけど、とにかく教育はしてるような気がしてますね、先生以外にも。
うん、そうですよね。
みんな勉強してほしいって思って。
山城さんが感度を高くっていうか、ずっと考え続けていらっしゃって、ジャンルに分けずに全部をつなげて考えているのかなっていうのが想像できて、だから複合的にいろんなお仕事されてるのかなって思うと、すごいいいお話が聞けたなと思います。
てかさ、ナノハの舞台とか山城さんにちょっと手伝ってもらうとか、全然あるよな、だから同じような俺には見えるぞ、やってる舞台的なことと映像、似てる領域にいる気がするし、
うん、多分おちゃら契約で。
お笑い。
お笑いで出したり。
演出してる。
私はプロデューサーです。
演出山城さんっていうのは良いと思うな。
今何なるんやろ。
やってくれるかどうか知らんけど。
俺たち一応これね、三角形なんで今。
ほんまや。やるか。
三角形を生産する人なんで、すぐ三角形ね、やりたがる人なんだけど。
芸大ラジオまいまいの舞台か映像作ってもらえたらな。
やるか。
俺何やろうかな。
出る方ですよ。
出る方?
はい。
俺一人やん出るの。
一人でも良いと思うよ。
無理やさ。
一人芝居。
それは無理やで。
うちら後ろでこう言いながら。
それは無理や。
100日間連続公演。
面白そうです。
良いですね。
なんかそういうチャレンジはしてみたいよね。
毎日。
なんか山城さんも俺もあれだよ、自己肯定感高いからさ、なんか新しいことにチャレンジしたい、好奇心もね強い。
そうですね。
毎日そればっかりです本当に。
山城さんの複合的な活動から学生時代、お家族のこと、後への思いまで本当に楽しい時間でした。
今後の山城さんの活動も楽しみにしております。
山城さん4回にわたってありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
またやそれ。
体が。
また芸大ラジオまいまいとかやってるけど、初めてのアーティスト的な人、今回初めてだったね。
そうですね。
今までもう全然、一般の人にしたら関係なさそうな人ばっかり呼んできたけど、今回アーティスト、初めてだったので、よりアートのことがわからなくなった人もいるかもしれないし、
あるいはちょっとなんか身近に感じた人も来られるかもしれませんが、なんかわかりきることがいいことでもないので、こんなところで、皆さんおやすみなさい。
ありがとうございました。
番組が面白かったという方は、スポティファイやアップル、ポッドキャストなどお聞きのアプリでのフォロー、高評価をお願いします。